08年2月末、郷里の富山在住となった国見弥一の何でも日記サイトです。日記、エッセイ、レポート、俳句や川柳を含めた創作を日々、載せて行きます。興味を惹いた事柄はネット検索などを使って大よそのことをメモ! 守備範囲は、富山情報は無論のこと、音楽に書評に絵画にダンスに街並み探索にと可能な限り広く!

本館(ホームページ)  折り句短歌二首 ?? 弥一&瑠奈)  


1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>

夢のない夢を見る

2009-11-21 00:50:00 テーマ:ブログ

おかゆの作り方から始めます 」にて、場合によっては最後の入院になるかも、との懸念もあった(主治医にそう警告されていた)入院生活を終え、母は自宅療養へ、などと書いた。
 その自宅療養、まだ、三日目なのだが、小生はヘトヘト。


2009_1120071003tonai0015

→ リクライニング機能のある車椅子を用意。



 朝は八時前に母にインシュリンの注射。
 その前に、朝食の準備。温めるだけにしておく。
 インシュリンを打つには、ベッドに寝ている母のベッドの上半身を電動機能を使って起こしておく。


 お茶を煎れ、父母の分の朝食を配膳し(…その前に食事の際、ちょっと不自由な手なので、ご飯やオカズを零す可能性があるので、前掛けをさせておく)、テーブルに並べ、朝食後に服用する父母らの薬を用意し、父母らが食べている間に、小生は大急ぎでご飯を済ます。
 
 食後、ヘルパーさんが来るので、その時間までに母(父はゆっくり食べる)や小生が食べ終えておかないといけない。
 というのも、九時過ぎにはデイサービスの方が母を迎えに来るので、その前にヘルパーさんが着替えや下(しも)の世話などを済ませる必要があるからである。食後の食器類の片付けも含めて済ませる。
 母がデイサービスへ持参するタオルや着替え、手帳、オムツなどの入ったバッグを用意する。


 ちょうど同じ日に、燃えるゴミの日なので、父母の寝室など家中のゴミを集めて回って45リットルのポリ袋に詰めて、所定の場所に出す。



 今日は、20リットル入れの灯油容器4個の灯油がほぼ消費し終わったので、縁側の石段に置いてあるドラム缶からポリ容器への移し変え、なんて仕事が発生する。
 これが案外と一仕事だったりする。


 午前には、洗濯、父の用事で外出(銀行で貯金を解約する。親の貯金を取り崩して入院の費用や介護用品を買っている)、回診してくれる主治医の医院へ入院していた病院からの紹介状を届けたり、血糖値を測る器具を借り受けたりする。


 父は体の具合が悪いというので、本来はデイサービスの日なのだが、休んでしまった。
 ということは、父の世話をしないといけない。
 父の要望で、父の好きなバターパンなどを買ってくる。


 オムツがなくなったので、オムツや尿漏れパッドなどなどを買ってくる。
 帰って来て、やっとお茶で一服できるかと思ったら、デイサービス施設から電話。
 お昼に母が食後に飲む薬がバッグに見当たらない、だって。
 慌てて小雨混じりの中、デイサービスへ。


 外出は、よほどの雨でない限り、自転車を使う。



 自宅周辺の道路は、側溝や路肩の工事で当分、渋滞が続く見込みなのだ。

 なんだかんだあって、朝方までアルバイトして、帰宅して仮眠を取るはずが、午前中は昨日に続き、全く眠る暇がない。


 午後、部屋に篭り、一時間ほど仮眠。
 もう、何もしたくない! 邪魔されたくない!


2009_1120071003tonai0018

← 母のために用意した電動ベッド。病院でも寝たきりだったが、自宅でも寝たきり。日中は、障子戸の隣りの小部屋のカーテンを開けて、少しは明るくするが、母には光は届かないのか。父も同じ部屋なので、ストーブもだが、テレビも点けっ放し。父は母の話し相手…愚痴の聞き役になっている?



 昨日も、母の自宅療養のための買物(汚物用のバケツや雑巾を洗うためのバケツなどなど)やら母のベッドのためのシーツ(パッド)などを買うため、自転車や車で走り回り、午後になってやっと仮眠を取れたものだった。
 それも、親戚筋の者が来てくれて、昼食を作ってくれたり、父母の相手をしてくれたので、多少なりとも仮眠を取れた次第だったのである。


 午後も、方々との連絡やらで電話を架けたり架かってきたりで、気が休まらない。
 場合によっては、母の療養のための入院もありうるので、なかなか空きがなこともあるので、その申し込みも早めにと、当該の係員に連絡。


 そのうち、母がデイサービスから戻ってくる。

 このデイサービスへの送迎が一仕事である。


 というのも、母のための車椅子は(首が据わらないと母には危険なので)背凭れが高い仕様のもので、結構、大型だし、我が家の玄関は段差が相当にある。
 なので、玄関から廊下へとスロープを渡す必要がある。
 カーボンファイバーのスロープを業者から借り受けてあるのだが、その設置は小生の役目なのである。
 当然、片付けも小生。
 なので、送り出す際もだが、出迎える際も、寝過ごすわけにも、不在にもなれない。
 

 夕食も、朝食同様、インシュリンの注射から始まって(昼食の前には血糖値を測定する)、食事の準備、片付け、その前に、デイサービス(での入浴)やヘルパーさんの介護の際に出た衣類の洗濯を済ませておく(翌日でもよさそうだが、翌日は翌日であれこれと洗濯物が出てくるのだ)。
 慌しい一日が、一応でもホッとできるのは、夜…、かと思いきや、夜もヘルパーさんに来てもらう。
 実際の介護はヘルパーさんにお願いするとしても、バケツや手拭いやお湯、そのほかの用意は怠らないように確かめておかないといけない。


 戸締りも大事。
 夜、ヘルパーさんが来る…ということは、ヘルパーさんが帰ったあと、戸締りをする必要があるのだ。



 真夜中も、これまでの経験からして、いつ、父母の声が掛かるか、分からない。



 寝てしまえば、もう、どうでもいいようなものだが、時折、夢の中にまで現実のあれこれが闖入してくる。
 目覚めて、ああ、夢だったのかと思うのだが、ああ、でも、夢と現実がスライドしているな、なんてわけの分からない感懐を抱いたりする。


 夢さえ、夢のない夢なのである。



2009_1120071003tonai0020

→ 北陸(富山)は、寒気もあって曇天の日が続く。束の間の雨上がりの中、ドラム缶の灯油をポリ容器に移すなど、外仕事。



 まあ、今日はまだ、母の自宅療養生活が始まって通算して三日目。
 まだまだ思いも寄らない雑事が生じるのも仕方ないのだろう。


 今の生活が軌道に乗ったら、少しは余裕ができるのだろうか。


 そう、期待していいのだろうか。 


                                   (09/11/20 作)


我がタクシードライバー時代の事件簿(4)

2009-11-20 00:50:00 テーマ:タクシーエッセイ・レポート

タクシーと忘れ物(お彼岸篇)


 ある年のお彼岸の日に、とんでもない忘れ物があった。
 その日は、祭日で、天気は晴れていたのだが、通常は営業的には暇なはず。
 が、お彼岸は、お墓参りの方が多く、日中に限っては忙しい。


Ygikzehkb

← 「月はどっちに出ている 」(監督:崔洋一 出演者:岸谷五朗/ルビー・モレノ/絵沢萠子)



 昼過ぎだったか、とある駅でお乗せした年輩の方と若い方との二人連れのお婦人方を、基本料金で行ける場所にあるお寺へ。

 二人をそのお寺で下す。無論、忘れ物はございませんか、と声を掛けた。


 そして、小生は次の営業へと車を走らせた。

 すると、すぐに別のお客さんが乗ってくれた。
 嬉しい。
 お客さんが連続するなど、近頃ないことなので、嬉しい。どうやら、そのお客さんもお墓参りの方のようだ。



 が、その喜びは束の間のものだった。お客さんの一言で、一気に暗転したのである。
「あの、忘れ物、ありますよ」だって。



 お客さんがその品物を料金を乗せるトレーに載せた。
 走行中なので、ちらっと見ると、それは、仏事用包装された箱と、その表の包み紙の合わせ目に御供物料でも入っているのだろうか、熨斗袋が挟まっている。

 なんてこった! よりによって、こんなものを忘れるなんて、でも、オレは、お客さんが降りた時に声を掛けなかったっけ? 降りた際に後部座席は見たよな?! ああ、でも、忘れ物があるのは厳然たる事実。小生の頭の中は、真っ白。

 …ああ、でも、あとに続いた方が正直なお客さんでよかった、など、いろんな思いが交錯する。



 とにかく、今、お乗せしているお客さんを目的地までお届けすることに、頭の中を集中させる。余計なことを考えると事故の元だ。
 目的地で無事、降りていただくと、車を回送にする。
 大急ぎで、先ほどのお寺に戻る。きっと、今すぐだったら、まだお寺に二人はいるはずだろうから。
 幸い、お寺に戻るまでに十数分だったろうし。


 非常灯を点滅させて車を路肩に止め、お寺の境内へ。


 墓地には墓石をきれいに洗っていたり、周りも掃除したりしている方が、ポツポツと散見される。花や線香をお供えしている方もいる。手桶から水をすくい、墓石の上からかけて合掌礼拝するわけである。
 中には、水ではなく、お酒を墓石の上から掛ける人もいるというが、その日は、お酒の匂いはしなかったような。

 さて、小生、お寺の本堂というか、受付に足を向ける。先ほどの二人がいないかと探しながら。受付の女性に、二人連れの御婦人の方、見受けませんでしたかと訊く。
 墓地の方へいらっしゃいましたよ、との返事。


 小生、仏事用包装された箱(熨斗袋付き)を小脇に抱え、墓地の方へ。受け付けに行く前に眺め渡した限りは、二人の姿を見受けなかったのだが、もう一度、墓地の中を歩き回って探すことに。
 二人の姿は見えない。尤も、数人の墓参の方々の中に二人が紛れ込んでしまった可能性もある。さっきの二人連れの姿格好は、どうだったっけ。


 小生、お客さんのプライバシーということで、原則、運転中もそうだが、降りる際にも、あまりジロジロ、お客さんを見たりはしない。鞄など持物には忘れ物防止対策上、注意するが。
 なので、二人の顔や、まして服装など、はっきりしない。


 そもそも、無骨な小生のこと、女性のファッションなど眼中にない。一日、一緒にいても、さて、その日の相手の服装の色は、スーツだったかラフな格好だったか、イヤリングは、髪型は、顔は、化粧は、靴は…、と思い返しても、そのどれにも自信を持っては即答できない。これは、自信を持って断言できる。

 小生、段々、不安になってきた。


 目当ての二人は、あの集団の中の婦人達ではないのか…。
 そういう目で見ると、そのようにも思えてくる。声を掛けて、訊いてみようか。でも、なんとなく違う気がするし。先方も、冴えない中年男に関心など持っていないようだ。忘れ物のことには、さすがにもう気付いているはずだから、小生が小脇に抱えている箱を見れば、ああ、あれ! という表情に変わるはずだし。


 墓地では、それらしい二人連れが見当たらないので、もう一度、受け付けに戻って、中を覗いて回ったり、それでもダメなので、仕方なくタクシーの方へ戻ろうとした。車の中で待っていたら、そのうち、寺の門から二人が出てくるはずだ、それを待っていよう、と思ったわけである。


 で、受付から門へ向かって歩いていったら、ちょうど、門から入って来る御婦人の二人連れに遭遇。どうやら、二人は、タクシーの方からお寺に戻ってきたようなのである。

 二人は、あ! という顔をした。表情がパッと明るくなった。


 小生、あの、先ほどのお客さんですよね、と声を掛ける。

 二人も、頷いて、そうですと答え、忘れ物しちゃって…。
 で、小生、念のためもあり、箱の上の熨斗袋に記入してある名前を御婦人に尋ねた。帰って来た名前は、ちゃんと合っている。
 当然だが。


 万が一にも、別の人に忘れ物を渡しては、恥の上塗り以上の失態である。


 携帯電話も、渡す際には、電話の色を訊いたり、電話にもう一度、架けてもらったりして、相手の確認をする。当然のプロセスだろう。

 箱を渡すと、年輩の方のご婦人は、そこは年の功というのだろうか、熨斗袋の中身をさりげなく確認している。こちらとしては幾分、不愉快だが、それも、当然のプロセスだから、理解できる。


 中身は、推して知るベシだろう。箱の中身は、軽かったので、煎餅か海苔か、なんて、余計な詮索はしなくてもいいだろう。


 小生、仕事も続けたいし、急ごうとしたら、ご婦人は「待っていただけますか」と訊く。「ええ、いいですけど」と答えると、「用事はすぐに済みますので、そしたら駅まで戻りますので、また、乗せてってください」と言う。


 こちらは、何も異存があるはずもない。タクシーを回送から空車にして待機。待つこと数分だったろうか、戻ってこられた。で、また、駅へ。駅までは基本料金で済む距離である。降車の際の支払いの時、お釣りを渡そうとすると、「お釣りは、取っておいてください」という。


 小生は、忘れ物を届けた際、一切、<謝礼>は貰わないことにしている。何故なら、プロのドライバーとして、忘れ物をさせたこちらに不手際があったわけだから、相手が感謝しているのだとしても、貰うのは筋ではないと思うからである。


 でも、お寺から駅までの短い走行の際、「今日は、忘れ物、しちゃって、運が悪い、今日は日が悪い、とんだお彼岸になっちゃったと思ってたけど、届けてもらって、よかった。いい日になりました」などと御婦人は語っていた。その気持ちの現れなのだろうと、その時は受け取ることにした。
 額が大きいと、躊躇うが、あくまで気持ちの範囲に収まるのだし。



 ところで、この話(事実談)には、とんだオチがある。


 間抜けな小生のこと、二人が降車される際に、つい、「お忘れ物、ございませんか」と声を掛けてしまったのだ!


 別に皮肉で言ったわけじゃなく、習慣として言ったに過ぎないのだが、先方様は、どう思われたろうか。


 顔が笑っていたから、そう、きっと結果として微笑ましいエピソードになりました、という気持ちだったに違いないと思いたいのだけど。


                    (2004/11/19 作  09/11/19 一部編集)





関連拙稿:
我がタクシードライバー時代の事件簿(序)
我がタクシードライバー時代の事件簿(1)
我がタクシードライバー時代の事件簿(2)
我がタクシードライバー時代の事件簿(3)

おかゆの作り方から始めます

2009-11-19 00:50:00 テーマ:ブログ

 最後の入院になるかも、などと医者に言われつつの母の入院だったが、治療のための病院(入院)から、療養のための病院に転院し、今日、二ヶ月余りぶりに退院となった。


76129

→ 『新装版 図説 宮沢賢治 』(上田 哲 /関山 房兵/大矢 邦宣 /池野 正樹編 河出書房新社) 図書館の新刊コーナーでこの本を見つける。宮沢賢治とあっては、手にとるしかない。新装版というが、前に読んだ(眺めた)気がするが、忙しくてまともに本を読めない今、せめて宮沢賢治の世界の一端にでも触れたい。今朝未明のアルバイトは、氷雨といったような冷たい雨の降る中での辛い作業だった。風も吹いて、一層、バイクの運転が難しくなったりする。ふと、今頃の岩手はもっと寒さが厳しいだろう、なんて思ったり。そういえば、学生時代は仙台で過ごしたが、十月末の木枯しの酷いほどの冷たさは、今も記憶に鮮明である。岩手はそれ以上の寒さのはずなのだ。「雨ニモマケズ 」を思い出す。賢治の場合、「雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ …」などと続くのだが、小生はただただ、「雨ニモマケズ風ニモマケズ 」を繰り返すのみだった。



 快方に向かっての退院ではなかった。
 基本的に病院ではもう現状を維持する以上の治療の手だてはない、だから、療養(医療)病院で、あるいは介護施設(病院)で長く入院を続けるか、それとも、敢えて退院し自宅での療養に専念するか、のどちらかしか選択肢はなかった。


 九月上旬に入院する際には、手すりに掴まりながらだけれど、何とか、寝室から茶の間へ、あるいはトイレに自分の足で向かえたものが、老人には長すぎる入院生活で、歩くのは絶望的に無理、ベッドで起き上がるのも、ベッドの電動機能で背中(上半身)を起こすことで、やっと可能という状態になった。


 無論、病院ではリハビリはやってくれていたのだけれど、病状がそこまで進行しているという要因が大きく、要は、全体的な衰弱という状態であっては、入院以前の状態に戻るのは期待薄だったわけである。


 本人が当然ながら、退院を希望する。
 我が家には父と母と小生の三人暮らし。
 父は、この度の入院を契機に、もう、基本的にトイレ(の後始末)などの介助(介護)は、できないと吐露していた。
 実際、父自身がもう、自分のことで精一杯である。


 つまりは、母が退院し自宅療養するということは、小生が介護するかどうかの決断に委ねられるわけである。
 ダメ、というわけにはいかない。



 ヘルパーさんや、看護師さん、親戚筋の者たちに大いに(!)助けてもらいながら、母(と父)の介護生活、療養生活が始まることになる。
 いや、もう、本日の午後に退院し、自宅に戻った段階から始まっているわけである。


 母は、三十年ほどの糖尿病との戦いに疲れ果てている。気力は未だあるのだが、体が言うことを利かない。
 九月の入院までは、父(や小生)に見守られ手助けされつつ、母自身が朝、夕と、インシュリンの注射を打っていた。
 昼などに血糖値の数値を測る必要もあるが、これは父が、最近は(入院前までは)小生がやっていた。

 小生は、だから、インシュリンの注射を母に打ったことがない。


 療養のための病院で、退院の日取りが決まった段階で、インシュリン注射の実地講習を受けた。
 週に一度(か二度)は、看護師さんが来てくれるが、昼間だから、血糖値の数値を計る役目(これも注射器を使う)は担ってもらえても、どう考えても、インシュリンの注射は小生がやるしかない。
 なので、真剣に講習を受ける。



 やり方さえ分かれば、なんということはないのだが、朝・夕と毎日、食前に必ずというのがプレッシャーとなる。
 昼間には(少なくとも日中のうちには)、血糖値の測定も食餌前には欠かせない。


 つまりは、朝・昼・晩と、やるべきことをきっちりやらないといけないわけである。


 食事の準備(その間に朝・夕やインシュリン注射、昼間は血糖値の測定(注射))、食事(食膳)を父母の寝室に運ぶ。お茶を煎れたり、あれこれ身の回りの片付け、食後の片付け、洗い物、母は基本的に寝たきりで、食事やお茶を飲む際には、電動ベッドのリモコンを父が操作して、上半身を起き上がらせる。


 それはいいのだが、起き上がったりすると、次に寝かせると、ベッドの上での位置が多少、ずれる。
 父には、母の位置を直すことはできないし、母も自分では位置をずることができない。
 やはり、小生の出番となる。
 母の両脇を抱きかかえて、位置を修正し、枕を宛がう。



 三度の食事(や洗濯、掃除その他の雑用も含め)は小生が作る。
 無論、買物も小生である。
 食事の用意は、帰郷した昨年二月末以来、何を買うか、頭をずっと悩ませてきた。
 自分のためなら、外食でもいいし、面倒ならカップ麺でも全然、構わない。

 しかし、父母には、たまには即席麺で気分転換を計るのはいいとして、普段はやはり、一応は家庭の食事らしいものを準備するのが筋だろう。



 九月の入院前までは、父母と小生は同じメニューだった。
 ただ、父母と小生とは、量は違うだけである。
 それと、アルバイトや家事など肉体労働をするから、小生は間食もする(父も煎餅を食べたり、晩酌をやる)。

 それが、今回の退院に当たって、病院側から(お医者さんから)、オカズはともかく、母のご飯は、お粥にしたほうがいいと言われた。



 お粥!
 雑炊なら作ったことがあるが、実は(多分)、小生はお粥を作ったことがない!
 親戚筋の者に尋ねて、今夕、初めてのお粥作りに挑戦してみた。

 …なんて、大袈裟だが、まあ、なんのことはない、ご飯を二人分、電気炊飯器からよそい、鍋に移し、お湯を注いで、数分、煮て、あとは、茶碗に移して、父母が好きな梅干を加えるだけ。
 尤も、お粥の煮る加減などは、あくまで勘である。
 鍋の中を覗きながら、こんなものかな、というところで、火を止めるだけ。
 父母は、まあまあの出来だと言ってくれたが、本音はどうなのだろう。



 本日のオカズは、味噌汁は当然として、(退院祝いもあって)牛肉(小生、数ヶ月ぶりの牛肉…焼肉である!)と、茹でたアスパラガスと、サンマのミリン焼き、あとは漬物である(デザートにお菓子を出したが、母は食べない)。
 


 さて、ここまで書いてきて、触れることを避けている点のあることに気付く人もいるかもしれない。
 そう、下(しも)の世話である。
 母は入院前までは要介護度3だったが、多分、この十一月の診断で、(結果が分かるのは来月なのだが)要介護度が少なくとも4、場合によっては5の可能性がある。
 となると、介護制度を使ってのサービスのメニューや回数(要は、点数が)も増える。
 ヘルパーさんに日に三度(あるいは、四度)は家に来てもらって、下(しも)の世話などをお願いするが、現実には、それでは足りない。


 下(しも)は、定期的にあるものではないし、追々は小生がオムツの交換をやるしかないと覚悟を決めている。


 ブログでも書いたけれど、実際、既に父が入院していた間は小生が母の世話をしていた。
 母は息子の小生に下(しも)の世話をされるのを随分と嫌がっていた。
 そう、母は、体は弱っているが、頭はハッキリしている。
 口も達者である。
 そのこと自体は、ありがたいことだが、いざ、下(しも)の世話となると、なかなか厄介な事態が待ち受ける。
 どうしても、お互いに不快な思いをしながらの世話になる。


 しかし、自宅療養という在り方を選んだ以上は、乗り越えないといけないことなのだろう。


                                    (09/11/18 作)


1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
powered by Ameba by CyberAgent