現代短歌とともに -3ページ目

白秋の淫ら心

            白秋の淫ら心

「ふさぎの」第百三十八行

活惚活惚……

 

 白秋、三味線の活惚を聞いていたが、ふと途切れた。ふさぎの蟲がでたのだろう。「活惚」とは白秋の心の「銀笛哀慕調」で、その基調が「淫ら心」と思われる。参考文、

 

わが生ひたち8

ある夜はわれとわが(たましひ)の姿にも驚かされたことがある。(そと)には三味線の()じめも投げやりに、町の娘たちは觀音さまの紅い提燈に結びたての髪を匂はしながら、華やかに肩肌脱ぎの一列(いちれつ)になつてあの淫らな活惚(かつぽれ)を踊つてゐた。

注、音じめ、調律。

 

 幼児の白秋が「淫らな」と感じた訳ではなく、成長した後に追認した。参考文、

同9

而してただ九歳以後のさだかならぬ性慾の對象として新奇な書籍――ことに西洋奇談――ほど Tonka John の幼い心を掻き亂したものは無かつた。「埋れ木」のゲザがボオドレエルの「惡の華」をまさぐりながら解わからぬながらもあの怪しい幻想の匂ひに憧がれたといふ同じ幼年の思ひ出のなつかしさよ。

 

 歌から「淫らな」を読んでみよう。

 

雨のあとさき

 

夏の日はなつかしきかなこころよく梔子(くちなし)の花の汗もちてちる

 

きりぎりすよき(たは)()がひとり寝て氷食む日となりにけるかな

 

 

やるせなき(みだ)ら心となりにけり棕梠の花咲き身さへ肥満(ふと)れば

 

 小題の「雨のあとさき」は、象徴語で「新詩社脱退」のあとさきだろう。

第二首、初句切れ、「きりぎりす」、新詩社を切りぎリス。参考歌、

きりぎりすいたくななきそ秋の夜の長き思ひは我ぞまされる

              藤原忠房 古今集

(たは)()、白秋自身がたわれている、男と女の性を具有すること。

両性具有、〘名〙 男女両性を備えていること。 特に、心理学的な両性の傾向の体現や、神話や儀式などに現われる原初の全体性を象徴する存在をいう。白秋も、同様の傾向があった。参考文、

 

白秋は鎮夫を愛していた。「二人は肉交こそなかったが、殆ど同性の恋に堕ちていたかもわからないほど、日ましに親密になった」とのちに回想している。「自死した親友を悼む白秋の悲しみ――川本三郎」

 

第三首、やるせなき淫ら心、一人ではやはり、やるせない。

 

薄明の時

浅き浮名

 

恋すてふ浅き浮名もかにかくに立てばなつかし白芥子の花

 

 

薄青きセルの単衣(ひとえ)をつけそめしそのころのごとなつかしきひと

 

片恋のわれかな身かなやはらかにネルは着れども物おもへども

 

 小題「浅き浮名」、晶子との様子がおかしいとうわさが立ったのだろう。

 恋すてふ、本歌取り、

恋すてふ 我が名はまだき 立ちにけり 人しれずこそ 思ひそめしか

 

第二首、青年として初めて純毛の単衣を着た感激を晶子に託し詠んだ。

 

銀笛哀慕調

IV 冬

十一月北国の旅にて三首

 

韮崎の白きペンキの駅標に薄日のしみて光るさみしさ

 

柿の赤き実、旅の男が気まぐれに泣きて()にきと人に語るな

 

たはれめ青き眼鏡のうしろより朝の霙を透かすまなざし

 

 当三首、白秋が「パンの会」から離れた時の歌だろう。「たはれめ」は白秋であり、「青き眼鏡」は憂鬱な心。

「朝の霙」、参考歌、

 第八章「春を待つ間」第四首

 小題「冬のさきがけ」三の二首の一

 

 いちはやく冬のマントをひきまはし銀座いそげばふる(みぞれ)かな

 

 「(みぞれ)」両歌を読み比べれば、白秋が「片恋」をあきらめて、俊子に走った。霙とは、雪が空中でとけて、半ば雨のようになって降るもの、白秋が「たはれめ」を捨てて、一人の男になったということになる。

 参考歌、

啄木

みぞれ降る

石狩の野の汽車に読みし

ツルゲエネフの物語かな

 

 「桐の花」以降、歌では耽美を捨てる。耽美は「新俗謡体」の詩に移ることになる。

「ふさぎの蟲」の意味と言葉の暗号化

        「ふさぎの蟲」の意味と言葉の暗号化

 

「ふさぎの蟲」第百三十七行

 (あたま)映画(フイルム)がキラキラキラキラひつくりかへる、(かな/\)が鳴く、お百度参りが泣く、三味線が囃し立てる。

 

 当行、白秋の幻覚、何故、くどくどと書くのだろうか。どうも暗号文らしい。そこでまた読み返す。

 

第二十七行、行頭が「も一度逢ひ度い」、

 

只俺の芸術至上主義が俺自身を妖艶な蠧惑と幻感の世界に昏睡さして了つたのだ。

 

 白秋を昏睡させたのは「芸術至上主義」で、「妖艶な蠧惑と幻感の世界」へ導いた。注目語が「蠧惑」で、

 

蠧惑、蟲惑

「蠱惑」(こわく)の誤り。蠱惑の「蠱」は「まどわす」「まじこる」などを意味する表現で、「蠱惑」は魅力などになすすべなく惹きつけられるさま。(Weblio辞書)

 当小品は「ふさぎの蟲」で、白秋は、何者かに「なすすべなく惹きつけられ」たと読める。

 白秋は、晶子に惑わされた。参考歌、

 

第三十五首

夜会のあと

 

かくまでも心のこるはなにならむ(あか)薔薇(さうび)か酒かそなたか

 

前前から「夜会」の意味が解らなかった。白秋が、貴族たちの夜会に招かれるわけがない。そこで暗号として読めば、新詩社の歌会のことだった。参考文、

 

「新詩社最盛・白秋他の脱会・明星廃刊」より、

 

 千駄ヶ谷では、新詩社の集まりがあると「一夜百首会」「徹宵歌会」 に発展しました。出席者一人一人が一晩に百首詠んで批評し合ったと云われます。与謝野光 「晶子と寛の思い出」では

 

 『・・・一人一人が百首詠むんだけど、そうすると朝になっちゃうんですよ。それは実は、夜遅くなると帰れないからだったんです。以上

 

新詩社の「一百首会」「徹宵歌会」の二会名より二文字をとって「夜会」と読み替えた、理由は極秘だから。ばれたら大事になる。そこで、晶子との秘め事の場所が分かった、新支社の暗闇。当時、晶子の恋敵も同席していて、嫉妬の火花も激しかったようだ。晶子も心乱れていたのだろう。参考歌、

 

銀笛哀慕調

十一

 

あまりりす息もふかげに燃ゆるときふと(くちびる)はさしあてしかな

 

くれなゐのにくき唇あまりりすつき放しつつ君をこそおもへ

 

 歌から読めば、白秋は受け手であるようだ、年や立場を考えれば当然だろう。

 

 最後に「ふさぎの蟲」の解題として、美醜の「醜」。俊子との醜聞で悩む白秋。「桐の花」は逆説でいえば、晶子なのだろう。白秋、桐の花について語らぬし、「桐の花」を入れた歌も凡庸だ。

 「秘するが花」故に、「桐の花」は難解となっている。

白秋の薬物中毒

                 白秋の薬物中毒

「ふさぎの蟲」第百三十六行

鶏頭が真赤に真赤にひつくりかへる

 

 白秋の視覚には、鶏頭が「真赤に真赤に」「ひつくりかへる」ように見える。病理としてみれば幻覚だろう。

幻覚とは、

実際にはない刺激を知覚することをいい、錯覚とは区別されます。幻覚の種類には幻聴、幻視、幻味、幻臭、体感幻覚などがあります。幻覚は統合失調症、アルコール依存症、薬物依存症、器質性精神病、心因反応、躁うつ病などに見られますが、統合失調症で最も多くみられる症状。

 

2019年5月6日付けで「白秋と薬物」を投稿したので再編集した。

 

 白秋と薬物

 

 白秋、薬物の名を書いている。当時は、罰則も少なく、ほとんど自由に使用できた。

邪宗門

赤き僧正より 一部引用

 

さて在るは、(さき)()ひたる

Hachisch(ハシツシユ) の毒のめぐりを待てるにか、

あるは(はげ)しき歓楽(くわんらく)の後の魔睡(ますゐ)や忍ぶらむ。

注、曩(さき)、以前。さき。さきに。

ハシシ(Hashish)は、トリコームと呼ばれる有茎の樹脂腺を圧搾または精製して作られる大麻製品である、中略、パイプ、水ギセル、気化器、熱したナイフ等によって加熱したり、ジョイントで吸ったり、大麻のつぼみやたばこと混ぜて紙巻きたばこにしたり、食材と一緒に調理したりして摂取する。ウィッキペディア。

毒のめぐり、毒のまわり。

魔睡(ますゐ)、意味としては、 一事に熱中し酔うこと。また、惑わせ陶酔させること。

白秋は、病理に言う症状凡て「幻聴、幻視、幻味、幻臭、体感幻覚を云うのだろう。例言より、

「一、或人の如きは此の如き詩を(わら)ひて甚しき跨張と云ひ、架空なる空想を歌ふものと()せども、予が幻覚には自ら真に感じたる官能の根抵あり。且、人の天分にはそれそれ自らなる相違あり、強ひて自己の感覚を尺度として他を律するは(あやまり)なるべし。」

 長田秀雄は「魔睡」をこう述べる、

 

余は内部の世界を熟視(みつ)めて居る。陰鬱な死の節奏は絶えず快く響き渡る……と神経は一斉に不思議の舞踏をはじめる。すすりなく黒き薔薇、歌うたふ硝子のインキ壺、誘惑の色あざやかな猫眼石の腕環、笑ひつづける(そら)()の老女等はこまかくしなやかな舞踏をいつまでもつづける。余は一心に熟視めて居る……いつか余は朱の房のついた長い剣となつて渠等(かれら)の内に舞踏(おど)つてゐる………

注、ルビは管理者が適宜つけたので正確ではない。

空眼、実際にはないものが見えたような気がすること。

 この詩も、ハシツシユの幻視と思われる。

 

「天鵝絨のにほひ」では、

 

Hachisch(ハシツシユ )か、酢か、茴香酒(アブサン)か、くるほしく

溺(おぼれ)しあとの日の疲労(つかれ)……縺(もつれ)ちらぼふ

 

その濁る硝子のなかに音もなく、

コロロホルムの香かぞ滴したたる……毒の虚言(うはごと)……

 

 白秋、薬物にくるほしく溺(おぼれ)、疲労(つかれ)て、意識が縺(もつれ)ちらぼふ訳だ。

 コロロホルムの作用は、毒の虚言(うはごと)をさせる。

 薬は違うが「覚醒剤」の中毒では、昭和の芸人の都蝶々曰く「頭の中を言葉がほとばしる」そうだ。

 

耽溺では、

 

あな悲し、紅き帆きたる。

聴けよ、今、紅き帆きたる。

 

白日の光の水脈(みを)に、

わが恋の器楽の海に。

 

あはれ、聴け、光は噎(むせ)び、

海顫ひ、清(す)が掻(が)き焦(こが)れ

眩暈(めくる)めく悲愁(かなしみ)の極(は)て、苦悶(もだえ)そふ歓楽(よろこび)のせて

キユラソオの紅き帆ひびく。

 

弾けよ、弾け、毒のビオロン

吹けよ、また媚薬(びやく)の嵐。

あはれ歌、あはれ幻(まぼろし)、

その海に紅き帆光る。

海の歌きこゆ、このとき、

『噫あゝ、かなし、炎(ほ)よ、慾よ、

接吻(くちつけ)よ。』

 

聴けよ、また苦き愛着(あいぢやく)、

肉(しゝ)むらのおびえと恐怖(おそれ)、

『死ねよ、死ね』、紅き帆響(ひゞ)く、

『恋よ、汝(な)よ。』

 

弾けよ、弾け、毒のビオロン

吹けよ、また媚薬(びやく)の嵐。

 

一瞬(ひととき)よ、――光よ、水脈(みを)よ、

楽の音よ――酒のキユラソオ、

接吻(くちつけ)の非命の快楽、

毒水の火のわななきよ。

狂へ、狂へ、破滅(ほろび)の渚(なぎさ)、

聴くははや楽がくの大極(たいきよく)、

狂乱の日の光吸ふ

紅き帆の終(つひ)のはためき。

 

死なむ、死なむ、二人(ふたり)は死なむ。

 

紅き帆きゆる。

紅き帆きゆる。

     四十年十二月

 

注、この頃、白秋と晶子と親しかったころで、二人とは、白秋と晶子を思わせる。

 

 赤き帆とは、赤き炎、病んだピアノは毒水の火のわななきに震える。

 

 白秋の恐怖の発作、ヒステリーの始まりだろう。

 

狂人の音楽では、

 

空気は甘し……また赤し……黄に……はた、緑……

 

晩夏(おそなつ)の午後五時半の日光につくわうはかげりを見せて、

蒸し暑く噴水(ふきゐ)に濡れて照りかへす。

瘋癲院(ふうてんゐん)の陰鬱に硝子(がらす)は光り、

草場には青き飛沫(しぶき)の茴香酒(アブサント)冷えたちわたる。

 

いま狂人のひと群(むれ)は空(うち)仰(ふ)ぎ――

饗宴の楽器とりどりかき抱だき、自棄(やけ)に、しみらに、

傷つける獣(けもの)のごとき雲の面(おも)

ひたに怖れて色盲(しきまう)の幻覚(まぼろし)を見る。

空気は重し……また赤し……共に……はた緑……

  *   *   *   *

    *   *   *   *

オボイ鳴る……また、トロムボオン……

狂ほしきビオラの唸(うな)り……

 

一人の酸ゆき音は飛びて怜羊(かもしか)となり、

ひとつは赤き顔ゑがき、笑ひわななく

音の恐怖(おそれ)……はた、ほのしろき髑髏舞(どくろまひ)……

 

弾け弾け……鳴らせ……また舞踏(をどれ)……

セロの、喇叭(らつぱ)の蛇の香よ、

はた、爛(たゞ)れ泣くビオロンの空には赤子飛びみだれ、

妄想狂(まうさうきやう)のめぐりにはバツソの盲目(めしひ)

小さなる骸色(しかばね)いろの呪咀(のろひ)して逃がれふためく。

 

弾け弾け……鳴らせ……また舞踏(をどれ)……

 

クラリネッ卜の槍尖(やりさき)よ、

曲節(メロヂア)のひらめき緩く、また急く、

アルト歌者(うたひ)のなげかひを暈(くら)ましながら、

一列(ひとつらね)、血しほしたたる神経の

壁の煉瓦(れんぐわ)のもとを行く……

 

弾け弾け……鳴らせ……また舞踏(をどれ)……、

 

かなしみの蛇、緑の眼

槍に貫(ぬ)かれてまた歎く……

 

弾け弾け……鳴らせ……また舞踏(をどれ)……

 

はた、吹笛(フルウト)の香のしぶき、

青じろき花どくだみの鋭どさに、

濁りて光る山椒魚(さんしよう)を、沼の調(しらべ)に音は瀞(とろ)む。

弾け弾け……鳴らせ……また舞踏(をどれ)……

 

傷つきめぐる観覧車(くわんらんしや)、

はたや、太皷の悶絶に列なり走る槍尖よ、

窓の硝子に火は叫び、

月琴(げつきん)の雨ふりそそぐ……

 

弾け弾け……鳴らせ……また舞踏(をどれ)……

 

赤き神経……盲(めし)ひし血……

聾(ろう)せる脳の鑢(やすり)の音……

 

弾け弾け……鳴らせ……また舞踏(をどれ)……

  *   *   *   *

    *   *   *   *

空気は酸(す)ゆし……いま青し……黄に……なほ赤く……

 

はやも見よ、日の入りがたの雲の色

狂気の楽の音につれて波だちわたり、

悪獣の蹠(あなうら)のごと血を滴(たら)す。

 

そがもとに噴水(ふきゐ)のむせび

濡れ濡れて薄闇(うすやみ)に入る……

 

空気は重し……なほ赤し……黄に……また緑……

 

いつしかに蒸汽の鈍(にぶ)き船腹(ふなばら)の

ごとくに光りかぎろひし瘋癲院(ふうてんゐん)も暮れゆけば、

ただ冷えしぶく茴香酒(アブサント)、鋭どき玻璃(はり)のすすりなき。

 

草場の赤き一群(ひとむれ)よ、眼ををののかし、

躍(をど)り泣き弾きただらかす歓楽の

はてしもあらぬ色盲(しきまう)のまぼろしのゆめ……

午後の七時の印象はかくて夜に入る。

 

空気は苦し……はや暗し……黄に……なほ青く……

                四十一年九月

 

 茴香酒(アブサント)による妄想狂は、聾(ろう)せる脳の鑢(やすり)の音に、弾け弾け……鳴らせ……また舞踏(をどれ)、空気は苦し……はや暗し……黄に……なほ青く……啜り泣く。

 

 詩を読み通せば、薬物による昂進があったと認められるのでは無いだろうか。

 当時は、罰則もなかったのだから、こんなものだろう。酒にたばこと薬と女、明治末期の銀座が舞台なのだろう。以上

 

別題では、

 「桐の花」「哀傷篇」「哀傷篇]の二十三

「七」の四首の四

第三百七十八首

赤き花見つつ涙し(かたく)なのこの若ものが物言はぬかも

 

 当歌、「赤き花」とは象徴詩で「物」とは「もののあはれ」のようで、歌風を変える決意を詠んだ。

 

 赤き花、「邪宗門」の象徴詩。

 

「赤き花の魔睡」

 

日(ひ)は真昼(まひる)、ものあたたかに光素(エエテル)の

波動(はどう)は甘(あま)く、また、緩(ゆ)るく、戸(と)に照りかへす、

その濁(にご)る硝子(がらす)のなかに音(おと)もなく、

𠹭囉仿謨(コロロホルム)の香(か)ぞ滴(したた)る……毒(どく)の譃言(うはごと)……

遠(とほ)くきく、電車(でんしや)のきしり……

………棄(す)てられし水薬(すゐやく)のゆめ……

 

やはらかき猫(ねこ)の柔毛(にこげ)と、蹠(あなうら)の

ふくらのしろみ悩(な)やましく過(す)ぎゆく時(とき)よ。

窓(まど)の下(もと)、生(せい)の痛苦(つうく)に只(たゞ)赤(あか)く戦(そよ)ぎえたてぬ草(くさ)の花

亜鉛(とたん)の管(くだ)の

湿(しめ)りたる筧(かけひ)のすそに……いまし魔睡(ますゐ)す……

  四十一年十二月

当詩の場合、白秋がクロロホルムにより魔睡しているのだろう。

 

光素(読み)こうそ、 光の最小単位としてニュートンが仮説した光の粒子。

その濁(にご)る硝子(がらす)、クロロホルムを吸引するためのガラス管。

亜鉛(とたん)の管(くだ)、当時の雨どいは亜鉛製だった。

筧、かけひ、地上にかけ渡して水を導く樋(とい)。

 

当詩、白秋の薬物好きが分かって面白い。子供の頃から、薬中毒だったから、きつい薬でないと効果がでなかったんだろう。また、精神安定剤でもあったんだろう。以上

 

 過激なこと言うようだが、白秋が当時「薬物依存症」であったことは間違いない。

 

 

白秋の凄まじい昼間の恐怖

        白秋の凄まじい昼間の恐怖

「ふさぎの蟲」第百三十五行

ガランとした部屋の中に、たつた一人、真白な面を緊張(ひきし)めてくるくるともんどりうつ凄さ、可笑(をかし)さ、又その心細さ、くるくると(おど)け廻つて居る内に生真面目(きまじめ)な心が益落ちついて、凄まじい昼間の恐怖が腋の下から、咽喉から、臍から、素股から、足の爪先から、空一面(そらいつぱい)に拡がり出す。

注、益、ますます。

もんどりうつ、もんどりをうつ。

とんぼ返りをするようにひっくり返る。宙返りをする。もどりを打つ。「岸べで足を踏みはずして、もんどり打って川に転落した」

〔語源〕「もんどり」は「翻筋斗(もどり)」の転。とんぼ返り、宙返りの意。また、「もんどり」は「髻(もとどり)(髪の毛を束ねて結んだところ)」の意で、「もんどりを打つ」は髻を地面にぶつけるようにしてひっくり返る意とも。また、「もんどり」は「戻(もど)り」の強調表現という説もある。

白秋は、翻筋斗(とんぼがへり)ともいう。派生して「戻(もど)り」人形浄瑠璃や歌舞伎で、敵役 (かたきやく) と思われた人物が、善心にもどって本心を打ち明けること。また、その演技・演出。

 

 

 白秋は、「ふさぎの虫」で「大正元年八月二十六日午後四時過ぎ」の心象風景をかいているの。その前は「白猫」、深夜から夜明けまで、眠りから覚めてからのことである。

 白秋の恐怖体験だが、昼と夜では違っている。夜は光線が少ないからか穏やかなようだ、夜を、

 

 剰へ日が血のやうに西からのぼり、月が痺れて東へ落ちかかる怪しい神経病者の幻想(フアンタジヤ)さへ時折発作のやうに霊自身を(おび)やかす。

 対応する文と歌、

 

つくづくと険しくなつて了つたわれとわが顔をぢつと凝視(みつ)めてゐた私は心の底から突きあげてくる(かな)しさと狂ほしさから、思はず傍にあつたグロキシニアの真赤な花を抓みつぶした

 

 IV 哀傷終篇

 

夜ふけて

 

ぐろきしにあ(・・・・・・・・・・)つかみつぶせばしみじみとから(くれ)なゐのいのち忍ばゆ

 

 「白猫」では「しみじみと」している。

 

 本論の「凄まじい昼間の恐怖」だが、対応する歌、

 

春を待つ間

 V 寂しきどち

歇私的里(ヒステリー)の冬の発作のさみしさのうす雪となりふる雨となり

 

(ひや)やかに薄き(まぶた)をしばたたく人にな馴れそ山の春の鳥

 

東京景物詩及びその他

春の鳥

 

鳴きそな鳴きそ春の鳥、

昇菊の紺と銀との肩ぎぬに。

鳴きそな鳴きそ春の鳥、

歌沢(うたざは)の夏のあはれとなりぬべき

大川の(きん)と青とのたそがれに。

鳴きそな鳴きそ春の鳥。

四十三年四月

注、昇菊、昇之助というのは当時美貌で人気のあった女義太夫。

春の鳥とは白秋。

 

白秋は「歇私的里(ヒステリー)」と表現している。当行の表現は肉体を主にしているが、分かりにくい。で、参考詩、

 

第二邪宗門

円燈

飢渇

 

あな熱し、あな苦し、あなたづたづし。

 

わが熱き炎の都、

都なる煉瓦の沙漠、

沙漠なる硫黄の海の広小路、そのただなかに、

()ゑにたるトリイトン神の立像(たちすがた)

水涸れ果てし噴水(ふきあげ)の大水盤の(めぐり)には、

白琺瑯(はくはうらう)の石の(きだ)ただ照り渇き(しび)れたる。

 

そのかげに、(あか)(しやつ)衣ぬぎ

悲しめる道化芝居の触木(しょくき)うち、

自棄(やけ)に弾くギタルラ弾者(ひき)と、癪持(しやくもち)と、

(たは)れの舞の眩暈(めくるめき)

さては火酒(ブランデイ)かぶりつつ強ひて(ころ)がる酔漢(ゑひどれ)と、

笑ひひしめく(めくら)らは西瓜をぞ切る。

 

あな熱し、あな苦し、あなたづたづし。

 

既に見よ、瞬間(たまゆら)のさき、

(ほの)かなる(うれひ)(あや)にしみじみと

竜馬(りうめ)の羽うらにほひ透き、揺れて()つれし

水盤の水ひとたまり。

あるはまた、螺を吹く神の息づかひ

焔に頻吹(しぶ)きひえびえと沁みにし歌も

今ははや(から)びぬ、聴くは()ゑ疲れ

鉛になやむ地の(くだ)の苦しき叫喚(さけび)

 

あな熱し、あな苦し、あなたづたづし。

 

虚空(こくう)には銅色(あかねいろ)の日の髑髏(どくろ)(まろ)びかがやき、

雲はまた血のごと沈黙(しじ)(とろ)けゆき影だに留めず。

ただ病める東南風(シロツコ)のみぞ重たげに、また、たゆたげに、

腐れたる(つばさ)の毒を羽ばたたく。

七月末の長旱(ながひでり)、今しも真昼、

煉獄の苦熱の呵責(かしやく)そのままに

火輪車(くわりんしや)(はし)り、石油泣き、瓦斯の()(わめ)き、

真黒げに煙突震ふ狂ほしさ、その騒かしさ。

 

(たれ)ぞ、また、けたたましくも、

(あけ)の息引き切るるごと、

狂気なす自動車駆るは。

 

あな熱し、あな苦し、あなたづたづし。

 

狂気者(きちがひ)よ、人()き殺せ。

癪持(しやくもち)よ、血を吐き尽せ。

掻き鳴らせ、(いと)切るるまで。

打ち鳴らせ、木の折るるまで。

飛びめぐれ、息の根絶えよ。

酔へよ、また娑婆(しやば)にな覚めそ。

(めしひ)らよ、その赤き(はらわた)を吸へ。

あはれ、あはれ、

この(ひでり)つづかむかぎり、

()飢渇(きかつ)癒えむすべなし。

 

あな熱し、あな苦し、あなたづたづし。

注、円燈、ガスの街路灯

「たづたづし」は、万葉集の「夕闇は 道たづたづし 月待ちて 行ませ我が背子 その間にも見む」からで、「はっきりしなくて不安である」の意。

トリイトン神

ギリシア神話の海神。 ポセイドンとアンフィトリテの息子とされ,上半身は人間,下半身は魚の形,ほら貝を吹鳴らす姿で表わされることが多い。 他の海神たちと同様,予言の能力をもつと考えられた。

白琺瑯(はくはうらう)、琺瑯(ほうろう)は、鉄、アルミニウムなどの金属材料表面にシリカ(二酸化ケイ素)を主成分とするガラス質の釉薬を高温で焼き付けたもの。難解な漢字のため「ホーロー」と表記されることが多い。

ギタルラ弾者、ギター弾き。

竜馬 

中国、日本の伝承。中国で語りつがれ信じられていた龍の体と馬の前半身を持つという天の神々の使い。

天と地の間を飛ぶことができるという。中国の皇帝の陰陽の概念を象徴的に示すとも。

螺(ほら)、行者が吹くほら貝のこと。

地の管、水道管。

東南風(シロツコ)、初夏にアフリカから地中海を越えてイタリアに吹く暑い南風(あるいは東南)である。サハラ砂漠を起源とする風で、北アフリカでは乾燥しているが、地中海を越えるためにイタリア南部到達時には高温湿潤風となり、時に砂嵐を伴う。

火輪車(くわりんしや)、汽車のこと。明治初期に使われた語。

娑婆(しやば)、苦しみに満ちた耐え忍ぶべき世界。釈迦(しゃか)が教化(きょうけ)する世界。

 

 この「飢渇」、象徴詩を借りて、かれの狂気を書いている。「凄まじい昼間の恐怖」は「恐怖の白昼夢」と言えるだろう。白秋も高熱を発した。そして病理学でいう「熱せん妄(ねつせんもう」の症状なのだろう。これは、眠っていたのに急に起き上がり「怖い!」と大声で叫んだり、走り回ったり、「虫がいる」「虹が見える」とか支離滅裂な話を始めたりすること。

 で、次の行がそれに当たるだろう。

 

虚空(こくう)には銅色(あかねいろ)の日の髑髏(どくろ)転(まろ)びかがやき、

 

 読むと、おどろおどろしい。凡人は、読み飛ばすしかない。

 そういえば、賢治も書いていた。初恋の短歌、

 

ちばしれる

ゆみはりの月

わが窓に

まよなかきたりて口をゆがむる

 

 二人とも幻視を歌や詩にしたということになるか。ちぎり絵作家山下清も高熱を発して、素晴らしい絵を残してくれた。

 

 故に、白秋も賢治も病気故に「凄まじい昼間の恐怖」を後遺症としていた。こういうことになるだろうか。

宮沢賢治の初恋の歌

宮沢賢治の初恋の歌

 

宮沢賢治は、盛岡中学卒業後の1914年(大正3年)4月~5月に岩手病院(現在の岩手医科大学附属病院)で肥厚性鼻炎の手術を受けるが、術後も熱が下がらず、発疹チフスの疑いで5月末まで入院した。その時に、看護婦「高橋ミネ」に出会う。

 

 病院での出来事を詠むが、啄木の「三行書き」の派生だろうか、多行書きにしている。

 

検温器の

青びかりの水銀

はてもなくのぼり行くとき

目をつむれり われ

 

次の歌は岩手病院の同年の看護婦への初恋を詠んだもの。

 

十秒の碧きひかりの去りたれば

かなしく

われはまた窓に向く

 

その看護婦は脈を計るために十秒だけ賢治の手をにぎって去ることを読んだものという。余談になるが歌人福島泰樹は「十秒」は、改訂前のように「寸秒」でなければ感動は無いと述べている【『宮沢賢治と東京宇宙』三一頁一(宮澤賢治の詩の世界)より引用

 

すこやかに

うるはしきひとよ

病みはてて

わが目 黄いろに狐ならずや

 

 当歌、前二句が初恋の人、健康美をたたえる、後三句が賢治の悲しみ。(やまい)が長引き、黄疸で黄色の目なので、橙褐色の狐とさげすむ。会話をしたいが、相手にされないと嘆く。

 

ちばしれる

ゆみはりの月

わが窓に

まよなかきたりて口をゆがむる

 

 ちばしれる、血走れる、眼球が充血する。多く、興奮したり熱中したりしたときなどの目にいう。

 賢治の子供時代、狂気に近く世界が見えていたようだ、天才によくあることだ。だから、彼はこう見た。救いのための法華経信仰なのだろう。凡人は苦しみ少なく有難いことである。

 

退院後の歌、

 

きみ恋ひて

くもくらき日を

あひつぎて

道化祭の山車は行きたり

 

 抒情詠、祭の賑わいと悲恋の悲しみ。両親に結婚を断られた故。

 

志和の城の麦熟すらし         

その黄いろ

〔きみ居るそらの〕

こなたに明し

 

  志和村(しわむら)は、昭和30年(1955年)まで岩手県紫波郡にあった村。現在の紫波町稲藤・片寄・土舘・上平沢にあたる。

 許されぬ恋を、〔きみ居るそらの〕とカッコ付きにしたのだろうか。

 

        

 

神楽殿

のぼれば鳥のなきどよみ

いよよに君を

恋ひわたるかも   

 

神楽殿とは、岩手県花巻市の標高183mの山にある胡四王山神社(こしおうざん)に在る。

 君のもとに飛んでゆきたい。神殿での婚礼を思い、一縷の望みを詠んだ。

 

次に「岩手病院」を題材にした詩、

文語詩稿 五十篇

〔血のいろにゆがめる月は〕

 

血のいろにゆがめる月は、   今宵また桜をのぼり、

患者たちは廓のはづれに、   凶事の兆を云へり。

 

木がくれのあやなき闇を、   声細くゆきかへりて、

熱植ゑし黒き綿羊、      その姿いともあやしき。

 

月しろは鉛糖のごと、     柱列の廓をわたれば、

コカインの白きかほりを、   いそがしくよぎる医師あり。

 

しかもあれ春のをとめら、   なべて且つ耐えほゝゑみて、

水銀の目盛を数へ、      玲瓏のを割きぬ。

 

注、木がくれ、こがくれ、重なりあった木の枝葉の陰に隠れてはっきりと見えないこと。「―に海が見える」

あやなき、形容詞「文無し」の連体形。

①道理・理屈に合わない。理由がわからない。

出典古今集 春上

「春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やは隠るる」

[訳] ⇒はるのよのやみはあやなし…。

重なりあった木の枝葉の陰に隠れてはっきりと見えないこと。「―に海が見える」

鉛糖、酢酸鉛(さくさんなまり)は鉛化合物の一種で、甘みを持つ無色の結晶である。他の英語の別名としてはsalt of Saturn(直訳:鉛の塩。"Saturn"とは土星のことで、錬金術における鉛の別名。

玲瓏の氷、れいろうのこほり、熱さましのための「ゴム製氷枕、ゴム製氷嚢」が美しく照り輝くさま。

 

 最後二行で、初恋の人をたたえる。賢治の為に、頬笑みながら氷を割り、氷嚢や氷枕に詰める姿を思い出す。

 

 次に初恋からはなれ白秋の影響を受けて、大正五年(1915、19歳)八月の東京旅行で詠んだ

 

霧雨のニコライ堂の屋根ばかりなつかしきものはまたとあらざり

 

 初の上京なのに「なつかしき」、白秋の詩を思い出したのだろう。

 

  瞰望

 

わが瞰望は

ありとあらゆる悲愁(かなしみ)の外に立ちて、

東京の午後四時過ぎの日光と色と音とを怖れたり。

 

七月の白き真昼、

空気の汚穢(けがれ)うち見るからにあさましく、

いと低き瓦の屋根の一円は卑怯に(にぶ)く黄ばみたれ、

あかあかと屋上園に花置くは雑貨の店か、

(新嘉坡の土の()莫大小(メリヤス)()とうち咽ぶ。)

また、青ざめし羽目板(はめいた)の安料理屋の窻の内、

ただ力なく、女は(うなじ)かたむけて髪梳(くしけづ)る。

(私生児の泣く声は野菜とハムにかき消さる。)

洗濯屋(せんたくや)の下女はその時に物干の段をのぼり了り、

男のにほひ忍びつつ、いろいろのシヤツをひろげたり。

 

九段下より神田へ出づる大路(おほぢ)には

しきりに急いそぐ電車をば四十女の酔人(よひどれ)の来て(とど)めたり。

(はす)かひに光りしは童貞の帽子の(つの)か。

 

かかる()(をさ)まり難き困憊(こんぱい)はとりとめもなくうち(なげ)く。

その湿()めらへる声の中

覇王樹(サボテン)の蔭に(うづく)みて日向ぼこせる洋館の病児の如く泣くもあり。

煙艸工場の煙突掃除のくろんぼが通行人を罵る如き声もあり。

白昼を按摩の小笛、

午睡のあとの倦怠(けだる)さに雪駄ものうく

白粉(おしろひ)やけの素顔して湯にゆくさまの芸妓あり。

交番に巡査の電話、

広告(ひろめ)道化(どうけ)うち青みつつ火事場へ急いそぐごときあり。

また()()けて(みだ)らなる支那学生のさへづりは

氷室の看板(かんばん)かけるペンキのはこび眺むるごとく、

印刷の音の中、色赤き草花(しな)え、

ほどちかき外科病院の裏手の路次の門弾(かどびき)

げにいかがはしき病の臭気こもりたり。

 

(いま妄想の疲れより、ふと起りたる

薬種屋内の人殺、

下手人は色白き去勢者の母。)

 

何かは知らず、

人かげ絶えてただ白き裏神保町の眼路遠く、

肺病の皮膚青白き洋館の前を疲れつつ、

「刹那」の如く横ぎりし電車の胴の白色(はくしよく)は一瞬にして隠れたり。

いたづらに玩弄品(おもちや)の如き劇場の壁薄あかく、

ところどころの窻の色、曇れる、あるはやや黄なる、

弊私的里性(ヒステリイ)せいの薄青き、あるは閉せる、

見るからに温室の如き写真屋に昼の瓦斯つき、

(亡き人おもふ哀愁はそこより来る。)

獣医の家は家畜の毛もていろどられ、

歯科病院の(カーテン)は入歯のごとき色したり、

その真中(ただなか)にただひとつ、()ぎすましたる悲愁(かなしみ)か、

(ひや)理髪(りはつ)の二階より、

剃刀(かみそり)の如く閃々と銀の光は(またた)けり。

 

あらゆるものの疲れたる七月の午後、

わが瞰望の凡ての色と音と光を圧すごとく、

凡ての上にうち湿(しめ)る「東京の青白き墳墓(はか)

ニコライ堂の内秘(ないひ)より、薄闇(うすぐら)円頂閣(ドオム)を越えて

大釣鐘は騒がしく(たましひ)の内と外とに鳴り響く。

鳴り響く、鳴り響く、……

四十二年十月

注、新嘉坡、シンガポール。

莫大小(メリヤス)、綿糸・毛糸などをループ状の編み目の集合により,より伸縮するように編み,表と裏と編み目が異なる織物.

門弾(かどびき)、花街の(かど)に立つ三味線引き、料亭から呼ばれて三味線を()く。

眼路、めぢ。眼界。目に見える限り。「―に入る」

 

 賢治が白秋の詩に影響を受けたのは間違いないだろう。

 

 最後に「晶子」の歌、

 

與謝野鐵幹(明治6年1873年-昭和10年1935年)與謝野晶子(明治11年1878-昭和17年1942年)は明治42年1909年に、ニコライ堂の近くに移り住んだ。その歌からは日常の風景の中にニコライ堂があることを楽しんだ様子がうかがえる。

 まず晶子から二首。

戸あくれば ニコライの壁わが(ねや)に 白く入りくる 朝ぼらけかな

 

隣り住む 南蛮寺の鐘の音に 涙のおつる 春の夕暮れ

 

 以上、散漫に思いを述べた。我も現代の浦島太郎となった。明治がよくなじむ。旧かなのすばらしさがたまらない。

「ふさぎの蟲」第百三十四行(初戀の四、象徴語のとんぼがへり)

「ふさぎの蟲」第百三十四行(初戀の四、象徴語のとんぼがへり)

くるくると二つばかりとんぼがへりをする。

 

 大正元年八月二十六日午後四時過ぎ、白秋は苦し紛れに「とんぼがへり」をする。肉体の運動なのだが、心の変化を象徴詩としている。対応する歌では、

「桐の花」「哀傷終篇」の二

「二」の二首の一詞書付

第四百二十九首

くるしくるし堪へがたし

 

わが心ただひとすぢとなりにけり笛を吹け吹けとんぼがへれ

 

 当歌、主語は「わが心」で、述部が「とんぼがへれよ」。白秋の心が「ひとすぢとなり」、「わが心」が「とんぼがへれ」と願う。

白秋は、苦しみを詠むが、願望の終助詞「よ」で希望を表す。

 「ひとすぢ」は「ひとすぢの煙」「ひとすぢの()」を掛けている。

 

 「音(ね)」を表す歌、

 

第二首、

銀笛のごとも(かな)しく単調(ひとふし)に過ぎもゆきにし夢なりしかな

 

単調(ひとふし)」は「ひとすぢ」で「音」の象徴言。参考詩としては、上田敏の「海潮音」の冒頭の詩が適当だろう。

 

 大寺の香の煙はほそくとも、空にのぼりて

あまぐもとなる、あまぐもとなる。

               獅子舞歌

 

 「大寺の香の煙」が言葉で、「あまぐも」がその完成された詩を示すのだろう。

 

 理論として、ウィキペディアから引用すれば、

 アルベール・オーリエは『メルキュール・ド・フランス』誌において1891年にこう定義している

 

「芸術作品は第1に観念的であるべきである。そのただ1つの理想は観念の表現であるから。第2に象徴的であるべきである。その観念に形を与えて表現するのだから。第3に総合的であるべきである。諸々の形態や記号を総体的に理解される形で描くのであるから。第4に主観的であるべきである。事物は事物としてではなく主体によって感受される記号として考えられるのであるから。第5に装飾的であるべきである。」以上

 

難解だが,白秋の理解として「とんぼがへり」と受け入れたのだろう。

また、白秋が「無思想」といわれるのは、この言葉の「とんぼがへり」が理解できないからだろう。

象徴としての「とんぼがへり」を白秋の「わが生ひたち」より理解したい。

当回は白秋の「一人芝居」を「黒い()の少女」に見られて「逆上(のぼせ)て」しまった「わが生ひたち6」の思ひ出から想像を膨らませる。三行の原文は白秋特有の言葉の螺旋模様といえようか。

 

美くしい小さな Gonshan. 忘れもせぬ七歳(ななつ)の日の水祭(みづまつり)に初めてその兒を見てからといふものは私の羞耻(はにかみ)に滿ちた幼い心臟は紅玉(ルビイ)入の小さな時計でも懷中(ふところ)(かく)してゐるやうに何時となく幽かに顫へ初めた。

 私はある夕かた、六騎の貧しい子供らの群に交つて喇叭を鳴らし、(くさ)れた野菜と胡蘿葡の()ごれた(どぶ)どろのそばに、粗末な蓆の小屋をかけて、柔かな羽蟲の(もつ)れを(かな)しみながら、ただひとり金紙に緋縅の鎧をつけ、鍬形のついた甲を戴き、木太刀を佩いて生眞面目(きまじめ)に芝居の身振をしてゐたことがあつた。さうして(さかな)くさい見物のなかに蠶豆の青い(しる)に小さな指さきを染めて、罪もなくその葉を鳴らしながら、ぱつちりと黒い()を見ひらいて立つてゐたその兒をちらと私の見出した時に、ただくわつと逆上(のぼせ)て云ふべき臺辭(せりふ)も忘れ、(きま)()るさに俯(うつむ)いて了つた――その前を六騎の(きた)ない子供らが鼻汁(はな)を垂らし、黒坊(くろんぼ)のやうな(あか)つちやけた裸で、不審(ふしん)さうに彼らが小さな主人公の顏を見かへりながら、張合もなく何時までも翻筋斗(とんぼがへり)をしてゐた事を思ひ出す。以上

 注、胡蘿葡、こらふ、ニンジン。

蠶豆、そらまめ、現代の枝豆。

 

 状況は、「とんぼがへり」をしている「子供らが」、白秋の悲劇を不思議そうに眺めている「ある夕かた」の悲劇だろうか。

 

 「木曾川」では、具体的な「水祭(みずまつり)」を述べている。

私の郷国(きょうこく)筑後の柳河(やなかわ)は沖の端の水天宮の水祭(みずまつり)には、杉の葉と桜の造花で装飾され、(すだれ)を巻き蓆張(むしろばり)の化粧部屋を取りつけた大きな舟舞台が、幕あいには笛や太鼓や三味線の囃子(はやし)もおもしろく町の水路を三日三()さも上下する。そうして町のかわるたびに幕をかえ、日をかうるたびに歌舞伎の芸題(げだい)も取りかえる。そうした小運河はまた近在の小舟でうずまってしまう。その五月の喜ばしさというものはなかった。以上

 

 記述から「春祭り」と解る。明治中期のころだから、何処でも村芝居が有った。水郷柳河はさながら水に浮いた灰色の柩、その上でのお芝居の稽古をしていた情景描写は、失われた庶民文化でもあろうか。

 

  具体的に推理してゆきたい。

 金紙に緋縅(ひおどし)の鎧をつけ、鍬形(くわがた)のついた甲を(いただ)き、これがヒントで類推しよう。

 子供が演じるのだから、高名な武者で凛々しい立ち姿から、義経か敦盛と思われる。ヒントに該当するのは、一谷軍記(いちのたにふたばぐんき)。嫩とは、嫩草【わかくさ】を意味し、若く、男女の交わりもせず死んでいく悲しみをにじませている。

 

 浄瑠璃を読むと「敦盛」の初陣の姿を描いている。

 

一谷嫩軍記

敦盛出陣の段

萱の御所しばし仮居の事繁き

敦盛その日の出立には雛鶴縫うたる直垂に、鎧は緋綴、同じけの鍬形打ちたる兜を着て、廿四差いたる染羽の矢、重籐の弓を持ち勇み進んで乗出し給へば、以上

 

 

 (ひな)(づる)()うたる直垂(ひたたれ)とは、鎧を着ける着物に、鶴のひなを縫い込んでいて、悲しみを誘う。緋綴(ひおどし)の鎧とは、緋色の革や糸で(さね)をつづり合わせ、同じ緋色の顎紐で鍬形を打ちつけたた兜を着けた姿は凛々しい。同じけ、同じ色。

 

 臺辭(せりふ)は、

「愚かや母上、父の命に従ふは一旦の孝行、兄上たち、一門残らず(かばね)をさらす必死の戦場、我一人都へ帰り何面目(なにめんもく)に永らへん、これより一の谷ヘ馳行(はせゆ)き、父に代りて陣所を固め、(いさぎ)う討死して名を後代に止むる覚悟、親に先立つ不幸の罪御赦(ゆる)されて下さりませ」。

 

注、蓆、むしろ。

緋縅の鎧、ひおどしのよろい、赤い鎧で,縅(クチナシやキハダで下染めし、その上から紅や緋で染めた紐や革緒などで鎧の(さね) (板) を糸または革でつづり合わせたもの)。

鍬形、くわがた、かぶとの前びさしの上に、角(つの)のように二本出ている金具。

 

 柳河では、平氏が重んじられたのだろう。「わが生ひたちの3」より、

 

 柳河を南に約半里ほど隔てて六騎(ロツキユ)(まち)(おき)(はた)がある。(六騎(ロツキユ)とはこの街に住む漁夫の諢名であつて、昔平家沒落の(みぎり)に打ち洩らされの六騎がここへ落ちて來て初めて漁りに從事したといふ、而してその子孫が世々その業を繼襲し、繁殖して今日の部落を爲すに至つたのである。)

 

 白秋兄弟は芝居好きで、名セリフなどを(そら)んじて、真似をしていたのだろう。

 本論として、白秋がこの事件で「トラウマ」に取りつかれたことを指摘したい。

 当小品の最後が、

 

ははははは……………………

 ははははは……………………

 

 初戀の痛手がまだ癒えていないことの告白、「ふさぎの虫」の意味なのだろう。

 

「ふさぎの蟲」第百三十四行(初戀の三、とんぼがへり)

「ふさぎの蟲」第百三十四行(初戀の三、とんぼがへり)

くるくると二つばかりとんぼがへりをする。

 

 白秋の初戀の人との大失態は、彼の心に深い傷を負わせた、その象徴語が「翻筋斗(とんぼがへり)」となる。歌から探ろう。わが生ひたちの6より、

 

――その前を六騎の(きた)ない子供らが鼻汁(はな)を垂らし、黒坊(くろんぼ)のやうな(あか)つちやけた裸で、不審(ふしん)さうに彼らが小さな主人公の顏を見かへりながら、張合もなく何時までも翻筋斗(とんぼがへり)をしてゐた事を思ひ出す。以上

 

翻筋斗(とんぼがへり)とは、もんどり【翻=筋=斗】

《「もどり」の音変化》空中でからだを1回転させること。とんぼ返り。宙返り。

[類語]宙返り・とんぼ返り・とんぼ・でんぐり返る

 

 白秋と俊子、「桐の花」の主人公となった。白秋がこの「抒情歌集」を意図したときは、俊子の評価は低いはずだ。美意識の権化が、下手な歌しか詠まぬ人を心底愛するとは思えない。でも、容姿端麗で愛の業師として溺れたのは確かだろう。俊子と情交を持ったのは、明治四十五年初頭あたりだろう。「とんぼがへり」を注目語として歌を見てゆきたい。長いので「注」で書き込んでゆく。

 

春を待つ間

 

I 冬のさきがけ

 

ふくらなる羽毛襟巻(ボア)のにほひを新らしむ十一月の朝のあひびき

 

注、築地の新富座裏時代、銀座での逢引きだろう。

差し絵を参照、

 

 

II 戯奴

 

かなしや雪のふる日も道化ものもんどりうつとよく馴れにけり

 

ほこりかにとんぼがへりをしてのくるわかき道化に涙あらすな

 

注、俊子に見せたのだろう、「かなしや」とは、自分を卑下している。「ほこりかに」とは、「わかき道化に涙あらすな」の対語で「ふさぎの虫」を起こさせる俊子への愛憎だろう。

 

III 雪

君かへす朝の舗石(しきいし)さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ

 

 注、対応する「東京景物詩及其他」の詩、

 

銀座の雨

 

雨……雨……雨……

雨は銀座に新らしく

しみじみとふる、さくさくと、

かたい林檎の香のごとく、

舗石(しきいし)の上、雪の上。

 

黒の山高帽(やまたか)猟虎(ラツコ)の毛皮、

わかい紳士は濡れてゆく。

蝙蝠傘(かうもり)の小さい老婦も濡れてゆく。

……黒の喪服と羽帽子(はねぼうし)

()いた娘の蛇目傘(じやのめがさ)

しみじみとふる、さくさくと、

雨は林檎の香のごとく。

 

はだか柳に銀緑(ぎんりよく)

冬の瓦斯()くしほらしさ、

棚の硝子にふかぶかと白い毛物の春支度。

肺病の子が肩掛の

弱いためいき。

波斯(ペルシヤ)絨氈(じゆたん)

洋書(ほん)金字(きんじ)時雨(しぐれ)(たまし)

Henri(アンリイ) Deド Régnier(レニエ) が曇り(たま)

息ふきかけてひえびえと

雨は接吻(きつす)のしのびあし、

さても緑の、宝石の、時計、磁石のわびごころ、

わかいロテイのものおもひ。

絶えず顫へていそしめる

お菊夫人の縫針(ぬいばり)の、人形ミシンのさざめごと。

雪の青さに片肌ぬぎの

たぼもつやめく髪の(かた)、つんとすねたり、かもじ屋に

紺は匂ひて新らしく。

白いピエロの涙顔。

熊とおもちやの長靴は

児供ごころにあこがるる

サンタクロスの贈り物。

(そと)はしとしと淡雪(あわゆき)

沁みて悲しむ雨の糸。

 

雨は林檎の香のごとく

しみじみとふる、さくさくと、

(ドア)を透かしてふる雨は

Verlaine(ヴエルレエイヌ) の涙雨、

赤いコツプに(すぢ)を引く、

ひとり顫へてふりかくる

辛からい胡椒に線すぢを引く、

されば声出す針の(さき)、蓄音器屋にチカチカと

廻るかなしさ、ふる雨に

酒屋の左和利、三勝もそつと立ちぎく忍び泣き。

それもそうかえ淡雪(うすゆき)

光るさみしさ、うす青さ、

白いシヨウルを巻きつけて

鳥も鳥屋に涙する。

椅子も椅子屋にしよんぼりと

白く寂しく涙する。

猫もしよんぼり涙する。

人こそ知らね、アカシヤの

性の木の芽も涙する。

 

雨……雨……雨……

雨は林檎の香のごとく

冬の銀座に、わがむねに、

しみじみとふる、さくさくと。

四十四年十二月

 

注、この夜、横浜の隠家で情交をかわしたのだろう。

 

ひとよよのつねの

恋となあはれおもひたまひそ

 

雪の夜の(あか)きゐろりにすり寄りつ人妻とわれと何とすべけむ

 

 V 寂しきどち

 

かりそめにおん身慕ふといふ時もよき俳優(わざをぎ)は涙ながしぬ

 

わが()づる小さく(さも)しくいぢらしき(しろ)栗鼠(りす)のごと泣くは誰ぞや

 

泣きたまふな、あまりにさびし

 

いざやわれとんぼがへりもしてのけむ涙ながしそ君はかなしき

 

注、 かりそめにとは、参考歌、

あふ事のひさしにふける菖蒲草(あやめくさ)ただかりそめの妻とこそ見れ

                   金葉集・前斎宮河内

 

 注、俊子はまだ人妻だから「妻」とは呼べない、相聞歌としての参考歌、

 

見しことも見ぬ行末(ゆくすえ)もかりそめの枕に()かぶまぼろしの中

                       式子内親王

 

かりそめの色のゆかりの恋にだに 逢うには身をも惜しみやわする

                  法然上人『勅修御伝』三十巻

 

注、なさぬ恋として、前に法然と式子内親王の恋を取り上げたことがあった、プラトニックラブとしていい相聞歌と理解したい。

 

 

歇私的里(ヒステリー)の冬の発作のさみしさのうす雪となりふる雨となり

 

(ひや)やかに薄き(まぶた)をしばたたく人にな馴れそ山の春の鳥

 

 注、下歌は、三句切れ。春の鳥はまさしく白秋で、孤高の心境を詠んでいる。

 

 まだまだ読み解いていけると思う。万華鏡のような白秋の心象風景、頑張ろう。

「ふさぎの蟲」第百三十四行(初戀の二)

「ふさぎの蟲」第百三十四行(初戀の二)

くるくると二つばかりとんぼがへりをする。

 

 白秋、詩にしたからには、対応する歌があるはずだ。下記の文を「詞書」として、

 

わが生ひたち6

美くしい小さな Gonshan. 忘れもせぬ七歳(ななつ)の日の水祭(みずまつり)に初めてその兒を見てからといふものは私の羞耻(はにかみ)に滿ちた幼い心臟は紅玉(ルビイ)入の小さな時計でも懷中(ふところ)(かく)してゐるやうに何時となく幽かに顫へ初めた。

 

銀笛哀慕調

1春

 

ヒヤシンス薄紫に咲きにけりはじめて心顫ひそめし日

 

三句切れ、後二句が初恋が水祭(みずまつり)の日、白秋の幼児期の終わりを詠んだ、白秋の体言止めが決まって良い。「はじめて」と「そめし」が、初めてと、と()めしとヒヤシンスに「染し」と掛けている。

 

この「()めし」と「はじめ」の用例は「若菜集」だろう。

 

若菜集

初戀

 

まだあげ()めし前髮(まへがみ)

林檎のもとに見えしとき

前にさしたる花櫛(はなぐし)

花ある君と思ひけり

 

やさしく白き手をのべて

林檎をわれにあたへしは

薄紅(うすくれなゐ)の秋の()

人こひ()めしはじめなり

 

わがこゝろなきためいきの

その髮の毛にかゝるとき

たのしき戀の(さかづき)

君が(なさけ)に酌みしかな

 

林檎畑の()(した)

おのづからなる細道(ほそみち)

()が踏みそめしかたみぞと

問ひたまふこそうれしけれ

 

 藤村の耽美、白秋の豪華絢爛と違い、「自然主義」の薄紅(うすくれなゐ)といえようか。

 

 現在、柳川市では秋祭りとして「水祭」が行われている。多分、白秋の子供時分は「春祭」だったのだろう。「戦後」ももう死語のようだが、我が故郷でも季節が変更された。

 

 話題を変えて、上歌に次ぐ二首、

 

かくまでも黒くかなしき色やあるわが思ふひとの春のまなざし

 

君を見てびやうのやなぎ薫るごとき(むな)さわぎをばおぼえそめにき

 

 白秋の「思ふ人」とは「晶子」と思うのだが、明治四十五年(1945)五月五日、晶子は新橋駅からフランスへ旅立った。白秋も見送りに参加した、悲しみは深かった。俊子との「火遊び」が進んだのも仕方がないか。

 

 

「ふさぎの蟲」第百三十四行(初戀)

「ふさぎの蟲」第百三十四行(初戀)

くるくると二つばかりとんぼがへりをする。

 

 白秋を理解するために重要な「思ひ出」の中心は「初戀の人」だろう。白秋の詩と文から理解したい。

 

「わが生ひたち6」の書き出しから、

 靜かな晝のお葬式(ともらひ)に、あの取澄(とりす)ました納所坊主の折々ぐわららんと鳴らす鐃鈸(ねうはち)の音を聽いたばかりでも笑ひ(ころ)げ、單に佛手柑の實が()ゆかつたといつては世の中をつくづく果敢(はか)なむだ頃の Tonka John の心は今思ふても罪のない鷹揚なものであつた。さうしてその恐ろしく我儘な氣分のなかにも既にしをらしい初戀の芽は萠えてゐた。

注、鐃鈸、にょうはつ。法会(ほうえ)に用いる2種の打楽器、鐃と鈸。主として鈸をいう。

萠えて、もえて。白秋は古語として使用している。

も・ゆ 【萌ゆ】

自動詞ヤ行下二段活用

活用{え/え/ゆ/ゆる/ゆれ/えよ}

草木の芽が出る。芽ぐむ。

出典万葉集 一八四六

「霜枯れの冬の柳は見る人の蘰(かづら)にすべくもえにけるかも」

[訳] 霜で枯れた冬の柳は、見る人のかづら(=髪飾り)にできるように芽が出たことだ。

 

 次行で時期が示される、

 

 美くしい小さな Gonshan. 忘れもせぬ七歳(ななつ)の日の水祭(みづまつり)に初めてその兒を見てからといふものは私の羞耻(はにかみ)に滿ちた幼い心臟は紅玉(ルビイ)入の小さな時計でも懷中(ふところ)(かく)してゐるやうに何時となく幽かに顫へ初めた。

 

 出会いは、七歳(ななつ)の水祭。その詩、

 

初戀

 

薄らあかりにあかあかと

踊るその子はただひとり。

薄らあかりに涙して

消ゆるその子もただひとり。

薄らあかりに、おもひでに、

踊るそのひと、そのひとり。

 

 そして事件が起きるが、それは次回にして、後の逢引き、

「初戀」の次に置かれた詩、漫然と読めば関連が無いように思われるが、「そのかみのわが少女」で運命の出会いと理解できる。

 

泣きにしは

 

美はしき、そは()まれ、人妻よ。

ほのかにも(くち)ふれて泣きにしは、

君ならじ、我ならじ、その一夜(ひとよ)

青みゆく(らう)の火と月光(つきかげ)と、

瞬間(たまゆら)にほのぼのとくちつけて

消えにしを、落ちにしを、その一夜。

さるになど光ある御空より

君はまた()を求め泣き給ふ。

あな、あはれ、その一夜、泣きにしは

君ならじ、そのかみのわが少女

 

 当時は、年頃になれば嫁に行かされる。同い年だろうから、白秋には権利がない。不倫となる。次に続く詩、

 

薊の花

 

今日(けふ)(あざみ)の紫に、

(とげ)が光れば日は暮れる。

何時(いつ)か野に來てただひとり

泣いた年増(としま)がなつかしや。

 

 年増とは、娘盛りを過ぎた年のころの女性。なさぬ恋の悲しみを、薊の刺に託している。

 東京に出てきて、故郷の彼女を懐かしむ詩、「初戀の清き傷手(いたで)に」とあるので良くわかる。

 

 

柔かなる月の出に

(なま)じろき百合の根は匂ひいで、

鴉の鳴かで歩みゆく畑、

その畑に霜はふる、銀の薄き疼痛(とうつう)…………

 

過ぎし日は(にが)き芽を蒔きちらし、

沈默(ちんもく)はうしろより啄みゆく、

虎列拉(コレラ)病める農人(のうにん)の厨に

黄なる()の聲もなくちらつけるほど。

 

霜はふる、土龍(もぐら)の死にし小徑(みち)に、

かつ黒き鳥類(てうるゐ)の足あとに、故郷(ふるさと)のにほひに、

霜はふる、しみじみと(はり)をもてかいさぐりゆく

盲鍼醫(めくらはりい)の觸覺のごと、

 

思ひ出の月夜なり、(しろがね)(いた)鍍金(メツキ)に、

薄青き光線の(かさ)かけて(わなな)く夜なり。

放埓(ほうらつ)のわが悔に、初戀の清き傷手(いたで)

秘密おほき少年のフアンタジヤに。

 

霜はふる。

ややにふる、

來るべき冬の日の幻滅(ヂスイリユジヨン)…………

 

 白秋、「來るべき冬の日の幻滅(ヂスイリユジヨン)…………」と未来を予見しているのが面白い。

 

 

 

「ふさぎの蟲」第百三十四行(とんぼがへりの思ひ出の三、夕さり)

「ふさぎの蟲」第百三十四行(とんぼがへりの思ひ出の三、夕さり)

くるくると二つばかりとんぼがへりをする。

 

 当小品「ふさぎの蟲」は、「大正元年八月二十六日午後四時過ぎ」と始まる。白秋は時間にこだわる。昼は「午前四時より午後四時」で夜が「午後四時より午前四時」になるようだ。警句として「とんぼがへり」を分析してみたい。

 白秋の意識に「午後四時」を刻みこんだだろう「初戀」の事件を、「わが生ひたち」の6に見よう。

 

私はある夕かた、六騎の貧しい子供らの群に交つて喇叭を鳴らし、(くさ)れた野菜と胡蘿葡の()ごれた(どぶ)どろのそばに、粗末な蓆の小屋をかけて、柔かな羽蟲の()つれを(かな)しみながら、ただひとり金紙に緋縅の鎧をつけ、鍬形のついた甲を戴き、木太刀を佩いて生眞面目(きまじめ)に芝居の身振をしてゐたことがあつた。さうして魚さかなくさい見物のなかに蠶豆の青い(しる)に小さな指さきを染めて、罪もなくその葉を鳴らしながら、ぱつちりと黒い()を見ひらいて立つてゐたその兒をちらと私の見出した時に、ただくわつと逆上(のぼ)せて云ふべき臺辭(せりふ)も忘れ、(きま)(わる)さに俯向(うつ)むいて了つた――その前を六騎の(きた)ない子供らが鼻汁(はな)を垂らし、黒坊(くろんぼ)のやうな(あか)つちやけた裸で、不審(ふしん)さうに彼らが小さな主人公の顏を見かへりながら、張合もなく何時までも翻筋斗(とんぼがへり)をしてゐた事を思ひ出す。以上

 

 白秋は「ある夕かた」と表現して「クリスタリゼーション(結晶作用)」を行っている。さらに、最終首において、「夕さり」と深化させている。

 

ひもじきかなひもじきかな

わが心はいたしいたしするどにさみし

 

吾が心夕さりくれば蝋燭()くごとしひもじかりけり

 

 

「夕さり」とは、 ゆふさり‥【夕去】

〘名〙 (「さり」は来る、近づくの意を表わす動詞「さる(去)」の連用形の名詞化) 夕方になること。また、その時。夕方。夕刻。

古語では、ゆうされ。ゆさり。〔新撰字鏡(898‐901頃)〕

※古今(905‐914)離別・三九七・詞書「あめのいたうふりければ、ゆふさりまで侍りて、まかりいでけるをりに」

[語誌](1)上代では「夕(ゆふ)さる」という動詞形が使われていたが、中古にはその名詞形「夕さり」で夕方という時間帯を表わすようになった。

 

 第一首と対照しよう、

 

 春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと()()の草に日の入る夕

 

 「春の鳥」は「吾が心」で、擬人化をやめた。「夕」を「夕さりくれば」と枯淡の境地にした。「ひもじかりけり」は「な鳴きそ鳴きそ」と涙も枯れた。「外の面の草」は「蝋燭」で「日」が暮れ「火」が「点」いた。

 

 白秋の推敲はすごいが、難解ではある。

 

 この「とんぼがへり」をこれから

中村憲吉 馬鈴薯の花、大正2[1913].7.1

 

 当集が一月発行なので、中村憲吉が「ゆふさり」を引用したのだろう。耽美を排するので、「ほのか光れり」だが、白秋にひかれたのだろう。