新聞小説 「ひこばえ」 (1)  重松 清 | 私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

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新聞小説 「ひこばえ」(1)  6/1(1)~6/18(17)

作:重松 清  画:川上 和生

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感想
新聞小説のレビューはもう、かれこれ10年以上やっているが、愛読の作家が手掛けるものに出会うのはこれが初めて。
重松清氏の本は、以下のものを読んでいる。

                     ビタミンF   流星ワゴン  舞姫通信  定年ゴジラ 
          半パン・デイズ   見張り塔から ずっと  ナイフ

主に描かれるのは筆者と同年代の中年男性。圧倒的に読み易い文体の中で、じわじわと心に沁み込んで来る。


さて本編。
連載前の紹介ページでは、父の死をテーマにした物語だという。

主人公は筆者と同じ55歳。

 

序章としては、主人公の洋一郎が父と別れる前後の記憶が語られる。当時小二だった「私」と4歳年長の姉。
父親に繋がるこいのぼりの思い出。団地のベランダに出されるこいのぼりの、微笑ましさと惨めさ。
楽しくあるべき万博旅行も、負の思い出。

 

ダメな親というものは、どこにでも居る。せめて自分の事だけでもやってくれればいいのに、借金まで作って家族に負担を掛ける。

そんな奴は本当に死んだ方がマシ。

48年の空白を経た、そんな父親との再会で何が生まれるのか・・・・

 

あらすじ

序章 こいのぼりと太陽の塔 1~17
初節句にこいのぼりを買ってもらった思い出のある「私」長谷川洋一郎。四つ上の姉宏子は、その当時の事を辛らつに話す。

父親が気まぐれで買った、おもちゃ同然のこいのぼり。


買ってくれたのは五月初めの頃か。団地ベランダの手すりに取り付けてくれたのを思い出す。1970年。昭和45年。

当時の私は7歳-小学二年。

 

その年の3月から始まった大阪万博は、当時の子供たちの間でも大きな話題だった。行きたいとせがんだ事もあり、夏休みに家族で出掛ける計画が決まっていた。
父親とも話した「太陽の塔」の話。ベランダの敷居に座ってタバコを吸う父。記憶を勝手に作り上げている、とあきれる姉。

 

私が1970年のこいのぼり、大阪万博を印象深く覚えているのは、その年の初夏が、父と過ごす最後の季節だったから。

当時の天気情報をもとに、父がこいのぼりを取り付けた日を5月2日と推定した。
その年、両親は春先から離婚へ向けて話し合いをしていた。その原因は父にあった。職を転々とし、借金を繰り返す。母親の親族にまで不義理をして、とうとう見切りをつけた母。
わたしがお母さんを守る。その言葉通り、姉はそれ以来、母に寄り添って愚痴や弱音の聞き役を務めた。

 

こいのぼりを立てた日の午後、父は私を連れて散歩に出た。

タバコ屋で買うハイライト。
店のおばさんと万博の話が弾み、楽しい思いの私。小銭をもらって駄菓子屋に走る。その時見た、手首だけをクイッ、クイッとひねる独特な「バイバイ」の後ろ姿。それを最後に父の姿は私の思い出から消える。

 

父が家を出たのは、聞いた話を繋ぎ合わせると5月の連休が明けてからほどなく。父はいつものように玄関で靴を履き「いってきます」と出て行ってからそれっきり。
数日してから母の長兄、賢司伯父から両親の離婚の話を聞かされた。細かい事など判らない。

私が訊いたのは「じゃあ・・・万博行けないの?」

父が居なくなっても、日常は淡々と続いた。

だが現実には養育費も慰謝料も取れず、いきなり苦境に立つ母。
学校の二学期が始まる9月に合わせて団地を引き払い、郷里に帰る事に決めた母。

 

両親の離婚、転校を不憫に思い、母が金と時間をやり繰りして、夏休みに万博へ連れて行ってくれた。だが夜行列車の往復という強行軍。
往復の苦痛だけでなく、万博そのものも碌な思い出にならなかった。
とにかく人が多く、ひたすら行列に並び、展示やアトラクションを見るのもごく僅か。その上私は迷子になってしまった。

一番のお目当てだった太陽の塔は、朝から長い行列のため、最後に取っておいた。だが夕方になってもいっそう賑やかなお祭り広場。
げんなりした母、姉を尻目に意地になって広場に向かう私。
丁度その時に父を見た。母と姉に伝えようとしたが、離れている。遠ざかる父の背を追いかける私。
だがその背中はどんどん遠ざかり、やがて見失った。
母と姉のところに戻ろうとしたが、人混みに紛れてしまい、どこにも見つからなかった。

 

お祭り広場の中を走り回ったが、母と姉には会えず、結局声をかけてくれた大人に連れられて迷子センターへ。
その時の記憶は飛んでいて、次に繋がるのは母に抱きしめられる場面。


姉は今でもその話になると腹を立てる。迷子センターで、私が父を追いかけた事を話すと、姉が「うそつき!」と係員も驚く大声で怒鳴った。

結局太陽の塔には入らずに帰京。
9月からの新しい生活で、父の記憶は更に遠ざかった。

 

そんな父と、私は五十五歳になって再会した。