面白い記事を見つけましたので、またここに掲載いたします。


本来の日蓮正宗の歴史の話ではありませんが、近未来起こるべき問題(いやすでに起きている)なので歴史を先取りして皆さまにお知らせいたします(≧∀≦)

週刊東洋経済 6/10号

 

 



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「漂流する個人の寄り辺(べ)になりうる力が宗教にはある」

ジリ貧に陥る宗教界で耳目を集める人物がいる。

浄土真宗本願寺派の安永雄玄執行長だ。

 



三和銀行勤務からコンサルティング会社経営の経験を生かし、経常収支の赤字が続いていた築地本願寺のリブランディングに成功、黒字転換させた。

宗教界の風雲児に、現代における宗教界の役割とは何かを聞いた。



〜人口減少や少子高齢化、過疎の深刻化寺院の多くが消滅するといわれています。

檀家制度はすでに崩壊しています。

基盤となるイエ制度や家族制度が壊れ「個人の時代」が到来しているのですから。

檀家という「既存客」にしがみつくだけならば、寺院は滅びるしかないでしょう。

私は築地本願寺を、個人が「行ってみたい」と思えるような、開かれた寺に変えたかったのです。

そして、それを成功させました

必要なのは「顧客創造」


〜インスタ映えするメニューを取りそろえたカフェやお見合い「寺婚」など、事業を多角展開しました。

いずれの施設も、浄土真宗本願寺派の新しい門信徒になってもらうことを主目的にしています。

門信徒を増やそうとするとき、最初から「ありがたい教えを付与してあげるからおいで」と言ったって誰も来ません。

まずは足を運んでもらえる寺にならないといけない。


足を運んでもらえるようになったら、次は「築地本願寺でお見合いを申し込んでみようか」「結婚式を挙げようか」と思ってくださるかも知れない。

身内が死去したとき、葬儀や法要は築地本願寺にお願いしてみようと思ってくださるかも知れない。

法要を通して「浄土真宗の教えはいいな。学んでみようかな」と感じてくださるかもしれない。

 

重要なのは、お寺と個人のリレーションシップなのです。

日頃から連絡を取り合い、困っている人や悩んでいる人がいれば助け合う。

そうした日々のリレーションが、いざというときに強い組織力を発揮します。

「教え」の中身よりリレーションのほうが、実は重要なのです。


〜2万4000もの遺骨を収容できる巨大な納骨堂「合同墓」が注目を集めました。

カフェと同様、合同墓も顧客接点の一つです。

単身世帯が増え、自身の死後のことを心配する個人が増えている。

そうした個人の悩みに応えるのが合同墓で、申し込むことを通して浄土真宗の教えに触れていただきたい。


〜合同墓は盛況です。ただ、他州派からは「本願寺の合同墓のせいで、檀家が抜けていく」という声も上がっています。

そういう事態になっているとしたら申し訳ないと思う。

でも選び取ったのは個々の人です。

奪われたことを恨むのであれば、戦後、大量に人を吸い上げた東京を地方の人たちみんなが恨むことになる。

高度成長期にはそういう声もあったと思いますが。


〜宗教の世界に「企業の倫理」を取り入れる安永さんの手法には異論の声もあります。

このままでは潰れますと私ははっきりと申し上げるので「お前の考えは間違っている」「宗教は金儲けではない」と、今でもよく言われます。

でも宗教の世界と企業社会は親和性が高い。

今でこそ経済界で「パーパス経済」
(企業の存在意義と社会貢献)が叫ばれるようになりましたが、日本は明治維新の後、ずっとパーパスを掲げて近代国家建設に邁進して来ました。

富国強兵は単に経済力をあげるということではなく、精神世界とも密接に結び付いていた。

戦後、日本が高度経済成長を成し遂げられたのは、戦前の体質、つまり統制経済と精神世界がサラリーマンの身体に染み付いていたからだと分析する方がいましたが、私もその見方に賛同です。



〜高度に経済成長した時代は過ぎ去りました。現代人に宗教は必要でしょうか。


私は今こそ宗教が必要な時代か来てると考えています。

〜どういうことでしょう

かつて地域やイエ、家族に立脚して暮らしていた個々の人は、戦後は企業という疑似ファミリーに帰属し、企業に立脚して生きるようになりました。

会社の一員として猛烈に働き、企業が成長すれば自分の給与も上がった。
そこでさらに会社への帰属意識を強めた。

ところがバブルが崩壊すると、企業は個人を抱えきれなくなります。

リストラに手をつけるようになると、企業への個人の忠誠心は消えうせ、ウィンウィンの関係もなくなりました。

おのずと疑似ファミリーも崩壊した。

そして今、ジョブ型雇用
(資格・経験者を限定で雇用)が広がっています。

(一般の)会社員ではなく、自分の持つ技能を生かして稼ぐ時代がやって来た。

真の意味で「個人の時代」がやってきたのです。

そこでです。
家族にも企業にも属さない個人は、迷ったとき、悩んだとき、つらいとき、相談できる人がいるでしょうか?

頼れるセーフティーネットがあるでしょうか?


友人が多い人はまだいい。

でも、そんな人ばかりではありません。

宗教には、漂流する個人の寄る辺
(べ)になりうる力があると私は思っています。

不安定な時代に突入している今こそ、宗教の出番ではないでしょうか。

そのように考えています。

 

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安永雄彦(雄玄)
1954年生まれ
慶応大学経済学部卒
ケンブリッジ大学大学院博士課程終了
三和銀行勤務からコンサルティング会社経営を経て現在は築地本願寺代表役員
経常赤字だった本願寺を黒字に転換させる


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【あとがき】


宗祖日蓮大聖人草木口決にのたまわく、

一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり、当世の習いそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり。

この学者先生は経済・経営は専門家であっても残念ながら宗教の専門家ではないので、正邪の判別はできないようです。

ただこのコラムは「宗教の正邪」を論じているのではなく「宗教の未来」を論じているわけです。

赤字経営が続く本願寺を黒字に転換させた手法は学ぶべきところがあります。

短いコラムですのでもっと深く入り組んだ事情があったと思いますが、まずはこのような結果を出した事は賞賛に値するでしょう。

都市が過密化することでその昔「核家族化」と揶揄されました。

いまや「核家族化」など当たり前、すでに死語になっています。

このコラムにあるようにイエ制度は壊れ「個人の時代」に変わって来ているのです。

なので「個人に寄り添う宗教」が必要な時代になっているのです。

築地本願寺は築地駅前にあり、銀座からも歩いて10分という好立地条件にあります。
 

なのに既成客(檀家)に頼っていたため赤字に転落しました。

池上本門寺なども落語会やコンサートを演ったりしてますが、イベント事業はその時だけの収入で終わってしまいます。

ましてやリレーションシップなど生まれません。

安永さんの目標は手を変え品を変えて「新しい門信徒」になってもらうのが目的です。

いきなり「ありがたい教えだからおいで」と言っても誰も来ないと断言しています。

御多分に洩れず、長年信者数が伸び悩んでいる日蓮正宗も、まずはどのような方法で「お寺と個人のリレーションシップを取れるか」を模索することが宗派興隆の第一歩ではないでしょうか。

「仮使発心真実ならざる者も、正境に縁すれば功徳猶多し」妙楽大師

妙光寺支部
城内啓一郎でした

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