しばらく前まで「妙鏡」では日寛上人の特集を組んでおりました。

昭和31年当時御存命だった日亨上人のインタビュー記事がありますのでこちらにご紹介致します。

 



(大百蓮華 昭和31年11月号)

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「中興の祖 日寛上人」

まあですね。
寛師でなくちゃ、寛師以後は夜も日も明けなかったですね。
それは寛師の学問というよりもむしろですね、寛師の行体じゃないですか?
えらく学問ができてえらく能弁であっても普段の行体がだらしないというと僧俗の信仰を集めることができないですからね。
その点寛師は非常に謹直であった。


そんなわけで寛師の信仰が一般の人にしみわたっているのじゃないですか。
学問はもちろんですけどもね。


学問だってやたらと手広くやって、縦横自在にですね法義を作るとか、又は色々な歴史を書くとかはしない人ですね。
ですからほとんど寛師は歴史上のことなんか無関心ですよ。
それほど大事にしない。


六巻抄を中心にして大聖人の御正義を完璧に打ち立てられた。
又三大部
(天台の三大部)をはじめ天台の法義に明るい。
三大部の引用などはとても綿密なものですからね。


わしが日蓮宗の者らと交際する時分にあっちの清水学長や前の脇田学長なんかは非常に寛師を褒めていましたよ。
「あなた方の日寛上人という方の三大部はえらいですね。ああいうように巧みに引くことは容易じゃないですよ」なんて褒めていましたけれども。


というのはですね、その時分の細草談林ですが、伝了日崇という人が談林の初祖でね、その人が八品(派)ですけれどもとても三大部に明るい人でね、その人の学風が残っていたですから、その、寛師は所化時代から三大部には明るかったです。


ですから今お山ではあまり大事にしておりませんけどもね、三大部の、いや四教義なんかの講義の本が寛師の直筆で残っていますよ。
ほとんど若い者は見ないですよ。
見ろと言ってますけどもね、わからないから。
今度はそれも和訳して読ませようと思う。
容易じゃないです。
寛師は伝了日崇のあとを受けて三大部に明るかったです。


(中略)


寛師は無駄な学問はしてござらん。
そのくせ若い時のですね、色んな書いたものを見るとですね、何といっていいですか、歌なんかよまれてね、詩なんかつくっておられる。


ですから本山あたりの古い人の話ではですね、寛師は俳諧の点取師だと、そんなような悪口をいう。
そんなことをいう説が残っているんですよ。
そのくらいにやっぱり俗っぽいところもあったですね。


問 おそばと角力が有名だった

相撲はまぁ後からつけたもんでしょう(笑)
それからおそばは好きでいらっしゃった。
それは寛師ばかりじゃない。


今あまり坊さんにそば好きはないですけれどもね、わしどもの青年時代はね、坊さんのご馳走はそばが一等でしたよ。
自分たちがそば好きでしたからね、客が来るとすぐそばです。
「そば打て」といわれる時は、貫首さんよほど機嫌が良い時です。
わしどもの師匠なんかはそば好きでね、うどんよりもそばでしたよ。
何かご馳走食いたいとなるとそばです。
「そば打て」ということになる。
そしてですね、東京のざるそばの五杯や六杯じゃ承知しない。
十杯ぐらい平気で食ったものです。


それがですね、だしが何かと言うとね、イモガラです。
イモガラというやつはちょっとこう、茹でるというとね、いい味が出ます。
茹で方がまずいというと渋くなりますけれども、イモガラです。
椎茸なんか高いから買わない。
よくて人参です。
それから秋のキノコ。
キノコと言ってもあの辺りは初茸が少ないですからからね、そういうものがダシですね。


わしの師匠がそば好きで、わしがこのダシがまずいから自分で研究して渋柿の皮を干してですね。それをダシにした。
渋柿は皮をむいて干すでしょう。
それをうっちゃるんでしょう。
それを天気のよい時にカラカラに乾かしてね、それをさっと茹でる。
そうするといいダシが出る。
それはわしが発明したんじゃ
(笑)


それであげたらね「きさま!不器用だけれどもどうしてこんないい味を出かすんだ!」と言ってね。
そういうふうでとってもそばが盛んに出ますけれどもうまいダシなんかなかったですね。

まぁ東京のお客さんなんか来るというと
「本山のそばはうまいけれどもダシがまずいから今度来たとはそば屋からタレを持って来なくっちゃいけない」なんていう客が多かったです。



(あとがき)

天台の三大部の話からお山のお蕎麦の話まで飛びました(笑)
上人の気さくさが出ているインタビュー記事です。

日蓮正宗中興の祖と仰がれる日寛上人。
日蓮宗の学者も脱帽の御法主上人であらせられたことがよく分かります。

また日亨上人は研究ばかりしていたかと思いきや蕎麦のダシの研究もしていたとは・・・(爆笑)

〜続く〜


妙光寺支部

城内啓一郎 拝