「嵐のピクニック」(本谷有希子、講談社)
こんにちは てらこやです
毒を食らわば皿まで(?)、先日大江健三郎賞が発表されたので読みました、本谷有希子「嵐のピクニック」。
てらこやは雑誌掲載の方で読んだのですが、その際は「13の"アウトサイド"短篇集」というタイトルでした。その名の通り、13の短篇、あるいは掌編といってよい作品が並びます。
こういった作品集を読むと、それぞれの作品をあーだこーだ言うのが馬鹿らしくなりますね。これは悪い意味ではなく、よい意味で言っています。
例えば、「その人が人生の中で一番幸せかもしれない、という瞬間にかかる率が高いと言われ」る、あたかも悪霊に憑依されたかのようにしてこの世から消える病(?)に、確かに人生の中で一番幸せかもしれない時にかかってしまった「アタシ」の顛末(「亡霊病」)。
「拍手。ようやく隣の女の人が立つ。早く。早く終わって。まだ間に合う。アタシはみんなに最後の肉声を届けることしか考えられなかった。/最も危険なのは、「その時」が来るギリギリ直前なら、本当の思いをまだ届けられるという、甘い考え」
例えば、業界内でもてはやされるデザイナーの「僕」が、気まぐれに反骨心のある風な若いデザイナーを囲ってみるという話(「ダウンズ&アップス」)。
「何より僕の周りで一番変わったのは、僕のお気に入りだと思われている彼に倣って、みんなが僕には生意気な口をきいたほうがいいと重い始めたことなんじゃないかな。噛み付けば認めてもらえるとでも思ったのかな。初めは慣れなかったけど、眺めているうちに、本音をぶつけてくる世界も、お世辞を浴びせる世界も実はそっくり同じなんだってことに気づいたよ/だけどある日突然、その瞬間はやって来た。誰もいない事務所で、いつものように彼が堂々と僕のデザインを否定するのを見て、急に何もかもが馬鹿馬鹿しくなってしまったんだ。この子はなんで僕にお世辞を浴びせないんだろうってね」
例えば、ウィリーギャオと名乗る猿の「俺」が、人間と同じくらいIQがあるために悩むチンパンジーであるゴードンと出会う話(「IQ」)。
「俺、ゴードンは人間に愛されたかったんだな、と思った。でも俺、そんなこと思わないからな。人間は餌くれるからいいよ、ってだけ」
さしあたり好きな作品の紹介と引用をしてみましたけど、これでこの作品集の奇妙なニュアンスが伝わりますでしょうか?
この奇妙なニュアンスというのはおそらく、アイデアに依っているというよりは、落差と語り口とに多く依っています。アイデアが斬新であるとか、その調理法がうまいからよいのではなく、それぞれの語り手の語り口ができる限り素直であるように配慮され、それ故落差が生じるからこそ奇妙なニュアンスが出ているのだろうと思います。
ここで落差というのは、一般的な感覚や思考との差にあるのではなく、まさに一般的だと私たちが考える、しかるべき感覚や思考との差にあります。いかにもな小説的語り口を避けるつつ、それでも私たちにとってなじみぶかい(異常ではない)語り口を探った結果として、これらの作品はあります。
アレ?結局あーだこーだ言っているような気がしますけれど──マアイイヤ──みんなでドーナツ選ぶみたいに好きな作品を探すのが楽しい読み方ってものですよね☆
※引用は以下より行いました。
「13の"アウトサイド"短篇集」(本谷有希子、群像2012年3月号、講談社)
嵐のピクニック | |
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