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次に西山本門寺の創建についてお話し致します。

日代上人は当地河合の由比家の出身で、日興上人とは母方の甥に当たります。

兄の日善とともに少年の頃から日興上人の門下となりました。

出家して伊予公と称し、重須談所において修学に励み信行増進して若大衆の時に頭角を顕わし、次第に師に信任され蔵人阿闍梨と称されるようになったのであります。

由比家関係を教化した法縁関係には、日善および日助と提携して、河合・上野方面に芳跡を残し、日興上人の晩年には中年ながら重須の主職を付属されるに至ったのは異例のことでありました。

しかしながら、大富士の法中にあって、大石の寺には古老の日目上人が本六弟子
を随え法頭として君臨し、また上老の日華上人は日仙・日妙を伴として甲斐、駿河、讃岐に渡って法縁を張り、その他数輩の先輩環視の中にあって、若輩としての重須の寺の主職は容易なことではなかったでありましょう。

日代上人は重須において大いに努力されたのでありますが、日興上人円寂の後、日目上人もまたその直後に御遷化なされ、突如として日仙との間に方便品を読むか、読むべきでないかの論争から「本迹問答」が起きたのであります。

互いの論旨は大衆を感動せしむるにいたらず、評論は轟々今日に至るまで論科となっているわけであります。

したがって、重須の地頭石川三郎実忠は日代上人の重須のお寺の主職を喜ばず、またその間に火災等の魔事が起こり、ついに日代上人みずから重須の寺を退去することになったのであります。

しかし、日代上人の重須退去については、阿仏房日満の書状では、北山本門寺日妙の謗法としております。

また、近年の研究者の間では南北争乱の政治情勢がからんだとして、鳥並(とんなみ:西山本門寺近くの村)の城内家の資料をあげ、石川実忠が日代上人に弟の石川源左衛門尉を随行させたことを傍証としております。

それはそれとして、重須を不本意に退去した日代上人は、その後しばらく大石寺の藤木坊に、日善と日助は同じく南の坊に隠忍しておりました。
(大石寺の故日逹上人は、藤木坊は昔の下之坊だろうといわれました)

 


(藤の花満開の下之坊)


大石寺の庇護を受けた仮住まいだったのであります。

これより先、後醍醐天皇の王政中興が成就されました。

そこで大石の寺の日目上人は、この機会に天奏をとぐべく、上洛を志し美濃国垂井まできましたが、老齢の身に旅は厳しく、病を得て遷化されました。

 


(日目上人、美濃・垂井での天奏の図)


日代上人はこれを深くなげき、日善・日助を随えて上洛し天奏を遂げたのであります。

時に暦応3年8月のことでありました。

実に西山本門寺創建の3年前で、日代上人らは大石の寺に庇護された不本意な流浪の身でもあり、手元不如意の中からよくも決起なされたものと深く心に刻まれなければなりません。

また、日代上人は後輩であった阿仏日満の芳心によって佐渡に弘教し当時の佐渡は完全に富士門徒でありました。

それが日満滅後、佐渡の法華講衆も乱れ、今では佐渡の地に富士の清風は降るっておりません。

日代上人の志は常に重須の寺への復帰にありましたが、南北朝の争乱は続き、官憲は動揺し公私の容れるところとなりませんでした。

そこでついに、大内大三郎安浄の協力により、康永3年(1342)10月13日、西山に精舎を完成し本門寺と称したのであります。

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《あとがき・追補》

日興上人・日目上人が同じ年に御遷化なされると、本六僧の日仙上人(72)と新六僧の日代上人(37)の間に「方便品読不読」問答が起こります。

実はこの「方便品読不読」問題は大聖人様御在世当時もありました。

お弟子の天一坊や御書に登場する曽谷さんも「方便品は読むべきではない!」主張し大聖人様より叱責されています。

日興・日目両上人が御在世の時はこの論議は一時影を潜めましたが、両上人が御遷化されるとまたぞろ惹起してきたのです。

「読む」を主張した日代上人と「読まない」を主張した日仙上人の法論の結果、日代上人は重須退去、日仙上人は讃岐へ移住ということになりました。

その後、日代上人たちは大石寺などに居候することになります。

日目上人の垂井御遷化の後は日尊、日郷上人が天奏を遂げられたことは皆さま御存知の通りですが、その7年後に日代上人は日善・日助を伴って天奏を遂げられております。

居候の身分でよく旅費などを工面できたものかと感心させられます


(日道上人は病弱だったため天奏はされておりません)

 

尚、総本山塔頭の百貫坊の創建は日仙上人です。

 

体重が百貫あったとも言われており、大聖人様渡河の際は長身の大聖人様を軽々と背負い、その際に大聖人様から「値百貫の働きである」と称賛されたとも云われております。

(百貫・・・銭100000枚 現在の100万円くらいかな~?)

 

体重百貫は今の単位にすると375キロですので誇張した呼称でしょう。

 

プロレスラーor仁王さんのような体格のお坊さんを想像してください

チョキゲラゲラ

 

 

※本六僧・新六僧・・・日興上人が定めた12人に高僧

〜以下、次号に続く〜