鯨に関する和歌が『万葉集』に歌われており、我が国では古代から捕鯨が行われていたことが知られます。
しかし『むかし琵琶湖で鯨が捕れた』という本の内容については吟味されねばなりません。
即ち、毎年、全国の高等学校の古文の授業で繰り返される「“琵琶湖の鯨”問題 」のことです。
ポイントは『万葉集』の柿本人麿の歌「淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば 心もしのにいにしへ思ほゆ」における“淡海の海”が琵琶湖なのか、
そして同じく太后(おほきさき)の御歌「鯨魚取り近江の海を沖放けて 漕ぎ来る船辺付きて漕ぎ来る船・・・・ 」における“鯨魚取り”が海にかかる単なる枕詞なのか、実際の捕鯨なのか、の二点です。
生徒が「琵琶湖は淡水湖なのに何故鯨が生息していたのですか」と質問すると、教師はお茶を濁し、ウヤムヤで終わってしまいます。
“淡海の海”(近江の海)とは現在の天神を中心とする博多市街が古代、玄界灘に繋がる内海だったのです。
この事実を認めれば、すべての謎が氷解します。
全国の高等学校の古文の教師諸君に告ぐ!
嘘まみれの授業はもう辞めよう。
大和朝廷以前にあった九州王朝(倭国)について学びなさい。
万葉、古今、新古今、源氏、枕、土佐 等々 オリジナルは九州王朝の作品で、あなた方が教室で教えている内容は改変された関西バージョンなのです。
「“琵琶湖の鯨”問題 」とは幾多ある歴史改変の内の隠しきれない“ほころび”のひとつなのです。