さて、人間が形成する共同体、とくに基本となる共同体は、どのような形態が推奨されるのでしょうか。
それを知るためには、人間社会の年齢的成長を遡ることで一つの答えに辿り着くと思います。
生まれてから母親の下を離れた頃、子供達は子供達の社会を形成します。
現代なら、保育園や幼稚園の社会が一つの参考例でしょう。
子供達は、ブランコしたり、三輪車をこいだり、それぞれ思い思いの行動をとっています。
そんな利己的な行動の中で、たまに…
友達のブランコを押してあげて他人を助けてあげたり、数人が集まって砂場で大きな山を作るなど、何人かが自主的に集合して共同作業を行うわけです。
しかし、それ以上は自ら組織化して共同作業すなわち利他的行動をすることはありません。
保母さんの指示に従って、歌を歌ったり、お遊戯をしたりするだけで、子供達は自主的に行動することはないと言えるでしょう。
現代では大人が保育園や幼稚園をつくったため、子供達の自由な活動を制限していまい、子供達が人間形成の上で必要な共同体を体験することが減って様々な弊害が発生しています。
つまり、子供社会で行われていた知識伝承や役割分担や主従関係などの体験が足りないと私は考えています。
では、保育園や幼稚園が存在する以前の子供社会は、どうだったのでしょう。
子供達は、野原や山や海で自分たちで遊んでいました。
4,5歳の子供達でも自分たちだけで町中や山野を歩き廻って遊んでいました。
さらに、そうした幼児を近所の小学生が連れて遊んでいました。
子供達は自分たちで遊びを伝承し、ある時は新しい遊びを発明して遊んでいました。
そんな小さな共同体を束ねていたのがガキ大将です。
ガキ大将は主に年長の子供の役目で、子供の共同体のリーダーだったと言えます。
喧嘩や力が強いとか、みんなの面倒見が良いとか、年長と言った理由で、自然とリーダーが決まっていたのだと思います。
こうした子供時代に経験する共同体から学ぶことは多かったのではないでしょうか。
リーダーに従うとか、他人のために献身するとか、仲間を守るとか…
いま、学級、自治会、市町村、企業、政党、国家といった共同体が機能不全になっている遠因は、こうした子供社会の共同体における経験不足が一因ではないかと思う今日この頃です。
共同体経験が足りないので、みんなが大人になってもガキ大将なんですよね…
それで、学級や自治会や社会組織といった社会の基本的な共同体で利他的な行動が減り、みなが少人数の共同体でも利己的になってしまうような気がします。