昨日は、EO(Entreprenuer Organization)のモデレーターが集まる会があった。


モデレーター(各フォーラムのリーダー的な立場の人たち)が集まり、各フォーラムで実施している

活動内容について情報交換をする場だ。

 

その中で、短いワークの時間があった。
「ライフライン」と呼ばれるもので、
縦軸に人生の幸福度、横軸に年齢をとり、
自分の幸福度の推移をグラフにして、
その時々に何が起きたのかを話す、というもの。

 

僕が所属するEO Tokyo Centralは、起業家しか入れないルールになっている。
メンバーが全員自分で事業を立ち上げ、経営してきた人たちの集まり。
 

だからなのか、発表を聞いていて強く感じたのは、
ライフラインの触れ幅が、とにかく大きいということだった。

 

良い時代もあれば、
どう考えても「底」だった時代もある。
 

成功も、失敗も、挫折も、回復も、
全部が一本の線の上に並んでいる。

 

「何かをやってきた人」というのは、
やっぱり両方を経験している人が多いんだな、と思った。

 

正直に言うと、
他のメンバーと比べると、
自分のライフラインは、まだ触れ幅が小さい方かもしれないとも感じた。

 

いろいろやってきたつもりではいたけれど、
もっと深い谷を経験している人もいるし、
もっと高い山を越えてきた人もいる。

 

世界は広い。
本当に、そう思った。

 

触れ幅を大きくする、というのは、
「失敗しよう」という話ではない。
 

でも、限界を超える挑戦をしていれば、
うまくいく振れも大きくなるし、
同時に、どん底に落ちる可能性も大きくなる。

 

たぶん、それが人生なんだと思う。

 

守りに入れば、
ライフラインの振れ幅は、自然と小さくなる。
安定はするけれど、線はなだらかになる。

 

どんな人生が正解かは、人それぞれだ。
触れ幅の大きい人生が、必ずしも良いわけでもない。
穏やかで、静かな線を描く人生も、きっとある。

 

ただ、起業家という生き方を選ぶと、
ライフラインの触れ幅は、どうしても大きくなる傾向がある。
 

昨日の場にいて、
それだけは、はっきりと感じた。

今日、ちょっとしたやらかしをした。


タクシーに乗って移動している途中、手元の資料を見ながら、あれこれ考え事をしていたら、降りるときに自分のプライベート携帯をタクシーの中に置いてきてしまった。

 

降りて少し歩いてから、
「あ、ないな」
と気づく。

 

すぐに電話をしてみた。
 

幸い、タクシーの中に忘れていること自体ははっきりしていたのだけど、業務中にすぐ届けるのは難しい、という返事だった。

まあ、これは仕方がない。

 

そこでふと思い出したのが、Appleの「探す」機能。
今、自分の携帯がどこにあるのかを地図上で確認できるやつだ。

 

試しに見てみると、
……これが、なかなか面白い。

 

自分のスマホが、タクシーに乗ったまま、街のあちこちをぐるぐる移動している。
 

「あ、今ここ行ったんだ」
「え、そんなルート通るんだ」
と、思わず見入ってしまった。

 

タクシーって、意外と本当にいろんな場所を回っている。
 

普段はただ“移動手段”としてしか見ていなかったけれど、地図上で眺めると、

街の裏側の血流みたいにも見えてきて、不思議な感覚だった。

 

同時に、ちょっとゾッとする感覚もある。


今や、自分の持ち物の位置が、これだけ正確にリアルタイムで可視化される。
便利さと引き換えに、情報は常にどこかに残り、管理されている。

テクノロジーは本当にすごい。


でもそれと同時に、「どこまでを預けているのか」を、ちゃんと自覚しておかないといけない時代だなとも思った。

 

ちなみにその後。


タクシー会社の方が着払いで自宅まで送ってくれることになって、
今、僕のスマホはヤマトの配送センターにいるらしい。

 

 

地図を見ると、
「ちゃんと“荷物”として扱われている自分の携帯」がそこにいて、
それはそれで少し安心するような、可笑しいような気分になる。

 

人の手から離れ、
タクシーから物流へ、
スマホもまた、社会の仕組みの中を流れている。

 

 

 

今日の面接で、こんな質問を受けた。

「アスクでは、どんな人材を求めていますか?」

 

今回は新規事業の担当ポジションだったので、
一般的に言えば、企画が得意とか、営業が強いとか、
そういうスキルセットの話になるのだと思う。

実際、それも間違ってはいない。

 

ただ、答えながら自分の中で、
「それだけじゃないよな」と思っている自分がいた。

 


これまで、「攻めに偏りすぎて失敗した」
新規事業の記憶がある。

 

スペックの高い、いわゆる攻め人材ばかりを集めたチーム。
 

最初は本当にワクワクした。

One Pieceの漫画みたいに、キャラの濃いすごい人たちが集まって、
「これは強いチームができたな」と本気で思った。

 

でも、しばらくすると組織が少しずつギスギスし始めた。

それぞれが正しいことを言っている。
それぞれが前に進もうとしている。
なのに、なぜか噛み合わない。

 

やがてそのチームは、
まるで動物園の動物みたいになっていった。

 

個性は魅力的。
でも近づけすぎるとぶつかる。
檻で隔離しないと、バランスが取れない。

 

「この人とこの人は分けた方がいい」
「ここは直接関わらせない方がいい」

そんな調整ばかりが増えていった。

 

それってもう、
チームとして機能しているというより、
隔離してバランスを取っている状態だったと思う。

 


じゃあ、今はどうしているか。

 

檻を増やさないために、
僕が一番意識しているのは、メンバーのミックスだ。

 

能力が高いかどうか、
攻められるかどうか、
スピードがあるかどうか。

もちろんそれも大事。

 

でもそれ以上に、
この人が入ることで、
チームの空気はどう変わるか。

議論の温度は上がりすぎないか。

勢いを受け止めてくれる人はいるか。

 

あとから檻を用意するより、
最初から壊れにくい配置を考える。

作る前に、壊れない設計にしておく。
そんな感覚に近い。

 

攻める人も必要だし、
守る人も必要。
 

仕組みを作る人もいれば、
それを淡々と回し続ける人もいる。

 

そういう違いを、
役割として分断するのではなく、
チームの中で自然に混ざっている状態をつくりたい。

 


だから、面接で
「どんな人材を求めていますか?」


と聞かれたとき、
僕の頭にはあの“動物園”の光景が浮かんだ。

 

スキルや職種の話をしているつもりで、
実はチームの設計の話をしていたのかもしれない。

 

結果として、
アスクでも、トランビでも、
僕が一緒に仕事をしたいと思う人の条件は、
あまり変わらない。

 

・多様性を尊重し、他者と良好なコミュニケーションが取れる
・常識にとらわれず、幅の広いものの見方ができる
・フラットな雰囲気を好み、権利や権限に固執しない
・高い自己成長意欲と、素直な好奇心を持っている

 

面接の何気ない質問だったけれど、
答えながら、
自分がどんなチームをつくりたいのか、
どんな人たちと時間を共有したいのかを、
改めて考えるきっかけになった。

 

こういう気づきがあるから、
面接の時間は、やっぱり面白い。

 

 

気がつけば、この5年ほどパーソナルトレーニングを受け続けている。

 

最初の目的はとてもシンプルで、
運動不足の解消と、体力を落とさないことだった。

 

そこから少しずつ、
「ちゃんと動ける体をつくりたい」
「年齢を重ねても、疲れにくい体でいたい」
そんな意識に変わってきた気がする。

 

最近、特に強く感じているのは、

筋肉をつけること以上に、ストレッチが重要だということ

 

若い頃は、
「重いものを上げる」「追い込む」
それだけで体は応えてくれた。

 

でも今は違う。

 

体が硬いままトレーニングをすると、
効かせたい筋肉にうまく入らなかったり、
変なところに力が入ってしまったりする。

 

ストレッチをしっかり行うと、
まず姿勢が整う。

 

姿勢が整うと、
同じトレーニングでも
入る場所が明確になる。

 

結果として、
筋肉もつきやすくなり、
トレーニング全体の効果が上がっていると実感している。

 

「鍛える」と「伸ばす」は、
セットで考えた方がいい年齢になったんだと思う。

 

時間が限られている中で、
最近はパーソナルトレーニングと
エニタイムフィットネスを組み合わせている。

 

パーソナルで
・フォームを直す
・可動域を広げる
・体のクセを確認する

 

エニタイムでは、
空いた時間にサッと行って、
淡々と体を動かす。

この組み合わせが、今の自分にはちょうどいい。

 

「完璧なメニュー」より、
「続く仕組み」の方が、結果的に強い。

 

今年は、
剱岳に登る予定もあるので、
有酸素運動も意識的に増やしている。

 

筋トレだけしていても、
山では通用しない。

 

長く動き続ける体力、
呼吸、脚の持久力。

 

目的があると、
運動の内容も自然と変わってくる。

 

体を鍛えることは、
見た目の話だけじゃなくて、
「これからやりたいこと」に
ちゃんとつながっているかどうか、なんだと思う。

 

無理はしないけど、手は抜かない。
伸ばしながら、少しずつ積み上げていく。

そんなフェーズに入ってきた気がしている。

 

 

今朝起きて、仕事のことを考えていた。
 

上司という立場にある人間は、
部下の仕事を、どこまで理解しておくべきなのだろうか。

 

組織が大きくなると、こんな言葉をよく耳にする。

「全部を把握するのは無理だよね」
「現場は現場に任せた方がいいよね」

確かに、それは一理ある。
 

でも本当に、それでいいのだろうか。
少なくとも僕は、この問いをずっと抱え続けている。

 


最近、あるマネジメントの場で、
「現場業務への理解がまだ十分とは言えない」
そう感じる出来事があった。

 

複数の業務領域にまたがる仕事を見ていて、
表面的な流れは把握できているものの、
実際にどこで負荷がかかり、
どこで判断が難しくなり、
どこに改善余地があるのか。

 

そこまで踏み込めていないように感じた。

 

本来、上司であれば、

「こういう状況になったら、どうすればいいですか?」

と部下から相談されたときに、
業務の背景や構造を理解したうえで、
一緒に整理し、次の打ち手まで示せる状態でありたい。

 

少なくとも、
部下よりも業務を分かっていそうに見える
その状態を作れていなければ、
安心して相談は集まらない。

 


僕自身、コンサルティングの仕事を長くやってきた。


その影響もあってか、
業務を見るときの視点は、かなり厳しい方だと思う。

 

コンサルタントはクライアントの業務を一度見たら理解する必要がある。
情報がどう組み立てられ、
どれくらいの工数で回り、
どこに無理が生じているのか。

 

そして同時に、
「どうすれば改善できるか」を頭の中で組み立てる。

 

何度も何度も聞き返すことはできない。
それは相手に対して失礼だからだ。

 

だからこそ、
一回で理解し切ろうとする集中力と覚悟が、
常に求められてきた。

 

この基準で考えると、
現場理解が浅いまま、
改善案や企画だけを語ることはできない。

 


上司に求められる役割は何だろうか。

 

僕は、
・部下にどれだけ寄り添えているか
・部下の仕事をどれだけ理解しているか
・その仕事が、お客様のために適切に回っているか

この3つを把握し、改善し続けることだと思っている。

 

その中でも、
部下の仕事を理解していることは、すべての土台だ。

 

確かに、
組織が大きくなり、業務が複雑になると、
すべてを完璧に把握するのは難しくなる。

 

でも、
だからといって
理解しようとする努力をやめていい理由にはならない。

 

上司は、
分かろうとし続けなければならない。
努力し続けなければならない。

 


組織構造をはっきりさせ、
上司と部下の関係性を強化していく中で、
むしろ浮き彫りになる課題もある。

 

階層ができたからこそ、
上司が現場から遠くなり、
細かな業務が見えにくくなる。

 

でも、ここでも結論は同じだ。

だから諦める、ではない。

 

「どうすれば、部下の仕事を部下以上に理解できるか」
それを考え続けることが、
上司の役割なのだと思っている。

 

現場で起きる小さな違和感や、
置いてきぼりになる業務は、
多くの場合、
上司が現場を十分に理解できていないところから始まる。

 


構造的に難しい組織だからこそ、
上司に求められる理解力、共感力、先回りする力の水準は高い。

「できない」ではなく、
「どうやったらやり続けられるか」。

 

アスクの入社直後に全事業部を渡り歩くフレッシャーズキャンプの仕組みも、
そのための一つの工夫だと思っている。

 

特に上司は、
業務を理解したうえで、
改善のアイデアを考え、進める立場にある。

 

現場の人と話したときに、
「今の課題はここだな」と自然に分かる。


そこまで理解度を高めておく必要がある。


 

上司は、完璧である必要はない。
でも、理解しようとする覚悟は、持ち続けなければならない。

 

部下よりも、部下の仕事を知ろうとすること。
 

お客様が経営者であれば、
経営者以上に、その気持ちを理解しようとすること。

 

それができなければ、
本当の意味で、組織を率いる立場には立てない。

 

上司とは、
「分かっている人」ではなく、
分かろうとし続ける人なのだと思う。

 

今日は、アスクで導入している

「委員会」という仕組みについて、少し書いてみようと思います。

 

この委員会の考え方は、

いわゆるマトリックス組織に近いものです。

 

事業部という縦の組織とは別に、

もう一本、会社を横串で束ねる所属をつくる。

 

それが、アスクの委員会です。

 

 

事業部とは別の「もう一つの居場所」

普段の仕事は、それぞれの事業部で行う。

一方で、委員会は部署を越えて集まる場です。

 

立場も年次も関係なく、

「会社全体としてどうあるべきか」

「もっと良くするには何ができるか」

 

そんなテーマを、横断的に考える。

 

この“横串”が入ることで、

会社は少し立体的になるな、と感じています。

 

 

若手をリーダーにする意味

アスクでは、

委員会のリーダーを若手に任せることを意識しています。

 

理由はシンプルで、

全社の場で活躍する経験を、

できるだけ早い段階で持ってほしいから。

 

委員会のリーダーになると、

  • 年上のメンバーに意見を伝える
  • 全社に向けて提案する
  • 周囲を巻き込みながら進める

 

こうした経験を、自然と積むことになります。

 

事業部の仕事とは、また違った成長の機会ですね。

 

「自分ごと化しづらい仕事」を、みんなの仕事にする

会社にはどうしても、

  • 総務的な業務
  • 管理部門的な取り組み
  • でも、実は全員に関係すること

があります。

 

こうしたテーマは、

担当部署だけで頑張ろうとすると限界があります。

 

そこで委員会化すると、

「これは会社全体のテーマだよね」

という空気が生まれる。

 

結果として、

協力が得やすくなるのは、

やってみて実感しているところです。

 

 

環境改善委員会という、ひとつの実験

今のアスクでは、

委員会は環境改善委員会ひとつだけ。

 

でも、この委員会を

若手メンバーが本当によく引っ張ってくれています。

 

その姿勢が伝わるからこそ、

周りも自然と協力する。

 

「やらされ感」がなく、

「一緒につくっている感覚」がある。

 

この雰囲気は、

とてもアスクらしくて、いいなと思っています。

 

文化は、仕組みから生まれる

会社の文化は、

スローガンだけではなかなか根づきません。

 

でも、

仕組みが行動を変え、行動が文化になる

そういう順番は、確かにある。

 

委員会という仕組みは、

アスクにとって、

その小さな実験のひとつです。

 

これからどう育っていくのか。

それを見ていくのも、楽しみですね。

 

 

今日は、TRANBIで新しく始めた対談企画について、少し背景を書いてみようと思います。

 

今回ご一緒したのは、
入山章栄先生(早稲田大学ビジネススクール教授)。

 

テーマはとてもシンプルで、同時に重たい問いです。

「AI時代に、人間の仕事は何が残るのか?」

 


「コンサルの仕事は9割なくなる」という言葉の本質

入山先生が語られた
「コンサルの仕事は9割なくなる」という言葉。

 

これは挑発的ですが、実はとても本質的な指摘だと感じています。

 

データ分析、資料作成、リサーチ。
かつて“付加価値”とされていた仕事の多くは、すでにAIが圧倒的に速く、正確にこなします。

 

では、人間に残る仕事は何か。

それは

  • 決めること

  • 責任を取ること

  • 正解のない中で、腹を括ること

この部分です。

 

「ChatGPTに言われたからやりました」では、
誰も責任を取ってくれない。

 

この感覚、経営に携わっている人ほど、身に覚えがあると思います。

 


TRANBIが「継キャリ」を語る理由

TRANBIは、単なるM&Aプラットフォームではありません。

 

僕たちが本当に提供したいのは、
“経営を体感する場” です。

 

会社を買う。
事業を引き継ぐ。


その瞬間から、答えのない意思決定の連続が始まります。

  • この事業を続けるのか

  • 人をどう守るのか

  • どこに投資し、どこを捨てるのか

これはロジックだけでは決められません。


最後に頼るのは、経験から磨かれた直感です。

 

だから僕たちは、
事業承継を「キャリアの延長線」として捉える
「継キャリ(継業×キャリア)」という考え方を提唱しています。

 


キャリアの踊り場に立った人へ

対談の中で、特に印象的だったのはこの視点です。

  • 30代後半〜50代

  • 組織で一定の責任を果たしてきた

  • でも、肩書きや年収だけでは満たされなくなってきた

こうした「キャリアの踊り場」に立った人にこそ、
事業承継は強烈な選択肢になる。

 

これまで積み上げてきた
マネジメント力・数字への責任感・修羅場の経験
が、そのまま活きるからです。

 


AI時代だからこそ、「自分で決める人生」を

AIは、これからもどんどん賢くなります。
便利にもなります。

 

でも、
決断と責任を引き受ける人生だけは、代替されません。

 

今回の対談は、
「会社に残るか/転職するか/起業するか」
という従来の二択・三択ではなく、

「会社を買う」という第四の選択肢が、
現実的になってきていることを、はっきり示してくれました。

 


📌 対談・第1回の全文はこちら

 

https://note.com/tranbi/n/n8cb052ef0a34

 

第2回では、
「大リストラ時代に、個人は何を拠り所に生きるのか」
という、さらに踏み込んだテーマに進みます。

 

このプロジェクトを通じて、
誰かが「次の一歩」を考えるきっかけになれば嬉しいですね。

 

今朝は新幹線で、長野から東京へ。


朝のホームは空気が冷たくて、気持ちが良かった。

 

新幹線に乗って、席に腰を下ろす。
コーヒーを飲みながら、窓の外に流れていく景色を眺める。
この時間が、けっこう好きだ。

 

今日は天気がよくて、遠くに 富士山 がきれいに見えた。


こういうときは、スマホで山の名前がわかるアプリを開いて、
今見えている山が何なのかを確認しながら外を見ている。

 

 

名前を知ったからといって、何か役に立つわけではない。


でも、ただの景色だったものが、少しだけ具体的になる感じがして、悪くない。

山が近くて、空が広くて、建物が低い長野の景色。


そこから少しずつ住宅が増えて、街が密になって、
気がつくと、もう東京に近づいている。

 

2拠点生活を始めてから、
「どちらが本拠地なのか」と聞かれることがあるけれど、
正直、もうあまり区別はしていない。

 

長野には、立ち止まって考える時間がある。
東京には、決断して前に進むスピードがある。

 

どちらか一方だけだと、
たぶん今の自分のバランスは崩れてしまう気がする。

 

新幹線の中で景色を眺める時間は、
会議でも、散歩でも、読書でもない。


でも、頭の中ではいろいろ整理が進んでいる。

 

次に何をやるか。
何を手放すか。
どんな会社でありたいか。
どんな時間の使い方をしたいか。

 

移動しているからこそ、
考えが一度フラットになる感覚がある。

 

東京に着くころには、
仕事のスイッチは入りつつ、
朝の余白もまだ少し残っている。

 

この行き来そのものが、
今の自分の生活であり、思考のリズムなんだと思う。

 

今日も一日、やっていこう。

 

 

リモートワークについて考える時間が、ここ最近とても増えています。

 

リモートワークは、作業効率という点では間違いなく優れています。
移動時間は減り、集中できる環境をつくりやすく、仕事そのものの生産性は上がりやすい。

 

一方で、ずっと気になっていることがあります。

それは、
「人の成長は、この環境で自然に起きるのか?」
という問いです。

 


オフィスで働いていた頃を振り返ると、
人は意外と「仕事以外の時間」から多くを学んでいました。

 

隣の席の会話をなんとなく聞く。
先輩がどうやって電話対応しているかを盗み見る。
会議後の雑談で、背景事情を知る。
飲み会でぽろっと出てくる失敗談や本音。

 

そうしたものは、誰かが「教えよう」としていたわけではありません。
でも確実に、人の成長を支えていました。

 


リモート環境では、これがごっそり消えます。

 

聞こえてこない会話。
見えない仕事のプロセス。
「今聞いていいのかな」と迷ってしまう距離感。

 

効率は上がる一方で、
学習の偶発性がなくなる

 

特に、新しく入った人や若い人ほど、この影響を強く受けます。

 

名刺交換の仕方。
初対面での立ち振る舞い。
ちょっとしたビジネスマナー。
相談のタイミングや言い方。

 

以前は、自然に身につける機会がありました。
でも今は、機会をつくらなければ、知ることすらできない

 


最近、人事評価や面談をする中で、
「放っておいては、人は成長しない」という現実を強く感じています。

 

そしてリモートワークでは、その傾向がさらに強くなる。

 

オフィスなら、誰かの会話を聞いて
「それ、こうした方がいいかも」とフィードバックできた。
 

でもリモートでは、そもそも気づく機会がない。

だからもう、発想を切り替える必要があるのだと思います。

 


リモート環境では

成長は「文化」ではなく、「構造」でつくるもの

「うちは学び合う文化がある」
「自律的に成長する人を採用している」

それだけでは足りない。

  • 成長のための時間を、業務として確保する

  • 暗黙知を言語化し、プログラムとして渡す

  • 雑談の代わりに、意図された接点を設計する

  • 成長のプロセスが評価に反映される仕組みをつくる

こうした構造そのものを設計しないと、
リモートワークは「成長しない働き方」になってしまう。

 


リモートワークは、悪いものではありません。
むしろ、これからも続いていく前提の働き方です。

 

だからこそ、
人が育つ前提で成り立っていた仕組みを、一度すべて疑い、再設計する

 

その覚悟と設計力が、
これからの経営や人事には求められている気がしています。

 

 

同じように忙しいはずなのに、

なぜか余裕があって、落ち着いて見える人がいる。

 

特別に暇そうなわけでもないし、

責任が軽いようにも見えない。

むしろ重要な判断を、淡々と、しかし確実にこなしている。

 

そういう人を見かけるたびに、

僕は少し不思議な気持ちになる。

 

 

 

少し前まで、

僕は「忙しい」という状態を、

ほとんど疑うことなく受け入れていた。

 

予定は詰まっていて、

次から次へと判断がやってくる。

頭の中では、常に何かが鳴っている。

 

それが仕事をしている証拠で、

前に進んでいる感覚なのだと、

どこかで思い込んでいた。

 

 

 

でもあるとき、

ふと気づいた。

 

忙しさの中にいると、

自分が何を考えているのかが、

だんだん分からなくなってくる。

 

やることは増えるのに、

考えた記憶が、あまり残らない。

 

それは、

速く回り続けるレコードプレーヤーの上に、

針をそっと置こうとするような感覚に、少し似ている。

 

 

 

余裕のある人たちを、

注意深く観察してみると、

一つだけ共通点があった。

 

彼らは、

意図的に、何もしない時間を持っている。

 

歩いている時間。

コーヒーが冷めていくのを、ただ眺めている時間。

予定と予定のあいだに、名前のついていない時間。

 

その時間に、

彼らは何かを生み出そうとはしていない。

ただ、頭の中を静かに整えている。

 

 

 

忙しいときほど、

人は作業に救いを求める。

 

メールを返し、

タスクを処理し、

目に見える「完了」を積み上げる。

 

それは確かに安心感をくれる。

でも同時に、

考えるための静けさを、少しずつ奪っていく。

 

 

 

余裕のある人は、

すべてに反応しない。

 

今すぐ決めなくてもいいことは、

いったん棚の上に置いておく。

無理に答えを出そうとしない。

 

そうしているうちに、

本当に考えるべきことだけが、

自然と手元に残る。

 

 

 

最近、

僕も意識して、

スピードを落とすようにしている。

 

歩きながら考えたり、

夜に情報を入れすぎないようにしたり。

 

すると不思議なことに、

判断はむしろ早くなり、

迷いは少なくなった。

 

余裕とは、

時間が余っている状態ではなく、

思考がきちんと呼吸できている状態なのだと、

今は感じている。

 

 

 

忙しいから余裕がないのではない。

余裕をつくっていないから、

いつまでも忙しいのかもしれない。

 

少し立ち止まることは、

後退ではない。

 

静かな場所で、

次に進む方向を確かめるための、

ごく自然な動作なのだと思う。