このブログ(英語:blog)に御訪問頂き、誠にありがとうございます。
リンクを 貼 らせて頂いております。紫色のブログタイトルをクリック(英語:click)(もしくはタップ[英語:tap])して頂きますと、過去のブログ記事に移行します。(^O^)
「(前略)去る4月16日(日)の『母親の転倒(両親の食事)・2』のブログの中段に、
『(前略)一昨日 すなわち 4月14日(金)の【母親の転倒(両親の食事)】のブログの上段に、
【(前略)去る4月11日(火)の〖母親の容態(両親の食事)〗のブログの上段やや下に、
〖(前略)一昨日の午後8時頃、父親によりますと 母親が たいへんとのことでありました。それで、直ぐに 駆けつけました。(後略)〗と記させて頂きました。そして、昨日の午後6時57分頃も、父親によりますと 母親が 転んで たいへんとのことでありました。119番に電話して 救急車を呼ぶ とのことでありました。それで、直ぐに 駆けつけました。すると、父親が夕食を摂取っている前で 母親が 椅子に座っていて 立ち上がるときに 足が 縺れた とのことでした。因みに、前述の 去る4月11日(火)の〖母親の容態(両親の食事)〗のブログの上段やや下に、
〖(前略)一昨々日 すなわち 4月7日(金)の〔両親の食事、洗濯 そして 入浴・5〕のブログの中段やや上に、〔(前略)昨日 すなわち 4月6日(木)の〘母親の転倒〙のブログの下段に、〘(前略)様子を見ております。(後略)〙と記させて頂きました。転んだ際には、足も 縺れたそうです。(後略)〕と記させて頂きました。また、転んだのか と思われました。母親は、この数年間で 既に 6回も転んでいます。なお、去る8月20日(土)の〔資源回収・続報12(母親の血圧)〕のブログの上段に、
〔(前略)それで、話し合って、夜間 トイレに行くときは 寝床から近くですので、赤ちゃんのハイハイのように 這って行くように とのことに致しました。(後略)〕と記させて頂きました。すなわち、以前から、母親との話では トイレ(英語:lavatory)に行くときには ハイハイして行くように とのことになっています。(後略)〗と記させて頂きました。
ならびに、前述の 去る4月6日(木)の〖母親の転倒〗のブログの上段に、
〖(前略)昨夜の午前0時19分、母親の近くで寝ていた 父親から 母親が転んだ と聞かされ 起きました。そして、急いで駆けつけました。因みに、去る9月23日(金)の〔母親の入院〕のブログの上段に、
〔(前略)本日 すなわち 9月21日(水)の〘資源回収・続報16(母親の血圧)〙のブログに、母親が 玄関のところで 転んで尻餅をついたことを記させて頂きました。頭を打っていないことは、確認しました。その 尻餅をついたときに、骨に異常が起きるような 音はしなかったか 訊きましたら、しなかったとのことでした。(後略)〕と記させて頂きました。今回も、誠に有り難いことに、本人によりますと 頭を 強く 打っていない とのことでした。また、骨に異常が起きるような 音はしなかったか訊きましたら、しなかったとのことでした。(後略)〗と記させて頂きました。今回も、誠に有り難いことに、本人によりますと 頭を 強く 打っていない とのことでした。また、骨に異常が起きるような 音はしなかったか 訊きましたら、しなかったとのことでした。上記のように、この数年間で 7回も転んだことになります。前述致しましたように ハイハイして行くように とのことになっていますが、そうしなかったのです。なお、付き添いを 午後9時半頃迄致しました。(後略)】と記させて頂きました。そして、一昨日の午前10時半頃、更に 母親が 転びました。因みに、一昨日 すなわち 4月14日(金)の【ポータブル・トイレ用袋(両親の食事)】のブログの上段に、
【(前略)去る4月6日(木)の〖母親の転倒〗のブログ そして 去る4月9日(日)の〖整形外科・外来受診の付き添い〗のブログなどに、母親が転んだことを記させて頂きました。トイレ(英語:lavatory)に行くときに転んだのです。それで、ポータブル・トイレを用いることにしました。(後略)】と記させて頂きました。ならびに、飲み水は 母親の近くにおいてあります。すなわち、ポータブル・トイレ そして 飲み水は 近くにありますので、特に 移動する必要はないのです。であるにもかかわらず、近くに 飲み水がないと思い、立って 歩いたのです。前述致しましたように どうしても 移動したいときには ハイハイして行くように とのことになっていますが、また そうしなかったのです。上記に加えて 8回も転んだことになります。(後略)』と記させて頂きました。そして、去る4月24日(月)の『母親の転倒(両親の食事)・3』のブログの上段やや下に、
『(前略)本日の未明 すなわち 午前1時10分頃、父親から 母親が苦しい と言っていると 携帯電話に連絡が入りました。それで、直ぐに駆けつけました。すると、母親が またしても 転んだとのことでした。上記のように、ポータブル・トイレ そして 飲み水は 近くにありますので、特に 移動する必要はないのです。今回は、牛乳製品を飲みたかったので 冷蔵庫迄歩いて 転んだ とのことでした。また 尻餅をついたのです。腰が痛 いとのことでした。
父親は 冷蔵庫の 直ぐ近くで寝ていました。【パパ。パパ。】と30分位呼んだ とのことでした。ところが、父親は 寝ていて 気が付かなかった とのことでした。前述致しましたように どうしても 移動したいときには ハイハイして行くように とのことになっていますが、またしても そうしなかったのです。上記に加えて 9回も 転んだことになります。
それで、去る4月11日(火)の【母親の容態(両親の食事)】のブログの中段に、【(前略)昨晩も、漸くの思いで ベットに寝かしたにもかかわらず、床の上に移動して 寝てしまったのです。床の上の方が 気持ちがいいのでしょうか。それで、母親に その旨を訊きましたが、回答はありませんでした。結局、上記と同様に 2階から 敷き布団を持って来て 母親の近くに敷きました。そして、掛け布団を掛けました。やはり 一苦労でした。(後略)】と記させて頂きました。今回も 同様に 2階から布団を運んで、やっとの思いで 母親を布団の上に寝かせました。因 みに、去る 昨年の3月1日(火)の【母親の観劇・続々報(父親の付き添い)】のブログ、去る5月30日(月)の【楽しく食べて 無理なくダイエットする7つのコツ】のブログ そして 去る1月21日(土)の【ビタミンB1(両親の食事)】のブログのそれぞれ上段に、
【(前略)父親は、キャラメル、クッキー そして ジュースなどの甘い食べ物が好きです。去る3月27日(金)の〖馬鈴薯 〗のブログ の下段やや上に、
〖(前略)玄米の糠 には、去る11月10日(月)の〔らっきょう〕のブログ で お伝え申し上げましたように、糖質からエネルギーをつくり出すときに役立つとされているビタミンB1(英語: thiamin )が含まれています。(後略)〗と記させて頂きました。糖質を摂取 りますと、ビタミンB1(チアミン)の摂取が必要になります。父親は 玄米 や らっきょうを食べませんので、別の食品でビタミンB1(チアミン)を摂取 ることになります。(中略)話を戻しますが、ビタミンB1(チアミン)には、神経の機能を正常に保つ働きもあります。御承知のように、ビタミンB1(チアミン)が欠乏しますと、脚気 やWernicke脳症(ウェルニッケのうしょう)(ネガティブ[英語:negative]で 御座 いますし、お読み下さっている 方々 に影響を お与えすることの無いように、日本語で 綴 ることを控えさせて頂きました)になるとされています。Wernicke脳症の後遺症として、Korsakoff症候群(コルサコフしょうこうぐん)(コルサコフはロシアの精神科医の名前)があります。老人性認知症が基礎疾患としてあって、Korsakoff症候群を引き起こすともされています。Korsakoff症候群は、記銘力障害、失見当識(英語:disorientation)、そして、作話を三徴(三つの徴候)とする疾患です。去る1月7日(水)の〖受験のアドバイス〗のブログ に、医師国家試験のことを記させて頂きました。また、このブログ の上段で、
〖(前略) 大学院生の頃、主任教授に依頼されて、最終学年である6回生に医師国家試験特別講義を担当致しておりました・・・(後略)〗と記させて頂きました。Korsakoff症候群は医師国家試験の山の一つなので、機に触れ、学部卒業予定者たちに伝えて来た内容です。すなわち、医師国家試験対策のワン・ポイントで 御座 います。Korsakoff症候群の三徴の覚え 方 です。まず、Korsakoff症候群の中心となるのは、記銘力障害です。これを覚えておけば、三徴すべてを覚えなくても、正統的に導き出すことが出来ます。去る10月25日(土)の〖右脳記憶とインスピレーション(inspiration)〗のブログ の中段やや下にも、
〖(前略)この一つの光景を 想起 しただけで、(中略)お花の三大流派を覚えることが出来ます。(後略)〗と記させて頂き、一つを覚えれば、三つを導き出すことが出来ることを示させて頂きました。但し、この お花の三大流派の覚え方 は、記させて頂きましたように、右脳で、イメージとして覚える方法で御座 います。
記銘力障害とは、ものが覚えられないということです。因 みに、簡潔に記しますと、ものを覚えることを記銘と言い、ものを思い出すことを追想と言います。前述の 去る10月25日(土)の〖右脳記憶とインスピレーション(inspiration)〗のブログ の下段やや上に、
〖(前略) 記憶機能は、〔記銘 〕、〔保持〕、〔追想(あるいは 想起 )〕の3段階から成り立つとされています。(後略)〗と記させて頂きました。
記銘力障害の例と致しまして、外出したが、道順を覚えられないのです。すると、今、自分がどこにいるのかわからなくなります。これを orientation(オリエンテーション)の消失、つまり disorientation(失見当識)といいます。子供だったら、素直に、迷子になったと言って、交番に駆け込めばいいのですが、迷子になったことも忘れているので、あたかも見て来たようなことを言う、すなわち、作話であります。以上が三徴で御座 います。
因 みに、脚気 につきましては、鈴木 梅太郎、高木 兼寛、そして、明治時代の文豪・森 鴎外の話があります。かつては、脚気 の原因が 解 らない時代がありました。鈴木 梅太郎は、米糠 (前述のように、ビタミンB1[チアミン]が含まれています)を 脚気 の予防に使えるということを発見したことで有名です。一方、森 鴎外は、脚気 の原因を細菌だと思っていました。母校の近くに、森 鴎外記念本郷図書館(現・森 鴎外記念館)がありました。(後略)】と記させて頂きました。すなわち、母親にも、この記銘力障害があります。冷蔵庫の前の床は 滑り易いので、仮に 冷蔵庫の前で どうしても立ち上がらければならない場合は、靴下を脱ぐように とのことになっていました。ところが、上記のハイハイして行くことなどに加えまして、このことも なされませんでした。そして、繰り返し 転ぶことになりました。過去の教訓が 全く 生かされていません。学習していないということになります。これも 記銘力障害がありますから、過去の教訓を忘れてしまうのです。なお、立って歩きたかった とのことでありました。 勿論 、その気持ちは分かります。その為に、リハビリテーションの指示書を 近医の整形外科医に書いてもらうように 手続きを勧めているところでありました。
それで、更に 対策を考えました。ポータブル・トイレ そして 飲み水に加えて、本人が希望した 牛乳製品、パン そして ジャムなどを アイス・ボックスに入れて ベッドの近くに置きました。そして、夜間 移動する必要がないように致しました。そのうえ、【近くに 飲み水がないと思い、立って 歩いたのです】と前述致しましたことに対しましては、アイス・ボックスを 1分間 ジッと凝視してもらいました。上記の記銘力障害に対します、せめてもの対策です。
ときに、午前5時半頃にも、様子を見に行きました。すると、誠に有り難いことに 痛 くない とのことでした。それから、午前8時10分頃には、父親から 携帯電話に連絡が入りました。また 何かあったのかと思い ビックリ致しましたが、その連絡によりますと、母親がお腹を空かしているとのことでした。それで、食事の準備をして 午前8時10分から つい先程の午後2時30分迄様子をみておりました。 因 みに、テレビを見る意欲が出て来ましたので、ホッとしております。なお、御承知のように 調子が悪ければ、テレビを見る意欲も湧きませんね。(後略)』と記させて頂きました。そして、一昨日 循環器内科医(女医)に受診した後 午後0時45分頃、母親が 回転する椅子の取っ手に 手を掛けて、またしても 転んでしまいました。この回転する椅子の取っ手で 身体を支えないように 繰り返し注意していましたが、上記のように 過去の教訓が 全く 生かされていません。学習していないということになります。これも 前述致しましたように 記銘力障害がありますから、過去の教訓を忘れてしまうのです。上記に加えて 10回も 転んだことになります。応急処置と致しまして contusion(英語)(上記の理由で、日本語で綴ることを控えさせて頂きましたが、日本語も併記させて頂きます。同様に 小さく記させて頂きます。打撲のことで御座います。以下、英語で contusionと示させて頂きます)した左後頭部を cooling(日本語:氷冷)しました。母親が 転ぶ場に父親によりますと、床に 頭部をぶつけたとのことでした。約4cmのたんこぶが出来ました。意識は 清明であり、言葉も 普段通りに話せます。瞳孔反射は異状なく、右視野の欠損はありません。右下腿は勿論 、四肢は 動きます。それで、様子を見ました。出来るだけ動かさない方が いい とされています。因みに、去る5月27日(土)の『トイレ介護(両親の食事)』のブログに記させて頂きました 排泄介助の方が、午後1時頃に見えました。このヘルパー(日本語:介護福祉士)によりますと、年寄の出血は じわじわ来る とのことでした。慢性硬膜下血腫のことを言っているのであろうと思われました。頭部のcontusionがあって、約3週間から 約6ヶ月後に 慢性硬膜下血腫が起こることがある とされています。それで、上記のように 約2ヶ月前に 今回よりは軽く 頭部のcontusionを致しましたので このこともあり、しかも 母親本人の 強い希望もあり、頭部C.T.(英語:computed tomography](日本語:コンピュータ断層撮影)検査をしてもらおうと 脳神経外科に受診しました。脳ドックを標榜している脳神経外科でありましたので、頭部C.T.検査は出来るものと思っていました。受診する迄に 約1時間15分間 待ちました。ところが、この脳神経外科では 頭部M.R.I.(英語: magnetic resonance imaging)(日本語:核磁気共鳴画像法)検査が出来るものの、頭部C.T.検査をすることが出来ませんでした。なお、昨日 すなわち 6月16日(金)の『親の受診に付き添っていること・48(循環器内科医[女医])・前編』のブログの下段 そして 昨日すなわち 6月16日(金)の『親の受診に付き添っていること・46(循環器内科医[女医])・中編』のブログなどに記させて頂きましたように、母親には 心臓ペースメーカーが導入されています。その為に 頭部C.T.検査をすることは出来るものの、頭部M.R.I.検査をすることは 出来ないのです。但し、誠に有り難いことに この脳神経外科によりますと、緊急性はないとのことでした。
しかし乍ら、上記の 約2ヶ月前の 頭部のcontusionによります、慢性硬膜下血腫のことも検査しなければなりません。それで、頭部C.T.検査をすることが出来る 別の脳神経外科に搬送することになりました。そして、この脳神経外科で 頭部C.T.検査がなされた処、皮下出血はあるものの 誠に有り難いことに 約2ヶ月前の 頭部のcontusionによる慢性硬膜下血腫のことを含めまして 異状は認められないとのことでした。但し、今回の頭部のcontusionによる慢性硬膜下血腫の有無ことで、約1ヶ月後に 再度 頭部C.T.検査をする為に 受診してもらいたいとのことでした。ところが、母親によりますと、この脳神経外科医は たいへん太っている女医であり、2度と受診しようとは思われないだろう とのことでした。因みに、受診すると、自分が 太って来るような気がするそうです。
母親が 打撲した箇所
母親が 打撲した箇所
ところで、母親は、受診後 自宅に帰って 疲れたのか眠りました。なお、去る 一昨年の10月8日(水)の『親の受診に付き添っていること・1』のブログの最後に記させて頂きましたように、母親を守ることは自分の使命の一つであると思っております。親の為であるならば、他の人間関係 そして 大事なことを 後回しにしても、と思っております。(後略)」と記させて頂きました。
そして、去る7月27日(木)の「母親の転倒・5」のブログの下段に、
「(前略)今朝・早朝 すなわち 午前3時32分頃、母親から 携帯電話に連絡が入りました。母親によりますと、水が飲みたいとのことで 歩いて カーテンのところで 転んだ とのことでした。それで、直ぐに 駆けつけました。誠に有り難いことに 母親の意識はありました。母親 本人から 連絡が入った訳でありますし 駆けつけましたら 『転んだ』と 本人の口から伝えられましたので、言葉を話すことは出来ました。
なお、前述致しましたように、飲み水は 母親の近くにおいてあります。すなわち、ポータブル・トイレ そして 飲み水は 近くにありますので、特に 移動する必要はないのです。であるにもかかわらず、近くに 飲み水がないと思い、立って 歩いたのです。しかも、前述致しましたように どうしても 移動したいときには ハイハイして行くように とのことになっていますが、またしても そうしなかったのです。上記に加えて 11回も 転んだことになります。因みに、応急処置と致しまして contusion(英語)(上記の理由で、日本語で綴ることを控えさせて頂きましたが、日本語も併記させて頂きます。同様に 小さく記させて頂きます。打撲のことで御座います。以下、英語で contusionと示させて頂きます)した部位を cooling(日本語:氷冷)しました。序で乍ら、今度は 頼りない カーテンを掴んで 転びました。以前から 繰り返し、このカーテンは掴まないように 伝えていました。ところが、やはり 学習されていませんでした。それで、至急 このカーテンを取り外しました。但し、このカーテンを取り外す迄に 相当な時間 と 労力が掛かりました。何故ならば、父親が、このカーテンを取り外すことに なかなか同意してくれなかったからであります。このカーテンがないと、自分が見られるような気がするとのことでした。しかし乍ら、外見的なことよりも、母親の生命に関わる方が 優先されます。このことにつきましては、ヘルパー(英語:helper)(日本語:家政婦)も 同意してくれました。そして、結局 三つあるカーテンのうちの 二つ を取り外すことで、漸く 父親が納得してくれました。このことを 父親に納得させるだけで、1日のエネルギー(英語:energy)を 全て使ってしまったかのように思われました。(後略)」と記させて頂きました。
ならびに、去る8月20日(日)の「母親の転倒・6」のブログの下段に、
「(前略)本日 夜 すなわち 午後6時57分頃、父親から 携帯電話に連絡が入りました。またしても、母親が 転んだとのことでした。因みに、父親によりますと、ドシン と音がした とのことでした。それで、直ぐに 駆けつけました。午後7時で 母親に 『おふくろさん』と 何度も 話しました処、誠に有り難いことに 言葉を話すことは出来ました。直ぐ 本人に訊きました処、誠に有り難いことに 右側頭部を 強く 打っていない とのことでした。誠に有り難いことに それ程 強くは打たなかった とのことでした。誠に有り難いことに、瞳孔反射は 異状ありませんでした。なお、立って 歩いたのです。しかも、前述致しましたように どうしても 移動したいときには ハイハイして行くように とのことになっていますが、またしても そうしなかったのです。そのうえ、上記の睡眠導入剤を服用しましたら そのまま寝床で休むように 伝えていますが、服用後に移動したのです。半分 眠っていたのですね。序で乍ら、上記に加えて 12回も 転んだことになります。それで、枕を当てて 寝かしました。
そして、午後7時20分頃にも 『おふくろさん』と話しました処、誠に有り難いことに 言葉を話すことは出来ました。
それから、午後9時20分頃にも 母親の様子を 診に行きました。なお、勿論 、既に ベッドには戻しております。
序で乍ら、母親によりますと、睡眠導入剤を服用した後、転ぶ かなり前に 大声を張り上げた とのことでした。上記のように、この睡眠導入剤の重大な副作用である 刺激興奮 そして 錯乱が 現れたのかもしれませんね。(後略)」と記させて頂きました。
および、去る8月22日(火)の「母親の転倒・6の続報(脳神経外科・外来受診の付き添い)」のブログの上段に、
「(前略)一昨日 すなわち 8月20日(日)の『母親の転倒・6』のブログの下段に、
『(前略)(この翌日 すなわち 8月21日【月】の午前9時頃にも、バイタル[バイタル・サイン〚英語:vital signs〛の略称] すなわち 脈拍、呼吸(数)、血圧 そして 体温などを測りました。まず、母親の最高血圧[収縮期血圧]は 121mmHg[水銀柱ミリメートル]、最低血圧[拡張期血圧]は 75mmHg そして 心拍数が 63でした。そして、体温は 36.7℃[平熱]でした。誠に有り難いことに、特に 問題はありませんでした。そして、この後、誠に有り難いことに 桃 と 蜜柑を食べることが出来ました。因みに、午後になりましても、誠に有り難いことに 特に 問題はありません。去る5月27日(土)の【トイレ介護[両親の食事]】のブログに記させて頂きました 排泄介助の方が、誠に有り難いことに 8月21日【月】も 昼過ぎに見えました。この排泄介助の方によりますと、誠に有り難いことに、客観的にも 身体に痣はなく 側頭部も 異状なし とのことでした。
ならびに、8月21日【月】の午後3時半にも 8月21日【月】の【リハビリテーション・10】のブログに記させて頂きました 理学療法士の方が見えましたが、誠に有り難いことに 側頭部のことは 大丈夫 とのことでした。
なお、引き続き、様子を診ております)(後略)』と記させて頂きました。そして、引き続き、様子を診ておりました。上記のように 昨日 すなわち 8月21日【月】に見えた 排泄介助の方にも 同・午後に見えた理学療法士の方にも、無理をさせないように お願いしました。
ときに、去る 一昨々年の11月11日(火)の『玉川上水』のブログ そして 去る4月1日(土)の『玉川上水(両親の食事)』のブログのそれぞれ冒頭などに、自宅の近くを流れる玉川上水のことを記させて頂きました。ならびに、本日の午前8時45分の 母親の最高血圧(収縮期血圧)は 126mmHg(水銀柱ミリメートル)、最低血圧(拡張期血圧)は 77mmHg そして 心拍数が 59でした。 因 みに、日本高血圧学会による 最新の『高血圧治療ガイドライン2014』の高血圧の治療目標値を見ますと、75歳以上の お年寄りは、取り 敢 えず 最高血圧は 150mmHg そして 最低血圧は 90mmHg以下に コントロール(英語:control)出来れば とされています。
今朝 母親によりますと、その玉川上水に行きたいとのことでした。上記のように 血圧は問題ありません。それで、ヘルパー(日本語:家政婦)に話しました処、数日前の雷雨で 玉川上水付近は ぬかるんでいるとのことでした。そこで、ヘルパー(日本語:家政婦)と共に 車椅子で 玉川上水の手前迄 往復しました。 因 みに、途中で ヘルパー(日本語:家政婦)が、山葡萄の房を採って 母親に手渡しました。このようなことがありまして、午前4時過ぎ迄は 特に問題ありませんでした。
ところが、午前4時過ぎた頃、母親が 右側頭部が痛いと訴えました。話を聴きました処、右側頭部の表面が痛いとのことでした。頭蓋骨の内部ではない とのことでした。そして、本日 午後4時半に来訪することになっていた 母親の ケア・マネージャー(英語:care manager)が、誠に有り難いことに 見えました。ケア・マネージャーによりますと、安心の為に受診した方がいい とのことでした。
ならびに、去る 一昨々年の10月9日(木)の『笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗から 大乗へ』のブログの上段に、
『(前略)親和性により、自らの身体に患者さんの症状が反映し 現われました。pain(英語)(ネガティブ[英語:negative]で御座いますし、お読み下さっている 方々に影響を お与えすることの無いように、日本語で 綴ることを控えさせて頂きましたが、以前 それではわからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。痛みのことで御座います。以下、英語で painと示させて頂きます)が強く 関節部位が赤く腫れ、判断も出来かねる状態になりました。(自らの指の写真を添付させて頂きます)(後略)』と記させて頂きました。当方の頭部にも、親和性により 母親のpainの症状が反映し 現われました。および、母親によりますと、ケア・マネージャーと話をしているどころでないとの 本人の 強い 受診の希望もあり、受診致しました。(中略)
すなわち、このときの頭部のcontusionによる慢性硬膜下血腫の有無ことで、この脳神経外科医から、再度 頭部C.T.検査をする為に 受診してもらいたいとのことでした。それで、タクシーを呼んで この脳神経外科に搬送することになりました。因みに、受診を勧めた ケア・マネージャーによりますと、ここ迄であり、付き添いは出来ないとのことでありました。それで、母親と 二人で受診することになりました。
なお、診察券には 午後5時半迄になっています。ところが、受診前に電話しましたら、受付は 午後5時迄とのことでした。時間的に ギリギリであると思われました。このようなときに、タクシー内で待っている 往復の電車が通過する 踏切待ちの時間は 長く感じられました。実際の時間でも、ホームの近くの踏切なので 電車のスピードがゆっくりであり、踏切待ちに 長い時間が掛かりました。到着は 午後4時55分でした。誠に有り難いことに、受付には 間に合いました。タクシーには、余分に お金を手渡しました。このタクシーの運転手によりますと、父親が亡くなった とのことでした。それで、『御愁傷様です。』と伝えました。なお、車椅子を用いて 母親を搬送しました。
そして、受診しましたら、上記の脳神経外科医(女医)が担当医師でした。そして、前述の 一昨日 すなわち 8月20日(日)の『母親の転倒・6』のブログに記させて頂きました経過を伝えました。すると、この脳神経外科医(女医)は、母親の側頭部(患部)は 全く見ませんでした。頭部C.T.検査の結果のみを示しました。誠に有り難いことに、頭蓋骨の内部に 血腫は認められない とのことでした。そして、誠に有り難いことに、前回の 頭部のcontusionによる慢性硬膜下血腫も 認められない とのことでした。因みに、この頭部C.T.検査の際 ベッド迄 運ぶときに、母親の搬送をさせられました。しかも、母親の靴の脱がせること そして 履かせることをさせられました。(後略)」と記させて頂きました。
ときに、本日の午後 すなわち 午後3時17分頃、父親から 携帯電話に連絡が入りました。またしても、母親が 転んだとのことでした。それで、直ぐに 駆けつけました。午後3時19分頃であり 母親に 「おふくろさん」と 何度も 話しました処、誠に有り難いことに 言葉を話すことは出来ました。直ぐ 本人に訊きました処、誠に有り難いことに 右側頭部から後頭部を 強く 打っていない とのことでした。誠に有り難いことに それ程 強くは打たなかった とのことでした。誠に有り難いことに、瞳孔反射は 異状ありませんでした。なお、立って 歩いたのです。しかも、前述致しましたように どうしても 一人で 移動したいときには ハイハイして行くように とのことになっていますが、またしても そうしなかったのです。序で乍ら、上記に加えて 13回も 転んだことになります。それで、枕を当てて 寝かしました。
そして、午後4時10分頃にも 「おふくろさん」と話しました処、誠に有り難いことに 言葉を しっかり 話すことが出来ました。なお、勿論 、既に ベッドには戻しております。
それから、午後5時10分頃にも 母親の様子を 診に行きました。
(この翌日 すなわち 9月22日【金】の午前4時30分頃にも、母親 と 父親の様子を 診に行きました。なお、同・午後8時36分頃に 母親 そして 父親から それぞれ連絡が入りました。誠に有り難いことに、母親が お腹が空いた とのことでした)
ところで、去る8月5日(土)の「火災保険外交員の来訪(両親の食事)」のブログの中段やや上に、
「(前略)『死にたい位。夜中に出て行く、川に飛び込んで死ぬ。』とのことでした。(後略)」と記させて頂きました。気分が ムシャクシャして、上記の玉川上水に 死ぬ為に 行こうと思った とのことでした。それで、外出しようと思って 玄関のところで転んだのです。父親によりますと、居眠りをしていて 外出しようとしたことに気が付かなかった とのことでした。因みに、午前中も 母親が 外出しようとしましたので、ヘルパー(英語:helper)(日本語:家政婦)と 庭に出たばかりでありました。なお、母親は、このときも 「死にたい。」と訴えました。
さて、本日 すなわち 9月21日(木)の「散歩(両親の食事・鰻の蒲焼・7)」のブログの下段に、「(前略)去る9月23日(金)の『母親の入院』のブログに、去る 昨年の9月21日(水)の 遅くなってから、母親が 玄関のところで 転んで 尻餅をついたことを記させて頂きました。そして、翌日 すなわち 去る 昨年の9月22日(木)の午前中に、母親が 入院したことを記させて頂きました。このときから 丁度 1年(12ヶ月)になります。(後略)」と記させて頂きました。因みに、丁度 1年前 すなわち 9月21日の ほぼ同じ時間帯にも、母親は、同じく 玄関のところで 転びました。なお、今朝、ヘルパー(日本語:家政婦)には この1年前のことを話し、お祓いをしなければならないと 話したところでした。
(半角で 4万文字以内という字数制限を超えましたので、文章を削らせて頂きました)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠に ありがとうございました。唯々感謝。(^-^)