現代短歌とともに
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象徴語としての「睾丸」

象徴語としての「睾丸

第百五十七行

 真白い(こま)かな泡と泡とが、緑に、青に、紅に、薄黄に、紫に、初めは紫陽花、終まひには、小さな宝玉に分解して数限りもなく夏の暑熱と日光とに光る、呟やく、泣く、笑ふ、嘲る……恍惚(うつとり)と見入つて居ると、コツコツと隣の厚い壁板を向ふで敲く。

注、真白い、ましろい、純白である。

終まひ、しまひ、し終えること。終わり。最後。

暑熱、夏の日の暑さ。

呟やく、つぶやく。ぶつぶつと言う。 小さな声でひとりごとを言う。

嘲る、あざける、見下して悪口を言う。ばかにして笑う。

敲く、たたく、手や道具を用いて打つ。

睾丸、男性の生殖腺(せん)。きんたま。以上

 

 次行からは、牢獄での燐囚との寓話となる、故に、「睾丸」が主題となる。

 

 この「ふさぎの虫」は、何故有るのか?。白秋の意図は?

序詞を見よう、

 

わがこの哀れなる抒情歌集を誰にかは献げむ

はらからよわが友よ忘れえぬ人びとよ

凡てこれわかき日のいとほしき夢のきれはし

Tonka John

 

 「夢のきれはし」が「睾丸」で終わる。金のたま、参考詩、

 

「からたちの花」

からたちの花が咲いたよ。

白い白い花が咲いたよ。

 

からたちのとげはいたいよ。

青い青い針のとげだよ。

 

からたちは畑の垣根よ。

いつもいつもとおる道だよ。

 

からたちも秋はみのるよ。

まろいまろい金のたまだよ。

 

からたちのそばで泣いたよ。

みんなみんなやさしかつたよ。

 

からたちの花が咲いたよ。

白い白い花が咲いたよ。

 

 当詩を参照すれば、白秋の作詞の意図が解る。

 

 他の参考詩。

 

真珠抄 短唱

 

わが心は玉の如し、時に曇り、折にふれて虔ましき悲韻を成す。哀歓とどめがたし、ただ常住のいのちに縋る。真実はわが所念、真珠は海の秘宝、音に秘めて涙ながせよ。

 

(うる)ほひあれよ真珠玉幽かに煙れわがいのち

 

 注、虔しき、つつましき、慎み深いことを意味する語。

 

 以上、

 

 白秋、当時、この心境に達していたが、「ふさぎの虫」としたのだろう。

象徴詩としての「ふさぎの蟲」の四

       象徴詩としての「ふさぎの蟲」の四

第百五十六行

恰度こんな暑い日だつた、俺は監獄で……と戯奴(ヂヤオカア)が面を(しか)める……俺は監獄であまり監房(へや)の臭気が陰気なので、汚ない亜鉛の金盥に水を入れて、あの安石鹸を()かしては両手で掻き立て掻き立て、強い弾ぢきれさうな匂を息の苦しくなるほど跳ね散らしてゐた。

注、金盥、かなだらい、洗面などに使う金属製のたらい。

 

 当行、主語が「戯奴(ヂヤオカア)」、「象徴詩人」の白秋を指している。そして、「……」も記号言語として「陰気な臭気」を強調させる「詩語」。

白秋の「象徴詩」の定義は多様で、意味を探す。一例は、

 

邪宗門

例言

予が象徴詩は情緒の諧楽と感覚の印象とを主とす。故に、凡て予が拠る所は僅かなれども生れて享け得たる自己の感覚と刺戟苦き神経の悦楽とにして、かの初めより情感の妙なる震慄を無みし只冷かなる思想の概念を求めて強ひて詩を作為するが如きを嫌忌す。されば予が詩を読まむとする人にして、之に理知の闡明を尋ね幻想なき思想の骨格を求めむとするは謬れり。要するに予が最近の傾向はかの内部生活の幽かなる振動のリズムを感じその儘の調律に奏でいでんとする音楽的象徴を専とするが故に、そが表白の方法に於ても概ねかの新しき自由詩の形式を用ゐたり。

注、謬れり、あやまれり。以上

 

 要するに、白秋の象徴詩は「情緒の諧楽と感覚の印象」を主として「かの新しき自由詩の形式を用ゐたり。」

 もう、考古学で、「新しき自由詩の形式」は、分からない。だが、雰囲気はたどれる、参考文、「海潮音 序」より、

 

訳述の法に就ては訳者自ら語るを好まず。只訳詩の覚悟に関して、ロセッティが伊太利古詩翻訳の序に述べたると同一の見を持したりと告白す。異邦の詩文の美を移植せむとする者は、既に成語に富みたる自国詩文の技巧の為め、清新の趣味を犠牲にする事あるべからず。しかも()の所謂逐語訳は必らずしも忠実訳にあらず。されば「東行西行雲眇眇(びようびよう)。二月三月日遅遅」を「とざまにゆき、かうざまに、くもはるばる。きさらぎ、やよひ、ひうらうら」と()み給ひけむ神託もさることながら、大江朝綱(おおえのあさつな)が二条の家に物張の尼が「月によつて長安百尺の楼に上る」と詠じたる例に従ひたる処多し。

 

  明治三十八年初秋

 

 要するに「異邦の詩文の美を移植せむとする者は」、「月によつて長安百尺の楼に上る」と詠じたる例に従う。

 月は「長安百尺の楼」を現前させる象徴語ということだろう。

 

 白秋の時代、現実の訳の例を探した、

 

国際基督教大学

ボードレール1より、引用

 

「悪の華」第三版(一八六八年)に追加された作品

罰せられた書物の為のエピグラフ

 

平和な牧歌的な読者よ、慎ましい朴訥な精錬の士よ、

捨てたほうがいい、この土星の、

魔宴の、憂愁の書は。

 

もしきみが、海千山千の司祭

サタンのもとで、修辞学を修めていないなら、

捨てろ! きみには書いてあることがわかるまい、

そいれとも私をヒステリックとおもうだけだろう。

 

だが、きみの瞳が、ただ魅了されるままにはならず、

深淵のなかへもぐってゆけるなら、

私を読め、私を愛するやり方を学ぶために。

 

自分の天国をさがしもとめ、

狂い死んでいる、好奇心旺盛なたましいよ。

私をあわれにおもえ!…でなければ、きみを呪うぞ!

以上

注、エピグラフ、書物の巻頭などに引用されている銘句。題辞。

朴訥、ぼくとつ、飾りけがなく無口なこと。実直で素朴(そぼく)なこと。以上

 

 白秋は「邪宗門」で象徴詩を始めた、終えたのが「ふさぎの虫」ということなのだが、面白い。最終行の笑い声の意味が「馬鹿笑い」、白秋らしい終わり方と思う。

 

 上田敏の「海潮音」に、影響を受けて、白秋が書いた詩、

 

邪宗門

夕日のにほひ

 

晩春(おそはる)夕日(ゆふひ)(なか)に、

順礼(じゆんれい)の子はひとり()をふくらませ、

(にご)りたる()をあげて(くだ)うち吹ける。

(くさ)れゆく襤褸(つづれ)のにほひ、

()石油(せきゆ)……にじむ素足(すあし)

()ちれる果実(くだもの)の皮、赤くうすく、あるは(きた)なく……

 

片手(かたて)には(かぢ)りのこせし

林檎(りんご)をばかたく(にぎ)りぬ。

かくてなほ()をふくらませ

(おづ)おづと吹きいづる………(たま)石鹸(しやぼん)よ。

 

さはあれど、(たま)のいくつは

なやましき夕暮(ゆふぐれ)のにほひのなかに

ゆらゆらと(まろ)みつつ、ほつと()えたる。

ゆめ、にほひ、その吐息(といき)……

 

(かれ)はまた、

怖々(おづおづ)と、怖々(おづおづ)と、……(まぶ)しげに()をふくらませ

()(よど)空気(くうき)にぞ吹きもいでたる。

 

あはれ、見よ、

いろいろのかがやきに()れもしめりて

(まろ)らにものぼりゆく(おほ)きなるひとつの(たま)よ。

そをいまし見あげたる無心(むしん)(ひとみ)

 

背後(そびら)には、血しほしたたる

(こぶし)あげ、

(かす)める(まち)大時計(おほどけい)(にら)みつめたる

山門(さんもん)仁王(にわう)(あか)幻想(イリユウジヨン)……

 

その(うら)

ちやるめらのゆく……

四十一年十二月

 

 

浴室

 

水落つ、たたと………浴室(よくしつ)の真白き湯壺(ゆつぼ)

大理石(なめいし)苦悩(なやみ)湯気(ゆげ)ぞたちのぼる。

硝子(がらす)(そと)濁川(にごりがは)、日にあかあかと

小蒸汽(こじようき)船腹(ふなばら)光るひとみぎり、太鼓ぞ鳴れる。

 

水落つ、たたと………‥灰色(はひいろ)の亜鉛とたんの屋根の

繋留所(けいりうじよ)、わが窓近き陰鬱(いんうつ)

行徳(ぎょうとく)ゆきの人はいま見つつ声なし、

川むかひ、黄褐色(わうかつしよく)の雲のもと、太皷ぞ鳴れる。

 

水落つ、たたと…………両国(りやうごく)大吊橋(おほつりばし)

うち(すす)け、上手(かみて)(なな)めに日を()びて、

色薄()ばみ、はた重く、ちやるめらまじり

()はしげに()に入る子らが身の(はこ)び、太皷ぞ鳴れる。

 

水落つ、たたと…………もの甘く、あるひは赤く、

うらわかきわれの素肌(すはだ)()みきたる

(てつ)のにほひと、(くさ)れゆく石鹸(しやぼん)のしぶき。

水面(みのも)には荷足(にたり)の暮れて呼ぶ声す、太皷ぞ鳴れる。

 

水落つ、たたと…………たたとあな音色(ねいろ)(やは)らに、

大理石(なめいし)苦悩(なやみ)湯気(ゆげ)()く、(ぬる)く、

(にぶ)きどよみと外光(ぐわいくわう)のなまめく靄に

(つか)れゆく赤き都会のらうたげさ、太皷ぞ鳴れる。

四十一年八月

 

 事件から四年前の詩、当品から比べれば幼い、詩人から犯罪者、この経験が「ふさぎの虫」を生んだ。当行も「象徴詩」として面白い。

 

 

象徴詩としての「ふさぎの蟲」の三

象徴詩としての「ふさぎの蟲」の三

第百五十五行

南無妙法蓮華経……お岩稲荷大明神様……

 苦しい、苦しい、汗が流れ、る

 

 当行、前段は、お岩稲荷からの祈祷の声のようだ、後段は、白秋の苦悩だろうか。

 記号言語として、「汗が流れ、る」で読点「、」が強調される。白秋、読点にも意味を持たせている。当行では、白秋の苦悩を象徴させているのだろう。

 

象徴主義は、フランス、ロシア、ベルギーを起源とする19世紀後半の芸術運動。文学では1857年に刊行されたシャルル・ボードレールの「悪の華」が象徴主義の起源とされている。辞書的な定義でいえば、「直接的に知覚できない概念、意味、価値などを、それを連想させる具体的事物や感覚的形態によって間接的に表現すること。ハトで平和を、白で純潔を表現させる類」(三省堂)

 

白秋の「ふさぎの蟲」が象徴詩であることを論じてきたが、最終行の意味を考えた。

ははははは……………………

ははははは……………………

 

 白秋、何を云わんとしているのか。「相違ない」が「菅原伝授手習鑑」からの引用であれば、関連する演目から探そう、

 

「歌舞伎美人」

一、天満宮菜種御供(てんまんぐうなたねのごくう)

◆陰謀を企む藤原時平の“七つの笑い”が眼目

 平安時代の延喜帝の御代。身に覚えのない謀反の嫌疑をかけられた右大臣菅原道真に、太宰府への流罪の宣命が下されます。左大臣藤原時平は道真を弁護しますが、勅命には逆らえず、道真は引き立てられていきます。実はこれは道真を陥れるために時平が仕組んだ罠。時平は、天下を狙う大願はまもなく成就と、高笑いするのでした。

 一人舞台に残った時平が本心を顕し、大笑いをするところがみどころで、幕が引かれる中も続く笑いが見逃せません。以上

 

 白秋、自己の胸中をこの笑いに象徴させた。

 

 「ふさぎの虫」が象徴詩であることの例証だろうか。

 

象徴詩としての「ふさぎの蟲」の二

     象徴詩としての「ふさぎの蟲」の二

第百五十四行

  変だ、何だか何処かで火事でも燃え出しさうだ、空が焼ける、子供が騒ぐ、遠くの遠くで音も立てずに半鐘が鳴る……をや、俺の脳膸(あたま)までが(きな)くさくなつて来たやうだぞ……犬までが吠え出した……何か起るに相違ない

 

 当行、注目語が「相違ない」。白秋が断言しているが、出典は「菅原伝授手習鑑」だろう。

 

 「歌舞伎演目案内」より、

菅原伝授手習鑑

松王丸の重い決断

武部源蔵は寺子屋に菅秀才を(かくま)っていますが、それが時平(しへい)方に知れ首を討って渡せと厳命されています。身替りの子はと苦慮しているところへ、今日寺入りした美しい面差(おもざ)しの小太郎と対面、源蔵の思いは決まりました。やがて首実検役の松王丸がやって来ますがいずれを見ても山里の子ばかり、もう一人いるはずと迫る松王丸の前に差し出された首は・・・「菅秀才の首に相違ない」、そう告げて松王丸は立ち去ります。やがて小太郎を迎えに来た母が「若君菅秀才のお身替り、お役に立てて下さったか?」と叫ぶとそこへ松王丸も現れ「女房喜べ、せがれはお役に立ったわやい!」。なんと松王丸夫婦が我が子を身替りにして、菅丞相への旧恩・忠義を立てたのでした。以上

 

 忠義のため、我が子を身代わりに死なせた、それも、「首実検という検認役もさせられた、その悲哀を「相違ない」で表現させる。

 戯作者は、虚偽を云わねばならぬ苦痛を観客に共感させる。普通、嘘は自己を守るために使われる。だが、他利もある、この場合は菅丞相の為の犠牲だろう、

 

 戯作者は,父親が「わが子」を主君の為差し出した、その苦しみを音楽的・暗示的な手法で情調を象徴化して表現した。白秋は、「相違ない」に象徴詩を感じたのだろう。「嘘こそ誠」、白秋の犯罪者としての在り方が象徴詩となる。新聞でも騒がれた。

 

 白秋、大正に代わり、「桐の花」を売り出す、失意の作者の歌集だから注目されている。売れるに違いない。

 

 白秋の生き方は、「宝石商人」、参考歌、

白き露台

 

私は思ふ、あのうらわかい天才のラムボオを、而して悲しい宝石商人の息づかひを、心を

 

アーク燈いとなつかしく美くしき宝石商の店に春ゆく

 

美くしく小さく(つめ)たき緑玉(エメラルド)その玉()らば(かな)しからまし

 

いと憎き宝石商の店を出で泣かむとすれば雪ふりしきる

 

 長年の謎「宝石商の店とは」、本屋さんのようだ、象徴主義の歌は注目されるだろう。

 

象徴詩としての「ふさぎの蟲」の二

象徴詩としての「ふさぎの蟲」の二

第百五十四行

  変だ、何だか何処かで火事でも燃え出しさうだ、空が焼ける、子供が騒ぐ、遠くの遠くで音も立てずに半鐘が鳴る……をや、俺の脳膸(あたま)までが(きな)くさくなつて来たやうだぞ……犬までが吠え出した……何か起るに相違ない

 

 当行、注目語が「相違ない」。白秋が断言しているが、出典は「菅原伝授手習鑑」だろう。

 

 「歌舞伎演目案内」より、

菅原伝授手習鑑

松王丸の重い決断

武部源蔵は寺子屋に菅秀才を(かくま)っていますが、それが時平(しへい)方に知れ首を討って渡せと厳命されています。身替りの子はと苦慮しているところへ、今日寺入りした美しい面差(おもざ)しの小太郎と対面、源蔵の思いは決まりました。やがて首実検役の松王丸がやって来ますがいずれを見ても山里の子ばかり、もう一人いるはずと迫る松王丸の前に差し出された首は・・・「菅秀才の首に相違ない」、そう告げて松王丸は立ち去ります。やがて小太郎を迎えに来た母が「若君菅秀才のお身替り、お役に立てて下さったか?」と叫ぶとそこへ松王丸も現れ「女房喜べ、せがれはお役に立ったわやい!」。なんと松王丸夫婦が我が子を身替りにして、菅丞相への旧恩・忠義を立てたのでした。以上

 

 忠義のため、我が子を身代わりに死なせた、それも、「首実検という検認役もさせられた、その悲哀を「相違ない」で表現させる。

 戯作者は、虚偽を云わねばならぬ苦痛を観客に共感させる。

 

 戯作者は,父親が「わが子」を主君の為差し出した、その苦しみを音楽的・暗示的な手法で情調を象徴化して表現した。白秋は、「相違ない」に象徴詩を感じたのだろう。象徴主義とは、

 

象徴主義の詩。一九世紀末フランスに起こり、ボードレールを始祖とし、マラルメ、ランボー、ベルレーヌらの作品が有名である。日本では、蒲原有明、北原白秋、三木露風、萩原朔太郎らの詩にその傾向が見られる。以上。

 

白秋の思ひは、「我は行く」だろうか、最後の大笑いが決意表明なのだろう。

ははははは……………………

ははははは……………………

 

 白秋、の大笑い、精神力は強い、

 

象徴詩としての「ふさぎの蟲」

        象徴詩としての「ふさぎの蟲」

第百五十四行

  変だ、何だか何処かで火事でも燃え出しさうだ、空が焼ける、子供が騒ぐ、遠くの遠くで音も立てずに半鐘が鳴る……をや、俺の脳膸(あたま)までが(きな)くさくなつて来たやうだぞ……犬までが吠え出した……何か起るに相違ない

 

 当行、「遠くの遠くで音も立てずに半鐘が鳴る」に注目すれば、象徴詩なのだろう。その定義は、「世界史の窓」では、科学的合理性や写実を否定し、象徴的手法で物事の真の姿を暗示する。

 当行では、「遠くの遠くで音も立てずに半鐘が鳴る」が該当する。

常識では、遠くの音は聞こえず、音を立てずに半鐘を鳴らすことが出来ない。

 白秋の心を類推してきて、当行から最終二行の意味が読み解けてきた。世俗を去り、詩に生きるだろうか。

 最終二行は、

 

 ははははは……………………

 ははははは……………………

 

  この最終二行で白秋、何を笑い飛ばしているのか。

 

 当時の白秋は、犯罪者として「朱欒(大正元年九月号)」に「わが愛する人々に」で謝罪文を書いている。だが、同時期に書かれた当小品の最終行は、白秋の大笑いなのだ。

 心のままを書けない。耽美に生きれば、親族郎党が生きてゆけない。その苦しみを笑うことで耐えることだろう。その「笑ふ」を後に歌にしている。

 

雲母集(1915、大正4年)

 三崎哀傷歌

大正二年一月二日、哀傷のあまりただひとり海を越えて三崎に渡る。淹留旬日、幸に命ありてひとまづ都に帰る。これわが流離のはじめなり。

 

 深々と人間笑ふ声すなり谷一面の白百合の花

 

 笑うという意味、「春の芽吹きはじめた華やかな山の形容」広辞苑。さらに参考歌、

 

  夏の野の繁みに咲ける姫百合の知れえぬ恋は苦しきものぞ

                    万葉集 大伴郎女

 

 白秋の片恋の思いを込めて;

 

さはいへどそのひと時よまばゆかりき夏の野のしめし百合の花

                みだれ髪  与謝野晶子

 

第百六首

 すっきりと筑前博多の帯をしめ忍び来し夜の白百合の花

                  

 白秋の耽美も冴えわたる、

 

すつきりと筑前博多の帯をしめ忍び来し夜の白ゆりの花

 

 「桐の花事件」は、白秋の失敗ではなく、耽美の極み、これは言えないので、「ふさぎの虫」として公表した。だから、読み解く人が居ない。世間に逆らう内容なので象徴詩にした。だから意味不明でここまで来た。ここまで来てうれしい。

白秋の新生への思い

白秋の新生への思い

「ふさぎの蟲」第百五十三行

かと思ふと何時の間に帰つて来たのか末の弟の中から博多節か何か歌つて居る。

 

末の弟とは、四男の北原義雄で美術系を専門とした出版会社のアトリヱ社の代表。

 長男は、生まれてすぐ死んだ。次男が白秋で三男が鐵雄、慶応義塾大学中退。白秋と阿蘭陀(オランダ)書房(のちのアルス)を創立。芸術雑誌「ARS」や日本初の写真雑誌「CAMERA」を創刊。 「日本児童文庫」シリーズや、文芸・美術一般書、写真関係書、『白秋全集』をはじめとする白秋の著作の大半を出版した。

 

 博多節、俗謡の一つ。博多の花柳界で歌われる歌で、「ドッコイショ」と「正調博多節」の二種ある。どちらも純粋な博多起源ではない。「ドッコイショ」は歌の中に「ドッコイショ」、終わりに「ハイ今晩は」の囃子詞(はやしことば)がある。明治二〇年(一八八七)頃、山陰の石見地方から移されたもの。

 

当行、「厠」が注目語。川の上に設けた川屋の意とも、家の外側に設けた側屋の意ともいう。

 当集でも、初出だ。何故、白秋が世俗語を出したのか。歌語で満ちた耽美から、下世話な下ネタに落ちるのか。

 身体で分けるなら、上半身と下半身になる。美と醜、耽美と快楽、本音と建前だろうか。

 白秋としては、両立させたいのだろう。参考文として、東京景物詩及其他の「余言」を上げる。

 

われら今高華なる都会の喧騒より逃れて漸く田園の風光に就く、やさしき粗野と原始的単純はわが前にあり、新生来らんとす。

 

 以後の活躍は素晴らしい、現代でも彼の詩は歌われ続ける。白秋がこの「ふさぎの虫」で「新生」を思ったことは間違いない。だが、謹慎の身だから、「戯奴(ヂヤオカア)」のふりをすることで、彼の決意を述べたのだろう。

 

白秋の江戸情緒と紺蛇目傘

     白秋の江戸情緒と紺蛇目傘

「ふさぎの蟲」第百五十二行

昼間の光に薄黄色い火の線と白い陶器(せともの)とが充分(いつぱい)にダラリと延ばした紐の下で、畳とすれすれにブランコのやうに部屋中揺れ廻つて居る、地震かしらと思ふ内に赤坊(あかんぼ)が裸で匍ひ出して来た、内儀(かみ)さんが大きなお尻だけ見せて、彼方(あちら)向いて事もあらうに座敷の中でパツと蛇目(じやのめ)拡げる

 

 当行、重文(じゅうぶん)、主述関係が成り立つ、対等の資格をもった文章が二つ以上含まれているもの。

五文となり、主語が「お内儀さん」、目的語が「紺蛇目傘」で、他動詞が「拡げる」。白秋は、彼の美学の心象図を文字化したものだろう。

 白秋の意図は、象徴詩の手法で、白秋の心象絵図をえがきだすことだとすれば、「紺蛇目傘」がその象徴語となる。

 また、注目語が「大きなお尻」で、生殖器によって象徴される豊饒(ほうじょう)力になり、対称語が後の「睾丸(きんたま)」となる。

 

 第一文と第二文では、当行の主役である「笠」が「白い陶器(せともの)の笠」で、「薄黄色」と「白」が「揺れ廻つて居る」。

 白秋が二階の書斎から、隣の下座敷を覗いている訳だが、白秋の幻視で間違いないだろう。普通、電灯は居間の中心に据えられる。それが、「畳とすれすれに」「部屋中揺れ廻つて居る」のだから、「座敷の中でパツと紺蛇目傘を拡げる」のは物理的にあり得ない。戯奴である白秋のマジックということだろう。

 「紺蛇目傘」が「事もあらうに」と大事であることを示すので、象徴語であることが確認できる。

 

蛇目傘とは、地色が紺で白の蛇の目の舞踊向けの傘。単語を分解すれば、紺」「蛇目」「傘」となる。

 

 この「紺蛇目傘」の参考詩、「紺」が「むらさき」に対応する。

 

 

東京景物詩及其他

雪と花火

  夜ふる雪

 

蛇目(じやのめ)(かさ)にふる(ゆき)

むらさきうすくふりしきる。

 

(そら)(あふ)げば(まつ)()

(しの)びがへしにふりしきる。

 

(さけ)()うたる(あし)もとの

(うす)(ひかり)にふりしきる。

 

拍子木(ひやうしぎ)をうつはね(まく)

(とほ)いこころにふりしきる。

 

(おも)ひなしかは()らねども

見みえぬあなたもふりしきる。

 

河岸(かし)()ふけにふる(ゆき)

蛇目(じやのめ)(かさ)にふりしきる。

 

(みづ)(おもて)にその陰影(かげ)

むらさき(うす)くふりしきる。

 

(さけ)()うたる足もとの

(よわ)(なみだ)にふりしきる。

 

(こゑ)もせぬ()のくらやみを

ひとり(とほ)ればふりしきる。

 

思ひなしかはしらねども

こころ細かにふりしきる。

 

蛇目(じやのめ)の傘にふる雪は

むらさき薄くふりしきる。

 

注、歌舞伎「助六由縁江戸桜」

黒の紋付に江戸の鉢巻、蛇の目傘をかざした助六を描く。白秋が「東京景物詩及其他」の序文に「わかき日の饗宴を忍びてこの怪しき紺と青との詩集」と書いているように「紫」へのこだわりが偲ばれる。

 

雨あがり

 

やはらかい銀の毬花(ぼやぼや)の、ねこやなぎのにほふやうな、

その湿(しめ)つた水路(すゐろ)単艇(ボート)はゆき、

書割(かきわり)のやうな杵屋(きねや)

(うら)の木橋に、

紺の蛇目傘(じやのめ)をつぼめた、

つつましい素足のさきの爪革(つまかは)のつや、

薄青いセルをきた筵若の

それしやらしいたたずみ……

 

ほんに、ほんに、

黄いろい柳の花粉のついた指で、

ちよいと今晩(こんばん)は、

なにを弾かうつていふの。

四十三年七月

注、杵屋(きねや)、料亭のことだろう。

爪革(つまかは)、下駄の前部分にほこりや雨時の泥跳ねを避けるために、指の部分につけた革製の覆い。

筵若、えんじゃく、初 代 市川莚若

初代市川左團次の女婿、1886–1940。

それしやらしい、上品で優美な様子。

 

 次に「蛇目傘(じやのめ)」とは、神の使いの蛇の目をかたどっていて魔除けとされた。

 

 「傘」とは、「翳す(かざす)」から来たとみられている。 頭部や身体を雨雪や日光から守るために覆い、影をつくる用具という意味らしい。

 童謡の参考詩、

 

あめふり

あめあめ ふれふれ かあさんが

じゃのめで おむかえ うれしいな

ピッチピッチ チャップチャップ

ランランラン

 

かけましょ かばんを かあさんの

あとから ゆこゆこ かねがなる

ピッチピッチ チャップチャップ

ランランラン

 

あらあら あのこは ずぶぬれだ

やなぎの ねかたで ないている

ピッチピッチ チャップチャップ

ランランラン

 

かあさん ぼくのを かしましょか

きみきみ このかさ さしたまえ

ピッチピッチ チャップチャップ

ランランラン

 

ぼくなら いいんだ かあさんの

おおきな じゃのめに はいってく

ピッチピッチ チャップチャップ

ランランラン

 

 白秋の詩が好まれるのは、オノマトペが素晴らしいからだろう。冷戦の時代、「核の傘」という言葉が使われた。懐かしい言葉だ。

白秋のグロキシニアは罪悪の結晶

       白秋のグロキシニアは罪悪の結晶

「ふさぎの蟲」第百五十一行

おや、もう電燈(でんき)が点いて居る

 

 当行、行頭が「おや」で、感動詞。感動詞は「まあ」「さあ」のように、感動・呼びかけ・応答などをあらわします。自立語で活用がない体言で、普通は文頭にある という特徴があります。

次語が「もう 」で、副詞。 現に、ある事態に立ち至っているさま。また、ある動作が終わっているさま。

 二語で、「電燈(でんき)が点いて居る」を修飾し、「夜」になったと宣言している。

 白秋の回りくどい文言は、読者への注意喚起なのだろう。当行では「夜」となる。参考詩、

 

思ひ出

 

(よる)は黒…………銀箔(ぎんぱく)裏面(うら)の黒。

(なめ)らかな瀉海(がたうみ)の黒、

さうして芝居の下幕(さげまく)の黒、

幽靈の髮の黒。

 

夜は黒…………ぬるぬると(くちなは)の目が光り、

おはぐろの(にほひ)いやらしく、

千金丹の(かばん)がうろつき、

黒猫がふわりとあるく…………夜は黒。

 

夜は黒…………おそろしい、忍びやかな盜人(ぬすびと)の黒。

定九郎の蛇目傘(じやのめがさ)

誰だか(くび)すぢに(さわ)るやうな、

力のない死螢の(はね)のやうな。

 

夜は黒…………時計の數字の奇異(ふしぎ)な黒

血潮のしたたる

(なま)じろい鋏を持つて

生膽取(いきぎもとり)のさしのぞく夜。

 

夜は黒…………(つぶ)つても瞑つても、

青い赤い無數(むすう)(たましひ)の落ちかかる夜。

耳鳴(みみなり)の底知れぬ(よる)

暗い夜。

ひとりぼつちの夜。

 

夜…………夜…………夜…………

注、下幕(さげまく)の黒、後ろ幕、舞台の背景をすっぽり隠すように掛けられている幕ですが、多くは黒色で夜や暗闇を表します。

定九郎の蛇目傘(じやのめがさ)、次行の「蛇目傘」のこと。

時計の數字の奇異(ふしぎ)な黒、ここで「時計の針、I(いち)とIとに来(きた)るとき」が導き出される。画像参照、

 時針がIIを指している。また、白秋の書斎の時計もIIが読み取れる。挿絵参照、

(たましひ)の薄き瞳を見るごとし時雨の朝の小さき自鳴鐘(めざまし)

 

 深夜の二時とは、「丑の刻」であり、昼とは同じ場所でありながら「草木も眠る」と形容されるように、その様相の違いから常世へ繋がる時刻と考えられ、平安時代には呪術としての「丑の刻参り」が行われる時間でもあった。また「うしとら」の方角は鬼門をさすが、時刻でいえば「うしとら」は「丑の刻」に該当する。ウイッキ

 

 そこで、次の二首を見てゆきたい。

 

IV 哀傷終篇

夜ふけて

 

ぐろきしにあ(、、、、、、)つかみつぶせばしみじみとから(くれなゐ)のいのち忍ばゆ

 

時計の針、I(いち)Iとに(きた)るときするどく君をおもひつめにき

 

 白秋は「ぐろきしにあ(、、、、、、)」と濁点を打っている。その指し示す「白猫」の文章、

 

将に午前二時半、夜明前三時間、拭きすました紫檀の机に鏡を立て、つくづくと険しくなつて了つたわれとわが顔をぢつと凝視(みつ)めてゐた私は心の底から突きあげてくる(かな)しさと狂ほしさから、思はず傍にあつたグロキシニアの真赤な花を抓みつぶした――鏡の中に一層ひときは強く光つてゐた罪悪の結晶が血のやうに痙攣(つりかゞ)んだ五つの指の間から点々と滲み出る。

 

 「罪悪の結晶」と「血のやうに」に符合する出来事は、鎭夫の自刃か俊子との情事だが、やはり鎭夫の自刃だろう。参考詩、

 

思ひ出

たんぽぽ

 

わが友は自刄したり、彼の血に染みたる亡骸はその場所より靜かに釣臺に載せられて、彼の家へかへりぬ。附き添ふもの一兩名、痛ましき夕日のなかにわれらはただたんぽぽの穗の毛を踏みゆきぬ、友、年十九、名は中島鎭夫

 

あかき血しほはたんぽぽの

ゆめの(こみち)にしたたるや、

君がかなしき釣臺(つりだい)

ひとり入日にゆられゆく…………

注、釣臺(つりだい)、物をのせてかついで行く台。板を台とし、両端をつり上げてふたりでかつぐ。嫁入道具・病人などをのせて運ぶのに用いる。

 

 白秋は、鎭夫との因縁を「さきの世」からのものと受け止めていたようだ、参考詩、

 

第二邪宗門

熊野の烏

 

夜は深し、熊野の烏

旅籠(はたご)の戸かたと過ぐ、

一瞬時(いつしゆんじ)、――燈火(ともしび)(さを)

閨を(おほ)ふかぐろの(つばさ)

(あほ)()()うらを()かし

消えぬ。今、(しん)として

冷えまさる恐怖(おそれ)の闇に

身は急に(つひ)ゆる心地(ここち)

「変らじ。」と(をみな)の声す。

()(うめ)く、熊野の烏。

丑満(うしみつ)誓請文(きしやうもん)

今か成る。宮のかなたは

忍びかに雨ふりいでぬ。

『誓ひぬ。』と男の声す。

刹那、また、しくしくと

痙攣(つりかが)む手脚のうづき、

生贄(いけにへ)苦痛(くつう)か、あなや、

護符ちぎる呪咀(のろひ)のひびき

 

はた(ヽヽ)と落つる、熊野の烏。

と思へば、こは如何(ヽヽ)に、

身は烏、(くちばし)黒く

黒金の重錘(おもり)の下に

(はね)(ひら)み、打つ()す凄さ。

はた、固く、(しび)れたる

血まみれの頭脳(づなう)の上ゆ、

暗憺と(すく)まりながら

(たま)はわが(むくろ)をながむ、

注、熊野の烏、熊野権現の境内に群棲し、その神使とされる烏。

閨、ねや、寝室。

ねま。寝室

かぐろ、黒い。

丑満の起請文、うしみつのきしょうもん、丑の刻を四分してその第三に当たる時刻に行う行で、起請文とは、神仏に呼びかけて、もし己の言が偽りならば、神仏の罰を受けることを誓約し、また相手に表明する文書。

護符ちぎる呪咀(のろひ)のひびき、護符とは、神仏の名や形像、種子 (しゅじ) 、真言などを記した札。 身につけたり壁にはったりして神仏の加護や除災を願う。白秋の身に着けた護符をちぎり、呪いをかける。身を挺して呪いをかけた。

魂(たま)はわが骸(むくろ)をながむ、読点ではなく句点で終わっている、残りは削除したのだろうか。白秋の霊が分離して、上から眺めている。これは、死後、魂が分離する現象だろう。ここで、祈祷を終えたのだろう。

 

 白秋の苦悩は深刻で、超常現象を経験したよ思う。「鋭く」が意味するところか、

時計の針、I(いち)とIとに(きた)るときするどく君をおもひつめにき

 

 白秋にとって丑満(うしみつ)は罪悪が結晶する時、次の詩も何回も読んで身に染みる。

 

 「邪宗門」

「灰色の壁」

 

灰色(はいいろ)(くら)き壁、見るはただ

恐ろしき一面(いちめん)の壁の(いろ)

(ろう)(げつ)十九日(じふくにち)

丑満(うしみつ)()(やかた)

(みづし)めく唐銅(からかね)(ひつ)(うへ)

(しよく)青うまじろがずひとつ()る。

時にわれ、朦朧(もうろう)黒衣(こくえ)して

天鵝絨(びろうど)のもの(にぶ)(ゆか)に立ち、

ひたと身は(てつ)(くず)

磁石(じしやく)にか吸はれよる。

足はいま(くぎ)つけに(しび)れ、かの

黄泉(よみ)()はまのあたり(ぬか)()す。

 

 白秋の悪因縁、これが「桐の花」の底にあり、晶子が影の花、さすがの万華鏡だ。

白秋のわが世さびしき片恋

       白秋のわが世さびしき片恋

「ふさぎの蟲」第百五十行

急に寂しくなつて、まじまじと下を向く、とまた生憎な、目に入るでもなく庭の垣根越しに向ふの長屋の明け放した下座敷が見える。

 

 白秋、前行での俊子との「悪因縁」を思い起こす。俊子とは、手切れ金を払い別れ「縁切り」をした。そして俊子は、故郷に帰った。「大正元年八月二十六日午後四時過ぎ」の状況だ。

 前前行で「また意久地なしの霊魂(たましひ)が滅入つて了」て、白秋の視点は、上から下へ下がってがってゆく。白秋「急に寂しくなつて、まじまじと下を向く」と、そこは現世が垣間見える。

そこで「わが世さびし」が思い起される。対応歌、

 

 わが世さびし身丈(みたけ)おなじき茴香(うゐきやう)も薄黄に花の咲きそめにけり

 

 晶子の身長は166センチのようで、白秋が168で「身丈(みたけ)おなじき茴香(うゐきやう)」らしい。片恋なので、花が咲いても我が世では結ばれない。

 晶子の対応歌、

乱れ髪

春思

かくて果つる我世さびしと泣くは誰ぞしろ桔梗さく伽藍(がらん)のうらに

 

 斎藤茂吉のさびし『さびし』の伝統によれば、

この『さびし』の語は、人間本来のある切実な心の状態をあらはすのに適当な語である。

白秋は「昼の思」でこう述べる、

涙を惜め、涙を惜め、高品なわかい心のそこひもわかぬ胸の秘奥に啜り泣けよ。芭蕉の寂びはまだうら若い私達が落ちつくところではない、少くとも世を楽しむメエテルリンクの悲愁(かなしみ)神秘(ミスチツク)な蒼い陰影の靄の中に寂しい心の在所(ありか)を探す物馴れぬ Stranger の心持、その心を私は慕ふ。以上

 

 白秋の「片恋」の片相聞歌と言えるだろう。

「わが世さびし」とは、かなわぬ恋の現世を嘆き悲しむ、

 「芭蕉の寂び」を知る手がかりとして、「愁に住すものは愁をあるじとし」が含まれる名文、

 芭蕉

嵯峨日記 

 

長嘯隠士の曰、客は年日の(ひま)を得れば

主は年日の閑をうしなふと。

素堂此こと葉を常にあはれむ。

 

朝の間雨降。

今日は人もなしさびしきまゝに、

むだ(がき)して遊ぶ。其詞

 

  ()に居るものは悲しみをあるじとし

  酒を飲ものはたのしみを(あるじ)とし

  (うれひ)に住すものは愁をあるじとし

  徒然に(まか)するものはつれづれを主とす

 

さびしさなくばうからまし と、

西上人のよみ侍るは、さびしさを主なるべし。

叉よめる、

  山里にこはまた誰をよぶこ鳥

   ひとりすまんと思ひしものを

 

獨すむほどおもしろきはなし。

 

注、嵯峨日記、元禄4年(1691)4月18日から5月4日まで京都嵯峨の去来の(らく)柿舎(ししゃ)に滞在したときのもの。

長嘯隠士(ちょうしょういんじ) 木下長嘯子(1569-1649)。木下勝俊。細川幽斉に学んだ歌人。

西上人、西行上人。

「閑古鳥」「呼子鳥」はともに郭公の異名であり、「閑古鳥」は鳴く声の寂しさに重きを置いた名。

 

 さびしさなくばうからまし、ここが肝要で、白秋が時たま「ひらがな詩」を書く手法で、漢字かな交じりより、意味が深くなる。日本語の面白さと言えるだろう。

 

 最後に「昼の思」より晶子への賛辞、

 

而してまた公園の昼のアーク燈を、白昼のシネマトグラフの瞬き、或は薄い面紗のかげに仄かに霞む人妻の愁はしい春の素顔を。

 注、面紗、ベール。

 

 

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