熊野古道 :熊野三山と高野山  そのNO2 熊野本宮大社  高野山 | おばあちゃんと 一緒に

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遠く忙しく暮らす子供達に、健康でいる証として60才代で始めたブログ、
しかし娘親子と同居、孫と付き合う日々、 孫達も成長し、とうとう私も70歳代になりました。そして2021年80歳になり、娘親子は独立し、また夫と二人暮らしになりました。

三日目
熊野本宮大社からバスで発心門王子まで行き 
熊野古道を歩き熊野本宮大社をめざします

熊野本宮大社  こちら

バス


発心門王子バス停で下りて
世界遺産   「熊野参詣道中辺路」  


案内板


発心門王子



水飲み王子跡


段の茶畑

見晴らしがいいところ
果無山脈 の説明版がありました。
富士山のようなのは百前森山(三里富士)782.7

伏拝王子の前の休憩所が見えました
ここでコーヒータイム




お茶が終って茶屋を出たところで、茶屋の隣の御当主さん
が出てきて
 「家はNHKの朝の連続どらま ほんまもんのロケに使われた」
 といって 色々と説明してくれました

伏拝王子の石祠と和泉式部の供養塔

泉式部が熊野詣でをした時 伏拝ふきに来たとき 
月の障りとなった。これで本宮参拝が出来ないと諦め
遠くに見える熊野本宮の森を拝んで歌を一首詠んだ
「晴れやらぬ身のうき雲のたなびきて月のさわりと
なるぞかなしき」
するとその夜、式部の夢に熊野権現が現れて
「もろともに塵にまじはる神なれば月のさわりもなにか
くるしき」
こう返歌したので、泉式部は参詣できたという話があるそうです


彼方に熊野本宮を見る


「ほんまもん」に使われた屋敷の当主は

ロケに使われた屋敷を登ったり下ったりして説明し
「ここから見る三里富士がだいすきなんや  
朝な夕なに見るけどいいとこや」
「赤城山はこっちのほうや、 赤城山の方を背に記念撮影や」 


など言ったあと

メンバーの右手を持って 手のひらと指を熊野古道の地理に
見立てて熊野古道を説明してくれました 
とっても分かりやすかったです
そして案内が終ると途中まで見送ってくださいました
ありがとうございました

「ほんまもんのロケに使われたという屋敷の全景」


祓殿王子跡


熊野本宮大社につきました (裏の鳥居)




八咫烏(やたからす)こちら 

熊野のでは 神の使者と言われる 。三本足は天 地 人を表し
サッカー協会のマークも八咫烏

158段の石段を下りる


大斎原(おおゆのはら)
「熊野川、音無川 、岩田川の合流点の中州」
ここに鎮座していたが明治22年の大供水があり流され
現在のところに移った




谷瀬の吊り橋
十津川にかかる日本でも長い吊り橋、生活道で
小学校の通学道にもなっている




今夜の宿
高野山  福智院 
屏風が見事の部屋で  精進料理の夕食を頂きました

  

四日目
高野山へ

福智院の庭園を朝見物して


朝の精進料理              福智院の前で

高野山は紅葉見事でした



女人堂こちら


女人堂

金剛峰寺


天水桶
屋根に桶が これは 防火水

根本大塔



三鈷の松
806年弘法大師が唐から帰国されるさい、にほんで密教を広めるため
聖地を探し 明州(寧波市)の港から密教の法具の「三鈷杵さんこしょう」を
投げました
帰国後その三鈷杵を探したところ この松にかかっていた
そして高野山を真言密教を広める道場の場とした
普通 松の葉は二葉か5葉 ですが 「三鈷の松」は 三鈷杵との様に
三葉」になっている。   説明版の概略

三葉を探してるメンバー


三葉



織田信長の墓所
苔むしていた 


巨木の杉の木苔むした 墓石 
 命の尊さと 生きる力を感じました

天空の天地に広がるような膨大な高野山を最後に詣で
熊野古道歩きは終わりました
クラブのメンバー、古希の人達の古希山行にご一緒させて頂き
熊野三山 と高野山を詣でることが出来ました
歴史の重さ  尊さ を 感じた旅になりました。

りーダー―始め 同行の皆様 約1600KM運転してくださったメンバー
本当にありがとうございました。