現代短歌とともに
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象徴詩としての「ふさぎの蟲」の三

象徴詩としての「ふさぎの蟲」の三

第百五十五行

南無妙法蓮華経……お岩稲荷大明神様……

 苦しい、苦しい、汗が流れ、る

 

 当行、前段は、お岩稲荷からの祈祷の声のようだ、後段は、白秋の苦悩だろうか。

 記号言語として、「汗が流れ、る」で読点「、」が強調される。白秋、読点にも意味を持たせている。当行では、白秋の苦悩を象徴させているのだろう。

 

象徴主義は、フランス、ロシア、ベルギーを起源とする19世紀後半の芸術運動。文学では1857年に刊行されたシャルル・ボードレールの「悪の華」が象徴主義の起源とされている。辞書的な定義でいえば、「直接的に知覚できない概念、意味、価値などを、それを連想させる具体的事物や感覚的形態によって間接的に表現すること。ハトで平和を、白で純潔を表現させる類」(三省堂)

 

白秋の「ふさぎの蟲」が象徴詩であることを論じてきたが、最終行の意味を考えた。

ははははは……………………

ははははは……………………

 

 白秋、何を云わんとしているのか。「相違ない」が「菅原伝授手習鑑」からの引用であれば、関連する演目から探そう、

 

「歌舞伎美人」

一、天満宮菜種御供(てんまんぐうなたねのごくう)

◆陰謀を企む藤原時平の“七つの笑い”が眼目

 平安時代の延喜帝の御代。身に覚えのない謀反の嫌疑をかけられた右大臣菅原道真に、太宰府への流罪の宣命が下されます。左大臣藤原時平は道真を弁護しますが、勅命には逆らえず、道真は引き立てられていきます。実はこれは道真を陥れるために時平が仕組んだ罠。時平は、天下を狙う大願はまもなく成就と、高笑いするのでした。

 一人舞台に残った時平が本心を顕し、大笑いをするところがみどころで、幕が引かれる中も続く笑いが見逃せません。以上

 

 白秋、自己の胸中をこの笑いに象徴させた。

 

 「ふさぎの虫」が象徴詩であることの例証だろうか。

 

象徴詩としての「ふさぎの蟲」の二

     象徴詩としての「ふさぎの蟲」の二

第百五十四行

  変だ、何だか何処かで火事でも燃え出しさうだ、空が焼ける、子供が騒ぐ、遠くの遠くで音も立てずに半鐘が鳴る……をや、俺の脳膸(あたま)までが(きな)くさくなつて来たやうだぞ……犬までが吠え出した……何か起るに相違ない

 

 当行、注目語が「相違ない」。白秋が断言しているが、出典は「菅原伝授手習鑑」だろう。

 

 「歌舞伎演目案内」より、

菅原伝授手習鑑

松王丸の重い決断

武部源蔵は寺子屋に菅秀才を(かくま)っていますが、それが時平(しへい)方に知れ首を討って渡せと厳命されています。身替りの子はと苦慮しているところへ、今日寺入りした美しい面差(おもざ)しの小太郎と対面、源蔵の思いは決まりました。やがて首実検役の松王丸がやって来ますがいずれを見ても山里の子ばかり、もう一人いるはずと迫る松王丸の前に差し出された首は・・・「菅秀才の首に相違ない」、そう告げて松王丸は立ち去ります。やがて小太郎を迎えに来た母が「若君菅秀才のお身替り、お役に立てて下さったか?」と叫ぶとそこへ松王丸も現れ「女房喜べ、せがれはお役に立ったわやい!」。なんと松王丸夫婦が我が子を身替りにして、菅丞相への旧恩・忠義を立てたのでした。以上

 

 忠義のため、我が子を身代わりに死なせた、それも、「首実検という検認役もさせられた、その悲哀を「相違ない」で表現させる。

 戯作者は、虚偽を云わねばならぬ苦痛を観客に共感させる。普通、嘘は自己を守るために使われる。だが、他利もある、この場合は菅丞相の為の犠牲だろう、

 

 戯作者は,父親が「わが子」を主君の為差し出した、その苦しみを音楽的・暗示的な手法で情調を象徴化して表現した。白秋は、「相違ない」に象徴詩を感じたのだろう。「嘘こそ誠」、白秋の犯罪者としての在り方が象徴詩となる。新聞でも騒がれた。

 

 白秋、大正に代わり、「桐の花」を売り出す、失意の作者の歌集だから注目されている。売れるに違いない。

 

 白秋の生き方は、「宝石商人」、参考歌、

白き露台

 

私は思ふ、あのうらわかい天才のラムボオを、而して悲しい宝石商人の息づかひを、心を

 

アーク燈いとなつかしく美くしき宝石商の店に春ゆく

 

美くしく小さく(つめ)たき緑玉(エメラルド)その玉()らば(かな)しからまし

 

いと憎き宝石商の店を出で泣かむとすれば雪ふりしきる

 

 長年の謎「宝石商の店とは」、本屋さんのようだ、象徴主義の歌は注目されるだろう。

 

象徴詩としての「ふさぎの蟲」の二

象徴詩としての「ふさぎの蟲」の二

第百五十四行

  変だ、何だか何処かで火事でも燃え出しさうだ、空が焼ける、子供が騒ぐ、遠くの遠くで音も立てずに半鐘が鳴る……をや、俺の脳膸(あたま)までが(きな)くさくなつて来たやうだぞ……犬までが吠え出した……何か起るに相違ない

 

 当行、注目語が「相違ない」。白秋が断言しているが、出典は「菅原伝授手習鑑」だろう。

 

 「歌舞伎演目案内」より、

菅原伝授手習鑑

松王丸の重い決断

武部源蔵は寺子屋に菅秀才を(かくま)っていますが、それが時平(しへい)方に知れ首を討って渡せと厳命されています。身替りの子はと苦慮しているところへ、今日寺入りした美しい面差(おもざ)しの小太郎と対面、源蔵の思いは決まりました。やがて首実検役の松王丸がやって来ますがいずれを見ても山里の子ばかり、もう一人いるはずと迫る松王丸の前に差し出された首は・・・「菅秀才の首に相違ない」、そう告げて松王丸は立ち去ります。やがて小太郎を迎えに来た母が「若君菅秀才のお身替り、お役に立てて下さったか?」と叫ぶとそこへ松王丸も現れ「女房喜べ、せがれはお役に立ったわやい!」。なんと松王丸夫婦が我が子を身替りにして、菅丞相への旧恩・忠義を立てたのでした。以上

 

 忠義のため、我が子を身代わりに死なせた、それも、「首実検という検認役もさせられた、その悲哀を「相違ない」で表現させる。

 戯作者は、虚偽を云わねばならぬ苦痛を観客に共感させる。

 

 戯作者は,父親が「わが子」を主君の為差し出した、その苦しみを音楽的・暗示的な手法で情調を象徴化して表現した。白秋は、「相違ない」に象徴詩を感じたのだろう。象徴主義とは、

 

象徴主義の詩。一九世紀末フランスに起こり、ボードレールを始祖とし、マラルメ、ランボー、ベルレーヌらの作品が有名である。日本では、蒲原有明、北原白秋、三木露風、萩原朔太郎らの詩にその傾向が見られる。以上。

 

白秋の思ひは、「我は行く」だろうか、最後の大笑いが決意表明なのだろう。

ははははは……………………

ははははは……………………

 

 白秋、の大笑い、精神力は強い、

 

象徴詩としての「ふさぎの蟲」

        象徴詩としての「ふさぎの蟲」

第百五十四行

  変だ、何だか何処かで火事でも燃え出しさうだ、空が焼ける、子供が騒ぐ、遠くの遠くで音も立てずに半鐘が鳴る……をや、俺の脳膸(あたま)までが(きな)くさくなつて来たやうだぞ……犬までが吠え出した……何か起るに相違ない

 

 当行、「遠くの遠くで音も立てずに半鐘が鳴る」に注目すれば、象徴詩なのだろう。その定義は、「世界史の窓」では、科学的合理性や写実を否定し、象徴的手法で物事の真の姿を暗示する。

 当行では、「遠くの遠くで音も立てずに半鐘が鳴る」が該当する。

常識では、遠くの音は聞こえず、音を立てずに半鐘を鳴らすことが出来ない。

 白秋の心を類推してきて、当行から最終二行の意味が読み解けてきた。世俗を去り、詩に生きるだろうか。

 最終二行は、

 

 ははははは……………………

 ははははは……………………

 

  この最終二行で白秋、何を笑い飛ばしているのか。

 

 当時の白秋は、犯罪者として「朱欒(大正元年九月号)」に「わが愛する人々に」で謝罪文を書いている。だが、同時期に書かれた当小品の最終行は、白秋の大笑いなのだ。

 心のままを書けない。耽美に生きれば、親族郎党が生きてゆけない。その苦しみを笑うことで耐えることだろう。その「笑ふ」を後に歌にしている。

 

雲母集(1915、大正4年)

 三崎哀傷歌

大正二年一月二日、哀傷のあまりただひとり海を越えて三崎に渡る。淹留旬日、幸に命ありてひとまづ都に帰る。これわが流離のはじめなり。

 

 深々と人間笑ふ声すなり谷一面の白百合の花

 

 笑うという意味、「春の芽吹きはじめた華やかな山の形容」広辞苑。さらに参考歌、

 

  夏の野の繁みに咲ける姫百合の知れえぬ恋は苦しきものぞ

                    万葉集 大伴郎女

 

 白秋の片恋の思いを込めて;

 

さはいへどそのひと時よまばゆかりき夏の野のしめし百合の花

                みだれ髪  与謝野晶子

 

第百六首

 すっきりと筑前博多の帯をしめ忍び来し夜の白百合の花

                  

 白秋の耽美も冴えわたる、

 

すつきりと筑前博多の帯をしめ忍び来し夜の白ゆりの花

 

 「桐の花事件」は、白秋の失敗ではなく、耽美の極み、これは言えないので、「ふさぎの虫」として公表した。だから、読み解く人が居ない。世間に逆らう内容なので象徴詩にした。だから意味不明でここまで来た。ここまで来てうれしい。

白秋の新生への思い

白秋の新生への思い

「ふさぎの蟲」第百五十三行

かと思ふと何時の間に帰つて来たのか末の弟の中から博多節か何か歌つて居る。

 

末の弟とは、四男の北原義雄で美術系を専門とした出版会社のアトリヱ社の代表。

 長男は、生まれてすぐ死んだ。次男が白秋で三男が鐵雄、慶応義塾大学中退。白秋と阿蘭陀(オランダ)書房(のちのアルス)を創立。芸術雑誌「ARS」や日本初の写真雑誌「CAMERA」を創刊。 「日本児童文庫」シリーズや、文芸・美術一般書、写真関係書、『白秋全集』をはじめとする白秋の著作の大半を出版した。

 

 博多節、俗謡の一つ。博多の花柳界で歌われる歌で、「ドッコイショ」と「正調博多節」の二種ある。どちらも純粋な博多起源ではない。「ドッコイショ」は歌の中に「ドッコイショ」、終わりに「ハイ今晩は」の囃子詞(はやしことば)がある。明治二〇年(一八八七)頃、山陰の石見地方から移されたもの。

 

当行、「厠」が注目語。川の上に設けた川屋の意とも、家の外側に設けた側屋の意ともいう。

 当集でも、初出だ。何故、白秋が世俗語を出したのか。歌語で満ちた耽美から、下世話な下ネタに落ちるのか。

 身体で分けるなら、上半身と下半身になる。美と醜、耽美と快楽、本音と建前だろうか。

 白秋としては、両立させたいのだろう。参考文として、東京景物詩及其他の「余言」を上げる。

 

われら今高華なる都会の喧騒より逃れて漸く田園の風光に就く、やさしき粗野と原始的単純はわが前にあり、新生来らんとす。

 

 以後の活躍は素晴らしい、現代でも彼の詩は歌われ続ける。白秋がこの「ふさぎの虫」で「新生」を思ったことは間違いない。だが、謹慎の身だから、「戯奴(ヂヤオカア)」のふりをすることで、彼の決意を述べたのだろう。

 

白秋の江戸情緒と紺蛇目傘

     白秋の江戸情緒と紺蛇目傘

「ふさぎの蟲」第百五十二行

昼間の光に薄黄色い火の線と白い陶器(せともの)とが充分(いつぱい)にダラリと延ばした紐の下で、畳とすれすれにブランコのやうに部屋中揺れ廻つて居る、地震かしらと思ふ内に赤坊(あかんぼ)が裸で匍ひ出して来た、内儀(かみ)さんが大きなお尻だけ見せて、彼方(あちら)向いて事もあらうに座敷の中でパツと蛇目(じやのめ)拡げる

 

 当行、重文(じゅうぶん)、主述関係が成り立つ、対等の資格をもった文章が二つ以上含まれているもの。

五文となり、主語が「お内儀さん」、目的語が「紺蛇目傘」で、他動詞が「拡げる」。白秋は、彼の美学の心象図を文字化したものだろう。

 白秋の意図は、象徴詩の手法で、白秋の心象絵図をえがきだすことだとすれば、「紺蛇目傘」がその象徴語となる。

 また、注目語が「大きなお尻」で、生殖器によって象徴される豊饒(ほうじょう)力になり、対称語が後の「睾丸(きんたま)」となる。

 

 第一文と第二文では、当行の主役である「笠」が「白い陶器(せともの)の笠」で、「薄黄色」と「白」が「揺れ廻つて居る」。

 白秋が二階の書斎から、隣の下座敷を覗いている訳だが、白秋の幻視で間違いないだろう。普通、電灯は居間の中心に据えられる。それが、「畳とすれすれに」「部屋中揺れ廻つて居る」のだから、「座敷の中でパツと紺蛇目傘を拡げる」のは物理的にあり得ない。戯奴である白秋のマジックということだろう。

 「紺蛇目傘」が「事もあらうに」と大事であることを示すので、象徴語であることが確認できる。

 

蛇目傘とは、地色が紺で白の蛇の目の舞踊向けの傘。単語を分解すれば、紺」「蛇目」「傘」となる。

 

 この「紺蛇目傘」の参考詩、「紺」が「むらさき」に対応する。

 

 

東京景物詩及其他

雪と花火

  夜ふる雪

 

蛇目(じやのめ)(かさ)にふる(ゆき)

むらさきうすくふりしきる。

 

(そら)(あふ)げば(まつ)()

(しの)びがへしにふりしきる。

 

(さけ)()うたる(あし)もとの

(うす)(ひかり)にふりしきる。

 

拍子木(ひやうしぎ)をうつはね(まく)

(とほ)いこころにふりしきる。

 

(おも)ひなしかは()らねども

見みえぬあなたもふりしきる。

 

河岸(かし)()ふけにふる(ゆき)

蛇目(じやのめ)(かさ)にふりしきる。

 

(みづ)(おもて)にその陰影(かげ)

むらさき(うす)くふりしきる。

 

(さけ)()うたる足もとの

(よわ)(なみだ)にふりしきる。

 

(こゑ)もせぬ()のくらやみを

ひとり(とほ)ればふりしきる。

 

思ひなしかはしらねども

こころ細かにふりしきる。

 

蛇目(じやのめ)の傘にふる雪は

むらさき薄くふりしきる。

 

注、歌舞伎「助六由縁江戸桜」

黒の紋付に江戸の鉢巻、蛇の目傘をかざした助六を描く。白秋が「東京景物詩及其他」の序文に「わかき日の饗宴を忍びてこの怪しき紺と青との詩集」と書いているように「紫」へのこだわりが偲ばれる。

 

雨あがり

 

やはらかい銀の毬花(ぼやぼや)の、ねこやなぎのにほふやうな、

その湿(しめ)つた水路(すゐろ)単艇(ボート)はゆき、

書割(かきわり)のやうな杵屋(きねや)

(うら)の木橋に、

紺の蛇目傘(じやのめ)をつぼめた、

つつましい素足のさきの爪革(つまかは)のつや、

薄青いセルをきた筵若の

それしやらしいたたずみ……

 

ほんに、ほんに、

黄いろい柳の花粉のついた指で、

ちよいと今晩(こんばん)は、

なにを弾かうつていふの。

四十三年七月

注、杵屋(きねや)、料亭のことだろう。

爪革(つまかは)、下駄の前部分にほこりや雨時の泥跳ねを避けるために、指の部分につけた革製の覆い。

筵若、えんじゃく、初 代 市川莚若

初代市川左團次の女婿、1886–1940。

それしやらしい、上品で優美な様子。

 

 次に「蛇目傘(じやのめ)」とは、神の使いの蛇の目をかたどっていて魔除けとされた。

 

 「傘」とは、「翳す(かざす)」から来たとみられている。 頭部や身体を雨雪や日光から守るために覆い、影をつくる用具という意味らしい。

 童謡の参考詩、

 

あめふり

あめあめ ふれふれ かあさんが

じゃのめで おむかえ うれしいな

ピッチピッチ チャップチャップ

ランランラン

 

かけましょ かばんを かあさんの

あとから ゆこゆこ かねがなる

ピッチピッチ チャップチャップ

ランランラン

 

あらあら あのこは ずぶぬれだ

やなぎの ねかたで ないている

ピッチピッチ チャップチャップ

ランランラン

 

かあさん ぼくのを かしましょか

きみきみ このかさ さしたまえ

ピッチピッチ チャップチャップ

ランランラン

 

ぼくなら いいんだ かあさんの

おおきな じゃのめに はいってく

ピッチピッチ チャップチャップ

ランランラン

 

 白秋の詩が好まれるのは、オノマトペが素晴らしいからだろう。冷戦の時代、「核の傘」という言葉が使われた。懐かしい言葉だ。

白秋のグロキシニアは罪悪の結晶

       白秋のグロキシニアは罪悪の結晶

「ふさぎの蟲」第百五十一行

おや、もう電燈(でんき)が点いて居る

 

 当行、行頭が「おや」で、感動詞。感動詞は「まあ」「さあ」のように、感動・呼びかけ・応答などをあらわします。自立語で活用がない体言で、普通は文頭にある という特徴があります。

次語が「もう 」で、副詞。 現に、ある事態に立ち至っているさま。また、ある動作が終わっているさま。

 二語で、「電燈(でんき)が点いて居る」を修飾し、「夜」になったと宣言している。

 白秋の回りくどい文言は、読者への注意喚起なのだろう。当行では「夜」となる。参考詩、

 

思ひ出

 

(よる)は黒…………銀箔(ぎんぱく)裏面(うら)の黒。

(なめ)らかな瀉海(がたうみ)の黒、

さうして芝居の下幕(さげまく)の黒、

幽靈の髮の黒。

 

夜は黒…………ぬるぬると(くちなは)の目が光り、

おはぐろの(にほひ)いやらしく、

千金丹の(かばん)がうろつき、

黒猫がふわりとあるく…………夜は黒。

 

夜は黒…………おそろしい、忍びやかな盜人(ぬすびと)の黒。

定九郎の蛇目傘(じやのめがさ)

誰だか(くび)すぢに(さわ)るやうな、

力のない死螢の(はね)のやうな。

 

夜は黒…………時計の數字の奇異(ふしぎ)な黒

血潮のしたたる

(なま)じろい鋏を持つて

生膽取(いきぎもとり)のさしのぞく夜。

 

夜は黒…………(つぶ)つても瞑つても、

青い赤い無數(むすう)(たましひ)の落ちかかる夜。

耳鳴(みみなり)の底知れぬ(よる)

暗い夜。

ひとりぼつちの夜。

 

夜…………夜…………夜…………

注、下幕(さげまく)の黒、後ろ幕、舞台の背景をすっぽり隠すように掛けられている幕ですが、多くは黒色で夜や暗闇を表します。

定九郎の蛇目傘(じやのめがさ)、次行の「蛇目傘」のこと。

時計の數字の奇異(ふしぎ)な黒、ここで「時計の針、I(いち)とIとに来(きた)るとき」が導き出される。画像参照、

 時針がIIを指している。また、白秋の書斎の時計もIIが読み取れる。挿絵参照、

(たましひ)の薄き瞳を見るごとし時雨の朝の小さき自鳴鐘(めざまし)

 

 深夜の二時とは、「丑の刻」であり、昼とは同じ場所でありながら「草木も眠る」と形容されるように、その様相の違いから常世へ繋がる時刻と考えられ、平安時代には呪術としての「丑の刻参り」が行われる時間でもあった。また「うしとら」の方角は鬼門をさすが、時刻でいえば「うしとら」は「丑の刻」に該当する。ウイッキ

 

 そこで、次の二首を見てゆきたい。

 

IV 哀傷終篇

夜ふけて

 

ぐろきしにあ(、、、、、、)つかみつぶせばしみじみとから(くれなゐ)のいのち忍ばゆ

 

時計の針、I(いち)Iとに(きた)るときするどく君をおもひつめにき

 

 白秋は「ぐろきしにあ(、、、、、、)」と濁点を打っている。その指し示す「白猫」の文章、

 

将に午前二時半、夜明前三時間、拭きすました紫檀の机に鏡を立て、つくづくと険しくなつて了つたわれとわが顔をぢつと凝視(みつ)めてゐた私は心の底から突きあげてくる(かな)しさと狂ほしさから、思はず傍にあつたグロキシニアの真赤な花を抓みつぶした――鏡の中に一層ひときは強く光つてゐた罪悪の結晶が血のやうに痙攣(つりかゞ)んだ五つの指の間から点々と滲み出る。

 

 「罪悪の結晶」と「血のやうに」に符合する出来事は、鎭夫の自刃か俊子との情事だが、やはり鎭夫の自刃だろう。参考詩、

 

思ひ出

たんぽぽ

 

わが友は自刄したり、彼の血に染みたる亡骸はその場所より靜かに釣臺に載せられて、彼の家へかへりぬ。附き添ふもの一兩名、痛ましき夕日のなかにわれらはただたんぽぽの穗の毛を踏みゆきぬ、友、年十九、名は中島鎭夫

 

あかき血しほはたんぽぽの

ゆめの(こみち)にしたたるや、

君がかなしき釣臺(つりだい)

ひとり入日にゆられゆく…………

注、釣臺(つりだい)、物をのせてかついで行く台。板を台とし、両端をつり上げてふたりでかつぐ。嫁入道具・病人などをのせて運ぶのに用いる。

 

 白秋は、鎭夫との因縁を「さきの世」からのものと受け止めていたようだ、参考詩、

 

第二邪宗門

熊野の烏

 

夜は深し、熊野の烏

旅籠(はたご)の戸かたと過ぐ、

一瞬時(いつしゆんじ)、――燈火(ともしび)(さを)

閨を(おほ)ふかぐろの(つばさ)

(あほ)()()うらを()かし

消えぬ。今、(しん)として

冷えまさる恐怖(おそれ)の闇に

身は急に(つひ)ゆる心地(ここち)

「変らじ。」と(をみな)の声す。

()(うめ)く、熊野の烏。

丑満(うしみつ)誓請文(きしやうもん)

今か成る。宮のかなたは

忍びかに雨ふりいでぬ。

『誓ひぬ。』と男の声す。

刹那、また、しくしくと

痙攣(つりかが)む手脚のうづき、

生贄(いけにへ)苦痛(くつう)か、あなや、

護符ちぎる呪咀(のろひ)のひびき

 

はた(ヽヽ)と落つる、熊野の烏。

と思へば、こは如何(ヽヽ)に、

身は烏、(くちばし)黒く

黒金の重錘(おもり)の下に

(はね)(ひら)み、打つ()す凄さ。

はた、固く、(しび)れたる

血まみれの頭脳(づなう)の上ゆ、

暗憺と(すく)まりながら

(たま)はわが(むくろ)をながむ、

注、熊野の烏、熊野権現の境内に群棲し、その神使とされる烏。

閨、ねや、寝室。

ねま。寝室

かぐろ、黒い。

丑満の起請文、うしみつのきしょうもん、丑の刻を四分してその第三に当たる時刻に行う行で、起請文とは、神仏に呼びかけて、もし己の言が偽りならば、神仏の罰を受けることを誓約し、また相手に表明する文書。

護符ちぎる呪咀(のろひ)のひびき、護符とは、神仏の名や形像、種子 (しゅじ) 、真言などを記した札。 身につけたり壁にはったりして神仏の加護や除災を願う。白秋の身に着けた護符をちぎり、呪いをかける。身を挺して呪いをかけた。

魂(たま)はわが骸(むくろ)をながむ、読点ではなく句点で終わっている、残りは削除したのだろうか。白秋の霊が分離して、上から眺めている。これは、死後、魂が分離する現象だろう。ここで、祈祷を終えたのだろう。

 

 白秋の苦悩は深刻で、超常現象を経験したよ思う。「鋭く」が意味するところか、

時計の針、I(いち)とIとに(きた)るときするどく君をおもひつめにき

 

 白秋にとって丑満(うしみつ)は罪悪が結晶する時、次の詩も何回も読んで身に染みる。

 

 「邪宗門」

「灰色の壁」

 

灰色(はいいろ)(くら)き壁、見るはただ

恐ろしき一面(いちめん)の壁の(いろ)

(ろう)(げつ)十九日(じふくにち)

丑満(うしみつ)()(やかた)

(みづし)めく唐銅(からかね)(ひつ)(うへ)

(しよく)青うまじろがずひとつ()る。

時にわれ、朦朧(もうろう)黒衣(こくえ)して

天鵝絨(びろうど)のもの(にぶ)(ゆか)に立ち、

ひたと身は(てつ)(くず)

磁石(じしやく)にか吸はれよる。

足はいま(くぎ)つけに(しび)れ、かの

黄泉(よみ)()はまのあたり(ぬか)()す。

 

 白秋の悪因縁、これが「桐の花」の底にあり、晶子が影の花、さすがの万華鏡だ。

白秋のわが世さびしき片恋

       白秋のわが世さびしき片恋

「ふさぎの蟲」第百五十行

急に寂しくなつて、まじまじと下を向く、とまた生憎な、目に入るでもなく庭の垣根越しに向ふの長屋の明け放した下座敷が見える。

 

 白秋、前行での俊子との「悪因縁」を思い起こす。俊子とは、手切れ金を払い別れ「縁切り」をした。そして俊子は、故郷に帰った。「大正元年八月二十六日午後四時過ぎ」の状況だ。

 前前行で「また意久地なしの霊魂(たましひ)が滅入つて了」て、白秋の視点は、上から下へ下がってがってゆく。白秋「急に寂しくなつて、まじまじと下を向く」と、そこは現世が垣間見える。

そこで「わが世さびし」が思い起される。対応歌、

 

 わが世さびし身丈(みたけ)おなじき茴香(うゐきやう)も薄黄に花の咲きそめにけり

 

 晶子の身長は166センチのようで、白秋が168で「身丈(みたけ)おなじき茴香(うゐきやう)」らしい。片恋なので、花が咲いても我が世では結ばれない。

 晶子の対応歌、

乱れ髪

春思

かくて果つる我世さびしと泣くは誰ぞしろ桔梗さく伽藍(がらん)のうらに

 

 斎藤茂吉のさびし『さびし』の伝統によれば、

この『さびし』の語は、人間本来のある切実な心の状態をあらはすのに適当な語である。

白秋は「昼の思」でこう述べる、

涙を惜め、涙を惜め、高品なわかい心のそこひもわかぬ胸の秘奥に啜り泣けよ。芭蕉の寂びはまだうら若い私達が落ちつくところではない、少くとも世を楽しむメエテルリンクの悲愁(かなしみ)神秘(ミスチツク)な蒼い陰影の靄の中に寂しい心の在所(ありか)を探す物馴れぬ Stranger の心持、その心を私は慕ふ。以上

 

 白秋の「片恋」の片相聞歌と言えるだろう。

「わが世さびし」とは、かなわぬ恋の現世を嘆き悲しむ、

 「芭蕉の寂び」を知る手がかりとして、「愁に住すものは愁をあるじとし」が含まれる名文、

 芭蕉

嵯峨日記 

 

長嘯隠士の曰、客は年日の(ひま)を得れば

主は年日の閑をうしなふと。

素堂此こと葉を常にあはれむ。

 

朝の間雨降。

今日は人もなしさびしきまゝに、

むだ(がき)して遊ぶ。其詞

 

  ()に居るものは悲しみをあるじとし

  酒を飲ものはたのしみを(あるじ)とし

  (うれひ)に住すものは愁をあるじとし

  徒然に(まか)するものはつれづれを主とす

 

さびしさなくばうからまし と、

西上人のよみ侍るは、さびしさを主なるべし。

叉よめる、

  山里にこはまた誰をよぶこ鳥

   ひとりすまんと思ひしものを

 

獨すむほどおもしろきはなし。

 

注、嵯峨日記、元禄4年(1691)4月18日から5月4日まで京都嵯峨の去来の(らく)柿舎(ししゃ)に滞在したときのもの。

長嘯隠士(ちょうしょういんじ) 木下長嘯子(1569-1649)。木下勝俊。細川幽斉に学んだ歌人。

西上人、西行上人。

「閑古鳥」「呼子鳥」はともに郭公の異名であり、「閑古鳥」は鳴く声の寂しさに重きを置いた名。

 

 さびしさなくばうからまし、ここが肝要で、白秋が時たま「ひらがな詩」を書く手法で、漢字かな交じりより、意味が深くなる。日本語の面白さと言えるだろう。

 

 最後に「昼の思」より晶子への賛辞、

 

而してまた公園の昼のアーク燈を、白昼のシネマトグラフの瞬き、或は薄い面紗のかげに仄かに霞む人妻の愁はしい春の素顔を。

 注、面紗、ベール。

 

 

白秋の悪因縁

            白秋の悪因縁

「ふさぎの蟲」第百四十九行

 と、Gen-gen, byō-soku-byō…… Gen-gen, byō-soku-byō……

 

 「と」とは、芝居のト書き。台本に書かれた、セリフ以外の、上演するために必要な登場人物の動作や行動、心情などを指示した文章。

 当行では、呪文を指す、「ふさぎの虫」文中に「南無妙法蓮華経」とあるから、法華経にある陀羅尼だろう。

 陀羅尼(だらに)とは、インドの昔の言葉「梵語」で、仏さまにお唱えする祈りの言葉、つまり「真言(しんごん)」をいい、真言とは精神統一して願い事をかなえる為の呪文をいう。

 この「ふさぎの虫」での白秋の祈願は「男女の縁切り」、悪縁からの解放を願う。これは、次の文章で理解できる。

 

Gen-gen, byō-soku-byō …… Gen-gen, byō-soku-byō……お岩稲荷大明神様……南無妙法蓮華経……どうぞ旦那との縁が切れますやうに……

 

「悪因縁だ」――(やが)てしてほつと眼を下に落して又染々と剃刀の刃を手元に引よせた。

「悪因縁だ」――もう逃れつこはありやしない。

 

 南無妙法蓮華経……

 まだまだあの女将(おかみ)はやつてゐる。キリキリと砥石に一当(ひとあて)あてて、じつと聴くともなく()を返すとホロリと涙が落ちた。以上

 

  白秋にとって悪因縁とは、前世からの因縁により、再度罪を犯すこと。俊子との悪因縁がこれにあたる。

 また、俊子が「悪因縁」の対象であることの例証として、挿絵を見てもらいたい。俊子の下の蛇が描かれている。蛇とは「安珍清姫伝説」で、清姫が蛇となって安珍を焼き殺したことを暗示している。

 

 白秋にとって、また妄信でもある。「わが生いたち」より、参考文、

 

 (のち)には晝の日なかにも蒼白い幽靈を見るやうになつた。黒猫の背なかから(にほひ)の強い大麥の穗を眺めながら、(さき)の世の母を思ひ、まだ見ぬなつかしい何人(なにびと)かを探すやうなあどけない眼つきをした。ある時はまた、現在のわが父母は果してわが眞實の親かといふ恐ろしい(うたがひ)(かか)つて酒桶のかげの蒼じろい(かび)のうへに素足をつけて、明るい晝の日を寂しい倉のすみに坐つた。その恐ろしい(なぞ)を投げたのは氣狂(きちがひ)のおみかの婆である。温かい五月の苺の花が咲くころ、樂しげに青い硝子を碎いて、凧の絲の鋭い上にも鋭いやうに瀝青(チヤン)の製造に餘念もなかつた時、彼女(かれ)は恐ろしさうに入つて來た、さうして顫へてる私に、Tonka John. (おまへ)のお母つかさんは眞實(ほんと)のお(つか)さんかろ、返事をなさろ、證據があるなら出して見んの――私は青くなつた、さうして駈けて母のふところに抱きついたものの、また恐ろしくなつて逃げるやうに父のところに行つた。丁度何かで不機嫌だつた父は金庫の把手(とりて)をひねりながら(かぎ)の穴に鍵をキリリと入れて、ヂロツトとその兒を振りかへつた、私はわつと泣いた。それからといふものは小鳥の歌でさへ私には恐ろしいある(ささや)きにきこえたのである。以上

 

 その「悪因縁」が現実に起こったのが、鎮夫の自害だった。

 日露戦争直前にロシア文学を好む鎮夫が、露探(スパイ)と疑われ、その苦痛から短刀で咽喉を突いて自殺した。

 彼との縁も「悪因縁」と知る、「前(さき)の世の恋か」と書いている参考詩、前世では、恋人同士であった、

 

邪宗門

灰色の壁の第六連

 

灰色(はひいろ)(くら)き壁、見るはただ

恐ろしき一面(いちめん)の壁の色。

悪業(あくごう)(をは)りたる

時に、ふとわれの手は

(にぎ)るかたちして見出(みい)ださる。

ながむれば(はに)あらず、(こて)もなし。

ただ暗き壁の(おも)冷々(ひえびえ)と、

うは湿(しめ)り、一点(いつてん)の血ぞ光る。

(さき)の世の恋か、なほ

骨髄(こつずゐ)に沁みわたる

この怨恨(うらみ)、この呪咀(のろひ)、まざまざと

人ひとり幻影(まぼろし)に殺したる。

注、はに【埴】、きめの細かい、黄赤色の粘土。昔、かわら・陶器の原料にした。

鏝、こて、しっくい・泥などを壁に塗りつけるのに使う道具。

前(さき)の世の恋か、白菊丸伝説。前世では恋人同士で心中した。

 

 因縁とは、仏語、物事が生じる直接の力である因と、それを助ける間接の条件である縁。すべての物事はこの二つの働きによって起こる。そして、輪廻転生する。

 

 白秋が「ふさぎの虫」を書いている書斎は、お岩稲荷裏、霊岸島にある。お岩伝説では、子供の頃疱瘡を病み、醜い顔になり、結婚できたが夫の浮気で不幸な死に方をして、夫一族を呪い殺した。

 呪殺というのだが、白秋にとっては、鎮夫が剃刀で自害したので「剃刀(かみそり)」が悪因縁の象徴語になったようだ。参考歌、

 

  III 清元

 

  二

 

ひいやりと剃刀(かみそり)ひとつ落ちてあり鶏頭の花黄なる庭さき

 

  三

 

(かす)かにも光る虫あり三味線の弾きすてられしこまのほとりに

 

蟋蟀(いとど)ならばひとり鳴きてもありぬべしひとり鳴きても夜は明けぬべし

 

 鶏頭が悲しみの象徴語であるのは詩を読めばわかる。

 

 「光る虫」と「蟋蟀(いとど)」がどう結びつくかが謎だったが、「昼のホタル」と同様に、白秋の幻視のようだ。挿絵を眺めていて、理解できない物が描かれている。鶏頭の左にあるのだが、コオロギとホタルを合わせた生き物のようだ。

 

 白秋、絵解きが好みのようで面白い。最後に、

 ははははは……………………

 ははははは……………………

 

 白秋、「悪因縁」を笑い飛ばしているのだろうか。

鬱ぐ白秋

         鬱ぐ白秋

ふさぎの蟲」第百四十八行

悄気(しよげ)る、(ふさ)ぐ……涙がホロホロと頬つぺたを流れる。

 

 当行、白秋の心情の発露と言えよう。「鬱ぐ……」の「……」が記号文字として美しい。これが「ふさぎの蟲」をを示すのだろう。

 白秋が当時の心境を、「心は荒れに荒れすさんだ」と述べた、参考文、

 

雪と花火余言

東京景物詩改題に就て

七月に私の恋愛事件が破綻して、私は急転直下して涙の人となつた。翌年の春に至るまで、私は憔悴し、沈淪し、神経は狂ひ、心は荒れに荒れすさんだ。私は独になり、私の前後四方は真つ暗になつた。私は幾度か海を渡つて旅をした。苦しかつた。今思へば涙が垂れる。

かの悲しい『桐の花』の哀傷篇はその時出来たのである。而して寂しい冬の間に『桐の花』の編輯が()つと完成し、初めて市に出るやうになつた。

 私はたゞ泣いて歌つた。

 

死なむとすればいよいよに

いのち恋しくなりにけり。

身を野晒になしはてて、

まことの涙いまぞ知る。

 

人妻ゆゑにひとのみち

汚しはてたるわれなれば

とめてとまらぬ煩悶の

罪のやみぢにふみまよふ。

 

この野晒の一篇がその時の私の生活の全部である。この詩は必ずこの集の増補に入る可きものでありながら、(さき)に『白金の独楽』に収めて了つてある。それで今改めて、ここに転載して置く。以下略、

大正五年七月

南葛飾紫烟草舎にて

 

 

これで、白秋の「」が「ふさぎの虫」であることが解る。その(ふさぎ)の原因の一つが人妻の晶子、参考歌、

 

「桐の花」第三百三十三首

第九章「白き露台」第三十六首

小題「女友どち」の四

 

嗅ぎなれしかのおしろいのいや薄く(つめ)たき(なさけ)忘られなくに

 

 白秋の悲しみが「薄く冷(つめ)たき情(なさけ)」に込められている。

 元歌は、これだろう、

 

       題しらず     読人知らず 

                     

いそのかみふるから小野のもとかしはもとの心は忘られなくに 

 

 いそのかみは「ふるから(古い(から))」を出すための枕詞で、

もとかしは 、冬になっても落ちな柏の葉 、もとと元を連ねて、

  冬になっても落ちない「もとかしは」のように、いつまでたっても元の心はわすれられない。

 

 

 謎が一つ、白秋が「おしろい」に変えたのは「桐の花」からのようだ。「思ひ出」では「おしろひ」で、参考詩、

 

斷章

三十五

 

縁日(えんにち)の見世ものの、(くさ)き瓦斯にも(おもて)うつし、

怪しげの幕のひまより活動寫眞(くわつどう)の色は透かせど、

かくもまた廉白粉(やすおしろひ)の、人込(ひとごみ)のなかもありけど、

さはいへど、さはいへど、わかき身のすべもなき、涙ながるる。

 

 「思ひ出」では、

鏡に映つた兒どもの、(つら)には凄いほど眞白(まつしろ)に白粉(おしろひ)を()つてあつた、

 

 晶子の歌では、

 乱れ髪 舞姫

 

四条橋おしろいあつき舞姫のぬかささやかに撲つ夕あられ

 

 晶子は「源氏物語」が基本だから、「白粉」とは、「御白い」になる。

 

「ふさぎの虫」では、「白粉(おしろい)を水にも溶かさないでべたべた塗りつける」となって訂正されている。多分、晶子に指摘されたのだろう。「大言海」を熟読していたのだから、間違いの「おしろひ」に愛着した理由があるに違いない。

 

 鬱ぐとは、気持ちが閉じてしまって、悲観的になること。明と暗、第一首は「あかあかと」で明、最終首が「夕さりくれば」で夜明けを待つ暗だろうか。

 読み解いてきて、青年詩人の苦悩が読み取れて美しくいい詩文だと思う。

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