第七十どんとこい 「ひらいて」 | ナメル読書

ナメル読書

時にナメたり、時にナメなかったりする、勝手気ままな読書感想文。

「ひらいて」(綿矢りさ、新潮社)


こんにちは てらこやです


今回はコラボレーション企画です。


ほぼ毎日記事をアップするというブログ書評の鉄人、立宮翔太さんと同じタイトル(綿矢りさ「ひらいて」)を取り上げることになりました。ほぼ同い年の立宮さんとてらこやが、ほぼ同年代の作者を取り上げるとどうなるか?ぜひふたつの記事をお読みください!


リンク:立宮翔太さんのブログ「文学どうでしょう」


さて、作品の内容を少し変則的に紹介してみようと思います。


I型の糖尿病を患う美雪は、周囲からの疎外を感じていた。そんな彼女には、中学2年から以後、5年間つき合いを続けている「たとえ」という変わった名前の彼氏がいる。たとえも同じく周囲から浮いた存在であった。それは彼が家庭の問題を抱えていることに起因するのだが、美雪はその点に踏み込めずにいる。たとえもまた、その点を触れさせないようにしているらしい。


たとえと同じ高校に入学するものの、ふたりはつき合っていることを周囲に隠していた。学校内でふたりは、密かに渡される紙の手紙で繋がっていた。


高校でも美雪は孤独を感じている。入学して早々病気をカミングアウトしたのだが、それが裏目に出たのだ。はじめ教室で射っていたインシュリンも、いつしか人気のないところで行うようになった。


高校3年の夏休み前、人気のない理科準備室で昼食を食べようとしていると、かつてクラスメートだった愛が急に話しかけてきた。一緒にお弁当を食べようと言うのだ。愛は「いいじゃない、誰になんて言われても、教室で打てば」と言ってくれる。その日から、ふたりは「友達」になった。


夏休み、愛は美雪の家にやってくる。恋愛の話になり、美雪はたとえとつき合っていることを打ち明ける。たとえとはキスをしていないことを話すと、美雪は冗談とも本気ともつかない感じでキスをしようと迫ってくる。美雪は愛に深いキスをされる。


後日、美雪は改めて愛を招待する。前回のことで気まずくなりたくないからだ。また友達同士になりたいと求めると、愛は本気で自分を愛しているのだといって体を求めてきた。再びキスをされて、服を脱がされて、はじめて他人によって性的な絶頂を迎えてしまう。それから、また別の日に、美雪は愛と性的な行為に及ぶ。愛から求められたものだが、自分もまた求めてしまう。


たとえに対して正直でありたいと思う美雪は、あのことを打ち明けるつもりだと愛に言う。しかし、愛から答えは信じられないものだった。


「私、たとえのことが好きだったの」
(…)
「たとえを好きになって、彼の机に入ってた美雪からの手紙を読んで、二人が付き合っていることを知ったの。それで、彼に近づくために美雪と友達になって。夏休み中にたとえに告白したけどふられて、くやしい気持ちでいっぱいになっていたから、幸せそうな美雪を妬んで、たとえを傷つけるために、寝た」


美雪への友情も、性的行為も、たとえを傷つけるために行われたのだ……という話です。


この後三人がどうなるかは本作を読んでいただければと思いますが、このようにストーリーを紹介すると、ずいぶんベタな話に映るのではないかと思います。


お互いハンディを抱えた美雪とたとえの関係を、行動力のある愛がかき回す──性的描写もばっちりあって、昼ドラ的と言えば昼ドラ的です。


しかし、この作品が趣向をこらしているのは、一連の出来事が一人称「私」=愛によって語られるということです。主人公は愛であり、美雪やたとえではありません。さきに変則的に紹介するといったのはこういうわけです。つまりこの作品は、ストーリーこそベタなものの、通常の意味で敵役の視点から事の顛末が語られる点にその特異性があります。


するとどうなるのか。


はじめから愛の視点で事態を見ている私たち読み手は、通常の主人公格(美雪とたとえ)に対して距離をおいて見ることができます。言い換えると、敵役の愛の側に寄り添って見ることができるので、次のような、たとえに振られてつい口をついてしまった愛によるふたりへの批判にも、耳を傾けやすくなるのです。


「たとえが美雪のどこを好きか当ててあげる。同じ世界に住む人だから、でしょ。どんな辛いことがあったのか知らないけど、二人して傷をなめ合って、うそついてるとか他の人を見下して、狭い世界で馬鹿みたい」


また、たとえを教室に呼び出し、裸になって誘いかける愛(まあ、ずいぶんトリッキーですね)が浴びせかけられる言葉も、また違ったように響きます。


「おれには、身勝手で思い込みの激しい人間を引き寄せる何かがあるみたいだ。おまえらはおれからおれを横取りしようとする。いつも、いつも、逃げてきた。気持ちの悪い、いつまでも追いかけてくるぶきみな闇から」


この言葉を愛の側から聞くからこそ、私たちは愛のいたらなさと同時に、たとえのいたらなさもまた感じ取ることができるのです。この作品において、小説内の台詞は幾重もの響き方をするものだ、という当たり前と言えば当たり前のことが技法を凝らすことで確認されます。


そして、愛の視点で描かれるからこそ、敵役の混乱や哀しみもまた描かれるということも見逃してはなりません。


「私はなぜ、好きな人の間男になったのだろう!好きな男にふられた腹いせに彼の女と寝る、こんな女が他にいるだろうか」


「心を引っ掻くのは、たとえと美雪の哀しそうな顔、彼らが私にぶつけた言葉。彼らは私に、彼らの痛みなんか分かるわけがないと思っている。実際にそうなら、どんなに良かっただろう」


最初に引用した独白はユーモアがあって、てらこやはこの部分が特に好きです。


読みやすさと、この作者には珍しい性描写とでうっかりすると見過ごされかねませんが、この作品は、その技法にこそ──熟慮された語り手の配置にこそ、最も注目すべき点があるのではないかと思います。


どうでしょう?


リンク:他の綿矢りさ作品についても記事を書いています

・「かわいそうだね」
・「勝手にふるえてろ」
・「蹴りたい背中」


ひらいて
ひらいて 綿矢 りさ

新潮社 2012-07-31
売り上げランキング : 94568


Amazonで詳しく見る
by G-Tools