悪魔の使いと化している
創価学会と統一教会の人間達に
音声送信と思考盗聴、電磁波でいたぶられています。
何といっても彼らは日本におけるユダヤ様の使い魔ですし
例の3.11大地震を予測して移動できた人間達ですから
この社会の特権階級の人間達であろうことも想像できます。
其の上で誤った価値観を持っては、
他人が語っている真理が気に入らないと私に攻撃を続け
今では毎日、かつて無いだけの凄まじい電磁波による攻撃を
延々と受け続ける羽目にもなっていますし
私がこの社会の中の実態を語り続けてきたことへの
復讐のようです。
日々強い電磁波を受け続ける中での音声送信の
語りかけの暗示はそれだけでも強い洗脳になりますし
脳も風貌もボロボロに成りつつあります。
こんな事があるのか?
これは夢ではないのか?
悪夢の中で延々とうなされているような
そんな毎日の中で、寝ている時が一番楽です。
このような状態に置かれた事は
私がこの世に少しでも真理を告げた事の
報いなのでしょうし
宇宙の法則を語る人間には
とてつもなく大きな負担がのしかかると言っていた
アダムスキーの言葉や
私の教えを広報するものは
迫害を受けることになるといっていた
イエスの言葉を身にしみて感じているところです。
近所から嘲りの声が聞こえるたびに
この世こそが地獄であるということを
嫌でも実感する羽目にもなります。
よき想いを出すこと自体を嫌がる人間達、
そんな人間達が支配する世の中だからこそ
こんな凄まじい世界に変貌している。
其の事を嫌と言うほど実感しています。
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頻繁にコメントを頂いている兄弟姉妹への返答です。
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「陰徳と言える行為を意識」ということですが、例えば「電車内で席を譲る」
「街中でケガした人を助ける」「道端や教室でゴミを拾う」などは
必ず誰か(結構大勢の人)に見られてますよね!?
「どうしてもそうせずにはいられない」という気持ちから、
咄嗟に、自然に行なったのであれば、それは魂から出た行為なんですね!?
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以前には頻繁に触れましたが、ここではその行為をするに至った
動機が大切だと言う事になるかと思います。
其の動機が純粋に困った人を助けたいと言うものであれば
それは魂の想いと言える筈です。
同じ善行でも、それが他人の視線を意識して実行するものであれば
其の行為は心のエゴがふんだんに含まれていると言えます。
大切なのはその動機であり、
其の動機が宇宙的な意識を前提にしているのであれば、
それが心を持っての行為であっても
魂の意志であっても正しいと言う事になるかと思います。
現に私達は心の価値観を魂の価値観に置き換える作業を
しているところです。
と言っても誰もが少しは他人の目を意識しますし
純粋な想いというのは難しいと思います。
出来れば他人の視線ではなくて
自分を見つめ続けているであろう神の視線を意識する事で
義務感を持つ。。。これなら良いのではないでしょうか。
と言う事で例え私達に精神的なゆとりのない時であっても
置き換えた心の価値観が行動の指針となっていれば
どんな時でも神の意志を実現できると言う事になりますし
そのためにも心の価値観を
魂の価値観に置き換える必要があるのだと思います。
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また「誰もが自分自身の役目を持って存在していることを自覚」とありますが、
たまたまカルト集団に出会って「これが私の運命だ」と間違った方向へ進む恐れもありますね。
そのためにも宇宙の法則を勉強し、
それが自分の魂(神の意識)から来るものかどうかを判断しなければいけないのですね!?
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私の経験では今までよりも真理に近い教えや思想に出会うと
私達は其れに惹かれる傾向があると思います。
私達の魂がそれに共鳴するのです。
そんな教えを向上と受止め参考にする分には何の問題も無いのでしょうが
困った事にカルトと呼ばれる集団には信者を洗脳する傾向があります。
其れがなければ真理へ到達するまでの過程として
そんな教えを参考にする事も問題ないはずです。
私達の魂は真理の答えを持っているわけですから
それに近いものを体験するとその後も共鳴は続くと思います。
そして別の思想を受け入れてきた人間で在っても
当人が賢明であれば、そして精神性が高ければ
恐らくは宇宙の法則を知れば
此方のほうが真理に近いものである事を確信するはずです。
真理を知るのも教えるのも私達の魂であり神の意志
と成れば、本物を見極めるのも簡単だと思います。
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また、その運命にただ身を任せるのではなく、
そこにある神の意志を推し量ることが大切なのですね!?
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私達の場合は自分の為すべき事すら理解できてはいません。
今の境遇が私達への課題だと理解すれば
そこで私たちが為すべき事が何なのかを
認識しようと勤める事が大切なのだと思います。
例えば私の役目は広報であったと自らは確信しています。
人それぞれ課題は異なり、私が記事で触れていたように
父の元に帰るために必要な経験を与えらているのだとすれば
其れを意識しながらこの社会の中での体験を続けていく事が
一番効率的だと思います。
運命の流れに乗ると言っても
私は其の波に乗り続ける事のほうが難しいと考えています。
惰性で流されると其れは学習に繋がる事にはならないからです。
神の与えた学習の機会は
私達楽などさせてはくれないと思います。
つまりは惰性で流されるようなものでは在り得ないと言うことです。
常に学ぶ努力が求められていると言う事は
私達が運命の流れに乗り続けるには
其の置かれた環境で最善を尽くすような意識が大切なのだろうというのが
私の意見です。
私のような自分に甘い人間にとっては
自らを厳しい環境におくと言うのは苦痛ですが
それを与えられていると開き直れれば
私ももっと成長があるかもしれません。
アダムスキーが触れていたように
今の時代は誘惑と圧力が私達にはとても負担となる時代です。
其の中で資質の高い人間ほど苦しむ羽目になっているかもしれません。
しかし逆に開き直れば其れを乗り切ってしまえば
私達には大きな未来が開かれるはずです。
貴方の文章からも疲労と悲壮を感じましたが
置かれた境遇に負けないで頑張ってください。
私も頑張っています。
【貴方に無限なる力の祝福がありますように】
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生命の講座 第二講義 VOL15
アダムスキーが「自分自身を知れ」と言う言葉を使用して
私達が本来あるべき姿に関して語っています。
私達は誰もが本当は創造主の意識を感じて
それを実践していく事を求められている存在です
しかし私達はこの環境の中で生まれ育つ中で
其の事をすっかり忘れてしまっているのです。
私達に大切なのは自分自身が一体何者であり
其の目的は一体何なのかを理解する事です。
それを知ろうと勤めたのが哲学者であり
彼らは独自にそれぞれの答えを出しました。
本当であれば私達は誰もがそれを理解した上で
日々の生活を送る事こそを求められている存在なのです。
私達は自分自身を知っているつもりで
実は何も知ってはいない。
自分の肉体の機能にしても
其の詳細を理解しているのは医者くらいなものです。
まして元々認識されていない
魂=意識=創造主の意志など
殆どの人間が理解できずにもいます。
しかし私や兄弟姉妹は辛うじてその事を理解する事が出来ました。
視覚を持って外ばかりを見つめるのではなくて、
心の価値観を持って他人や社会を見つめるだけでなく、
自らの魂の意識の存在に気がつく事こそ
そして其の意志を身をもって実践して生きることこそが
私達が本来あるべき姿なのです。
私達は何かと言えば外に視線を向けます。
他人を見つめては批判ばかりをしていますが
一方では自分自身を見つめる事は殆どありません。
しかし私達にとって一番大切なのは
自分自身を知ると言う事。
美化されていない自分自身を理解し
そしてあるべき姿と照らし合わせて
自らを矯正していく。
これを出来る人間こそが永遠へと進む事になるのです。
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昔から多くの哲学者が人間について語ってくれました。
在る方は理想の社会、在る方は人間の実態
在る方は人間の本能と
あらゆる角度から人間の実態を見つめていた人達がいました。
心を究極まで追求していた人間達もいます。
しかし私達は其んな先人達を特殊な人として
其の教えを哲学と言う学問にしてしまいました。
と言う事は、其れを意識し学ぶのは決められた一部の人間達だけであり
多くの人間は其れを知識として知る事があっても
学ぶ事はないわけです。
意識する事も無いでしょう。
そして哲学の一番のテーマは
一体人間は何のために生きているのか?
人間とは何なのか?と言う事に他なりません。
誰もが逆行の中で苦しんだ時に
そんな意識を持つことに成るかと想いますが、
私もかなり若い頃から頻繁に
自分は何のために生きているのだろうとか
人間とは一体何のために生活しているのだろうと
思考していた事がありました。
当時は一度きりの人生と言う先入観が既に存在していた頃なので
人間が、まるで働きありのように暮らしている其の姿が理不尽で
そんな生き方に魅力を感じませんでした。
そして疑問に対する答えの片鱗を時々拾う事になりましたが
それはいつも宗教でした。
それに触れる事で自分の魂が反応する事があったためと
今では理解しています。
ただ、私は一般の宗教人と少し違っていました。
疑問を持つと其れをとことん追求する視線を持っていたからです。
結果、どんな思想にも疑問を感じては
一線を引いていたために、どこの宗教組織にも入る事はありませんでしたが
私はその後も真理を意識し続け
漸く宇宙の法則に辿り着く事が出来たわけです。
私はいくつかの思想を
教訓を受けたり更なる真理を発見するための道しるべとして
其れを利用する事になったのだと思います、
今の私達の立場でこの問いをもう一度確認しておきましょう。
「人間とは一体何なのか?」
私達を作り上げた創造主の分身であり、
四次元全体のエネルギーの一部を其の魂として与えれらた存在です。
四次元を神の意志とすれば私達は神の分身であり
神の子供だと言う事です。
そして私達の実態は霊魂と言われる物であり
肉体は魂からの指令を実践するための器に過ぎません。
「人間の目的は一体何なのか?」
一つには私達に生命を与えてくれた創造主に感謝し
その意志を実現する事。
創造物の調和と美の完成です。
もう一つは私達に与えられた自由意志をもって、
個々の肉体を持ってありとあらゆる体験をし
其の中で自らを進化させていく事です。
神のために生きているなんて馬鹿らしいと言う意識を持つ人間ほど
恐らくは心のエゴに捉われているのだと思います。。
その代わり神は私達にすばらしい贈り物をも
くれたのですから。
神の意志に従う資質のある魂は
永遠を生きることが出来る。
そして一方では限りなく神に近い存在へと
進化していくことが出来る。
50年100年のスパンで思考すれば
心のエゴが優先し、どうしても目先の心地良さを求め
未来の事など意識できないのが私達です。
確かに今を精一杯生きることは大切なのですが
私達の場合はその動機が常にエゴを満たす事になりがちなのが
問題なのだと思います。
長い目で見れば私達はこの広い宇宙空間で
ありとあらゆる物を見てあらゆる物を食べて
あらゆる音を聞き、そしてあらゆる体験する事になります。
そんな素晴らしい体験を与えてくれる創造主の意志を理解できたなら
たかが50年100年の人生を
永遠のための試練であえると耐え忍ぶ事だって
決して不可能ではないはずです。
永遠の命へと辿り着く事のできる人間は
決して多くは無いと想います。
自惚れや自尊心増徴はして欲しくありませんが
今こうやって私の記事を読んでくれている方は
其の中の数少ない永遠性を示している人達だと思います。
どうか残りの人生、自分の魂を濁すことなく
そして少しでも未来の役に立つような
そんな経験をして生きて欲しいと思います。
勿論、絶対的な禁欲をするのではなくて
自らに分不相応の戒律を課すのでもなくて
何事も適度にリラックスしながら体験し
そこから何かを学びながらです。
【貴方に無限なる力の祝福がありますように。】
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