城内啓一郎の鷗鵡老日記
  • 16Apr
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      衆生所遊楽

      久しぶりの投稿になります今回は近況報告です以前からも書いておりますが昨年3月に新規事業を開業し1年が経過しました(またこの4月で64才になりました)このコロナ禍で一時はどーなることかと思っていましたが、、、なんとこの度、営業車両をもう一台購入することになりましたこの年齢で事業拡大は考えていませんでしたが大聖人様より「この車を買ってもっと商売をしろ!」(笑)とのお声が聞こえて来ましたのでもう一歩前に踏み出すことにしました(我が妙光寺の建て替え基金も捻出しなければなりましぇん)そして普通預金の残高もこの一年で300万にまでなりました開業時には預貯金も使い果たしほぼ0でスタートし心細い毎日でしたが、一年経って自由に今すぐ使えるお金が300万円にまでなったのですこの調子でいくと年内には500万くらいにはなるでしょうそして来年は1000万!!十年後は1億円!夢の億万長者です功徳→お金ではありませんが、一つのバロメータになることは確かです明日食べるお米も無いのに「この信心をすると功徳が頂ける」なんて言っても誰も信じないでしょうそれより何より今のアタシは毎日が楽しくてしょうがありません早く夜が明けないかなぁ〜と朝3時頃に目が覚めてしまいますまさしく法華経に説かれている「衆生所遊楽」を体現しているのです本当にこの御本尊様の功徳は甚々無量です我々凡夫ではとても計り知れないことなのですみなさま「この信心をしていてホントーに良かったー!」と感じる日は必ず来ますその日まで共に頑張ってまいりましょう!!妙光寺支部の城内の近況報告でしたではまたしーゆー「天人常充満」の体現もしたいなぁ~まだ早いか!w

  • 01Jan
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      戦時中の大坊(終)

      (前回より続く)古老の話が出たついでに、その頃久成坊には円妙院日彰上人(妙光寺第五代)がおいでになった。私は三等学衆になったころのことである。「どうもなんだね〜いにしえは・・・」銀のキセルを手に、頭を少し振り加減にして、円妙院さんのお話はいずれの場合にも必ずこの言葉が枕になるのである。イニシエという言葉を忖度するのに、何も百年二百年という事ではなく、ご自分のお若い頃にはという意味らしい。要するにイニシエに於いては、法華経一部真読訓読、五大部の素読、二十六ヶ条の暗記、名目、四教儀の素読をやらなけれ袈裟を許されなかったという事である。それに「お前たちは法華経を知らないでなんだ!」とおしかりを受けたのであるが、大変なショックであった。三十年も前ことではあるが、いまだに脳裏にこびりついて離れないでいる。実にありがたいお言葉であった。このように塔中の御住職やお所化さんから、或いはまた登山された住職方から、茶の間その他でいろいろなお話しをうかがうことが出来た。生きている人のことは勿論、亡くなった方々の行体とか信心、あるいは御先師方のお若い頃のエピソードなど聞かされ、知らず識らずの間に信心というものが植え付けられていったのである。だから茶の間というところは、憩いの場であると同時に教育の場であったのである。たまたま誰もいないと思って、小僧が得意にアグラでもかいていようものなら、ニ、三間スッ飛ばされる事は確実であった。我々にとって一番恐ろしい人は御前様でもなく、塔中住職でもお仲居さんでもなく、お所化さんその人であった。所化とは実に小僧にとって神様くらいの存在であった。だから所化さんのやることなら事の善悪は別として何でも真似たかったものである。その頃、宗務院、内事部の役職員は畳表に裏ゴムの白の草履で、所化には裏なしの赤い緒の草履が許されていた。衣の紐を前で結び、その草履をペタペタと鳴らして歩く所化さんの姿は、実に偉風堂々たるものであった。だから我々小僧の心理としては、教師などと言うのは遠く彼方のことであって、三等学衆になって草履をはくことが最大の夢であったように記憶している。このように書くと、所化さんというのはただ恐ろしいだけという印象を与えるかもしれないが、実はそうではない。小僧の中には勉強のできない者、体をこわす者、寝小便をする者などなど、でもお中居さんの手をわずらわすことなく、みんな所化さん達が面倒をみて可愛がってくれたのである。だからお互いに年を取っても水魚の交わりが出来るのである。昭和12年頃の小僧さんや所化さん日中戦争から大東亜戦争へと入っていく頃日興跡条々の事一、本門寺建立の時は新田卿阿闍梨日目を座主として日本国乃至一閻浮提の内に於いて山寺等の半分は日目嫡子分として管領せしむべし、残る所の半分は自余の大衆等之を領掌すべし。広宣流布の暁には日目上人が御出現遊ばすということは、本宗僧俗の信心であり、既定の事実である。恐れ多いことながら、もしかしたら現在の小僧の中に目師様がおいでになるかもしれない、という事で、毎度正月元旦の対面所において、教師方が小僧にお給仕してくださる習慣があったのである。いつも叱られているお中居さんがお給仕してくれるのであるから、ちょっとこそばゆい感じであるが、この日ばかりは上座に座って、大いばりで茶碗を差し出す事が出来たのである。時いまだいたらず目師様はその頃まだ御出現になっていなかったご様子である。このあと、所化頭が導師で蓮葉庵から学寮、石之坊、塔中と新年のご挨拶に出掛けるのであるが、おしるこをよばれたり、みかんを食べたり、最後の了性坊を出る時は既に正午になんなんとする頃であった。前川慈肇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇小僧さんんの修業時代の回顧録みなさまいかがでしたか?「オレにはムリ!」なんて思いませんかぁ~このように十年以上の修業を積んでやっとお坊さんになれるのです。現在お坊さんを呼ばずに葬式をするのは創価学会だけです。そりゃそうですよね~「僧侶不要論」を唱えてるんですからその代わりに歴代会長を崇め奉るもう「仏法」ではありませんこのような意味不明な宗教団体からは即刻脱会し共に正真の道を歩みましょう。日蓮大聖人 四恩抄にのたまわく「末代の凡夫、三宝の恩を蒙りて三宝の恩を報ぜず、いかにしてか仏道を成ぜん」◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇みなさま、あらためまして2022年、明けましておめでとうございます。昨年三月のコロナ事変の真っ只中で開業し、一時はどーなることかと思ってましたが御本尊様の広大無辺の功徳に浴することができ、無事新年を迎えることができました。本当に御本尊様の功徳は甚深無量です。コロナで儲かったんで左ウチワであおいでみました開業2年目となる本年仕事の礎を盤石にするためにももっともっと仕事と信心に専念することにいたしました。よって今回をもちましてブログはしばらくお休みいたします。こんな変なおじさんですが、お山などで見かけましたら氣軽に声をおかけくださいませ。でわまた、チャオみなさま、お元気で!妙光寺支部の城内でした連絡先 09032123588◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇最後のおまけなんとウィーンモーツァルト合唱団が大石寺を見学#ウィーンモーツァルト合唱団(昭和48年6月)正本堂の円融閣で合唱をしたそうです。創価学会の布教力が全開のころでしょうね~法華講も負けずに頑張っていきましょう!

  • 25Dec
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      戦時中 の大坊(2)

      ~前号よりの続き~食べ物の話が出たから思い出したが、塔中食堂というしきたりがあった。七日、十三、十五の御講のあと、塔中住職方が内事部玄関脇の部屋で朝食を共にされるのであるが、所化・小僧がそのお給仕である。この時に住職方がいろんな報告、打ち合せ、時にはまた、むずかしい御法門や化義についてお話しがあり、所化さん達はその話に耳を傾けていたようであるが、我々小僧には全然「関係ない」ことであって、気になることはご馳走が残るかどうかそのことだけであった。ご馳走と言っても毎度変わりばえのしないけんちん汁、煮豆、それに酢のものぐらいで、当時その料理のおいしかったこと色香美味そのものであった。昭和14年のころ 日恭上人、日開上人、若き日の日淳上人の御姿が見える松岡慈契師が「ダチコン式」ということを書いておいでになったが、その出所を明らかにされなかったので披露させていただこう。ついに明かされる総本山伝統の「ダチコン式」!(爆笑)豆腐の味噌汁と言えば、大坊在勤者にとっては今のステーキかトンカツにもし匹敵するくらいのご馳走である。豆腐は逃げるし、サジは木でできた厚みのある浅いものであったから、尋常なことでは救えないのが普通である。昔、観行坊に西川さんという方がおいでになり、その方は豆腐すくいの名人で、この方のお経が當断令永尽、トーロンジャブコジャブコ トーローダチコンダチコンと読んでおられたそうである。そこで豆腐をすくい上げるテクニックを「ダチコン式」と称したのだと堅持院日法贈上人(妙光寺第4代)からお聞きした言葉であるが、今はほとんど聞かれないコトバである。〜続く〜◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇なんと豆腐の味噌汁がステーキやトンカツに匹敵!けんちん汁、煮豆、酢の物がご馳走!いくら戦時中とはいえなんと凄まじい食糧事情!日顕上人の小僧時代もタクアンだけの食事だったわけですから、こんな時代が何十年も続いていたんですねー今はブクブク太っているお坊さんを時々見かけますが、いったい何を食べているのか聞いてみたいものデス◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇えー私ごとですが、、、お正月の初登山用に羽織と着物を新調しました。で、(記念に)着物の撮影会に紛れ込んで美人のモデルさんの脇でパチリこんなカッコウのジジイを塔中で見かけたら声をかけてください。間違っても石は投げないでくださいませでわでわ皆さま良いお年をお迎えください。ではまた、来年妙光寺支部の城内でした。◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇創価学会のみなさん総本山ではこのように僧侶は粗食に耐え、大聖人様以来の伝統法義を守り抜いてきました。にもかかわらず「僧侶不要論」をふりかざす創価学会は明らかに魔の眷属です。このような団体に所属するアナタには未来がありません。一日も早く脱会し、正宗寺院の門をたたいてください。

  • 18Dec
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      戦時中の大坊

      こんにちは妙光寺支部の城内です。前回に引き続きもう少し時代が下がった「戦時中の大坊」の様子をお伝えします。(蓮華・昭和48年5月号より抜粋)◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇「戦時中の大坊」 前川慈肇我々が子供の頃には、得度式または衣や袈裟の免許が済むと、所化頭に連れられて塔中の挨拶廻りをしたものである。「本日得度致しました御前様の弟子の◯◯でございます。よろしくお願いいたします」と所化頭の口上があり、本人も「よろしくお願い致します」と、口の中でもそもそ言うや否や、「おめでとう」の言葉と同時に、青く剃ったばかりの頭をピシャリと叩かれるのである。左端 日恭上人と右三人は小僧さんそしてこの時の新発意(しんぼっち)が差し上げる御供養は5銭で、表には、得度披露 日恭上人徒弟 前川慈肇 と書かれたものを持って廻ったのである。衣免許の時も確か5銭で、袈裟免許になると10銭になったはずである。そしていずれも間違いなく倍になって還ってきた。当日草取りの日当が50銭の時代であったから実に豪義なものである。その頃、商店での買物は全部ツケで、支払いはお虫払いとお会式の二回きりである。開満の割り出し(給金の支払い)があると、柏木、下店、牛屋等の各店が、待ってましたとばかりに半年間の未払い金を集めに来るのであるが、借りる方も貸す方ものんびりしたもので、この年二回支払い方式を疑う者は一人もいなかったようである。現在では考えられない経済機構である。商店への支払い後がまた大変である。ほとんどの所化さんはマイナスで、黒字になった人は少なかったようである。割り出しの時のうれしそうな顔、店屋に持って行かれて何も残らなかった時の寂しそうな顔、一喜一憂する所化さん達の姿を覚えているが、本山に来たばかりの小僧にしてみると、何か別世界へ来たような不思議な光景であった。当時の大坊 右上が御宝蔵我々小僧の日常の行務、それはまず第一に「御開帳ぶれ」から始まるのである。「御免ください、2時からご開帳(御開扉)です」「2時から御開帳、引き続き満山供養です」ご宝蔵前の御開扉の様子などと一軒々々ふれて歩くのであるが、よそ目にはまことに長閑な風景である。しかし小僧にしてみれば大変な仕事である。通れる所はどこでも通り抜け(当時はほとんどの塔中境内には畑があった)遠くの方からできるだけ大声を張り上げ、玄関まで行かずに出来るだけ早く済まそうとして、小僧は小僧なりに頭をひねったものである。しかも戦時中であるから武運長久の御開扉が臨時であったりして、午前と午後の2回飛ばされる事もあり、とにかく御開帳ぶれは小僧同士の喧嘩のタネでもあった。#出征兵士の御開扉塔中廻りには御開帳ぶれのほか、回章(回覧板)や判取り(御開扉のあと隠尊の書き判を請書に書いて頂く)を持って廻るのであるが、こんな時に「小僧、ちょっと来い!」と声が掛かればしめたものである。サツマイモ、みかん、とうもろこし等がいただけるのである。こんなことを言うと不思議に思うかも知れないが、チーズやプリン等と言うものは、英語の教科書では名前だけは知っていたが、実際に見たのは戦後のことである。そういえば源氏の君や藤原業平がデートした時の間食は木の実、餅、ホシイイ(蒸して乾燥させた保存用の飯)であったから、戦前の食生活とあまり変わらなかったことになる。電話の普及した今日では、「御開帳ぶれ」とか「判取り」などの日常用語は消えてしまったが、コトバというものは人間の必要により生まれ、用が無くなれば消えて行くものであるという事を、ここでもしみじみと感じさせられるのである。〜次回に続く〜◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇宗祖日蓮大聖人新池御書にのたまわく無益の事には財宝をつくすにおしからず、仏法僧にすこしの供養をなすには是をものうく思ふ事これただごとにあらず、地獄の使のきをふものなり寸善尺魔と申すは是なり【創価学会のみなさんへ】現在創価学会では、このように日蓮大聖人様の御教えを法燈連綿と伝えてきた歴代法主上人を無視し、学会会長をその位置に座らせるなどと大謗法を繰り返しています。このような大恩をないがしろにする宗教団体に明日はありません。一日も早く脱会し、大聖人様まします清浄なる大石寺に御登山申し上げ、真っ当な信仰生活を送りましょう。◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇妙光寺支部の城内でした。でわまた、しーゆー

  • 11Dec
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      「昭和6年頃の大坊」

      こんにちは、妙成寺支部の城内です。「昭和6年頃の大坊」と題して、日顕上人の手記がありますので、前々回に引き続き当時のお山の様子をここにご紹介いたします。(昭和48年5月号・蓮華より抜粋)前々回の大正時代から少しだけ下がりました。◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇考えてみれば、私ほど年少の時から僧侶にさせられたのは、まず類があるまい。当時の宗規が許したのであろうが満5才と9ヶ月の時、東京常泉寺で当時の住職・桜井仁道尊師により得度した。あっと気がついたら僧侶になっていたと言う事である。その後、昭和3年に常泉寺住職をされていた日開上人が総本山に直られた時、私の母は常泉寺から出て、近所で3年を過ごした。従って私もそこから小学校に通っていたが、昭和6年に総本山へ移住した。そこから私の第一回の総本山に於ける、まぁ修行とあえて言わせて頂くが、在勤が始まったのである。小学校3年生であった私は、いきなり大坊に入れられた。当時、御当職は日開上人であった。#60世日開上人お仲居は木村慈由尊能師で、この方は霑尊(日霑上人)仕込みの行体堅固な方で、弟子の薫陶も厳格であった。もうかなりの老齢で、いつも柔和な表情をされていたが、この方は他人をつねる癖があり「信雄や」とにこにこしながら近づいて来るといきなりつねられた。また、飛び上がるほど痛いので2、3回やられた後は顔を見ると逃げ回った覚えがある。宗祖日蓮大聖人650遠忌は、昭和6年の秋に7日間奉仕修され、私も白衣小僧として文字通り末席に列なることができた。後から聞くところでは、当時は未曾有の社会的不況の時代で、米の値段が下落して、総本山の小作料もなかなか入らなかったそうである。総本山の財政も非常に苦しく、当職の日開上人はもちろん、役員も大変なご苦労で、通常経費にも事欠く中を、御遠忌の大法要と大事業をなされたと聞いている。御遠忌事業は三門の修復、客殿、大玄関の改修で、三門は亜鉛葺きを銅瓦にしたが、その寄進がなかなか集まらなかったという。もちろん私は小僧でそんな事は知る由もなく、同輩と広い境内を飛び廻っていた。大坊の食事は、当時三食ともに味噌汁だけの一汁無菜であったが、タクアンだけは美味しいのがパクパク食べれた。学校の弁当のおかずは大抵お新香程度で、時には塩を振りかけただけを詰めて行った時もあった。一週間に一度だけ日曜ご馳走と称して鮭とか何か一品付いて、それが楽しみにしていた覚えがある。元来が質素な総本山のもっとも経済不如意の時代だったからやむ得なかったのであろう。当時の所化頭は蓮興寺(沼津)住職である関戸慈晃師。在勤の所化は11名位いたと思う。その頃は意気盛んな所化で、また社会的に蛮カラな時代でその気風とも関係して独特の雰囲気を形成していたように思う。当然、所化さんからはこずかれ、いつも叱られ、また、時にはソバなど奢ってもらったりしながら成長したのである。中列右から2人目が日顕上人中央は日開上人その頃の勤行は、二座に世雄偈を読み、ニ、三、四座は寿量品の長行を読んだ。従ってお経は早く、総本山伝統のくずしお経であった。それが後に、御信者が大勢参詣されるようになると、早いくずしお経ではついてこれない。そのためいつとなく、くずしお経がなくなってしまったように思う。このくずしお経は雨垂れ調子ともいい、早さは自在でいくらでも早く読めるが、適当な速度でくずすところに何とも言えぬ法境醍醐味があった。また、御開扉は御宝蔵で行われたが、平均一週間に2、3回であったろう。これはまたお経がゆっくりで、方便品、寿量品に自我偈三巻と題目でたっぷり1時間かかり、いつも足のしびれが切れた。そのため幼いこととて身体を動かしたり、態度が悪いと必ず後で所化さんから怒られる。それが今になって考えれば、本当にありがたかったと思う。つまり、僧侶である以上、御本尊様の前へ座った時は、命がけで修行をすると言う心こそ、一切の根本である。叱責される事によって自然にそう言う心掛けが身についたのである。また、もとの大坊は板の間の部分がとても多く、ここの拭き掃除はおおむね小僧の受け持ちであった。冬の寒い日々、毎日の拭き掃除に小僧は大体、手のしもやけがくずれ、ぱっくりと赤い口をあけていたが、医務室がある訳でもなく、つける薬も特に無いまま、春を迎えたと思う。色々なことが今から考えると全て野蛮であり、設備不十分な時代であった。そこへいくと、今の大坊の所化小僧さんの生活は素晴らしい。衣食住の全てが充分な庇護と、暖かい監督の下に修行できるからである。これ偏(ひとえに)に御法主上人猊下の御慈悲であることを心に染め所化小僧さんたる者、それぞれの立場で真剣に行学に精進して頂きたいと思う。人間は逆境にある時の方が信念と気概を旺盛ならしめ、全て充実してくるとそれに馴れてしまい、かえって根本の精神を忘れることもあるという。私どもが小僧として在勤した窮乏の時代も、それはそれなりに令法久住の根本精神に生きた、よき時代であったということを憚らない。今は更に素晴らしい宗門大興隆の時代である。願わくば大坊の所化小僧さんが、その在勤期間を通して日蓮正宗の僧侶魂を涵養し、立派な御奉公の人材に成長される事を祈りつつ、とりとめのない筆を惜くことにする。平安寺住職 阿部信雄◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇スゴイですね~~お山も「経済不如意の時代」とか「お弁当はご飯に塩だけの時」とか「おかずは日曜だけ」とか・・・そんな時代を経験してきた猊下だからこそ、大謗法団体と化した(大スポンサーの)創価学会を切れたんでしょうね~イザとなったら飯と塩だけでも暮らせるのだ。大聖人様の教えをどこまでも正しく伝えるのだ、と平成の始め、学会問題が勃発したころ、経済的基盤が揺るがされる事を危惧して狼狽した住職たちが何人いたことか。結果、数百人という売僧が生まれてたことは皆さま記憶に新しいことと思います。「御本尊様の前へ座った時は、命がけで修行をすると言う心こそ、一切の根本である。」この言葉を肝に銘じて日々努力いたしましょう。でわまた、しーゆー================宗祖日蓮大聖人、四恩抄にのたまわく『僧の恩をいはば仏宝法宝は必ず僧によりて住す、譬えば薪(たきぎ)なければ火無く大地無ければ草木生ずべからず、仏法有りといへども僧有りて習伝へずんば正法・像法・二千年過ぎて末法へも伝はるべからず』《創価学会のみなさん》「僧」を否定し、歴代法主上人を経文から抹殺し、勝手な経文を捏造して凡夫である創価学会会長を崇め奉る。もうこれは大聖人様の教えではありません。こんな団体はさっさと脱会し、大聖人様正統である日蓮正宗の門を叩きましょう。そして無事に年の瀬を超えられることをお祈り申し上げます。

  • 04Dec
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      天人常充満

      先日、「人民中国」を読んでいたら興味深い記事が出ていたのでご紹介します。歴史好きにはたまらない内容でーす中国の舞子がたまらないわけではありませんので勘違いなさらずにこのグラビアは「敦煌・莫高窟」(とんこう・ばっこうくつ)の前です。ご存知「敦煌」は西洋と東洋をつなぐシルクロードの中継地点。あの法華経を訳した鳩摩羅什や玄奘三蔵も滞在した街です。敦煌で発見された大量の写経も、全て日本に渡った仏教教典の源と考証されています。つまり「敦煌」は貿易だけではなく、日本に伝わった仏教の重要な中継地点にもなるのです。また敦煌の莫高窟の壁画は世界的にも有名です。(NHKスペシャルでもOAしてましたね〜)#敦煌莫高窟石窟には多彩な仏教絵画が数多く描かれ、敦煌に現存する800ヶ所の石窟ほぼ全てに「飛天」が描かれているそうです。それほど「飛天」は仏教の重要なイメージとして描かれているのです。お山の御影堂の欄間彫刻にもこの「飛天」が描かれていますよね〜御影堂の飛天の図飛天は空を舞い、自由自在に飛び回り、軽やかに歌い踊り、何にもとらわれず、豊満な肢体に華美な衣装を身にまとい、気品に満ち最も美しい感動的な姿を表しています。毎日読んでいるお経にも出てきますよね〜「天人常充満 園林諸堂閣 種種宝荘厳 宝樹多華果 衆生所遊楽 諸天撃天鼓 常作衆妓楽 雨曼陀羅華」と天人は常に充満せり 園林諸の堂閣 種種の宝をもって荘厳し 宝樹華果多くして 衆生の遊楽する所なり諸天天鼓を撃って 常に衆の伎楽を作し 曼陀羅華の雨を降らしこの石窟に描かれている飛天を、舞踏家の王国麗さんが再現したのが下の写真です。即身成仏したのち霊鷲山にてこんな天女の舞が見れるなんて・・・ますます信心に力が入ります今まではおとぎ話的なイメージで読んでいたお経も、今日からリアルに想像できますよねー「天人常充満」している霊鷲山に必ず行けるよう、世の殿方は頑張っていきましょう♪あっご婦人の方々は必ずこのような美しい飛天に転生できますよ〜誰だ!「ウチのカミさんは飛天にならなくてイイなんて言ってる奴は!」◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇創価学会のみなさんへ!こんなもんに日夜、血の涙を流して拝み倒しても絶対に霊鷲山には行けません。飛天の舞など夢のまた夢でましょう。それどころか、地獄の釜の前で手ぐすね引いて待ってる地獄の獄卒の姿しか見ることができないでしょう。こんなものはさっさと取っ払い、正宗寺院の門をたたいてください。Its gets better !(きっと良くなる)ではまた、しーゆー妙光寺支部の城内でした

  • 27Nov
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      をもしろき馬

      先日、今年最後の連休を利用して久しぶりに美術館に行ってきました。山梨県立美術館にて開催中の「日蓮聖人と法華経文化」半分以上は他山の手前味噌的な展示品でしたが、そんな中に唯一、大聖人様直筆「報恩抄」が光彩を放っておりました。師匠の道善坊を思いやる気持ちが、お文字からにじみ出ており、なんとも言えないオーラを発しておりました。複製品での展示品が多い昨今、やっぱ本物は違うなぁーと感動しきりでしたあとこちらは唯一写真撮影が許されていた展示品です何の変哲もない小馬のレプリカですが、実は山梨在来種の「甲斐駒」です。これが正規の大きさになるそうです。埋葬品とともに出土した骨から再現させたと学芸員の方が言っておられました。山梨といえば甲斐の国、甲斐の国といえば武田信玄。武田と言えば武田騎馬軍団が思い起こされます。戦国時代はこのような軍馬に乗って戦ったのでしょう。しかし、時代は明治になり、西洋文化が花盛りとなります。日本にサラブレッドという大型で馬力がある外来馬が入って来て以来、あっと言う間に在来馬からサラブレット(アラブ種も)に代わってしまいました。なのでこのような日本固有の馬は現在は「木曽馬」しか残っておりません。日本の馬の良いところは小型ゆえ、小回りがきき、背が低いため乗りやすいことでしょうか。おそらく、いや絶対に大聖人様は身延から池上への道中、このお馬さん(甲斐駒)にお乗りになったことでしょう。大聖人様は「六尺豊かな大男」といわれます。(つまり180センチ)アタシの身長が175センチですから一回り大きい背丈を想像してください弘安5年9月8日、大聖人様はこのお馬さんに乗り、身延山を出発し10日間掛かって池上邸に到着します。およそ200キロの道のりです。平均すると1日20キロの移動距離になります。昔の人は1日に40キロ歩いたといわれますから、半分のスピードですね。相当お身体が悪かったのでしょう。しかし池上邸に着いた大聖人様はすぐさま馬をお借りした波木井さんに手紙を書きます。「このお借りした栗鹿毛の馬はなんと面白い馬なのだ!」「私はこやつと別れたくない」「盗まれると大変なんでSP級のガードマンを付ける」ともう最大級の賞賛です。以前も書きましたが「面白き馬??」ってどんな馬??「かしこき馬」とか「たのもしい馬」なら分かります。「おもしろき馬」って??1日20キロの道のりを10日間。大聖人様をお乗せして飽きさせなかったお馬さん。背中の大聖人様とお話ができたのでしょうか?馬から降り休憩中の大聖人様の御前でなにかパフォーマンスをしたのでしょうか?御書はこのお手紙で絶筆となっております。大聖人様最後の道中にお供し、また病状うるわしくない大聖人様を最後まで楽しませたお馬さん。どんなお馬さんだったんでしょうね~皆さんも色々と想像してみてくださ~い。◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇法華講のみなさん大聖人様より「よき哉、よき哉」と褒められる信徒になれるよう精進してまいりましょう。このお馬さんに負けないよう頑張っていきましょうではまた、しーゆー妙光寺支部の城内でした◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇【あとがき】他山や美術館の一般ピープルさえ『日蓮上人』ではなく『日蓮聖人』と尊称しております。にもかかわらずある学会女子部員は、『日蓮さん』とまるで隣のおじさんを呼ぶような不遜な呼び名でブログを書き続けております。「推して知るべし」これが血脈を離れた、不相伝の輩の狂った姿です。『日蓮を敬うとも悪しく敬わば国亡ぶべし』皆さまくれぐれも氣をつけましょうね~

  • 20Nov
    • 大正時代の大坊の画像

      大正時代の大坊

      前回までは信者側からの大石寺(登山)の様子を回想しましたが、今回は御僧侶側(大坊)の様子を書いた回顧録がありますので、抜粋しここに転載いたします。またまた歴史のお話でーす◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇小僧時代の方丈を偲んで(方丈・・・大坊のこと)松岡慈契私が小学校4年生の時、58世日柱上人の徒弟として出家得度したのは大正14年4月でした。#58世日柱上人#左下 小僧時代の松岡慈契師左より三人目 日柱上人当時の事を考えると、在勤して一番恐ろしかったのは夜の暗い事であり、賑やかで明るい神戸市で育った私としてはずいぶん恐ろしいのでした。電気はあったが常に明るい部屋は茶の間に36燭光(蛍光灯の10wくらいの明るさ)小僧部屋、台所、内事部、玄関などには16燭光であって、客殿、六壺には無く、外灯などはもちろんありませんでした。当時の客殿の東側の垂迹堂には御本尊(身替御本尊)を安置し、須弥壇や仏具が沢山置かれていて、ずいぶんと暗いのでなおさら恐ろしいのでありました。次に驚いたのは食事の事で、当時はご飯と副食には味噌汁と漬物だけでした。まず台所にゴザを敷き、各自がお膳を持って食事をするのですが、上の所化さんから順次回ってきて、私のところにきた時には味噌汁の中身はほとんど無い。誰が名付けたか「ダチコン式」といって上手に中身を掬い上げるのですから私の時には無いのが普通でした。次に困った事は七日、十三日、十五日の御講の日でした。現在のように時間は早くなく、午前8時半過ぎに始まるので学校には必ず遅れる。(現在は7時)遅れるから廊下に立たされるのが恥ずかしくてたまりませんでした。#当時の上野小学校又、つらい事といえはお経を習う事でした。私は方便品と寿量品はできたが自我偈ができない。ところが御所化さんはなかなか教えてくれない。「カナ」付きの経本で練習すれば叱られる。朝晩の勤行は「くずし」で読むので全然分からない。三か月すぎてやっと教えてくれるのですが、これからが大変。小学校四年生ですからお経の字はほとんど知らない。ですからいくら教えられてもなかなか読めない。読めないから残される。残されても読めない。 そこで翌日の練習時間まで読めるように練習することでやっと開放されるのです。これが毎日続くので、私の頭の中はお経で一杯でした。大正15年に日亨上人が猊座に登られ方丈(大坊)も処々増改築され学校部屋などが作られたのです。#日亨上人そうして学校部屋は富士学林の道場となって日亨上人自ら先頭に立って開山上人以来の信心、主義、教学を講義なされたのであります。私たち小僧三人は吉村妙進尼からここで祖文簒要の講義を受けました。勤行は朝昼晩の3回行われていました。朝の勤行とは丑寅勤行のことです。当時は現在の定刻制ではなく、不定刻制ですから、冬は朝5時、夏は午前2時、春と秋は3時、4時と変わり所化小僧全員が出度するのですから大変な事でした。当時の五重塔付近は荒れ果てており、すすきや笹のトンネルを通らなければ五重塔には行けないし、参道の石段すら見えない。御塔川にはもちろん橋はありません。それで吊り橋を掛け、参道の掃除を毎週日曜に行うのですから大変でした。方丈(大坊)の修行は厳しいものでしたが、反面呑気なところもあり、山登り、芝川・精進川への水泳。天母山の桜見物、五重塔の裏での茸狩り、わらび取り、剣道・相撲大会の後の「ざしき払い」ができたことでした。(ざしき払いって何だろう??)昔を振り返って今の所化さんを見れば恵まれていると思います。恵まれているとは修行が楽だという意味ではありません。本山在勤は御戒壇様に御奉公し、御法主上人猊下にお仕え申し上げるのが根本で、それが御開山上人以来の信行学の上に厳然として修行の中に残っているのであります。◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇おもしろいですねー人のことを思いやるのがお坊さんだと思ってましたが「ダチコン式」なる掬い上げ方で味噌汁の具を全部取ってしまったり、お経を教えてもらえなかったり、また尼さんがいたり、丑寅勤行の時間が定まってなかったりと、今とは全く違う状況だったんですね〜時代が変わるとこんなにも変わるんですね~でわまた、シーユー!妙光寺の城内でした。===============【創価学会の方々へ】正法に帰依して大石寺へ登山しよう創価学会の方々へこのように法燈連綿と伝わってきたからこそあなた方は大石寺に御登山ができ、御戒壇様の功徳に浴することができたのです。まだ、御戒壇様にお目通りをされていない学会員の方々。はたまた何十年も御開扉を受けていない学会員の方々。もう、いいかげん学会に見切りをつけて、御戒壇様にお目通リを願い出ましょう!あなたの人生はそこから始まりますよ~!

  • 14Nov
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      大正時代の登山

      前出の桑野さんの手記には、その当時の御開扉の様子が書かれていますのでまたまた転載いたします。~~~~~~~~~~~~~~~~「大正5年ごろの登山」御大会・御代替りの本山行事に際して登山する信徒はいつも千名を少し超える数であった。御開扉は大御本尊様の御臨幸を客殿で仰ぎ、蓮台でお出ましになると、信徒たちは先を争っておかけした絹布の上に数珠をふれながら題目を唱えた。(当時の客殿)昔の信徒の念珠は直接大御本尊様におふれしたものであった。〜中略〜信徒の読経の速度が早くて自我偈が終わっても御僧侶方は「天人常充満」のあたりのことがしばしばあった。これも今となるとなつかしい思い出である。~~~~~~~~~~~~~~~~なんと、大御本尊様にお数珠でふれる!!??花道を出てくる横綱じゃないんだから、ペタペタ肩をたたくノリで信者が大御本尊様にふれるなど、どーしてそんなことが許されたのか??おそらくは信者が勝手にそんなことができるはずもなく、最初に僧侶がやり始めたのを見て、信者がマネしたのではないでしょうか?いずれにしても、御法主上人の目の前で行われていたわけですから、寛容に許されていたんでしょうね~アタシは怖くてとってもできません。読経も「五月雨調」とか「くずしお経」ということは聞いたことがますが、実際にそのお経を聞いたことがありませんので何とも言えません。ただマイクやスピーカーができてからは、導師マイクに合わせて今のように唱題するようになった、ということは聞いたことがあります。~~~~~~~~~~~~~~~~「登山の心得」その頃の信者はすべて御影堂(本堂)が大聖人様の常住坐臥の所と信じて切って、常にここを中心としと登山の意義を味わったものである。今は交通機関も極度に発達して、係の誘導によって移動するため、ややもすればその意を失いことになる。正本堂(現在は奉安堂)においての御開扉のみに焦点が絞られ、三門での題目もいつしか廃止され、御開扉のために御影堂の御前を通り合わせても唱題する姿はごく稀である。まして含漱手水(うがいちょうず)に身を清む心掛けある物は「爪の上の土」と言っても決して過言ではあるまい。大聖人の御客人としてまず御影堂にご挨拶して全ての行動が始まるべきではないだろうか。後年(昭和に入り)登山の折り上条まで定期バスが走るようになり、大変喜んだ父は大石寺入口で下車。その頃、道は三門前まで伸びていた。(昭和10年頃の定期バス。女性は車掌さん)三門前で一瞬ためらった父はすぐに山内に入ってしまった。その後の登山にはあえて黒門を通ることはなかった。#黒門便利さは安易に事を済ませ、作法を省略する考え方を人間に植え付けるものである。今は亡き高徳の方が「あまりに便利すぎる!」と嘆いていた事を思い合わせると感慨無量である。登山の目的は大御本尊様に直接お目どおりすることに尽きるとは言うものの、筋の通った行動こそ御開扉の意義を高める要因であると考えると切なるものがある。~~~~~~~~~~~~~~~~うーむ耳が痛いですな~ややもすれば、西門前(売店がある駐車場)から入って、御影堂の横をすり抜けて奉安堂へ、なんて登山者をよく見ます。私も黒門は時たましかくぐりませんが、三門では題目三唱してから境内に入るようにしております。三門の意味は知恵・慈悲・方便の門を意味してるそうですが、まぁ好きな三つのワードを当てはめてもいいのではないでしょうか。法身・般若・解脱とか報・法・応の三身とか現在・過去・未来とか、、、本門の本尊と戒壇と題目を今後も奉修致しますとか。アタシは三門を現在もくぐり、未来もくぐり、過去にもくぐったと感じております。御影堂にはなるべく上がって題目三唱、時間がある時は5~10分くらいは唱題してから奉安堂に参りましょう。~~~~~~~~~~~~~~~~~講釈師、見てきたようなウソを言い!・お山は荒れ放題。・桜の木を切り倒してる。・野犬がウロウロしている。・坊で食事が出されたが数十万円ぼったくられた。などなど、学会はよくもまぁこれだけのホラが吹けるなぁ~と感心してしまいます。そして、それを信じ切っている学会員がいることに驚きです。うそ八百をならべる創価学会にさっさと見切りをつけて霊峰富士にまします大御本尊様の元に御登山いたしましょう。~~~~~~~~~~~~~~~~先日も「大石寺の受付の僧侶の態度はナニ?」と情報提供(タレコミ)を頂きました。この方は最近脱会した方で数十年ぶりの登山だったとか・・・ずいぶんと心証を悪くしたようで、こんなことでまた学会に連れ戻されてしまうんじゃないかととても心配です。もう、派遣でいいから東京から美しい受付嬢を雇ってください!でわまた、しーゆー妙光寺支部の城内でした。

  • 06Nov
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      続・信者はお客様というお話

      こんにちは、妙光寺の城内です。前回に引き続き御登山のお話です。今では自家用車というとっても便利な乗り物がありますから、東京に住んでいるアタシ達には日帰りで楽々登山!という恵まれた環境で信心しております。アタシの場合、世田谷の家を8時に出て、お山に11時前に着くという便利さです。昔はまさしく徒歩(当たり前)なので「登山」なのでしょう。有名なのはみなさん良くご存知、加賀藩信徒の通称「抜け参り」ふもとの東海道・吉原宿から走り登ったのですから、昔の人は健脚だったんですね〜とても真似できましぇんでは時代はもう少し下がって、交通の便が良くなった大正時代、蒸気機関車が富士宮駅まで開通した当時の御登山の回顧録が残っていますので転載しておきます(抜粋)本来の歴史のお話でーす◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇「60年前の大石寺登山の思い出」小田原教会信徒 桑野正隆蓮華 昭和48年5月号(1963)「昔の登山の心構についていささかふれてみたい。大石寺登山はおもに8月の夏休みに両親に伴われて行った。夜中の3時ころ家を出て、平塚駅から午前6時の下り一番の汽車に乗り御殿場経由で富士駅へ。当時の東海道線更に富士身延鉄道の貨客混成列車で富士宮駅に着くのははるか正午を回っていた。当時の身延線ここまですでに約10時間!駅前の大石寺御用宿中村屋で昼食をとり身支度をする。当時の中村屋石川自動車の前身、木材運びの鉄道馬車に乗って、北山本門寺前で下車した時は3時迄で、その後は徒歩で小一時間、ようやく黒門に着くのであった。富士宮~上井出間を往来していた鉄道馬車黒門に着くと父は「これからは聖浄な地である。今までの身にしみついた垢を捨て去って、大聖人の御客人として御法専一、清い心でその第一歩を踏まなければならない」と心の準備をしておりました。現在の位置とは違う場所にあった黒門黒門を過ぎると、わず人がかろうじて通れるような草深いこみちが人家を縫って通じていた。夕蝉がしきりと鳴いている。三門に着くと先ず大聖人様にご挨拶をして、といいながら題目三唱、子供らもこれにならった。#大正時代の登山者たち宿坊は常に久成坊で、坊に入る時にも御影堂を拝し、坊の御本尊様に詣でてから始めて御住職との挨拶が行われるのであった。御開扉、御法主日正上人、御隠尊日布上人、それに学頭職にそれぞれ御供養と満山供養の手続きをすます頃には、ふくらんだ父の財布もだいぶしぼんだようであった。~ ~ 全ての手続きを終えて御影堂に参詣。30分ほど唱題して明日の御開扉を御祈念する。坊に戻ると父の膳には地酒が置かれてあった。父は襖の漢詩を読めと言うが小学生に読めるはずがない。「遠く響く西山の下、遥かに聞ゆ東海の辺」だけがいまだ記憶に残っている。翌朝勤行を済ませ御開扉を静かに待つ。9時半ころ一号鐘が全山に鳴り渡ると父は紋付羽織に袴を付けて身を整える。父は日頃から大聖人様にお目通りする時は最上の礼装をすべきだ、と口癖のように言っていた。それはさておき、二号鐘が鳴ると御住職に先導されて御宝蔵に向かう。朝日門に曲がる角で御影堂に向かい、ただ今御開扉を受ける旨をご報告する。御宝蔵は僅か30人程で一杯になる広さで、当日は我々4人のみであった。間もなく御法主日正上人御出座。#日正上人方便品、寿量品の読経と唱題。読経は至ってゆるやかに2時間もかかって荘厳に行われたので、我々子供達は題目を唱え足をしびらせて終わるのを待った。その後、登山者の名前を読み上げられ、願いにより御祈念申し上げたと結ばれる。なお、大御本尊の由来と御威光ならびに功徳。多宝塔内の御灰骨、御本尊宮殿内の最初仏の御説法があった。目の前で拝し奉る大御本尊、今では想像も及ばない冥加至極さである引き続き客殿で満山供養。御法主上人と向かい合いに日布御隠尊上人も高座にお進みになる。ここでは方便品の世雄偈までも奉読され、その速度はものすごく速かったと思う。対面所で御法主上人にお目通りが許され、「お出まし」の声が長廊下を渡って来ると自然と頭が下がる。御酒盃を受け家族の紹介が終わると甚深の御説法があり、かたじけなくも食事を共にされた。その後墓参。大塔婆は男の子二人で運んだ。夕方5時頃、富士見庵で日布御隠尊上人のお招きを受ける。#日布上 人前列右 富士見庵にてその後、御影堂に御礼申し上げ題目を捧げ、坊にもどる。あくる朝、勤行を済ませ早々に帰途につく。坊を出た処で御影堂に対し奉り、御開扉の御礼と今後の信心決定とをこめて題目三唱。黒門で聖域を離れ、真っ直ぐに富士宮駅まで走るように下る。満天に星を戴くころ帰宅。無事登山を済ませたよろこびを仏間で語り合うのであった。◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇なんと幸せな登山でしょう。目の前で大御本尊様を拝し、終わってからは御法主様と共にお食事。また御隠尊様のお招きなど信者を「大聖人様のお客様」としていた事が良く分かります。こんな時代に生まれ合わせることができなかった身の不運を嘆くほかありません。その代わりに便利な現在に生まれ、簡単に登山できるこの身を感謝してこれからも御法専一に登山したいと考えていますこのお話はDVD化されております。ご覧になりたい方は下記からお申し込みください。関西布教区さまには既に申し込みいただきました。富士門徒・日蓮正宗法華講用教材・DVD教材3枚組 - ヤフオク! 富士門徒・日蓮正宗法華講用教材・DVD3枚組 商品詳細 支払詳細 発送詳細 注意事項 ご覧いただきありがとうございます。 富士門徒・日蓮正宗法華講員用DVD3枚組み教材です。 小学生でも分かるように作られております。 要山系、房山系、延山系、池上系、創価学会系、その他日蓮宗系の方もどうぞご覧ください。 DISK1『日蓮大聖人様の御一生』25分 命に及ぶ数々…page.auctions.yahoo.co.jp================先週のブログより(^ω^)・・・「ウチのお寺にもクソ生意気な所化がいる」と情報提供(タレ込み)がありましたww(その後どこかに移動になったらしいですが)お山の受付だけではなく、全国どこにでもいるんですね~そういう勘違い僧が、、、この回顧録のように「酒飯を出せ!」とは言いませんがせめてもう少し信者を信者らしく扱っていただきたいものです。ではまた、しーゆー妙光寺の城内でした。

  • 30Oct
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      信者はお客様という話

      やっと緊急事態宣言が解除され10/24の日曜日(新来者をお連れして)久しぶりに御登山して参りました。しかーし!登山事務所に受付に行くと横柄な態度の坊さんに当たってしまいまさかの険悪の空気が・・・新来者さんが「何あの態度!まじムカつく!!」「あんな奴は僧侶になる資格無し!」といきなり大石寺がマイナスイメージからスタート!さぁ大変!これはなんとか挽回せねばと、五重塔、天英院殿、戸田先生墓所→宝物殿へと案内し、宝物殿では日蓮正宗が正統である事。また日応上人の東京布教が無ければ今の創価学会の存在も無く、宗門の興隆も無かった事などを説明し、なんとかイメージUPの挽回をいたしました。このように「僧侶の態度」はホントに重要です。以前も載せましたが、改めてここに日顕上人の御指南を転載します。「末寺におけるお前達一人ひとりの行体ということが、そのまま日蓮正宗の僧侶の代表しておるという形が非常に多いのであります。例えば、首都圏等の寺院の在勤者が受付に座っておる時、これはまさしくその在勤者が日蓮正宗を代表しておるのであります」平成11年・行学講習会閉校式にてはっきり言えば「登山事務所で受付をしている坊さんが大石寺を代表している」という事を肝に銘じて頂きたい!もう、あのような坊さんは受付には座らせず、天礼院の裏庭で落葉掃きでもしていてもらい、表に出さない方が大石寺イメージにキズが付かずに安心して新来者を連れて行けます。このように「一般常識的な対応」ができない世間知らずの坊さんが、将来お寺を任せられると思うとゾッとします「世間一般常識」を身に付けるためにも、高校を卒業したらまずは一般の大学に入って世間の波にもまれ、その後4年間法教院にて宗学を学んでも遅くはないでしょう。それでやっと26才(落第しなければ・・・)大聖人様が立宗宣言する前のお歳です。その昔、天礼院の裏庭で落ち葉掃きをサボって、エアガンをバンバン撃っていたバカな小僧が2人がいましたが、あの小僧らはもうとっくに還俗している事でしょうね〜御三師、歴代上人の御前でサボっているんですから、開いた口がふさがりません大石寺では御登山してくる信者さんを、「ようこそ、ようこそ」と大聖人様の客様としてお迎えしろ、という不文律があると聞きましたこのブログをチェックしているであろう日蓮正宗サイバー部・部長殿。是非とも是正処置をお願いしまーす。◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇さて、この聖教の記事にめっちゃムカっ腹が立ったと言って、しばらくぶりに間者から聖教が送られてきました。見るとご覧のとおり記念すべき佳節にこのボリュームの違い!大聖人様の記事より池田センセーの美辞麗句が並びます。しかも、ご丁寧に2面、3面と続きます。これを「最尊入卑」と言わず何と言おう!大聖人の仏法を広宣流布する団体は創価学会である!などと叫んでいますが、大聖人様より池田大作を信仰しているのは一目瞭然!「日蓮を敬うとも悪しく敬わば国滅ぶべし」の御金言のごとく、創価学会が滅ぶ日は確実に訪れるでしょう!その創価学会がコピーしたこんな物を拝んでいるあなた!創価学会号という客船が沈没する日はもう間近ですあのタイタニック号が沈没する前はネズミが大量に逃げ出したと言います。あなたもネズミに負けず脱兎のごとく逃げ出しましょうこのままですと、あなたの一家もろとも海の藻屑です~おまけ~我が本家の菩提寺、西山本門寺のパンフレット!で~す#鎌倉殿の13人一瞬、大石寺の黒門と見間違いマスねー西山本門寺からは富士山は見えませんこの写真は合成ですこんなパンフ作るんだったら、大石寺に帰一すればいいのにあと来年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のロケ地に決まったそーで、執事さんは大喜びをしているそーでーす意味分かんない・・・でわまた、シーユー================

  • 17Oct
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      なぞの僧侶、最蓮坊

      大聖人様から「相承の法門」や「秘蔵の法門」を授かった最蓮房は、その後、忽然と姿を消してしまいました。そのような重要御書を頂いたのなら、六老僧、いや七老僧として名前を残しても良いはずです。宗史に名を残す大活躍をされてもおかしくありません。「相承・秘蔵の法門」を授かったのですから、大聖人様の後嗣として、血脈相承をお受けになられても不思議ではありません。ですが、全く表舞台から姿を消してしまいました。その後の最蓮房は、赦免されたのか、京都に戻ったのか全く分からず、消息文もありませんここがミステリアス、宗史(勝手に)三大ミステリーなのです。では本当に「最蓮房」は実在した僧侶なのでしょうか?実在していたとさたら「最蓮房」とはいったい誰なのでしょうか?章安大師が書いた「魔訶止観」の序文に「説己心中諸行法門」とあります。「説己心中諸行法門」とは自分の心の中に行ずるところの法門を説く、と読みます。法華経の見宝塔品に出てくる宙に浮いた宝塔も、二仏並座も釈尊己心の宝塔であり、釈尊己心のニ仏並座です。従地沸出品に出てくる地面から湧き上った六万恒河沙という、とんでもない数の地涌の菩薩も、釈尊己心の菩薩達でした。と言うことは・・・最蓮房とは大聖人様己心の「最蓮房」という可能性が大です。それと摩訶止観は、理行の一念三千ですので、どこまで行っても自身の己心止まりで限界があります。このままでは大聖人様の「秘蔵の法門」も「相承の法門」も「理行」となって同類となってしまいます。末法の御本仏たる大聖人様の仏法は、末法万年・尽未来際まで続く「事の一念三千」です。ということは、実際にこの「法門」を授ける(相承する)相手がいなければなりません。この頃、佐渡には常随給仕されている日興上人がおられます。また、実際の「相承」は日興上人が御受けされるわけですから、事に約せば最蓮房→日興上人と言うことになります。大聖人様はこの時に「後継者は日興である」と決めていた事になります。理に即すると最蓮坊とは大聖人様己心の最蓮坊であり事に即すると常随給仕されている日興上人である。とアタシなりに推理いたしました。皆さまはどのようにお考えですか??三大ミステリーの最後は何でしょうね~~皆様のお考えををコメントしてくださ~い◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇身延、中山、池上の坊さんたちここまで深読みしてるかなぁ~まぁしてないだろーなぁ~このように歴史からも正邪が判別できますね~~◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ちなみに日本史三大ミステリーとは①邪馬台国はどこにあったか??②明智光秀はなぜ本能寺の変を起こしたか??③坂本龍馬を暗殺したのは誰か??歴史って面白いですね~~でわまた、シーユー来週は御登山のため、お休みいたします。

  • 10Oct
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      最蓮坊は実在した僧侶か?

      こんにちは妙光寺支部の城内です。今回は久しぶりに上古に戻って歴史のお話です。題して「宗史(勝手に)三大ミステリー」以前「まりのよう光たる物」という題名で、龍ノ口の頸の座に現れた「光りもの」をちょこっと(勝手に)ミステリアスに検証いたしました。今回は第二弾!「最蓮坊は実在した僧侶か?」と題して推理したいと思います。御書の各所にこの名前が登場するので、みなさまよくご存じの僧侶だと思います。「最蓮坊」を学会版・御書辞典で引いてみると・生没年不詳 京都生まれ。天台宗の学僧であったが、罪を得て佐渡に流罪中、日蓮大聖人に帰依した。病弱で折伏はできなかった。とあります。この最蓮坊さんも何か罪を犯して佐渡に流罪中だったようです。では時系列で当時をおさらいしましょう。本日10/10(文永8年の)神奈川県の依智を出発して10/28日に佐渡に到着します。幕府から「大罪人」のレッテルを貼られた大聖人様の元に念仏者たちが大挙として押し寄せますご存じ「塚原問答」ですね~この問答があったのが年明けの1/16~17日この時の御様子は種々御振舞御書に「阿弥陀仏の大怨敵日蓮憎し」のシュプレヒコールで、佐渡全土はもちろん、越後・越中・出羽・奥州・信濃とつまり北日本全域より数百人の念仏僧や真言の小法師が塚原の堂の前に集結したとあります。三密どころではありません。「震動雷電の如し」とあります。それほど「阿弥陀仏の大怨敵日蓮」の名声は鎌倉~北日本全体に広まっていたのでしょう。それらの念仏者がわめき散らしているところを「利剣をもって瓜を切り」「大風が草をなびかすが如し」とバッサバッサと破折します。するとその場で袈裟をと平念珠を捨てて「念仏はもう唱えません」と誓約書を書きだす坊さんまで出てきます。1対数百人の法論は大聖人様の圧勝で終わりました。最蓮坊さんは同じ天台宗の僧侶として、この問答をつぶさに見ていたのかも知れません。驚いたでしょうね~同じ天台宗の先輩僧侶の舌鋒あざやかな法戦を目の当たりにしてでその2週間後、最蓮坊さんが入信(帰依)します。とまあここまでの話は納得できますよね~最蓮坊さんの入信動機としても、問題はここからです。この直後、入信間もない最蓮坊さんに「生死一大事血脈抄」と「草木成仏口決」という重要な書をたて続けに書かれます。開目抄や観心本尊抄を著される前段階の重要な御書です。そしてこの大聖人様のニ大重書をお著しになったあとも「諸法実相抄」や佐渡三部作といわれる「当体義抄」を贈られます。特に「諸法実相抄」の追伸には「日蓮が相承の法門を書きまいらせ候き、(中略)此の文あひかまえて秘し給え、日蓮が己証の法門等書きつけて候ぞ」とあり、また「当体義抄」の送状にも「此の法門は妙法所詮の理にして釈迦如来の御本懐・地湧の大士に付属せる末法に弘通せん経の肝心なり、国主信心あらん後始めて之を申すべき秘蔵の法門なり、日蓮最蓮坊に伝え畢ぬ」とあります。よっぽど大聖人様の御目に叶った僧侶だったんでしょう。御自分のお弟子さん(日興上人)たちより優秀な僧侶のように見えます。果たして本当にこのように傑出した僧侶が大聖人様のおそばにおいでになったのでしょうか??このように大聖人様から重書を贈られ、期待された僧侶が忽然と消息が不明になり、折伏もしなかったとはどういうことでしょうか?(PCの調子がメチャクチャ悪く、今回はここまでにいたします。スミマセン)

  • 03Oct
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      街頭折伏

      8月9月、コロナのおかげで売り上げ急増という信じられない功徳を頂いて少し調子こいている妙光寺支部の城内です。こんな時は魔に付け込まれる可能性大です。魔にやられることなく地道に頑張って参ります令和3年9月1日号 大白法より(記録の意味で転載させていただきます)みなさ~ん広島の開妙寺支部の二井上さんの体験を読みましたか~何の悩みもない女性が、祖母の菩提のために正宗に入信し、その後の活動と体験の発表です。しかしベッピンさんじゃけんのぉ~←広島弁で入信→卵巣嚢腫発病→折伏→病魔克服このような話はよく「体験発表」で聞きますね~しかしここの山澄信玉御住職の御指導がスゴイ!その都度、その都度、的確な御指導で信徒を導いていく様子がよく分かります。もっと凄いのは御住職自らが駅前に立って街頭折伏をしてるということです。(右、山澄御住職 左、二井上さん)日応上人は晴天毎に繁華街に立って街頭折伏をしたことを以前もお伝えしました。今やそのような気骨がある僧侶は正宗にはいないのかなぁ~?とチョット残念に思っていましたが、いましたね~広島にスバラシイ機会があったら是非とも拝聴しに行きたいと考えております。皆様の地方部にいらっしゃいますか~??このような立派な御僧侶おられましたら教えてくださいね~================やっと緊急事態宣言が解除されたので大手を振ってお山に行けます。今月、御登山したら念願の「日応上人記念展」を観てきま~すでわまた、しーゆー

  • 26Sep
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      日顕上人を偲んで(終)

      コンニチハ、妙光寺支部の城内です。今月は日顕上人の三回忌にあたり、過去の御指南を転載させていただきましたが、最後にスペシャルな御指南を抜粋転載させていただきます。(便宜上、割愛させていただいたところが多々ありますので、全文をお読みになりたい方は大日蓮平成4年10月号をお読みください)================《大日蓮編集室注》従来、全国教師指導会における講義は、教師僧侶を対象にするものであるという性格上、本宗の機関誌であると同時に布教誌でもある本誌に掲載することはありませんでした。御法主上人におかれましては、唯授一人血脈相承をお承けあそばされるお立場から、本宗の僧俗のために、今般の全国教師講習会において、御相承の内容にまで触れられて御指南あそばされました。宗内僧俗各位、読者諸賢におかれましては、信心をもって当御指南を熟読され、本宗の深義を再確認し、御法主上人のもとに一結して、謗法の徒輩に対する折伏逆化と、正法広宣流布の願業に向かって勇猛精進されることをお祈りいたします。================まず第一に、先程の御挨拶のなかにも「血脈」という言葉が出ましたが、その血脈ということの関して、もちろんお話しできるところまでではありますが、これについて申し上げたいと思います。日応上人も「金口嫡々相承」とお示しになっているよう金口相承は当然ながら、当宗における「コンシ」とは天台の「今師」ではなく、「金紙」であり、また、金口というのは、仏様自らの相伝直授の深いお言葉ということであります。この金紙は、簡単に申し上げれば、文献ということであります。しかし、当然、この文献とはいわゆる「本因妙抄」「百六箇抄」ではありません。文献といっても、これは金口の文献でありますから、金口のなかにすべて含まれるのです。もちろん、大聖人様から日興上人様への相承は金口であります。しかし、日興上人様も大聖人様の御講義を「御義口伝」として記し置かれたように、やはり唯授一人の金口の内容を御自身の御境涯においてお示しになったものが存するわけであります。それが、すなわち金紙であります。したがって、金紙そのものが金口の意義を持っておるのです。まさしく目師(日目上人)が道師(日道上人)に御相承を授けられたことを明かすなかにおいて「別して之を論ずれば十二箇条の法門あり」(日蓮正宗聖典P695)ということをおっしゃっておりますが、これはまさしく金紙であって、いわゆる直接、口伝のみによって申し置かれたものだけではないわけであります。つまり、金口といっても、金紙として相伝されている内容もあるのでありまして、その基本のところだけは御理解いただきたいと思います。~中略~日常の間に相承が一回ないし数回にわたって行われる場合もあります。この者に相承すると決めておれば、その者が法要などで本山に登山した折に触れて、あるいは特別に呼ばれて「この点についてはこのように心掛けておきなさい、この法門についてはこのように考えなければならない」というようにお話になる場合があります。その場合においても、宗門の状況、時代背景その他、種々の御都合や配慮等、色々な事情があります。儀式という形を取る場合と取らない場合がありうるわけです。ですから、儀式という形を取ったことを基準にして、それがはっきりした形でなければ権威がないというように判断することは誤りなのであります。したがって、金紙という意味は、文献相承、いわゆる法門相承は別個にあって、金口相承のなかに金紙相承が本来的に存するとともに、また、その要点・要義が自然の時期において金紙として表れてきておるということが拝されるのです。とにかく、この金紙相承については、御相承の内容でありますから、これ以上は申し上げるわけにはいきませんが、ある意味では「紙背に徹する」ということを掘上人(日享上人)もおっしゃっておりますように、紙背に徹して御書を拝していくならば、すべてが示されているともいえるのであります。#59世日享上人ですから、唯授一人の血脈という意味において、皆さんがその内容に直接触れることはないわけですが、皆さんが歴代先師の教えに基づいて正しく信・行・学に邁進するところには、血脈の法体にも、また金口、金紙の意味においても、おのずからその領解・確信がそのところに当たっているのであり、いささかも背反がないのです。そこが大事な所以であります。金口の血脈とともに唯授一人の法体血脈が存するのでありますから、まず、その点はしっかりと信解してもらいたいと思います。================なんと、このように我々一般信徒が知る必要がない「血脈相承」の一端を御指南あそばされました。この御指南からすると、御相承の内容はともかく本因妙抄・百六箇抄は相承書でなく別に「金紙・金口相承」が存在する。また「金紙・金口の相承」は十二箇条の法門であるとお示しです。(学会では両抄が相承書であり日享上人がすべて公開しているので相承書などないと主張しております)また、御相承の内容は御書に全て示されている、とのことです。最後に御歴代上人の教えに従っていくならば、自ずとその信心が確立していくと御指南です。どうぞ、今後の信心のために、この大日蓮(住職さんがお持ちだと思います)をコピーして時折、熟読することをお勧めいたします。改めて日顕上人の御徳を偲び合掌お祈り申し上げます。================(プラス)学会では「日目上人以来、血脈など無い!」と主張しておりますが次の事実が判明しました。(同じく大日蓮から抜粋)さて、もう一人、誑惑お者がいます。池田大作であります。あれは本当に大狂乱の者でありまして、日達上人の時代から御相承の片鱗を聞きたいと思って色々に探りをかけておったようであります。実は私にも「日達上人にこういう法門を聞いた」というように、人を介して探りを入れてきたことがあるのです。私も、直接聞いてきたならば、話してもよい範囲までなら教えてもよいと考えておりましたが、結局、自分自らは聞いてきませんでしたので返事はしませんでした。とにかく、日達上人には色々と探りを入れて、なんとか聞き出そうとしたらしいのですが、当然、日達上人はこの金口嫡々、金紙の相承を在家の者にお話になるはずがありませんので、その片鱗さえも知ることができなかったのです。================「血脈など無い!」と、ほざいてるセンセーがその血脈の内容を聞き出そうとしていたとは笑止千万!また、日顕上人が話してもよい範囲までなら教えてもよいとお考えになっていたことにもビックリです。御相承の内容の一部が一般ピープルのセンセーに漏洩せず済んだのは御仏智でしょうか!「日蓮正宗には血脈など無い!」とほざいてる池田センセー!なのに総本山第26世の日寛上人の御本尊を拝ませてるという大矛盾自語相違もはなはだしい!そりゃ頭がおかしくなるわなぁ~精神疾患→精神病→自殺はいまや創価高校にまで広がるゴールデンコース!創価高生のように飛び降り自殺するまえに地獄の一丁目行き創価バスから飛び降りましょう今ならまだ間に合いますよ~ご連絡は妙光寺支部城内まで09032123588でわまたしーゆー

  • 18Sep
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      日顕上人を偲んで(3)

       今回も前回に引き続き日顕上人の過去の御指南を大日蓮より転載いたします。◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇謗法を糺すということは非常に大切なことであります。しかし、言いたくはありませんが、今までの宗門の中でも随分謗法の姿は今まで有ったのです。現在でもあります。ただしこれは我々の懈怠謗法ともいえますけれども、あちらこちらの檀家の姿の中にはどうでしょうか。必ずしも全部が全部(*謗法がない)(*筆者註釈)と言い切れないでしょう。そういうところにおいてもです。やはり目に付いた限りは、慈悲の上から話をし折伏していかなければならないはずであります。要は、どんなことを行うにしても、すべては慈悲を根底としていかなければなりません。感情とか『憎い』とかいうような気持ちは僧侶には有ってはならないと思います。どんな立場の人に対してでも、慈悲の気持ちで誤ちを改めさせていくということが非常に大切なことと思うのであります。気を付けるべきは大聖人様乃至御先師が戒めておられるところの〝驕慢謗法″であります。我々はつい驕慢謗法になるのであります。それを自ら戒めていく。今は自ら糺していくときだろうと思うのであります。しかしまた慈悲の立場において、自分の身を捨ててでも言うべきことは大いに言うことが大切だと思います。昭和54年 教師指導会開講式の砌◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ズバリ根檀家にはびこる謗法の事を呵責しております。(代々法華で大石寺塔頭の(旧)信者のこと。戸田先生はただ古いだけなら骨董品と同じだと言い放っておりましたが、、)#大石寺塔頭平成4年頃ですが、私が学会を抜けて法華講に移り、お山の警備をしている頃、夜の休憩時間に根檀家の青年部の方々とお話をする機会がありました。彼らが言うには「東京の信者さんには信じられないだろうが、オラの家には神棚があるで」と笑って(自慢)話しておりました。それを聞いた隣の先輩らしき人が「東京の人がビックリするから止めれ!w」とたしなめておりました(笑)また、ある塔頭の講頭さんは、「根檀家の仏壇は位牌だらけで御本尊様が見えない」と嘆いておりました。その講頭さんは家庭訪問をするたびに、仏壇を埋め尽くしている位牌を、なだめすかして一つずつ取り除くという、涙ぐましい努力をしているそうです。きわめつけは富士宮浅間大社の氏子総代を務めている根檀家の方がいることもおうかがいしました。#富士宮浅間大社創価新報が報じた「大石寺は謗法だらけ!」もあながちウソではなかったようです。(正式には「大石寺の根檀家」でしょう)貧乏寺の宿業か、離壇されると益々貧乏になるんで、歴代の住職さんたちは大甘に許していたのでしょう宗祖日蓮大聖人「佐渡御書」にのたまわく我等はやは(柔)らかに法華経を弘むべしと云わんは、螢火(ほたるび)が日月をわらひ、蟻塚が華山(かざん)を下(くだ)し、井江(せいこう)が河海をあなづり、烏鵲(かささぎ)が鸞鳳(らんほう)をわらふなるべし、わらふなるべし。南無妙法蓮華経。そのような状況を苦々しく見てきた日顕上人は御登座するや、即このように呵責したのです。(このお言葉は御登座翌月の御指南です)私が本山を警備していた平成4年頃ですらそのような状況ですから、御登座される以前はかなり悲惨な状況だったのでしょうね~(このブログをお読みの根檀家の方がいらしたら現在の状況をおしらせくださいませ)以前もチラっと書きましたが、三門の中には仁王さんがいました(ウチの地区長は子供のころ磨かされたと証言してます)仁王さまが謗法かどうかは分かりませんが、限りなく黒に近いグレーな存在です。(アタシ的には拝む対象じゃないんで、仏教美術としてぎりぎりセーフかなぁ~と考えておりますが)#国宝・東大寺南大門の仁王像いずれにせよ謗法が存在していた事実は「我々の懈怠謗法」「我々はつい驕慢謗法になる」と御指摘されていたのです。このような厳しい御法主上人だからこそ学会をズバッと斬れたのでしょうね。20日は上人の3回忌です。皆さま御塔婆を建てて上人の追善供養をいたしましょう。=============== 神棚や仁王さんなんてまだ軽いこちらは超ド級の大謗法ですこんなモノを日夜拝んでるアナタ!さっそと取っ払って真っ当な信仰生活に戻りましょう!明るい未来はすぐそこまで来ていますまずは近くの正宗寺院に駆け込んでください。必ずや大聖人様が救いの手を差し伸べてくださるでしょうIts gets better !(きっと良くなる)でわまたシーユー妙光寺支部の城内でした

  • 12Sep
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      日顕上人を偲んで(2)

      先日買った宝くじの発表がありました。結果は、、、ビリっけつの200円が一枚当たったきりでした。ブログの読者全員をホテルオークラに招待して特上のうな重を食べる夢はあっさりと消え去りました。また妙光寺の普請に1億円の御供養も夢のまた夢となってしまいました。で、意気消沈している妙光寺支部の城内です。日顕上人の三回忌法要も近くなってきましたので今回も上人の過去の御指南を大日蓮より転載いたします。===================これから日本の人々の多くがどんどん不幸になっていきます。そのようなところに誤って入り込んでいて、それで創価学会が正しいのだというように思っている者達とぶつかった時には、必ずその者達はあなた方の信心の立場について悪口を言ってきます。その時、直ちに「即応折伏」ということを行なっていただきたい。その時、お題目が足りないと、そのまま黙って下がってくるような結果となります。あるいは、言い争いになるからやめておこうというような弱い考えでは、本当の地涌の菩薩としての命として、大きな仏法の功徳を頂くことはできないと思うのであります。この「即応折伏」ということは、実は私が言い出した言葉なのです。まだ一回、二回しか使っていませんが、即はすなわち、応は応ずる、つまり邪義の考えを持った者があなた方に対し、誤った考えをもって言ってきた時には、直ちに即応してその者の謝りを指摘し、破邪顕正の言をもって相手の誤りを破折するということであります。「今日は面倒なので、あとで折伏しよう」などという考えではいけないのです。世の中にも「証文の出し遅れ」という言葉がありますが、その時に直ちにきちんとした筋道をもって破折しなければならないのです。その時その時にどのような言葉が出るかは皆様方の日頃の信心であり、教学であり、あるいは創価学会の誤りをどこまではっきり把んでいるかということにもよると思います。平成五年 法華講連合会初登山お目通りの砌===================この御指南は第一義には創価学会員に対する折伏の姿勢ですが第二義には自分自身の友人知人に対する折伏姿勢のこととも拝察いたします。私も先日、折伏している友人と接する機会があったにもかかわらず、ここのところ、休みなく働いているためバテバテで「今日は疲れているなので、あとで折伏しよう」などと早速、懈怠謗法に襲われ、折角のチャンスを逃がしてしまいました。今日はこの御指南を読み返し深く反省をしているところです江戸時代の薩摩藩には「郷中」という教育システムがあり、武士の子供たちは様々な場面を想定して対応できるように、日ごろから訓練していたそうです。私たちも「即応折伏」を想定して日ごろから心の準備はしていきましょう。謹んで日顕上人のご冥福をお祈りいたします。了===================

  • 05Sep
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      日顕上人を偲んで

      日顕上人の三回忌が近くなりましたので、今回も大日蓮から過去の上人の御指南を転載いたします。===================最近感じたことで、ひとこと言っておきたいことがあります。このなかには既に住職になって、それぞれの寺院の信徒と接触しておる人もある。あるいはまた、住職でなくとも、それぞれの寺院に在勤して、常に本宗の信徒と顔を合わせておる人も多いと思います。そういう中で信徒の方々から質問を受けることがあると思うのですが、その時の肚構えとして、質問する御信徒は、たとえそれがどういうことであれ、解らないで質問するのであるから、その質問に対して本当に僧侶としての慈悲を根本として、また素直な心をもって対処することが大切であります。その時に、自分の知らないことを尋ねられたというような場合に、本当に正直で信心根本の心を持っていないと、とんでもない返事をする場合が、過去においてあったようなことも聞いておるのであります。例えばある法門を御信徒に聞かれたが、自分は返事ができないものだから「そんな法門はありません」などと言ったというのです。それはとんでもないことです。大聖人様が御書にはっきりとお示しになっておる御指南を、自分が解らないものだから「そんな法門はない」などというそんな莫迦なことを、教師になっておる者には万が一にもないと思うけれども、たとえ所化でもよくないと思います。それから、そいいう質問に対してなんとか逃げようとしたり、ごまかそうとする態度で接することも、これは信心がはっきりしていないからであります。そういう時にどうしたらいいか。もし自分が知っていることであったならば、言葉においてはよく誤解がありますから、誤解のないようにそれを深く考えつつ、なるべく親切丁寧にその人の疑問に対処して話をするという心掛けが大切であります。それから知らなかった時はどうしたらよいか。そういう時に本当に正直な心を持っておる人間は、その答えがはっきり出てくるのです。それは「申し訳ありませんが、私はそのことについて勉強不足でよく解りません。だから、これからしっかり勉強し、なんとか御返事できるように努力いたします」という返事です。このように答えることは恥ずかしいことでもなければ、難しいことでもないのです。そして今度は直ちに勉強に取り掛かることが大切です。それが法門のことやら御書に関することならば、直ちに御書を拝し、そのことに関して自分で勉強し、あるいは御住職その他、先輩にも聞いてみたり、色々と努力してその問題を正しく解決し、摑んで、そして質問した方に対して「あなたの御質問に対して勉強させていただきました。これはこういうことだと思います」と、堂々とその質問に対処すればよいんです。これは立派なものです。その時にその御信徒はどう思うでしょうか。「この僧侶は最初に返事ができなかった。あれは莫迦坊主で、なにも解らないのだ」などと、そんなことは思いやしません。仮に、一時、そう思ったとしても、そのように思う人には勝手に思わせておけばよいのです。自分がそれだけの努力をして、きちんとその御信徒に対して正しい返事をしたときは、その御信徒の方は「これは立派な御僧侶だ」と思うのです。そういうものなのです。ところが、そん時に逃げたり、ごまかしたり、はなはだしいのは「そんな法門はない」などと勝手なことを言ったりする。そういう考えを持っている者は、日蓮正宗の僧侶の心掛けを全く外しておる者なのです。そういうことがあったら本当に恥ずかしいことと思いなさい。(平成11年度 富士学林研究科開講式の砌)===================何もムズカシイ御指南ではありません。上人が絶えず仰っていた「正直な信心」を素でいけばよい話ですね。私たちも新入信者や後輩、自分の子供たちに質問された時解らないからとごまかさないようにしましょう。あと「知ったかぶり」もやめましょうね~これも恥ずかしいことですよね~===================皆さまも御存じでしょうが、先日関西創価高校で飛び降り自殺があったとニュースで読みました。まぁ自殺は全国の高校でもあるんでしょうが、あってはいけない高校であったわけですから、これはちょっと問題ですよね~このブログで絶えず訴えてるニセ本尊の害毒!精神疾患→精神病→自殺のゴールデンコースを歩んだんでしょうか?謹んでご冥福をお祈りいたします===================こんなものに朝晩、学会流の「ナメコ題目」をあげているアナタ!精神疾患→精神病→自殺と真っ逆さまです。創価高校の生徒のように飛び降りたくなりますよ~こんなものさっさと取っ払って正宗寺院に駆け込み正法正師のご指導のもとまっとうな信仰生活を送りましょうでわまた、シーユー

  • 28Aug
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      聖教を見て恨み節ww

      久しぶりに聖教を見たら『SOKAチャンネルV.O.D』の案内が新聞の片隅に載っていました。これでセンセーの昔の指導などか聞けるらしいこのように、文明の力を使って教育・育成(洗脳)するところがスバラシイですね〜アタシが男子部時代は新聞や大白蓮華しかありませんでしたから、センセーのスピーチは新聞で読むしかありませんでした。ですが、平成に入った頃でしょうか、衛生放送(通信)があっと言う間に整備され、各会館で先生のスピーチが同時放送で見れるようになりましたこのように「池田センセーへの求心力」を高めることには金に糸目を付けず、最新の技術を導入することには流石としか言いようがありません感服仕ります。では、宗門はどうでしょうか?皆さまご承知のとおりです。座談会一つ開くにしても、現在の「タテ線」ではどーにもなりません。もう、にっちもさっちもどーにもブルドック♪です。衛生放送やV.O.Dなど夢のまた夢ですまたまた「タラレバ恨み節」になちゃいますが正本堂の解体費用と奉安堂の建設費用があったら、大客殿の解体費用と客殿の建設費用があったら、かなりの数の寺院が建立でき、今、あふれている(あぶれている)無任所教師が赴任し、広布の発展が見られたでしょう。なにも立派な寺院じゃなくてもいいんです。こじんまりとしたこんなお寺でも拠点として十分に広布の前進に役立ったことでしょう。両方とも他宗のお寺ですが、、、大聖人様ですら「草庵」から鎌倉布教を開始したのです。前出の三木住職も「1億円くらいあればお寺は建てられる」とコメントしておりました。もちろんネット環境のインフラも学会に負けずに構築できたことでしょう。何か言うとすぐ『学会の真似だ!真似だ!』とバカにしますが、じゃ対抗できる方策を示してもらいたいものです。あ"〜久しぶりに愚痴ってしまいましたが、学会のこのような抜け目ない指導体制を見ると、地団駄踏んでしまうのはアタシだけでは無いでしょうでわまた、

  • 22Aug
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      宇宙と仏法を語る

      先日宝くじを買い、当たる気満々の妙光寺支部の城内です。来月は日顕上人の第三回忌に当たりますので御塔婆供養の予約を致しました。ですので今回も日顕上人や日淳上人御指南を転載した「ちょこと教学」です以前、学会女子部員のブログを読んでいたら「南無妙法蓮華経は宣言文だ!」と自分勝手な狂学を展開しておりました。(さすが学会員らしい~)それもそのはずその首魁の池田センセーが先頭を切って「南無妙法蓮華経は宇宙に遍満するリズムである」(趣意)とのたまわっております。(宇宙と仏法を語るより)では南無妙法蓮華経とは「宇宙のリズム」なのでしょうか?「宣言文」なのでしょうか?違います!日淳上人の御指南をひも解くと「元来かような考えは南無妙法蓮華経は法であるのみと考えるからでありまして、宇宙に遍満する妙法の理が題目であるとするからであります。此れは大変な誤りで南無妙法蓮華経は仏身であります」と一刀両断!!(日淳上人全集下 P982)つまり、「宇宙リズム(法)」なのではなく、大聖人様のお命そのままが南無妙法蓮華経の仏であるぞ、とお示しです。仏・法・僧の三大秘法の根本は一大秘法(南無妙法蓮華経の仏)となることは、中学生の時に習う基本中の基本です。大聖人様は「妙法蓮華経と唱へ持つと云うとも若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらずそ法なり」(一生成仏抄)宇宙のリズムだ、宣言だ、などと言って己心の外にある妙法は「そ法」であるぞ。と御教示です。この考え方は、己心の外に法がある→外道義の考え方になってしまいます。このように根本の考え方が「外道義」なのですから、いくら題目を唱えても「境智冥合」など出来ようはずがありません。ましてやその御本尊がニセ本尊なのですから・・・何をかいわんやですですがここで日顕上人の御指南を転載させていただきます。◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇この法界の内容において、その広がりという面の補助的な意味で使うのであれば、私は宇宙という言葉を使うことが即、外道義であるとは必ずしもいえないのではないかと思うのです。我々は池田大作が狂った邪義をあまりに唱えるため、あの者の使う語にまで神経質になり過ぎているきらいがあると思うのです。たしかに、我々の拝し奉る大聖人様の一念三千の妙法境界を直ちに「宇宙」だというのは、全くの誤りであります。しかし、いわゆる十方法界の広がりの意味において、その補助的に使う意味であるならば構わないと思うのです。これは御先師も使われておるのです。例えば、日応上人の御著述などにも、「宇宙」という語が使われておりますが、法界などの補助語として使われておると、私は拝しております。大日蓮平成6年11月号◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇このように両上人のちょっと違った御指南があります。どちらかが正しくて、どちらかが間違っている、と言うわけではありません。両上人は同じ血脈法水を受け継がれているわけですから、その深いお考えの中からの御指南と受け止めましょう。日顕上人の長い御登座のなかでの御指南を縷々拝すると、およそ次のようなことが各所で御教示されております。①仏法は中道法相である。②仏法は立て分けが大事である。③私(法主)の指導を一面識でとらえるな。以上が日顕上人の主だった御教示になると私は考えています。以上のことから拝察すると①南無妙法蓮華経は御本仏の御命そのものであるが、十法法界の広がりと言う意味の補助語で使うのならば構わない。(中道法相)②「イヤ違う、これは絶対に外道の考え方だ!」と全面的に否定し偏ってはいけない(立て分けができてない)③私がこのように言った、という言葉を一面識でとらえてはいけない。ということでしょうか。いずれにせよ学会狂学にどっぷりと浸かってしまった学会員を一日でも早く救うべく、「学」も日々怠ることなくしっかりと精進してまいりましょう。==================今週の発心「順次生に必ず地獄に堕つべき者は重罪を造るとも現罰なし一闡提人これなり」(開目抄)池田センセー以下、幹部の人たちはいたって普通に生きている。このブログが忠告するよーな精神疾患→精神病→自殺などに陥っていない。だから大丈夫!などとノー天気なことを言っているそこのアナタ!必ず地獄に落ちることが決まっている者は、重罪を作っても直ちに現罰はおきないのである。と大聖人様は御指南です。さてこんなもの日夜ダラダラと拝んでるあなた。一闡提人のレッテルを貼られる前にさっさと取っ払いましょう!そして狂学の創価学会より1日でも早く脱会しましょう!あなたの未来はそこから第一歩が始まります!==================がーん我が妙光寺も老朽化が進み、建て替え時期がきているよーです。お山に2億円御供養するよーな妙光寺のお大尽には及びませんが、宝くじ1等の1億5千万円が当たったら、1億円は御供養したいと思っています。(タラレバかっ!)残りは老後資金ですな〜てなわけで皆さん、何があるかやかりません。御供養金もしっかりと貯めておきましょうでわまた、来週チャオ