今回も前々回に引き続き昭和31年に行われた日亨上人のインタビュー記事を掲載いたします。

今回にてインタビュー記事の掲載を終了いたします。

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問 廃仏毀釈なんかの影響も大分ありますね


ええ、ありますね。
大宮浅間
(富士宮浅間神社)をひかえていますから、あの浅間の手合いが悪気でもってね、寺をイジメたのです。

そして又、平田篤胤の門下のやつらが伊豆から駿河
(静岡県東部から中部)そこら中にいたですね。

そんなのが色々な事があるたびに寺イジメをやったですから。


問 それから北山との問答が明治12年にあったわけですね(霑志問答)

そうです。
日志の議論が存外すばしっこい議論ですけれどもね、大体アラ拾いの議論でね、大石寺のアラの宝冊
(大石寺明細志)みたいなものに下らんことを書いてある。

それからまたですね、文献があるにもかかわらず、あの時代に色々ありがたい話をつくって伝染した。
そんなものを取って議論を吹きかけてきたんですからね。
それだから日志の議論はワシどものような研究家から見るというとなんでもないバカバカしい議論です。
もっと日志が立派な頭をもっていれば、本当に大石寺と相談してですね、話し合いができたでしょうけれども、日志はそういう下らないことをやるために要法寺から迎えられたんですから。


あまり大石寺が繁盛して自分の寺が衰微するばかりですから、その復讐策に持ってきたんですから、何かその大石寺をイジメなければ、という考えしかなかった。
日志が悪いですね。
ですからコレラかなんかに罹って死んじゃった。
ポックリ逝っちゃった。


問 やっぱり法罰でしょうか?

ええ、そんな人がまだ2、3人あるですよ。
要法寺の偉い人だったが髙田の法運寺で石油かぶって焼け死んだのがある。

大石上人(日応上人)に色んなある事、無い事つっかかって来て喧嘩吹きかけてきた人です。

問 横浜問答もこの頃ですね?

横浜問答も始めの問題にはワシの師匠が筆を取られたです。
それから後はその時分学僧であった山口信玉という人と藤本智境という人が筆を取った。


問 あれも田中智学が逃げちゃったから終わったようなもので・・・

ええ、田中は弱っちゃったです。
田中という人は少年時代から改革派であってね、師匠の新井日薩あたりの手に負えない少年だったですね。
それで色々な宗内
(日蓮宗)の事情を見るに見かねて改革しようという考えを起こし、その始めに大石寺とぶつかったのです。

ですから田中のほうじゃそれが元になってね、田中は発奮して色々な改革を始めたですね。


問 大石寺に破折されたことが勉強になったんですね。

ええ、薬になったですね。
それと同じような事件が清水梁山に起こったですね。
あの人は策士ですから、あんなのが大石寺に入っていたら大変な事になったろう。


問 明治33年頃、大石寺が(興門派から)独立して日蓮宗富士派と公称さたのは・・・

ええ、そうです。
興門派というのはね、名称には差し支えない。
興門ですから、けれども興門派に連合するという事はね、富士八本山の中で要法寺が中心になってやった仕事です。
ですから興門清規というのはですね、できたのは要法寺流でできちゃったのです。

こういうふうにして、まず明治の始めに無理して
(興門派に)統合して、それがまた太平洋戦争中に無理して身延なんかに統合して、今度は本当の意味で富士日興上人の正統に戻ろうという傾向にあるわけですね

北山なんかすっかりダメになってしまったらしいです。
北山が一等大きいですからな。
ワシどもの知ったやつもいなくなった。
そんな身延に合同するなんていうそんな頭でない立派な奴がいたんですがね。
それが死んじゃった。
今はどうもそういう
(立派な)のがいないらしい。
西山はまぁ行く機会がありますから、自然に独立するでしょう。

(その後、西山本門寺は身延派から離脱し大石寺門に帰しましたが、また独立して現在は単独寺院)

問 まだお伺いしたい問題はたくさんありますけれども、今日はこの位にして終わらせていただきます。
大変お疲れ様でした。

いや、なにわしゃ平気です。
詳しく話をすればキリが無いですけれども、

しかし、話が聞こえますかしらん、
ワシはね三日ばかり前に歯を入れたばかりで・・・


充分入っております。
おかけしてみましょう。
(テープレコーダーをかける)

うん、これは良く聞こえる。
ワシの声は若いな、これならあと五年や十年は大丈夫だ
(爆笑)

 


インタビューにお答えする(故)日亨上人


※読みやすいよう加筆・訂正いたしました

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残念ながらこのインタビューの一年後に上人は御遷化されました。

人間「死は一定」なわけですから致し方ない事です。

次回は上人の御臨終のご様子をもって、日亨上人の連載を終了致します

 

妙光寺支部・城内啓一郎

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