ナメル読書

時にナメたり、時にナメなかったりする、勝手気ままな読書感想文。


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吉行淳之介「食卓の光景」(新潮文庫『娼婦の部屋 不意の出来事』所収)

二十年程前、渋澤龍彦にのめり込んでいた私はその関連から吉行淳之介のいくつかの作品を読んだのだが、それらが私の興味をかすりもしなかったのは、吉行淳之介の主題と言われる性愛というものがまったくに陳腐であるからでもあるし、その文体が陳腐だからでもあるし、その生が私のそれとはまったく異なるもののその異なりがだからといってとりたてて隔絶したまた別の何かとして存在を主張するわけでもない、つまりつまらないからでもあるのだけれども、今、特に考えがあるわけでもなく読んだ短編集から例えば次のような文を読むと、その救いがたさに翻って当時の自分の感慨が現時点では変わらないことが知らされる。

「男のものの考え方と、女の考え方と、根もとから組立て方が違っている部分がある。結局、最後まで、男と女とでは理解し合えない空白な部分が残ってしまう。そのため、男はその空白の部分を躯と躯の触れ合いで埋めようとする。そして、そのことによって、その空白が埋まった、と錯覚することがある。その錯覚が一生つづいている男は、しあわせといってもよいだろう。しかし、そのことによって、じつはその空白の部分は一層拡がっているのかもしれないのだ」(「青い花」)

とても陳腐だけれども、この一文が現代日本文学の主題の一角を未だに、端的に表していることを振り返ると戦慄を覚える。

その必要を感じることはないのだが、吉行淳之介の作品に可能性を見いだすとしたら、それは性愛から離れたところにあるだろう。特に次のところは、性愛から離れたところを描いた直後に、離れているとはいえ近接しているが故に自らも世界もその主題であるという性愛と思わず結びつけてしまうのであるが、それを意識的にか無意識にか、非常に素人くさいやり方で打ち消すところに、滑稽さがある。

「口を開くと、赤い粘膜がある。その中に、獣の肉などを押込み、顎の骨をがくがくと動かして、やがて咽喉の方へ食物を移動させる。咽喉の肉がぴくりと上下して、唾液と混ってぐちゃぐちゃになったものが胃の中に落込む。待ち構まえた胃は、黄白い液をそそぎこみながら、その全体をもくもく動かしはじめる。そして、やがてそのドロリとしたものが、胃から腸に送りこまれるわけだが、何メートルもの長さの腸管の末端の方には、すでに滋養成分を吸い上げられた食物の滓、つまり糞便がぎっしりつまっている」(「食卓の光景」より、以下同じ)

「食事をするときの剥き出しのなまなましい感じは、どこか性行為に似ているところがある。童貞が、美女と向い合って食事をすることに、困惑をさらには恐怖に似た感じを覚えるのは、当然のことといえよう」

「当然のことといえよう、と私はおもうのだが、しかしすべての童貞が女を伴ってレストランに入ることに恐怖を感じるかどうかは、きわめて疑わしい。他人の心は計り難いのである」

特に最後の一文は、陳腐ではあるが無視もできない文学を駆動させるあまりに自明な前提であるものを、あたかも結論であるかのように登場人物に語らせており、それによってその登場人物の陳腐さを際だたせるのならばともかく、どうやらそうではないらしいところに、次に吉行淳之介の諸作品を読むのは二十年後だなと私に決意させたのである。



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