昔、途中まで読んで止まっていた本を読んでいます。
- 選択の科学/文藝春秋
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盲目のコロンビア大学教授が選択に関する科学について解説しています。
これを読んでいると、どんなに自分自身で選んだつもりでいても、実際は自分は選んでいないことに気づかされます。心理学的な要素も大きく絡んできますし、なかなか複雑なことが起こっています。
知識と記憶、意思決定、選択といった要素は生命を大きく左右していきますね。唯幻論でも言われているように人間の本能は壊れていて、他の動物のように本能だけで人間は生きていくことができません。蜜蜂のような個体が完全に自律できている社会性昆虫と比較してみると、人間は正しく本能が確立されるまで進化していないのだとも言えるでしょう。
人間が信じる宗教や信仰もフィクションの物語ですし、親から教わることもフィクションの諺だったり格言だったりします。靖国信仰肯定派の小林やすのり氏や岸田秀氏の論説をネット上で眺めていると、彼らは信仰がフィクションであり、社会を形成するために大衆(信者)に流布する「物語」であると理解しています。このことについては、近いうちに論述してみたいと思っています。
いま言っておきたいことは、靖国を重んじる論客や政治家は信仰を社会保持の手段だと考えていることです。その「物語」を流布すれば社会にどんな影響が波及していくか…良く知っているのであって、決して靖国に英霊が返って来るとは信じていません。なぜなら、彼らの論拠は「日本兵が靖国で逢おう」と誓い合ったから…というもので、魂や霊が何故に仏壇や墓に在るのか?は理解していません。招魂と慰霊の違いを考えてみるべきでしょう。
この辺りの心理については、村上春樹のねじまき鳥クロニクルにも出てきます。井戸の底でバットを手にしないと出来ないのか…、バットを手にしなくても出来るのか…。つまり、バットを重んじる状況では、それは信仰ではなく、バットを道具として利用しているだけなわけです。
何も考えず知識や本能に基づいて受動的で自動的に瞬時に判断する自動システム
知識や経験に基づいて良く考え時間を費やして論理を構築し判断する熟慮システム
その使い分けについては、何かシステム化してみる必要がありそうです。このような並立システムで相克を創りだすことこそ要諦だと思います。
人間は単純接触効果に左右されます。周りで見聞きする頻度が高い「物語」を信じ込み、その基準で選択していくようになります。どんなグループに属するかで、もう既に何を選択するか決められてしまう…。そんな時は、自分で決めたつもりでも、決して自分が自律的に決めたわけではなく、他者から選択を強要されたわけです。
つまり、みんなと同じ物体ばかり繰り返し見たり聞いたりしていると単純接触効果が生じます。
個人が仲間に入る時点で選択は決まり、その個人は自律性を失い、自動システムが優位となる。
だからこそ、熟慮システムが重要になりますし、熟慮システムを活用し、何度か自律的選択を反復した上で自動化していくことも考えるべきでしょう。
しばらく、選択と意思決定について学習したいと思っています。
以下、いつものとおり過去を振り返ります。
初詣する日本人の「一般意志」と東浩紀氏の「一般意志2.0」
http://ameblo.jp/u-sa-kichi/entry-11124860899.html
アマゾンの「カスタマーレビュー」にこそネット民主主義の未来像が存在している
語り合う…
http://ameblo.jp/u-sa-kichi/entry-11133416530.html
日本には…合意形成がない
http://ameblo.jp/u-sa-kichi/entry-11141215917.html
日本人は議論し判断して合意形成することができない
デモクラシーの根幹は正しい情報や知識に基いた対話による合意を目指すこと
映画「Vフォー・ヴェンデッタ(V for Vendetta)」
http://ameblo.jp/u-sa-kichi/entry-11160271525.html
仮面を被ると本性を表す
アバダーでは現実社会では行えないような正義を遂行することができる
イロイロと論理の穴を埋めていくと、最終的には白黒、正否が判断できない領域に到達する様な…。そこは信仰の領域ではないでしょうか?
暫くは正解がない論理の海を漂流してみよう
個体と共同体の連続世界
http://ameblo.jp/u-sa-kichi/entry-11162666360.html
地球全体の共同体でワークシェアリングしていくのか
各国、各職域、各地域といった共同体の利権を閉鎖的に守っていくのか…
グローバルな地球規模の共同体(コミュニティ)を視野に置きつつ、ローカルな個人と地域共同体(コミュニティ)との関わりから構築し直す必要があるのかもしれません。
個体(共同体)の階層構造
http://ameblo.jp/u-sa-kichi/entry-11149740752.html
大脳新皮質の大きさから推定すると、人間では153人の集団認識と言われている
この150人を越えて集まると、共同体として機能することは難しい
以下、転載
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人間が、この150人という人数を越えて集合し共同体を運営するためには、新しいルールが必要になります。集団で生活するためにはルールが大切ですし、ルールや監視の目がなければ、150人前後以上の集団は維持できないわけです。このため、大きな集団を維持するには、道徳や法律や罰が必要となりますし、集団のシンボルや旗印といった共感や信仰が必要となります。
こうした罰や共感が上手く機能するように、普段は叩かれる映像を見ると島皮質が反応して不快に感じますが、叩く映像は罰を与えていると人に意識させると側坐核が反応し肯定的で快感すら感じるように人間の脳はできています。
また、人間は、共同体が大きければ大きいほど有利になります。共同体が大きければ、多くの叡智が集まり良いアイデアがでますし、お互いの知識の交換が行われ て共同体が発展していきます。
やはり、ブログや掲示板に集まる人々の数には限界があると思います。集まった集団を相互に認識し判別できる数に限界がありますから、参加人数が多くなり過ぎると信頼関係を築くことが困難となり、争いが発生しやすくなります。何のシステム構築も無ければ、平均で150人程度までが限界と考えた方が良さそうです。
参加者の道徳観が高かったり、電子ネットワーク上のルール(法律)が確立されていたり、罰を与えるシステムがあったりすれば、電子ネットワーク上の共同体の参加人数を増やすことができ、一つの共同体に数百人程度まで集まることは可能かもしれません。参加者が増えれば、数の力も生まれ、多くの叡智が集まり、共同体の能力や影響力を高める事ができるでしょう。
電子ネットワークをデモクラシーに活用するためには、階層構造を形成する必要があります。
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基本共同体、上位共同体、最上位共同体
基本共同体から代表を上位共同体に選出し百人単位の上位共同体をつくる
ガキ大将と共同体
http://ameblo.jp/u-sa-kichi/entry-11167916800.html
現代では大人が保育園や幼稚園をつくったため、子供達の自由な活動を制限していまい、子供達が人間形成の上で必要な共同体を体験することが減って様々な弊害が発生しています。
つまり、子供社会で行われていた知識伝承や役割分担や主従関係などの体験が足りないと私は考えています。
リーダーに従うとか、他人のために献身するとか、仲間を守るとか…、こうした子供時代に経験する共同体から学ぶことは多かったのではないでしょうか。
内田樹さんの「下流志向」:子供達があまりにも早くから大人と変わらぬ「一人前」として扱われる ことが当たり前になりすぎて、未熟なまま「大人」として振る舞おうとする肥大化する「自己」のことが論じられていました。
大人になってもガキ大将:自我を優先し他我を許さない人々が増えれば、共同体は成り立ちません
子供の我が儘を許す事を人権の尊重と勘違いしている親が多い
ダメな子はいない。しかし、ダメな育て方はある。
http://ameblo.jp/u-sa-kichi/entry-11169653257.html
「吸収力の高い脳作り」、「遊び学習」、「秩序形成」の3つを念頭に置いた「脳教育」
母性というホームグラウンド
なぜ人間になれたのか「第三集 大地に種をまいたとき」
http://ameblo.jp/u-sa-kichi/entry-11169788443.html
テストステロン⇔オキシトシン
異なる部族が集まり、原始的な宗教儀式を行い、争いを避けたのではないか
儀式では、普段は食べないような御馳走を食べた
敵対関係のものも集まって、一緒に御馳走を食べ酒を飲み、もてなす
貴重な食料を分け与えることで仲間意識を高める
人体と個体と共同体
http://blog.ameba.jp/ucs/entry/srventryinsertinput.do
以下、転載
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一個体である人間が形成する共同体でも、人体において内分泌物質や神経系が相互に影響を与えているように、個体同士が互いに連絡を取り合う手法が重要となります。
これまで人と人が繋がる手段は、手紙や小説などの文章、話し合いや演説といった会話、テレビや映画といった映像が中心でした。しかし、こうした従来の手法は、情報や意志を発信できる人が限られていました。
いま私たちが手に入れた電子ネットワークを十分に活用できるようになれば、誰でも情報や意志を発信することができるになるでしょう。要は、人々が必要とされる情報や意志を発信できるか?、人々が必要な情報を受け取ることができるか?、が重要になります。
内分泌物質(伝達物質)は、ただ血液や体液中を流れるだけです。
内分泌物質(伝達物質)を出すもの、内分泌物質(伝達物質)を受け取るもの、両者が確立されたら、個体と個体が繋がって共同体を運営・維持し、共同体をホメオスタシスに導くことができるはずです。
細胞も人体も人間も国家も地球も、個体と共同体の連続上に存在してホメオスタシスを保っているわけですから、未来に向かって、どう改善して行くのか、どう維持して行くのか、様々な段階の個体が自分の役割や可能性に気付いて活動していくことが大切だと思います。
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「二つ」と多様性の向こうに
http://ameblo.jp/u-sa-kichi/entry-11173090440.html
言葉の概念、政策の範囲、システムの組合せは、現実には無限大の選択肢があり、「二つ」ではない多様性がありま す。
人口増加と資源不足で窮地に立たされるであろう未来を私たち人類が切り開くためには、多様性を許し合う社会、多様性を包容した選択が行える社会システムを構築しなければならないでし ょう。
利他と利己は共同体で共存している
http://ameblo.jp/u-sa-kichi/entry-11175586571.html
偏狭な利他主義
一見は利他主義に見えても、同時に利己主義が行われています。
では、寛容な利己主義は?
自己と非自己と「寛容な利己主義」
http://ameblo.jp/u-sa-kichi/entry-11179133380.html
利己主義は、自己か非自己かを選別して自らの利益のために行動している。
他人(非自己)に対するように自分(自己)を尊重し、自分(自己)に対するように他人(非自己)を尊重するならば、波及的に社会全体の個人を尊重することができますから、「寛容な個人主義」は迫害や抑圧や隷属を一掃する可能性を秘めています。
以上、2012年2月まで。
ノブリス・オブリージュ
高貴さは義務を強制する
財力、権力、社会的地位の保持には責任が伴う