デンスケ
「電脳コイル 」の最終回に号泣して、デンスケのぬいぐるみを買おうと思いました。
・・・。かわいくないんじゃー!もっとぶさいくに作らないと!(→矛盾してないはず)
ぬいぐるみはイマイチでしたが、ほんとにいい作品でした。来週はどうなるんだろう・・・とワクワクし、果たして子供はついていけるのかと心配にもなったわけですが、それなりについていってるんでしょう。「神は死んだ」の回のもともとの意味を知る子はどれほどいるんだろう。まっ知らなくてもいいよねとか思いつつ観ておりました。
さて、(再放送もはじまるようなので大事な部分はネタバレはなしで)私が一番好きなシーンはサッチーが飛ぶところかな。君まで飛ぶとは思いませんでした。
もともと飛行機が好きで、大学生のときは飛行機が見たいばかりに伊丹空港でバイトをしていたくらいで、よくわかんないものが空飛ぶのは大好きなのです。今のことは知りませんが、空港の裏で働いていると、日本のキャリアのスタッフがほかの国のスタッフより随分と早く現場入りすることに気が付きました。なんだかそういう地味な仕事に感心していたことを思い出します。
書棚から「人間の土地/サン=テグジュペリ
」と映画「ライトスタッフ
」を出してきてしまいました。 「人間の土地」は郵便輸送のパイロットたちを描いた物語です。この本の解説を宮崎駿監督が以下のように書いております。
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パイロットに憧れた少年達はおくれて生まれたのを悔やむこととなる。軍隊は縮小され、空への道は絶たれてしまった。航空界は冒険と記録飛行の時代となるがその飛行士になるにはよほどの幸運が必要だった。(略)
サン=デグジュペリの描いた郵便飛行士の時代は、彼が「人間の土地」を執筆中にすでに終わっていた。その変化に、ある者は挑み続け、ある者は挫折していく。メルモスもギヨメも姿を消し、サン=デグジュペリ自身も「世界は蟻の塚だ」と書き残して、ほとんど自殺同然に地中海上で消えていった。
飛行機の歴史は凶暴そのものである。それなのに、僕は飛行士の話が好きだ。その理由を弁解がましく書くのはやめる。
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映画「ライトスタッフ」の背景は米ソ宇宙開発競争時代(マーキュリー計画)。チャック・イェーガーという初めて音速の壁(マッハ1)を超えたテストパイロットを軸に、現場で関わったパイロットたちの視点から空の開発史を描いた映画です。テストパイロットは空軍のなかでも危険な仕事なので、貧しい階層のパイロットたちが一発逆転の夢を抱いてその危険な任務についていました。だから、最初の宇宙飛行士はそんなテストパイロットたちだったと理解しています。
「ライトスタッフ」は残念ながら日本ではあまりヒットせず(長いんですよね)、アメリカではアカデミー賞の主要5部門ではなく、意味合いとしては、技術スタッフに贈られる地味ーな賞をたくさんとりました。
私は最初観たときは、主人公のイェーガーが好きでした。でもあらためて見ると、ちょっとかっこよすぎる。「音速の壁への挑戦」に大金を要求するほかのパイロットを尻目に「月283ドルの給料内でやるよ」「空にレンガの壁があるとでも思っているのか」とクールに言い放つやつなんです。
宇宙開発戦争に入って、政治と外交のために、宇宙飛行士はかっこうのネタになり、マスコミのヒーローとなります。しかし、さんざん騒いでおいて、最初に宇宙に行ったのは猿。マスコミにバカにされ、宇宙飛行士にならなかったパイロットたちは、「そーだ、そーだ、あんなの猿でもできるさ」と揶揄します。もくもくとテストパイロットを続けマシンの限界に挑戦しつづけるイェーガーは「猿は怖さを知らない、怖いのを知ってて乗るのとは大違いだ」といいます。そして「俺たちは猿じゃない!」と団結する宇宙飛行士たち。
「人間の土地」も「ライトスタッフ」もお仕事共同体の話なのね。
「人間の土地」の訳者堀口大学は「(飛行家という)職業」が「人間に力を与え、過酷な悲運に対してさえ、力量不相応とわかりきった戦いを挑む勇気をふるいおこさせる」と説明しています。
昨日、NHKで技能五輪の番組をやっていました。
ねじのあけ方ひとつの工夫に感動してたわけですが、若者たちが「大志」を抱ける国と世界でありますよう!