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民営文化センター

民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever

 

                        「日本経済新聞」2018.6.9.

 

 何も知らない以前だったら読後「なるほど!これで私も教養人」と“したり顔”であったと思うのですが、今は違います。こんなコラムでも“いちゃもん箇所”がいっぱいあるのです。

 

 

1.今まで考えもしなかったのですが、木簡は九州でも発掘されており、モリカケ文書以上に厳重に封印されています。この件に触れない教育がされているので“今まで考えなかった”だけです。九州に王朝が在ったことは超マル秘事項なのだ。     

 

 

2.考古学と歴史学がグルになって、姿が見えないようにしているのではないか?

 

 

3.“今後も絶対に真相がバレないように共同作業を続けていくぞ”の決意表明。

 

 

4.既に確立していた連合国家・倭国のイメージを弥生時代のレベルに貶め、実態が証明されないヤマトを持ち上げている。

 

 

5.“7世紀まで飛鳥時代”はよいとしても、ついでに(あのあたりの地盤が固まっていなかった)3世紀にまで遡らせるのは如何なものか?  飛鳥時代、大陸に開か

れた玄関口・博多周辺が授業で一切取り上げられないのは、九州に王朝が在ったことがストレートに知られてしまうから。

 

 

6.ふざけた言い回しは不安の裏返しであって、現在、スキャンダルで注目を浴びている政治家、官僚の態度に似たものがある。

 

 

 歴史は教科として“そこそこ”学ぶも、入試科目からは外した方が良い。

 

 

 

 

                          サリナ・ジョーンズ

 

 ニューミュージックの名曲の数々は、この分野でも、海外の物を模倣し、さらに良いものを生み出す日本のお家芸の産物、とかねがね思っていたので、このサリナ・シングス・Jバラードはドンピシャ“わが意を得たり”です。 

 

 

 試聴 五番街のマリーへ  SWEET MEMORIES その他、リタ・クーリッジの Sweet Memories も絶品です。

 

 

 

  ロック・ギタリストのマーティー・フリードマンは全て分かっているようです( なごり雪 水色の雨 )。


 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

  日本フォークソング大全集 はビデオテープで録画し、その後DVDに落とすくらいのお気に入り保存版プログラムでしたので、この30歳のオバタカズユキ氏のコラムには当時違和感を覚えたものです。

 

 

 

 

 

 

  あれから1/4世紀が過ぎ、当時ピークを迎えていたフォーク歌手の面々も、さすがに衰えは隠せないものの、大半はまだ歌っているし、相変わらず同じトークを繰り返しています。

 

 

  今となってはオバタ氏の言うことも分かる気がします。

 

 

 老いた彼らの姿は自分と重なるし、同じ話は聞きたくないし・・・

 

 

  オバタ氏の当時の心境は親に対する反抗期の息子のそれに近いものだったのではないでしょうか。

 

 

 

                   

                     私の総括

 

  結局、フォークソングはギターで歌う歌謡曲であった。

 

 

  ツッパリ、気取っていた彼らも富と名声を求めていた。

 

 

  好きな歌で食っていけるとは思っていなかったので、ラッキーであった。

 

 

  ブラフォー、P,P&M、キングストンのコピーを続けたおかげでギターテクニックやハモリが向上し、シンガーソングライターが育った。(海外のものを模倣し、さらによいものを生み出す日本のお家芸)

 

 

  この流れはニューミュージックに受け継がれ、名曲の数々が生まれた。現代の若者には、もっと頑張ってほしいと思うのですが、豊かな世相では、歌のテーマも見つけにくいだろうし、メロディーラインも出尽くした感があるので、気の毒な面もありますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「清明上河図」に「日の丸」が描かれている、と話には聞いていたのですが、とうとう見つけました。

 

 

 ただし、清院本ではありませんが・・・

 

 

 「白村江」での倭国敗戦後、大宰府の宮殿に飾られていた「清明上河図」を唐の進駐軍が持ち去り、その後、それを中国の絵師たちが「倭国テイスト」を消して模写したものが世界に拡散していると言われます。

 

 

 原本には九州王朝時代の博多のウォーター・フロントから大宰府に至る景色と住民の生活が精密に描かれているのですが、清院本が一番原本のイメージに近いのではないかと言われています。

 

 

 お分かりのことと思いますが、絵師が模写する際、「日の丸」を無頓着に描いてしまったら、それはとんでもない失態なのです。

 

 

 答を言っているようなものだからです。

 

 

「そんな昔から日の丸があったのか?」という疑問が出そうですが、「その通り」です。

 

 

「君が代」もです。

 

 

 日本と台湾が更なる友好を深めようとするなら、故宮博物院は「清明上河図」の原本を公開すべきです。

 

 

 過去の常識の数々があっちでも、こっちでもひっくり返り出しました。

 

 

 タイミングとしては今がベストです。

 

 

 従来の日本の古代史が完璧に粉砕されるのを是非見てみたいものです。

 

 

「源氏物語」が350年遡るのだから、世界中がビックリするでしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  手作りで垢抜けしない AB&JC PRESS のホームページが少しスッキリしました。

 

 

 米田史学本作りに至った経緯とその後の経過、各々の本について簡潔に述べています。

 

 

 今までの記事は乱雑なイメージでしたので、バッサリ消去しようと思いましたが、丸ごと残し、ワン・クリックで到達できるようにしました。

 

 

          

          雑談のヒント

 

 

1 飛鳥時代とか、その少し前、九州北部は(東北等も)どうなっていたか学校の授業で習ったことはありますか? 

 

 

2 何故、話題にならないのか考えたことはありますか?

 

 

3 最後の宮大工と言われる西岡常一氏は米田氏への私信の中で「法隆寺は移築された」と認めています。

 

 

4 奈良時代から現在に至るまでの物差し(曲尺)と異なる基準で造られた寺院建築が近畿地方には沢山あります。一つ前の文明(or 王朝)のものと解釈するのが自然ではないか?

 

 

5 博多の祇園山笠と岸和田のだんじり ってワンセットだと思いません?

 

 

6 倭国=弥生時代 と思い込んでいませんか? 倭国の終わりの方は明治時代の初期と同程度の文明レベルだった、と信じられますか?

 

 

7 邪馬台国九州説を消滅させたい人達 ってどんな人物集団だと思いますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  現在の福岡市内 三宅廃寺跡一帯に倭国石山寺はありました。(米田建築史学)

 

 「三宅廃寺発掘調査報告書」の「あとがき」を読むと、発掘は終えたものの、考察は全くなされていないことが分かります。

 

 スプーン、櫛、古銭(富壽神寶)が出土したとなると、「米田説」と無縁の学芸員はレポートをどのようにまとめてよいのか、途方にくれているに違いありません。

 

 倭国石山寺の実在性が注目を浴びるのは時間の問題です。

 

 

 

「あとがき」を引用します。

 

三宅廃寺の発掘調査から1年余りを経てようやく報告書を発行することが出来ました。

 

他の業務との中で本格的に整理が行なえたのは12月中旬からで本書を上梓することができたのは多くの人達の協力と援助によるものです。

 

しかし期間ならびに問題意識の不足から遺跡・遺物に対する検討が不十分であったことは認めざるをえない事実です。

 

その反省の上に立ち本書では事実のみを報告し、他の問題点は今後の課題として取り上げていきたいと思っています。    

              「三宅廃寺発掘調査報告書」あとがき 

 

 

 文中の「問題意識の不足」とは何を指すのでしょう? 

 

 スプーンは正倉院にあるものとそっくりですし、櫛は元祖紫式部の落し物かもしれませんので、腰が引けてしまうのは無理からぬことです。

 

 「清明上河図」という絵巻の最後に出てくる建物が石山寺のイメージです。(TOP)

 

 この件は、812、117、911、311並みの世界レベルの秘密です。

 

 今、「日本スゴイデスネ!」が流行っているのですが、その本当の理由(日本の凄さの源流は全て倭国)が分かってしまうので、絶対に種明しされてはならないのです。

 

 

 

 

 

 

  読んでくれる人が半分以下になったので変だなあ、と思ったら執拗にCMで画面が隠される。

 

 

消しても消してもまた出てくる。

 

 

他のブログに移ろうかな・・・・

 

 

 

  今年も相変わらず、ドラゴンズ、グランパスは超低迷。

 

 

汚い尾張郡部の方言がトレードマークのバカ殿がチャンバラごっこの延長で、木造天守閣に登りたいばっかりに、変なプロジェクトが始まり、名古屋城の入場者が激減の予感。

 

 

そんな名古屋にあって、久々に、明るいニュースです。

 

 

  日本で一番早くセーラー服が採用されたのが名古屋の金城学園だそうです。

 

 

  ミッション系の学校ですので早かったのでしょう。

 

 

  このエリアではあの学校のことを「じょきん」と呼びます。

 

 

 「除菌」を連想しますが、言葉としては「じょきん」の方が断然先輩格です。

 

 

 

  名古屋市立第一高等女学校(市一)のセーラー服(写 真)は金城より若干遅れます。

 

 

  昔、袴の両サイドに白線が入っていましたが、セーラー服になっても引き継がれ、後継の菊里高校のミニスカートにもしっかりラインは入っています。

 

 

お城の話のついでに・・・・

 

  建て替えについては解体業者がテグスネ引いて待っているので、もう引き返せないでしょう。

 

  名古屋市民は超たーけ(たわけ:馬鹿)。

 

  手抜き工事の天守閣がどの様に崩壊するか見届けるのがスジというものでしょう。

 

  外観がOKで風格のある天守をわざわざ壊すなんて、熊本の人たちが笑っている。

 

  NHKアーカイブス「プロジェクト X」に名古屋城天守閣再建の記録の一話があります。

 

  後で泣く前に再放送をNHK名古屋にお願いしたいところです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 今回の版について

 

 

  本文は今まで通り米田良三氏のオリジナル。

 

 

  上段の余白に当ブログに私が書き続けた文をコラムとして載せ、米田氏の文の初心者が手こずる箇所に「注」を入れ、ガイドブックにはない写真も掲載。

 

 

 版はA5よりやや大きめ、オールカラー、ハードカバー。

 

 

  30部制作しましたが、既に10冊は配布済み。

 

 

  お問い合わせは(abandjcclub@gmail.com)まで。

 

 

 興味の湧かない人に伝えます。

 

 

 まずは「九州王朝説」の食わず嫌いを止めましょう。

 

 

 学校で習う「飛鳥時代」、大陸への玄関口である北九州が空っぽだったと思えますか?

 

 

 インチキなのは学校の歴史教育の方なのです。

 

 

 大宰府が登場するのは何故あんなに遅いのでしょうか? 

 

 

 「変」だと思わなくっちゃ! 

 

 

  それにしても、今の時代も「変」なことが多すぎですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以前、米田良三氏と佐賀県の山の中に入り、室生寺の痕跡を求めましたが、時間切れとなり諦めた経緯があります。

 

 

先日、奥様から送られた資料を見ていたら地図が出てきて、「室生寺?」の書き込み(TOPの地図)を見つけました。

 

 

北部九州の方で興味のある方はトライしていただけませんか?