米田説では東大寺南大門は定説より700年古く宇佐で創建され、三十三間堂は600年代初め大宰府にあった移築前の法隆寺である観世音寺の一部でありました。
各々に所属する仁王像、1000体の千手観音立像等は当然その時代のものと考えられます。
それらを主に手がけたのは運慶、快慶、湛慶等、慶派と呼ばれる仏師集団と言われます。
しかし、定説では南大門は鎌倉時代、三十三間堂は平安末期に建てられたことになっているので “これらの仏師たちは一体何者か?”ということになります。
倭国時代、鞍作止利と同じ工房に所属していた慶派の仏師集団の成りすましが、平安~鎌倉時代に居たのではないでしょうか?
文学作品の世界でも平安時代の紫式部、清少納言ら多数が成りすましである、と既に証明されているように・・・ 。
国立博物館で特別展「運慶」なるものが開催され、全国民が“運慶=鎌倉時代”と刷り込まれてしまうので、九州王朝説はますます遠のいてしまう。
まさか それを狙ってイベントを企画したとは思いたくありませんが・・・ 。