大阪弁のルーツ | 民営文化センター

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民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever

 

 

 

 

 

 

学生時代、関西の主だった地域に亘る人たちと接する機会があり、関西弁のエリアごとの微妙な違いが興味深かったですね。

 

 

とりわけ、大阪弁が他と大いに異なる点は、何となく ふて腐れているように響く事と 話に「落ち」がつくことでした。

 

 

「米田建築史学」を知って、本家「難波津」から新たに設定された「難波」に強制移住させられた者たちの心理状態を考えてみました。

 

 

恐らく「どうせ俺たちは・・・ 」といった気分で会話が交わされ、終いに「落ち」を加えて鬱憤を晴らしていたのでありましょう。

 

 

「九州でのことは絶対に口外するな!」と強制された上での新造言語が大阪弁の起源、というのが私の新説であります。

 

 

それでは、抜け殻となった その後の博多エリアの人口はどう変化し、博多弁は如何にして今日の形になったのでしょうか。

 

 

もう少し両者に類似点があってもよさそうなものですが・・・・