民営文化センター -48ページ目

民営文化センター

民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever

 

 

 古いネガの整理をしていたら出てきました。

 

 

 半世紀ぐらい昔かな?

 

 

 路線図の赤いラインの右端・祇園のようです。
 

                                          

       

ここをクリック

https://www.newsweekjapan.jp/nippon/season2/2018/05/214112.php

 

 

あきらかに現代よりも豊かな暮らし振りだと感じます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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前回の続き

 

 

 同じ考え(中日新聞記事)の人(武藤 隆 氏)がいました。

 

 

 

 写真の手前一帯が改悪されたエリアです。

 

 

 公園の管理を怠り、現状を破壊し新規事業を興すという最悪のパターンを繰り返している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                  第2回青春のグラフィティコンサート(2001/9/9

 

 

“芸どころ名古屋”とは名ばかりで、劇場、コンサートホールは壊しっぱなしで後のことは全然考えていない。

 

 

 

 

青春グラフィティコンサートとか“どまつり”Finalの会場として使われた久屋広場は出演者にとっても心地よい会場だが、有効に使われていないようだ。

 

 

 

 

.  青空、星空ライブの大敵は雨。久屋広場に開閉式屋根を整備すれば名古屋は大いに盛り上がるに違いない。
 
 
 一方、テレビ等北の粗末なバラック群は誰の発案なのか? https://ameblo.jp/writeeverythingforever/entry-12635076820.html
 
 
あのやり方は名古屋都市計画の基本理念に明らかに反している。
 
 
 あそこは大災害の際の避難スペースであるし、旧鍛冶屋町住民をすべて立ち退かせた歴史がある。
 
 
 “面しれー名古屋”の掛け声について行く馬鹿どもは何とかならんものか。
 

 

 

 

 

Netでは第4回のレポートが載っています。

http://nanamas.my.coocan.jp/nana119.html
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

愛知一中の創立は明治7年にまで遡るが、校舎建築として整ったのは南外堀町から西二葉町に引っ越した時である。

                   

 

写真に見る丸窓と縦長のガラス窓が特徴であるが、市政資料館に展示してある模型を見るとバランスのよい全貌が胸に迫り、明治41年に完成させた先人達の情熱を感じることが出来る。

                       

 

名物校長 日比野 寛 は新旧両校舎にまたがった時代に在職した。

                    

 

その30年後、新出来町に丸窓・縦長ガラス窓の意匠を引き継いだ鉄筋校舎が新築され、語り草となる“民族大移動”的引越しが行われた。

 

 

引っ越し早々、ヒトラー・ユーゲントが訪れている。

 

 

第2次世界大戦の最中、幸い校舎は空爆を免れ、昭和23年新制旭丘高校がスタートする。
 

                

 

昭和33年、ベビーブームに伴う生徒増に伴い4階が増築されたが、止むを得ないこととは言え建築美学的には残念な対応であった。

 

 

1.17 阪神淡路地震テロを口実に校舎の建替えを望む一団が出現する一方、それに対抗して保存運動も起こった。

               

 

予定より遅れて現在の校舎は完成し、装飾的な意味しかないが今回も二つの丸窓と玄関回りのみであるが縦長の窓も作られた。

            

 

中庭側の外壁がモルタルであるのは、予算の問題であったかもしれないが、伝統を受け継ぐ校舎を自負するなら、表側と同様タイル張りにすべきであった。

 

 

すべての建物とは言わないが、その時代のベストを尽くし、後世に語り継がれる名建築を遺す努力を怠ってはならない。

 

 

名古屋は住人にとっても、旅行者にとっても魅力に乏しく、「“現在”以外 何も無い」のが致命的である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

.                                           Photo by T.Tanuma

 

写真は田舎町の○○ローンテニスクラブの清里での合宿最終日の集合写真です。

 

 

およそ20年前、同じレベルの情熱を持つとはいえ、これだけの人数が集まること自体、今の若い人たちには理解できないかもしれません。

 

 

年齢に幅がある、家族(ペット)連れもいる、職業は様々、テニスの腕前に大きな差(インカレ選手~初心者)がある、等々 ごった煮状態です。

 

 

最近、この規模のイベントがみられない理由を考えてみました。

 

  ラケットの進化でテニスは格闘技的スポーツと見做され、その影響でジュニア教室では芽の出そうな子だけがプレーを続け、ウィークエンド・プレーヤーの減少、高齢化が進む。

 

  パソコン、スマホ等が及ぼす付き合い方の変化。

 

  当時は1億総中流社会の真っ只中であったが、今は格差社会が進行中である。

 

 

身近なテニスについて考察を加えただけでも大きな変化が見て取れるのですが、他の分野でも同様の楽しくない変化が進行中なのでしょう。

 

 

しかし、よくよく考えてみれば上記②、③に関してはどの分野についても共通ですね。

 

 

一人各々が国のあり方を意識し、自分の人生の目標をしっかり定めないと未来は限りなく暗いものになりかねません。

            

                  朝の語らい

 

                                白熱の女ダブ

 

                 二次会

        


                      子供達のカラオケ

 

 

 

 

 

 

フィルムカメラの時代から何げない風景をひとまず撮る趣味があり、それらのネガを断捨離する前に念の為スキャナーにかけてみた。

 

 

冒頭の一枚(二枚を合成)は昭和2年以来の名古屋駅舎の解体が大詰めとなった頃の映像で、闇夜にクレーンが林立している。

 

 

その敷地に駅舎と一体の高島屋を初めとしたテナントが入るタワービルが建設され今に至る。

 

 

この写真の凄さは、駅西と呼ばれる新幹線口サイドから桜通り方面が、何物にも邪魔されず見渡せることだ。

 

 

しかも、今は無いビルが綺羅星のごとく目に飛び込んでくる。

 

 

左から名古屋ターミナルビル(ホテル・アソシア、松坂屋名駅店、バスセンター)、大名古屋ビルジング、桜通りをはさんで名古屋ビル、毎日ビル、名鉄百貨店に隠れて豊田ビル。

 

 

すべて子供時代からの思い出がいっぱい詰まった建物群である。

 

 

これらに加え栄地区の丸栄、丸善、国際ホテル、中日ビル、もだ。

 

 

大事にしていたアルバムをビリビリに破られたようで悲しい。

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=dANihpzMyt4

 

 

石原裕次郎の「白い街」という歌があるが、ほとんど褒められぬことばかりの名古屋人気質を殺風景なイメージの街並みに重ねて歌ったと思えてならない。


 

 

“何か新しい知見でもあるのか”と思って読んでみたのだが・・・・ 

 

“こんな低レベルがいつまでも続くのか”と思うとガッカリである。

 

鳳凰堂の創建が1053年と信じ込まされている限り現状は続く。

                         

 

 

鳳凰堂は倭国の物差しで造られている。

 

 

この事実はとてつもなく大きい。

 

 

真の創建は571年で、所在地は福岡県筑紫野市、西鉄 天神・大牟田線 朝倉街道駅下車 俗名院のエクセレント・ハイツというマンションの敷地である。

 

 

大和朝廷は この立地に似た現在の宇治を探し出し、1050年頃 鳳凰堂他を九州から移築したのである。

 

 

乗っ取り王朝はここまでやったのであって、このプロジェクトを見破られることを極度に嫌う。

 

 

学者の発言は核心には触れず、マスコミもかなり気を使う。

 

 

古代、筑紫と大和との往来があったことに目をつぶり、近畿ばかりを持てはやし、九州を無視しなければ自分たちの立場が無いのである。

 

 

“雅な国風文化が華開いた”と形容される平安時代の実態は倭国・九州王朝のパクリだったのである。

 

 

米田良三氏は国会図書館に日参し、館員がウンザリするほど文献を渉猟し『東アジアの悲劇』を書き上げたのだ。

 

 

歴史アカデミズムは何もやっていないに等しい。

 

 

『古代九州王朝はなかった』の見苦しさは際立っている。

 

 

      

 


 


 

 

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昭和30年代後半には矢鱈“悲しき”で始まる歌が出現したのですが、雷鳴とともに始まるこの失恋ソングは梅雨時の定番エバー・グリーンです。

 

 

歌っているのはアメリカのカスケーズというグループで、世界的な大ヒットを飛ばしたのですが、ヒットはこの一曲のみで、いわゆる一発屋に分類されます。


 

仕事柄、喉を使うことと 加齢による誤嚥を防ぐために“ひとりカラオケ”をやっています。最近気付いたのですが、この「悲しき雨音」の歌詞は英語の発音トレーニングにピッタリなんです。

 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=-f2OEjxj5Ak

 

 

 

RとL、FとVが次々に現れ、早口言葉のように単語同士が密着し、表情筋は大きく波を打ちます。

 

 

免疫と呼吸機能を高める効果も期待できます。

 

 

誤嚥しそうな瞬間、反射的に喉に力が入り難を逃れることを時々経験しています。効果ありと判定します。

 

 

マスクのために退化した顔の下半分を復活させ、世界規模のこのインチキ騒動から脱却し、楽しい生活を取り戻しましょう。

 


 

 

 

カナダのアカペラ女子“Four Quarters”のカバーもGOOD

 

 


 


 

 

10月7日早朝のNHKラジオで、気象予報士が台風の予想進路について話す中で、予報円がバカでかいことの説明に“台風が進むべき道”云々と発言したのには違和感を覚えました。

 

 

“進むコース”と言うのが普通だと思うのですが、“べき”というのが妙に気になるのです。

 

 

それというのも以下のブログを読んだことがきっかけだと思い出したのです。

 

.https://ameblo.jp/atom-green-0201/entry-12626711922.html

 

こういうところが気が利かないというか日本語下手というか、知らないうちに自白しちゃってるんです。の部分に注目)


まだ、よく理解できていないのですが、現在、気象は人為的にかなりコントロールできる段階にあり、それに対抗できる手段をこのブログの主は持っているというのです。

 

 

今の所、私は半信半疑です。

 

 

嘘か真か、時々このブログを覗いてみては如何でしょうか。


 

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しゃにむに進めていた名古屋城天守閣の木造立替えが停止したのは先ずは目出たい。

 

 

大慌てでコンクリート天守を壊していたら、今頃、市民は途方にくれていただろう。

 

 

真っ先に木造天守に飛びつくのは名古屋人の一点豪華主義の悪い癖で見ちゃおれん。

 

 

先ずは愛知県内の庭師を集め城内の樹木のトリミングを実施せよ。

 

 

こんなだらしないお城は日本中探しても何処にもない。

 

 

根が伸びて石垣を壊している箇所は一つや二つでない。

 

 

第5層の窓のスライディング・ウォールを早く閉めて、焼失前の外観を再現して欲しい。

 

 

この件に関して気付く市の職員が一人もいない、ということが信じられない。

 
 

                    

昭和40年代中頃、名古屋城二の丸にある愛知県体育館の二階バルコニーから天守閣を撮影しました。

 

 

PC作画ですが、手前の櫓と小天守が重なってなかなか見ごたえのある景色となっています。

 

 

実は、この体育館も耐震性に問題があり

 

 

新築移転が決まったようです。

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現在、市長と県知事が犬猿の仲ですので、展開については予断を許しませんが、2026年のアジア大会に間に合わせる計画のようです。

 

 

大相撲観戦などに出かけられる方は充分お気を付け下さい。