娘と一緒に、チュニジア戦を観てきた。

近所のレストランが、大きなスクリーンで試合を流していた。

 

 

知らない人ばかりなのに、点が入るたびに大きな歓声が上がる。 

隣のテーブルとハイタッチしそうな勢いで、みんなで盛り上がる。 

あの感じ、久しぶりだったな。

 

しかも、日本が4対0で勝利。 気持ちのいいくらいの快勝。

 

点が入るたびにお店全体がワッと沸いて、自分もつられて声を出して、娘と顔を見合わせて笑っていた。 

勝ったから盛り上がったのか、盛り上がったから余計に楽しかったのか。 たぶん、どっちもなんだと思う。

 

家で静かに観ていたら、4対0でも「強かったね」で終わっていた気がする。 

でも、知らない誰かと肩を並べて、同じ瞬間に声を上げる。 

それだけで、ただの試合が、お祭りになる。

なにより、娘と並んで観られたのが良かった。 

 

お祭りみたいな日だったな、と思う。 

また、ああいう場所に出かけていきたい。

今日はちょっと砕けた話。

 

福岡出張に行くはずだった。

夕方の予定を慌てて切り上げて、羽田へ向かう。 

ギリギリ間に合った、と思ったら、まず45分の遅延。

 

そこから機材トラブルで、別の飛行機に乗り換えることになった。 

ところが、その2機目も動かない。

 

 

機内で30分くらい待たされて、おかしいなと思っていたら、今度はこっちも修理することになって、結局、福岡空港の着陸時間に間に合わなくなった。 

 

欠航

 

飛行機に乗り込んで、離陸を待っている状態からの欠航は、自分は初めてだったのでけっこうびっくりした。

機内はわりとみんな落ち着いていたかな。 

慌ててホテルを取っている人もいたけど、自分は東京に自宅があるので、特にトラブルもなく帰ってこれた。 

そこは幸いだったなと思う。

 

で、振替になったのが今日の便。 

これがまた、機材トラブルで飛行機の交換があった。

 

二度あることは三度あるって言うけど、本当に三度あった。 

さすがに、ひとつの航空会社で3回続けて機材トラブルというのは、ちょっとどうなのと心配にもなる。

 

自分はANAが好きでいつも乗っているし、マイレージもためている。 

最近そのANAがシステムの更新をしたみたいで、予約も少し取りづらくなっている。 

 

何か新しくしようとしているのかもしれない。

ただ、見ていて思ったのは、新しくしようとするほど、過渡期というのはなかなかうまくいかないものなんだな、ということ。 

これは飛行機会社に限らず、自分たちの会社でも同じだなと思う。

 

仕組みを入れ替えている最中は、たいてい一番ガタガタする。 

うまく回っていないように見える時期こそ、実は中で大きく作り変えている最中だったりする。 

だから外から見て「うまくいってないな」と感じるときほど、本当はその裏で何かが切り替わっているのかもしれない。

 

まあ、3回も機材トラブルに当たることなんてなかなかない。 

いいブログのネタになったと思って、楽しむことにする。

トランビでは、今週から毎週水曜日の午後をチームビルディングと社員教育の時間に充てることにした。

 

トランビはリモートワークが主体で、水曜日が出社日になっている。せっかく顔を合わせる日があるなら、その午後をまるごと「人」のために空けておこうと思った。

 

 

初回の今週は、ひとまずみんなでバーベキューをやってみた。まずはみんなで親睦を深めるところから。

これから毎週、いろんなことに時間を当てていく。

 

■ 時間を「先に」取る、という決め方

会社の時間というのは、たいてい売上や利益や顧客のために割り当てられていく。

気づくと、目の前の成果に紐づいた予定でカレンダーが埋まっている。

 

でも、社員と一緒にチームをつくって、社員のやりがいや成長を実現していく。

これも会社の大事な役割だと思っている。

 

その役割は、放っておくと後回しになる。成果に直結しないから、いつでも「来週でいいか」になってしまう。

だから今回は、中身を決める前に、まず時間のほうを固定した。

何をやるかではなく、いつやるかを先に決める。

空いた枠を、あとから埋めにいく。

 

■ 偶発性は、余白がないと生まれない

リモートになって失われたものの一つが、偶発的なやりとりだと思う。

廊下ですれ違う、昼を一緒に食べる、帰り際に少し話す。

あの「予定していなかった会話」が、リモートだとほとんど起きない。

 

バーベキューをやってみて、それを実感した。

仕事の画面越しでは出てこない一面が、火を囲むと普通に出てくる。

意外な趣味の話だったり、家族の話だったり。

 

こういう時間は、用意しないと生まれない。偶然のように見えて、偶然が起きる余白を先に確保しておかないと、そもそも始まらない。中身が雑談でもいい。容れ物のほうを、こちらが用意しにいく。

 

■ 未完成のまま、始める

正直なところ、この水曜午後をどう使うのが一番いいのかは、まだ分かっていない。

研修みたいにするのか、対話の場にするのか、もっとゆるい交流でいくのか。

リモート前提の組織で何がフィットするのかは、これから試しながら探っていくしかない。

 

それでも、設計が固まるのを待たずに始めた。完璧な形を待っていると、たぶんいつまでも始まらないから。

走りながら整えていく。違ったら、来週変えればいい。

 

試行錯誤だけど、ここからどんな社風や仕組みが育っていくのか、自分はけっこう楽しみにしている。

会社って、こういう「すぐには成果にならない時間」をどれだけ持てるかで、長い目では変わってくる気がする。

朝5時。

眠い目をこすりながら起きて、オランダ戦を観た。

結果は2対2の引き分け。 最後まで白熱した、いい試合だった。

 

 

自分はずっとサッカーをやってきた人間だから、ワールドカップになるといろんなことを思い出す。

Jリーグができたとき。 

日本が初めてワールドカップに出たとき。 

日韓ワールドカップが、日本で開かれたとき。

 

ワールドカップに関することは、どれも自分の中に鮮明に残っている。

あの頃のサッカーを知っているからこそ、今の日本を見ると思う。 

選手層が、昔とぜんぜん違う。 

若手のレベルも、層の厚みも、比べものにならない。

 

今のFIFAランキングは18位。 8位のオランダと引き分けるのも、もう当たり前になってきている。 

世界から見た日本の評価も、ずいぶん上がった。

 

これは、一朝一夕でできたことじゃない。 長い時間をかけて、少しずつ積み上げてきた結果なんだろうな、と思う。

僕が現役の時代に活躍していた選手たちが、今は監督やコーチや協会の側に回っている。 

プレーする側から、支える側へ。 

そうやって、組織がだんだん厚くなっていく。

 

下から若手が出てきて、上が支える側に回る。 その繰り返しで、全体がスパイラルみたいに上がっていく。

こういう成長の仕方を、何十年もかけて見続けられているのは、けっこう幸せなことだなと思う。

今年は、決勝トーナメントも勝ち進んでほしい。 

眠い朝が増えるのは、大歓迎だ。

今日は社内でTOCの研修を実施した。 

TOC、制約理論。
 

講師は外部の人ではなく、インストラクター資格を持つ自社の社員だ。
社内外のメンバーに向けて、丸一日教えてくれた。



研修を受けながら、ふと昔のことを思い出した。 

コンサル時代、自分はSCMの仕事をしていた。
その頃に必読書として教えられたのが『ザ・ゴール』という本だ。 
工場のボトルネック工程を、どう管理するか。 
当時読んだ物語が、20年以上経って、自社の研修で目の前に立ち上がってきた。

六人で、工場を動かす TOCの研修は、よくできている。 
テーブルに座った六人が、それぞれ生産工程の一部になる。
前の工程から流れてきたものを、次へ送っていく。 
その小さなゲームの中で、在庫がどう変動し、それが経営にどんなインパクトを与えるかが、手触りとして分かってくる。

どこか一箇所、流れの遅い工程がある。 
そこに全体のペースを合わせないと、手前にはモノが溜まり、後ろは手持ち無沙汰になる。 
ボトルネックに、全体を合わせる。 
そうすると在庫が最適化され、資金繰りの良い、高回転な経営に近づいていく。

在庫とは、止まっているお金。
この話、工場だけの話じゃない気がする。 

自分たちの日々の仕事に置き換えると、「在庫」は「止まったままのタスク」のことだなと思う。
机の上で、動かないまま積まれている仕事。 誰かの返事待ちで、宙に浮いている案件。 
それは全部、止まっているお金であり、止まっている時間だ。

大事なのは、頑張る場所を増やすことじゃない。 
どこで詰まっているのかを、見つけること。 
全部の工程を全力で回しても、ボトルネックが変わらなければ流れは速くならない。
手前に在庫が積み上がるだけ。
自分の仕事の、ボトルネックはどこか。 そこに合わせて、段取りを組めているか。 
研修を受けながら、自分の仕事のことを考えていた。

社員が、教える側に立つ 何より嬉しかったのは、これだけ質の高いコンテンツを、自社の社員が届けてくれたことだ。 
しかも理論をなぞるだけじゃない。
自分の仕事や、プライベートの場面に絡めて話してくれる。 
だから腹に落ちるし、明日から使えると感じる。

こんなレベルのものを作れる仲間がいる。 それが、自分はとても嬉しい。

夜は懇親会。 TOCの話で盛り上がりながら、みんなで色々と話した。 
自分は、この研修後の懇親会がとても好きだ。 
日々はなかなか密な話ができない。
今日のこと、これからの会社のこと、そんな話をゆっくりできる時間になる。
学びを受け取った日であり、それを誰かが作って渡してくれた日でもある。 
詰まりを見つけて、そこに合わせる。 
仕事も、組織も、案外そういうことなのかもしれないなと思う。

いよいよ、北米ワールドカップがスタートした。

世界中の選手が、四年に一度のあの舞台に立っている。 

忙しい日々の中でも、サッカーを見る時間をなんとか生み出そうとしている自分がいる。

 

 

考えてみれば、自分の人生には、いつもサッカーがあった。

小学校のころは、キャプテン翼に憧れて、一人でボールを追いかけていた。

中学では選抜に選ばれた。 その中で特にうまいわけではなかったけれど、 自分はそれなりにやれる方だと、どこかで思っていた。

 

その自信が崩れていったのは、高校に入ってからだ。 

うまい人間が、まわりにごろごろいた。 思うように伸びず、辛い時期が続いた。

 

アメリカに渡った直後の語学学校では、世界中から来た選手たちとボールを蹴った。 

言葉が通じなくても、目だけで意思が通じる感覚を知った。 

世界中の仲間と肩を組んで、日が暮れるまでみんなでボールを追いかけた。

 

大学に入ってからは、アメリカ人の体の大きさとスピードに圧倒された。 

今までとは全く違うサッカー。 まるで歯が立たない相手と、当たり続けた。

 

技術や気持ちの問題じゃない。 体格という、どうにもならない壁。

高校までは、優勝やトップという言葉が、少しだけ手の届くところにあった。 

でも世界では、その感覚すら味わえない。

 

上には上がいる。 いや、上の世界がそもそも違う。 そんな感覚を、初めて味わった。

 

絶望だけじゃない。 

サッカーは、自分にたくさんの仲間もくれた。

 

社会人になってからもフットサルを続けて、 そこで出会った仲間とは、結婚式に出るような関係にもなった。

仕事やプライベートで辛い時期があっても、 一緒にボールを蹴るフットサルの仲間が、癒してくれた。

 

同じボールを追いかけた時間は、 肩書きや損得とは別のところで、人をつないでいく。 

そういうつながりは、何年経っても残る。

 

キャプテンとしてチームを動かした経験も、大きかったなと思う。

どうすればチームが伸びるのか。 誰を、どこに置くのか。 この相手に、どう勝つのか。

 

戦略を考え、成長する仕組みを考え、人を見る。 

あのころ夢中でやっていたことは、 いま経営でやっていることと、驚くほど似ているなと思う。

 

チームを作る。仲間を作る。 勝てる形を設計して、上を目指す。 

そして、上には上がいると知りながら、それでも前に進む。

 

会社も、同じだなと思う。 

上を見れば、いつだって自分たちより大きくて強い相手がいる。 

そのうえで、仲間と一緒に、自分たちなりの闘い方を探していけばいい。

 

サッカーは、自分にとって人生の一部だった。 

そしてたぶん、いまの経営観の原点でもあるんだろうな、と思う。

EOフォーラムのメンバーに、コーチングをしてもらった。

フォーラムには、毎月ひとりが選ばれて、その月のDeep Diveの担当になる仕組みがある。 

今月は僕が選ばれた。 メンバーの伴走を受けながら、自分の内省を1時間やる。

 

 

DeepDiveというのは、自分の人生を包み隠さず話していく時間だ。 

不安、悲しみ、希望。 

普段は奥にしまっている感情の、深いところまで降りていく。

何かを解決するための時間ではない。 答えを出すわけでも、誰かに説明するわけでもない。 

ただ、自分のことを、自分で理解していく。 そのための時間だ。

 

■ ひとりでは、掘りきれない

久しぶりにDeepDiveをしてみて、初めて実感したことがある。 

自分のことは、自分ひとりではなかなか掘りきれない。

 

考えているつもりでも、ある深さで止まってしまう。 

無意識のうちに、痛いところの手前で引き返している。

 

そこに伴走者がいると、もう一段、下まで入れる。 

コーチ役のメンバーは、何かを評価するわけでも、アドバイスをくれるわけでもない。 

ただ、僕が深くダイブするために、隣を一緒に潜ってくれる。

 

2年間、いろんな形でコーチングに触れてきたけれど、その価値をこれだけ実感を持って感じたのは初めてかもしれない。 

少しずつ内省の質が上がってきた感覚もある。 

DeepDiveのやり方が、ようやくわかってきたのかもしれない。

 

■ 評価されない、という安心

なぜ、そこまで開示できるのか。 それはたぶん、評価されない、という心理的安全性があるからだと思う。

ここで何を話しても、ジャッジされることはない。 

良い悪いを判断されることもない。 

説得されない。

誘導されない。

 

その心理的安全性があるからこそ、安心して曝け出せる。 

理解してもらいたい、という感情ではない。 

同情してほしいわけでも、尊敬してほしいわけでもない。

自分が、自分を理解したい。 

そのために、信頼できる誰かに隣にいてもらう。

 

■ 研ぎ澄まされていく感覚

2年やってきて、ようやくやり方がわかってきた気がする。 

始めた頃は、どこをどう深掘りすればいいのかもわからなかった。

でも続けていくと、自分の感情に対する解像度が上がっていく。 

精神が、少しずつ研ぎ澄まされていく感覚がある。

 

自分の内面の理解は、伴走者がいて、続けることで深くなっていく。 

そういう、再現性を作れるものなのだろうな、と思う。

 

自分の内面を、ちゃんと理解しておくこと。 

そして、それを進めるための構造を持っておくこと。

 

経営でも、人生でも。 

案外、ここが一番の土台になる気がしている。

フォーラムと、フォーラムメンバーに感謝。

先日、ある対談に参加した。 AIがこれから仕事をどう変えていくのか。そんな話をしているなかで、「ユニバース25」という実験の名前が出てきた。

初めて聞いたとき、これはネズミの話じゃなくて、これからの自分たちの話だなと思った。

 

 

■ すべてが満たされた「楽園」で、起きたこと

ユニバース25は、1960年代の終わりから70年代にかけて、ジョン・カルフーンという研究者が行ったネズミの実験だ。

つくられたのは、いわば楽園だった。 

食べ物も水も無限。天敵もいない。病気もない。寒さも飢えもない。

生きるための心配が、何ひとつない空間。

 

最初、ネズミたちは順調に増えていった。 

4000匹まで暮らせる広さなのに、2200匹あたりで増加は止まる。

そして、そこから群れは静かに壊れていった。

 

オスは縄張りも順位も保てなくなり、メスは子育てをやめる。 

なかでも印象的なのが「ビューティフルワンズ」と呼ばれた個体だ。 

争わず、交わらず、ただ食べて、毛づくろいをして、自分をきれいに保つだけ。

傷ひとつない、美しいネズミ。

やがて群れは122匹まで減り、最後は全滅した。 

足りないものは、何ひとつなかったのに。

 

■ 足りなかったのは、富じゃなくて役割だった

カルフーンが指摘したのは、こういうことらしい。

増えすぎた世界では、若い個体に「役割」が回ってこなくなる。 

縄張りを守る役、子を育てる役、群れをまとめる役。

そういう居場所が、もう先に埋まっている。

 

役割を持てなかったネズミは、社会から静かに降りていった。 

体は満たされているのに、関わりが消えていく。

カルフーンはそれを「魂の死」と呼んだ。

 

満たされることが、衰退の入り口だった。 

ここがいちばん、引っかかった。

(この実験をそのまま人間社会に当てはめるのは乱暴だ、という批判もある。でも、比喩としては考えさせられる話だなと思う。)

 

■ AIが奪うのは、たぶん「作業」だ

対談では、金融や法律の仕事の話も出た。 

書類の草案も、審査も、AIがどんどんやってしまう。

人に残るのは最後のチェックくらいで、それすら数年で要らなくなるかもしれない、と。

 

ここで自分が思ったのは、AIが奪うのは「作業」であって、「役割」とは別物だということ。

作業が消えていくのは、たぶん止められない。 

でも、作業を失った人から役割まで無くなってしまったら、それはユニバース25のネズミと同じ状態になる。

 

満たされているのに、立てない。 それがいちばん怖い状態なんじゃないかなと思う。

だとすると、経営者である自分の仕事は、効率化の先で、もう一度みんなの「役割」を設計し直すことなんだろうな、と思っている。

 

■ だから、いろんな役割の人がいる会社にしたい

アスクはこれまで300の事業に挑戦して、いま残っているのは15。 20分の1しか当たっていない。

打率で言えば、ひどい数字だ。 でも自分は、これでいいと思っている。

 

何が当たるか分からないからこそ、いろんな考え方の人が要る。 

慎重な人、突っ走る人、数字で見る人、空気で動く人、ちょっと変わっている人。

 

均質にそろえた優秀さは、たぶんAIがいちばん得意なところだ。 

だったら人間の側は、逆に振り切っていい。

 

20分の1の世界で何かを当てるために必要なのは、同じ顔をした優秀さじゃなくて、バラバラな役割なんだと思う。 

規格から少しはみ出している人が、ある日とつぜん20のうちの1つを引き当てる。そういうことが、これまで何度もあった。

 

役割が、人を立たせる。 

そして、いろんな役割を抱えられることが、会社の強さになっていく気がする。

 

AIで楽になった先に残る問いは、「で、自分は何の役割を持つのか」だと思う。 

その問いを、一人ひとりが持てる会社でありたいなと思う。

父が、ヘルニアの内視鏡手術を受ける。 そのために今週は、長野に帰ってきている。

事前入院をしたので、病室にも顔を出した。 

母と、自分と、父と、三人。

 

 

家にいると、みんな各々の時間を過ごしている。 

携帯をいじったり、テレビを見たり。 

悪いことではないけれど、面と向かって話すことは、意外と少ない。

 

病室には、それがない。 

やることが、ほとんどない。 

だからか、普段は出てこない話が、ぽつぽつと出てくる。

 

昔の話。家族の話。古い思い出話。 

父も母も、以前手術をしたときのことを思い出していた。 

「あそこからよく、ここまで元気で生きてこられたよね」と。

 

そんな話をしながら、家族の絆みたいなものを、静かに確かめている自分がいた。 

内視鏡手術ですぐ退院できることもあって、誰も深刻になっていない。 

だからこそ、和やかに、いろんな話ができたのかなと思う。

 

自分ももう49歳。父は84歳になった。 

ずいぶん長く、歩いてきたなと思う。

 

病室で話しながら、改めて感じたことがある。 

自分は父に、本当にいい環境を与えてもらったんだな、ということ。

 

父は、65歳で引退すると、ずっと前から決めていた。 

そのとき自分は、30歳になったばかり。 

会社を渡してから、父はほとんど口を出さなかった。 

困ったときだけ、相談に乗ってくれる。 

あとは、自由にやらせてくれた。

 

大学をアメリカに行かせてくれたのも、父だった。 

海外を見る、世界を見る。 

そういう機会を、早くから渡してくれた。

 

会社をここまで大きくできたのは、たぶん、そこが大きい。 

早くにチャンスをもらえたこと。 

任せて、待っていてくれたこと。

 

普段はなかなか、こういうことを言葉にしない。 

やることのない病室の時間が、それを思い出させてくれた。

 

絆は、特別なイベントで確かめるものじゃないのかもしれない。 

何もない時間に、ふと立ち上がってくるもの。 

そんな気がしている。

今日は、TRANBIのコミュニティメンバーとの個別メンタリングだった。

 

これから個人で、小さな事業の承継に挑戦してみたいという方。 

500万円前後の規模の案件を、どのように見ればいいのか。 そんな相談から、話は始まった。

 

 

 

■ 「何を引き継ぐのか」が見えにくいという違和感

 

最初に出てきたのは、とても自然な戸惑いだった。

 

ECサイト、立ち上げたばかりの事業、小さなお店。 

500万円前後の案件を見ていると、「結局、自分は何を引き継ぐことになるのか」が分かりにくいことがある。

 

特に、株式譲渡ではなく事業譲渡の場合は、会社そのものを引き継ぐわけではない。 

だから、対象になる資産や契約、権利関係を一つひとつ確認する必要がある。

 

ただ、見方を少し変えると景色は変わる。 

すでにある仕入れ先、販売チャネル、許認可、運営ノウハウ。 

そうした「自分で作ると時間とお金がかかるもの」を引き継ぐと考えると、小さな案件にも意味が見えてくる。

 

表面的な売上や利益だけで判断せず、何が引き継がれて、何が引き継がれないのか。 

そこを丁寧に見るのが入り口だと思う。

 

■ 投資として見るか、自分の仕事として見るか

 

次に話したのは、利益の見方だった。

 

小規模な個人事業だと、売上1,000万円、営業利益はゼロから数百万円。 そんな数字が並ぶことがある。

 

ここで気をつけたいのは、その利益が「投資のリターン」というより、オーナー自身が現場で手を動かして得ている収入に近い場合があること。

 

だから、買ったあとに自分がどれくらい関わるのか。 

人を雇って自分が抜けたとき、本当に利益が残るのか。 

そこまで見ないと、数字の意味を読み違えてしまう。

 

小さなM&Aほど、「お金を出して買う投資対象」というより、「自分が時間と熱量をかけて育てる仕事」として見たほうがいいのかもしれない。

 

純粋な投資なのか、生活を支える本業なのか。 

そのスタンスで、判断の軸は変わる気がする。

 

■ 「なぜ売るのか」という問い

 

そして、誰もが一度はぶつかる問いが出てきた。 

利益が出ているなら、なぜ今のオーナーは手放すのか。

 

理由はさまざまだ。 

別の事業に集中したい。

体力的に続けるのが難しい。

後継者がいない。

事業の優先順位が下がった。

 

だから、「売りに出ている=悪い案件」とも、「利益が出ている=良い案件」とも言い切れない。 

大事なのは、売却の理由に納得できるか。 そして、自分の経験や得意分野と合っているか。

 

そこを見ないまま数字だけで決めてしまうのは、やっぱり危うい気がする。

 

■ 買う前に、学びにいく

 

ひとしきり話して、自分のなかで一番伝えたかったのはここだった。

 

プラットフォームの価値は、案件をすぐ買えることだけじゃない。 

むしろ、買う前に学びにいけることに、大きな価値がある。

 

複数の案件を見る。 

オーナーと実際に話す。 

なぜ売るのか、どこに苦労があるのかを聞く。 

何を引き継げて、何を自分で作らなければいけないのかを確かめる。

 

そうやって、業界の知識や、相場の感覚や、交渉の作法が少しずつ溜まっていく。 

一件も買わない時間にも、ちゃんと意味がある。 

 

その助走の長さが、最初の一件の質を決めるんじゃないかなと思う。

 

■ 守りながら、熱で伸ばす

 

個人での事業承継は、決して簡単じゃない。 

資金調達が思うようにいかないことも、引き継いで初めて分かる課題もある。

 

だからこそ、無理な投資はしない。 

自分が守るべきものを守れる範囲で挑戦する。 

これは大切な前提だと思っている。

 

そのうえで、伸びしろはどこにあるか。 

販促が足りていない事業。

オーナーが疲れて手が回っていない事業。 

商品は良いのに、見せ方や導線が弱い事業。 

そういう案件は、新しい人が熱量をかけることで景色が変わることがある。

 

事業の可能性は、案件そのものだけで決まらない。 

引き継ぐ人の経験と、時間のかけ方と、熱量で、未来は変わっていく。

 

メンタリングを終えて、あらためて思った。 

 

TRANBIが届けているのは、案件のリストだけじゃないのかもしれない。 

買う前に学べる場所。

事業を見る目を育てる場所。 

その時間そのものにも、意味があるんだろうな、と思う。

 

小さな挑戦という選択肢が、もっと自然に、もっと健全に広がっていくといい。 

今日は、そんなことを考えた一日だった。