クラスタ民主主義システム研究室

☆学習とディベート☆ ☆ネットワークデモクラシーを夢みて☆ 
☆教育ディベートを推進しよう☆ ☆「complex system」で思考してみよう☆「ネットワークデモクラシー(Demoex)研究室」からタイトル改題しました。 


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シェーマもスキーマも同じスペル(schema)なんですよね。ドイツ語読みしたか英語読みしたかの違いでしかありません。

 

外界を認知し行動する際の一定の枠組み。あるいは過去の経験に基づいて作られた心理的な構造。それを表す概念図や図解のこと。

 

schemaという表象がシェーマになったりスキーマになったりする動態は、脳の中で「同じだったもの」が表裏や左右に分かれていくフラクタル性を象徴しているように私は感じました。

 

私たちの脳が紡ぎ出す様々な論理構造を俯瞰すると、そこには一定の枠組み(schema)が見えてきますし、そこにはバタフライ効果が見えてきます。

 

こうした心的な動態解析は、認知行動療法やスキーマ療法で活用されていて、うつ病や境界型パーソナリティ障害の治療に実用化されているわけですが、この手法は社会心理や集合知に対しても応用でするはずです。

 

おそらく、こうした論理構造や心理構造をAIを使って解析できる時代が10年以内にやってくるでしょう。そして、私たちは、自分というものを自分で見つめ、自分を自分で改善していくことができるようになりますが、実は、私たちは既にこうした心理や論理の改善を私たちが日常的につ使っているSNSでやっているんですよね。。。

 

ただ、そういったSNS上の仕組みは未だ調整されていないので、上手くできる人もいれば、上手くできなくて失敗してしまう人もいるのが、現状です。だとしても、そのSNS上の初歩的なシステムを調整し改善していけば、おそらく私たちは人類の集合知や集団心理をより良い方向に進歩させていくことができるはずです。もちろん、その逆に、システムを悪用し悪い方向に後退させていくことも可能なわけですが…。

 

そんなわけでスキーマ療法の本を読んでいます。

 
 
なかなか面白い本ですが、まだまだ統一されたスキーマ療法というものはなく、発展途上という印象を受けました。しかし、認知行動療法と同じ仕組みが基盤となっているように感じました。
 
シェーマか?スキーマか?という問題は、どこでも同じことが反復しているフラクタル性を持っています。最近のわかりやすい事例を挙げてみるとすれば、フェイクニュースか?トゥルーニュースか?とか、戦闘か?衝突か?という論争でしょう。
 
いずれの例でも、同じことに対して、脳が違った呼び名を選んでいるだけ…。
 
憲法9条に抵触しないよう戦闘ではなく衝突と呼称するといった強弁は、同じ心理構造の下に出現します。敗退を転進と呼称するのと全く同様ですし、将来的には戦争を自衛と呼び「私たちが行った敵基地攻撃は自衛であり戦争ではない」と強弁することも可能です。すべて単に正当化しているだけにすぎません。
 
要は、常に自己正当化して生きている人々は、その行為が問題とは認識しない…。
 
自分の正義を貫くことを是とするか?、自分の正義に疑問を持ってみることを是とするか?
 
人それぞれが持っている根本的なところのスキーマが違っていると、そのスキーマの違いにより、人々は二群に分かれていくことになりますし、そののちに対立と淘汰が生じ、いずれかが生き残り、いずれかが消滅していく…。歴史的には、敗退を転進と言い換えた勢力が、一度、日本全土を焼け野原にし、大日本帝国を滅ぼしました。
 
同様のことは、いたるところで繰り返していきます…
 
例えば、核武装可能とするか?しないか?という根源的な論理の違いが、再び高速増殖炉を造るかどうか?…、原子力発電を推進し続けるか?…、海外への原発輸出をめざすか?…、といった意志決定を左右していくことになるわけです。
 
私たち日本人も、全てを正当化して突き進む傾向を持っていますから、敗戦したり失敗したりすることを前提にして論考しない傾向があるんですよね。そんな偏った論考を続けていると、また失敗することは自明の理ですが、こうした片翼で飛ぶようなループから、私たち日本人はなかなか抜け出すことができません。
 
その結果、日本は、再び敗戦に至ることになりました。
 
そう、それは原発事業における敗戦です。
 
 
 
日本人の中の核武装肯定派が原発推進を突き進んできた結果、いま正に日本の原子力産業は敗戦をむかえようとしています。福島第一原発事故が発生し、その事故処理も上手く行かない中で、それでもなお原発が必要と強弁してきた人々…、彼らは、日本人の心は美しい、日本の技術は素晴らしいと誇ってきましたが、その自己正当化と強弁が、いま再び日本を滅ぼそうとしています。
 
私たちの脳が思い描く心理や論理を左右している根源は、どこの何なのか?、見定めないといけませんし、それができるようになれば、世の中は上手く廻り始めるはずです。
 
うさぎ
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心理学の用語にもスキーマという言葉があります。構造とか様式とか図解といった意味と理解すれば良いんでしょうか。
 
構造は、点と点の繋がりで表現できると言えるので、人の脳の中で、どんなポイントがどこにどんな風に繋がっているのか?がわかれば、構造化したり図解したりでき、識別したり分析したりできるようになります。
 
この構造や様式には型(タイプ)があり、いくつかのタイプに分かれている。つまり、点と点、繋がり方、型(タイプ)で標準化できるはず…。ここまでは良いのですが、そこから先が複雑ですね。
 
全体像を明らかにするには、点や繋がり方の種別を網羅しなければなりません。
 
かくれキリシタンの例を参考にすれば、人の精神を極限まで削ぎ落とすと、生死の怖れ、天国に行ける、赦してくれる、尊く貴く大切なもの、正しいと信じる…といった点がカギであることがわかります。
 
このかくれキリシタンの例のように、ストレスや緊張が続いて過負荷になると、各人の精神の中心に残る点(ポイント)が明らかになるのでしょう。それは様々で、ある人は我が子の可愛さが残り、ある人は親への思慕が残り、ある人は異性への恋愛が残り、そしてまたある人は憎悪や怨念だけが残ることになります。
 
すべてがそぎ落とされ、各々の精神の核心が見えるとき、その核心が何か?は当の本人にしかわからないんですよね…。各人の心の中や信じていることは他人にはわかりません…。しかし、その核心が「どんなものなのか?、どんなタイプか?」と考えると、それは全て創造主が設計したスキーマであることがわかります。
 
かわいさ、かわいそうさ、いとしさ、さげすみ、にくしみ…
 
こうした心理的なレセプターは、私たち人間が自分で発露するのではなく、元来から創られていた点(ポイント)が発現するに過ぎません。
 
そこで、こういう心理的な点と点との繋がり方に着目すると、その選択は私たち各々の精神が持っている特性に影響されていることがわかります。
 
私たち人間や私たち日本人は倫理観を持っています。そして、それは幼少の頃から生まれ落ちた環境によって育まれてきたわけですが、私たち人間や私たち日本人が持つべき良心には人種や民族を超越した共通点があるんですよね。
 
例えば、悪いかどうかの判断です。
 
○○は悪い…、万引きは悪い…、これは倫理の基本の一つですね。
 
 
A君が万引きした、B君も万引きした、という状況においては、A君もB君も悪い…というのが日本人が教育されてきた倫理観ですし、それは神様が私たち人間に与えた判断力に従って考えてみれば、当然のことです。
 
しかし、現代の日本人の魂では、この常識が通用しません。
 
A君が悪いと言われたら、B君だって悪いじゃないか!…と反論し、A君だけが悪いわけではない!とか、B君の方が悪いじゃないか!という論法が通用するんですよね。
 
何を言っているか?というと…
 
国有地を近隣の市価の10分の一で払下げしたら「悪」です。しかし、新聞社だってやったじゃないか!と正当化したり、「悪」という判断の矛先を変えたりしようとします。そして、多くの日本人が、そんな論法に賛同する…。どっちも悪なはずなんですけど。
 
これは、A君に好意を抱き、B君に悪意を抱いていることに起因する判断の乱れといえるでしょう。小中学生レベルで習得すべき修身のはずですが、現代日本の教育では、好意を抱くA君に対して依怙贔屓した方が「美しい心」の持ち主ということになります。
 
この状況は、旧日本軍が悪いと言われたら、韓国軍だって悪かったじゃないか!…という論法でも同じですが、汚点を隠せば「美しい心」の持ち主なんでしょうか?
 
これは戦闘か衝突かの判断にしても同様です。
 
稲田法相に好感を持てば依怙贔屓し、稲田法相に嫌悪感を持てばバッシングするにすぎません。本来であれば、感情に左右されず、戦闘と判断するか衝突にすぎないと判断するか明確な判断基準を論考すべきですが、単に依怙贔屓するだけだったり、個人攻撃に終始するだけです。
 
そして、入国制限は是か否かの判断でも同様。
 
入国制限で罪もない人々が自由を奪われたり医療を受けることができなくなろうと、仮想のテロリストを排除することを優先しようとしますし、移民してきた在日韓国人たちと、移民しようとする中東人たちとを、区別して論考することができないわけです。
 
様々な判断を、どんなポイントが左右しているのか?、それは正しいのか?、小中学生の修身のレベルから見直さなければ、ほんものの日本人の美しい心は取り戻せないような気がします。
 
うさぎ
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アプリオリとは、経験的認識に先立つ先天的、自明的な認識や概念。生まれてからの経験的な認識に先立つ、先天的、超越的、直観的な理解(認識)や概念の構造。

 

これは、信じる、向上する、探求する、憶える、考える…といった人間の脳の基本的な機能とも言えるだろう。愛する、怒る、蔑む、守る、疑う…といった認識や概念も同様と言えよう。

 

人間が積み上げる屁理屈以前の、根源的で純粋な認識であり直観的に作動する状況と言えるかもしれない。理性の前の本能的な野性であり、地球上に存在する生命体の作動法則、基本的な型(パターン)ともいえる。

 

愛すると、猜疑心が生じたり、嫉妬したりする…といった連続的な繋がり、流れを指すとも考えられる。

 

こういった人間の精神が、その深層に内包している様々な認識や概念、すなわち脳の中に存在しているモジュールに関して鋭く問いかけた映画を見てきました。

 
 
いまは亡きSF作家、伊藤計劃氏の処女作を映画化したものです。
 
『ぼくたちは彼が計劃した世界を生きる』
 
 
伊藤計劃氏の3作品を映画化するプロジェクトの最後の作品で、屍者の帝国、ハーモニーに続いて映画化されました。
 
 
虐殺シーンと殺戮シーンが続くR15+指定の衝撃作ですが、その内容は、人間の精神に潜む闇を暴露しています。
 
この映画のテーマを一言でいうと、人間は、私たちの脳の中に地獄を生まれながら組み込まれている…、私たちは平然と他人を虐殺するモジュール(器官)を持って生まれてきた…、ということです。

 

映画の中では、このシステムを生得的深層文法と呼んでいましたが、学問的に正確に記すとすれば、チョムスキーが唱えた私たちの精神の深層に潜む生得的普遍文法と呼ぶべきかもしれません。

 

この作品や映画…、伊藤さんは、おそらくアメリカ人に観てほしかったんでしょうね。主人公はアメリカ人に設定してあり、いま正に難民が脱出してくる世界各地の発展途上国に広がる紛争地帯が舞台です。

 

私たち人間の脳は、ある一定の普遍文法を組み込まれると、何の躊躇もなく平然と殺戮と虐殺を始める…というSF作品ですが、実際に、世界中で虐殺と殺戮は発生していますし、SFでも何でもない真の現実であることが恐ろしいこと。。。

 

では、どんな呪文や詔を唱えたら、私たち人間は平然と殺戮や虐殺を始めるのでしょうか?

 

その答えは…

 

人間が抱く正義であり、人間が担う職務であり、人間が権利だと高らかに掲げる自衛、です。

 

そして、この映画を観て想うことは、この虐殺器官を人間の脳の中に発動(発言)させるまでの【普遍文法】は確実に存在している…ということでした。

 

そして、自ら進んで、そこに突入していきます。

 

では、どんな風にモジュールを繋ぎ合わせたら、人間の虐殺器官は発動するのか?

 

この映画、一見の価値があります。興味がわいた方は、是非ご覧ください。

 

うさぎ

 

 

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