ゆかっちは、4月から小学4年生になりました。新学期が始まって、1週間あまり。始業式が4月6日にあったので、これまでの登校すべき日数は7日。そのうち何日登校したかというと、なんと7日!皆勤です。


 入院中は、病院内にある院内学級に病室から通い、昨年3月に退院したあと4月から6月までは、養護学校の訪問教育を受け、7月からもともと通っていた小学校に復学しました。

 訪問教育は、週に3日(1日2時間)ですが、先生が来て下さるのです。家庭教師のようですね。退院したてでしんどいときもあったのですが、体調に合わせて授業をやって下さるし、1対1なので勉強もはかどるのですよ。いつまでも訪問教育を受けていたいと言っていたくらいです。それに、公立だから(学籍は移さなくてはいけないんですが)授業料もいらないし、ほんとにありがたかったですね。

 院内学級に行くのも大好きでしたね。

 院内学級のない病院や訪問教育制度のない地域も多いそうで、本当に本当にゆかっちはラッキーだったと思います。

 7月にもとの学校に戻ってからは、体力的なこともあって、なかなかすんなりと学校生活に入っていけず、休みがちだったのですが(半分くらいは休んでいましたね)、勉強が全くわからないということがなかったのは、院内学級と訪問教育の貯金があったからだと思っています。ありがたや、ありがたや。


 これまでは、体育をしたり、放課後にお友達のおうちに遊びに行ったりした次の日は、朝起きられなかったのですが、新学期が始まってからは、そんなこともなくなりました。徐々に体力がついてきたのでしょうね。

よしよし。たった7日間のことだけど、これまでとは違う感じがしています。


 このままうまくいってほしいな。またどこかでリズムが崩れるかもしれないけれど、なんだかステップを一段上がったような気がする新学期です。

2003年11月5日(水)


 朝、ゆかっちはしんどそうだったので、学校を休みました。2階からリビングに連れておりたのですが、おこたに入って、お昼ご飯に起こすまでぐーぐー寝ていました。


 何かおかしな結果が出たら午前中にかかりつけ小児科のT先生が電話をくださることになっていたけれど、電話がなかったので、大丈夫だったのかなと思っていたら、お昼ごはんを食べようとしたときに、ついに電話がかかってきたのです!


 電話の内容はこうでした。

「悪性のものは出ていないが、通常380以上あるものが214しかない。血小板も少ないので、至急血液専門の医師のいる大きな病院で診てもらった方がよい。」

 家から一番近い総合病院には血液専門の先生がいないので、市内に二つあるK大病院とF大病院のどちらかということになり、話の流れから遠い方の病院に紹介状を書いてもらうことになり、電話を切りました。

 特にショックを受けたということはなく、淡々と話を聞いていました。


 そして、お昼ご飯を食べながら、トムさん、おばあちゃんにT先生の電話を説明しました。そこで、本当に遠い方の病院でいいのかということになり、やっぱり近い方のK大病院にしようということになりました。

 二つともそれほど距離は変わらないのですが、K大病院はバスで乗り換えせずに行けるのに対し、F大病院の方は乗り換えしないとだめなのです。

 ちなみに、K大病院にはバスで30分、車で15分という近さです。

 ご飯を食べたあと、T先生に紹介状をK大病院にしてもらうように電話をしたところ、快く承諾して下さいました。

 K大病院を選んだのは結果的に正しかったのですが、それが分かるのは入院してしばらくしてからのことでした。


 朝は顔色も悪く、ずっと眠っていたゆかっちも、お昼からはわりと元気にしていました。外出はしませんでしたが家の中で普通に過ごしました。


 夜に、私だけT先生の所に紹介状を取りに行きました。

 一昨日結婚式を挙げたばかりのいとこから電話がありました。結婚式に出て疲れたからしんどくなったと思っているようなので、しばらく前から体調が悪かったから、気にしないでねと伝えました。

 

 この日は、大学病院を紹介されても、あまり深く考えず、2週間くらい薬を飲んだら治るだろうと軽く考えていました。なんで2週間なんでしょうね。なぜかわからないけど、なんとなく2週間くらいと思いました。


 T先生の電話で「通常380以上あるものが214しかない」というのは、その時はこれですとは言われなかったのですが、今考えると、たぶん赤血球のことだろうと思います。

 骨髄移植後は、食事や行動にいろいろと制限があったのですが、今はもうそのほとんどがなくなり、ゆかっちは普通に生活しています(その制限については、また移植後のところで書きたいと思います)。


 現在制限のあるものは、食事については、お刺身とカビのはえたチーズは×。グレープフルーツは、免疫抑制剤のネオーラルを飲み出したときからずっとですが、薬の作用が強く出てしまうので×。

 一度、アイスを買ってふた口くらい食べたところでグレープフルーツ味だと分かって、びっくり仰天。あわてて取り上げたことがありました。よく見て買おう。反省。


 行動については、まだリンパ球が少し少ないので病気に感染する危険性が高いので、あまりに人がたくさんで混み合っているところは×ですが、大型ショッピングセンターなどにも行ってもよいと言われました。

 しかし、映画と飛行機は最後まで×と主治医に言われています。 

 不特定多数の人と同じ空間に長時間いることになり、感染する病気(風邪などでも)の人がいても、逃げることができないからです。


 飛行機に乗るような旅行はしないし、実家も車で40分なので、これについてはなんてことないのですが、映画には困りました。

 そんなによく映画に行く方ではないのですが、昨年末から今年の春にかけて、見たい映画がたくさん封切られたのです。「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」「チャーリーとチョコレート工場」「ブラック・ジャックふたりの黒い医者」「ウォレス&グルミット野菜畑で大ピンチ」「あらしのよるに」「THE有頂天ホテル」などなど。

 でも、行ける状態でも、全部は見に行けませんね。本数多すぎ。


 特にハリー・ポッターは、私が原作の大ファンで、1作目から家族で見に行っているので、どうしても映画館で見たかったよ~。2作目の「秘密の部屋」のときは、初日に見に行きましたからね。

 のんすけは、ハリー・ポッターはどうしても見に行きたかったらしく、とても悔しがっていました。そして、そのはらいせに、私から聞いたあらすじを友達に言いふらしていました。おいおい、みんなから嫌われてない?母はそれが心配です。

 

 ということで、もうすぐDVDが発売されるので、予約することにしました。映画館に見に行ってもDVDは買うつもりだったので、映画代を得したと思ったらいいのでしょうか。

 あぁ、早く見たいよ~。



 

ワーナー・ホーム・ビデオ

ハリー・ポッターと炎のゴブレット 特別版

2003年11月4日(火)


 のんすけ、ゆかっちともに昨日の疲れなのか、朝起きにくそうだったけれど、なんとか間に合うように学校に行きました。

ここまで書いて、「いい加減に、ゆかっちの体調がおかしいことに気づけよ!!」と自分に言いたくなりました。本当に情けないです。

 

 その日は、午前中はおばあちゃんと近所の電気屋さんに電気ポットを買いに行き、お昼からは仕事をしました。この仕事は、提出期限が今日中だったのですが、午後にならないと私のできる仕事がないので、午前中に買い物に行ったのです。

 夕方、私は追い込み、トムさんは一足先に仕事が終わったので、いつものようにのんすけ、ゆかっちと一緒に家の前でバドミントンをやりに行きました。夏頃から、わが家では夕方に家の前でバドミントンやボール投げなどをするということが習慣になっていたのです。

 「私も早く参加したい」と思いつつ、必死にPCに向かってデータの入力をしていると、おばあちゃんが来て、「ゆかっちがしんどそう。脈も速いし、お医者さん行った方がいいんと違う?今はこたつで横になってる」と言ったのです。

 「この間からなんかおかしかったし、もうちょっとで仕事が終わるので、それから行きますね。」と返事をして、仕事を仕上げ、リビングに行きました。


 トムさんによると、ゆかっちは1回だけ羽根を打ち、「しんどいし、やめる。」と言って、家に入ったと言うのです。いつも暗くなるまで、やっているのに…。

 こたつに寝ているゆかっちの顔色は、先日いとこの家に行ったときのようでした。

 やはり調子が悪そうなので、かかりつけの小児科のT先生(開業医)の所へ向かいました。


 診察室に入るなり、T先生はなにも聞いていないのに、「あら、顔色が悪ですね。血液検査をしましょう。」とゆかっちの顔を見ただけでおっしゃったのです。そして、採血のあと診察と最近の様子などを話しました。

 受診したのが午後6時を過ぎていたので、検査会社がもう終わっているので結果は明日になること、あまりにおかしな数値なら先生の方から午前中に電話がいただけること、電話がなければ夜に結果を聞きに来ること、を聞いて診察は終わりました。


 お金を払って玄関で靴を履いていたら、T先生がわざわざ出てきて、「体にあざはありますか。」と尋ねました。

 9月頃にかわるがわるできていた青あざは、足にはもうほとんど出なくなっていたのですが、その時は背中に小さなものがあったので、背中を見せました。

 先生は、「わかりました。お大事に。」と言って、奥へ行かれました。

 ゆかっちの体調の悪さと、青あざが結びつくことはなかったので、診察のときに青あざのことは言わなかったのです。

 ここで、何となく嫌な感じはしたのですが、あまり気にすることはありませんでした。


 そのあとは、まっすぐ家に帰り、早めに寝かせたと思います。

 

 

 

 


 ゆかっちの骨髄移植は、骨髄バンクにお世話になりました。

 ということで、のんすけとゆかっちは、毎年お年玉の中からいくらかを骨髄バンクに寄付しています。のんすけは、渋々と言った感じですが、ゆかっちがお世話になったことと、「情けは人のためならず」と言い聞かせ、今年で3年目になりました。

 日本では、まだまだチャリティーが根付いていないような気がするのですが、本当はどうなのでしょうか。私たちが知らないだけで、いろいろなチャリティー活動をしている企業もあるので、こんな活動していますともっとおおっぴらに宣伝してほしいなと思います。そうすることで、個人でもチャリティー活動をしようという人が増えるだろうし、企業イメージもアップすること間違いなし!と思うのですが。

 

 だいぶ前の新聞記事ですが、こんな記事がありました。

 2004年9月4日の朝日新聞に、「大相撲の元横綱、大鵬親方が日本赤十字社に65台目の血液運搬車”大鵬号”を寄贈。」と載っていました。

 「大鵬親方は、現役時代の69年に血液運搬車不足の話を耳にして、「65歳の定年までに65台を」と35年間送り続けた。

 献血運搬車の代金約230万円は、浴衣地などの販売収益が充てられていた。「ファンの方の協力で続けることができた。」と感慨深げに語った。2005年の5月に親方が定年になるので、この65台目が親方からの寄贈は最後になるが、娘婿の大嶽親方が続けていく。贈り主は変わるが名前は「大鵬号」のままになりそうだ。」

と、要約すればこんなことでした。


 ゆかっちも、これまで血小板、赤血球の輸血を合計40回受けています。いつも血液センターから輸血用血液が車で運ばれてきていたのですが、ひょっとして大鵬号だったのかも、と思いました。

 このことは、この新聞記事で初めて知ったので、自分たちの知らないところで応援してくれている人がいるとわかって(よく考えると、献血をして下さった方を始め、たくさんの人に助けられているんですけどね)、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 骨髄移植することに決め、バンクに患者登録はしたけれど、HLAがわりと珍しく、コーディネイトに時間がかかりそうと言われ、落ち込んでいた時期だったのですが、くじけずにがんばろうと思うことができました。

 今は、大嶽親方が献血運搬車を贈って下さっているのでしょうね。

 大鵬親方、大嶽親方、ありがとうございます。


 何かしたいと思っていてもなかなか難しい、お財布も厳しいものですが、クリックだけで募金をする方法があります。自分のフトコロを痛めることなくというのは、むしがよすぎるのですが、あるんですね。

 クリックした人の代わりに企業が募金してくれます。1クリック=1円ですが、塵も積もれば山となりますし、パソコンに向かうときに、ぽちっとするだけなので簡単です。



2003年11月3日(月)


 いとこの結婚式だというのに、あいにくの雨雨

 私は留め袖、トムさんは礼服、のんすけもゆかっちもよそ行きの洋服で、おすましです。


 結婚式は、地元の有名なお寺でありました。驚いたのは、式を挙げている間も拝観は中止されなかったこと。観光のお客さんがたくさん入ってきて、足を止めて式を見ている人が多かったです。

 お坊さんがお説教の中で、

 「誰もが新郎新婦を見て、朗らかな気持ちになったはず。それは、お二人がたくさんの人に布施をしたと言うことです。」

 「おめでたい日に雨が降って、嫌だと思われるかもしませんが、慈雨と言って、雨は恵みの雨なのです。」

とおっしゃってました。


 式のあとは、近くの料亭で披露宴。お料理は、おいしかったです。

 ゆかっちは、子ども用の和食のお弁当を頼みました。「ゆかっちだけ、お弁当?やったー!!」とものすごく喜んでいましたが、いざ実際のお弁当を見たら、顔が曇りました。 「これ、なんか変や。こんなんいややなぁ。」と言うのです。ええーっ、ものすごくおいしそうなのに。

 じゃあどんなお弁当が良かったのか聞いてみると、「遠足とかに持って行くやつ。」と、お答えになりました。ゆかっち節炸裂ビックリマークそう、そういうヤツなのです、ゆかっちは。でも、ちゃんと食べていましたよ。


 帰りのタクシーの中で、ゆかっちは寝ていました。ゆかっちは、遠出をしても帰りの車の中で寝たことがないのですが、さすがに今日は疲れたのかな、私も一日着物で疲れたなぁと思い、私もタクシーの中で、うとうとしておりました。

 




今日は、のんすけの中学の入学式でした桜


けがは何度かしましたが、あまり病気にかかることもなく、すくすくと大きくなり、身長も体重も私に並ぼうとしています。

生意気で、昨日もしょうもないこと(入学式にどのカバンを持って行くか)で口論になり、反省。ごめんね、のんすけ。

ああ、私って大人になりきれてないよ~ショック!


入場してくるとき、無事にここまで大きくなってくれたと、涙が出ました。

ゆかっちの病気のために、さみしい想いをさせたし、我慢させたこともたくさんあったので、本当に嬉しいです。出会った友達も良かったのかな。お友達にも、ありがとうを言いたいわ。

中学生活を謳歌しておくれよ~。


しかし、体育館は寒かったです。膝掛けを持って行ったのに、ものすごく冷えてしまい、体力を消耗してしまいました。ひなたは暖かかったのに…。

今日は、お風呂でゆっくり暖まります。



2003年11月1日(土)

  

 2日後の文化の日に私のいとこの結婚式があるので、のんすけ、ゆかっちと一緒にお祝いを届けに行きました。いとこの家は、私の実家から歩いて2分。小さい頃は、叔母によく面倒を見てもらいました。実家までは、車で40分です。


 半分くらいまで来たとき、ゆかっちが「おなかしんどい。」と言い出しました。車に酔ったようで、窓を開けて外の空気を入れ、安全運転でなんとか実家にたどり着いたときには、ゆかっちはもうへろへろになっていました。

 ものすごくしんどかったようで、顔色は血の気がなく、土気色というか、黄色人種の黄色い色だけの顔でした。こんな顔色の人を見るのは、初めてでした。歩くのもしんどく、実家の前に車を置いて、叔母の家までは私がおんぶしていきました。

 しばらくすると元気が戻ってきて、叔母の家にあった一輪車の練習をしたり、いつものように走り回っていました。


 実家にも顔を出したのですが、梅ママは、「あの顔色は普通やない。ほんまにだいじょうぶか?」ととても心配していました。

 私は、車に酔っただけと思っていたのですが、それは大きな間違いだったのです。

☆GVHD(移植片対宿主病)☆



 平たく言えば、移植片=ドナーさんにいただいた骨髄と、宿主=患者さんの体がけんかしている状態です。


 白血球は自分以外を敵と見なして、攻撃する性質を持っています。

 移植されたドナーさんの骨髄がうまく患者さんに生着すると、患者さんの体の中をドナーさんの白血球が回るようになります。すると、このドナーさんの白血球は、患者さんの体を他人と見なすので、免疫反応を起こして患者さんの体を攻撃するのです。

 この現象による病気をGVHDと言います。


・急性GVHD

  移植後早期(3ヶ月)に起こるものを言います。

  皮疹、下痢、肝障害などがおこり、重症になると多くの内臓に障害が生じます。


・慢性GVHD

  移植後100日を過ぎて、場合によっては数年にわたって生じるものです。

  皮膚症状、目の乾燥、口内炎、肝障害などいろいろな症状が起こります。

  

 HLAの型が合っていない場合や非血縁者からの移植の場合にGVHDの起こる頻度が高くなります。

 しかし、GVHDが起こることで、ドナーさんの白血球が体に残っている白血病細胞を攻撃してくれるという効果も知られています。

 再生不良性貧血の場合は、GVHDは百害あって一利なしと言われているので、起こらない方がよいですね。

クローバー現在のゆかっち


 現在は、3週間に一度通院しています。

 GVHD(移植片対宿主病) の症状が皮膚に出ているので、小児科の他に、皮膚科のGVHD専門の医師にも診てもらっています。

 昨年秋から、血液データは良好なのに朝起きられない日が続いたので、精神的なフォローにと、カウンセリングも受けています。


 血液データ(2006年3月28日)

  白血球  6,400

  ヘモグロビン  13.1

  血小板  217,000

  好中球  3,700

  リンパ球 1,500

おかげさまで良好です。 


 皮膚の状態は、昨年の秋くらいから乾燥して毛穴が縮んでかたくなっています。寒いときにたつ鳥肌を思っていただければよいでしょう。肌をさわるとざらざらのこれぞ鮫肌っていう感じです。赤くなっているときもあります。そして、かゆいです。肌のきれいな部分は、ひじから手首にかけてと二の腕、太ももの裏、膝から下です。顔はさすがに鳥肌状ではないのですがごわごわしています。移植前はアレルギーもなく、きれいな肌だったので、この状態は親としてはちょっとつらいものがあります。かゆいので、よけいです。

 いまのところ、皮膚症状だけなので積極的な治療はせず(薬の服用はしないということ)、塗り薬で対処しています。

 しかし、対処療法しかないというのが、解せません。なんとかならないんでしょうか。

 

 最初は、ステロイドの使用には抵抗があり、どうしても使いたくないと医師に言っていたのですが、症状が進むと、

  ・汗腺がやられてしまって汗がかけなくなり、体温調節ができなくなる

  ・皮膚がかたくなって、関節の曲げ伸ばしもしにくくなる

と言われました。

 そうならないために、

  ・症状がきついとき、赤みのあるときはステロイドを使って進行をおさえる

  ・あとは、保湿中心の塗り薬を使う

ということになりました。


 それに、ステロイドを使おうと思った理由は、もう一つあります。免疫抑制剤の減量です。

 骨髄移植後服用している免疫抑制剤を1年後くらいから徐々に減量していき、最終的にはゼロにすることになっています。

 現在もゆかっちは、ネオーラルという免疫抑制剤を朝晩2回、0.6mlずつ服用していますが、皮膚症状をコントロールできないとネオーラルが減量できないのです。

 免疫抑制剤は、その名の通り免疫を抑制する薬なので、健康な人よりも免疫が落ちている状態ですから、病気に感染しやすく、予防接種もできません(今年の冬は、なんとかインフルエンザにはかからずに過ごせました)。

 そこで、いつまでも免疫抑制剤を飲んでいるよりも、ステロイドを使って皮膚の状態を安定させて、免疫抑制剤をゼロにすることが大切だと思ったのです。



 そうそう、GVHDの症状が出てから、耳あかがぱりぱりに乾燥していて、まとまらなくなり、取りにくくなりました。

 ドライアイもGVHDの症状の1つですし、唾液が出にくくなることもあると聞きました。やっぱり汗腺とか体の水分を出す部分がやられるんですね。でも耳の中に汗腺あるのかなぁ??耳あかのことは全然関係ない??

 ということで、ゆかっちの耳かきはお風呂上がりと決まっています。