2003年11月6日(木)⑥


 トムさんが持ってきてくれたもの


・再生不良性貧血の資料

 インターネットで調べて、プリントアウトしてきてくれました。

 一番不思議だったのが、100万人に5人という数字。約分して、20万人に1人ではあかんの?

 たぶん100万人という数字が基本になっているからだと思うのですが、きれいに約分できるのになぁ。惜しい。でも、1/20万って、地図みたいやなと考えたりもしました。


・ゆかっちのパジャマやタオル、コップ、おはしなど入院生活に必要なもの

  おばあちゃんが用意してくれましたが、なんとその全てに名前が書いてあったのです。さすが、おばあちゃん、入院のプロやな。

 実は、おじいちゃんは病気で13年も伏せっていて、その大半を病院で過ごしたそうです。その間、おばあちゃんは看病に毎日病院通いをしたそうなのです。


・ぬいぐるみ

 ゆかっちは、ぬいぐるみ大好きです。いくつか持ってきてくれたのですが、その中で一番私がほっとしたのが、とらねこたいしょうでした。

 言わずと知れた馬場のぼるさんの『11ぴきのねこ』シリーズの親分ねこです。いつもにこにこしています。

 (こぐま社の通販で購入しました。残念ながら今はこのぬいぐるみは販売されていません。)

 最初の頃は、もうわけがわからず、気が重く、つらかったのですが、とらねこたいしょうの顔を見たら、「元気出して。笑顔、笑顔!」と言われているように思え、がんばろうという気持ちになったのでした。

 とらねこたいしょうは、このあとも、私たちを応援し続けてくれています。

とらねこたいしょう



 


2003年11月6日⑤


 看護師さんが呼びに来て下さって、車椅子で病棟に行くことになりました。

 廊下に出たところでトムさんがちょうど来てくれて、安心しました。


 小児科外来と小児科病棟は、同じ階にあるのですが、建物の端から端まで行かなくては行けません。

 最後の角を曲がったとき、廊下の突き当たりが入院する病棟の入り口なのですが、その廊下がとても長く、100mくらいあるのです。外来棟はまだ新しいので明るいのですが、病棟は古いこともあって、目的地がすごく暗く、遠く感じられました。


 病棟までの間に院内学級があり、看護師さんから「ここが院内学級です。入院しながら学校に通えるんですよ。」と教えてもらったのですが、精神的な余裕のなさもあって、ゆかっちが通う姿が全く想像できず、聞き流してしまいました。


 病室は、4人部屋の窓際で、山がきれいに見えました。

 同い年の女の子Yちゃん、小学3年生の女の子Kちゃんの二人が同室で、あと一つのベッドは空いていました。


 実はYちゃんがガウン でした。

 通常、ガウンのお部屋には新規の患者は入院させないことになっているそうです。だから最初部屋がないと言われたんですね。

 

 朝からいろんなことがあって、私はおろおろするばかり。病棟には髪の毛のない子や点滴と一緒に廊下を歩いている子もいて、みんな大変な病気だろうに、付き添いのおかあさん方は、落ち着いていて悟ったような人ばかりに見えました。


 K大病院は、小児科だけは付き添いが許されています。小児科でも付き添いが許されない病院もあるのです。もし何かあっても最後まで一緒にいられたと自分を納得させることができる、こっちにしてよかったと思いました。

 

 病棟に来てから、採血したあと、心電図、レントゲンをとりに行きました。


 夕方、小学校に電話をしました。いつもは、「連絡は電話ではなく連絡帳で」と言われているのですが、こんなときはしかたないです。

 事情を説明して、「学習発表会に出られなくなって、みんなに迷惑をかけて、申し訳ない。」と言うと担任のY先生は、「学習発表会のことは気にしなくてもよい。ゆっくりみてあげてください。」というようなことを言われたと思います。

 

 



2003年11月6日(木)④


 入院が決まってから、まず、トムさん、家で待つおばあちゃん、梅ママに電話をしに行きました。


 外来看護師主任さんに公衆電話の場所を聞いたとき、「なんでこんなことになったんやろう。」と思って、涙が浮かんできました。

 主任さんが「おかあさんがしっかりしないと。大丈夫だからね。がんばって。」と言って下さって、よけいに泣けてきました。優しい言葉をかけてもらった方が泣けました。

 この主任さんは、患者の不安を包み込んでくれるようなやさしいおかあさんという感じの方で、今も外来におられ、お世話になっています。


 それから、年長の時から行っていた英語教室にも、「今日は行けません。しばらく休みます。」と連絡を入れました。


 その後、売店の場所を聞き、お昼ごはんを買いに行きました。

 ゼリー、プリン、サンドイッチなど、ゆかっちが食べそうなものを買いましたが、「吐くのがいややから。」と、全く食べようとしない。体がもっとしんどくなるからと食べさせようとしたのですが、いやと言い張り、結局お茶とりんごジュースをちょっと飲んだだけでした。

 

 


 小学校でも、4年生になると部活動に参加できます。

 授業としてある全員参加の活動が全員クラブ。部活動は参加したい人だけのものです。


 ゆかっちは、バレーボール部に入ることにしました。

 保育所の頃は足が速かったので、「4年生になったら陸上部に入って、市の小学生駅伝出場をめざすんやな。応援に行くでぇ!」と勝手に思っていたのですが、病気になってしまったので計画変更。

 陸上部は駅伝をめざし、その他の大会も出場しているので、ほとんど毎日練習があり、本気でしんどいのです。

 今の状態では、まだハードな練習は無理。GVHD がひどくなっても嫌だし。


 その点、バレーボール部は週1回~2回で、練習もそれほどきつくありません。のんすけもやってましたから、よくわかっています。

 本気じゃない分弱いけど、ゆかっちのリハビリにはぴったりチョキ

 ゆかっちもやる気になって、はりきっています。でも、そんなにはりきらなくていいよ。ぼちぼちでいんやで~。



 さてさて、のんすけはというと、引き続きバレーボールをやると思っていたのに、

 「仮入部、どれにするの?」と尋ねたら、

 「えーっとな、バレーと吹奏楽と剣道。」

 「???」

 バレーはわかるが、吹奏楽と剣道とはこれいかに。

 吹奏楽部の入部説明会での演奏がすばらしかったそうです。剣道は、人数が少なくて、すぐ試合に出られるから。

 で、仮入部を終えて、「吹奏楽か剣道か、どっちにしようかな。バレーは練習しんどいし、上下関係厳しいし、やめ。」とのたまった。

 ちょっと待て。運動部は、どこにいってもしんどいんやで。上下関係もきついんやで。そんなん当たり前や。

 それに吹奏楽も剣道も、お金かかるやんか。うーん…あせる

 できたらスポーツはやってほしい。楽器も演奏できたらこれからの人生楽しそう。でも先立つものが…、と悩める私。

 結局、剣道部に入部届を出しました。女剣士への道を歩むそうです。


 二人とも、今日が部活動初日。

 どうだったかな。話を聞くのが楽しみです。


 

 



 


 

 

 

 先日、のんすけと買い物に行ったとき、本屋さんに寄りました。

 彼女は、最近ホラー漫画が読みたいようで、この間も2冊ほど買ってきていました。

 何か選んでというので、楳図かずおさんの短編集を薦めたのですが、「それは、本気で怖いからあかん。」と却下されました。『神の左手悪魔の右手』も読みたかったなぁ。

 しばらく後、のんすけが選んだのは、ホラーではなく、実話を漫画化した『白旗の少女』でした。もちろん、ホラーではないとわかって選んでいます。

 戦争については、小学校5年・6年で勉強をし、修学旅行も広島だったので、関心がある様子。そういえば、『男たちの大和』も見たいと言って、トムさんと見に行きましたね。

 


 

みやうち 沙矢, 比嘉 富子
白旗の少女

 太平洋戦争末期の1945年4月に始まった日本唯一の地上戦である沖縄戦。20万人以上の人が亡くなった沖縄で、戦火を逃れる中で姉たちとはぐれてしまった6歳の少女富子が、たったひとりで生き抜いたお話です。


 「時々出てくるカタカナの言葉は何?」という問いから、沖縄のことや戦争のことなど、いろいろと話ができたことはよかったと思います。

 ちなみに時々出てくるカタカナの言葉とは、沖縄の言葉です。沖縄がかつて琉球王国だったことを考えると、方言と呼ぶのが失礼だと思いました。


 私も読みましたが、涙なくしては読み終えることができませんでした。のんすけも、泣いたそうです。

 私も梅ママから福井空襲のときの話を聞いていたのですが、絵を見ることでその悲惨さがより現実的なものとして迫ってきて、今まで自分がイメージしていたものが甘かったのだと思い知りました。

 

 ゆかっちが初めて入院した2003年は、イラク戦争が始まった年です。世界の中には紛争が続いている地域もあります。

 病気と向き合って、必死で生きようとしている人たちがいる一方で、命を奪い合っている人たちもいる。矛盾を感じます。どうしてみんなで手を取り合って、仲良くできないのでしょうか。

 人の命を人が奪い取る戦争は、やっぱり許せないと改めて思いました。


 わが家では、漫画は自分で買うことになっているのですが、この『白旗の少女』は、私も心を動かされたので、後で代金をのんすけに渡しました。また、すばらしい本に出会えるといいなと思って。


 読むのは漫画ばかりののんすけが、珍しく「原作も読んでみようかな。」と言ったのも大きな収穫だったと思います。




2003年11月6日(木)③


 不安な気持ちを抱えたまま、しばらく時間が過ぎました。

 そして、ゆかっち、2回めの嘔吐。小部屋にはいるときに看護師さんからあらかじめガーグルベース(ピンク色で空豆みたいな形をしたプラスチックの容器。膿盆のちょっと深めのものです。)を渡されていたので、ベッドが汚れることはなかったのですが、またまた不安が襲ってきました。


 そして、K先生小部屋に登場。


K先生 「また吐いたんだって?病棟と連絡が取れたけれど、今入れる部屋がないので、入院明日でもいいかな?」

うにょきち 「こんな状態で、家で何かあってもどうしようもないし、できたら今日入院させて下さい。」

K先生 「そうだね。じゃあ、もう一度病棟と連絡してみます。」


 こんな状態で連れて帰るのも大変だし、帰ってから何かあって手遅れになったりしたら、もっと大変。

 親が見てものすごくしんどい状態でも、医者から見たらまだ大丈夫ということなのでしょうか。このときは、大学病院ってなんて所だと思いました。でも、K先生が明日でも大丈夫と思った理由がちゃんとあったことは、病棟に行ってからわかりました。

 結局、入院できることになり、病棟に移るのは午後2時頃と決まりました。

☆血液について☆


 血液の成分は、血漿と血球です。

 血漿は肝臓で、血球は骨の真ん中にある骨髄という部分で作られています。


 血漿は、血液の約半分を占め、液体です。

 もう半分の血球は固体で、赤血球、白血球、血小板の3種類です。


・赤血球-真ん中がへこんだ円盤のような形をしています。

       肺から酸素を取り込み、体中に酸素を補給します。

       寿命は、約120日。

       貧血の指標となるのは赤血球の中にあるヘモグロビン(HGB)

       ヘモグロビンの正常値:11.2~14.0


・白血球-細菌などの外菌から体を守る役割をしています。

   |   アメーバのように、決まった形はありません。

   │   数種類のタイプがあります。

   │   正常値:3,600~10,000

   │     

   ├-顆粒球 ┬-好中球-ばいきいんを退治します

   │       │          正常値:白血球の46~62%

│       │ 数値が250以下になったら

   │       │        ガウン(※)になります

   │       ├-好酸球-アレルギー反応に関わります。

   │       │           正常値:白血球の3~5%

   │       └-好塩基球-アレルギー反応に関わります。               

   │

   ├-リンパ球-免疫に関わってるので、病気への抵抗力を

   │           発揮します。

   │           正常値:白血球の30~40%

   └-単球-ウィスルを退治します。

   

・血小板-血を止める働きをします。

       寿命は、3~10日。

       正常値:189,000~448,000


・網赤血球-赤血球の元になるもの。

         1~2日後に赤血球になります。

         赤血球が作られているかどうかの指標になります。

         正常値:7.0~20.0

         

※ガウン-入院時に、顆粒球が250以下になったとき、

        いろいろと制限のある状態を言います。

       免疫力が弱くなっていて、大変感染しやすい状態なので、

        病室から出ることはできません。

        だからとても退屈です。テレビの見過ぎに注意です。

       室内には、空気清浄機を設置します。

       食事は、火の通った物のみOKです。       

       付添人の入室時には、手洗いとマスクを着用します。

       ガウンの病室には、赤いマークが付きます。

       

       例)白血球が3,600のとき、顆粒球が50%とすると、

         その数は1,800ですから、

         顆粒球が250というのは正常時の約14%、

         かなり低いということがわかりますね。

       

       K大病院では、ガウンと言っていましたが、

       他の病院ではまた違う言い方かもしれません。



2003年11月6日(木)②


 外来の待合いは、病院廊下の外待合いと、各科の入口を入った診察室のすぐ前の中待合いがあります。


 ゆかっちは、全身状態が悪いので、中待合いのさらに中の診療ベッドがある小部屋に通されました。小部屋は全部で4つ。そのうち、一番廊下に近い部屋です。そこで、順番が来るまで横になって待ちました。ちょっと落ち着いたようです。私も、落ち着きました。


 看護師さんに「今日は、血液専門の先生が外来に出ている日なので、その先生に診てもらいましょうね。」と言われたので、ほっとしたことを覚えています。血液の先生じゃなかったら、また出直さなくてはいけないかもしれませんからね。


 しばらく待って順番が来たので、診察室に入りました。ゆかっちは、診察室でも診療ベッドに横にならせてもらいました。

 

 目の前の医師は、私とあまり年が変わらないような男性。

 紹介状を見た後、

K先生 「Kと言います。血液が専門です。持ってきてもらったデータを見る限り、再生不良性貧血の可能性が高いです。」


 再生不良性貧血と聞き、真っ先に思ったのは、「百恵ちゃんと同じ。」でした。「赤い疑惑」を見たのは小学生の頃なので、大部分を忘れてしまっているのですが、再生不良性貧血という病気を知ったのは、確かに「赤い疑惑」でした。(後日、友達に確認しましたが、その友達も「赤い疑惑」でこの病気を知ったとのこと。恐るべし、赤いシリーズ。)

 確か、あのドラマでは百恵ちゃんは死んだはず。じゃあゆかっちも死ぬ!ええー、どうしよう。

と思ったのを見すかしたように

K先生 「大丈夫、治ります。今は、白血病でも治ります。再生不良性貧血、ご存じですか?」

うにょきち 「はい。」

K先生 「何でお知りになりましたか?」

うにょきち 「ドラマで。」

K先生 「はあ、そうですか。」


 K先生は、私がドラマでこの病気を知ったことが不思議そうでした。

 先生、勉強ばっかりしててテレビ見てへんのやな。


K先生 「詳しい検査をしてみないとはっきりとは言えませんが、白血病と骨髄異形成症候群の可能性もありますが、再生不良性貧血の可能性がやはり高いでしょう。どちらにしても入院が必要です。」

うにょきち 「明日学習発表会なんです。発表会だけ出て帰ってもいいと、担任から言われてるんですが。」

K先生 (診療ベッドに横たわるゆかっちを見て)「う~ん、でもこの状態では無理でしょう。」

うにょきち 「やっぱり、そうですね。」


 何考えてたんでしょうね、私は。無理とわかって、わざと言ったように思います。勝手に口が動いてました。


 その後、診察をして、病棟と連絡を取ってベッドの調整をするからと言われ、また中待合いの小部屋に戻りました。



 

 

 今日は、3週間に一度の外来通院の日。

 

 子どもは、小児科処置室で採血してもらってもいいのですが、すいていたので、中央採血室で採血しました。中央採血室は、その名の通り採血ばっかりしているので、みんなとても上手なのです。中でも副看護師長Yさんは、とっても上手。指名したいくらいです。でも、今日はお休みなのか、おられませんでした。残念。

 

 診察までに時間があったので、院内学級に行きました。皮膚科にカウンセリングにとなかなか行けなかったので、本当に久しぶりで、ゆかっちはちょっとはずかしがっていました。


 まずは、皮膚科。

 ここ5日くらいは、GVHD の皮膚症状もかなりましで、背中とお腹は毛穴が縮んだ感じはほとんどなく、皮膚の感じもソフトです。「よくなってきていますね。」とのお言葉をいただきました。

 しかし、首の後ろが、いつまでの真っ赤っかでがびがびなまま。ステロイドを塗っても治るのに時間かかるというと、「髪の毛、くくりましょうね。」と言われてしまいました。

 そう、ゆかっちの髪は、肩より少し長く、髪はくくらずにおろしているのです。

 現在、アンテベートというステロイドを体に塗っていますが、これ以上強いものを使うよりも髪をあげて様子を見ようということになりました。


 そして、カウンセリング。ゆかっちは、いつものように箱庭療法やりました。


 最後に、主治医A先生の診察。

 まず、血液検査ですが、


  白血球  4,800

  ヘモグロビン  13.8

  血小板  257,000

  好中球  2,500

  リンパ球 1,600


 絶好調ですね。移植後はずっと安定して良好なので、ホントに嬉しいです。

 数値だけ見たら、健康な人と変わりませんね。

 いろいろ悩んだし、ここまで大変だったけど、移植して良かったと思います。


 そして、皮膚の状態もよいので、ネオーラルを少し減量することになりました。やったー!

 これまで、1回分が0.6mlだったのが、今日の夜の分から0.5mlになりました。

 ちょっとずつだけど、前に進んでると思います。

 


2003年11月6日(木)


 T先生に書いてもらった紹介状を持って、K大病院に行きました。


 トムさんは、午前中は外で打合せなので、帰りに病院で拾ってもらおうという安易な考えで、バスで行きました。

 バスにはすわれたのですが、病院が近づく頃、しんどいと言い出したゆかっち。バスを降りてもしんどくて歩けないというので、おんぶしたのですが、これがまた重い!

 バス停から病院までは3分くらいですが、とても長く感じられました。しかし、病院の敷地に入っても、玄関まで距離があり、玄関を入るとまた受付までと、ものすごく大変でした。病院の中に入ってからは車椅子を使えば良かったのですが、車椅子のくの字も頭に浮かびませんでした。玄関横に外来患者用の車椅子もたくさん置いてあるのですが、このときは目に入らなかったですね。


 初診受付も結構混んでいました。自分たちもですが、たくさん初診の人がいるなぁ、みんななんの病気かな、しんどいのかな、大丈夫かな、とわりとのんきに考えていました。


 受付を終え、3階の小児科外来をめざして、近くにあったエスカレーターに乗りました。そして、2階に上がって、3階へのエスカレーターに向かおうと2歩くらい歩いたところで、げーっとゆかっちが嘔吐してしまったのです。

 ここまで状態が悪かったことをどうして見抜けなかったのか。何度も書いてますが、本当に情けない親です。頭の中は、もう真っ白け。


 今朝は食欲がなく、ミニあんパンを半分とお茶を少し飲んだだけだったので、それほど量は多くなく、また、何度も嘔吐することはなかったのですが、しゃがみこんで動かないゆかっち。少し先に内科の受付カウンターがあり、病院職員の人がいるのが目に入ったので、「人を呼んでくるから、待ってて。」と言って立とうとしたのですが、「行かんといて」と、ゆかっちは私の腕をしっかりつかんで離さないのです。

 心細いのはよくわかるけど、それじゃどうしようもない。一体どうしたらいいのか…。どうしよう、どうしよう…。

 私のすぐ後ろにはエスカレーターがあり、ゆかっちと私がしゃがんでいる後ろをたくさんの人たちが通り過ぎていきます。でも、だれも声を掛けてくれる人がなく、私は途方に暮れてしまいました。私たち二人だけが、取り残されたような感じがしました。


 そこへ、ああ、神様っているんですね。1人の男性が、「どうかしましたか?」と声を掛けてくださったのです。たぶん内科で順番を待っていた患者さんでしょう。

 「子どもが吐いてしまって…。」と言うと、「じゃあ、誰か呼んでくるから」と、看護師さんを連れて来て下さいました。

 地獄に仏とは、このことですね(神様って書いたけど)。

 

 看護師さんはゆかっちを見て、車椅子を持ってきて下さいました。「汚してすみません。」と言うと、「いいのよ。あとで掃除しますから。」と言って、一緒に小児科外来までついてきて、小児科の看護師さんに事情を説明して下さいました。


 数日たって落ち着いてからよく考えると、私はあの看護師さんを呼んできてくれた男性に、お礼を言ってないような気がするのです。たぶん、言ってないと思います。

 看護師さんが来られてからは、男性は自分の役目は終わったという感じでこちらにはもう近寄ってこなかったように思います。私もゆかっちのことで頭がいっぱいだったので余裕がありませんでした。失礼なことです。仏様なのに。その上、顔を忘れてしまったので、今会っても誰だかわからないです。重ね重ね失礼なことです。


 ごめんなさい。あのときの方、本当に本当にありがとうございました。しっかりお礼が言えずに、申し訳ありませんでした。とても感謝しています。