日本では、どこで合意形成が成されているのだろうと時々考える。
本来は国会議員が国会で担うべき作業のはずであるが、政権与党の民主党では党内での合意形成が行われない状態が常態化している。代表例は、言うまでもなく消費税増税論議であろう。
消費税増税に関しては政府内で合意されている。では、政府内の何処で合意形成が行われているのだろうか…
政府内では、検討会、審議会、諮問会議といった会議組織で合意形成が行われている。元来、こうした政府内の会議では、国民の代表に集まってもらい議論していることになっているわけだが、現実は違っている。
先日行われた関西電力大飯原発3、4号機のストレステストに関する審議会でも、原発反対派の委員は欠席したまま会議が開催されたし、日頃の会議でも事務方が用意したシナリオ通りに議事進行されるだけだという話を良く耳にする。会議で議論したという既成事実を積み上げるためだけに政府内の会議は行われているのである。
つまり、官僚が描いた合意の通りに審議会が結論を出し、政府内の合意となっていく。
国会議員が行う国会も専門家が行う審議会も、国民の声を集約して合意形成することは無い。つまり、日本には日本人が合意形成するための組織が無い。さらに言うならば、日本人には対話によって合意形成する習慣が無いのであろう。
日本では、国会議員でも専門家でも、議論し判断して合意形成することができない。これは今始まったことではなく、日本の近代史では常に官僚機構内だけで合意形成が成されてきたわけで、「全てはお上のお達しの通り」と諦めに近い風潮が官僚以外の国民には蔓延してきたのである。
お上の決めた事に疑問を持たないように、日本の教育では議論し合意形成する過程を教えないのではないかと私は思ってしまう。日本教育の過ちによって、日本人は必要十分な議論無しに多数決で決めても服従し、徹底的に話し合って決める習慣がないのかもしれない。
徹底的に話し合わない慣習は、会議の時間制限にも現れている。国会議員は質問の持ち時間が10分、30分と制限されて、質問者がくるくると変わる。そして、その場のみ凌げば議論は終わってしまう。ダルビッシュ有の移籍交渉ですら19時間も続けられたし、COP会議は会期末を過ぎても続けられたのだから、本来なら合意形成のためには時間に限りが無くてもよいはずである。
そんな日本だから、日本人は普通に話しても合意に至らない…
日本国民は、国会議員や審議会の専門家を非難することが多いが、非難する国民たちですら、合意形成は出来ないし、合意形成する気も無いのである。
マスコミも同様である。代表的な政治番組である「朝まで生テレビ」や「TVタックル」でも、ただ無駄に議論を続けて対立を見て楽しむだけで番組は終わる。日本人にとって、議論とは対立することであり、議論は合意形成するために行うものではないのである。
そんなテレビ番組ばかり見ている日本人だから、多くの日本国民にも相手の意見に耳を傾け合意形成しようという意識はない。国民も、議員も、政党も、日本中が自己主張を繰り返すばかりなのである。
こんな現状では、いつまで経っても、日本に夜明けは来ない。
日本が夜明けを迎えるためには、国会議員や専門家や国民や選挙に期待するのは止めて、まずは根気よく話し合い、相手の話に兎のように耳を傾け、合意形成を目指すことから始めるべきではないだろうか。
多数決や選挙は、民主主義の根幹ではないのである。
デモクラシーの根幹は、正しい情報や知識に基いた対話による合意を目指すことなのだから。
そして、電子ネットワーク社会でイノベーションが進めば、国家議員や専門家でなくても、一般市民が正しい情報や知識を持ち寄って民主主義的な合意に至ることは可能であり、国会や政府でなくても国の指針を構築することが可能なはずである。