営業改革コンサルトの活動日誌! -54ページ目

みんなの党が10議席確保できた意味


マスコミへの党代表の出演が激増していますね。



また、参議院では10人以上いると、法案提出が可能になります。


これが今回、みんなの党が議席10人を確保できた重要な意味となります。



そして小沢さんが、何か仕掛けてくる可能性があります。


彼の性格的に、このまま黙っていることはないだろうと。


そうすると政界再編、解散総選挙・・・そういう政界内でのごだごだがあると、さらに好都合でしょう。



更に言えば、選挙のネット活用がさらに解禁になっていけば、それも追い風です。



あまりこのブログで政治的なことに言及するつもりはありませんが、


経営的視点で見た場合、みんなの党の戦略は、今のところ非常に順調に進んでいる印象を受けます。


ここから時期選挙までの間に、「”まともな”正論」を述べ、それに国民が賛同していくようであれば、


(というか、まずはマスコミが理解していけるようであれば)(実行能力は未知数ですが)


さらに躍進する可能性が高まります。


現時点では政権与党ではないので、自ら首を絞める行為さえしなければ、マイナス評価になる可能性は


低いわけですから。



しばらく注意して動向を見たいと思います。







自分を売り込まねばならない本当の理由


商談の初期段階で、自分を売り込まねばならない。


でも、それをきちんと出来ている営業マンは少ない。




これをする狙いは2つ。


「ラポール」と、こちらが「先生」 になること。

つまり、親和度を高めるためと、顧客よりも位置付けを高めること。


これらは、提案の前にやるべきこと。


言い換えると、顧客側の心理的な”城壁”を崩す、警戒心を解く、

そして期待を高める、こちらの発言に重みを持たせる。そういう事。




まずは親和度を高めないと。


顧客には最初に、堅牢な城壁のような防衛心理がある。


あたかもそれは、マジノライン、万里の長城。


そこを突破しなければ、その先の展開など望むべくもない。


城攻めには3倍の兵力が必要であり、正面攻撃、我攻めをすると、攻撃側に甚大な被害が出る。近代戦では二百三高地あたりがその例か。


だから、そこで会社を挙げて、知恵を絞らねばならない。


営業マンの自分の売り込みだからと、営業マン丸投げでは駄目。




天照(あまてらす)の尊。


びくともしない堅牢な岩屋の扉を、自ら開けさせたチカラは何だったか?

そのチカラを身につけねばならない。



この「ラポール」については、いろいろな本にも書いてある。


まずはそれらも参照されたい。


(具体的な手法については、いずれ本ブログでも書く予定です)




そして、


営業クリティカルパス上で最も重要なことは、「先生」になること。

つまりあなたを出来るだけ高く売り込むこと。

権威をつけること。



それはあなたの提案の、”染み込み度”を高めるため。

話の価値を高めるため。


良いことを言えば、誰でも通用するわけではない。


中身が同じでも、言う人が違えば、染み込み度は全く違う。


松下幸之助氏が言った「考えなはれ」と、貴方の言う「考えなはれ」では、人を動かす力がまったく違う。


一介の営業マン如きが言うことを、誰が、聞く耳持ちますか?



ではどうやるのか?


あるメーカーさんでは専門誌に論文を投稿させた。


何がしかの資格を取得するのも良いだろう。


・・・自分の価値を高めるために、何をすべきか?


でも、もっと幅広く、柔軟に考えても良いのだ。


「へ~!○○さんってすごいんだねえ」と顧客に言わせればしめたものだ。




毛沢東は、長江を泳いでわたった。伝説である。


アメリカで大統領選挙に出る人は、マラソンを完走していることが多い。


あのブッシュでさえ。


なぜかは分かりますね?




あなたの価値を高めるために、何をすべきか?




ここもとても大事なことなので、もっと深く考えていきましょう。




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谷沢健一さんに学んだこと まとめ


谷沢健一さん。


プロとしての実績は申し分なし。なにせ名球会入りしてますからね^^ 


でも、まったく、偉そうなそぶりはナシ。


それで、著書を読んでみると、


その理由が良く分かりました。



谷沢さんは、大変な故障や怪我からカムバックされ、すごくストイックな選手との印象があったのですが、


もっと心のエンジンは違うところにあったようです。



でも、その本に書かれていることは、ものすごく辛らつなことがかかれていたりします。


真正面から、自分が所属していた中日球団に対する批判を明記しています。


ふつう、OBとして、それなりに球団にお世話になりつつ仕事を続けようと考えたら


出来ることではないでしょう。


実際、体育会系バリバリの世界です。しがらみも大事なこの世界で、


そういう部分を断ち切って、自分の足で第二の人生を歩き始めた人の、潔さ、心地よさを感じます。




実際、監督やコーチに就任するには、それなりの”政治力”というものも必要でしょう。


中日のOBで、星野人脈に属する人は、それなりの恩恵を受けていたりします。


(それもひとつのやり方なので、否定はしませんが)



谷沢さんは現在、クラブチームを持ち、そこでの指導をされています。


今後にも期待します。



書籍はこちらです ↓ 


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谷沢健一氏の学ぶ一流の思考 その2

谷沢さんのトークショーの続きです。私が気付いたことをさらに。



プロ初打席のこと

しかも巨人戦。

緊張しまくり、いきなり2ストライクに追い込まれた。

そこで打席を外すと、長島さんがなんとサードから、「谷沢くん!こっちに打ってこい!」と

声をかけてきたそうです。

それで(あの長島さんでも4三振だったなと)と思えて、リラックスできて見事センター前!

だったそうです。



また、有名な酒マッサージについて。

あの治療の狙いは、「身体を緩めること」にあったそうです。

そして全身のバランスや血行をよくして、自然治癒力を高めるという。

打席でも身体を緩めることが出来るようになり、復帰後、打撃が向上したそうです。



この二つの話に共通しているのは、

結果を出すためには、いかに心と身体を緩めるか

これはビジネスにおいても、全く同じこと。

特に、いざというときに、結果を出すためには。

先の結果を考えてしまうと、緊張するともいっていました。


ちなみに私は良寛さんをひとつの理想像としています。


それにしても長島さんも、すごく緩んでますよねえ(笑)

まさに天才ですわ。試合中に敵チームの選手にそんな声かけますか?

すごい人ですよねえ。


もちろん谷沢さんも、このトークショーの最中もすごくリラックスしていましたね。

本当に良い意味での”ゆるさ”、会得されているようです^^

真似する天才?

恒例?日曜日的なゆるいネタをひとつ^^



うちの息子、小6


ガンガン行くタイプではなく、小2の頃の先生からは、


「高倉健」と評された男(笑)。


野球で言えば、荒木や井端タイプ?




さておき、彼は、物まねが上手い。


最新のネタは、


 ぽにょ が、トンネルの中で、人間の姿から、魚に戻っていくシーン の真似。


動画でお見せできないのが残念です^^


かなり笑えます。


こういうのを、自分で思いつくんだから、子供ってのは面白い。



ちなみに、野球でも、非常に器用なタイプですね。パワーは無いけど。


二番セカンドって感じでしょうか。


でも、真似をする、これは独創のための大事なステップです。



何もないところから、独創的なアイデアは生まれてきません。


芸事を精進していく過程を、


守・破・離


と言いますね。


最初は伝統をきちんと守り、それを打破する。そして離れていく。









谷沢健一氏に学ぶ一流の思考


先日の谷沢さんのトークショーで聞いた中で、

幾つか勉強させていただいたことを書かせていただきます。


今回は、目標設定について。


矢沢さんが、まだなかなか3割を超えられなかったときのこと。

王さんから、「谷沢君の目標は?」と聞かれたそうです。

「3割を打つことです」と答えたら、「そんなことでは駄目だ。もっと目標は高くしないと」と諭され、

実際に王さんは「ホームラン1000本打つこと」を目標としていると聞いて驚いたそうだす。

それ以降、目標を高く設定しなおすことで、根本から考え方や、取り組み方も変わり、

その結果として3割を超えられるようになったと仰っていました。

ちなみに谷沢さんは、二度も首位打者を取り、2000本安打も達成したバッターです。



よく行動心理学などでは、

「高すぎる目標設定はよくない」といわれます。

同様に、「すぐ達成できそうな目標設定も駄目」だと。

そして、「努力して到達できそうな目標が理想的」だと。

この考え方は多くの企業でも、目標を設定する際の考え方として浸透しているはずです。


でもそれは実にくだらない。単なる”お勉強”。


高すぎる目標設定自体が悪いのではない。

それに対し、「これは達成できそうもないな~と諦めること」が悪い。

むしろ、

この厳しい時代に生き抜くには、
高すぎるくらいの目標を設定すべき。


ゆえに、

ある意味の、アホさが必要。


そして、そこに至るためにはどうするかを真剣に考え、チャレンジする。行動する。

その結果、大いなる目標には至らなかったとしても、知らないうちに、これまで考えてもみなかった

高いところに登れている。


富士山に登るのに、エベレストに登る準備をしなさいとは、よく言われること。

そのつもりで準備をすれば、富士山はかなりラクに登れるのだと。


しかし目標は1000本だったんですか・・・王さん。

正真正銘のアホですな。驚いた。敬服。

またこういう話を、面白おかしく、さらっと語れる谷沢さんのフトコロの大きさにも驚きました。

谷沢健一さん著「野球のソムリエ」を購入

先日、告知させていただいた、当社作成のe-ラーニング教材のサンプル出展されている、


展示会のついでに、出版関係の展示ブースにも立ち寄ってみました。


そして、見つけたのが、谷沢健一さん著「野球のソムリエ」



営業改革コンサルタントの活動日誌!

で、なんと、トークショー今からやりますといわれ、なぜか最前列に陣取り^^


かぶりつきで約一時間、本当に楽しいお話を聞かせていただくことが出来ました!


サインボールに息子の名前を入れて頂いたり、これは野球ファンにとってはタマリマセンね。


しかも、クイズで、「矢沢さんが2000本安打を打ったときの相手投手は?」とかのかなり


マニアックな質問に、通りがかりで集まっただけのはずの集団の中から、正解が出てきてました。


野球好きな人の裾野の広さに驚きました!



え?はい? 仕事中ですが何か?^^;



ところでこの本、面白い。


野球選手の引退後について、ここまで飾らず、ありのままを書いている本って珍しいのでは?


これは起業を目指す人にとって、ものすごく勉強になる本でもあります。


今回、いろいろと経営全般に勉強になるお話しを聞かせていただいたので、それも含めおいおい、


記事でご紹介していきます。






桶狭間の戦いに学ぶ 最終章

さて、思いのほか連載記事になってしまいました桶狭間のお話^^;


今回を最終章としますので、ちょっと長くなりますがご勘弁を!




さて善照寺砦で今川義元の居所を掴んだ信長軍は、


「今川義元の首をとることのみ」を作戦目標として明確に指示し、進軍開始します。


これは当時の戦いでは極めて異例のこと。


当時は戦いに参加した者は、それぞれ、何人敵を倒したかを、相手の耳とか鼻を斬ってその証拠とし、その数でご褒美を貰っていたりしたのですから。


今で言うところの、完全出来高制^^ 


もちろん武将クラスなど、位の高い相手を討ち取った方が報酬は高くなります。



でもそれはつまり、集団で戦っているようで、実は個の戦いの集合体。


社員に高い報酬を与えれば各々働いて成果を上げてくれると考えている経営者には、一考頂きたいところです。その考え方だと、結局は個人商店の集まりでしかないわけです。



その「足し算」で得られる成果は、限定的です。信長軍にはなれません。


信長は、人事制度でも革新的であったわけですね。


信長は、合理的に、かつ鮮明に指示を出して、この戦いに臨んだのです。


(注:私は、信長を信奉しているわけではありません。あくまで研究対象です^^)




さておき。


一昔前までは、桶狭間に向かうまでの経路については、敵の目を欺き奇襲するために、迂回したという説が多勢を占めていましたが、それはいまは否定されつつあります。


現地を歩いてみれば、その迂回説がいかに非現実的か。


善照寺砦からは、現在の旧東海道を通って、一気に桶狭間まで進軍したほうが合理的です。


ちなみにその迂回説の出所は、旧陸軍。


この悪しき机上の空論が、インパール作戦などに結びついていたとすれば、本当に悲しいことです。




さて本論に戻ります。ここで重要なことを述べます。


この桶狭間の戦い。私は、『信長の計画的犯行』とみなしています。


その犯行現場である、桶狭間。この場所には重要な意味があります。


今川義元が三河方面から進軍してきて、


すでに信長から奪った二つの城、


桶狭間は、その 「大高城」か「鳴海城」 いずれかに入るための進路の分かれ目に位置します。


(下図参照)



営業改革コンサルタントの活動日誌!  

今川義元の進軍経路(青○ が桶狭間

しかもそのいずれかの城に入られてしまうと、そこから先は


清洲城まではほぼ平野となり、義元を討つチャンスはないに等しい


のです。


(新幹線に乗ると良く分かります。東京方面から来て名古屋の手前で平野が開ける辺りがちょうど桶狭間から大高の辺りです)


だから、義元がどちらの城に入るか事前に分かっていないのであれば「そこ」で討つしかない。


もちろん「そこ」より東は、今川の勢力範囲内。



まさに桶狭間とは、義元を討つには、

「そこしかない」という地点。


(注:もちろん当時の海岸線を考慮しての話です)



まさに、そんな場所で、今川義元が小休止をしてしまったのは、信長側の間者が農民に化けて貢物を差し出し、足止めをさせたとか諸説がありますが、


今川義元にすれば、敵の領内に入り、いきなりそうした歓待を受ければ、無碍にすることも難しいでしょうから


信長がそうした仕掛けをしたことは十分に考えられます。




もちろん本当に敵の総大将の首を野戦で討ち取れるか?というと、そこはかなり難しい賭けでもあります。


事実、古今東西、そういう戦いは稀です。


信長もこの作戦のリスクの大きさは十分承知していたと思われ、以降の戦では、この戦法は一回も使っていません。


でも、敵が進軍中であれば、たとえ2万とかの軍勢が相手でも、特に当時の狭い街道を進んでくるのですから、


細長くならざるを得ません。


敵将の所在さえ分かればそこを一点突破できれば、総合計の兵力差は関係ありません



すなわち、この桶狭間で討つと決め、ここから逆算して、進軍経路や通過地点(熱田神宮、善照寺砦)、兵站(食糧など)、情報網の配備など、かなり周到に練られた”計画的犯行”だったと考えたほうが自然だと私は考えます。


そうでなければ、実現は難しい作戦でもある。


桶狭間の戦いは、リスクも承知の上で、

信長が周到な準備の上で仕掛けた作戦


それが私が、現場を踏査して得た実感を伴う結論です。


準備が8割。




ところで。


最近では今川義元のこの進軍は、上洛目的ではなかったと言われています。当たり前ですね。


(すごろくじゃないんですから、このまま京都まで勝ち進んで先に到達すれば天下がとれる、という単純な話じゃございません)


今回の目的を、「織田家に対する示威的行動だ」(脅し)とすれば、圧倒的な戦力で緒戦で主要な出城を奪い、丸裸にしてしまえば、一族内での抗争も続いているから、離反者も続々出てくるだろう。


そうなれば織田家崩壊近し。


そういう狙いだとすれば、とても合点がいきます。


そして犠牲が多く出てしまう本隊同士での正面衝突は想定していなかったのではないでしょうか。


だから油断というより、虚を突かれた感じでしょうか。


決して、義元が凡将だったわけではありません。こういう政治的な駆け引きにとても長けています。


鳴海城の奪取などでは、そういう手腕が発揮されていますしね。




ということで、今回かなり長い文章を書いてしまいましたが、


★実際にその場に行ってみること。


★そして、できるだけその当時の感覚を共感できるよう努力すること

(この場合は、実際に自分も走って行軍してみる。タクシーや電車で行ったのでは絶対に分からないものがある)


そうしないことで、現実感のない諸説がこれまで罷り通っていたと思います。



そして、★マークの部分は、私が仕事をする上での矜持でもあります。


まず、その会社に行く。肌で感じる。さらにその社員の実際行動を想像できるまで共感性を高める。


机上の空論、頭でっかちは、やがてインパール作戦に繋がる。


それくらいの”危機感”を持って、それが必須だと考えています。




桶狭間の戦いに学ぶ その3


さて、熱田神宮から最前線へ。



信長の熱田神宮からの進軍経路は、


次に記録上確かに寄ったのが、善照寺砦。



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この善照寺砦。


実は、敵に奪取された鳴海城と、目と鼻の先にあります。


距離にして約600m。たいした高低差もありません。


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(地図内:青い線の左端が鳴海城、右端が善照寺砦)


奇襲作戦だとすれば、この距離感はなんだか意外な感じもしますが、


まあ、ここまでの進軍経路も、この砦の様子も、地形的にみて鳴海城から捕捉される心配は


あまりないでしょう。


でも、見つからないように動こうとするのであれば、それを最優先に考えるならば、


敵の城の近くを通るのはリスクはありますよね。



でも私は、この砦が、この戦いにおいて、とても重要な位置にあったと考えてます。


つまりそうしたリスクがあったとしても、この砦に入る必然性が。


それは、この砦に行ってもらうと良く分かりますが、この近辺では最も南東方面の見晴らしが良く、


かつ行軍しやすい(つまり山のてっぺんとかでは困る=現緑高校辺りなど)場所なのです。


桶狭間方面に進もうとすれば、ここしかないな、という場所です。



実際、「信長公記」によれば、この場所で 信長は今川義元本陣の動きに関する情報を”待ち”ます。


いわば突撃前の最終拠点。(この砦を下ったところに中島砦がありますが、ここは見晴らしはゼロです)


そして、「田楽狭間で休憩中!」との知らせを受けて、そこに急行していきます。


ちなみに戦いに勝った後のご褒美で、一番手柄とされたのは、


今川義元の首を取った兵ではなく、この一報をもたらした兵でした。


このことからも、いかに信長が敵の動きを捕捉することが、この戦いに勝利する上で重要と考えていたかが分かります。



また善照寺砦は鳴海城に対する付城(=城の監視や補給路を妨害するためのもの)


というよりも、むしろ、この突撃のための最前線基地としての機能ありきだったようにも思われます。


なぜなら、こちらからも鳴海城の様子も見えないですし、道路封鎖するにもよい場所とはいえないんです。


意図的に、早い段階からこの砦のこのような使い方(=桶狭間への最終拠点)を考えていたのだとすれば、


やはりこれは思いつきでの作戦ではなく、かなり周到に準備された作戦であるような気がします。




ところで、この近辺については、実際に走ってみた、というだけではなく、私にはかなり土地勘があります。


なぜなら、鳴海城のすぐ近くに生家があり、この鳴海城跡は今は公園になっていて私の遊び場でしたので^^


ちなみに、その裏山に入って遊んでいて、たまに油皿の破片や古銭を拾ったものです。


また、中学生のときに友達と、善照寺砦から中島砦くらいまでの下り坂でダッシュの練習をしたことがありました。

そういう土地勘も踏まえてのお話です^^

桶狭間の戦いに学ぶ その2


さて、熱田神宮で、信長は何をしたのか?


本殿で、勝利祈願をした際に、信長は、


「本殿の奥から甲冑の触れ合う音が聞こえた」と、兵達に言ったそうです。


たぶん、すごく真顔で。




ところで熱田神宮のご神体は、「草薙神剣」(くさなぎのみつるぎ)。


ヤマタノオロチの体から出てきたスサノオの剣ですね。



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草薙神剣(嘘です)




まあ、その真偽はともかくとして、そういう由緒正しき神社ですから、


こういう話をされると、効果絶大です。


恐らく信長は普段からは信心なんてまともにしていなかったでしょうから、


そういう人が言うもんですから、さらに効果が増します。



ちなみに私は、徹底した合理主義者である信長は、熱田神宮の神様も、うまく利用した、


という事に過ぎないと思っています。つまり自作自演。




さて戦勝祈願も無事終了!


ここからいよいよ、最前線へと進んでいくことになります。


平坦なところを進み、天白川を渡河すると、いよいよ、古鳴海から最前線の丘陵地帯に突入。

ここからが佳境です!


(続く)