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親愛なるみなさまこんにちは
中井耀香です
いつもご訪問下さりありがとうございます
全国的に秋晴れの気持ちの良い日ですね
お休み組の方も多いと思います。
本日は「早寝する文化の日」ですが笑
明治天皇のお誕生です
明治時代は「天長節」でした。
※天皇誕生日のこと
※明治神宮HPより
天長節は、四方拝、紀元節、明治節と並び「四大節」の大切な1つでした。
明治天皇のご生涯に興味が沸いたので、本日はそちらをシェアしたと思います。
明治天皇は、1852年(嘉永5年)9月22日
5+9+22→36 『生命数36』の日にお生まれになりました。
「36」は巫の数でくくると⑨ですので、天の数です。
天皇に相応しい方の生まれた日ですね
その後、新暦となり誕生日が11月3日となりました
5+11+3→19 生命数が36→19に変わったわけです
この時代は暦が変わる時ですので、誰もが生命数が変わりますが、2つの生命数を持つと人生がややこしくなります。
2つの数霊の波動を受けて、まさに激動の人生となりやすいです。
アップダウンが激しいみたいなイメージですね。
明治天皇が生まれたのは、アメリカのペリーが浦賀に来航した前年の年です
ご生母は孝明天皇の典侍(てんじ:位の高い女官)として宮中に上がり側室となった中山慶子(なかやまよしこ)様でした。
孝明天皇は正室との間に4人の皇子・皇女を授かりましたが、みな早世しています。
医療が発達していない時代ですので、成人を迎えるのも大変な時だったのでしょうね。
この時慶子さまは17歳でした(若い!
お生まれになった明治天皇のお名前は
皇子・祐宮(さちのみや)でした。
お名前が愛らしいですね。
慶子さまは、ご実家で出産後、明治天皇が5歳の頃にともに宮中に戻り、慶子の局として一緒に暮らすことになりました。
御家柄がそこまでじゃなかったので、正室にはなれなかったのですが、女官として宮中に残り、明治天皇が東京に上がられた時も一緒に上京し、明治天皇の成長をサポートし、「大正天皇」が誕生された時には、養育担当となり、天皇家の教育に深くかかわり続けて73歳で薨去(こうきょ)されました。
明治と大正のご皇室はこの方のお支えがあればこそだったのですね。
孝明天皇は35歳の若さでご崩御されたので、明治天皇は16歳の若さで皇位を継承されました。
慶応3年1月9日の時です。
12月には徳川慶喜が大政奉還をして、明治天皇が王政復古の宣言をしました
徳川家が、政を天皇にお返し致しますと伝えて、明治天皇が、天皇中心の世に戻すよと宣言したみたいな感じです。
明治4年には10月東京遷都して、12月にはご成婚という流れでした。
皇后は、左大臣「一条忠香」(いちじょうただか)の娘「一条勝子」(いちじょうまさこ)様でした。
20歳のときに美子(はるこ)と改名して皇后になりました。
皇后は鼻が高かったことから、女性にあだ名を付けて呼ぶことが好きだった天皇から「天狗さん」と呼ばれていたと言われています。
2人の間には子宝に恵まれませんでしたが、近代国家創建に向け、先頭に立っていた明治天皇を陰で支えたのは、後の昭憲皇后でした。
ご即位後には「教育勅語」をご下賜され、国民が日本人として生きる指針を示されました
日本人にとっての道徳観と日本人にとって何が大切なのかを示されたのです。
示された理由は、当時洋学が重んじられ、日本の伝統や倫理観が軽視されだしたからだと言われています。
令和の世の中も同じように個人主義が尊重され、民族が分断されています。
全国の宮司さんの中でも、教育勅語の復活を望まれる方も沢山いらっしゃいます。
おおまかに言うと、国を大切に想い、親には孝行しなさい
って感じです。
半世紀で、国防を強くし、産業を強くし西洋の列国と肩を並べるようにしたのも、明治天皇のご尽力です。
他のアジアの国々は、どこも皆ヨーロッパの支配下に置かれていた時代に、国も言葉も民族も奪われなかったのは、一重に明治天皇と、当時の日本人の皆様のお陰です。
息子である大正天皇も、父親に抱きしめられたことはなく
ご自身の誕生日に15分ほど面会できるくらいだったと聞きました。
お孫さまである、秩父宮さまも、実際の祖父の声を聞いたことがないと話されていました。
※どちらもうるおぼえ
それだけ明治の男の前の「慶応の男」は威厳があり、漢気が強かったのでしょうね。
私の祖父も明治40年代の生まれですが、怖かったです(汗
明治天皇は、典侍から5人の側室をもうけ、側室との間には5人の皇子と10人の皇女が生まれましたが、10人の皇子・皇女は早世。無事に成人したのは、典侍「柳原愛子」(やなぎわらなるこ)様がお産みになられた、嘉仁親王(よしひとしんのう:のちの大正天皇)ただひとりでした。
当時の子供を成人させるのは大変なことだったのですね。
だから多産じゃないとイケなかったのかもですね。
乗馬やお能鑑賞が趣味で、庶民的な将棋も好まれ、相撲鑑賞も大好きだった明治天皇
読書家だった明治天皇は、少年時代に様々な和、洋、漢の書物を読むことで、分野の知識を身に付けました。このように多様なジャンルを修得したことで、天皇はひとつのことにとらわれない柔軟な考え方を養ったと言われています
多読は多くの知識を身に着け、人格を磨きます。
私達も真似したいところです。
その中で、古事記などを熱心に読まれ「神武天皇」を手本とし、新しい時代を作る手本としたと言われています。
だから、明治天皇は「愛民精神に溢れていた」と言われています。
心はいつも臣民のなかにあるとおっしゃり、臣民の生活を常に気にかけていらっしゃいました。
明治45年7月に61歳でご崩御されました。
ご崩御後は、京都伏見の桃山御陵(ももやまごりょう)でお眠りになっています。
生まれ故郷の京都で眠りたいというご本人の強い希望があったからだとか。
故郷って最晩年にはとても懐かしく思い出されるものなのかもしれませんね。
去年の明治節に寄せて書いた記事も、明治天皇が当時の臣下に対しての想いが偲ばれます
本日文化の日は、明治天皇の功績とお人柄に気持ちを向けて、お祝いしたいと思います。
すめらぎ弥栄
本日も最後までお読み頂きありがとうございました
中井耀香
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