ある「心理士」の独白(あるウェブログより・2005年8月9日) | キーサン日記

ある「心理士」の独白(あるウェブログより・2005年8月9日)

 このブログの「心理士」(管理人)は個人的に知っているが、あえて名前は出さず、URLも今は出さないでおく。正直、俺は怒っている。
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2005年08月09日
必要なふたつのこと
国家資格化実現のためには、「心理職がひとつにまとまること」「心理職と医師や他職種との意見が一致すること」の二つが必要だと思う。

「医療心理師」国家資格化に向かって、15年に渡って厚生労働省や、今回の議員連に対して、当事者団体として運動を続けてきた全心協は、今年になって、ようやくその存在を、多数の心理職、関係者に知られるようになった。会員数が急激に増えて、500名を超えたと聞いている。

全心協が国家資格化を要望する理由は、そのホームページで明らかなように、「国家資格がないと、この先、心理職が医療機関で職を失う」という危機感による。医療機関で、利用者に直接治療的な行為を行っている職種のうち、現在もまだ国家資格がないのは、心理職のみである。特に、精神医療では、保険点数が取れる作業療法士の雇用が確保されているのに比べて、心理職は、点数に結びつかない「不採算部門」として、大変肩身が狭い。他のパラメディカルと同様に、国家資格化して、保険点数や配置基準に結びつけ、医療機関での心理職の雇用の安定をはかりたい。それが、全心協が運動してきた大きい理由であると思う。全心協の発想は、労働運動のようなところがあると思う。

もう一方の当事者団体である臨床心理士会・関連諸団体は、心理職と、それに何十倍する「心理職をやってみたい学生その他」を抱えていて、アカデミックな指向性を持っている。国家資格に関しては、「医師と対等」「横断資格」「大学院卒」という3本柱をずっと掲げてきた。全心協に集まった当事者たちから見れば、臨床心理士会の主張は、医師諸団体の賛同を得られない案であり、臨床心理士会に任せていては、国家資格そのものができそうになかった。国家資格がないと職場そのものを失うかもしれないとう危機感があって、独自に作った当事者団体が全心協である。こうして、医師諸団体に対する立場の違いによって、心理職の当自者団体が2分されることになった。

全心協は、医師諸団体と折り合っているが、人数が少なく、臨床心理士会は、人数が多いが、医師諸団体と折り合わない。その構図のまま15年も経過した。そして、先月末の「見送り」も、まさにその構図のために生じたことだった。人間関係を調整するプロ集団である心理職をもってしても、この構図を解決するのは非常に困難?なのだろうか、、、

国家資格化実現のためには、「心理職をひとつにする」「医師、その他職種の賛同を得られる」ことが必要である。それは、本当にそんなに難しいことなんだろうか。もしかすると、私たちは、とても単純なところでつまづいてしまっているのかもしれない。


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 彼女(この「心理士」)は、「心理職の国家資格化」を強力に押し進める「活動家」になりはててしまったようだが、もはや度し難いといえよう。

 そもそも、彼女の言う「心理(学的)援助」というものは何を指しているのか。彼女に言わせれば「心理学の専門家」「心理技術者の専門的援助」ということだが、それは何を指しているのか。それはまた患者・「病」者を「専門家」の名のもとに服従させ・操作し・抑圧することではないのか?
 俺に言わせれば、むしろ現実のいろんな(そして悲惨な)状況を個人的な「心理(学)」に還元しようとする心理職の「心理学主義」に非常に危険なものを感じる。そして、それは「病」者の《想い》や《キバ》を抜くものになり、今度の「医療観察法」の「専門治療」でも活用されることになるだろう。そして、「国家資格」になればそれを大いばりでできるようになるだろう。こんなことも彼女には想像できないのか?

 百歩譲って「心理援助」というものを認めるとしても、どうしてそのために「国家」から「お墨付き」を得なければならないのか?このようなことは、全家連・日精協などの「敵」が強力に押し進めていることでもある。彼女に対しては2004年の暮れに前進友の会に来てもらったとき、強くそのことを糾弾し伝えたはずだが、彼女には伝わらなかったのか。非常に残念だ。


  皿澤 剛