同じように忙しいはずなのに、

なぜか余裕があって、落ち着いて見える人がいる。

 

特別に暇そうなわけでもないし、

責任が軽いようにも見えない。

むしろ重要な判断を、淡々と、しかし確実にこなしている。

 

そういう人を見かけるたびに、

僕は少し不思議な気持ちになる。

 

 

 

少し前まで、

僕は「忙しい」という状態を、

ほとんど疑うことなく受け入れていた。

 

予定は詰まっていて、

次から次へと判断がやってくる。

頭の中では、常に何かが鳴っている。

 

それが仕事をしている証拠で、

前に進んでいる感覚なのだと、

どこかで思い込んでいた。

 

 

 

でもあるとき、

ふと気づいた。

 

忙しさの中にいると、

自分が何を考えているのかが、

だんだん分からなくなってくる。

 

やることは増えるのに、

考えた記憶が、あまり残らない。

 

それは、

速く回り続けるレコードプレーヤーの上に、

針をそっと置こうとするような感覚に、少し似ている。

 

 

 

余裕のある人たちを、

注意深く観察してみると、

一つだけ共通点があった。

 

彼らは、

意図的に、何もしない時間を持っている。

 

歩いている時間。

コーヒーが冷めていくのを、ただ眺めている時間。

予定と予定のあいだに、名前のついていない時間。

 

その時間に、

彼らは何かを生み出そうとはしていない。

ただ、頭の中を静かに整えている。

 

 

 

忙しいときほど、

人は作業に救いを求める。

 

メールを返し、

タスクを処理し、

目に見える「完了」を積み上げる。

 

それは確かに安心感をくれる。

でも同時に、

考えるための静けさを、少しずつ奪っていく。

 

 

 

余裕のある人は、

すべてに反応しない。

 

今すぐ決めなくてもいいことは、

いったん棚の上に置いておく。

無理に答えを出そうとしない。

 

そうしているうちに、

本当に考えるべきことだけが、

自然と手元に残る。

 

 

 

最近、

僕も意識して、

スピードを落とすようにしている。

 

歩きながら考えたり、

夜に情報を入れすぎないようにしたり。

 

すると不思議なことに、

判断はむしろ早くなり、

迷いは少なくなった。

 

余裕とは、

時間が余っている状態ではなく、

思考がきちんと呼吸できている状態なのだと、

今は感じている。

 

 

 

忙しいから余裕がないのではない。

余裕をつくっていないから、

いつまでも忙しいのかもしれない。

 

少し立ち止まることは、

後退ではない。

 

静かな場所で、

次に進む方向を確かめるための、

ごく自然な動作なのだと思う。