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不幸のブログ 

三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

悪魔の使いと化している
創価学会と統一教会の人間達に
音声送信と思考盗聴、電磁波でいたぶられています。


何といっても彼らは日本におけるユダヤ様の使い魔ですし
例の3.11大地震を予測して移動できた人間達ですから
この社会の特権階級の人間達であろうことも想像できます。


其の上で誤った価値観を持っては、
他人が語っている真理が気に入らないと私に攻撃を続け


今では毎日、かつて無いだけの凄まじい電磁波による攻撃を
延々と受け続ける羽目にもなっていますし


私がこの社会の中の実態を語り続けてきたことへの
復讐のようです。


日々強い電磁波を受け続ける中での音声送信の
語りかけの暗示はそれだけでも強い洗脳になりますし

脳も風貌もボロボロに成りつつあります。


こんな事があるのか?

これは夢ではないのか?


悪夢の中で延々とうなされているような
そんな毎日の中で、寝ている時が一番楽です。


このような状態に置かれた事は
私がこの世に少しでも真理を告げた事の
報いなのでしょうし


宇宙の法則を語る人間には
とてつもなく大きな負担がのしかかると言っていた
アダムスキーの言葉や


私の教えを広報するものは
迫害を受けることになるといっていた
イエスの言葉を身にしみて感じているところです。


近所から嘲りの声が聞こえるたびに
この世こそが地獄であるということを
嫌でも実感する羽目にもなります。


よき想いを出すこと自体を嫌がる人間達、
そんな人間達が支配する世の中だからこそ
こんな凄まじい世界に変貌している。


其の事を嫌と言うほど実感しています。


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頻繁にコメントを頂いている兄弟姉妹への返答です。

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「陰徳と言える行為を意識」ということですが、例えば「電車内で席を譲る」
「街中でケガした人を助ける」「道端や教室でゴミを拾う」などは
必ず誰か(結構大勢の人)に見られてますよね!?


「どうしてもそうせずにはいられない」という気持ちから、
咄嗟に、自然に行なったのであれば、それは魂から出た行為なんですね!?

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以前には頻繁に触れましたが、ここではその行為をするに至った
動機が大切だと言う事になるかと思います。


其の動機が純粋に困った人を助けたいと言うものであれば
それは魂の想いと言える筈です。


同じ善行でも、それが他人の視線を意識して実行するものであれば
其の行為は心のエゴがふんだんに含まれていると言えます。


大切なのはその動機であり、
其の動機が宇宙的な意識を前提にしているのであれば、
それが心を持っての行為であっても
魂の意志であっても正しいと言う事になるかと思います。


現に私達は心の価値観を魂の価値観に置き換える作業を
しているところです。


と言っても誰もが少しは他人の目を意識しますし
純粋な想いというのは難しいと思います。


出来れば他人の視線ではなくて
自分を見つめ続けているであろう神の視線を意識する事で
義務感を持つ。。。これなら良いのではないでしょうか。


と言う事で例え私達に精神的なゆとりのない時であっても
置き換えた心の価値観が行動の指針となっていれば
どんな時でも神の意志を実現できると言う事になりますし


そのためにも心の価値観を
魂の価値観に置き換える必要があるのだと思います。

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また「誰もが自分自身の役目を持って存在していることを自覚」とありますが、
たまたまカルト集団に出会って「これが私の運命だ」と間違った方向へ進む恐れもありますね。


そのためにも宇宙の法則を勉強し、
それが自分の魂(神の意識)から来るものかどうかを判断しなければいけないのですね!?

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私の経験では今までよりも真理に近い教えや思想に出会うと
私達は其れに惹かれる傾向があると思います。


私達の魂がそれに共鳴するのです。


そんな教えを向上と受止め参考にする分には何の問題も無いのでしょうが
困った事にカルトと呼ばれる集団には信者を洗脳する傾向があります。


其れがなければ真理へ到達するまでの過程として
そんな教えを参考にする事も問題ないはずです。


私達の魂は真理の答えを持っているわけですから
それに近いものを体験するとその後も共鳴は続くと思います。


そして別の思想を受け入れてきた人間で在っても
当人が賢明であれば、そして精神性が高ければ


恐らくは宇宙の法則を知れば
此方のほうが真理に近いものである事を確信するはずです。


真理を知るのも教えるのも私達の魂であり神の意志
と成れば、本物を見極めるのも簡単だと思います。

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また、その運命にただ身を任せるのではなく、
そこにある神の意志を推し量ることが大切なのですね!?

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私達の場合は自分の為すべき事すら理解できてはいません。


今の境遇が私達への課題だと理解すれば
そこで私たちが為すべき事が何なのかを
認識しようと勤める事が大切なのだと思います。


例えば私の役目は広報であったと自らは確信しています。


人それぞれ課題は異なり、私が記事で触れていたように
父の元に帰るために必要な経験を与えらているのだとすれば


其れを意識しながらこの社会の中での体験を続けていく事が
一番効率的だと思います。


運命の流れに乗ると言っても
私は其の波に乗り続ける事のほうが難しいと考えています。


惰性で流されると其れは学習に繋がる事にはならないからです。


神の与えた学習の機会は
私達楽などさせてはくれないと思います。


つまりは惰性で流されるようなものでは在り得ないと言うことです。


常に学ぶ努力が求められていると言う事は


私達が運命の流れに乗り続けるには
其の置かれた環境で最善を尽くすような意識が大切なのだろうというのが
私の意見です。


私のような自分に甘い人間にとっては
自らを厳しい環境におくと言うのは苦痛ですが
それを与えられていると開き直れれば
私ももっと成長があるかもしれません。


アダムスキーが触れていたように
今の時代は誘惑と圧力が私達にはとても負担となる時代です。


其の中で資質の高い人間ほど苦しむ羽目になっているかもしれません。


しかし逆に開き直れば其れを乗り切ってしまえば
私達には大きな未来が開かれるはずです。


貴方の文章からも疲労と悲壮を感じましたが
置かれた境遇に負けないで頑張ってください。


私も頑張っています。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】



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生命の講座 第二講義 VOL15


アダムスキーが「自分自身を知れ」と言う言葉を使用して
私達が本来あるべき姿に関して語っています。


私達は誰もが本当は創造主の意識を感じて
それを実践していく事を求められている存在です


しかし私達はこの環境の中で生まれ育つ中で
其の事をすっかり忘れてしまっているのです。


私達に大切なのは自分自身が一体何者であり
其の目的は一体何なのかを理解する事です。


それを知ろうと勤めたのが哲学者であり
彼らは独自にそれぞれの答えを出しました。


本当であれば私達は誰もがそれを理解した上で
日々の生活を送る事こそを求められている存在なのです。


私達は自分自身を知っているつもりで
実は何も知ってはいない。


自分の肉体の機能にしても
其の詳細を理解しているのは医者くらいなものです。


まして元々認識されていない
魂=意識=創造主の意志など
殆どの人間が理解できずにもいます。


しかし私や兄弟姉妹は辛うじてその事を理解する事が出来ました。


視覚を持って外ばかりを見つめるのではなくて、
心の価値観を持って他人や社会を見つめるだけでなく、


自らの魂の意識の存在に気がつく事こそ


そして其の意志を身をもって実践して生きることこそが
私達が本来あるべき姿なのです。


私達は何かと言えば外に視線を向けます。

他人を見つめては批判ばかりをしていますが
一方では自分自身を見つめる事は殆どありません。


しかし私達にとって一番大切なのは
自分自身を知ると言う事。


美化されていない自分自身を理解し
そしてあるべき姿と照らし合わせて
自らを矯正していく。


これを出来る人間こそが永遠へと進む事になるのです。

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昔から多くの哲学者が人間について語ってくれました。


在る方は理想の社会、在る方は人間の実態
在る方は人間の本能と


あらゆる角度から人間の実態を見つめていた人達がいました。


心を究極まで追求していた人間達もいます。


しかし私達は其んな先人達を特殊な人として
其の教えを哲学と言う学問にしてしまいました。


と言う事は、其れを意識し学ぶのは決められた一部の人間達だけであり
多くの人間は其れを知識として知る事があっても
学ぶ事はないわけです。


意識する事も無いでしょう。


そして哲学の一番のテーマは


一体人間は何のために生きているのか?


人間とは何なのか?と言う事に他なりません。


誰もが逆行の中で苦しんだ時に
そんな意識を持つことに成るかと想いますが、


私もかなり若い頃から頻繁に
自分は何のために生きているのだろうとか


人間とは一体何のために生活しているのだろうと
思考していた事がありました。


当時は一度きりの人生と言う先入観が既に存在していた頃なので
人間が、まるで働きありのように暮らしている其の姿が理不尽で
そんな生き方に魅力を感じませんでした。


そして疑問に対する答えの片鱗を時々拾う事になりましたが
それはいつも宗教でした。


それに触れる事で自分の魂が反応する事があったためと
今では理解しています。


ただ、私は一般の宗教人と少し違っていました。


疑問を持つと其れをとことん追求する視線を持っていたからです。


結果、どんな思想にも疑問を感じては
一線を引いていたために、どこの宗教組織にも入る事はありませんでしたが


私はその後も真理を意識し続け
漸く宇宙の法則に辿り着く事が出来たわけです。


私はいくつかの思想を
教訓を受けたり更なる真理を発見するための道しるべとして
其れを利用する事になったのだと思います、


今の私達の立場でこの問いをもう一度確認しておきましょう。


「人間とは一体何なのか?」


私達を作り上げた創造主の分身であり、
四次元全体のエネルギーの一部を其の魂として与えれらた存在です。


四次元を神の意志とすれば私達は神の分身であり
神の子供だと言う事です。


そして私達の実態は霊魂と言われる物であり
肉体は魂からの指令を実践するための器に過ぎません。


「人間の目的は一体何なのか?」


一つには私達に生命を与えてくれた創造主に感謝し
その意志を実現する事。


創造物の調和と美の完成です。


もう一つは私達に与えられた自由意志をもって、
個々の肉体を持ってありとあらゆる体験をし
其の中で自らを進化させていく事です。


神のために生きているなんて馬鹿らしいと言う意識を持つ人間ほど
恐らくは心のエゴに捉われているのだと思います。。


その代わり神は私達にすばらしい贈り物をも
くれたのですから。


神の意志に従う資質のある魂は
永遠を生きることが出来る。


そして一方では限りなく神に近い存在へと
進化していくことが出来る。


50年100年のスパンで思考すれば
心のエゴが優先し、どうしても目先の心地良さを求め
未来の事など意識できないのが私達です。


確かに今を精一杯生きることは大切なのですが
私達の場合はその動機が常にエゴを満たす事になりがちなのが
問題なのだと思います。


長い目で見れば私達はこの広い宇宙空間で
ありとあらゆる物を見てあらゆる物を食べて
あらゆる音を聞き、そしてあらゆる体験する事になります。


そんな素晴らしい体験を与えてくれる創造主の意志を理解できたなら
たかが50年100年の人生を


永遠のための試練であえると耐え忍ぶ事だって
決して不可能ではないはずです。


永遠の命へと辿り着く事のできる人間は
決して多くは無いと想います。


自惚れや自尊心増徴はして欲しくありませんが

今こうやって私の記事を読んでくれている方は
其の中の数少ない永遠性を示している人達だと思います。


どうか残りの人生、自分の魂を濁すことなく
そして少しでも未来の役に立つような
そんな経験をして生きて欲しいと思います。


勿論、絶対的な禁欲をするのではなくて
自らに分不相応の戒律を課すのでもなくて


何事も適度にリラックスしながら体験し
そこから何かを学びながらです。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように。】


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創価学会だけでなくてどうやら私達を苦しめているのは
在日韓国系の人間達のようです。


なんとなく気がついていたのですが
民族差別とか言い出す人間がいるので
触れないでいましたが、いい加減に放置できなくなりました。


他人の死を願い、其れを洗脳で誘導するそんな行為を
日本の中で敵対者中心に働きかけているようです。


洗脳プラス電磁波。更には音声送信の語りかけで
私に死を誘導するだけではなくて
夫婦仲を意図的に壊すようなそんな事を延々としてきます。


怒らされて私が彼らを糾弾すると
今度は妻を洗脳強化してきますし


私には死ぬように意識がけもしてくるようです。


私が死なないと妻が死ぬとまで語りかけては
もしくはそんな状態を作り上げては
私を死へと誘導しようとしているらしいのが


悪魔の手先たちなのです。


要するに自分達にとっての脅威は
生きていてもらっては困るとでも考えているのではないでしょうか。


そして死ぬまで苦しめようと言う腹かもしれません。


このユダヤの傀儡たちの暴走は依然
日本国内で続いています。


何時まで正常な意識で生きて居れるかは解りませんが
兎に角日本の中の正常な人間達は
この実態に気がついてください。


建物に入った時の脳の状態の異常を感じる人間は
確実にこの人間達の洗脳を受けているはずです。


そこで大きな異常を感じる場合は
恐らくは淘汰対象だと思います。


この心無い人間達の悪意に負けずに
最後まで自分の意志でいきるよう、


決して洗脳されて暴走させられないように
頑張って生きていって欲しいと思います。


(日本の中の気にらない人間を

犯罪者や異常者に仕立て上げようと言う意識が読み取れるのです。)

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【意識(魂)を意識する】


アダムスキーは生命の科学の中で
聖書のイエスキリストのこのような言葉を取り上げていました。


「明日の事を思い煩うな」


「鳥は撒く事も刈ることもないのに
父は彼らを養ってくれている」


「この世の人々からの栄光を受ける者は
天に入っていく物を持たない」


これらは全てイエスキリストが
四次元、つまりは神の想いの世界と其の法則を意識して
語った言葉と認識する事ができます。


「明日の事を思い煩うな」というのは、
私達がもしも創造主の法に従って生き始めれば


私達は誰もが其の恩恵を受けて
安定した生活が出来るような環境に置かれる事になる
という意味の例えでしょうし、


鳥に関しても、彼らは宇宙の法則に従って生きているから
そして自らが課された役目を果たしているから
食にありつけているのだという例えだと思います。


三つ目の文章は「私達はこの社会の価値観に照らして
そこでの栄光を意識してはならず


出来るものなら陰徳と言える行為を意識して
それを実行する事で精神を高める事になる」


と言う事を例えた物だと思います。


つまりは名誉や権力を意識して他人の目を意識して行動するのではなくて
「天に宝を積むこと」「人に直接褒められることのない良い行い」


の出来る意識を持つ事こそが大切であると言う内容を
例えた物だと認識できます。


つまりはこれらの全ては宇宙の法則を大前提としていて
それに従って生きる事こそを意識した教えなのです。。


それを一言で説明すれば
神の意志を信頼する事です。


だからアダムスキーは”意識”=”魂”に対する強い信頼が
大切だと表現したのではないでしょうか。


私達が信頼すべきは自分の魂であり
神の意識であり宇宙の法則であると言う事。


そして付け加えれば、誰もが自分自身の役目を持って
存在している事を私達は自覚して


誰もがその役目を果たさねばならないと言う事をも
意味しているはずです。


私達は目に見えないそんな法則の存在に気がついていません。


時々意識しては其れを運命とか、偶然と認識しているに過ぎないのです。


私達が其れを理解して其の流れに乗る事が出来れば
私達の意識も生活環境もおのずと変わっていくことになるでしょう。


私達は見えない神の手によって導かれている
その事を意識し続けて頂きたいと思います。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】

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P.S.


私達は時折”運命”と言う言葉を使用します。


確かに其れらしいものは存在している事も間違いありません。


例えば前世の行いが今世の課題を決定する要因になるという法則も
結局は私達を進化に導くための運命のレールとみなす事も出来ます。


誕生日がそのまま占いに使用されますが
あれも、


「私達の周囲には眼に見えない特殊な運命の波があり
私たちそれぞれが生まれた日には独特のエネルギーの影響があり
その影響を強く受ける事になる。」


と言う事が現実にあるために
それを分析していると理解する事が出来るわけです。


そんな眼に見えない法則が、
重力や火や気象現象のような物理法則と共に
私達の周囲には溢れていて、


只私達はその事を意識していない
若しくは気がつく事が出来ていないだけだと言う事です。


アダムスキーが取り上げたイエスの教えの言葉にしても
そんな眼に見えない法則を私達に実践するように薦めるものであった事を
私たちは理解すべきなのです。


私達が宇宙の法則に従って生きると
其の生活環境も変わっていく、


そして宇宙の法則に従っている生物は
黙っていても生きる糧を与えられ養って貰える事になる。


明日の事を思い悩むのではなくて、
私達は永遠に今と言う時を生きている存在であり
その時その時を賢明に生きる事が求められている。


そして私達にとって大切なのは
他人の目を意識してこの社会で褒め称えられる事ではなくて


神の意志に従って生きることで
其の精神性を向上していく事だというのが其の趣旨のはずです。


私達はどうしても他人の目を意識して
そして一方では眼に見えない法則、つまりは神の意志を
無視して生きてしまいがちです。


人の目のあるところでは善行が出来ても
誰もいなければしようとしないとすれば


それは神の意志を実現している事にはならず
例えこの世では多くを与えられたとしても
其れは次の生には何のプラスにもならない。


つまりは進化には結びつかないと言う事です。


もっと言えば人目を意識し世間体や体裁を作ろうと言う事は
私達の心、そしてエゴを意識している事になりますし


陰徳をつもうとする時には
私達は魂を意識している事になるという事でもあります。


このように、聖書でイエスキリストが語ってくれた内容は
結局は宇宙の法則に結びつく内容なのです。


わかり易い言葉でそして大切なものを中心に
自分の周辺に集っていた人間達に語った内容が
そっくりそのまま聖書に残っていると理解してください。


私はクリスチャンではありませんが、
生命の科学を読んで未だ余裕がある方は
是非とも聖書のイエスキリストの言葉を読んでみてください。


(あと、パウロの手紙はイエスからテレパシーで学んだ内容が満載だと思います。
生命の科学を髣髴させる言葉も頻繁に出てくるはずです)


一部捏造や改ざんもあるようですが
きっと何か発見があるはずです。


そしてあくまで生命の科学=宇宙の法則を前提に
其れを解釈する事をお勧めします。


私達の既存の知識での解釈では
イエスの言葉の真意は量りきれないのです。

創価学会に朝から苛付かされ続けています。


頭に食物で作った薄い膜をつくり
それに撒いた薬品(酸)を利用しては
精神状態を変貌させる周波数帯の電磁波を
頭に巻きつけてきます。


今日は排泄妨害と脳へのこの刺激で
頻繁に苛付かされ続けています。


私達夫婦を仲たがいさせるとか
そんな事を繰り返しているんだと

語りかけの人間達が繰り返します。



そのために先ずは脳の機能を弱体化を計ろうと
懸命に電磁波洗脳を続けていると判断しました。


とても不快な気分で今日は暮らしています。


この人間達は元々が怒りの想念や
憎しみの想念で身をまとっている輩ですから
他人がどんな想いを持とうが無関係ですし


自分たちの撒き散らす汚い想念が
この社会を乱している自覚も無いのでしょうね。



2014年11月10日 P.M 13:42
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前回は天使達の社会について取り上げて
天国と地獄の概念に関して触れました。


彼らの社会の仕組みを理解すれば
私達の社会が今後進んでいくべき道も理解できるかと思います。


例えば私達の社会では人は自分と家族のためにこそ働きます。


そして其の働きに応じてお金を与えられる事にもなり
更には其のお金を自分自身のために使用します。


でも本当であれば、
この資源配分を効率的に実行するためにも利用できるこのお金というものを
ある所から無い所へと分担するようなそんな意識も大切なのです。


イエスキリストも、お釈迦様も、十分に持っている人間は
持たない人間に分け与えなさいと語っていました。


そして困っている人間には手を差し伸べなさいと
”旅人”という具体的な例えで説明をしてくれていました。


その精神こそが、
誰もが平等であるべきと考えている人間達の思考であり、
それはそのまま神の意志でもあります。


万人の平等と幸せを望む神の意志こそが
私達の真理であり私達は先人たちから
其の事こそを学ぶべきなのだと思います。


ここで、先日の繰り返しになりますが
天使達の社会の”仕事”について考えて見ます。


彼らは先ずは全体を意識して、其の中の構成員に必要な家や
道具、家財、食料を宇宙船などをまず認識し
それを製造する事を意識するようです。


この社会との違いはお金になる作業が仕事とされるのではなくて
其の社会の人間にとって必要な物を生み出す行為が仕事とされている事です。


と言う事は、福祉やボランティアと私達が呼んでいるような要素は
十分に考慮され率先して実践されている事にもなるはずです。


そして社会にとって必要とされるありとあらゆる物を
全員の分を意識して、それを社会を構成する全員で作り上げるわけです。


人々は各自の得意な分野において奉仕という形で作業に取り組み、
必要な物資を作り上げます。


そしてそれを必要とする人間に必要なだけ分け与える
そんなシステムを作り上げていると言う事です。


誰もが自分のために働くのではなくて
社会全体のためにこそ働くのです。


それは仕事と言うよりは社会全体に対しての奉仕です。


彼らの惑星に住む人間達は皆家族同様で
其の全員のために奉仕をして同時に自分も必要なものを
皆から分け与えられるという事になります。


宇宙の法則の下では、自らの奉仕はめぐりめぐって自分に対して
跳ね返ってくるという事になるようですが、
彼らはそれを、生産活動という日常生活の中でも実践している事になります。


この事は、自らが全体に対して奉仕して
一方では社会から奉仕されるという関係だと理解出来ます。


つまり彼らの日々の労働は、誰もが自分のために為しているのではなくて
彼らは社会全体のためにこそ奉仕を続けている事になります。


しかも彼らはそれぞれの仕事は結局は誰かがやらねば
ならない事を理解しています。


それがどんな仕事であっても彼らはそれを必要だからこそ
分担して実行しているからです。


そして彼らはそれぞれの仕事をしている人間を
仕事の違いで差別する事もありませんし
全ての職業は同様に尊敬される事になります。


”生命の科学”に出てくる”ソロモン神殿”の話は
其の事を象徴したものと理解できます。


仕事と言う側面を捉えれば、
地球社会でも同じ事が言えるはずです。


どんな職業であっても
その全ては他の人間の仕事の上に成り立っています。


他の職業が存在していてそれが奉仕しているからこそ
他の職業も成り立っていると言う事です。


例えばどんなに高い地位の人間達が集って
重要な会議をしたからといって
彼らは其の会議開催を可能とした人間達に感謝しなければなりません。


其の人間達の社会的立場や仕事の全ては他の多くの人間達の
仕事によって支えられています。


部下がいるからこその上司であると言う事です。


更には会議の資料を作るのに使ったコピー機は
一体誰が作り上げたものなのか?


其のコピー機に使用した紙を作ったのは一体誰なのか?
そして会議用の椅子や机を作った人間は一体誰なのか?


更に言えば会議を行っている其の建物を
建設したのは誰なのか?


そして彼らに地位を与えているのは
多くの人間がその下に遣えているからに他なりません。


例えば医師だって、薬や器具を作る人間がいなければ
医療は実現できません。


どんな高度な職業であっても
其れを影で支えている大勢の人間達がいるのだということです。


そのように突き詰めれば
誰もが他人の仕事とは無関係ではありえません。


そして誰もが他の人間の奉仕の恩恵を受けている事にもなります。


ただ、私達の社会では大きな勘違いが私達の意識を
変貌する原因になっています。


お金に関しても私達に物資の流通のためや、
元素の効率利用を理解させるためにこそ使用すべきなのに、


気がつくと、必要以上の元素を蓄える代わりに
それを将来的に手に入れるために、
お金を独占しようとする意志を持つようにもなっています。


先日触れたようにお金が富の貯蔵手段となっているという事です。


本来役割の分担である職業なのに
そこでは地位や名誉を作り上げ人間に上下関係を作りだしてもいます。


其の事を正しく認識すれば、
私達の社会の人間の誰もが他人の仕事の上に暮らしていると言う事、


更には仕事にしても他人の仕事があるからこそ
自分の仕事が成り立っているという事に気がつくべきです。


私達は”能力”という言葉を使用します。


しかしそれは一つの尺度で測る事の出来るものではありません。


大昔、力こそが権力であった頃には
腕力こそが力とされたかと思いますし、


現代社会であれば学校の勉強が出来る事や
試験といわれるものに合格する事が重視されています。


しかし能力と言われるものは他にもあります。


スポーツ選手は運動神経を能力としてますし
役者は演技力を評価されます。


ミュージシャンは作曲作詞能力
そして芸術家は作品を作り上げる能力です。


ルネッサンスの様な芸術に力の入った時代であれば
恐らくは美的感覚や創造力こそが大切な能力とされたことでしょう。


私達の社会は人間の能力を一つのものさしで測ろうとする傾向がありますが、
実際に私達に与えられている能力は一つではないということです。


つまり人間の能力は千差万別であり
彼らの社会ではその事を理解していて
それぞれが得意な分野で社会に対しての奉仕を行っているのです。


羨ましい事に彼らの就業時間は
一日2時間程度で週にすると地球社会の二日分の労働という事でした。


科学力の発展が機械による効率化を齎してもいるために
彼らは日々労働だけにとらわれる事もありません。


それ以外の時間をあらゆる学習や趣味のために費やし
しかも一年うちの数ヶ月は宇宙旅行をして暮らすそうです。


勿論全ては経験と学習のためです。


しかも彼らは独自に自らの好む娯楽をも楽しんでいます。


明日を生きるためだけに今日を生きているのではなく
かと言って真面目一環に勉強だけをしているのでもなく


きちんとリラックスまでしているからこそ
彼らは高い精神性を保つ事が出来るのだと思います。


彼らの社会の全ての奉仕は喜びと楽しみの中に行われるそうですし
私達が失ってしまっている物を彼らは常に感じ続けながら生きている。


恐らくは彼らは自分達が生きている目的を
正しく理解しているからこそ、そのような生き方が出来るのだと思います。


しかし私達の社会の人間は
私達が生きている真の目的すら理解してはいません。


その結果、私達は時には家を建てた事によるローンのために
時には自らの娯楽やエゴのためだけに一生を費やす事にもなります。


アダムスキーの言葉で言えば元素の主人となるべき人間が
元素に仕えていると表現する事もできます。


父の命令を受けてあらゆる元素の管理者である事を求められている人間が
其の元素によって作り上げられた物質に支配されているわけです。


それと比較すると、彼らには神の意識に従うという大前提があり、
それを実践する事で
私達にしてみれば羨ましい社会を作り上げているのです。


私達が頭に思い浮かぶあらゆるものはこの社会に存在するという話でしたが、
私達が理想とする社会は私達地球のすぐそばに存在している。。


そして私達は其の社会こそを天国と呼ぶべきです。


彼らの社会は創造主の意識に沿って生きている社会であり
言ってみれば三次元の因となっている四次元空間の
”神の意識”に沿って生きている社会です。


言ってみれば因の国と言う事になります。


アダムスキーが語っていたのは
其の事なのだと理解して頂ければと思います。


そしてその気になれば私達も
天国に暮らすことが可能である。


この社会を天国にする事だってできるのです


私達なら其の事が理解できるはずです。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】

以前書いた記事を使って書き直した記事です。


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アンチロスチャイルド同盟の阿部さんが
その著書の中で金融の発達について
判りやすい例えを用いて触れていた箇所がありました。


今日は私がそれを改造して、
お金と金融の発展と


この社会を作り上げたのはお金であると言う話に関して
簡単に触れてみたいと思います。


前回は、私達の社会において
不平等と資本家の優遇が起きた原因に
触れてみました。


今回は同様にまずは金融とお金社会が出来上がった
その原因を追究してみます。


このお金と言うものは一体私達の社会に
なにを齎しているのか?


それは社会の発展や豊かさなのか?それとも。。。。
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原始社会を考えて見ます。


それぞれ住んでいる場所の環境によって
その人間が生計を立てる方法は異なっていたと思います。


海辺で暮らす人間は魚介類を取って
暮らしていたかもしれませんし


肥沃な土地で暮らしていた人間は
そこで農業を起こしたかもしれません。


広い土地で動物を育てて
そこから糧を得ていた方もいるでしょう。


勿論、主として、それぞれが作業で得たものを
日々の生活の糧としていたでしょうが、


魚介類を食べて暮らしていた人間も
時には野菜を食べたいと考えた事でしょう。


そんな時に、その人間は魚を持って農家の家に行き
それを野菜と交換して欲しいと申し出る事もあったでしょう。


このような状況が物々交換が始めるきっかけとなったはずです。


自らの持っている物と欲しい物を交換してもらい
手に出来る物の種類は増えて生活は豊かになったかもしれません。


ただ、ここで問題が起こります。


魚を持って農家に行った時に
農家が魚ではなくて肉を食べたいと望んだかもしれないわけです。


魚を持って一旦肉を持っている人間のところまで出向き、
それを魚と交換してもらい、そこで得た肉を持って
再び野菜を持っている農家へと向かう。


そんな苦労もあったかもしれません。


折角牧場まで出向いたら、
自分も魚ではなくて野菜を食べたいと告げられ
御足労に終わったかもしれません。


しかしそれはあまりにも不便です。


そこで流通の仲介をする交換券として使用され始めたのが
お金だと考えてください。


つまり元々のお金の役割は物々交換を
スムーズに進めるための交換手段だったはずです。


この場合、農家は漁師から魚を受け取るのではなくて
交換券を漁師から受け取り
肉が食べたければそれをもって牧場へ行くわけです。


勿論、交換券は特定レベルの価値があるとされるものと
交換が可能なわけですから


農家はその交換券を持って、
後日になって魚を食べたくなり貰いにいくかもしれません。


貨幣の発達の初期はそんなものだったと思います。


つまりは自分の作り上げた富を一旦お金に換金しては
今度は必要なものをそのお金と交換するわけです。


しかしここで更に問題が出てきます。


例えば漁師が不漁が続き
食べる物がなくなった様な時です。


魚を商品券に変える事も物々交換する事も出来ません。


そんな時は漁師は農家に行ってツケで野菜を貰っては
後でその分を豊漁の時にでも支払いに行ったかもしれません。


でも、もしも農家がそれを断ったら。。


もしくはその後、豊漁の後にも
漁師が農家に返済をしなかったら。。


人間同士の信頼関係が成り立たなければ
”掛け”と言う制度は実現しません。


そしてもっと言えば誰もが損をしたくは無い
若しくは只で他人に物を与えたくは無い
そんな意識があるからこそ


貸し借りと言う意識も芽生える事にもなります。


貸した物が戻らないかもしれない。。


そんな事を意識すると
人は貸し借りを危険だと判断したかもしれません。


そこで今度は、交換券でもあった”お金”を貸し付けると言う商売が
成り立つことになります。


農家は不作の時に、漁師は不漁の時に
金貸しにお金を借りに行って、


その金で食料となるものを購入し
豊作、豊漁となった時にそれを返済する事になるでしょう。


ここで問題が生じます。


金貸しをする人間も慈善事業ではありませんし
それを職とするのであれば自らも食べていかねばなりません。


そこで貸したお金に対して利息と言う物をつけて返済してもらい
それを自らの生活の糧を得る手段にすることになります。


これが金融制度の始まりだと思ってください。

勿論お金を貸す時は担保なるものをとるので
金を貸す人間は貸し倒れが無いという前提も必要になります。


借りた方にしてみれば利息がつくのですから、


借金をした人間達は、借りなければ出費する必要のなかった分まで
今度は余計に稼がなければ以前と同じような生活水準を保てません。


今度はその利息の支配の分だけは余計に漁や農作物の生育に
精を出さねばならないことになります。


そして当然、不作が続けば続くほど
不漁であればあるほど、


その利息の存在は大きく重くのしかかることにもなりますし
彼らは其の後は以前よりは余分に働かなければならなくもなります。


つまりは借金制度は私達を労働に
縛り付ける原因にもなっているわけです。


当初は便利だと認識されたかもしれないお金や金融の制度が
結局は私たちを労働に縛り付ける原因になっているかもしれないと
言うことです。。


現に私達の社会では家を所有するだけで
多くの人間が一生労働に縛られると言う現実があります。


数千万円の借金をして1000万近い利息をも
支払う事になります。


過酷な労働であろうが、長時間労働であろうが
返済がある限り労働から逃れる事は出来ないわけです。


もしもこれが天使達の社会なら
どんな事になっているのか考えてみてください。


彼らは家も家財もそして洋服や食料も
必要なものを必要だけ手に入れる事が出来ます。


足りなければ其れを無償で必要なだけ
手に入れる事も出来ます。


そして彼らは労働に縛られるのではなくて
全体のために皆のための奉仕として労働を行い


その代わりに自らの必要なものを
皆からの奉仕として受け取る事になります。


そして彼らの社会の労働は
決して過酷でも苦しい物でもなくて


彼らは誰もが喜んで皆に対する奉仕という意識を持って
労働をし続けるようです。


そんな生き方こそが神が望んでいる事を
彼らは誰もが知っているからです。


この社会と彼らの社会の大きな差は
やはりお金と言う制度が在るか無いかと言うことです。


そして所有の概念です。


お金を稼がねば暮らす事の出来ないこの社会では
労働だって皆への奉仕ではなくて
自分がお金を稼ぐための手段に他なりません。


それを楽しんで遣っている方も中にはいるのでしょうが
多くの人間にとっては労働は単なる制約であり
義務でしかないはずです。


働く事での幸せなど感じたこともない、
そして働く事だけで一日が終わってしまう事にもなりかねません。


折角の休日は労働の疲れを癒すために
室内でごろ寝をしていたりTVを眺めていたり
私達の社会では労働をして生きる事だけで精一杯なのです。


趣味を持って楽しめる人間は
其の中で時間的若しくは経済的な余裕がある人間だけのはずです。


そんな社会の中では、大人になればなるほど
精神を意識する事もなくなりますし心は荒む一方のはずです。


大人が批判しがちな若者や子供こそが
まだ、労働に心を縛られていないために
自由な意志を持って生きているに過ぎません。


そして物質的にいくら豊かさを強調しても
私達の社会の人間は大人になればなるほど
誰もが心貧しい存在に成っていくはずなのです。


先述のように、
この二つの社会の違いは、お金が存在するかどうかでもありますし、
本来私達の持ってはいけない”所有概念”を持っているかどうかです。


そして元凶となっているは
労働で得たものは全て自分の物であるという意識です。


自らの得た物であっても、
それを皆に分け合おうと言う意識を当初から誰もが持ってれば、
漁が不作でも農家の豊作がそれを補ってくれるでしょうし、


そして家や必要なものは皆で協力し合って作り
誰もの手に入るようなそんな社会であれば、
皆が必要以上に労働に制約される事もないはずです。


つまり自分が得たものは自分のものであると言う所有の意識が
私達を交換経済に走らせた事にもなります。


もしもそこで得たものを皆で分かち合おうと言う
意識を当初から皆が持っていれば

例え家であっても皆で皆の家を作ると言う意識があれば、


貨幣経済など発生しなかったはずなのです。


そしてもう一つ、信用制度の元ともいえる貸し借りの問題です。


所有概念を持ってしまっていることが大前提ではありますが、
せめて人間同士の信用関係がしっかりとしていれば
借り貸しは口約束、個人レベルですみますが、


信頼関係が確立できないと言うところからも
金融機関としての金貸しの存在が浮かび上がってきます。


貸し借りを出来るだけの相手が見つからない人もいるでしょうし
他人との貸し借りを望まない人もいるので
こんな商売も成り立つことになります。


つまりは人間同士の間の薄い信頼関係が、
信用機関なる金融を発展させる原因にもなったと言うことです。


全ては私達の精神性が貧しかったゆえに
作り上げてしまった心の貧しい社会だと言えます。


所有と言う意識がなくて、
皆が得たものを皆で分配できる世の中であれば
今のような社会に成ることはなかった。。


つまりは金融を生み出すに至ったのは
私達の人間としての低い意識にこそ原因があったといえます。


現にスペースブラザーズの社会である金星や土星には
金融制度どころかお金が存在しない状態で
実質の天国を作り上げているのですから


私達の文明の発展は、どこかで道を間違えたのだと
言う事も出来るのではないでしょうか。


大元となる私たちが
所有欲や物欲やエゴで満ちた存在だったばかりに
このような社会が作り上げられるに至った。


そして必要以上に物を欲しがらねばならない
将来先行き不安定のこの社会の制度が今度は私達に、


普段必要とする以上のものを
欲するように仕向けるようにも成りました。


食品や消耗品は長期間、蔵の中に
溜め込む事が出来なくても、
それを貨幣と言う手段にしてしまえば保存が利くわけです。


そして今不要な分の富は全て貨幣と言う形で蓄えて
それを将来に生かそうと言う意識にもなります。


今の時点で富が足りない人がいようと、
将来の自分にもそれが足りるという保障が無いのですから
それを他人に分け与える気にもならないでしょう。


其んな意識を更に膨らませれば
蓄財が沢山あればあるほど将来に不安が無くなる、


そして今を楽に豊かに暮らせると言う事で
ますます人はお金が欲しいと言う意識に
捉われる事にもなるのです。


私達の悲劇の大元は
私達の低い意識にも原因があったと言うことになります。


そして現実にこの社会で心のエゴを満たせているような人間達は
其の殆どがお金なるものを大量に蓄えている人達でしょうし


一方、お金を持たない人間は誰もが暮らしに不安を感じているので
お金は人間を動かす動機にも使用できます。。


今のこの社会では、お金があれば
人の心まで買えるのです。


もっと言えばお金こそが神様となっているとも言えます。


そしてこの社会の支配者達も其の事はもちろん知っています。


不況になればなるほど、お金と資本の存在が
力を持つ事になると言うことをです。


今のこの社会では、そのお金を持っている人間こそが
権力と地位と名誉を持つことが出来ます。


お金があれば会社だって作れますし
株式投資でお金を稼ぐ事も出来ます。


お金を払えば人の欲を満たす事は
大抵実現可能でもあります。


そして私達は神ではなくて金を拝んでいるのです。


この実態をこれが現実だから仕方がないと判断しては
この社会はいつまで立っても変わる事は無いでしょう。


ただ、この社会の誤りに気がついた人間が、
既存の誤った価値観を捨てるように皆を誘導することで
この社会の改善が図れるのかもしれません。


【地球人の苦悩を光の前の暗黒の様に消すために
宇宙の創造主を地球の道しるべにしよう】


今のこの社会の行き着く先は、
物の豊かさを追求する余りに


人としてあるべき心を捨て去ってしまう
そんな世界だと思います。


そんな状況がここ数年加速化している。。。
そしてそれは改善される気配も見えない
それがこの世界の実態ではないでしょうか。


お金のために心を売る。


つまりは其れこそが、「富に使える行為」であると言う事に
是非とも私の兄弟姉妹は気がついて頂きたいと思います。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】


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今日は出来るだけ感情的に成らずに
自分をこんな目に併せ続ける人間達の事に触れてみたいと思います。


日本の裏で権力を誇る創価学会。


この組織がどれほど危険な組織であるかを
私達は理解しなければならないと思います。


何よりもこの組織が従来の宗教団体とは異なること


そして狂信的な人間達や特殊な任務を受けた人間達が
暴力的・破壊的行為を当たり前のごとく実行し
其れを組織が止めないどころか裏では推奨している気配まである事です。


通常は宗教と言えば神や仏の教えとして
人間がよりよく生きるために模範として受け止めて
精神向上に資するものであるべきです。


しかしながらこの組織は正義と称しては敵対者に危害を加える、
自分達の組織にとって都合の悪い存在を淘汰する。


そんな危険な反面を持っているからです。


教えが独自の組織の正当化に使用されている
そんな側面がはっきりと見えるわけです。


つまり彼らは日蓮の教えを受けた仏教徒だと語っていますが
少なくとも仏教の祖であるお釈迦様の意思とは
全く異なった思想をした人間達であり、


お釈迦様が人間同士の調和と平和を語って
それを推奨していたのと比べると


この組織は平和を願うと語り
一方では暴力や争い事を推奨していると言う
矛盾があります。。


この組織は、
自分達こそが正義であり、自分達に逆らうものを悪として
其の悪を倒せば自分達は善が磨かれると言う
通常の意識では考えられないような思考を持っています。


独自の新聞では常に戦いを意識させた内容を記述し
構成員に組織の名誉のために
批判者を倒せと言わんばかりに煽っている側面も見えます。


それ以前に不思議なのは何故にそんな危険な教えに
はまってしまう人間達が大勢いるのかということです。


それにはまず一つ、子供時代からの洗脳行為が
誤った価値観を正しいと信じ込ませる原因となっていることがあげられます。


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wikiより抜粋します。


「マインドコントロール」および「洗脳」を参照

創価学会はマインドコントロールの問題を指摘されている。
創価学園による一貫教育「子供を勧誘し、教化する」行為や、
毎日購読される聖教新聞などによってマインドコントロールが行われている。


元公明党の委員長であった矢野絢也は「創価学会員二世、
三世は幼い頃から、家庭において池田大作が著した絵本やアニメを見せられ、
いかに池田と創価学会の教義が素晴らしいかを刷り込まれる。


しかも、一貫教育システムにより、
筋金入りの創価学会員としてエリート教育される。


一貫教育システムという醸成装置があればこそ、
創価学会は次々と新たな学会員と「池田名誉会長」を信じて疑わない幹部を養成できる。」
と指摘している[77]。


このほか、現在の学会の幹部は、こうした「池田チルドレン」たちによって固められ、
また公明党議員も創価大学出身者が多くを占めている。


このような教育によって、学会は強固な組織となり、
池田の独裁体制も確立されたとしている[77]。

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言ってみれば三つ子の魂百までを延々と実行されて
育ってきた人間達がそんな組織の中核をなしているということがあげられます。


池田名誉会長を褒め称え美化するその様子は
まるでカルト宗教の信者が教祖を神扱いする
そのような意識にも共通するものがあります。


ちなみにフランスではセクトと指定された過去を持つことは有名です。

セクトの基準


セクト指定の判断基準は以下の通り。


信徒(会員)の精神的操作
カリスマ性を持つグル・教祖・指導者や、その側近への権力集中
ピラミッド型組織
財産の接収
唯一排他的な教義
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ろくに教祖の人格を知ること無くても其れを美化しては神のごとく奉り
其れを他人が批判する事さえ許さない、
そんな偏った意識を持った人間達がその中心を固めているわけです。


創価学園は関西では小学校からの教育が存在するようですが、
そのまま創価大学まですすめば
一体どれだけの時間偏った教育を受け続ける事になるかを
考えてみればよいのです。


私達が環境に適応する人間である事を考えれば
そして偏った価値観を延々と続けた結果
その人間の価値観がどうなるかを理解すれば
其の危険性はわかるはずです。


親が創価学会の信者であったばかりに其の子供までもが
誤った教義や価値観を頭に植え付けられて
其れを対外的にも価値観として持つのですから


少なくともキリスト教ミッション系とは趣が違います。


少なくとも彼らの教えは組織のために
他人と戦えとか危害を加えろなどという意識を
持つこともありまぜんし、そんな部署を配置してもいません、


しかしながら自分達を美化し正当化しながら
裏ではしっかりと批判者を淘汰し徹底した嫌がらせを続けている


そんな組織の教えが
子供時代から成人まで延々と続けられると言う事になれば
それがこの社会にどんな人間を作り出すかと言う事です。


現に創価学会信者の手に拠る嫌がらせは有名な話ですし
電磁波による被害者も大量に存在している事は
ご存知の通りです。


しかし彼らは名誉ある教団だと自分達を誇り
例え黒でもそれを認めない事で
自らは潔白を主張しているわけです。


彼らは物的証拠を残さない事を鉄則としているから
其れが可能なのだと思います。


しかしいくら人目に其れを隠しても
私達の意識は神に繋がっているのですから
その報いは必ず受ける事になります。


この生、若しくは今後の生においてです。

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私は嫌がらせ等の被害を自覚してから
既に10年以上がたちますし


電磁波による関与を自覚してからでさえ8年近くなります。


その間もこの組織の人間達に
電磁波とストーカー行為等でマインドコントロールを
受け続けましたし、


数回は自殺を意識させられて未遂をも繰り返しています。


其の上で昨年の7月以降は洗脳強化され一時は正気を失い
その後は延々と妄想と暗示と音声送信、思考盗聴で
苦しめられ続けました。


今では電磁波刺激が一段と強化されて
脳も不完全な状態が続き、更には短期記憶を頻繁に消されますし
頻繁に死を意識させられ続けています。


まるで激しい虐めを延々と受け続けている気分でもあります。


私の事を罪人や危険人物扱いしては
そんな噂を流し続けている様でもありますし


其の上で危険人物だと思わせては
多くの人間の攻撃対象にまでされている気配です。


こんな状況が続ければこの組織が尋常ではないと言う事だって
嫌でも気がつくことになります。


私は過ぎ去った事は水に流す事も許す事も出来ます。


しかし今現在も延々と繰り返されている分には
其れを放置する事はできません。


私同様の想いをしている人間は少なくないかもしれません。


以前から多くの人間が電磁波犯罪を主張しながら
その後は音沙汰がなくなっているという実体もあります。


私のような状態に置かれている方もいるのだと思います。


私はそんな中で繰り返し語っていました。


肉体的な状況や、今の状態を改善できなくても
せめて精神状態だけでも、そして価値観だけでも
私達のあるべき姿を見つめてそこに希望を感じて欲しいとです。


私が精神記事を中心に記事を書くようになった事で
私が臆しているとか
勘違いをしている方もいるかもしれません。


私の置かれている状態は、以前被害記事を書いて
街宣をしていた頃よりも遥かに苦痛なのです。


しかし其の中で少しでも苦しんでいる人間や
真理を理解できる人間達の救いに成れれば。。


そして苦しみも真理も共感しあう事が出来ればと願って
記事を書き続けたわけです。


私達は今この社会の中で
おそらく今後は二度と体験できない苦しみを体験している。


永遠を生きたとしても恐らくは二度と体験する事はない
そんな凄まじくそして特殊な経験をです。


しかし、それはそのまま私達にとって大きな肥やしになり
私達は次の生を今よりも遥かに進化した状態で
生きていくことになるはずです。


その事を確信して、決して心を腐らせることなく
真理を見つめて生きて行って欲しいと思います。


私達は一人ではありません。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】


追伸


創価学会の狂信者達に
脳機能をボロボロにされています。


その上で私を怒らせる目的で
意図的に排便妨害をも繰り返しているようです。

創価学会の人間達に直腸腫らし、
腸内異物逆流での排泄妨害を受けています。


脳に関しても意図的に他人に優しさを感じられないように
右脳を攻撃されて傷つけられた上に
怒りの壷を刺激されているようです。


室内で一人暴れる羽目になっています。


要するに力ずくで私をコントロールしようと
していると言う事だと思います。


彼らは感情を増幅手段をも持っています。


苛つかせたり、悲壮感を持たせた上で

電気刺激を強化する方法のようです。



この人間達は試行錯誤で
こんな技術ををあみだしてはそれを
敵対者や洗脳対象に使用し続けているのだと思います。


電磁波を使用しては他人の心を動かすという
悪魔の行為をです。
11月7日A.M9:40


胃腸は逆流、排泄妨害の上に
脳の左右には電磁波直撃。


近所に潜む悪魔達の集団の究極の嫌がらせは止まりません。

私に死を意識させる事ばかりを仕向ける
創価学会のろくでなし達です。


恐らくは妻も同様の想いをしているのではないかと思いますが
暗示にかけられた妻は一切不満を言う事もありません。



11月7日 A.M5:48


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

創価学会関係者に語りかけ含めて脳を混乱させられ続けています。
脳の周囲に胃腸の水分をせり上げてはそこで電磁波で
書き込みをするのです。
それも特定の周波数帯でです。


その影響を私は諸に受ける羽目にも成っています。


普通の人間の一日の食事の半分も食べていないのに
薬品で膨らまされては其の上に排泄妨害、


脳への語りかけには嘘つきたちと味方を名乗る人間がいて
時には「殺されるぞ」と脅しを繰り返す輩もいます。


そして味方を名乗る人間達は私の危機になると気配を消すのです。


脳への刺激と語りかけの暗示で一日中振り回されていますが

事情を知らない人間が私の其の様子をみると
おそらくは夢遊病者か精神異常者に見えるかも知れないほどです。


一番正常な意識でいる事が出来るのは外です。


と言っても心無い連中が自動車で遣ってきては
電磁波を飛ばしてきますから
安全な場所などどこにもないといっても過言ではありません。


建物の中は独自の周波数帯のはずですし
おそらく私のような闇政府への反逆者にとっては
深いな気分にさせられること間違いありません。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

下の部屋には創価学会の信者が入り込んでいると

語りかけの人間たちが指摘します。


其の上での電磁波洗脳。


要するに教信者が私を逆恨みして狙っていると言う事のようです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今度は右脳攻撃がはじまりました。


塩基を攻撃される。。要するに脳への電磁波攻撃で
脳の水分が飛ばされるなどしては機能が正常でいられなくなるわけです。


苛つくようになりますし、それを仕向ける人間達の
心無さが身にしみます。


2014年11月06日16:44



第二講義 VOL11


【天の国とは】


私達が理解すべき事として天国と地獄の存在がありました。


良い事をすれば天国に行く事が出来て、悪い事をすれば
地獄へと落ちるのだと、今でも信じている方も少なくないと思います。


そして其の概念をこの社会に与えたのも
実は天使達だったという話を記事で書いた事があります。


天使達はこの社会の人間達に良い意味での飴と鞭を与えたのです。


身勝手で野蛮だった時代の地球社会の人間に対して
少しでも道徳的な存在へと変貌してもらうために、


更には彼らの教えを少しでも実践してもらうために、
それを誘導するための手段として天国と地獄という概念を
私達の社会に齎したわけです。


しかし実際には、そんな物など存在してはいない事も
私達は理解しています。


地獄とはもしも悪い事ばかりをしていると、
当時の人間が暑いと信じていた、
太陽に近い空間に存在している水星に送ってしまうぞ、
という脅しでもあったのだと想像しています。


勿論、其の空間は灼熱地獄ではない事も記事で書きましたし
後述する事になります。


地獄と言う概念は、私達の祖先でもあり兄弟でもある
太陽系の天使達が


私達の祖先が正しく人間らしく生きるように導くための
手段であったという事です。


今でも地獄には火や熱さの苦しみという概念が残っているのは
其の時の教えの名残だといえます。


では一方、天国はどんな空間なのでしょうか。


当時、野蛮で、闘争と殺戮を繰り替えし
殺伐としていたこの社会こそを地獄と受け止めれば
それとは全く異なった意識で人間達が生きている社会の事です。


もっと単純に言えば、この地球社会以外の
他の太陽系の惑星の事を指した言葉だと思います。


井の中の蛙である私達は自分達の住んでいる地球を
奇跡の空間であると信じ、


宇宙の法則と切り離しては
自分達が想像した独自の法則で生きていますが、


他の宇宙空間の殆どの人間達は
絶対的な真理こそを生活の指針として生きています。


彼らは口で語るだけではなくて
宇宙の法則という普遍的な真理を日々実践しながら暮らしているのです。


そしてそんな社会こそが、私達の社会の人間からすれば
天国に見えることでしょう。


つまりは本来あるべき人としての生き方をしている人間達が
暮らしている社会こそが天国なのです。


空間的にも”天”、すなわち私達地上から見れば
空高い場所に存在している国だから天国。


其れは昔の人間達が、天使達が遣ってくる方向が天空であった事から、
彼らの社会が天空高く存在していると信じ続けた名残でもあると思います。


そこから遣ってくる人間達を私達の祖先は神の使いだと信じたわけです。


時代の経過と共に天使達の姿がデフォルメされ、何時しか翼を生やし、
一方では人間が死ぬ事で天国という別次元にいく事が出来ると
誤解されるようになったために


彼ら天使は霊界からの使いであると考えられるようになってしまい、
私達は天国という空間を誤解するようにもなっています。


しかし聖書に登場する天使達は誰も羽など生やしてはいません。


アダムスキーは其の社会の事を詳細に語っていました。


私達が天国と語った社会は
見た目は私達の社会とも何の代わりも無い様に見えますが


実際はそこに住んでいる人間の意識や社会の仕組みが
全く異なった社会のようです。


そこに住む人間は長寿で、
時には1000歳を生きるという話もありましたし


1000年王国の本当の意味は地球社会とは異なった
其の長寿の世界にこそあるのだと思います。


そこでは誰もが必要とするものを平等に受け取る事も出来て
其の上に人間関係も平等で、
争いごと、病も犯罪も無い社会だという話です。


住んでいる人間は誰もが知り合いであるかのように
お互い好意的に接している様ですし、一切の悪意の無い社会。


住んでいる一人一人の人間が高い意識を持っていて
罪や争いを好まないのですから
そこは憎しみや怒りの意識の存在しない社会ともいえます。


しかも彼らは誰もが記憶を持っての転生を繰り返すのです。


つまり彼らは間違いなく永遠を意識しながら生きている存在だと言えます。


不平等で、死や老いを恐れて良きている私達の社会の人間にしてみれば
そんな社会こそが天国だと言えます。


ただ、実際に私達が今の価値観をもってこの肉体で
その場所で暮らそうとすれば、


この社会の仕組みと価値に慣れてしまっている事もありますし


この社会の低い波動を受け止めすぎている事が災いして
決して住み易い空間とは言えないかもしれません。


心は見透かされるし、刺激と言えるようなものも
存在してはいないからです。


多くの人間は、未だ其の世界を天国と感じるだけの
意識の向上が図れていないからです。


だからこそ宇宙の法則は
人間の進化の度合いに合わせた空間へと
私達の魂を転生させ、


暮らしている社会の中での十分な進化を果たしてから
別の社会へと転生していく様に私達を誘導しているのだと思います。


其の社会の人間のあり方は、
先ずは誰もが他人を自分と同じように尊敬し愛しているという事と、
誰もが宇宙の法則を意識して生きていると言う点に集約されます。


更には彼らは必要以上に多くのものを欲しがらず
殆どのものが共有されているという点にも特色があります。


つまりは所有という概念が存在しません。


一方では必要最低限のものはいつでも手に入るため
明日を心配して暮らす必要もありません。


つまりはお釈迦様やイエスキリストが語っていたように
今を賢明に生きることが何よりも尊重されているわけです。


そんな人間達には蓄財という意識も無ければ
老後の心配もない。


しかも肉体の死が次の肉体に転生するための
儀式である事も知っているので死を恐れる事もない。


つまり彼らには不安や恐怖という意識も無い事になります。


聖書の中ではイエスキリストが
「父は沢山の館を用意してくれている」


と言う表現がありましたが


私達はいずれそんな別の館へと転生しては進化を果たし
その後また別の館へと移り住んで行く事で
魂の向上を図ることになるようです。


私達の存在の目的の一つが進化であると言う事を
日々忘れることなく暮らして欲しいと思います。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】


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P。S。


私達が現実を現実と理解して
其れは心の感覚器官で認識できるものだと意識すれば、


当時、私達同様に魂の意識で感じることの出来なかったはずの人間達が
天使を目撃してそれと会話をしていたという事実を
私達は先ずは認識すべきです。


簡単に言えば、何故に昔の人間達は天使に会えたのに
今の人間達は天使に会えないのかということを考えるのです。


昔の人間達が天の軍勢や光る雲を天使達の訪れと理解したのに
何故に今の社会の人間がそんな体験をする事が出来ないのかを
考えるべきだという事です。


昔の人間は確かに私達よりは心に捉われることも少なく
魂を意識する事も出来たかもしれません。


しかし彼らが別の次元の存在である天使を見る事が出来て
それと語る事が出来たと理解するよりは


三次元の現実の存在である天使達が
今ではこの社会を訪れる事がなくなってしまったと
理解すれば全ては説明が付くのです。


そして其の天使というのは霊界の使いでもなんでもなくて
別の社会、別の惑星からの使いであったと理解すれば
この社会で暮らす私達の知識でも説明が付く事になります。


私達にとっての悲劇は、日本であれば
天の使いの乗り物が頻繁に目撃された時代に
それをエイリアンの乗り物であるという
誤った情報を吹き込まれてしまった事だと思います。


今から40年ほど前に、この日本に天使達が
頻繁に訪れていた時期がありました。


其の頃は日本各地でアダムスキー型UFOや
葉巻型母船が目撃されて
頻繁に写真にも写されていたのです。。


ただ、残念ながらその時代には矢追純一氏が
マジェスティック12とか言われる人間達の
ディスインフォーメーションに騙されて


空飛ぶ円盤をグレイと言われるエイリアンの乗り物であると
紹介してしまったために、


後にはキャトルミューティレーション更には
ミステリーサークルと併せては
エイリアンこそが宇宙人であるとこの社会の人間達に印象付けられ


そのために真の宇宙人は
其の実態を日本人に認識される事も在りませんでした。


1950年代から1960年前半にアダムスキーの著書を
読んでいたような僅かな人間だけが
日本の中でも彼らの宇宙船を見ては歓喜していたのだと想像しています。


其れこそが天使達の乗り物
そして私達が天国と言った社会からの訪問者の姿であったからです。


http://www5a.biglobe.ne.jp/~UFO/ufophoto.htm


これらの写真が撮られた時代は殆ど一緒です。


アダムスキーが広報活動をしていた1952~1964
そして1973~75の二回です。


その後彼らは全く姿を見せる事もなくなってしまったようです。


現に近年のUFO写真にはアダムスキー型UFOはありません。


しかし過去にはキリスト教社会ではUFOは
天使達の乗り物として認識されていた気配があります。


http://www5a.biglobe.ne.jp/~UFO/ufopic.htm


時代を問わず彼らはその実態を把握し
現実の存在として認識していたのです。


私達が天使や天国を理解できないのは
其の実態を知らせるべき存在が
今では私達にコンタクトする事が無くなっているからなのだと理解すれば


全ての謎は解けるはずなのです。


天の遣いと言われたのは他の惑星の人間達
そして天国とは其の人間達が暮らしている社会です。


もしもアダムスキーが天使達と会った時に
彼らが太陽系から遥かはなれた惑星から遣ってきていると語っていれば
この社会の中ではもっと多くの人間達が彼の言葉を信じたかもしれません。


しかし天使達の存在をこの社会が認めた時には
太陽系の実態が公表されて全てが明らかになることを信じて
アダムスキーは敢えて実態をそのまま語ったのではないでしょうか。


天使達は太陽系の内部から遣ってきているのだと言う事をです。


しかし天使達はこの社会を導く事を断念せざる得なかった
若しくはこの社会の中に訪れる事が出来なくなっているのです。


世界の軍隊の中には未確認飛行物体を確認次第
打ち落とせと命令されている人間達もいるようです。


そしてそんな命令を出している人間達は
言うまでも無くこの社会の中で意識改革が起きて欲しくない人間達だと言えます。


彼らの実態が知られると、彼らがエイリアンではなくて私達と同じ姿をした人間であり
しかも身近な太陽系の中からこの社会へ訪問していると言う実態、


更には聖書に出てくる天使達は全て彼らのことだと言う実態を認めると
地球社会は彼らの社会にこそあこがれて
既存の地球社会の価値観を根底から覆す事になりかねないからこそ


彼らこの社会の支配者層はこのことを隠蔽しては
彼らの作り上げてきた秩序を壊されないように


一般市民を偽の宇宙人と誤った太陽系情報で
騙し続けているのです。


私達は其の中で偽の情報に踊らされず真理を見つめる事が
出来るようになった貴重な人間です。


どうかこの社会の作り上げる幻想に惑わされる事なく
一旦つかんだ其の真理を見つめ続けて欲しいと思います。


私が書いた太陽系の実態と宇宙の仕組みの一部に関する記事です。
眼からうろこを落としてくれる事を期待します。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11416525307.html
70億人の覚醒(危機を乗り越えて)
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11425010666.html
太陽系の実態を知る VOL5 後編
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11424968076.html
太陽系の実態を知る VOL5 前編
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11421482156.html
太陽系の実態を知る VOL4 崩壊と創造
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11421490280.html
太陽系の実態を知る VOL4 崩壊と創造 後半
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11420809295.html
太陽系の実態を知る VOL3
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11419047352.html
太陽系の実態を知る VOL2
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11418865892.html
太陽系の実態を知る




私の住んでいる地域の中の心無い人間達と

其の人間達に協力するために集う人間達の手によって
夫婦揃って排泄を妨害されているようです。


ご丁寧に便秘を促進するためにも
粉っぽい成分をもばら撒いてくれます。


出るものが出ないのも不快ですね。


排泄物の塊が腹の中を上下しています。


電磁波の回転によってです。


しかもこうやって被害を書くと余計に
排泄妨害が酷くされると言う脅迫めいた事まで
語りかけの人間達が教えてくれます。


一日一日生きているのが不快に成るような
そんな事を延々と繰り返されながら生きています。


昨日は脳機能が止まるかと思うほどの
電磁波を延々と受け続けました。


今朝は朝から脳が栄養不足でした。


何でも私の意識を止めるために
視覚神経の後ろに電磁波照射により食物の成分で作った糸を
絡めてしまおうとしていると


語りかけの人間達が教えてくれます。


要するに闇政府の傀儡には私が邪魔だと言う事のようです。


闇政府の傀儡達はハイテクを利用する悪魔です。


2014年11月06日 12:55


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一から文章を書くまで思考能力が足りないので

以前の記事を手を加えたものを今日の記事とします。


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私が天使達の社会を羨ましいと考えるのは、


人間同士に対立が無く、
皆が平等の立場でお互い助け合って生きているからです。


全ての人間が相手を尊敬し信頼し、そして仲良く暮らしている。


私達の社会の常識からは想像がつかない社会が
そこにはあります。


一人一人の人間が医者以上に身体に関しての知識を有していて
そのため健康にも気を使い、体を正常に保って生きているので
病もほとんど存在していない。


精神性が高く、エゴで暴走する人間がいないので
道徳を乱す人間もいませんし犯罪も存在していない。


争いがありませんし、権利を主張する事もなければ、
所有権も存在しないので裁判制度も存在していない。


そんな社会こそが私や兄弟姉妹にとって
天国と言える存在であることは言うまでもありません。


私達地球社会の人間は
元々が精神的な資質が低かったのだと思います。


そのために私達は進んでいくべき道を
誤ってしまったのだと理解しています。


そこに住んでいる住人の波動のためなのか
惑星もそれぞれ特有の波動を持っていて、


他の太陽系の惑星は全て私達の社会よりも
周波数の高い世界でもあるようです。


地球社会は8HZ~11HZくらいの
特有の周波数を持つと言われていますが


彼らの社会とは、それ自体が異なるようです。


そのためなのか、彼らは子供が生まれて成人するまでの期間も
私達の社会よりも遥かに短いようです。


低い意識を持っている人間で構成された地球社会は
どうやら進化の方向を間違え続けて今に至っている。。。


そしてそれがそのまま、
今の私達人間の精神性や価値観へと
繋がっているのだと思います。


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原始社会を例にして、
今の地球社会への進化?の原因となりそうなものを
説明してみたいと思います。


経営学に”協業”とか”分業”という概念があります。


協業とは複数の人間が共に協力し合って何かをなすことで
分業とは複数の人間が別々の分野で仕事をこなすことです。


そして効率的な生き方をするためには
私達は協業の分業を実行することになります。


例えば一人では持てない重い荷物を持つ作業を考えても
一人では永久に仕事がはかどらなくても
三人いれば運ぶことが出来て仕事は進むかもしれません。


重い石材を積んで家を作り上げる行為や
岩を取り除く行為を想像してみてください。


そんな時に協業の効果が現れます。


一人では作業がまるで進まないような事でさえ
人が数人集まれば作業ははかどるのです。


一方では、製品を作り上げる作業を考えて見ます。
(ロボットや機械の関与抜きでです)


例えば家具や家財を作る作業を考えます。


材料となる木材を切り倒す人間がいて、


それを適度な形に切り分ける人間がいて


更に其れを家具の各部品へと加工する人間がいて


其れを組み立てる人間、塗装をする人間が必要です。


その全てを一人でやると時間がかかりますし
全体の作業に慣れるにはとても沢山の時間が必要となります。


しかし工程ごとに特化した人間が作業を行えば
それは効率の良いものになるのはいうまでもありません。


木を伐採する人間は伐採作業に特化し
組み立ての人間は組み立ての作業に特化する。


其れによって熟練も早まる事でしょう。


そんな意識が分業を推し進めたと言えます。


原始社会でもそれは同様で、
このような意識を元に”協業”と”分業”が進んだことは
理解して頂けるかと思います。


そして一人ではなくて大勢で協力し合うことが
私達の社会に効率と言う名の利益をもたらした事になります。

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ところでここでは、
そんな協業を”私達の精神レベル”を持って実行したことが、


今の社会の中で、”地位”や”権力”を生み出した
と言う話に触れてみます。


原始社会での漁師を考えて見ます。


一人で海際で網を投げて魚を取っている人がいたとします。


一人では網を上げるのも大変ですし、海岸線では
おそらくは思うように魚を取ることも出来なかったでしょう。


近海の魚を体よく手に入れる事が出来たとしても
少なくとも沖合いに行かねばいない魚は
獲る事も出来なかったはずです。


作業も単独では効率的ではありませんし
取れる魚も決まってしまう事になります。


そこで彼は仲間を求める事になると思います。


時には海際ではなくて
もっと沖に出かけて漁をすることを効率的と考え
仲間と共に船を作る事になるかもしれません。


そして複数の漁師が集って船で沖へと出かけて
大量の魚を手にしては、


それを漁に参加した人間達全員で
分け合うことになったと思います。


ここで一つ目の問題がおきます。


もしもこの中の一人がリーダー格で、


自分が力も強く、自分のおかげで沢山の魚が取れたのだから
「自分が余分に沢山魚をもらえる権利がある」と主張し
それを周りの人間が認めたとします。


その時この漁師達の中では上下関係が発生した事になります。


特定の人間は他の人間よりも力があるのだから
その分、作業に関しては余分に役に立っていると認め、
そこに取り分の多くを分配する事を認めた。。。


つまり同じ一つの目的で働いている人間達の中に、
上下関係が生まれた事になると思います。


ここで言えばそれは”力”と言う”能力”で
人間関係に上下をつける事に他なりません。


そしてもう一つ、こんな場合を考えて見ます。


もしも猟師達の中に一人だけ元々船を持っている人間がいて、
それを頼りに他の漁師が集まってきたとします。


彼らはその船を沖に出して多くの魚を捕まえる事になりますが
その時に船を持っていた漁師が


「私が船を出したからこんなに沢山の魚を取る事が出来たんだ。
私が皆よりも多くを受け取るべきだ」


と主張し他の人間達もそれに従ったとします。


船を持っている人間は船と言う”資本”を提供したのだから
その分、分け前を余計に寄越せと主張したわけです。


周りの人間がそれを認めれば、
そこで”資本を出した人間に対しての優位性”
なるものが出来上がる事になります。


私が何を言いたいのか理解して頂けるかと思います。


これこそが今の人間同士の不平等の原点であり、
そして資本主義社会と企業の姿の原点だと言うことです。


資本となるもの、働く場所、使用する道具を提供する人間がいて
本来皆が協力して実行すべき目的を皆で遂行するが、


そこでは皆が対等の立場ではなくて上下関係があり、

損をするわけでもないのに資本を提供した人間が
其の提供を理由に多くの配分を請求する。


皆で作り上げた富が資本家により余分に搾取されるという
今のこの社会の先駆けが見えてくるかと思います。


つまり私達の社会は、物を所有すると言う概念と、
人間関係において他人に対して優位を保とうとする概念を持つ事で、
今のような社会制度と生産制度を作り上げて来たという事になります。


もしも誰もが平等であり、
働いた人間全員が皆同様に扱われる事を
誰もが正しいと感じていたならば、


そして所有制度により、
物の所有権が主張されることがなければ、


人間を特定の能力で計って優劣をつけるような
意識を持っていなかったならば、


今のこの社会のように、人間間に上下関係をつくる制度や
資本社会制度は存在していなかったはずです。


人間の原始からの発展の流れを考えた時に、

スペースブラザーズの社会では人間同士の平等や
財の共有の概念が当たり前でしたが、


この社会ではそうではなかったために
今のような権力制度や資本制度のようなものを
生み出したことになるのです。


私は必要以上の物を欲しがる意識は間違いだと思います。


生き続けていくために充分な財を手に入れながら、
それ以上に蓄財をしようとする行為です。


この社会の自然の資源に限りがあるのだから、
地球と言われるこの空間に存在する元素に限りがあるのだから
そして人間の手で生み出される財に限りがあるのだから、


特定の人間に財や富が集中すれば、
当然それを充分に手に入れられない人間が出てくるのは
誰しも考えれば判るはずなのです。


それを無視して不平等を当たり前として
蓄財競争をもしているように見えるこの社会は、
動物社会以上の弱肉強食社会に見えます。


草食動物を食べるのが肉食動物ですが、
それは創造主が作りあげた摂理の一環のはずです。
(草食動物が増えすぎれば今度は草花が減少するでしょう)


でも、彼らは同じ動物同士で縄張り争いや、
繁殖の相手争いで戦うことはあっても


人間のように食料や富や土地や財や民のために
仲間同士で殺し合いをすることはありません。


そして食料とする目的以外に
いたずらに他の動植物の命を奪うことも無いのです。


しかし人間はそんな事を当たり前にし続けています。


更に間接的にですが、必要以上に持つ人間達が
持たない人間を窮地に追い込んでもいます。


これは眼に見えない生存競争を
人間が激しく実行している事に他ならないのです。


しかし一方では元素を使用しては
機械化文明を推し進めている私達人間は、
そちらの物質的な進化ばかりに目を奪われて


持っている意識が実は動物以下であることに
自分達では気がついてはいません。


私達は心の貧しい生物だと言う事です。

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以前、私が理想とする天使達の社会に触れた事があります。


彼らの社会こそが私にとっての理想の社会です。


彼らはまず全体を意識して其の構成員全員の
必要なものを想定し、それを全員で作り上げるのです。


家や洋服、そして食料、家財
そのようなものを、全員に行き届くように
それぞれが得意の分野で生産をする事になるようです。


その上に彼らの社会には所有と言う概念は存在しません。


「一家に一台」と言う意識ではなくて
あくまで全体として必要な量だけ必要に応じて作るのですから
無駄に資源を利用する事も、余計なものを作る事も無いわけです。


其の上に彼らは誰もが必要以上に物を欲しがらない事を
自分達の戒めとしています。


更には物の製作にはロボット、機械が使用されるために
生産の効率も良い。


そのために彼らは一日実質2時間程度の労働で済むといいます。


そして彼らはどんな作業をしている人間であっても
職業間に上下関係も差別もありません。


全員が全体にとって必要なものを作っているわけですから
誰かが其れを作らねばなら無い事を知っています。


それゆえに誰もが同じ様に尊敬され
大切にされることにもなるのです。


彼らの社会は協業と分業に併せて
平等までもが実現されている社会だと言う事です。


更に必要最低限の物は、望めば直ぐに手に入るのですから
蓄財をしようと言う意識を持つことも無いわけです。


移動手段にしても一家に一台ではなくて
数件に一台あれば足りる状態なら
彼らは其の状態を維持します。


一応は個々に家などを持っているわけですが
家についているプールや自分の庭などを
近所の人間が使用するのも当たり前なわけです。


生産は最低限で住み、しかも誰もに必要なものが与えられ
食べる事に困る事もない。


其の上に必要以上の労働を強いられる事も無いので
余った時間は誰もが学習と趣味に利用する事になるといいます。


彼らは転生を繰り返し、
前世までの記憶を持っているのですから


学習と言っても個々の人間によって得意不得意も違うでしょうし
学ぶ内容も個人個人によって異なり
誰もが自分の其の生の課題を持って学習する事になるようです。


彼らは常に学び続けているのです。


一方では彼らも私達の社会の人間同様に
似たような娯楽をも持っています。


独自に運動や趣味に没頭する事もあるようですし

星全体を三つの班に分けて、一年の内の3ヶ月は
宇宙旅行をして暮らすそうです。


そんな生き方と今の私達の生き方を比べれば
私達がいかに労働に制約されているか


そして食べるためにだけ生きている
暮らすためにだけ働いている事も解ります。


そこには心の豊かさを齎す要因など無いのです。

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この社会の不思議なところは、
充分な蓄財をしているような人間にまで
富が提供され続ける社会であると言うことです。


世界レベルでみればそれは顕著です。


食べるものも無くて植えて死んでいく人間が
当たり前に放置されている一方で
信じられないような贅沢な生き方をしている人間がいます。


私達の暮らしているこの社会は、その人間の蓄財状態によって、
可能な消費がいくらでも存在しているわけですから


「お金はいくら持っていても困らないし
在れば在るほど贅沢な生活ができる」


誰もがそんな意識を持ってしまいがちになります。


移動手段にしても200万もあれば安く変える新車もあるし
それに数千万かけることも可能なわけです。


一軒家を手にすることに留まらず、
その気になれば島まで買うことも出来る。


自動車どころか飛行機まで自前で買う人間もいます。


自転車で済ませる気になれば数万で済む個人の移動手段が
ジェット機になれば数億と言う金額にもなりますし


持っているお金相応の売り物も存在しています。


そして低い?レベルの安い消費をしている人間は、
高い?レベルの価格の高い消費をしている人間を羨む。


この社会のあり方に疑問を感じるのではなくて
お金持ちを羨み自分もそうなろうと願う。


私達は少なからずそんな意識を持って暮らしているはずです。


天使達の世界と比べれば私達の心のエゴと欲とが
私達をどんどんと人間が本来あるべき姿から
かけ離れさせていると言う事になるのではないでしょうか。


アダムスキーは地球社会の人間は
元素に支配されていると触れていました。


本来私達は元素の支配者でなければいけないのにです。


人間だけが神の作り上げた法則を利用しては
あらゆる元素を化合し、更には其れを利用しては
あらゆる道具を作り上げる事が出来る存在です。


しかし現実は住宅ローンに負われて労働を強いられるように、


私達は元素・物質の奴隷に成り下がっているわけです。


(貸家も今では費用は変わりませんが
結局生活する空間にお金がかかるという言う制度が
私達を長時間労働に縛り付けていると言う事です。)


全ては私達の社会の在り方のため
更には私達が不要なものすら欲しがる事に
原因があるのだと思います。


そして所有という概念や権力という概念、
更には資本という概念、


そして私達がとらわれている物欲が
私達の社会を地獄へと変貌している。


ブラザーズの社会に理想を見ている私にしてみれば
そのようにしか思えませんが


皆さんは如何が感じたでしょうか?


【地球人の苦悩を光の前の暗黒の様に消すために
宇宙の創造主を地球の道しるべにしよう】


スペースブラザーズと言われる太陽系の兄弟の母星での生き方こそが
私達を創造主の下へと帰らせるための手本だと思います。


私達覚醒者は、
魂の濁りまくっている人間達の事は諦めても、
せめて理解できる人間にだけでも


究極の奇麗事である創造主の法を伝えていきましょう


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】


P。S。


親には孝行者で、品行も方正
そして戒律を全て守っているお金持ちの青年であっても


「お金持ちが天国にいく事は難しい」


と聖書の中でイエスキリストが語っていました。


それは其の人間が裕福であると言う事を
批判したのではなくて


アドバイスをしたにも関わらず
それを受け止めることが出来ないと言う事は


持っている豊かな財を、財を者を持たないものに
依然分け与えるつもりがないという其の若者の意識に
言及したのだと受け止めることが出来ます。


其の若者はお金とか慣習に縛られていて
結局は自らの今の境遇を変える事を不快だと感じたのです。


つまり折角真理のエアポートまで足を伸ばしたのに
入場直前にそこで金属探知機にかかってしまい


はずせば良かった持ち物を脱ぎ捨てる事が出来ず、
天国行きの飛行機に乗る事が出来なかったと例える事が出来ます。


更にイエスは言っていました。


「私達は富と神の両方に仕えることは出来ない」とです。


これは私達であれば簡単に理解できます。


富は私達の心のエゴの象徴ですし
神は私達の魂の真理です。


蓄財、そして所有と言う意識は
私達の魂の価値観には存在してはいないもの
其れを脱ぎ捨ててこそ私達は正しい生き方を出来る。


きっとイエスは天使たちの社会を思い浮かべながら
その事を弟子達に語ったに違いありません。


私達の社会の表現で言えば
物質的な豊かさよりも心の豊かさこそが大切だと
私達は理解すべきだと言う事。


そしてそのような生き方の先にこそ
私達が天国と呼んでいる世界の入り口があるのだと言う事です。


久しぶりに私らしい記事を出します。


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私はこの社会の実態を敢えて批判的に見つめ続けています。


以前と今は一体何かが改善されたのか?


それともこの愚かな社会は未だに
地球社会を使い捨てにしようとしているのか?と言うことに関してです。


其の中で私が何よりも気に入らないのは
相変わらずユダヤなるものが美化され続けている傾向があること。


更には近年タルムードをも
美化する傾向があることです。


確かにユダヤ教徒の数千年の歴史の中で得られた
生活のための工夫や知恵が、そこにはふんだんに記されている事でしょう。


しかし其の殆どが形式ごとであり、
合理主義と形式主義を前提にしたものである上に


彼らの一番危険な思想がまるで取り上げられる事なく
タルムードが単に生活のための知恵や知識として
賢明な教えであると勘違いされている事を忘れてはいけません。


全体を見つめられるとボロがでる。


だからこそ都合の良い、そして差しさわりの無い部分だけを
生活の知恵として一般人に取り上げさせて見せているだけの話です。


例えば彼らの持っている思想を、
神への意識としてはっきりと表現しているのはこの一説です。

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タルムードの決定は、生ける神の言葉である。
エホバも天国で問題が起きたときは、現世のラビに意見を聞き給う。
(ラビ・メナヘン、第五書の注解)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

エホバと言うのは言うまでも無く
キリスト教が神としている存在の事であり
私達にしてみればこの宇宙空間、三次元と四次元を作り上げた創造主の事です。


ユダヤ教徒は自分達のラビ(宣教師)は
神よりも偉いのだと宣言しているのです。


彼らがどんな驕り高ぶっている人間達かが
ここからだって理解できるはずです。


「宇宙を想像した神よりも自分たちの指導者のほうが優れている。」


こんな危険な思想を何故に持つことが出来るのかを
考えてみてください。


恐らくは彼らは端から神など意識してはいない
若しくは都合の良い時だけ神を語っている可能性が高いという事です。


自分達を「神に選ばれた選民だ」と称する時は神を美化する一方で
彼らは神に敬意を払ってはいないと言っても過言ではないと思います。


「彼らは行動や思考が現実的なだけだ」という方もいるかもしれませんが
其の地球社会の現実を作り上げてきたのがユダヤ教徒達であり


経済、法律、文化の多くが
そんな人間達に誘導されながら作り上げてこられた事を考えれば
この社会の中での現実は既に彼らにとっての都合の良い現実であり


真理と照らした時に其れが正しいというわけではありえません。


お金こそがこの世の全てであり資本主義こそが
弱肉強食の世界こそが正しいと意識を私達が持つようになっているが故に
其のおかしさに気がつくことも出来ないわけです。


能力主義で頑張ったものは評価されるという言葉は
裏返せば能力が低いものは報われない社会という事にもなります。


しかもその尺度のとなるものもこの社会では殆ど全てが
学校教育で学んだ事を実践する能力であり
言ってみれば其の指針自体が偏っているのです。


そんな価値観を踏襲する事は私達の意志そのものがユダヤ教徒的に
変貌している事に他ならないと思います。


彼らの意識はキリスト教に対する姿勢からも見て取れます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

●汝知るべし、イエスの教に從がいて迷えるキリスト教諸國民は、
その信仰には種々あれども、ことごとく偶像礼拝者なり。
故に彼等は偶像礼拝者相応に扱わるべし。
これタルムードの説くところなり。<モシェー・バル・マエモン>


●キリスト教徒は異教徒なり。
彼等、神は血と肉なりと信ずる故なり。<アバルバネル法師>


●非ユダヤ人及び奴隷も証言を為す資格なし。敵・混血児・裏切者・自由思想家・変
節者(背教者)、キリスト教の洗礼を受けたる者はゴイ(非ユダヤ人)より更に悪し
ければ、同じく証言を為すを得ず。(シュルハン・アルフ、第三巻正義の楯)


●カトリック教司祭が手に持つ銀の十字架及び香を焚く香爐は偶像礼拝に属するもの
なり。<アシェル法師>
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内容的にイエスキリストが現れた時代以降の思想であることは明らかですが
自分達の偽善や傲慢を批判したイエスキリストと其の信者を忌み嫌い、
それを徹底して批判し続けて来た事も見て取れます。


彼らにとってキリスト教徒は目の敵だったわけです。


多くの教会に彼らの傀儡が入り込み
キリスト教世界を堕落させてきた事に気がついている方もいるかと思います。


そして彼らは時には自分達がユダヤ教徒であることを語らず
クリスチャンを振舞う事もあったと想像しています。


キリスト教の儀式や偶像崇拝に関しては私も否定的ですが、


ユダヤ教徒は自分達はモーセの民だと語りながら


実質そのモーセの流れを受け継いでいるはずの
イエスと其の教えを徹底しては無視して
自分達の思想を美化している、


若しくは正当化しているのです。


イエスの教えが宇宙の法則であり真理であるのですから
それを否定するユダヤ教徒の思想は一体何なのでしょうか?


そして彼らの残酷さはこんな内容からも理解できます。

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第二章 基督教徒は絶滅されねばならない
  第一節 基督教徒に対し間接的に危害を加えよ
     壱、 基督教徒に善行を施してはならない
     弐、 基督教徒の仕事に対しては損害を与えられねばならない
     参、 基督教徒は法的な事柄によって危害を与えられねばならない
     四、 基督教徒は生活に必要なものに損害を与えられねばならない


  第二節 基督教徒は殺さねばならない
     壱、 最後にタルムードは基督教徒は無慈悲に殺されねばならないと命じる
     弐、 洗礼を受けたユダヤ人は死なねばならない
     参、 君主達取り分けローマの君主(教皇)は殺されねばならない
     四、 最後に彼等(ゴイム(異教徒))最良の部分を含む
        全ての基督教徒は殺されねばならない
     五、 基督教徒を殺したユダヤ人は罪を犯してはいない。
        かえって喜ばれる犠牲を神に捧げるのである
     六、 エルサレムの神殿破壊後の唯一のなくてはならない生贄は基督教徒の根絶である
     七、 基督教徒を殺す者達は天国で高い位を獲得する
     八、 ユダヤ人はゴイム絶滅を止めてはならない、 
        彼等を平和にしておいてはならない、彼等に服従してはならない
     九、 全てのユダヤ人達は彼等の中の反逆者を抹殺する為に
        互いに一つに結び合う義務を負わされている。
     十、 例えどんなに荘厳な祭りでも基督教徒の首を切る事を妨げてはならない
     十一、 ユダヤ人の全ての行動と祈りのただ一つの目的は
        基督教を破壊する事でなければならない
     十二、その祈りの中でユダヤ人は復讐に燃えるメシヤの到来を待ち焦がれる、

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キリスト教徒とあるところを”敵対者”と置き換えれば
どこかの宗教組織の思想にもそっくりです。


彼らは長い歴史の中でユダヤ教徒としての思想を作り上げて行った訳ですが、
昔のユダヤ人達はユダヤ民族を神の選民としては美化し、


一方ではそんな自分達に損害を与えた人間達への復讐こそを
その思想の目的として生きてきたような人間達だと受け止めることが出来ます。


しかも繰り返し触れておきますが本当のユダヤ人
もっと正確に言えばヘブライ人は其の殆どがユダヤ教から離れています。


今ユダヤと呼ばれている人間の多くが改宗ユダヤ人であり
其の中心が白人中心のアシュケナージである事も知られています。


私達日本人やチベット人、更にはパレスチナの人間や
スファラディーユダヤ人などこそが本当のヘブライの末裔なのです。


では一体ユダヤ教徒とかユダヤ人というのは一体何なのでしょうか?


私は以前にも触れましたが、それは一つの思想であり
イデオロギーであり、その思想に賛同する人間達こそが
ユダヤ教徒であると認識しています。


自らをこの社会の王と名乗り、自分達こそが選民であると嘯き
ありとあらゆる手段を用いては
この社会支配を企んでいるような危険な思想を持った人間の集団だという事です。


それこそ眼に見えない秘密結社のような思想を持った人間達だと言えます。


その独自の身勝手な思想はこんなところにも反映されています。

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●なんじらは人類であるが、世界の他の国民は人類にあらずして獣類である。
(ババ・メチア、一四六の六)。

●ユダヤ人はゴイから奪ってよい。ユダヤ人はゴイから金を騙しとってよい。ゴイは
金を持つべきではなく、持てば神の名において不名誉となるだろう。
(シュルハン・アルーフ、コーゼン・ハミズパット、三四八)


●ゴイがゴイまたはユダヤ人を殺した場合には、その責任を負うべきであるが、ユダ
ヤ人がゴイを殺した場合には責任を負うべきものでない。
(トセフタ、アブダ・ザラ八の五)


●すべてのイスラエル人は一定の法式により動物及び動物視されている非ユダヤ人を
屠ることを許さる。(シュルハン・アルフ、第二巻智慧の教)

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こんな勝手な思想を持っているからこそ
9.11同時多発テロのような大規模な捏造事件まで
引き起こす事が出来るのではないでしょうか。


あの当時、軍事産業はもはや戦争需要を失っていました。


イラク戦争が終結し其の後、表だってお金になるような戦争も無い
そんな時に、まるで今後はイスラム教徒を世界の悪にすると言わんばかりに
仕掛けたのが9.11同時多発テロだと私は認識しています。


ユダヤ教徒にしてみればイスラム教徒は中東戦争以来の宿敵です。


9.11テロがユダヤ傀儡の自作自演だと言うのが私の持論でもあります。


ツインタワー倒壊の犠牲者の中に、
その中に駐在していた会社に勤めていたはずの
5000人近い多国籍ユダヤ人が一人もいなかった事が何よりの証拠です。


その事実を日本国内で調べていたNHK職員が
社内で死体で見つかったという事実を知って私は確信しました。


これは意図的に作り上げられた捏造テロであると。


当時テロとされ世界に公表された数名のアラブ人は
飛行機にさえ乗っていなかったという事実まで広報されながら


日本は興味の低さと情報の不正確さから其の実態に
気がついた人間は少なかったようでもあります。


何よりもマスコミ報道されるとそれをそのまま真に受けてしまうのが
私達一般市民なのだと感じたのはツインタワービル倒壊の映像です。


賢明な人間が見れば、あれはどう見ても
ビル解体手段である複数個所同時爆発をしかけられ
そのボタンが押された時の倒壊そのものです。


ツインタワー倒壊数日前に大々的な設備清掃が
入り込んでいたと言う情報もリークされていて
私は早々とそれが爆破テロであると確信もしました。


つまりは当初からツインタワーの倒壊は予定されていて
そのための準備もなされた上で
飛行機はそこに激突してきたというのが正しいと思います。


リークの映像には飛行機の実態すらなかったという情報までもが
存在していたくらいです。


その倒壊を目の前で目撃しながら、飛行機の爆発炎上のための災害と
信じ込まされ疑わないから、彼らはこの社会で遣りたい放題を出来るわけです。


飛行機一機の爆発であのような見事なビル倒壊が
起きるわけなどないのです。


殆どの人間がマスコミ報道をそのまま現象として受け止めて
其の原因を自ら思考し追及しようとしないために


マスコミや専門家の説明と其の現象とに整合性が無い事に
気がつく事も出来なかったということに成ります。


そしてあれこそが軍事産業を裏から支配するユダヤ教徒達が
世界に向けて発信した彼らの今後の指針であり
彼らの次の一手だったわけです。


あの時に私は今後の彼らの標的は
イスラム世界だぞという事だと想像してました。


現にその後、イスラムをまんまと悪者にした彼らは
アルカイダという彼らの手の内の組織、若しくは架空だった組織を
現実に作り上げて其れを口実にイスラム世界に乗り込みます。


小競り合いが続くイラクそしてアルカイダを匿っているという話で
アフガニスタン。


更にはその後不可思議な事に、リビア、イラン、シリアと
反米、反イスラエルの国家が次から次へと内戦状態に入り込み
(彼らに得意技の民主化扇動に違いないと想像してます)


最近はとうとう追い詰められたイスラムの人間達が
彼らの扇動に載せられたのか自ら立ち上がったのか
イスラム国家なるものを作り上げるにまで至ります。


ユダヤ教徒達が何故に非難されないのかは
彼らが余りにも狡猾で決して直接自らの手を汚さないからです。


それを実行しているのはイスラエル在住の人間達だけで
多国籍で活躍している人間達は
国家を超えた超国家で世界を結び付けては
将棋の駒のように国を動かしては一般市民を扇動し続けているはずです。


世界の多くの国のトップは彼らの傀儡だからです。


独裁国家などは彼らに眼の敵にされていたはずです。


リビアのカダフィー大統領は確かに独裁者であったようです。


全ての実権を握っていたという意味でです。


しかし其のカダフィーの作り上げたリビアには
ホームレスはおらず、誰もが裕福とは言えなくとも
貧しくて食えない人間もいないまともな社会だった様です。


恐らくは資本主義思想に憧れ扇動された人間達が
政府へ不満を持つようになり其れを扇動していた人間達が
大々的な内乱へと誘導したのでしょう。


恐らくは見えない他国の工作員達が
大勢内乱には参加していたはずです。


しかし彼らは其の実態を知られることはありません。
少なくとも資本主義陣営の国家においてはです。


何故ならば全てのマスコミを上で支配している人間達こそが
彼らユダヤ教徒達、さらには其の裏で糸を引く人間達だからです。


しかも彼らは直接手を汚すこともなく
人前でその行為を認識される事もありません。


金や権力や地位、そして脅しで
他人をいくらでも利用できる事を彼らは知っています。


彼らは人間のエゴを利用しては
自らの意志を実現させる能力に長けているのです。


しかしそんな利用されている人間達の後ろに存在しているのは
間違いなくユダヤ教徒そして其の中心である長老会に違いありません。


世間体に拘り、自らの手を汚さない、

こんな身勝手で危険な思想を持った人間達が
神に選ばれた民のわけがないと言うこと。


それ以前に私が語っているように
神は万物に万人に平等であり誰一人として其の前に
特別な存在などいないはずなのです。


彼らは自分達の行動を全て正当化するために
自分達の権利を神から授かったと嘯いては
それを横暴に振舞っているに過ぎません。


しかも彼らは偽善を当然として推進してもいます。


私達には理解できない意識ですし
イエスが彼らを批判するのも当然の事だと思います。


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●偽善はこの世に於ては許さる。即ち、背神者に対し慇懃に為し、
彼等を敬い、彼等に向ひて「我汝を愛す」と言うもよし。
すなわち、必要上止むを得ざる場合、恐怖に駆られたる場合は然り。
<ゲルソン法師>


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一方では自分達の身を案じては
秘め事は漏らすなとしっかりと仲間に釘を打つ
慎重さも見せています。

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●タルムードを学ぶゴイ、それを助けるユダヤ人は
ことごとく生かしておいてはならない。
(サンヘドリン、五九、ア・アボダ・ゾラ、八の六。ザギガ、一三)


●ゴイにわれらの信教を教える者は、ユダヤ人を殺すに等しい。もしもゴイがわれら
の教説を知ったならば、かれらは公然とわれらを殺すだろう。(リブル・デヴィッド
の書、三七)

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魂の進化ではなくて現世における生活向上と
権力志向を求める人間たちらしく死だけはしっかりと恐れているとも取れます。


ユダヤ名誉毀損教会の人間達が国内にも大勢いるようですが
彼らは自分達を悪く言わせないことを
自分達の実態を知られないための第一手段としているのです。


つまりは彼らは自分達の実態を知られたくないし
批判されたくは無いのです。


全てを理解されるとゴイムは自分達を殺すだろうとあるように
彼らがこの社会に対してしてきた事の実態を全て知れば
一般市民は誰も彼らが滅ぼされても同情などしないと思います。


勿論そんなことは望みはしませんが
其のぐらい彼らのしてきた事は凄まじいと言う事です。


それを身近でひしひしと感じ続けてきたのが
イスラム世界の人間達であるということです。


イスラエルに酷い目に遭わされながらです。


恐らくはドイツでの迫害の切欠が
新聞でのユダヤ批判だった事を教訓として
全ての報道・書籍を圧力下に置く事にしたのでしょうね。


兎に角自分達の事を美化するためには
敵対者に批判をさせない、自分達を悪く言わせないことが大切だったのです。


そのために、名誉毀損防止協会が設けられているはずです。


今では日本国内でもそして世界中でも
多くの人間達がお金や名誉、そして権力、更には恐怖で
彼らに縛られて、


ユダヤ教徒の傀儡となっては
彼らの策略を知ってか知らずか協力し続けているようです。


そしてそんな人間達がユダヤ教徒タルムードのまやかしから
逃れない限り、この社会もそして世界も

今のような地獄から抜け出す事は出来ないと思います。


彼らの暗示から抜け出す方法は
何事も自ら思考すること、そして先入観を捨てる事。
既存の価値観を構築しなおす事です。


私はユダヤ傀儡と化してしまった人間達に
一年半ほど暗示をかけられ封じ込められ続けました。


ただ、はっきりしている事は未だ世界は平和にはなってはいない。


そして日本の内情や国際関係を見ても
以前と何も変わってはいないと言うことです。


慣れ親しむ事で誤った価値観を正しいと思い込む
欲を満たすために、不安を取り除くために


誤った事であっても実行してしまう。


そんな人間達がこの社会をどんどんと壊し続けている。


其の事だけは是非とも理解して欲しいと思います。


【地球人の苦悩を光の前の暗黒のように消すために
宇宙の創造主を地球の道しるべにしよう】


これが私達が信奉すべき天使達の私達への想いでした。


私達、この地球に残された真理の欠片こそが
彼らにとっての最後の砦かもしれません。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】

2014年11月4日 16:45


朝鮮総連の関係者達に電磁波の回転で頭の中をかき回されています。

脳の栄養がなくなりますし苛付く状態とされています。
この人間達は音波による音飛ばしをも実行してくるようです。
思考を読んで今度はそれを音として飛ばしては
仲間に聞かせるためのようです。


この日本のGHQ以来のユダヤの傀儡の片棒はこの人間達。


これで先日の件と併せて日本社会を壊してきた人間達の姿がはっきり見える事でしょう。


追伸 2014年11月4日 13:56


今は朝鮮総連の人間達が強い磁気で
私の脳になにやら周波数帯洗脳を繰り返しているようです。

追伸 2014年11月4日 A.M 10:06

腸内の排泄物を回転させて排泄妨害をされ続けています。

アレルギーを引き起こす物質を撒いている人間もいるようですし


昨日は匂いの元となるような成分をも撒かれ続けていました。


ユダヤの傀儡たちの遣る事は下品でえげつないです。


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http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11488909563.html
テレパシーと想念(幽霊は死んだ)前編 
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11488940601.html
テレパシーと想念(幽霊は死んだ)後編
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11489739555.html
波動と周波数 (幽霊は死んだVOL2)
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11431767436.html
続・宇宙の法則 VOL12 テレパシー
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11490838430.html
テレパシー (真理への近道)



第二講義 VOL10


今日は、”想念”に関して触れてみます。


先日私が、私達の魂がテレパシーとして受け止める物。


と触れた物の一つです。


想念とは私達の全身から発している見えないエネルギーでもあります。


それは私達が思考するたびに
全身から発せられその辺を飛び交う事になります。


オーラという言葉を聞いた事があるかと思いますが
あれは、私達の全身を覆っている私達が霊魂と読んでいる物の
発しているエネルギーと理解して頂ければと思います。


更には私達は思考をするたびに
神の想念・エネルギーの世界である四次元から魂へと力を受け止めて


それを想念と言う形に変換しては
全身から放出する事になるようです。


そしてそれは私達の辺り周辺に漂う事にもなります。


眼に見えないけれども確実に存在しているエネルギー体。


言ってみれば想念とは、例えば
TV電波のようなものだと認識すれば判り易いかと思います。


アダムスキーの時代には想念・残留思念を映し出す事で
過去の現象を撮影するという技術がこの社会に紹介された事もあるようです。


そして想念は思念波とも呼ばれていて其の存在は科学者には知られています。


身近な家電で、想念を受信する行為である”テレパシー”を
説明してみたいと思います。


例えばTVの電波は私達の目には見えませんが、
其の受信機であるTVはそれを受け止めて画像と音声として
再現する事が出来ます。


これはTVには電波を受信する機能(チューナー)、
更には音と画像を再現する機能がついているという事と
無関係ではありません。


いくら電波が存在していても、
TVに其の電波を受け止める機能がなければ
それを再現する事は出来ないからです。


当たり前の事ですがラジオでは
TVの画像は再現できません。


そして、もし私達がそんな機能を有していれば
私達も同様に電波を受け止めて脳で再現する事が可能だということになります。


アダムスキーは著書の中で、


「私達が進化を果たし続けていれば
TV電波を受け止めてそれを脳内で再現する事も可能になる
であろう」


という話をしていました。


勿論、今の私達がTV電波を受け止めて
それを脳内で映像や音声に変える事はできません。


しかし私達も時には似たような事を実は体験しているのです。


例えば引き寄せの法則や波動の法則といわれる物がそうです。


私達はそれぞれが独自の波動や周波数帯を持っていて
それを全身から発しているようです。


オーラや想念はその影響をそのまま受け継いでいるはずです。


更には私達は独自に受け止めやすい周波数帯を持っていて
外部から特定の周波数帯の想念を受け止めては
その影響を無自覚のうちに受け続けてもいます。


長くなるのでテレパシーに関しては一旦置いておきますが、


意識(神の意志、そして四次元の知識)そして想念は
TVが電波を受け止めるのと同様に
私達の魂によって受け止められる事があるのだと理解ください。


私達は時には他人の想念や神の法則を、印象や閃きとして受け止めながら
それを自分の思考だと考えてしまっているからこそ


テレパシーのような能力は自分とは無関係で
特別な人間だけが持っている超能力だと勘違いしてもいるのです。


しかし現実には、
他人の想念や残留思念は、時には別の人間によって受け止められて


それを自分の思考やイメージ、時には幻覚や幻聴として
脳内で再現することがあるわけです。


これは未知能力であり、全ての生命体そして
勿論私達人間にも誰にでも備わっているものです。


猫がたむろしている時に
そして鳥が群れを成している時に
それが一斉に動き出すような状態を確認した事があるかと思います。


実はそれが私達が使用していない
見えない意思疎通の結果だという事を理解すれば、
私達にもどうやら同様の能力が備わっているらしい事にも気がつきます。


閃きや印象を神の導きとして認識すれば、
神の導きというものが一体私達にとって何であるのかも
理解できると思います。


アダムスキーは「意識の教えは印象によってのみ与えられる」
と説明していました。


この意味も理解して頂けるかと思います。


神のお告げは決して人間の声を持って
語りかけてくるわけではないということです。


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ところで私の記事を読むにあたって
心を白紙にして私の主張を理解しようとしてくれた方ほど
その後の理解も進んでいると思います。


面白い事に、私も生命の科学を読んで、
自分の過去の価値観を全て捨て
其の全てを信じようと勤めていたためか、


本書は二回程度しか読んでいなかったにも拘らず
気がつくと理解が深まり、昔とは比べ物にならない状態になっています。


決して全てが正しいとは言いませんが
宇宙の法則に関しては独自の全体像・骨格を持つに至り
神の意志なるものが何となくですが見えるようにもなりました。


それは私が心を幼子のようにして、先入観や驕りを一切持たずに
生命の科学の内容を素直に受け止めた事にも由来するはずです。


つまりそんな意識で生命の科学と向き合う事が出来たので
乾いたスポンジのように知識と知恵を吸収したのだと思います。


同様の事を多くの兄弟姉妹が体験しているのではないでしょうか。


更には私達が真摯な想いをもって彼ら天使達の教えを理解しようと勤めれば
彼らは私達に救いの手を伸べる事になる。


今私達はまさにその事を体験しているのだと思います。


それも勿論、閃きや印象として私達に与えられる事に成ります。


私達の理解は単に私達だけの手柄ではあり得ず、


それを導いてくれている天使達の想いが
閃きや印象となって私達に届けられ、
私達の深い理解へと繋がっているのだという事です。


私達は見えない力によって導かれ
そこから多くを学ぶ事が出来る。


その事を強く信じて生命と宇宙を学んでいって欲しいと思います。


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P。S。

想念が引き起こす現象を例示してみたいと思います。


例えば、電車に乗っていて後ろに視線を感じて振り返ると
誰かが自分の事を食い入るように見ていた。


そんな体験をしたことがある方もいるかと思います。


本人は其れを閃きと感じるかも知れませんが
恐らくは他人の意識か貴方の意識に届いたとか


魂の伸びた先端が貴方の魂に触れて其れに気がついた、


若しくは貴方を見ている方の想念が貴方の魂に届いたために
それを受け止めて後ろを意識したと説明できます。


私が頻繁に記事で触れていたのは
想念が他人に影響を与える具体例です。


私が空腹状態で歩いている時に
「腹が減った、焼き鳥が食べたい」

という想いを強く持った状態でいたとします。

其の想念は全身から発せられ、其の一部は
近くを歩いている人間に届く事もあるわけです。


私に近い周波数帯や波動を持つ人間がいたり
テレパシー能力が高い人間が身近にいたような場合に
其の人間は私のその想念を脳内で再現することになると思います。


私の想いが「焼き鳥」という言葉と、
焼き鳥の匂いと画像の全てで在ったとすれば、


もしかしたらその想念を受け止めた人間は
頭に「焼き鳥」という言葉が閃くかもしれませんし


焼き鳥の匂いを思い起こすかも知れませんし
焼き鳥のイメージを思い起こすかもしれません。


其れは受けた方がその想念を
独自の資質を持って脳内で再現することに起因します。


通常思考が活字中心の方であれば「焼き鳥」でしょうし
イメージ中心の方であれば画像が浮かぶと思います。


私達は理解すべきなのです。


私達の”思考”は、例え飛んでいって他人の脳内で再現されたとしても
それは”思考”のままであるということをです。


そしてテレパシーを理解していない私たちは
自分の思考と他人の思考を区別する事は出来ません。


結果、全ての思考や閃きを自分の思考であると勘違いする事になります。


これこそが私達がテレパシーを理解できない原因だという事です。


今、「焼き鳥」をイメージしてみてください。


人によっては「焼き鳥」と活字を思い浮かべる人間もいるでしょうし
串に刺さった状態で焼けているのをイメージするかもしれません。


赤提灯の店先で親父さんが焼いているのを意識するかもしれませんし
其の香ばしい匂いをイメージするかもしれません。


そのイメージがそのまま想念となって私達の体から放たれて
それは時には他の人間に受け止められる事になる。


それを受け止めた人間は焼き鳥を思い浮かべた事で
今夜は焼き鳥を食べようという意識になるかもしれないわけです。


このように、想念は単に他人に想いを伝達するだけではなくて
行動にまで影響を与える事があるということ。


つまり誰もがこの社会の中で良い思いを持てば
其れは他人に良い影響を与え、
しいては社会全体に改善を齎すという事です。


それを意識すればこそ、
例えばイエスキリストは


「悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、罵り
心から出てきて他人を汚す」


と触れたわけです。


これは私達が想念的な生き物である事を示しています。


「人間はパンだけで生きるのではなく
神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる」


この意味も理解できるかと思います。


神の口から出る一つ一つの言葉というのは
言うまでも無く想念の事です。


私達は口から食べた食事によって肉体を動かすだけではなくて
魂からのエネルギーを想いに変えて、


其の想いを肉体を持って再現しては生きている存在である
という事を理解してください。


私達の想いは私達の肉体を、そして意志をも動かすという事。


つまり口に出さないでいても、実際には行動していないにしても
心の中の想いはとても大切だという事です。


いずれこの事も科学的に実証される事でしょう。


しかし私達は今その事を既に理解しているのですから
今から其れを実践していかねばなりません。


私達は誰もが神の意識を実現するための器なのです。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】



悪魔たちが一番嫌う記事です。



今は私はパソコンの前で凄まじい電磁波を頭に受けて

書き込みをされている状態です。



悲壮の意識のようです。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11490838430.html テレパシー真理への道

http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11490838430.html 俗宇宙の法則VoL12

http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11489739555.html 波動と周波数

http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11488909563.html テレパシーと想念前編

http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11488940601.html テレパシーと想念後編

先ほど近くで花火が上がりました。




これがあがる時はいつも私への攻撃が強化される時で

ある場所に行ったときには私を殺すのろしである事を

知る機会がありました。



近くの同和部落の連中が

これから敵を攻撃するというのろしを上げているわけです。



一人では何も出来ないくせに

群れを成しては威張っているような人間達で

他人に危害を加えるくせに自分たちは批判は嫌いだと言う人種のようです。



そして日本の中のユダヤ教徒の中心は

どうやら同和部落の人間たちのようです。


創価学会とぐるになっては私を苦しめている人間達の様です。


自分たちでルールを作っては私を苦しめている人間たちの中心のようです。



そして正直ここまで生地獄のめにあわされ続けるとは

想像もしませんでした。


私の意識を消すといっては脅したり

妻の首を絞めるといっては脅してくる連中です。


ゲーム感覚で他人を洗脳したり妄想に閉じ込めるのですから

トンでもない人間たちです。


それ以上にこの人間達にその技術を与えたのは

一体誰なのか?



国家機密のマインドコントロールであったように

この手法は世界支配層の人間たち、



アダムスキーがサイレンスグループと呼んだ人間達が

使用していた技術です。



私を洗脳で苦しめた人間たちの一翼も間違いなく

同和部落の連中。



そしてこの人間たちは私を悪人に仕立て上げては

攻撃を続けているろくでなしです。



語りかけの人間達に
私や妻の意識を消すと脅かされている状況で
この記事を書いています。


暗示の酷さからしても再び私達の洗脳強化を狙っている事も解ります。


私達が邪魔だからといっては特定の人間達は本当に
身体に悪影響を齎し続けてきている事も事実です。


やっているのはGHQ以来のユダヤの傀儡たちが中心だと想像していますし
地域の雰囲気(練馬周辺は創価学会と同和部落が多いようです)からして
其の人間達が入れ替わり立ち代り関わっているらしい事も解ります。


この地域の人間の中に私や妻への洗脳効果の首謀者があるのであろうと
想像しています。


一般の人たちに一つだけはっきり言っておきたい事があります。


この社会の多くの人間が周波数洗脳の脅威にさらされているはずです。


簡単に言えば特定周波数帯に置かれると
特定の精神状態になるというものであり
これを実行しているのがどうやら世界支配層傀儡の二つの陣営。


特定の建物や特定のコンビニで脳の状態に異変を感じる
などという方は間違いなくその影響を受けているはずです。


これはうつ状態や怒り状態なども起こせますし
私達に対して印をつけることにも役立っていると思います。
(彼らにとって邪魔な人間は特定周波数帯では苦しむといった状態)


その詳細は近いうちに脳機能が働く時にでも触れたいと思います。


ちなみに私は其の二つの陣営の両方の影響を受けていますし
其の効果は好意的なものとは言えないと想像しています。



そんな環境で心地良く暮らす方法は

彼らに従うこと、そして彼らに嫌われない事です。



私には不可能です。
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私の最後の暗示が解けました。

その状態が今後続くかどうかは別として
少なくとも今は正常な意識です。


そして私がユダヤ傀儡たちから受けた最後の暗示は


「”ユダヤ”教徒が
今では変わりつつあり、世界平和のために役立っている


と言うものでした。


勿論それは大間違いのようで
私を苦しめている心無い人間達の中には
思想そのものはユダヤ教徒の人間達がいるようです。


私達の大きな勘違いは、現在のユダヤ教と言うものが
一つではないと言うこと。


無くなった大田龍さんが頻繁に語っていましたが
ユダヤ教と呼ばれるものの中には
悪魔教と言っても過言ではない教えがあります。


其の全てが真理とは異なるものであり
私達が学んでいる宇宙の法則(生命の科学)の
間逆の思想を持っているといっても過言ではありません。


私の勘違いはユダヤ人にこだわった事のようです。


ユダヤ教は恐らくは大きく二つに分けられていると想像します。


従来の聖書の内容をトーラーとして持ち
独自の神と救世主を待ち続けている人間達。


そして一方はタルムードばかりを意識しては
それを利用して世界を支配しようと手がけてきた人間達です。


何故に今では多くのユダヤ教徒が存在するようになったのか?


それはこの教えがエゴにまみれた私達この社会の人間にとっては
とても受け入れるのが楽で魅力的だからだと思います。


自分は特別な存在である。


自分達は他人から奪っても他人を殺しても良い。


自分達こそがこの世の支配者であり正義である。


自分達こそがこの社会の支配者で神に選ばれた人間である。


特定の決まりごとだけ守れば
後は何をしても罪ではない、


更には上辺を美化しておけば
心のあり方は無関係である。


こんな思想は通常神の教えとはかけ離れた存在です。


しかしそれが何故に普及しているのでしょうか?


一つにはユダヤ教徒を名乗ってきた人間達が
この社会に独自の法律と経済を作り上げて
今では其れに従う人間こそが裕福になれる状況を作り上げて来た事。


つまりそれに従えば自分も安楽にこの社会で暮らせるからです。


世界の富の三分の二を持っているといわれる人間達が
その莫大な富を人間を暴走させるために利用し始めたのかもしれません。


今では企業も多くが資本をそんな人間達に乗っ取られ
更には今では彼らに屈して彼らのために
見えない活動をする事で生活を保障されている人間達もいるのです。


そんな人間達が知ってか知らずかユダヤ教なるものに入信している。


日本の裏でどんどん増えている驚異的な教えは
恐らくはユダヤ教です。


私は一時国内のフリーメーソンを意識しては
そんな人間達を批判していました。


でも元々の彼らは無自覚のうちに
ユダヤ教徒に騙され利用されていた人間達です。


そして恐らくは今では一番の脅威となりうるのは
ユダヤ悪魔教の方を受け入れそれを実行しようとしている
人間達に他ならないと思います。


2000年前にイエスキリストが当時のユダヤ教徒の中の
特定の人間達を悪魔の会派と批判した事がありました。


当時の人間達の社会が、金や富そして名声を求めるような
社会へと変貌させられていて、
しかも、多くのユダヤ人たちが其れに従うようになっていた。


人々は形式ごとや見た目ばかりを重視しては
心のあり方や他人への思いやりを持てなくなっていたはずです。


そして一部の権力者が宗教の名の下に
大勢を支配していたと思います。


そんな生き方をしている人間達の生き方が間違っている事を
はっきりと指摘しては、救うべき人間達に
形式的なユダヤ教との決別を進めたのがイエスだったわけです。


彼らは祖先お教えを信奉していると言いながら
天使達が予定通り送り込んだイエスを救世主とは認めませんでした。


従来の教えを悪どく利用していた人間達は
真の教えを持ってやってきた本当の救世主を受け入れる事を拒絶し
それを民にまで徹底したのです。


恐らくは今現在のユダヤ教徒も恐らくは、救世主を待っているわけでも
神の救いを求めているわけでもないでしょう。


彼らが重視しているのはタルムードでありトーラーではないはずだからです。

(敬虔なユダヤ教徒は今でも救世主を待ち続けているようですが)


彼らの神官すなわち指導者は神よりも偉い存在と記されています。


つまり彼らにとって信奉すべきは人間なのです。


人間を神の上に置くと言う思考は
言い換えれば心のエゴの価値観を魂の真理の価値観に
優先すると言うことになりませんか?


そして一部にこそ戒律があっても、
其の多くが心のエゴに従うと言う楽な思想は
多くの心無い人間達、窮地に苦しむ人間達に
楽に受け入れられる事にもなります。


そしてそんな心無い人間や
窮地に陥っている人間達をあらゆる文化で意図的に作り上げてきたのも
まさに影の実力者達の計画的な意図のはずです。


私達は人間を拝んではいけません。


自分自身を特別な存在であると驕り高ぶってもいけないのです。


持つべき思考は人は誰もが平等であると言う事、
そして私達が従うべきはエゴや人間の作り上げてきた戒律ではなくて
真理であり道徳であると言う事です。


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第二講義 VOL9


一体どのようにすれば”意識”(魂)から学ぶ事が出来るのでしょうか。


先ずは私達は通常、どのように心と魂からの情報を
受け止めているのかという事を考えてみたいと思います。


第一講義の中で二つの無線機の話で例えましたが
私達の心と魂からの想いは、発信元を異にする
二つの無線に例える事が出来ました。


一つは私達が通常外部からの刺激に反応するために使用している
心といわれる脳機能からの命令。


そしてもう一つは私達が無自覚のうちに感じている
創造主の意識からの指導です。


通常、私達は外部からの情報を
視覚や聴覚を持って認識する事になりますが
創造主の意識は聴覚や視覚で捉える事のできるものではありません。


閃きとか印象という形で与えられ
それを私達が脳の中で音やイメージとして受け止める事になります。


そしてそこから与えられる事になるのは
私達が取るべき正しい行動の指針です。


具体的には一体どの様な物でしょうか。


それは私達が見たり聞いたりするのではなく、
感じる事で受け止める閃きや思い付きのようなものだと
表現できます。


私達は時にはそれを無自覚で体験しながら
自らの思考と捉え、其の実態に気がついていません。


それを私達の社会の言葉で表現すれば
”テレパシー”という事になるかと思います。


私達の社会では、視覚・聴覚・味覚・嗅覚といった感覚器官が使用され、
それによって外界からの情報を脳へと届けると言う事が
感覚に関する常識となっています。


(触覚は私達の皮膚感覚の反射とか
私達の魂が肉体を覆っている事で得られる全ての反応であり、
テレパシーに繋がるものと認識してください)


しかしもしも私達がもう一つの別の器官の存在に気がつけば
既存の常識は覆される事になります。


それこそが、印象や閃きといった創造主の意識や、
私達が想念と呼んでいる思念波の存在を受け止める事になる
魂という名の器官の存在です。


私は以前からこのテレパシーに関して
外部からの波動という言葉を使用しては説明を続けてきました。


例えば視覚は光の波動を受け止める器官です。


太陽の可視光線があらゆる元素の塊である物質に対して齎すものが色であり、


特定の元素が其の太陽光線の照射で
特定の色の波動を反射するのだと認識できます。


(そして色にも形にも波動があるのです)


もしも可視光線がこの社会に届かなければ
この社会はモノクロの世界となると思います。


カラオケボックスなどで、
緑や黄色のライトだけに照らされた空間では


同じ色をした緑や黄色の物質は
真っ白に見えると言う体験をした事がないでしょうか。


あれはこの事を判り易く現しているはずです。


そして特定の元素や分子は、恐らくは
特定の色として表現される事になるのだと思います。


勿論、塗装用の塗料にしても同じです。


それゆえに三次元のあらゆる物には
色が付いている事になります。


(ガラスのようなものは光を通過させるからこそ色が無いと認識できます)


そして其の光としての波動を
私達は視覚を持って受け止めているはずです。


聴覚に関しても同様に説明できます。


三次元社会の物質間の摩擦といえる振動を
聴覚が音として認識しているのです。


そして私達の其の機能は絶対的なものではない事も
説明してきました。


例えば本来、視覚で認識できるものであっても
私達の視覚の機能には限界があります。


赤外線カメラでは写るような暗闇の映像は
私達の肉眼では確認する事は出来ません。


同様に超音波と言われる高周波や一部の低周波のなかには
私達の聴覚では認識でき無いものが存在しています。


若い頃には幅広かった、拾える音の周波数帯も
年をとると高い周波数帯は聞こえなくなるという現実もあります。


若者の騒音対策に公園に特殊装置が仕掛けられている
と言う話を聞いた事がないでしょうか?


あれは若者だけが拾える音の領域が存在している事を示しています。


蝙蝠やイルカが独自に音を出してはそれを拾う事で、
障害物との間の距離を測ったりする事が知られていますが、
私達は音をそのように使用する事は出来ませんし


視覚や聴覚にしても
自分に今現在備わっていると自覚している機能しか
使用してはいないのです。


という事は、もしかしたらもっと高度な視覚機能や
聴覚機能が使用可能な状態になり得るとしても


私達は今現在の既存の機能を持って全てと看做し
それで認識できる情報こそを全てだと信じ切っている事になります。


結局は思考能力や知識同様に
私達は自らの感覚能力が不完全で限界があるのに
それで全ての現象を把握できると勘違いしているのです。


私達が絶対的に信頼を置いている視覚や聴覚でさえ
実際は其の程度の制限された機能でしかありません。


そして、存在するにも関わらず
使用していないために一番衰えている機能である
魂という器官の、”感じる”という機能を利用できずに、


若しくは自覚できずにいるのです。


魂という感覚器官の機能は感じる事であり、
そこで受け止める波動は”想い”であり”思念波”と言われる物です。


もっと言えば電波のようなものであり
私達の眼に見えないエネルギーと表現しても良いかもしれません。


しつこいようですが、
それは見るのでもなく聞くのでもなく感じるのです。


もっと細かく言えば其のエネルギーは魂を通して受け止められて
私達の脳機能の中で様々な情報に再現される事になります。


それを知らないからこそ、私達は時には閃きや良心の働きや
罪悪感の働きのようなもの、そして直感と言ったものを


全て自分の心である脳機能が齎す現象であると
認識してしまう事になります。


しかし実際には、
私達は多かれ少なかれテレパシーを使っているのです。


別の表現をすれば、心の感覚器官で認識しているのは
私達が三次元と呼んでいる現象の世界であり、


魂と言う感覚器官で認識するのは
四次元と言う想いの世界であると言う事です。


三次元と異なり四次元は目で見て耳で聞く世界ではなく
感じる世界だと認識すれば解り易いかと思います。


私たちには四次元に関しても正しい知識がありません。


更に私達は全てを目で見て探そうとします。


其れがゆえに四次元が三次元同様に身近に存在していると言われても、
其れを理解する事が出来ないわけで、
しかも其の世界を目で認識できるような勘違いまでしているのです。


四次元を三次元と同様に視覚で認識できる社会だと考えるからこそ
三次元と四次元が同時に存在している事も
理解出来ないわけです。


三次元は視覚・聴覚・嗅覚・味覚で認識する世界であり
四次元は感じる社会だと理解してください。


私達は其の事に気がついてないだけであり、
通常三次元と並行して存在している四次元を意識していないだけであり
以前其れは周囲に存在している事になります。


其れがゆえに時折は四次元を感じる体験をしては
其れを再び視覚や聴覚で意識しては再認識できず
後にはその事を誤認識やオカルト扱いする事にもなるわけです。


全てのオカルトは私達の認識力不足から作り上げられているものであり
オカルトの全ては科学的に説明する事が出来る。


もっと言えば、オカルトは存在してはいないと言う事です。


不思議な体験の殆どは
四次元と三次元の接点においてそれを感じている時だと思います。


夢現などといいますが、私達は脳機能での思考
もっと言えば視覚・聴覚・味覚・嗅覚を強く意識していない時こそ
魂の意識を感じることが出来るわけで、


その意味では、心の意識を抑えているような時こそ
私達は魂の意識を感じやすいことになります。


そして常に心に捉われている人間ほど
魂の意識を感じることは出来ない事になります。

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科学者や発明家が自分の研究に没頭し
いくら思考しても解決出来ずにいた事、
いくら考えても答えが出てこなかった事が


思考をやめた途端に閃いて発明を齎した。


そんな話を聞いた事があるかと思います。


それは一体何を意味しているのでしょうか?


私達の心といわれる脳機能をフルに活動しても
解決できなかった問題なのに、
脳機能を休めた途端に閃きが起こる。。


つまりは其の時に私達に閃きを与えたのは
私達の魂なのです。


心が必死に大声で暴れている時には聞こえなかった答えを
その間も魂はささやき続け、


心の機能が休んだ時に
それが漸く私達に聞こえる事にもなった。


そう理解すればこのような事例を認識する事ができると思います。


勿論ここでの”聞こえる”と言うのは比喩であり
受け止めるのは印象や閃きです。


閃きや直感を大切にしていると
不思議と好結果が導き出されるのには
そんな理由がありそうです。


魂からの意識こそが私達を限りなく正しい道へと
導く事になるからです。


私達が心に捉われている間にも
魂は常に私達に語りかけています。


「もっと良い方法が存在するんだよ。。。」とです。


其の声に耳を傾ける事が出来ないのが私達この社会の人間の常ですが、
私達が魂というものを、”想い”を受け止める器官として
理解していない事が何よりの弊害となっているのではないでしょうか。


「目に見えないものを信じる事が出来るものは幸いである。」


聖書のイエスキリストの言葉はまさにその事を語っていたのです。


私達は目で見るだけではなくて自ら思考し
更には感じなければならない。


私達は三次元と四次元を同時に生きていると言う事を
是非意識して頂きたいと思います。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】

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P。S。


三次元と四次元をこれほど明確に説明してくれたのは
アダムスキーと天使達だけです。


「その事をイエスも語っていたが
その意味は正しく伝わっていなかった」と言う趣旨を
アダムスキーは生命の科学の中で触れてもいました。


私の記事を読んでいた方であればその意味を
理解できるはずです。


この社会の知識や常識において
一つでも四次元を的確に表現してくれたものが他にあったでしょうか。


私達は二次元と言っては平面を意識し、三次元といっては立体を意識しますが
科学者の中には其れに時間軸などを加える事で
四次元を理解しようとする人間もいます。


別の科学者は四次元を、三次元を取り巻く超立方体として
説明していました。


これらをそのまま理解すると、タイムトラベル、
パラレルワールドという話にもなってきます。


つまりは私達の先導者となる人間の理解を基礎として
私達は更なる想像をもって四次元なる世界を作り上げてきたのです。


しかし実態はこの説明の通りです。


私達の肉体は三次元と言われる物質社会において元素を持って存在している。


そして魂は其の一部が物質化しているようですが
残りは全てが四次元世界のエネルギー体の一部として存在しているのです。


私達は誰もが肉体の上に、霊魂をかぶせて生きているのですから
つまりは私たちは誰もが三次元と四次元を同時に生きている事になります。


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魂の”感じる”に関してもう少し触れておけば
天使達は触覚こそが私達にとって一番大切な感覚だと説明していました。


この触覚と言うのは単に、皮膚を通じて感じる暖かいとか痛いとか
そんな感覚だけではなくて、もっと大切なものがあります。


私達の肉体に被さっている霊魂が受け止める全ての感覚をもって
彼らはテレパシーと呼んでいました。


つまりは私達の魂が他の人間からの想念を受け止める行為や
魂からアカシックレコードと呼ばれるものの記憶を受け止める行為
更には創造主が作り上げた見えない法則を感じる行為


そんなもの全てを含めてテレパシーと理解し
それを受け止めることが出来るのが私達の魂だと理解すれば
判り易いかと思います。


それは見るのではなくて感じるのであり、閃くのであり
印象を受け止めるものなのです。


もっと別の表現をすれば四次元的なものを認識する行為を
テレパシーと表現しても良いかもしれません。


聖書にもパウロがイエスからの教えを
手紙で弟子に語っている中に
四次元を感じさせるものが多数ありました。


「この世の霊ではなく神の御霊を受けました。」


この節を説明すれば、この世の霊とは他人の想念、
神の御霊とは真理を語る天使や創造主の想念と理解出来ます。


全てはテレパシーです。


啓示の正体は天使や魂からのテレパシーということです。