1.中国(上海、武漢、重慶) | たなからぼたもち

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人生あわよくば美味しいことがありますように…。

中国ほど今世紀一気に発展した国はないんじゃないかと思います。

私は小さい頃三国志の漫画を読み耽って育ったので、

難しい感じは三国志と水滸伝で覚えた(そして、もう忘れた)といっても過言じゃないほどの

プチ三国志博士ちゃんでした。

いわゆる、子供の昆虫好きや鉄道好きに通じるオタだったんですが、同世代の女子に三国志にハマってるような子はいなかったので、一人寂しくオタ活してた感じです。

ガッツリハマっていたのは小中学生ぐらいで、中国は私にとっては関羽や趙雲や諸葛亮の居た憧れの国でした。

確か中学生の頃、近所の市民オーケストラの子供の部みたいなところが中国公演に行くため団員を募集していて、

中国に行ける!!!と張り切って団員になり、ヴァイオリンを弾いてましたが、

その待望の海外公演がちょうど高校受験と重なり、中国には何も関係なく一緒に入団した妹だけが中国に行けて、

非常に腐っていたのを覚えています。

中国に行けないとわかった時点で、そのオーケストラは即効辞めました(笑)

それから10年ほど?

仕事を始め、お金を貯めてやっと中国に行くことができました。

その頃にはもう三国志熱などは冷めてましたが、やっぱり当時の行って見たい国ナンバーワンではありましたが。。

初めて行った中国は、まだ社会主義の色が濃い、なんか思ってたのと違う貧乏で汚い国でした。。。

確か最初に行ったのは上海です。

今の開発された上海になる途中段階のような時期で、川の向こうのテレビ塔などがなんだかキッチュな未来風景で、

外灘の植民地時代の西洋の街並みが1番の観光の目玉。その周りはひたすら高いビルを作るための工事と

昔のスラム街みたいな街が混在し、騒音と砂埃で街が霞んでいました。

これは豫園ですね。

この近くの小籠包屋さんが美味しいと聞いて、並んで食べました。

もっと色々写真撮った気がするけど、先日のバックアップの消失の時消えたかなー?

この頃は写ルンですやAPSカメラなどで撮ってたはず。

 

まだ1990年代だと思うのですが、メモによるとレートは1円13〜4元でした

こんな写真が残ってました

パパイヤ一皿140円ぐらいか?調べた感じ、今は倍ぐらいのお値段みたいです。

思ったより上がってないな。

当時、現地のガイドさんから、平均年収は都市部で月2万ぐらい、田舎で5000円ぐらいと聞きました。

とにかく、「私たちは外貨が必要です」と割高のお土産屋に連れて行かれ、

さらに「我々は命の値段が安いです」と言われ、なんと返事して良いか戸惑いました。

今は中国のリーマン層の年収は250万ぐらいだそうで。。。

ん??

なんか日本で爆買いしてるから、もっと収入高いかと思ったけど、一部の富裕層だけなのね。

リーマン年収だけ見ると、パパイヤも年収もちょうど当時より倍ぐらいってことなのね。

まぁ、日本はその当時からまったく平均年収上がってないし、むしろバブル時より下がってるぐらいだから、

倍なんて、うらやま〜ですが。。

 

上海では、雑技を見たり、ちょっと足を伸ばして蘇州にでかけたりしました。

当時、森川久美さんの「南京路に花吹雪」という漫画が好きで、

その世界観を感じたくて胡同やら日本人の租界やらをかなり彷徨きました。

 

 

第二次世界大戦の頃の日本人スパイの話です。おすすめです!

 

上海にはその後ももう一度立ち寄りました。

その時は三峡ダムの建設中で、三国志の名所などがダムの下に沈むとのことで、

それを見ようと長江下りをした時です。

 

前回はホテルへの送り迎えなどにちょこっと現地ガイドさんがついた程度で自由旅行でしたが、

長江下りはガイド付きツアーでした。

友人4人で行ったのですがこのグループに一人中国人ですが、専属の日本語ガイドさんがついてくれました。

上海から武漢を経由し、宣昌から船に乗り、重慶で降りましたから、正確には長江上りですね。

こちらは武漢の黄鶴楼

船は「三国号」という大きめの客船で、一応船長主催のパーティーなんかもありましたが、

お世辞にも綺麗な豪華客船。。って感じではなかったです。

部屋の洗面所から出る水なども黄色く濁っていて、歯磨きに使うのも躊躇しました。

両岸の町や村は、この後水位が100メートルほど上がる予定が決まっていて、

政府がここまで上がるぞ、という印をあちこちにつけていて、

人は逃げ出した後のようでした。

住民の反対運動などあったか知らないですが、こういうとこは独裁国家の独断でゴリゴリやってますね。

これがダムかただの水門か忘れましたが、

水は濁っていて魚一匹見えず、空も汚れた空気で鳥一匹見えず、

3泊4日の船旅で見た動物は、岸にいた痩せた犬一匹だけで、

他の生き物は全部中国人に食われたのか!?と戦慄したものです。

 

これも武漢だったかもしれないですが、重慶にも広い揚子江を渡す大橋があります

ガイドさんが、そのレインボーブリッジ並みの大橋を半年で作り上げたと自慢してましたが、

その脇で、ツルハシを振るって工事をしているおっさんたちがたくさんいて、

まさかのツルハシで半年!?どんだけ人海戦術!?と思いました。

ちなみにレインボーブリッジは出来上がるのに6年半かかってますけど!

当時(今もか?)中国の突貫工事は、いろんな事故を起こしてたので、実際工事現場を見て納得してしまいました。

当時でも中国は12億ほどの人口がいましたけど、なんか、色々と桁が違ってました。

重慶で聞いたのは、重慶は坂の多い街で、買い物に行くと荷物を運ぶのが大変なので、

お買い物の奥様たちのために棒棒族というボテフリ職人みたいな人たちが10万人いるとか。

参考に写真探してきましたが

今はもう宅配に取って代わられて棒棒族いなくなっちゃったみたい、、、

しかし、運び屋だけで10万人。

日本の市町村の8割は10万人以下というのに。。。。。。

失業した10万人はどこにいったのかなー。

 

とりあえず中国だけでも長くなりそうなので、北京編は次のブログに!

あ、その前に中国のトイレ!

私が写してるから女子トイレと思われますが、

どうやってンコすんだろ。。。

他にも溝だけのトイレや、仕切りから顔が見えるニーハオトイレや、

中国では落ち着いてトイレできるとこを探すのに苦労しました。

また、街中にはいろんなところに痰壺が設置してあり、

壁などにペンキで「道に痰を吐くな!政府」と書かれてて、

どっちが景観を損ねてるんだか、、な状態でしたが、今はもう少しマシになってるでしょうかね。

子供のお尻の割れたズボンも、初めて見ましたよ!

お尻部分が縫ってないので、しゃがむと自動でお尻がでるので、好きにトイレができるアレです。

オムツの代わりに垂れ流しってやつです。

まぁ、痰もですが、立ちションの痕跡も多く、とにかく公衆衛生は最悪の部類でした。

後年シンガポールに行った時、電車の中でガムも噛めないぐらい衛生に厳しく、

街も綺麗で、中国人だってやればできるのに、本国は何故。。と思いましたわ。