理想の世界2 改  (物質豊かな貧しき社会) | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

以前書いた記事を使って書き直した記事です。


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アンチロスチャイルド同盟の阿部さんが
その著書の中で金融の発達について
判りやすい例えを用いて触れていた箇所がありました。


今日は私がそれを改造して、
お金と金融の発展と


この社会を作り上げたのはお金であると言う話に関して
簡単に触れてみたいと思います。


前回は、私達の社会において
不平等と資本家の優遇が起きた原因に
触れてみました。


今回は同様にまずは金融とお金社会が出来上がった
その原因を追究してみます。


このお金と言うものは一体私達の社会に
なにを齎しているのか?


それは社会の発展や豊かさなのか?それとも。。。。
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原始社会を考えて見ます。


それぞれ住んでいる場所の環境によって
その人間が生計を立てる方法は異なっていたと思います。


海辺で暮らす人間は魚介類を取って
暮らしていたかもしれませんし


肥沃な土地で暮らしていた人間は
そこで農業を起こしたかもしれません。


広い土地で動物を育てて
そこから糧を得ていた方もいるでしょう。


勿論、主として、それぞれが作業で得たものを
日々の生活の糧としていたでしょうが、


魚介類を食べて暮らしていた人間も
時には野菜を食べたいと考えた事でしょう。


そんな時に、その人間は魚を持って農家の家に行き
それを野菜と交換して欲しいと申し出る事もあったでしょう。


このような状況が物々交換が始めるきっかけとなったはずです。


自らの持っている物と欲しい物を交換してもらい
手に出来る物の種類は増えて生活は豊かになったかもしれません。


ただ、ここで問題が起こります。


魚を持って農家に行った時に
農家が魚ではなくて肉を食べたいと望んだかもしれないわけです。


魚を持って一旦肉を持っている人間のところまで出向き、
それを魚と交換してもらい、そこで得た肉を持って
再び野菜を持っている農家へと向かう。


そんな苦労もあったかもしれません。


折角牧場まで出向いたら、
自分も魚ではなくて野菜を食べたいと告げられ
御足労に終わったかもしれません。


しかしそれはあまりにも不便です。


そこで流通の仲介をする交換券として使用され始めたのが
お金だと考えてください。


つまり元々のお金の役割は物々交換を
スムーズに進めるための交換手段だったはずです。


この場合、農家は漁師から魚を受け取るのではなくて
交換券を漁師から受け取り
肉が食べたければそれをもって牧場へ行くわけです。


勿論、交換券は特定レベルの価値があるとされるものと
交換が可能なわけですから


農家はその交換券を持って、
後日になって魚を食べたくなり貰いにいくかもしれません。


貨幣の発達の初期はそんなものだったと思います。


つまりは自分の作り上げた富を一旦お金に換金しては
今度は必要なものをそのお金と交換するわけです。


しかしここで更に問題が出てきます。


例えば漁師が不漁が続き
食べる物がなくなった様な時です。


魚を商品券に変える事も物々交換する事も出来ません。


そんな時は漁師は農家に行ってツケで野菜を貰っては
後でその分を豊漁の時にでも支払いに行ったかもしれません。


でも、もしも農家がそれを断ったら。。


もしくはその後、豊漁の後にも
漁師が農家に返済をしなかったら。。


人間同士の信頼関係が成り立たなければ
”掛け”と言う制度は実現しません。


そしてもっと言えば誰もが損をしたくは無い
若しくは只で他人に物を与えたくは無い
そんな意識があるからこそ


貸し借りと言う意識も芽生える事にもなります。


貸した物が戻らないかもしれない。。


そんな事を意識すると
人は貸し借りを危険だと判断したかもしれません。


そこで今度は、交換券でもあった”お金”を貸し付けると言う商売が
成り立つことになります。


農家は不作の時に、漁師は不漁の時に
金貸しにお金を借りに行って、


その金で食料となるものを購入し
豊作、豊漁となった時にそれを返済する事になるでしょう。


ここで問題が生じます。


金貸しをする人間も慈善事業ではありませんし
それを職とするのであれば自らも食べていかねばなりません。


そこで貸したお金に対して利息と言う物をつけて返済してもらい
それを自らの生活の糧を得る手段にすることになります。


これが金融制度の始まりだと思ってください。

勿論お金を貸す時は担保なるものをとるので
金を貸す人間は貸し倒れが無いという前提も必要になります。


借りた方にしてみれば利息がつくのですから、


借金をした人間達は、借りなければ出費する必要のなかった分まで
今度は余計に稼がなければ以前と同じような生活水準を保てません。


今度はその利息の支配の分だけは余計に漁や農作物の生育に
精を出さねばならないことになります。


そして当然、不作が続けば続くほど
不漁であればあるほど、


その利息の存在は大きく重くのしかかることにもなりますし
彼らは其の後は以前よりは余分に働かなければならなくもなります。


つまりは借金制度は私達を労働に
縛り付ける原因にもなっているわけです。


当初は便利だと認識されたかもしれないお金や金融の制度が
結局は私たちを労働に縛り付ける原因になっているかもしれないと
言うことです。。


現に私達の社会では家を所有するだけで
多くの人間が一生労働に縛られると言う現実があります。


数千万円の借金をして1000万近い利息をも
支払う事になります。


過酷な労働であろうが、長時間労働であろうが
返済がある限り労働から逃れる事は出来ないわけです。


もしもこれが天使達の社会なら
どんな事になっているのか考えてみてください。


彼らは家も家財もそして洋服や食料も
必要なものを必要だけ手に入れる事が出来ます。


足りなければ其れを無償で必要なだけ
手に入れる事も出来ます。


そして彼らは労働に縛られるのではなくて
全体のために皆のための奉仕として労働を行い


その代わりに自らの必要なものを
皆からの奉仕として受け取る事になります。


そして彼らの社会の労働は
決して過酷でも苦しい物でもなくて


彼らは誰もが喜んで皆に対する奉仕という意識を持って
労働をし続けるようです。


そんな生き方こそが神が望んでいる事を
彼らは誰もが知っているからです。


この社会と彼らの社会の大きな差は
やはりお金と言う制度が在るか無いかと言うことです。


そして所有の概念です。


お金を稼がねば暮らす事の出来ないこの社会では
労働だって皆への奉仕ではなくて
自分がお金を稼ぐための手段に他なりません。


それを楽しんで遣っている方も中にはいるのでしょうが
多くの人間にとっては労働は単なる制約であり
義務でしかないはずです。


働く事での幸せなど感じたこともない、
そして働く事だけで一日が終わってしまう事にもなりかねません。


折角の休日は労働の疲れを癒すために
室内でごろ寝をしていたりTVを眺めていたり
私達の社会では労働をして生きる事だけで精一杯なのです。


趣味を持って楽しめる人間は
其の中で時間的若しくは経済的な余裕がある人間だけのはずです。


そんな社会の中では、大人になればなるほど
精神を意識する事もなくなりますし心は荒む一方のはずです。


大人が批判しがちな若者や子供こそが
まだ、労働に心を縛られていないために
自由な意志を持って生きているに過ぎません。


そして物質的にいくら豊かさを強調しても
私達の社会の人間は大人になればなるほど
誰もが心貧しい存在に成っていくはずなのです。


先述のように、
この二つの社会の違いは、お金が存在するかどうかでもありますし、
本来私達の持ってはいけない”所有概念”を持っているかどうかです。


そして元凶となっているは
労働で得たものは全て自分の物であるという意識です。


自らの得た物であっても、
それを皆に分け合おうと言う意識を当初から誰もが持ってれば、
漁が不作でも農家の豊作がそれを補ってくれるでしょうし、


そして家や必要なものは皆で協力し合って作り
誰もの手に入るようなそんな社会であれば、
皆が必要以上に労働に制約される事もないはずです。


つまり自分が得たものは自分のものであると言う所有の意識が
私達を交換経済に走らせた事にもなります。


もしもそこで得たものを皆で分かち合おうと言う
意識を当初から皆が持っていれば

例え家であっても皆で皆の家を作ると言う意識があれば、


貨幣経済など発生しなかったはずなのです。


そしてもう一つ、信用制度の元ともいえる貸し借りの問題です。


所有概念を持ってしまっていることが大前提ではありますが、
せめて人間同士の信用関係がしっかりとしていれば
借り貸しは口約束、個人レベルですみますが、


信頼関係が確立できないと言うところからも
金融機関としての金貸しの存在が浮かび上がってきます。


貸し借りを出来るだけの相手が見つからない人もいるでしょうし
他人との貸し借りを望まない人もいるので
こんな商売も成り立つことになります。


つまりは人間同士の間の薄い信頼関係が、
信用機関なる金融を発展させる原因にもなったと言うことです。


全ては私達の精神性が貧しかったゆえに
作り上げてしまった心の貧しい社会だと言えます。


所有と言う意識がなくて、
皆が得たものを皆で分配できる世の中であれば
今のような社会に成ることはなかった。。


つまりは金融を生み出すに至ったのは
私達の人間としての低い意識にこそ原因があったといえます。


現にスペースブラザーズの社会である金星や土星には
金融制度どころかお金が存在しない状態で
実質の天国を作り上げているのですから


私達の文明の発展は、どこかで道を間違えたのだと
言う事も出来るのではないでしょうか。


大元となる私たちが
所有欲や物欲やエゴで満ちた存在だったばかりに
このような社会が作り上げられるに至った。


そして必要以上に物を欲しがらねばならない
将来先行き不安定のこの社会の制度が今度は私達に、


普段必要とする以上のものを
欲するように仕向けるようにも成りました。


食品や消耗品は長期間、蔵の中に
溜め込む事が出来なくても、
それを貨幣と言う手段にしてしまえば保存が利くわけです。


そして今不要な分の富は全て貨幣と言う形で蓄えて
それを将来に生かそうと言う意識にもなります。


今の時点で富が足りない人がいようと、
将来の自分にもそれが足りるという保障が無いのですから
それを他人に分け与える気にもならないでしょう。


其んな意識を更に膨らませれば
蓄財が沢山あればあるほど将来に不安が無くなる、


そして今を楽に豊かに暮らせると言う事で
ますます人はお金が欲しいと言う意識に
捉われる事にもなるのです。


私達の悲劇の大元は
私達の低い意識にも原因があったと言うことになります。


そして現実にこの社会で心のエゴを満たせているような人間達は
其の殆どがお金なるものを大量に蓄えている人達でしょうし


一方、お金を持たない人間は誰もが暮らしに不安を感じているので
お金は人間を動かす動機にも使用できます。。


今のこの社会では、お金があれば
人の心まで買えるのです。


もっと言えばお金こそが神様となっているとも言えます。


そしてこの社会の支配者達も其の事はもちろん知っています。


不況になればなるほど、お金と資本の存在が
力を持つ事になると言うことをです。


今のこの社会では、そのお金を持っている人間こそが
権力と地位と名誉を持つことが出来ます。


お金があれば会社だって作れますし
株式投資でお金を稼ぐ事も出来ます。


お金を払えば人の欲を満たす事は
大抵実現可能でもあります。


そして私達は神ではなくて金を拝んでいるのです。


この実態をこれが現実だから仕方がないと判断しては
この社会はいつまで立っても変わる事は無いでしょう。


ただ、この社会の誤りに気がついた人間が、
既存の誤った価値観を捨てるように皆を誘導することで
この社会の改善が図れるのかもしれません。


【地球人の苦悩を光の前の暗黒の様に消すために
宇宙の創造主を地球の道しるべにしよう】


今のこの社会の行き着く先は、
物の豊かさを追求する余りに


人としてあるべき心を捨て去ってしまう
そんな世界だと思います。


そんな状況がここ数年加速化している。。。
そしてそれは改善される気配も見えない
それがこの世界の実態ではないでしょうか。


お金のために心を売る。


つまりは其れこそが、「富に使える行為」であると言う事に
是非とも私の兄弟姉妹は気がついて頂きたいと思います。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】