最近、はっきりと
「インプットの質が上がっているな」
と感じた瞬間があった。
それは、新しい本を読んだときでも、
特別なセミナーを受けたときでもない。
ブログを書き始めてからだ。
書こうとした瞬間に、分かること
ブログを書こうとすると、
頭の中が急に静かになる。
そして、こんな問いが浮かんでくる。
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これ、本当に自分の言葉で語れるか?
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どこまでが体験で、どこからが借り物の知識か?
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その意見の根拠は、自分の中にあるか?
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不思議なことに、
材料が足りないところは、すぐに詰まる。
言葉が出てこない場所は、
インプットが浅かった場所だ。
「読んだ」ことと「使える」ことは違う
以前は、インプット=量だと思っていた。
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本を何冊読んだか
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記事をどれだけ読んだか
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情報をどれだけ知っているか
でも今は少し違う。
ブログを書くようになってから、
インプットに対して無意識に
「これは言語化できるか?」
というフィルターがかかるようになった。
すると、
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流し読みが減る
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気になる一文で立ち止まる
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自分の過去の体験と結びつけて考える
同じ本を読んでいても、
入ってくる情報の“濃度”がまったく違う。
インプットは、素材になる
アウトプットを前提にすると、
インプットは「消費」ではなくなる。
それは、
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後で使うかもしれない素材
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いつか言葉にするための部品
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自分の思考を形にするための種
になる。
だから最近は、
本よりも、人との会話や、
何気ない出来事の方が
強く頭に残ることも多い。
「なぜ、今これが引っかかったんだろう?」
そう考える時間そのものが、
インプットを深くしてくれる。
書くことで、学び続ける状態に入る
ブログを書いていると、
学ばないと書けない自分に気づく。
でもそれは、義務感じゃない。
むしろ、
ちゃんと考えたい
ちゃんと理解したい
という自然な欲求に近い。
書く → 足りなさに気づく → また学ぶ。
この循環ができてから、
インプットが明らかに変わった。
思考は、外に出して初めて鍛えられる
ブログは発信の場でもあるけれど、
今の自分にとっては
思考を鍛えるための装置に近い。
頭の中だけで考えていると、
分かった気になって終わる。
でも、言葉にしようとすると、
曖昧さは一切通用しない。
だからこそ、
最近はインプットの一つひとつが、
以前よりも重く、意味を持って感じられる。
しばらくは、
「うまく書こう」としなくていい気がしている。
考えている途中のままでも、
その時点の思考を残していく。
その積み重ねが、
きっと数年後の自分にとって
一番価値のある記録になるはずだから。









