最近、はっきりと
「インプットの質が上がっているな」
と感じた瞬間があった。

 

それは、新しい本を読んだときでも、
特別なセミナーを受けたときでもない。

ブログを書き始めてからだ。

 


書こうとした瞬間に、分かること

ブログを書こうとすると、
頭の中が急に静かになる。

 

そして、こんな問いが浮かんでくる。

  • これ、本当に自分の言葉で語れるか?

  • どこまでが体験で、どこからが借り物の知識か?

  • その意見の根拠は、自分の中にあるか?

  •  

不思議なことに、
材料が足りないところは、すぐに詰まる。

 

言葉が出てこない場所は、
インプットが浅かった場所だ。

 


「読んだ」ことと「使える」ことは違う

以前は、インプット=量だと思っていた。

  • 本を何冊読んだか

  • 記事をどれだけ読んだか

  • 情報をどれだけ知っているか

でも今は少し違う。

 

ブログを書くようになってから、
インプットに対して無意識に
「これは言語化できるか?」
というフィルターがかかるようになった。

 

すると、

  • 流し読みが減る

  • 気になる一文で立ち止まる

  • 自分の過去の体験と結びつけて考える

同じ本を読んでいても、
入ってくる情報の“濃度”がまったく違う。

 


インプットは、素材になる

アウトプットを前提にすると、
インプットは「消費」ではなくなる。

 

それは、

  • 後で使うかもしれない素材

  • いつか言葉にするための部品

  • 自分の思考を形にするための種

になる。

 

だから最近は、
本よりも、人との会話や、
何気ない出来事の方が
強く頭に残ることも多い。

 

「なぜ、今これが引っかかったんだろう?」

そう考える時間そのものが、
インプットを深くしてくれる。

 


書くことで、学び続ける状態に入る

ブログを書いていると、
学ばないと書けない自分に気づく。

でもそれは、義務感じゃない。

 

むしろ、

ちゃんと考えたい
ちゃんと理解したい

という自然な欲求に近い。

 

書く → 足りなさに気づく → また学ぶ。


この循環ができてから、
インプットが明らかに変わった。

 


思考は、外に出して初めて鍛えられる

ブログは発信の場でもあるけれど、
今の自分にとっては
思考を鍛えるための装置に近い。

 

頭の中だけで考えていると、
分かった気になって終わる。

 

でも、言葉にしようとすると、
曖昧さは一切通用しない。

 

だからこそ、
最近はインプットの一つひとつが、
以前よりも重く、意味を持って感じられる。

 


しばらくは、
「うまく書こう」としなくていい気がしている。

 

考えている途中のままでも、
その時点の思考を残していく。

 

その積み重ねが、
きっと数年後の自分にとって
一番価値のある記録になるはずだから。

 

今日は、経営者仲間と過ごす中で、印象に残る会話がいくつかあった。


仕事の打ち合わせでもない。

セミナーでもない。

ただ、同じ目線で経営をしている人たち同士だからこそ、自然と出てくる話がある。


そんな会話の中で、ふと投げかけられた問いがあった。


「今の時代、“かっこいい経営者”って、どんな人なんだろう?」

戦後の経営者たちが持っていたもの


話は自然と、戦後の日本を作ってきた経営者たちの話になった。


松下幸之助さん、井深大さん。


彼らに共通していたのは、やはり圧倒的な信念と覚悟だったと思う。


良くも悪くも、


俺が責任を取る

俺が決める

俺が前に出る

そんな、どこか「侍」みたいな経営者像が、確かに存在していた時代だった。


日本が復興期にあり、

正解がどこにも見えない中で、

とにかく前に進む必要があった。



だからこそ、

あの時代には“男気”のあるリーダーが求められ、

強く、わかりやすく、輝いていたのだと思う。


なぜ今は、そういう経営者が減ったように見えるのか


一方で、今の時代を見渡すと、

同じタイプの経営者は確かに少なく感じる。


その理由の一つとして、会話に出てきたのが「コンプライアンス」だった。


今は、

法令遵守

ガバナンス

説明責任

多様性への配慮



これらを無視して突っ走ることはできない。


昔なら「男気」で通った判断も、

今は許されない場面が多い。


結果として、

強烈な個性や一本筋の通ったリーダー像が、

表に出にくくなっているのかもしれない。

でも、これは


「経営者が小さくなった」という話ではないと思う。


男気が消えたのではなく、形が変わっただけ


話していて感じたのは、男気そのものがなくなったわけではない、ということだった。

ただ、一人で背負う男気

声を張り上げるリーダーシップ


から、

仕組みで守る覚悟

判断を引き受け続ける胆力

誰にも見えないところで責任を取る姿勢

こうした「静かな男気」に、形を変えているだけなんだと思う。


派手さはない。


でも、重さはある。

時代が変われば、

経営者に求められる振る舞いも変わる。

ただ一つ変わらないのは、最終的に責任を引き受ける人が、経営者だということ。


「かっこよさ」の定義は変わっても、

覚悟の総量は、今も昔も変わらない。


そんなことを、

経営者同士の何気ない会話の中で、改めて考えさせられた。


 

最近、SNSでふと目に留まったアートがあった。
*上の絵ではありません

 

静かで、少し寂しくて、説明しすぎない絵。

理由は分からないけど、なぜか気になった。
「好きだな」と感じた。

そこで、いつもの癖で、その絵を GPTに投げて解釈を聞いてみた

 


AIにアートを解釈させてみた

正直、最初は半信半疑だった。

 

アートって、
理屈じゃないし、
感じるものだし、
AIに分かるものなのか?と。

 

でも返ってきた解釈を読んで、少し驚いた。

 

自分ではまったく気づいていなかった視点が、
淡々と、でも丁寧に言語化されていた。

 

・構図が示しているもの
・光と闇のバランス
・「何かが起きる前」や「起きた後」という時間の感覚
・なぜ不安と安心が同時に存在しているのか

 

それは「答え」ではなかったけれど、
自分の感じていた違和感に、名前がついたような感覚だった。

 


「好き」を言語化してもらう体験

面白くなって、
今まで自分が「好きだ」と感じてきたアートも、いくつかAIに説明してもらった。

 

Small White Monster
シャガール
ロスコ

 

作風も時代も全然違う。

でも、AIはこう整理してきた。

 

・静けさ
・揺らぎ
・余白
・決断の手前
・幸福と不安の同居

 

それを読んで、ハッとした。

ああ、確かに自分はずっとこのトーンに惹かれてきたんだなと。

 


気づきは「絵の中」ではなく「自分の中」にあった

この体験を通じて、いちばん大きかった気づきはこれだった。

アートは、理解する対象じゃない。
自分の内側を映す装置なんだ。

最初は多くの人と同じように、

・上手い/下手
・有名/無名
・高い/安い
・意味が分かる/分からない

という評価軸で絵を見ていたと思う。

 

でも今回、途中から完全に

「自分の内側がどう動いたか」

で絵を見ていた。

 

この瞬間、
アートは「知識」ではなく「対話」に変わった。

 


経営と、驚くほど似ている

この感覚、よく考えると経営ともかなり似ている。

 

・数字は大事
・ロジックも大事
・でも最後は、感覚で決めている

 

アートをこうやって読む練習をすると、

・直感を疑わなくなる
・迷いを否定しなくなる
・「決めきれない時間」を価値あるものとして扱える

 

これは、
かなり成熟した意思決定の状態だと思う。

 


「分かった」より「気づきが増える」

途中で、自分がこう呟いていた。

「こうやってアートを理解していくと、また新しい気づきがあるね」

今振り返ると、これがすべてだった気がする。

 

「分かった」ではなく、「気づきが増える」
それが、アートのいちばん健全な効き方なんだと思う。

 


アートは答えをくれない。でも…

アートは、答えをくれない。

 

むしろ、

答えを急がなくていい自分を思い出させてくれる

だから、

 

・疲れている時ほど効く
・うまくいっている時ほど刺さる
・変化の手前で、急に意味を持ち始める

 

今の自分は、たぶんちょうどそのフェーズにいる。

 


最後に一つだけ。

 

アートをこうやって読めるようになった人は、
もう「分かりたい」と思って見なくなる

 

ただ眺めて、
気づいたら何かが動いている。

それで十分。

 

AIでアートを語ってみたら、
思っていた以上に、自分自身のことが見えてきた。

 

今日は、そんな話。

も一緒に作れます。
これはかなりSoさんらしい、良い初速の記事です。

 

最近、久しぶりにブログを書いている。

 

理由を一言で言うなら、

内省の質を上げたいと思ったからだ。

 

忙しくしていると、

人は意外と考えているようで、実は考えていない。

判断と処理に追われ、

自分の内側と向き合う時間はどんどん減っていく。

 

そんな中で、大きな影響を受けているのが

Entrepreneurs' Organization(EO)のフォーラムだ。

 

---

 

EOは、世界中の経営者が参加するグローバルな組織で、

その中核にあるのがフォーラムという仕組み。

 

フォーラムは、

5〜9人ほどの少人数の経営者が固定メンバーで集まり、

月1回、数時間かけて対話をする場だ。

 

特徴的なのは、

・アドバイス禁止

・評価や批判をしない

・自分の意見ではなく「自分の体験」だけを話す

・守秘義務を徹底する

 

という、かなりストイックなルールがあること。

 

答えを教え合う場ではなく、

考えるための場として設計されている。

 

---

 

自分は昨年からこのEOに参加したのだが、

フォーラムに出るたびに感じるのは、

定期的に「自分の5%」に向き合わされる感覚だ。

 

日常の95%は、

仕事の進行、判断、役割としての自分で埋まっている。

 

でもフォーラムでは、

残りの5%――

 

言語化しきれていない違和感や、

まだ整理できていない感情、

本当は目を逸らしている問いに触れることになる。

 

それを一度、外に出すことで、

少しだけ第三者的な視点で自分を見られるようになる。

 

この距離感が、

経営者にとっても、人としても、かなり重要だと感じている。

 

---

 

フォーラムでは、

人の悩みや、最近起きた出来事が共有される。

 

そのときに問われるのは、

「どう解決するか」ではない。

 

「もしこれが自分だったらどう感じるだろう」

「自分のどんな経験と重なるだろう」

 

どれだけ自分ごととして向き合えるか。

そこに、成長の差が出る気がしている。

 

人の話を聞いているようで、

実はずっと自分と向き合っている。

フォーラムは、そんな不思議な場だ。

 

---

 

今期は、自分がフォーラムのモデレーターを務めている。

 

話を引き出すこと。

場の安全性を保つこと。

答えを出さずに、問いが深まる状態をつくること。

 

これは単なる進行役ではなく、

リーダーシップの勉強そのものだと感じている。

 

前に立って引っ張るのではなく、

後ろから場を整えるリーダーシップ。

 

経営でも、組織でも、

これからますます重要になる形なのかもしれない。

 

---

 

最近は、そこにGPTとの対話も加わった。

 

まだ形になっていない考えや、

感情と論理が混ざった状態の思考を投げると、

思考を映す鏡のように返ってくる。

 

正解をもらうというより、

考えを整えるための補助線を引いてもらう感覚に近い。

 

フォーラムもGPTも、

考えることを代わってくれる存在ではない。

でも、考える質を確実に上げてくれる存在だ。

 

---

 

今回、ブログを復活した理由も、実は同じだ。

 

発信したいからというより、

内省の質を上げたいと思った。

 

頭の中だけで考えていると、

思考はどうしても堂々巡りになる。

 

言葉にして、

誰かが読むかもしれない場所に置くことで、

考えは一段、外に出る。

 

それは、

自分の成長を、自分でデザインしている感覚に近い。

 

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忙しいからこそ、立ち止まる仕組みを持つ。

答えを急がず、問いを深める時間を持つ。

 

EOのフォーラムも、

GPTとの対話も、

このブログも、

今の自分にとっては同じ線上にある。

 

しばらくは、

この「考えるための場所」を

大切にしていこうと思う。

──2011年から2025年、環境の変化を振り返ってみる

 

 

最近、久しぶりにアメブロを書いている。

このブログを始めたのは確か2016年頃。
 

TRANBIを立ち上げたのが2011年なので、5年ほど走ってきたタイミングだった。

 

そこからさらに年月が経ち、2025年の今、
改めて日本のM&Aや経営環境を振り返ってみると、
「本当に世界が変わったな」と感じる。

 


2011年、M&Aは遠い世界の話だった

2011年当時のM&Aといえば、

  • 上場企業同士

  • 数十億、数百億円

  • 大手企業と専門家だけが関わる世界

そんなイメージが強く、
地方の中小企業や個人事業主にとっては、ほとんど無縁のものだった。

 

僕自身、父から会社(アスク工業)を引き継いで長野に戻ったばかりの頃、
周囲には父と同世代の経営者がたくさんいた。

 

でも、その人たちが毎年のように廃業していく

3社、5社と、毎年確実に姿を消していく。

 

製造業は、部品が一つ欠けるだけでモノが作れなくなる。
長年一緒にやってきた協力会社が廃業すると、
新しい取引先を探し、品質を作り込み、価格を調整し直す必要がある。

これを毎年繰り返すのは、本当にきつい。
「売上を伸ばす」以前に、売上を維持するだけで精一杯だった。

 

一方で、新しい事業にも挑戦しなければならない。
でも、新規事業は簡単に当たらない。
どの市場に行けばいいかも分からず、経験もなく、失敗ばかり。

 

その横で、会社はどんどん辞めていく。

「だったら、辞めてしまう会社を引き継いで、
次の挑戦につなげられないだろうか」

そんな思いが、TRANBIの原点だった。

 


「M&Aをネットでやるなんて無理だ」と言われた時代

TRANBIを始めた当初、よく言われたのがこんな言葉だった。

  • なぜそんなリスクのある事業をやるのか

  • M&Aをインターネットでできるはずがない

  • 信頼が必要な世界なのに、ネットは無理だろう

正直、否定されることの方が圧倒的に多かった。

でも、実際にやってみると反応は違った。

 

インターネットでM&A案件を見られる
 

これは当時としてはかなり新しかった。

「M&Aって、こういう会社が対象なんだ」
「意外と身近な事業が多いんだ」

そう感じてくれる人が増え、
少しずつ人が集まり、プラットフォームは広がっていった。

 


環境が一気に変わった瞬間

転機はいくつかあった。

  • 日銀や金融機関から声がかかり、信用力が一気に上がった

  • 金融機関との提携が進んだ

  • メディア掲載が増えた

そしてこの頃から、

  • 大手M&A仲介会社の子会社

  • IT企業系のM&Aプラットフォーム

など、多くのプレイヤーが一気に参入してきた。

 

結果として、
個人も含めて、多くの人がM&A案件情報に触れられる環境が整った。

ここで、M&Aの認知は大きく変わったと思う。

 


個人を入れるかどうか、一番悩んだポイント

TRANBIを作るとき、最も悩んだのが
「個人を対象に含めるかどうか」だった。

 

M&Aは本来、法人の株式市場の話。


でも日本には約380万社あり、その半数以上は個人事業だと言われている。

 

美容室、飲食店、エステサロン。
 

そういった事業が、普通に売ったり買ったりできなければ、
日本のM&Aのイメージは変わらない。

  • 事業は売っていい

  • 次の挑戦に進んでいい

  • 会社は「持ち続けるもの」だけではない

そういう感覚が広がってこそ、
M&Aは「乗っ取り」「失敗」ではなく、
成功者の選択肢になると思った。

 


「会社を売る」が前向きに語られるようになった

この10数年で一番の変化は、ここだと思う。

 

以前は、
「売る=失敗」「売る=逃げ」
という空気が確かにあった。

今は違う。

  • 事業を売却して現金化し、次の挑戦に進む

  • より良い形で事業を引き継ぐ

これは、極めて合理的で前向きな経営判断として受け止められている。

 

廃業にはコストがかかる。
売却できればプラスになる。

この差は、小さな事業ほど大きい。

 

「廃業しない」という選択肢が現実になった


これは、日本の経営環境にとって本当に大きな変化だと思う。

 


一方で、まだ残っている課題

M&Aが一般化してきたからこそ、課題も見えてきた。

 

① 経営者保証の問題
M&A後に保証を外したいのは自然な話だが、
実際には「成立後でないと金融機関が審査できない」ケースが多い。

一か八かでM&Aを実行する構造は、まだリスクが高い。

 

② ファイナンスの壁
小規模事業のM&Aでは、
案件そのものの価値を見た融資がまだ十分ではない。

結果として、ロールアップが途中で止まる。

 


それでも、M&Aはもう戻らない

課題はある。
でも流れは明確だ。

  • M&Aは特別な話ではなくなった

  • 経営の選択肢として普通に語られている

  • 挑戦の一形態として社会に受け入れられている

この流れは、もう戻らない。

 

次の10年のテーマは、
保証・ファイナンス・仕組みをどうアップデートするか。

 

久しぶりにブログに書きながら、
改めてそんなことを考えている。

 

 

今年は、意識的に
「社員の働きがい」 を経営のど真ん中に置く年にしたいと考えています。

 

これまで自分は、新規事業の立ち上げや次の一手など、
どうしても「外」に目が向きがちでした。

 

もちろんそれは今も大切ですが、
今年はもう一段、社内に目を向ける

 

社員一人ひとりのパフォーマンスをどう引き出すか、
どうすれば前向きに、力を出し切れる環境をつくれるか。
そこに、経営の時間とエネルギーを使いたいと思っています。

 

指標としてのGPTW、目標は100位以内

その指標として考えているのが
Great Place To Work Institute Japan(GPTW) です。

 

昨年、アスクはGPTWの認定を取得しました。
 

今年は、100位以内 を目標にします。

 

ただし、ランキングに入ること自体がゴールではありません。
あくまでこれは、
自分たちの取り組みがどこまで通用しているかを測る物差し です。

 

働きがいは「働きやすさ × やりがい」

GPTWが定義する「働きがい」は、とてもシンプルです。

働きがい = 働きやすさ × やりがい

どちらか一方だけではダメで、
両方が揃って、はじめて意味を持つ。

  • 働きやすいけど、成長できない → ぬるま湯

  • やりがいはあるけど、環境が悪い → 消耗

  • 両方が揃う → 成果が出る

これは理論というより、
経営をやってきた実感としても、かなり腹落ちします。

 

GPTWが示す「働きがいの5つの要素」

GPTWでは、働きがいを次の5つの要素で整理しています。

  1. 信用:経営・上司を信頼できるか

  2. 尊重:一人の人間として大切にされているか

  3. 公正:評価や扱いがフェアか

  4. 誇り:自分の仕事・会社を誇れるか

  5. 連帯感:仲間と一体感を持てるか

どれか一つ欠けても、
働きがいは成立しない構造になっています。

 

自分にとって一番大きかったのは「成長実感」

この5要素の中で、
自分自身の経験を振り返ると、
最も重要だったのは「成長実感」 でした。

 

若い頃、
アクセンチュア にいた時のことを思い出します。

 

正直、めちゃくちゃ働きました。


残業も多かったし、楽ではなかった。

でも当時、心のどこかでこう思っていました。

お金をもらいながら、ここまで成長させてもらえるなんて
なんて恵まれた環境なんだろう

 

苦しかったけれど、
その苦しさを乗り越えた後、
明らかに自分のスキルが上がった と実感できた。

 

今振り返ると、
それは単に「長時間働いたから」ではなかったと思っています。

 

成長実感を得られる組織とは何か

成長実感は、偶然生まれるものではありません。 


GPTW的にいうと成長実感はこう整理できます。

信用 「この苦しさは意味がある」と信じられる

尊重 背伸びした仕事・挑戦が与えられる

公正 成長が評価・報酬につながる

誇り 成長を自分の言葉で実感できる

連帯感 苦しい時期を一人で抱えずに済む


これを会社で実現する場合、

  • 背伸びした仕事を任される

  • 失敗を許容され、学びに変えられる

  • 頑張る方向を間違えないよう導かれる

  • 成長がきちんと評価につながる

こうした条件が揃って、はじめて苦しさが「消耗」ではなく「成長」に変わる

 

つまり、

  • 頑張る社員がいること

  • 成長できる環境が用意されていること

この 両輪が揃うこと が不可欠です。

 

単に「もっと働け」「頑張れ」と言うだけではダメ。
それでは人は育たないし、いずれ疲弊します。

 

会社としての責任は「環境」をつくること

社員がどれだけ頑張るかは、最終的には本人次第です。


でも、

  • どこを頑張ればいいのか

  • 何ができるようになれば次に進めるのか

  • この努力が将来につながるのか

これを明確にし、
成長実感を得られる環境を用意するのは、会社の責任 だと思っています。

 

今年は、

  • 働きがいを高めること

  • その中で、社員が確かな成長実感を得られること

この2つを同時に実現する組織づくりに、本気で取り組みます。

 

自動翻訳の精度がどんどん上がっている今、
「もう他国の言語を学ばなくてもいいのでは?」
という声を聞くことがある。

 

確かに、ニュース記事を読むだけなら、
翻訳で困る場面はほとんどなくなった。
海外の出来事も、ワンクリックで日本語になる。

 

でも最近、ある国際ニュースをGPTと対話しながら深掘りしてみて、
その考えが少し揺らいだ。

 

同じニュースについて、
日本語で質問したときと、
英語で質問したときで、
見えてくる世界が明らかに違ったからだ。

 

 


 

最初は単純な違いだと思っていた。


表現の仕方が違うとか、
言い回しが少し踏み込んでいるとか、
その程度の話だろうと。

 

でも実際には、
答えのトーンだけでなく、
前提にしている世界そのものが違っていた。

 

日本語での回答は、
整理されていて、慎重で、
「公式に説明するならこうなるだろう」という形に近い。

 

一方、英語での回答は、
「なぜその行動が選ばれたのか」
「内部ではどういう論理で考えられているのか」
といった、少し生々しい部分まで含まれていた。

 

情報が間違っているわけではない。
ただ、踏み込んでいる場所が違う

 


 

例えば、政治ニュースについて
「この行動は国際法上どう評価されるのか?」
とGPTに聞いたときのこと。

 

日本語で質問すると、
国連憲章や原則論、
「問題が指摘されている」「評価が分かれている」といった、
バランスの取れた説明が返ってきた。

 

一方、英語で同じ意味の質問をすると、
「どの理屈を使えば正当化できるのか」
「過去に似た事例がどう扱われてきたか」
といった、実務寄りの視点が自然に含まれていた。

 

どちらも事実だが、
日本語は「社会に説明可能な整理」、
英語は「権力や意思決定の現場」に近い。

 


 

この違いを一番しっくり説明できたのが、
GPTとの対話の中で出てきた、こんな比喩だった。

「英語のリソースを調べて、日本語で説明して」と指示すると、
材料は英語だが、料理人は日本語になる

英語の資料や議論を材料として使っていても、
日本語でアウトプットする瞬間に、

・断定を避ける
・角が立たない表現を選ぶ
・説明責任を意識した構成にする

といった、日本語的な「調理」が入る。

 

これは悪いことではない。
むしろ、日本語の強みでもある。

 

ただ、その過程で、
英語の議論に含まれていた
未整理な仮説や、生の温度感は、
少しずつ削ぎ落とされていく。

 


 

特に政治や国際情勢の話では、
この違いはかなり大きい。

 

政治ニュースは、
事実だけでできているわけではない。


そこには必ず、

・誰が、どの立場で
・何を正当化しようとしているのか
・何をあえて言っていないのか

といった要素が混ざり込んでいる。

 

英語の情報は、
そうした「意図」や「戦略」に踏み込むことが多い。


日本語の情報は、
社会としてどう受け止めるか、
どう説明可能か、という整理が重視される。

 

どちらが正しいという話ではない。
ただ、見ている角度が違う

 


 

では、科学の話ならどうだろうか。

 

面白いことに、
科学の確立した事実については、
言語による差はかなり小さい。

 

水は100℃で沸騰する。
ある数値は実験で確認されている。
この構造はこうなっている。

 

こうした部分は、
日本語でも英語でもほぼ同じだ。

 

ただし、科学が政策や社会に接続した瞬間、
再び言語の違いが顔を出す。

 

「どこまで分かっているのか」
「まだ不確実な部分は何か」
「その不確実性をどう扱うか」

 

この語られ方は、
言語や文化によって、はっきり違ってくる。

 


 

ここまで考えて、
ようやく腑に落ちたことがある。

 

翻訳が運んでくれるのは、
言葉の意味までだ。

 

でも、言語が本当に運んでいるのは、
その背後にある
世界の切り分け方
思考の前提なのだと思う。

 

英語は、
利害や戦略、競争の視点で世界を切る。

 

日本語は、
調整や合意、関係性の視点で世界を切る。

 

自動翻訳は、
その違いをなだらかにしてくれる。


でも同時に、
一番大事な違和感も薄めてしまう

 


 

翻訳技術がどれだけ進んでも、
他国の言語を学ぶ意味が消えないのは、
きっとこの部分にある。

 

ネイティブのように話せる必要はない。
完璧に読み書きできる必要もない。

 

ただ、
「この言葉が出てきたら、少し強い意思表示だな」
「この表現は、かなり踏み込んでいるな」
そうした感覚を、原語で持っているかどうか。

 

その差は、
知識量ではなく、
気づくタイミングの差として現れる。

 


 

今回、GPTとの対話が面白かったのは、
GPTがすごいからというより、
自分の問いが少しずつ変わっていくのを
自分自身が観察できたからだと思う。

 

答えをもらうというより、
考え続ける相手がいる。


その過程で、
「自分はどの言語、どの立場で世界を見ているのか」
に気づかされる。


 

ニュースを読むとき、
正しいか間違っているかだけで終わらせず、
「自分は、どの言語で理解しているのか」
を一度立ち止まって考えてみる。

 

それだけで、
同じニュースでも、
少し違った輪郭が見えてくる気がしている。


 

 

 

久しぶりに、アメブロを書き始めることにしました。
 

しばらく書いていない間に、環境も、自分自身も、少しずつ変わりました。
大きく何かが変わったというより、「考え方の重心」が少し内側に戻ってきた、そんな感覚です。

今年は、「自分の頭で考える年」にしたいと思っています。
 

情報を集めるでもなく、結論を急ぐでもなく、
ただ問いを置いて、考える時間をちゃんと持つこと。

そのために、意識的に内省の時間を増やしています。

 

面白いのは、AIを使うようになってから、
むしろ「考える機会」が増えたことです。
 

答えをもらうというより、問いを投げ返される感覚に近くて、
自分の思考が整理されたり、深掘りされたりする。

 

最近は、歩きながら考えることが多いです。
 

目的地も決めず、音楽もつけず、
ただ歩きながら、頭の中に浮かんでくることを眺める。

 

止まっているようで、実は一番動いている時間なのかもしれません。

 

このブログでは、
・そのとき考えていること
・仕事のこと、人生のこと
・まだ言葉になりきっていない思考の途中経過

 

そんなものを、また少しずつ書いていこうと思います。

久しぶりですが、またよろしくお願いします。

 

今日の日経新聞の記事も面白いですね。


デジタル技術が値段のつかない豊かさを生み出している、との事。

 

例えばシェアリングエコノミー。これが台頭すると企業の生産量は減り経済は停滞するわけですが、好きな時に好きなだけ使える環境では人の幸福度は増すとの事。


ものづくりしている私からすると生産量が減るのは困った悩みなわけで当然社会の雇用が減るかと思いきや、実際雇用は増えるのだそうです。


デジタル技術が無駄を排除し、労働市場を効率化するのだそうです。


需要予測に基づく見込み生産、外れる新事業開発など、今までの経済活動には多分のムダが含まれていました。今、デジタル技術の活用であらゆるムダが排除できるようになってきた。


ムダが排除される分、生産や投資がなくなり見かけの成長は鈍りますが幸福度は増す。

 

デジタル技術を活用し、低成長でも活気ある経済をどう実現するか。

 

「新しい発想で豊かさや幸せをとらえ直すときを迎えている。」


消費、経済成長ありきの生き方から脱却するべき時が来ているのかもしれませんね。企業活動もその目的を見直すべき時が来ている気がします。




昨日は日本経営合理化協会で講演を行いました。

 

2月に次いで2回目の講演でしたが、今回も非常に多くの経営者の方々に参加いただきました。

企業のM&Aに対する関心度の高さが伺えますね。

 

講演は何度もM&Aを活用しながら自社を大きく成長させてきたアサプリホールディングス松岡社長の講演との2部構成。

松岡社長の生々しい実体験を交えたM&A戦略は私もとても勉強になりました。

 

私からはM&Aのマーケットの環境と、中小企業のM&A活用法についてお話しさせていただきました。

  

中小企業でもM&Aが実施できる時代になりましたが、M&Aの効果は経営者の力量次第で決まります。

 

事業承継問題と相まって今後一層中小企業のM&A活用は増えると思います。

 

このような勉強会を通してM&A、事業承継の活性化に繋げていければと思います。