法隆寺の五重塔、金堂の柱等が日本の寺院建築の中でも突出して“真っ黒け”な理由を「飛鳥時代の古さ」に求めていたのですが、「移築説」を知ってからは、その他の疑問も含め全て氷解しました。
大宰府の観世音寺の建物を解体して筏に組み、博多から積み出し、岸和田に荷揚げして、斑鳩の興留に約20年間、野ざらしにされた後に組みたてられたのです。
天井裏の臍の部分でさえ風化が著しいということは、素人でも「移築の証明」と理解できるのです。
戦前から行われていた解体修理に携わった西岡常一氏を始めとする宮大工たち、学者たちは本当のことを発言することを止められ、胸が痛んだことでしょう。
それは今でも続いています。
選挙当日、8時に当確報道をするようなマスコミですので、この話題を絶対に取り上げることはありません。
このテーマがグローバルに広まれば「日本再評価」で世界中が盛り上がることでしょう。『源氏物語』がさらに350年遡るわけですし・・・
図の説明
伽藍のイメージを変えるために五重塔と金堂を入れ替え、さらに金堂を90度回転させたのです。
そのため、とんでもなく不細工な伽藍が出来上がったのです。
http://d.hatena.ne.jp/osamuharada/20080706