富士宗学用集8巻(史料集5P)に
「弟子分帳、祖滅18年、日興上人正本北山本門寺にあり。白蓮弟子分に与え申す御筆御本尊目録の事」

とあります。

つまり日興上人がお弟子さんや信者さんに御下附された御本尊の目録のことです。
「弟子分本尊目録」といいます。

これを見ると御本尊を下附された18名の弟子・檀那の名前が列記されております。
 

その名前は下記の通りです。
(日興上人は生涯多数の御本尊をおしたため遊ばされました。その中で代表的なものと見られます)

1、寂日房日華
2、卿公日目
3、下野公日秀
4、少輔公日禅
5、摂津公日仙
6、了性房日乗
 

この六人は日興第一の弟子なり。

と仰せです。

さてこの後に出てくる12人が問題です。

・甲斐公日持は日興最初の弟子なり、聖人御滅後白蓮に背く。
・越後房日弁は日興が弟子なり、但し弘安年中白蓮に背く。
・泉出(いずみ)房は越後房逆罪の時同時に背く。
・因幡房日永は日興の弟子なり、但し今は背いている。
・肥前房は日華の弟子なり、但し今は背いている。
・大夫房は日持の弟子なり、但し聖人滅後背いている。
・治部房日位は日持の弟子なり、但し聖人滅後背いている。
・筑前房、豊前房は日興の弟子なり。但し聖人滅後背いている。
・松野次郎三郎は日持の弟子なり。但し聖人滅後背いている。
(御書に出てくる松野殿の親類縁者)
・下山左衛門四郎は因幡房日永の弟子なり、但し聖人滅後背いている。
(御書十大部の一つ、下山抄をいただいた下山殿の親類縁者)
・松野左衛門次郎の後家尼は日興の弟子なり、但し聖人滅後背いている。
(つまり夫婦で退転しているw)
・曽根五郎の後家尼は寂日房日華の弟子なり。但し聖人滅後背いている。
(以下、46名略す)

12人のうち出家9人、在家信者3人が退転者となっております。

この記録から見ますと66%強の人が退転したことになります。
(省略された46名の状況は不明)

10人中6〜7名が退転。


5人家族なら3人以上が退転ということになります。

注目すべきは「聖人滅後背いた」という記述です。

五老僧などは大聖人様の直弟子であり直接薫陶を受けたにもかかわらず、大聖人滅後アッサリと退転しました。

この五老僧の影響が大きかったのでしょうか、右習へ!でたぼらかされ退転してしまった者も多かったと考えられます。

そしてまた、五老僧たちは幕府からの迫害を恐れ「日蓮聖人の弟子」という立場を捨てて「天台沙門」と名乗りました。

 

日興上人は「富士一跡門徒存知の事」に

 

五人は一同に日蓮聖人の法門は天台宗である。

なので我々は天台沙門である。
などと言っているがそうではない。
天台は法華の迹門であり日蓮聖人は法華の本門である。
この相違によって五人とは堅く義絶する。
(趣意)

と絶縁宣言をなされました。

 

日興上人御在世当時ですらこの状況です。

この会い難き正法に巡り逢えたとしても、最後まで正信をつらぬかなければ今までの努力は水の泡です。

皆さまにおかれましては正宗の掟である「謗法厳戒」の精神を忘れる事なく、ただ余念なく唱題に励んでまいりましょう。

「日蓮聖人の弟子日興、重ねて言上」

御会式の月にちょっと考えた事でした。

 


妙光寺支部
城内啓一郎 拝

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