京都の旅 その2 きぬかけの路 そして 二条城へ | おばあちゃんと 一緒に

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遠く忙しく暮らす子供達に、健康でいる証として60才代で始めたブログ、
しかし娘親子と同居、孫と付き合う日々、 孫達も成長し、とうとう私も70歳代になりました。そして2021年80歳になり、娘親子は独立し、また夫と二人暮らしになりました。

二日目

10月10日

ジイジーの京都の旅の一番の目的である龍安寺の蹲踞を見る.

 宿の四条大宮から歩いて6分位の堀川通のバス停から金閣寺へ

 

金閣寺→堂本印象美術館→龍安寺→仁和寺→二条城→宿

 

この道は 1015.年12月にクラブノのメンバーと旅をした こちら

「きぬかけの路」

 

バス停から歩いて金閣寺に向かった

 

拝観料を収めると 御札をくれる

 

 

金閣寺から歩いて

 

堂本印象の美術館へ

生誕125周年の特別展が開催されていた

この美術館の内装外装は堂本印象自らデザイン

したものだそうですが日本画家と思ええない斬新な

デザインで館内に入ると 日本画家らしい絵 

 抽象的な絵と色々の幅の広い絵、彫刻まであり

椅子までも堂本印象がデザインしたもの 美術館

丸ごと堂本印象の芸術の世界だった

 

 

龍安寺

細川勝元が(1450年)に創建した禅寺

 

玄関に入ると大胆に書かれた字が目についた

 

「うんかん」

 玄関の事だそうで 、    

 

「きをつうず」

意味は

萬物が育つための根源力(生命力)

「宇宙の萬物を生成する霊的な質」と言った

意味がある。

「通気がよい」などと解釈するのはまちがい

ましてここは玄関 「通る気」などとよむのは

言語道断

 

石庭を見る観光客

 

 

「蹲踞」を見に廊下を行くジイジー

 

蹲踞は水戸藩主の徳川光圀公の寄進によると言われる


「吾唯知足」 「吾れ唯だ足ることを知る」

 

「知足のは貧しいといえども富めり

不知足のものしは富めりといえども貧し」

という禅の格言を謎解き風に図案化したもの

 

 

鏡容池(きょうようち)

 

 

 

古都の景観を保っている道と書いてあった

風情がある下り坂のみち

 

 

仁和寺

886年 光孝天皇の勅願で建てられ始めたが、翌年崩御し

宇多天皇によって888年に落成した。

 

 

 

黒書院

襖絵は堂本印象が

1931年昭和6年、宇多天皇一千年、弘法大使

一千百年御忌の事業のときに描いたもの

 

 

 

 

鉢植えのフジバカマの花に蝶が舞っていた

 

五重塔」

神社

 

仁和寺まで予定より早く観終わったので

二条城を見る事にしバス停で二条城までの行き方を

地図で探していると。「どちらまで」と男の方が声を掛けてくださった

行き方を教わり二条城に着いた。バスを下りて方向が分からず

山で使う磁石がここで役にったった

締め切り寸前16時5分前に入れた

 

 

二条城

徳川家康が京都宿泊としてつくった城

 

 

 

中に入ってゆっくり見ていたら係りの人が

「御庭も広いし40分は掛かりますよ」

と言われてしまいました

足早に観ることにし

 

 

天守閣があったところ

遠くに比叡山が見え 京都の町が眼下に見える 

城外でて

夕日が白い壁を照らして 、高校時代の修学旅行で

見た二条城の印象そのものだった 

夕暮れになった京都の町の細い路地を歩いて

ホテルに着いた、