20世紀に置き去りにされた自由のいくつか… | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

   
   
   sub title :  そんなあなたも警戒模様 ~ 今日の喜怒「哀」楽 3
   
   
   
昨日の記事中に書いた・・・・ 
http://ameblo.jp/badlife/entry-10006739954.html
   
   
   自然界による必要以上の者の抹消。 
    
   ぶっ壊れた肉体の中から心が飛び出る。
   
   飛び出た魂・・・勝手に外されたは魂は、どこへ行くのか?
   そのまんまだ。
   分解されて、次に遣い込まれるために きれいに磨かれることはなく、
   再び再生されることはないまま、永遠に彷徨う。
   ほとんど身動き取れない、ずっと同じ場所で・・・。
   つまり、ちゃんと死んでないってことだ。
   
   この話を聞いてみて、読んでみて、
   精神世界の本とか宗教とか、くだらん余分な知識がない人は、
   素直に受け入れられる・と思う。
   
   なぜなら、事実だからな。
   物事の道理、基本だ。

   
   
この辺り。判りにくいかどうか、もっと知りたい人が いるかどうかは別として、
補足…捕捉する。…しておきます。…させてください。
   
以前(2~3ヶ月前)までは こういう内容を
カツオ爺さん”の話や書いたモノを紹介しながら 断片的に説明してきた。
まったく普遍的でないし、意味不明な部分も多かったと思う。
…そもそも、“死んだあと”なんて、
生きているうちには絶対に誰にも解らないことだしな。
でもそれは、実際に間違いなく在る。
人間が創られたときの道理として、この自然界に決められたルールとして。
…こういう云い方でさえ、カルト・チックか? 
(まぁ 俺も、なるべく、出来る限り、枝別れのないように書きたい。)
で、まず、
つまり、ちゃんと死んでないってことだ。
って部分の説明。(“言い訳”ではない
それは、人間誰もが、本来は
「人生、精一杯 生きたよ。もう思い残すことはないよ」
という気持ちで満足して死んでいない人が多いということ。
   
「オギャーッ」と産まれてから死ぬまで、
自分の持っている力で、精一杯、堂々と生きて、
男も女も、己に与えられた職責・職能をまっとうして
死ぬ時には何も思い残すことなく、
それまで遣っていた肉体は置いて、この世を立ち去る。
そこには最初から、
「押してくれる者がいて引いてくれる者がいる」ってことと、
「人間 誰一人として、決して一人では生きられない。
一人では産まれることもできないし、死ぬこともできない」
ってことが、事実ある。万物…物事の道理として。
   
ちゃんと死んでない』ってのは、そういうことだ。
…今の俺でさえ できるかどうかも判らないけどな。
でも、人間の“生きる理由”、生きる目的ってのは、
ひとつにはそういうところもある・と思う。
それを、「成功」だとは思わない。決して。
   
ここからはちょっと余談になるけど、
    
ああゆう(?…成功哲学ウンヌンとか 巷の信仰宗教の出版物など の)物の言い方には、
基礎がないし、すべてを、
形になって出来上がってしまった「10」からの範囲で物を言ってる。解ったフリで。
赤い狐のオヤジもそうだ。
とてもウサン臭い。
自分という人間が、勉強もせず、教育も積まず、この世に誕生する以前、
その出来上がって、完成されてしまう形になる以前…
すなわち「0」【ゼロ】からの部分で、“創られる前の状態”のことについては
誰も何も云ってないし、解らなかったし(ここ数千年の間はな)、今はもう、
ほとんどまったく解らないようにさせている。世の中の教育全般が。…宗教も。
だから、自分自身が何々なのか? 自分が何者なのか? 
ということに気づけない。ほとんどの人間が。
   
いま俺は、潜在能力のことを云ってるわけじゃない。
そういう言葉も どっかへ放り投げておいてくれ。
現実に生きている人間そのものが、
この時代、こっから先を いかに、どうして生きて行けばいいのか? 
その選択…覚悟を決める時期に迫られてる人々にとっての
重要な問題、課題の話だ。
今まで自分が何かの本を読んだような知識は、
あさっての方角にいる連中に任せておけばいい。
問題は今日。重要なのは”今”だ。今の自分。
   
   
   
何かを文章に表すときとか (・・・他人との会話の中でも なるべくな)
俺も常々、心がけて大事にしてることに、
誰が何が、いつ、どこで、どうして、
どのような形経過で、どんなふうに そうなったかその結果に至ったのか
)」
という、自分自身の中での確認がある。常に。
これが大事だ。何事においても。(俺にとってはな)
俺の場合は、それを 自分の目に見えることでも、見えないことでも、
決して、頭から疑って自分を ごまかすようなことはしないように、
慎重に捉えようとする。あらゆることに対して。
 
  
それは、ことによっては、かなり時間のかかることもある。
車の後部座席に座っていて、隣に走ってる車のタイヤがグルグル回っているのを見ていて、
簡単に閃いて理解できることもあれば、
“海の波打ち”をずっと眺めていても、永遠に答えが出せそうにないこともある。
それでも、数年前までは、すべてにおいて、
解らないことは解る人に訊けば、
だいたい理解することはできた。
もう、その存在は、この世に いなくなってしまったんだけどな。…“カツオ爺さん”。
まぁ、それはそれで仕方ない。
自分だけでは答えを出せない、自分では解らないことを
自分より物事を解る人が、世の中には まだ大勢いるってことを認められるなら、
その、“仕方ない”って問題も克服できる。
 
  
解らないことは解る人に訊く。
   
世の中の医者、科学者、博士、学校の先生、昭和に頑張った社長さんとか、
学者や、どこかの信仰宗教の小山の大将みてぇな連中の多くには、
どうやら、コレができないらしい。
それは、立派に勉強した自分の頭が素晴らしいのか何なのか、
自分の上には まだ上がいるってことが認められない。
   
実際、自殺願望を抱き続けていた俺も、かつてはそこに悩んだ。
「俺の上には何者もない」と。
これは危険だ。
自滅の道を歩むことになる。
…たとえば、かつての多くの哲学者のように(…ちょっとちがうか
でもって俺の場合、そこに、
Nothing's gonna change my world 」とか謳って(David bowie 風に )、
完全にトリップしてた。
危険きわまりない。 (別に、ジョン・レノンの唄がワルイわけじゃない)
で、その時に持っていた俺の目的はこうだ。
「自分の命は自分でコントロールして、
いつか必ず、自分で自分の息の根を止める」
   
そんなことが出来るはずがない。
人間、最初っから、そんなふうに創られてはいないんだ。
   
そんなことをどうして心に強くめてとうとしたのか?
簡単にいうと・・・・失恋だった。
「どうにもならない想い…」ってヤツだ。
要するに、孤独である自分を前向きに成長させられない愚かさだな。
   
未成熟な自分を不幸な孤独感に陥れるような事実や体験。
それを次の大罪を犯す道へ走らせる”引き金となる材料”は、
人によって多少なりとも異なっていても、
画一化された教育社会の中では、
そういうこと(勝手な思い込み)が同じような方向へ進むことになる…と思う。
自殺とか、動機不明瞭な殺人とかな。
だから、
そういうことに似たような間違い、勘違いが、
今、世の中にいっぱいあるみてぇだけど、
その人の人生にマトワリついて絡みつく“嘘”。というか、
本来の自分が生きるためには必要以上の知識。
その、教育や何かの思想ってのは、
ある意味、本人にとって”毒”の一つになってる可能性が高いってことだ。

かつての神戸市須磨区のゾディアック君にしても、明日また起こる殺人事件にしてもな。
で、そこには肉体の破壊(筋肉の異常、血流の異常)と、
その肉体という容れ物の中にある心(魂)とのバランス感覚が狂わされてしまう問題。
そして、自分ではない別の者に支配されてしまう問題。
…まぁ、これには、生きている人間の”目に見えない部分”での環境破壊とか自然破壊。
そういった場所へ修学旅行へ行ったりすることにも関係してくるんだけど、
それについては別の機会に…またな。
    
話を軌道修正するぜ。
   
反復するけど、
人間、「オギャーッ」と産まれてから死ぬまで、
自分の持っている力で、精一杯、堂々と生きて、
己に与えられた職責・職能をまっとうして
死ぬ時は何も思い残すこともタメライもなく、
それまで遣っていた肉体を捨てて、この世を立ち去る。
そういう人間の、本来の寿命。 (…本当は もっと細かく在ることなんだけど)
で、そこには初めから、
押してくれる者がいて引いてくれる者がいる。
人間 誰もが決して、独りでは生きられない。
たった一人では、産まれることも、死ぬことも
絶対にできないように創られている。本来は。
かつて、それは、誰にも …ブルース・スプリングスティーンにも
答えが明確にできなかった生きる理由
それを(俺は)決して、「成功」だとは思わないし、
カミュやサルトル、パスカルやニーチェ、キルケゴールとかが、
様々に枝別れして考察した“存在理由”の云々にも当てはまらない。
また、人間の生きる目的ってのは、単に「死ぬこと」ではない。
   
義務の遂行だ。
常に、何世紀に渡って、何千年という歳月の中で、
人間は、ただ、義務の遂行を果たすために生きて来た。
   
自分に与えられた力を生かして生きる。 (…「生き凌ぐ」ってのも違う)
   
『自分に与えられた力を生かして…』の「生かして」の部分も、
「活かして」(活性化して…)という意味ではない。
魂や潜在能力の開発なんて言ってる連中は必ず行き詰まる。
“マインド・コントロール”なんて、言葉そのものも愚の骨頂だ。
惑わされるな。(…俺もな)
   
で、俺たち人間は、
それぞれに違う役割を果たして、本来は、
男は男で産まれて男として堂々と生きる。
女は女で生まれて女として悔いなく生きる。
生前、どんなに不幸でも、
喜びでいっぱいになったことも、
哀しみに暮れた日々も、
すべてを受け入れて、この世で前向きに魂を成長させながら、
子孫繁栄の義務も果たせば、
この自然界(地球上)で、それぞれの職責職能をまっとうする役目もある。
それは極端な云い方で、
たとえ、殺し屋や泥棒、火付け。それを束ねて動かせる人であったとしても、
人間には一人一人に与えられた能力ってもんが備わってる。
そして、人間の魂には階級がある。
それは、人種や男女の別には関係なく、実際、
この地球上(自然界の営みの中)で、自分の役割を果たすために必要な階級。
…この辺については、これ以上は、
無理がある人も、抵抗がある人も、異論反論がある人もいるかも知れないけど、
学問の知識とか法律…人権問題なんてのも、
俺は今、そういうことを問題にしてるわけじゃないし、
誰かに何かの危険な思想を植え付けようと努力してる連中とは違うぜ。まったくな。
   
この世に生かされている人間の義務についてを云ってる。
男女平等とか、女性蔑視とか、人権…人種差別とかがどうのこうのと、
赤組(共産思想系)の連中はとくに、そういうことに煩いかも知れない。
それはそれで昨日かオトトイの北方領土でやっててくれ。
右も左も関係ないの。
…まぁ、念のため。駄目押しってことで。
   
で、ココロノ トモシビ みてぇな話が
ハーケンクロイツの仲間にされそうになってこないように断っておくけど、 (…しつけぇな)
宗教の中には、
今ここまで俺が書いてきたような“物の云い方”はない。(…蛇足も多いけど、相変わらず。
そしてこれは俺が思いついたことだけでもないし、
今でも身近にいる色々な人からも学んでいる …というか、
人間として生き残るために参考にしている。
だから、何度も云うように聞こえるかも知れないけど、
ヘンな悟りでも何かの宗派の教えでもなければ
どっかの哲学思想でも何でもない。
基本的に、人間てのが どう創られているのか? 
ってことの、おおまかな話だ。
ただそれだけの事実。
   
「それは絶対に違う
という人も、幾人かは、やがて必ず、同じようなところに辿りつくはずだ。
時間の長短はあってもな。
それほどの、紛れもない事実。間違いのない事実なの。
真実とか真相とかじゃないよ、事実。
あくまでも事実。
信じるとか信じないとか、そういうことでもなくって、
誰もが、そういう創られ方の中にあるっていう事実でしかないの。
そこから外れようとするから、自然界に抹消されることになる。
地震とか津波とか、ヘンな病気とか、
関わることもないような事件とか事故とかな。
   
   
   
こんな風変わりなヤツが、何を云っても、
世の中がどうにかなるわけじゃないし、
誰かの人生が大きく変化するわけでもない。
俺にはそんな力はないし、
そういう変化、革命が、
俺が書いていることを発端にしようなんて思ってもいない。絶対に。
ただ、
自分自身が何なのか? 
この答えを出すための手がかりの一つに役立つかどうか…。
まずそれが、俺自身、俺そのものの人間にとって…な。
ここから常に外れないようにするため、
文章中の蛇足ヵ所がある。
意味が不明な部分は軽く読み流せばいい。
誰も、「全部を理解しなければならない」という取り決めもない。
 
  
   
12月に入って、アメーバ・ブログ内で、山川健一さんという方が、
俺が読者として”承認待ち”だったものを公開してくださった。
この方は、実際に、キース・リチャーズ とサシで話をした経験もある方で、
越谷さんに並んで日本のストーンズ・フリークの代表だ。
ストーンズのことは何でも知ってる、ストーンズ・ファンの鏡のような方。
だから、“読者機能ステータス”を 俺は毎日のように確認してた。
で、なぜか、昨日(…一昨日あたりでしょうか)
山川さんのブログの読者として認められた。
嬉しかった。
 
  
アメーバ・ブログの社長、藤田さんは、まだ”承認待ち”の状態。
「無理もないよ…」といえば、そうかも知れない。
俺のページは どれもフツーじゃないし、
ブラックを通り越して危険な要素も否応にして含んでいる…だろうし、
こんなヤツが書いてる内容なんて…略。
   
「スターバックス珈琲のフレンチ・ローストをサイフォン式で、
ブラックで飲むのが好きだ!」
 
   とか、
 

「そうそう、あと、イタリアンもイイ! スマ寅はちょっと…(笑)」
 
などということだけを書いて、
(似あわねぇ…)
その上で、
伊丹哲也をカムバックさせる会 ”ってのを立ち上げていたとしたなら、
もっと大勢の人に受け入れられて、
今頃は哲也さんの“新しいファン ”も いっぱいだった・かも知れない。
そういう意味では、
別のアーティストのファンクラブやファンサイトに比べて、
かなりのハンディがある・・・・勝手だけどね。
ご本人に対しても、なるべく、なるべく失礼のないようにと思っても、
どうしても普遍的ではなくなってしまう。
もう既に嫌われているかも知れない。
それ以前に、相手にされるわけねぇよな…。
   
だいたいにおいて、
スターバックス珈琲 ”なんてシャレた店そものもが、
佐渡にはない。
これも問題だ。
数年前に離島に住み着いてから今日まで
俺の自由は20世紀に置き去りにされたままだ。
佐渡汽船㈱さん、なんとかしてくれ。
    
なんてことは思ってない。
俺は俺だ。
このまま死なずに生き続けてやる。
・・・・ もう一人、子供が産まれそうだしな。
・・・・ 小雪ちゃん。
(勝手に女の子が産まれると思って名前を用意してるバカなヤツ)
まだハッキリ判んねぇんだけどな。
   
これも、子孫繁栄の義務だ。
   
地球を丸い状態に保つためのな。