“何か新しい知見でもあるのか”と思って読んでみたのだが・・・・
“こんな低レベルがいつまでも続くのか”と思うとガッカリである。
鳳凰堂の創建が1053年と信じ込まされている限り現状は続く。
鳳凰堂は倭国の物差しで造られている。
この事実はとてつもなく大きい。
真の創建は571年で、所在地は福岡県筑紫野市、西鉄 天神・大牟田線 朝倉街道駅下車 俗名院のエクセレント・ハイツというマンションの敷地である。
大和朝廷は この立地に似た現在の宇治を探し出し、1050年頃 鳳凰堂他を九州から移築したのである。
乗っ取り王朝はここまでやったのであって、このプロジェクトを見破られることを極度に嫌う。
学者の発言は核心には触れず、マスコミもかなり気を使う。
古代、筑紫と大和との往来があったことに目をつぶり、近畿ばかりを持てはやし、九州を無視しなければ自分たちの立場が無いのである。
“雅な国風文化が華開いた”と形容される平安時代の実態は倭国・九州王朝のパクリだったのである。
米田良三氏は国会図書館に日参し、館員がウンザリするほど文献を渉猟し『東アジアの悲劇』を書き上げたのだ。
歴史アカデミズムは何もやっていないに等しい。
『古代九州王朝はなかった』の見苦しさは際立っている。