「鯱光祭」を見に旭丘高校へ行ってきました 最終回 | 民営文化センター

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民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever

 

名門と呼ばれる旧制中学が新制高校となり現在の旭丘がある、と誰もが認めていますが、

 

もし戦後のドサクサの最中、一中の先生方が丸ごと他の学校に異動され、

 

あの校舎に、それまで縁のなかった教師団が着任したとすると、受験生はどちらの学校を選んだだろうか?

 

  この歴史上の「Ⅰf」を頭の隅に置いた上で校舎の写真を見ていただきます。

 

 

完成後、間もない愛知一中の校舎です。

 

戦後暫くこの状態が続いたのですが、ベビーブーム到来で屋上の上に丸ごと4階が増築されます。

 

 

景観としては、ちっとも誉められたものではなかったのですが、高度成長以前は、この件については誰も議論することはありませんでした。

 

 

.17阪神淡路を契機として、生徒の安全を守るため、校舎建て替えが議論され始めます。

 

 

文化的価値がある校舎を保存しようと、地元出身(OBでもある)の国会議員が校門前で座り込みをし、

 

本人の知名度がアップし、その後のことは皆さんご存知の通りです。

 

そう言う私も反対運動に加わっており、今回の母校訪問で現役諸君の生き生きした姿を見るにつけ、

 

(特にプレハブ仮校舎滞在が長引いた諸君に対して)気の毒なことをしたものだと反省しています。

 

その他、言いたいことは山ほどあるのですが、別の機会に。

 

 

 

玄関周りこそ、旧校舎に似せてありますが、運動場側に回ると普通の校舎です。

 

 「学び舎」の外見の重要性とか、こだわりについて考えてみました

 

 冒頭の「If」に対し、貴方ならどちらを選ぶでしょうか?

 

 

 帰路は通学していた頃の道を辿り、途中「三浦屋」という、うどん屋さんに立ち寄りました。

 

 オバサン(現役諸君にとってはお婆さん)が現れたので

 

 「昔、出前で職員室に来ていたお兄さんはどうしてる?」と問うたところ、

 

 「主人のことですね、もう亡くなりました」・・・・・

 

 

 その頃の写真です。PCで古さを強調したら、幕末の写真みたいになってしまいました。