クラスタ民主主義システム研究室

☆学習とディベート☆ ☆ネットワークデモクラシーを夢みて☆ 
☆教育ディベートを推進しよう☆ ☆「complex system」で思考してみよう☆「ネットワークデモクラシー(Demoex)研究室」からタイトル改題しました。 


テーマ:

今年のドラマで一番の作品は、通称「逃げ恥」だと思う。このドラマに主演し主題歌も歌う星野源さん、彼は才能あふれた天才肌なんでしょうね。

 

 

映像、音楽、歌詞、ダンス…、脳の中に記憶として刻み込まれていく…。今の世の中、このドラマ「逃げ恥」の中の平匡さんのような男性が増えているんだと思う。真面目だが奥手で、恋愛に憧れるけど失敗(ミスマッチ)が怖く、恋のやり取りが面倒だから独身で構わない…と考えている。うちの次男もそんな感じなので、うちのカミさんと、このドラマの中の契約結婚は、現代にマッチした仕組みかもしれないと話している。先ずは、パートタイマーとして、妻の役割や夫の役割を担い、互いの相性を見てみる…というシステムは、結婚前の同棲や見合い結婚より合理的ではないだろうか。

 

ドラマ「逃げ恥」は、今年ナンバーワンの映画「君の名は。」とともに、日本の恋愛観に多大なる影響を与えることは間違いないだろうし、これから若者たちの結婚が増えていくかもしれないと思う。どんな形にせよ、ある人間と、ある人間との相性が、上手く成功(マッチ)していく助けになる、精神的シンクロを試すシステムにはニーズがあるに違いない。

 

さて、話しは変わるが、上記の文章には、いくつかのキーワードがある。

 

記憶(≒象素)、精神、成功(マッチ)、失敗(ミスマッチ)、相性、シンクロ…

 

この辺りの状況は、おそらく汎用性があるにちがいない。今日、NTTレゾナント株式会社が「教えて!goo」 の恋愛相談にAIを導入したニュースが流れていた。この恋愛相談では、様々な質問に対してAI(AI名:オシエル)が答えた回答が、一般参加者たちのアンサーに勝り、ベストアンサーとして一番多く選ばれていたんだそうだ。キーワードに対して、どんな返答を選べば、人間は納得し満足するのか?…、それを数学的に解析・計算し、AIを使って答えを導き出すことが可能になっている。もう、この流れを止めることはできないだろう。

 

突き詰めていけば、人間の精神は、言葉(≒文章、≒記憶、≒象素、≒象徴)の組合せでしかない。ドラマ「逃げ恥」の主題歌『恋』に対する人々の反応が、この世の精神の有り様を明らかにしていく…。 とても面白い。

 

人工知能のような立場から思考した人間の精神の有り様は、実に、面白いだろうと思う。

 

例えば、安倍さんを卑下したり、蓮舫さんを卑下したりしたいときは、アベとか、レンホーとか、呼び捨てにする。人間の権利が大切だと言っている人々なのに「アベ」と呼び捨てにしたり「チョビ髭」を書き込んでバカにしたりしては仲間で盛り上がっている。その対極の人々も「日本の美しいこころが大切」などと言っていても「日本が最高、中韓は最低」と他者を排斥したり見下したりすることで盛り上がっている。左へ行こうが、右へ行こうが、いずれも一周廻って同じ立ち位置の愚かな精神へと沈んでいく…。

 

やっていることは『責難』でしかない。

 

やーい!、○○菌!と虐めるのも、ヤーイ!アベ!とかヤーイ!レンホー!とか蔑むのも、排他・排斥して個人攻撃する単なるイジメ行為と同じ精神レベルで、攻撃対象を限定・共有し仲間内で吊し上げて歓喜する小学生レベルの愚かさで、そこに賢さはない。

 

そして、そんな愚かしい状況を目の当たりにしても、多くの人々は、(小学校時代に身近のイジメを見逃していたように)、注意するようなことはしない…、仲間だから見て見ぬふりをする保身の立ち位置に我が身を置く…、正に、日本人は三つ子の魂百までだ。こうしてイジメ構造は永遠に輪廻していく。

 

先日、「責難は成事にあらず」という言葉を教えてもらいました。(十二国記)

 

これは「失敗に学ぶ」という組織の基本にも通じていることでしょう。非を責めたり、難癖つけたり、否定したりしても、何の役にも立たない。安倍政権を批判する際に安倍さんを叩いても社会を改善することはできませんし、民進党を批判するために蓮舫党首を吊るし上げても政治を良くすることはできません。安倍さんや蓮舫さんの首を獲っても、高齢化問題や少子化対策や基地問題が解決できるわけではなく、個々の政治課題や政策について是々非々に改善していかなければ、事が前進することはないのです。

 

失敗や過誤を糾弾するのではなく、失敗や過誤に至った原因を突き止め、改善するべき!

 

それが本来あるべき、日本の心、大和魂の有り様でしょう。

 

責めたり、難癖つけたり、バカにしたり、揶揄したり、悪魔狩りしたり…、そんなことを繰り返していても、現状を変えていくことはできませんし、幸せはやってきません。

 

これは、夫婦でも、二人でも、一人でも、同じです。

 

夫婦を超えてゆけ

二人を超えてゆけ

一人を超えてゆけ

星野源 恋 歌詞

 

素晴らしい歌詞ですよね。

 

 

人間のあるべき精神の賢愚、善悪、正誤…、そこには目指すべき『道(型)』がありますし、その道を歩むための羅針盤としてAI(人工知能)がカウンセリングしてくれる時代が、間もなくやってくるでしょう。なぜなら、網羅し解析評価する能力では、人間より人工知能の方が賢くなるからです。

 

うさぎ

AD
いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)

テーマ:

人間に、賢者と愚者がいるのは、宿命ですね。

 

二人いれば、どちらかが賢く、どちらかが愚か。

 

でも、それは基準による…、基準によって、どちらが賢いかが、入れ替わることもある。

 

しかし、どうやっても賢愚が入れ替わらないレベル差もある…。

 

私がどんなに逆立ちしても、賢者にはかなわない。

 

即ち 「上知と下愚とは移らず」 論語‐陽貨

 

最上の知者は悪い境遇にあっても堕落せず、最下の愚者は、どんなによい境遇にあっても向上しない。生まれつき賢い者、また、生まれつき愚かな者はあとからの教育や環境で変わらない。

 

10人集まれば、どうしたって、人間には賢愚と優劣が生じ、階層化が始まる…。誰かがリーダーになり、それに誰かが従い、誰かが集団から飛び出し、誰かが集団からはじき出される…、それが生命の宿命であり、人間も例外ではありません。

 

したがって、人間には「主従」が必要。

 

人間の全てが自活し自営できるわけではありません。

 

人間は社会を営む動物ですから、人間には必ず組織が必要で、組織に属して仲間を守り仲間に守ってもらうことで安泰に過ごすことができるのです。

 

そんなわけで、個人だけではなく、人間が集まった集団にも、賢愚が生じます。

 

10人が集まった集団Aと、別の10人が集まった集団Bとでは、どちらが賢く、どちらが愚かか?というと、集団Aと集団Bを比較したら、いずれかが賢く、いずれかが愚か…。

 

集団においても、基準によって賢愚が違うことがありますが、それでも賢愚から逃れることはできません。

 

 

 

では、こうした個人の間の賢愚と、集団における賢愚とは、どんな関係になっているのか?

 

集団Aのメンバーは、a1、a2、a3、・・・・・・a9、a10。

 

集団Bのメンバーは、b1、b2、b3、・・・・・・b9、b10。   とします。

 

集団Aと集団Bとの賢愚は、それぞれのリーダー層の賢愚に左右されるでしょう。

 

また、集団Aが集団Bより賢いからといって、メンバー「a1」の方がメンバー「b3」より賢いとは限りません。

 

さらに、メンバー「a2」の方がメンバー「b4」より愚かだからといって、集団Aの方が集団Bより愚かだとは限らない…。

 

この論理を理解している賢者は『メンバー「b」が愚かだから集団Bが愚かだ』とは考えません。

 

つまり、賢者なら、一人の日本人が愚かだから日本人は愚かだとか、愚かな韓国人の一例によって、だから韓国人は愚かだ…とは考えないわけです。

 

賢者はいずこでも賢者であり、愚者はいずこでも愚者なわけで、集団の賢愚は、その集団が賢者をリーダーに担ぎ上げることができるかどうか?で左右される…。

 

 

ある集団を、その集団を構成する素粒子で論考することができるか?

 

因数分解して、因子で考えてみることをしなければ、見えない世界があります。

 

 

 

 

愚者は己れが賢いと考えるが、賢者は己れが愚かなことを知る。(シェイクスピア)

 

我々は賢いと考える者は愚者であり、我々は愚かだと知るものが賢者。

 

そして、彼らも賢いと考える者が賢者であり、彼らが愚かだと考えるものが愚者。

 

日本人は、賢いのか、愚かなのか…

 

中国人は?…、韓国人は?…

 

その答えがわかる人は、どれだけいるのでしょう…。

 

同様のことは、自民党という集団でも、民進党という集団でも、同じことかと。

 

うさぎ

 

AD
いいね!した人  |  コメント(6)  |  リブログ(0)

テーマ:

中国語には「象素」という言葉があることを知りました、意味は、イメージ要素、画素、絵素、ピクセル。この「象素」はイメージの素因とか因子といったイメージで良さそうです。

 

日本語には「象限」という言葉があり、平面や円を四分の一に区切る意味。つまり、象を区切るもとであり、象を境するイメージに相当すると言えます。

 

前回の記事で善悪の判断に関して論じましたが、これは「事象」に対して善か悪かの境界線を引く行為と言うことができます。善か悪かの判断は、実は二対ではなく連続体であり、その連続体のどの辺りに境界を引くのか?を思考しているのですが、脳の論考は対構造になっているため、対構造の思考パターンを超越できない場合が多いのでしょう…。

 

 

善し悪し、正誤、好き嫌い、有り無し…といった、様々なことを判断するということは、二対のいずれかを選ぶのではなく、対極連続体の何処かに「境界」を引くことだと理解しておくことが大切です。

 

例えば、戦争で虐殺を考える時には、虐殺があったか?なかったか?ではなく、1人の虐殺から100万人の虐殺までの連続体の中の、何処に「境界」を引くか?という論考になっている。

 

100人で有ったとするか…、1万人であったとするか…、そう論じ合うべきところを、人間は自分の都合がよいように考えてしまい、確証バイアスに陥っていく習性から逃れることができない。

 

この「対極連続体」を正しくイメージしておかなければ、正しく論考することはできない。

 

日本でも一昔前に安倍首相の顔にチョビ髭を書き込んで揶揄する画像がネット上に出回っていたが、最近、同様の蝋人形が中国で登場し、中国版ツイッター「微博」で話題になっている。

 

微博より

 

中国では、こんな像をつくり誰かを揶揄して溜飲が下げているとは、中国人として恥ずかしい という論調がネット上では主流になっているんだとか…。正にそのとおりで、こんな下衆な行為は日本の子供たちのイジメ社会における精神構造そのものであり、子供たちが黒板に落書きしてイジメているレベルでしかありません…。私たち日本人も「恥ずかしいこと」と自覚していたいものです。

 

どの象限から見るか…、論考する際には「視点」が大切であり、誰かを卑下して盛り上がっているようでは、日本の社会が劣化していると言わざるをえません。もちろん、安倍首相だけではなく、蓮舫党首を卑下するような行為も、厳に慎むべきです。そうでなければ、子供たちの模範となり、日本から虐めを無くしていくことなどできません。

 

私たちは、どうしても、安倍さんは悪…といった単一なイメージしか脳に思い描くことができませんが、実は、安倍さんも蓮舫さんも善悪の対極連続体なわけです。善いところもあれば、悪いところもある…。

 

つまり、一つの象素には、様々なイメージが実在しており、安倍さんにしても、蓮舫さんにしても、善と悪とが共存していることを忘れてはいけない…、これは人間が持つべき徳の一つであり、私たち大人が身をもって子供たちの模範にならないかぎり、私たちが暮らす社会を改善していくことはできません。

 

人は善と悪とを内包しており、この善(表)と悪(裏)との境には、いずれでもない合がある…

 

 

象素というものは、一色に思えても、の三つが共存しているもの。

 

同じように、善一色に思えても、善、悪、合の三つが共存しているものとわかっていれば、裏切られて落胆することもなくなる…。

 

この世の万物は単一ではなく素粒子に分かれているという認識は、全ての論考に通じる普遍的なものに違いありません。

 

うさぎ

 

AD
いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。