今日は、TRANBIのコミュニティメンバーとの個別メンタリングだった。

 

これから個人で、小さな事業の承継に挑戦してみたいという方。 

500万円前後の規模の案件を、どのように見ればいいのか。 そんな相談から、話は始まった。

 

 

 

■ 「何を引き継ぐのか」が見えにくいという違和感

 

最初に出てきたのは、とても自然な戸惑いだった。

 

ECサイト、立ち上げたばかりの事業、小さなお店。 

500万円前後の案件を見ていると、「結局、自分は何を引き継ぐことになるのか」が分かりにくいことがある。

 

特に、株式譲渡ではなく事業譲渡の場合は、会社そのものを引き継ぐわけではない。 

だから、対象になる資産や契約、権利関係を一つひとつ確認する必要がある。

 

ただ、見方を少し変えると景色は変わる。 

すでにある仕入れ先、販売チャネル、許認可、運営ノウハウ。 

そうした「自分で作ると時間とお金がかかるもの」を引き継ぐと考えると、小さな案件にも意味が見えてくる。

 

表面的な売上や利益だけで判断せず、何が引き継がれて、何が引き継がれないのか。 

そこを丁寧に見るのが入り口だと思う。

 

■ 投資として見るか、自分の仕事として見るか

 

次に話したのは、利益の見方だった。

 

小規模な個人事業だと、売上1,000万円、営業利益はゼロから数百万円。 そんな数字が並ぶことがある。

 

ここで気をつけたいのは、その利益が「投資のリターン」というより、オーナー自身が現場で手を動かして得ている収入に近い場合があること。

 

だから、買ったあとに自分がどれくらい関わるのか。 

人を雇って自分が抜けたとき、本当に利益が残るのか。 

そこまで見ないと、数字の意味を読み違えてしまう。

 

小さなM&Aほど、「お金を出して買う投資対象」というより、「自分が時間と熱量をかけて育てる仕事」として見たほうがいいのかもしれない。

 

純粋な投資なのか、生活を支える本業なのか。 

そのスタンスで、判断の軸は変わる気がする。

 

■ 「なぜ売るのか」という問い

 

そして、誰もが一度はぶつかる問いが出てきた。 

利益が出ているなら、なぜ今のオーナーは手放すのか。

 

理由はさまざまだ。 

別の事業に集中したい。

体力的に続けるのが難しい。

後継者がいない。

事業の優先順位が下がった。

 

だから、「売りに出ている=悪い案件」とも、「利益が出ている=良い案件」とも言い切れない。 

大事なのは、売却の理由に納得できるか。 そして、自分の経験や得意分野と合っているか。

 

そこを見ないまま数字だけで決めてしまうのは、やっぱり危うい気がする。

 

■ 買う前に、学びにいく

 

ひとしきり話して、自分のなかで一番伝えたかったのはここだった。

 

プラットフォームの価値は、案件をすぐ買えることだけじゃない。 

むしろ、買う前に学びにいけることに、大きな価値がある。

 

複数の案件を見る。 

オーナーと実際に話す。 

なぜ売るのか、どこに苦労があるのかを聞く。 

何を引き継げて、何を自分で作らなければいけないのかを確かめる。

 

そうやって、業界の知識や、相場の感覚や、交渉の作法が少しずつ溜まっていく。 

一件も買わない時間にも、ちゃんと意味がある。 

 

その助走の長さが、最初の一件の質を決めるんじゃないかなと思う。

 

■ 守りながら、熱で伸ばす

 

個人での事業承継は、決して簡単じゃない。 

資金調達が思うようにいかないことも、引き継いで初めて分かる課題もある。

 

だからこそ、無理な投資はしない。 

自分が守るべきものを守れる範囲で挑戦する。 

これは大切な前提だと思っている。

 

そのうえで、伸びしろはどこにあるか。 

販促が足りていない事業。

オーナーが疲れて手が回っていない事業。 

商品は良いのに、見せ方や導線が弱い事業。 

そういう案件は、新しい人が熱量をかけることで景色が変わることがある。

 

事業の可能性は、案件そのものだけで決まらない。 

引き継ぐ人の経験と、時間のかけ方と、熱量で、未来は変わっていく。

 

メンタリングを終えて、あらためて思った。 

 

TRANBIが届けているのは、案件のリストだけじゃないのかもしれない。 

買う前に学べる場所。

事業を見る目を育てる場所。 

その時間そのものにも、意味があるんだろうな、と思う。

 

小さな挑戦という選択肢が、もっと自然に、もっと健全に広がっていくといい。 

今日は、そんなことを考えた一日だった。

 

新規事業をどう生み出すか。これは自分の中で、長年向き合っているテーマだ。

最近、少しずつ言葉になってきた考えがあるので、整理しておきたいと思う。

 

 

■ 中小企業のドメインは、小さい

中小企業は、持っているドメインがそもそも小さい。

その周辺だけで20個の新規事業のネタを出せるかと言われると、現実問題、出てこないと思う。

 

20個の挑戦の球を本気で打とうとするなら、ドメインから離れたところにも球を打つ覚悟がいるんだろうな、と思っている。

アスクが300以上の事業に挑戦してきたのも、もとを辿れば、既存事業の席がもう全部取られていたからだ。 

 

新しい席は、自分たちで作るしかなかった。 やらないといけなかった、というのが正直なところだと思う。

 

■ 無理やり打っても、当たらない

ただし、ノルマのように打てばいいわけでもないと思っている。

新規事業は、無理やりやってもうまくいかない。

 

自分の中では、ネタを「バラ玉」のような形で頭の中にたくさん寝かせている。 

マーケットがある。

組めるチームがいる。

自分の能力とモチベーションが整っている。 

 

そのあたりが揃って「打てる玉が来たな」と感じたタイミングで、初めて打つ。

リストは常にある。 

でも、無理にトリガーは引かない。 揃ったときに、引けばいいと思っている。

 

■ 中途半端に、うまくいきそうな事業がいちばん怖い

新規事業で本当に怖いのは、失敗そのものではないと思っている。

中途半端に、うまくいきそうに見えてしまう事業。 これが、一番怖い。

 

プロダクトアウトでこだわっちゃう人がいる。 「これは絶対にうまくいくはずだ」と思い込んでしまう。 

そして中途半端に動いてしまうと、もうやめづらくなってくる。

 

次に挑戦して、また失敗するのは怖い。 

それより「なんかうまくいきそう」という感覚にすがる方が、心理的にはたぶん楽なんだろうな、と思う。

 

でも、そこにすがった瞬間、20球目を打つ機会は消えていく気がする。

 

ダメだとなったら、ダメで終わらせる。 

すぐ次に行く。 

 

この判断は、新しい挑戦を始める判断と、同じくらい重要なんだろうなと思う。

 

■ 数を打った先にしか、「絶対やりたい」は現れない

そうやって打ち続けた先に、ある日、「これは絶対に自分がやりたい」と思える事業に行き当たる。

自分にとって、TRANBIがそうだった。 

中小企業のM&Aというマーケットは、数を打ち続けた先で出会えたものだと思っている。

 

早く当てたい。 

早く挑戦を終えたい。 

俺の事業はこれだと言いたい。

 

その気持ちは、痛いほどわかる。 

でも、早く当てようとする発想は、捨てたほうがいいなと自分は思っている。

 

挑戦の後半になればなるほど、描ける絵は大きくなっていく気がする。 

経験が積み重なって、視点が上がって、組める人もマーケットの読み方も変わってくる。

 

最初に打った球と、20球目に打つ球は、まったく違うものになっていくんだろうなと思う。

 

■ 20球を、打ち切る

新規事業をやっていると、早く終わらせたくなる衝動が必ず出てくる。

その衝動こそ、いちばん疑ったほうがいいなと思う。

 

打ち切る覚悟があるかどうか。 中途半端な成功にすがる手を、迷いなく離せるかどうか。 

バラ玉を、揃うタイミングまでちゃんと寝かせていられるかどうか。

 

そこに耐えた先にしか、最後の一発は来ないんじゃないかなと思っている。

最近は、山形に行ったり、三重に行ったり、EOの運動会があったり、フォーラムがあったりと、とにかく予定が詰まっていた。

その合間でも、AIを使った新しいシステムやサービスの開発を動かしていたので、頭と体が少しずつ散っていく感覚があった。

 

 

なので今日は、意識的に「整える日」にしている。

部屋を片付け、書き溜めたブログを公開し、普段はあと回しにしているプライベートの仕組みに、ちゃんと手を入れる日にしようと思った。

 

■ プライベートも、仕組みに乗せる

家計と支払いとサブスクの棚卸し。 ブログや読書のインプットの置き場の作り直し。

会社のことばかりAI化を進めていたけれど、考えてみると、自分の生活の側こそ仕組みが足りていなかった

 

散らかったまま走り続けると、戻ってくる場所がだんだんぼやけてくる。

 仕組みを整えておくのは、効率化のためというより、自分の輪郭を保つためなんだろうな、と思う。

 

■ ざわつきの方を、ちゃんと見にいく

そしてもうひとつ、今日のメインはたぶんこっちだ。

会食続きで、食事も体も少し重くなっていた。 家族と過ごす時間が、何となく後ろ倒しになっていた。

 

そういう小さなざわつきを、ひとつずつ拾い直していく。 

食事を軽めに戻して、体を整える。 

心の置き場所も、少しずつ元の位置に戻していく。

 

■ 整えるのは、次の1週間のため

整える日は、休むための日ではないな、という気がしている。 

むしろ、来週いい状態で打席に立つための、能動的な準備だ。

 

経営の判断も、人への向き合い方も、結局は自分の状態にかなり引っ張られる。 

状態を整えておくこと自体が、来週の意思決定の質を決めている。

 

そう考えると、何もしていないように見える今日は、わりと大事な1日だなと思う。

静かに過ごしながら、来週の自分を、ここから少し前に出しておこうと思う。

今日はEOの年に1回の運動会だった。

300〜400人の経営者が一堂に集まり、グラウンドと体育館を借り切って丸1日競技をやる。

 

 

10人前後で1チーム、1位には景品もある。業者も入っているが、企画自体は本業の忙しい経営者たちが実行委員会で作り込んでいる。普段の仕事の合間にここまでの完成度を仕上げてくる、その事実だけで頭が下がる。

 

■ 顔合わせ3回目で、点を取りにいく

アスクやTRANBIで日々作っているチームは、組織がすでに「ある」状態が前提になっている。

役割も、関係も、もう積み上がっている。

 

でも、今日のチームは違った。

実際に顔を合わせたのは、初回面談・前夜祭・本番の3回目。

たった3回でひとつのチームとしてパフォーマンスを出さないといけない。

 

だからこそ、チームができていく瞬間そのものを観察できる、というめずらしい場だった。

日常の組織だと、もうできあがってしまっていて見えなくなっている部分が、今日はリアルタイムで動いていた。

 

■ 自分は、バランス側に立っていた

メンバーの中には、ぐいぐいリーダーシップを発揮するタイプが何人かいる。

各競技で「こうやったら勝てる」という戦略を考え、「これでいこうぜ」と言い出してくれる人たちだ。

 

自分は今日、どちらかというとフォロワー側だった。

メンバーの精神的なフォローを入れたり、会話が止まりそうなところに話を投げたり、団結感が落ちないようにコミュニケーションを回す側に徹した。

 

そして、観察しながら気づいたことがある。

団結力を組成するのにとても効いていたと感じるのは、戦略を出してくれた人に対して、周りが「いいね、それでいこう」とすぐに乗っかるチームになれるか、だった。

 

言い出した人が一人で浮かない。提案がすぐに「みんなで決めたこと」になる。

この受け止めのスピードと厚みが、短時間でチームの団結感を作っていた。

 

言い出し手を、ひとりにしない。

これが、3回しか会っていない10人でスコアを取りにいくときの、肝だったと思う。

 

■ 参加者で入るか、与え手で入るか

もうひとつ、今日ずっと頭にあったことがある。

実行委員会の人たちは、本業のコミットを一段下げてまで、この場に時間を投下している。

会社側からすれば、一時的に経営者の時間が運動会に持っていかれているわけだ。

 

でも、その結果として、何百人の経営者の状態が上がり、それが各社の事業のパフォーマンスにまで波及していく。

だとすると、ものすごい数の会社にいい影響を渡している場でもあるんだろうなと思う。

 

自分は今日、参加者として楽しませてもらう側だった。

でも、視点をひとつだけ変えて、「この場に何を返せるか」を持って立てば、たぶん返ってくるものも変わる。

 

EOに限った話ではなくて、社内の場でも、お客さんとの場でも、同じことが言えると思う。

参加するか、渡すか。

 

その立ち方の差は、外から見ると分からないくらい小さいけれど、終わったあとに自分の中に残るものが、たぶん全然違う。

そんなことを、走りながら、笑いながら、考えた一日だった。

今日は朝からEOフォーラム。 

そこから夜まで、丸一日EOにどっぷり浸かる一日になった。

 

 

僕が所属するフォーラムは、2年前に新しく立ち上げられたフォーラムで、自分は今年モデレーターを担っている。 

あと2回で、今期のフォーラムも終わりを迎える。

 

■ モデレーターをやった1年

モデレーターを引き受けると、嫌でも全員のリーダーシップを取る立場になる。

1ヶ月に一度、メンバーが安心して感情を差し出せる場をつくる。 

言葉にすると一行だが、これは自分が思っていたよりもずっと細かい設計の連続だった。

 

「どうしたらこのチームが、もう一段深いところまで話せるようになるか」

 

今年はずっと、その問いを抱えて回してきた1年だったように思う。

 

■ 内省の「頻度」と「質」を、どう構造で上げるか

途中、ずっと掴めずにいた問いがあった。

メンバー全員の内省の頻度。 内省の質。 そして、どこまで深いレベルに踏み込めるか。

 

それは個人の意志や能力の話ではなくて、フォーラムという場の構造で決まるはず、という感触はあった。 

ただ、その構造をどう設計すればいいのかは、長いあいだ言語化できずにいた。

 

それが今年、ある瞬間に視点がスッと入った。 細かい中身は秘密保持の中だが、内省は、個人の能力ではなく、場の設計の関数だ。 そういう解像度を、自分の中に持てた感覚があった。

そのチャンスを逃さずに掴めたことが、モデレーターをやった一番の収穫だったかもしれない。

 

■ 経営者同士だから、まっすぐ深い話に入れる

EOの面白さは、結局ここに戻ってくる。

立場の共通項があるから、前置きがいらない。 社員に話せない悩み。家族に話せない判断。自分の中でまだ言葉になっていない感情。 それを、肩書きも忖度も挟まずに差し出せる。

 

そして同じ目線で受け取って、相手も同じ温度で返してくれる。 

このスピードと深さは、他の場ではなかなか得られない。

 

加えて、TAVという仕組みが乗っているから、その時間が「持ち帰り」に変換される。 ただ吐き出すだけでも、ただ聞くだけでもなく、自分の経営に戻したときに使える形で残る。 この変換装置が効いている。

 

■ 一人では、たぶん続かない

自分一人で内省する時間を作ろうと思えば、もちろんできなくはない。 ただ、頻度も、深さも、たぶんすぐに落ちる。

人は放っておくと、忙しさのほうに流れる生き物だ。 そして忙しさは、内省の質を下げる方向にしか効かない。

 

だからこそ、自分の意志に任せず、強制的に内省させてくれる場を一つ持っているかどうかは、経営者としての時間の使い方を、根のところで変えると思っている。

 

社員のみんなにも、形はなんでもいい、仲間との定期的な対話、社外のコミュニティ、メンターとの月一の1on1など自分の内省を、意志ではなく仕組みで支えてくれるものが、一つあるといいなと思っている。

 

良い仲間と、こういう仕組みの中で内省に集中できる。 

その幸せを噛みしめた一日だった。

昨日、三重に向かう途中、新幹線の中にスマホを置き忘れた。

気づいた瞬間、ふっと血の気が引きかけたが、セキュリティはかけてあるので、中身についての心配は薄かった。

 

 

すぐに東海道新幹線の忘れ物センターを調べると、案内されたのはLine Botだった。 

そこに乗車した号車番号、席番号、スマホのモデルと色、待受画面。 

登録したのはそれだけ。

 

5分後、Lineで通知が届いた。 

「見つかりました」。 

 

そのまま着払いで自宅に送ってくれるという。

 

■想像していた手間が、ごっそり消えていた

過去、別の機会で落とし物の問い合わせを電話でしたことがある。 

何分も保留に置かれ、結局戻ってくるまでに随分のストレスがかかった。 

今回は、それと真逆だった。

スピード、確実性、安心感。 そして、自分が動かないでいい設計。

 

■AIが「すごい」だけではない

最初は「Botすごいな、AIすごいな」と思っていた。 

ただ、よく考えると、すごいのはそれだけではないと感じる。

 

号車・席・モデル・色・待受画面、という最小限の情報だけで人とモノを照合できるよう、業務の側があらかじめ整えられている。 落とし物の流れ、保管の仕方、返送までの動線。 

 

そこが組み上がっているからこそ、Botの聞き出す質問は短く済む。

AIが効くのは、裏側に設計がある場所だ。 

設計のないところにAIだけを乗せても、たぶんあの5分は生まれない。

 

■「探さなくていい」という体験

今回、自分は何もしていない。 

電話で粘らなかった。何度も問い合わせもしなかった。

落とした場所を必死に思い出そうともしなかった。 

それでも、スマホはちゃんと自宅に向かってくる。

 

顧客の側に、がんばらせない。 これは、けっこう深い体験設計だなと思う。

問い合わせから返送まで、ぜんぶ込みで、ひとつの体験。 

 

すごい時代になったなと思う。

三重県で、経営者仲間との研修があった。 

仲間同士で経営を学ぶ会を作っていて、自分もそこに混ぜてもらっている。 

 

 

今回の訪問先の社長は、本気で会社を良くしようとしている人で、その熱がそのまま空気になっていた。

新規事業づくり、組織づくり、そして最後は人づくりまで。 

語りの順番に、自分の頭の中とよく似た構造を感じた。

 

■ 壁に、明るい言葉が貼ってある

一番面白いなと思ったのは、社内の至るところに、いろんなスローガンが掲げられていたことだった。

「何もしないと、ただの未来がやってくる 何でもやろう、未来を明るくするために」 

「必要は発明の母、違和感は発見の父」

 

そのどれもが、なんというか、説教臭くない。

 

「規律を守れ」「気を抜くな」みたいな、こちらを縛りにくる言葉ではない。 

未来を一緒に描こうよ、という前向きな、ややチャレンジングなトーン。 

 

書き方もオシャレで、目に入った瞬間に読まされているという感じがしない。

これは、結構な発明だなと思った。

 

■ 言葉は、何もしないと流れていく

うちでも、似たようなことをことあるごとに話しているつもりではある。 

ミーティングで言う、発表会で言う、面談で言う。

経営計画書に書く。

でも、流れていく。

 

口で言うだけだと、その場の温度はあっても、翌週にはもう薄まっている。 

社員の頭の中に、輪郭として残らない。

 

言葉は、放っておくと流れていくものなんだなと、改めて思った。

「壁に貼る」というやり方は、単なる装飾ではなくて、言葉を組織の中に留めておくための装置なんだろう。 

しかも、それを説教にしないために、明るく、前向きで、未来を感じさせる書き方をしている。 

そこまでがセットになって、はじめて言葉が空気になる。

 

■ 同じ方向に、本気で熱くなっている人

語ってくれた事業の構想にも、アスクと似た思想を感じた。 

新しい事業を作っていく、多角化していく、そのために人を育てていく。 仕組みではなく、人を起点にしている。

 

社長の言葉の端々から、従業員を本当に大切にしているんだなというのが、ひしひしと伝わってきた。 

壁のスローガンも、オフィスの作り方も、その延長線上にある。 

環境のすべてが、社員に向けた手紙のようだった。

 

業種も、歴史も、ステージも違う。 それでも、同じテーマで、同じくらい本気で熱くなっている経営者が、同じ部屋にいる。 

これは、経営者にとって相当に貴重な時間だなと思う。

 

良い仲間を集めて、本気で育てていく喜び。 

業種も歴史も超えて、多くの経営者が共有している感情なのかもしれない。 

 

そう感じた、三重での一日だった。

社内でAI勉強会が始まった。

きっかけは自分が「勉強会をやってください」と現場に振ったところからだったが、そこから先の動きはほぼ現場発だった。

 

 

「研修みたいな形にするのではなく、実際にどう使っているかをお互いに見せ合おう」という声が上がってきて、今のスタイルに落ち着いている。

参加してみると、想像していたよりずっと気づきが多かった。一人で触っていたら絶対に出てこないであろう発見が、その場のあちこちで起きていた。

 

■ 自分より、良い使い方をしている人がいる

参加してみて一番面白かったのは、自分よりずっと良い使い方をしている人が、隣に普通にいるという事実だった。

たとえばファイルを開くとき、自分はずっと選択メニューから一つずつ選んでいた。それを「左側のエクスプローラーを右クリックすれば一発で開けますよ」と教わって、なるほどと思った。派手な活用事例の話ではなくて、本当にこのレベルの話。

ただ、よく考えてみれば、作業時間の差というのはこういう細かい操作の積み重ねでしか縮まらないわけで、画面のどこをどう触っているかを横で見るのが、結局のところ一番効率的な学習になる。

 

一番効くのは、誰かの手元を見ること。

 

 派手な事例より、地味な操作の共有のほうが、はるかに実務を変える。

 

■ 先生と生徒が、入れ替わる

もう一つ面白かったのは、勉強会の構造そのものだった。

誰か一人が前に立って教える形ではない。 「自分はこう使っています」と発言した人が、その瞬間に先生になる。 別の人が「うちはこうやってます」と続ければ、さっきの先生は生徒に戻る。

ずっと役割が入れ替わり続けている。

 

普段、上司が部下に1対1で教える場面はある。 ただそれだと、一人が教えられる人数には限界がある。 この勉強会はその構造を、複数人に一気に開いた形になっていた。

上司から学ぶより、横の同僚から学ぶ量のほうが、たぶん多い。

 

■ 雑談で起きそうで、起きない

ここまで書いて気づいたのは、これって本来「雑談」で起きてもいい話だということ。

「最近どう使ってる?」 「これ便利だよ」 そういう会話の中で、自然に共有されていてもおかしくない。

でも実際には、起きない。

 

リモートワーク主体のトランビでは当然起きづらい。 ただ、出社しているアスクでも、意外と起きない気がする。

 雑談は雑談で終わってしまって、操作レベルの細かい知見までは降りてこない。

 

だからこそ、構造化して、奨励する。 

時間を取って、画面を見せ合う場をつくる。 

「自然に起きるはず」と思っているものほど、意図的に設計しないと起きない。

 

■ AIの話、というより、組織の話

今回の勉強会は、AIの使い方を共有する場として始まった。 ただ、振り返ってみると、これはAIに限った話ではないなと思う。

 

リモートが進めば進むほど、誰が何をどうやっているかは見えなくなる。 それを「雑談で補おう」と期待しても、補えない。 

構造化された情報共有の場を、明示的に作りにいく必要がある。

 

これは社内に限らず、トランビのようなオンラインのコミュニティ運営にも効きそうな話で、 「あの人はこう使っている」をシェアし合う場が機能すれば、コミュニティ全体の解像度が上がる。

 

経営者がやるべきは、新しい研修プログラムを作ることではなくて、 こういう「自然発生しそうで、しない」場を、ちゃんと仕組みとして置きにいくことなのかもしれない。

 

静かだけど、効きの長い投資だなと思う。

今日は月に一度の委員会報告会だった。

アスクには、若手社員を中心に運営している委員会がいくつかある。 5S委員会、サンキュー改善活性化委員会。 

 

 

普段の事業からは離れた場所で、横断的に活動してくれている。 

月に一度、その活動を全社に報告してもらう日がある。

 

委員会と聞くと、形式的な仕組みに聞こえるかもしれない。

 でも自分の中では、これはアスクという会社の、一番大事な装置のひとつだと思っている。

 

■ 15事業を横串する必要性

アスクは多角化している会社だ。今、走っている事業は15ある。

これだけ事業を抱えていると、放っておけば、人と人が自分の事業の中だけで完結してしまう。 別の事業部の人と何を話していいか分からない、という状態にもなりやすい。

 

だから、事業を横切る「横串」の場の必要性は、他社より明らかに高い。 委員会はその役割の一つを担っている。

 

■ 本丸は、事業ロジックの外側

ただ、自分にとっての本丸は、横串だけではない。

事業成長を語るとき、人はどうしても売上を伸ばす、コストを下げる、利益を上げる、という言葉に寄っていく。 

それは大事だし、当然語らなければいけない。

でも、それだけだと、組織は少しずつ痩せていく気がする。

 

人を育てる

感謝する

コミュニケーションを活発にする

誰かのちょっとした工夫を、見つけて、褒める

 

普段の業務のなかでは、優先順位を下げがちなテーマ。 そこに、あえて場所を作っている。

 

事業の外側に、視点をひとつ置いておく。

 

それが、アスクの委員会の本当の機能だと思っている。

 

■ 若手の挑戦は、「態度」を讃える

委員会には、もうひとつ大事な意味がある。 

若手が、自分の事業の枠を越えて挑戦する場であること。

 

若手が何かを始めるとき、欠けた視点はある。

独りよがりになることもある。 それは当たり前のことだ。

挑戦の最初は、いつでもそんなものだから。

 

だから報告会では、その内容の粗さを指摘するより先に、 挑戦している態度そのものを、ちゃんと讃えたい。

褒める、ということを、もっと大事にしたい。 若手の挑戦の芽は、最初の数ヶ月で決まると思っている。 

そこで「いや、まだ甘い」とだけ言われ続けると、芽は出る前にしぼむ。

ちゃんと、褒める。 組織として、そこは上手くなっていきたい。

 

■ 報告会の光景

今日の報告会も、いいコメントが飛び交っていた。

内容の指摘ではなく、その人がやろうとしていること自体を面白がる目線。 

他事業の人が、自分の文脈で受け取って、フィードバックを返す。

 

ああ、これがうちの良さだな、と思った。

事業の外側にひとつ視点を置いておくこと。 それは遠回りに見えて、結局は組織を強くしているのだと思う。

静かだけど、確実に効いてくる仕組みだなと感じている。

最近、Higgsfield を試している。

まだ15秒という短い動画しか作れない。 それでも、かなり衝撃を受けた。

 

 

試しに作ってみたのは、こんなシーン。 

家族3人でレストランから出て、東京の街を歩いている。 

そこに突然ゴジラが現れて街を破壊する。 

そして3人が、ヒーローみたいに戦う。

子供の頃に頭の中で妄想していたような世界が、本当に映像になって出てくる。

 

■ 頭の中のイメージが、そのまま出てきた

何に驚いたかというと、ほんの短い文章だけで、自分の中にあった絵がそのまま映像になる感覚だ。

もちろん細かく見れば、荒さもある。

 それでも、それ以上に 「イメージしたものが、そのまま外に出てくる」 という体験のほうが面白かった。

昔だったら、こういうものを作ろうと思ったら、映像制作会社、CG、編集、莫大な時間とコストが必要だった。 

それが今は、短いプロンプトを書くだけで、ある程度の形になってしまう。

この変化は、かなり大きい。

 

■ 想像できることは、創造できる

最近どこかのSNSで読んだ「想像できるものは実現できる」という言葉を思い出した。

AIは便利ツールというより、想像力を増幅する装置 に近いのかもしれない。

 「何を作りたいか」「どんな世界を見たいか」さえ自分の中にあれば、昔より圧倒的に小さいコストで形にできる。

想像することと、創造することの距離が、急に縮まってきている。

 

■ 記憶力から、想像力へ

これまで自分たちが競ってきたのは、記憶力や器用さや正確さだったと思う。 

学校でも、仕事でも、「どれだけ知っているか」「どれだけ間違えずにこなせるか」が、評価の軸だった。

 

でも、これからはそこじゃない気がしている。

 

問われるのは、もっと手前の力。 

何を見たいか。 

どんな世界を描きたいか。

どんな体験を、まだ世の中にない形で表現したいか。

 

知識や正確さの領域は、AIがどんどん肩代わりしてくれる。 

そのぶん、その手前にある 「想像する力」 が、本当に価値を持つ時代になっていく。

時代が求める能力そのものが、静かに変わってきている。

 

■ 想像力をどう鍛えるか

そう考えると、これからの自分や会社に必要なのは、知識を増やすこと以上に、想像力を鍛えること なのかもしれない。

子供の頃に妄想していたような世界。 

映画みたいな世界。

 ゲームみたいな世界。

 

そういうものを、少しずつ自分の手で作れる時代になってきている。

 

何を見たいか。 どんな未来を描きたいか。

その問いを、自分にも、会社にも、もう少し丁寧に投げかけていきたいなと思う。