北インド☆ゆるヨガライフ -4ページ目

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

今日は日蝕ですね〜。あと1時間くらいで。

 

 

チャンディガールは6月は耐え難い暑さで、昨晩はエアコンを切れなかった。最小限に使いたいけど、停電すると息をするのも大変なので潔くなれない。(って今また停電したわw)

 

 

でも考えてみれば去年までエアコン持ってなかったんだっけ。笑

 

最初の3年は冷蔵庫さえなかった(修業の為?)。

 

そして今も洗濯機はない(エコ&節約)。

 

 

一度便利を体験してしまうと慣れっこになって、もっと楽に便利にと追求しがちなのが人間。脳が慣れてしまうらしい。

 

何もない世界に来たかったのは、いくら先進国でエコやベジやオーガニックを取り入れて環境に配慮しても、

 

何だか遠回りで矛盾していて果てしなく思えたからかも。

 

社会システム自体が環境破壊的だったり。

 

インドだって、これから辿る未来は経済至上と環境破壊。着々と猛スピードで「変化」に向かってるのだから。

 

 

地ものの小さなマンゴーたち。甘くてクリーミーで何ともトキメク味。笑

 

 

思えばエアコンがなくてもスレート岩盤の壁で造られた夫の村の家は夏でも涼しい。

 

でもチャンディガールの家はレンガ造り。夏は蒸されて熱く冬は底冷えが激しい。

 

レンガ製造は環境負荷が大きいはずだけど、都市部ではスレート岩盤の家など実現しない。熱せられたレンガをわざわざエアコンの電力で冷やす無駄よ。。。

 

 

インドの環境への憂いは深い。プラスチックのリサイクルがほぼ皆無なのに、すごいスピードでプラ包装の新商品が出回っている。

 

デリーの北部郊外の巨大ゴミ山は悪名高く、私も行く度に火災で黒煙が上がるのを目にする。夫の村もプラ回収はなく、山間の清流に捨てるしかない。ヒマラヤの自然を台無しにする光景ばかり。

 

 

日本で感じていた「行き過ぎたシステムやルールに絡め取られるような」不自由さとは別の、

 

「システムやルールに守られない弱者」としての不自由さが身に積まされるのがインド。全く異なる両者を体感して気づく感覚だ。

 

 

いい加減お互い、中間あたりを目指す感じで良くない?と思ったり。笑

 

 

それでもインドで暮らすとジワジワと胸に迫るのは、前のブログでも書いた

 

「変えないことの価値」かも。

 

 

開発したり、教育したり、発明したり、改革したり、何のため?

 

それを売りまくって利権を肥やす未来は誰のもの?

 

てね。

 

 

プラ制品や小間物をリヤカーで売りに来てくれる。先進国ではプラ製品のボイコットが可能だけど、それもある種の privilege(特権)やファッションの側面がある。
 

 

 

さて5月始めからのロックダウンと規制も昨日から大幅緩和され、夫も18時までの勤務になった。半日勤務が終わるのが悲しいってさ。笑。

 

でもインドで色々な時間の使い方があるのを見ると、時々思うんだよね。

 

夫くんが毎日頑張って売り上げに貢献して、毎月お給料をもらって使い切っている、彼の人生の時間と労力がどうか無駄になりませんようにって。笑

 

 

すべての事には意味がある、なんて言うけどさ。

 

それが「破壊的」な方向につながるのか

「持続可能で保全的」な方向に向かうのか

 

一生懸命やったから良しという単純な根性論では片付けられないなって、最近色々と繋がってきている。

 

 

物がなくても幸せになれるのは

物質や外界にそれを求めないからで

 

物がないから幸せになれないのは

それが幻想と気づいていないからで

 

 

インドの村で日がな1日好きな事を好きなだけ喋っては、たまぁに猛烈に働くお義母さんを見てるとね、笑

 

新商品が飽和状態でとにかく経済を回さなくちゃ生きられず補助金、助成金を待ち望む社会はやっぱり人間としての無力感満載でしんどいなーと思えてくるし、

 

同時に目新しいガジェットや娯楽に依存させられて行くインドの若者層を見てると、

 

物質以外の豊かさを知るためには物質漬けも必要悪なのかとも思えるし。結論も正論もないけど。笑

 

 

ま、確かに人間は食べていくだけじゃ満足しないというのは、

自分の人体実験で分かったことかも。笑

 

 

自分の信じる道を歩めれば良いかな。

 

それが「普通」や「正しい」と思われなくても、理解されなくても、協力がなくても。

 

 

たとえ外側が不自由でも、内側は自由でいたいものなのだろう。

 

 

どこの世界にいても、既に何重もの矛盾した不自由さの中で生きるのは変わらない。これも人体実験済。笑

 

だからこそそこから逃げずに、変な媒体で紛らわさずに、感じる不自由さの1つ1つの本質をよく観察して、それが何かを知ることで少なくとも「怖れ」からは自由になれるよね。

 

 

今回のお注射だってそう。

 

よく知って納得して覚悟して、その先の道へ歩む上で後悔のないように。

 

 

半ロックダウンで真面目に料理をしたら、フルでターリーセットが出来上がった奇跡。一口コンロと暇な主婦時間を使用。

 

 

夫は会社で「必須」とかで先週打ってきた。

 

その晩は38℃の発熱と身体の痛みに一晩中うなされ、でも次の朝「来い」と言われて出勤して行った。私だったら暴れて辞めてるね。一日くらい休もうよ。泣

 

 

そう言えば先日、在外邦人向けに外務省から「新型コロナ・ワクチン接種のための一時帰国意向調査」というアンケートが来てた。帰国時に空港でワクチンを打てるようにしてくれるらしい。

 

インドでワクチン打って副反応で重体になったとしても何の保証もなさそうなのと、今後インドは「全員必須」となっておかしくないお国柄、

 

仮に「インドでは受けましぇん」と決めても、意志を通すためには説明が必要になるかもなーなんて。

 

 

こういうメールが来ると、日本人で良かった、ありがたいなと素直に思う。良いトコ取り。笑

 

 

 

さて「どうやったって外界の不自由さから逃れることはできない」というお話。

 

その不自由さの本質が何なのかを見極めるためには、情報を調べるのと同時に「内観」も必要になるかなと。

 

 

例えば

「お化粧しないと外に出られない」と思ってた私。不自由極まりない。マスカラがないと気合が入らないとは。笑

 

コロナで日本から消耗品はなくなり、インドのマスカラでパンダ目になり、インドの化粧品でお肌ガビガビになり、硬水と合成シャンプーで髪がチリチリになり「何じゃこりゃぁあいい加減にせぇえ!!」とキレ、

 

って、インド人はどうしてるの?

 

と思った時、コンディショナーなんて使わなくてもツヤツヤ黒髪、化粧水なんて売ってなくてもお肌ツルツルな(マスカラは必要ないし)彼女たちにメラメラとジェラシーを感じた(凶暴危険w)。

 

観察してみると、シャンプーと石鹸以外、化学物質は使ってない。何ならローズウォーターとマスタードオイルのみ!

 

それ知ってたけど、うまく使えないんだよね。。。

 

と言い訳している猶予はもうない。女を捨てるのはまだ早いのよっ。エコだサステナブルだオーガニックだ抜かす前に、

 

オイル1本でお前の世界を変えてみろ!

 

と心の声が叫ぶので、またちゃんと研究してみようかなぁと思ってみた昨今でした。

 

 

ちなみに今年始めにトライした「湯シャン」は3日で断念。有機物で出来ている人間がお湯だけでキレイになるなんて極端なお話で。ま、私の体質には合わなかった。

 

アーユルヴェーダの100%天然シャンプーはまだ使ってるけど、それだけだと難しいので薬用シャンプー併用中。少しはシリコンや化学物質をばら撒くことを減らせたかしら?髪の毛チリチリだけど何か?笑

 

 

今年の梅干しは9個→30個に増量。カレー生活ではこれでも十分。

 

 

 

それと最近始めてみたのは、生理用品の削減。

 

元々インドのナプキンが肌に合わないのに、子宮系の疾患で生理の量が多いため、毎月「恐怖週間」でしかなかった生理。

 

しかも流産した時の痛みと重なって精神的に地獄、効かない痛み止め飲んで黙々と耐えるしかない?という無力感に更に耐えていた。

 

 

でも、布ナプの手洗いしてたら、何か芽生えたよ!笑

 

 

何て言うんだろう。「愛おしさ」みたいなもの。

 

 

私の身体は、私が応援してあげられていない間も、こんなに頑張ってるんだなー、エラいなー、尊いなーって

 

実感するんだよね。

 

 

前はポイって捨ててただけなのに。まるで忌むべき汚物のように。でも実際は「汚物」なんかじゃない(経血言いますねん)すごく貴重で温かな生命の源なんだよなーって。

 

触れるとダイレクトに感じる。その日本語、間違ったな!て感じ。笑。

 

 

泣けてくるよね。ゴミとして捨ててただけなんて。ごめんなさいって。泣。

 

 

ただ常識、簡単、便利、清潔と思ってしていることの一方で、大切な慈しみを感じる機会を失っていた。

 

例えば赤ちゃんのお世話をする時、汚いとか煩わしいなんてすっ飛ばして「愛おしさ」で満たされたり。

 

なのに自分のお世話はロクに出来ずに「汚い、痛い、面倒、ポイ!」ってずーっとして来た。泣

 

お化粧だって常識で皆がしててと思うけど、私は好きでする以上にありのままの自分を見られる怖さが勝る時がある。

 

 

身体は精一杯頑張ってくれている。命の自然のあり様を認められず、

 

外側の理由で自分を縛って行って、どんどん自分を不自由にさせて行くために便利な物が作られて来た訳ではないのに。

 

 

私の感じる不自由さは、頭で作り上げてしまっているものが殆どだと思う。

 

これ以上この命を苦しめないように、色々と広く学んで、1つ1つ工夫して行ければ、もっと心は楽になれるんだろう。

 

どこにも売ってなくても、誰も教えてくれなくても、誰も賛成しなくても。笑

 

今ある不自由さに呑み込まれず、自分に合う方法を作って選んで行った先の世界が

 

命とエネルギーで輝いていると良いなと思う。

 

自由って生命そのもの。

 

 

 

夫くんがパニプリをテイクアウトして来た!お家パニプリパーティ楽しー!(道端で立ち食いしなくても良い自由w)
 
 

 

夫の実家から帰って来た後、26日の月食からかな?

 

インスタも更新する気が起きず、何度も下書きしながらやっとこブログを更新。

 

チャンディガールはまだ夜間外出禁止と週末ロックダウン。平日夫は4時半帰宅なのでお弁当作りも続く。そんな中、ひどい暴風雨で停電続き。40℃越えで家事も一苦労だった。

 

数日前から水星逆行らしく、夢見が悪いどころか、今まで自覚していなかったトラウマ記憶が次々とフラッシュバックするあり様。

 

フラッシュバック自体も、12、3年ぶり?

 

 

1月に仕込んだお味噌。40℃以上の環境でも良い感じに熟成中。感動する。
 

 

 

自覚のあるトラウマも頭で理解した時点で「解決した!」と放置してた。でも嫌だった事は事実であり、永遠に変わらない、変わらなくてもいい!とでも言うように、記憶と嫌悪感が「感覚として」生々しく蘇った。

 

もしかしたらこれも進歩なのかなと思うけど。

 

 

 

実は昨日たまたま「愛着障害」の解説を見て、初めて聞くアプローチ方に衝撃を受けたところだった。言わずもがな愛着障害の疑いのある私。常に内側の葛藤でバッテリー消費が激しい。

 

 

解説では、心の中の矛盾する思いに「人格」を与えて、それぞれが喧嘩したり傷ついたりしている様子を、「第三者として俯瞰する人」の位置から眺める、と言うもの。

 

 

いくつかの瞑想法でも感情から離れて俯瞰することの大切さは教わったけど、

 

「矛盾する思いそれぞれに人格を与える」「その人たちが勝手に喧嘩をする様子を眺める」のは、私にとっては斬新すぎ!

 

 

解説を聞く間ドキっとしたのは、私の心の中の喧嘩の様子が、そのままそっくり先日の義実家での人間模様と重なったこと。。。

 

 

私が現実に見ていた世界は、私の心の中の現れなんじゃないか。。?と。

 

村では私、わざわざ喧嘩している場面に自分からフォーカスして介入しようとしていた。今思うと、心の中で喧嘩を外界に投影してるよね?笑

 

 

 

夫の村の小高い山の上にあるお寺にて。
 
 

 

脳内に「俯瞰する第三の人格」が現れたのか?

 

その晩、寝ている間に心の中の葛藤を眺め始めていたのかもしれない。「俯瞰する」ことで、ありのままを見て受け入れる準備をしていたのかも。

 

 

私の中の批判屋もイジメられっ子も弁護人も、それぞれが皆「良かれ」と思ってやっていただけ、という愛のある全体像が目覚めてからも胸に残っていた。

 

 

 

南ユウタさんの愛着障害、ACの動画は分かりやすい。ハイ、音に敏感で怒りの問題を抱えてるのは私です。

 

 

 

同時に生々しいフラッシュバックも残っていた。

 

幼な過ぎて覚えてないはずの記憶が、寝ている間に感覚として蘇ったよう。

 

 

窮屈さ。

孤独感。

絶望感。

 

 

居場所を得るために、

いつも誰かと闘っている。

 

泣き叫んで訴えても

抑えられて止められて、

 

去っていってしまう

忘れられてしまう

 

消えない怒り。

生きる全てをかけた怒り。

 

誰も分かってくれない、

分かろうとしない。

私が命だってこと

 

全力で生きているってこと

受け止めてほしいこと

言葉も話さないうちから

とにかく分かってほしかった。。

 

 

 。。。て感じの感覚が、1、2、3歳の頃の感覚ぽい。

 

「分かってくれなきゃ死んじゃう!」みたいな思いが、インドでよくある騒動を目にする度に発動して困っているんだけど、この怒り発作の原体験なのかな。

 

その後のイジメや挫折や事件やDVや事故やウツや未遂や、書ききれない傷だらけ半生の原体験かも。

 

そんなに

受け止めてほしいものなのか?

命って。

 

 

村で義母に習ったゴーヤのマサラ詰めフライを再現。北インドのお袋の味👵✨
 

 

 

元々1、2歳の記憶はあるけど、いつも窓や天井を見上げて寝転んでて、誰が隣にいたかよく分からない。母は仕事に行ってたから、きっと祖母だろうか。

 

 

 エネルギーのぃっぱいのハイパー幼児だったらしい私。主張しては周りの手を焼かせ、叱られてもイタズラは止まらず、お仕置きをしなくてはと考えるのは当然だったかもしれない時代。

 

 

夜、表に閉め出されたり、物置きに入れられたり。一瞬だったかもしれないけど、死ぬかもと思っちゃうんだね幼児って。

 

死ぬもんかー!うぎゃーって泣き叫んでたわ、そう言えば。笑。生きたくて生きたくて生まれて来たのにね。厄介な性分と共に。

 

ハイパーでしかも双子なんて

親にとったら悪夢だったろう。

 

 

そして何となく、胎内記憶まで遡れるかなって気もしてる。

 

 

パーソナルスペース言うより、テリトリーの侵害にやたら敏感でイライラしちゃうのも、胎内で押し合いへし合いしてたから?

 

 

色々と、新疑惑浮上中。

 

 

幼ない頃の不快感や狂おしさが蘇るのは正直日中もクラクラする程気分が悪い。唯一の話し相手の夫も、こんな凶暴な案件には巻き込んじゃイケないと思ったり。

 

道理の分からない幼児が力いっぱい暴れてる=私のインナーチャイルドって。泣

 

 

ヨガ、瞑想、レイキをやれるだけやってみよう。半ロックダウンもあと1週間ある。

 

 

アセンダント付近で月蝕の後、水星逆行という流れに相応しい展開になってません?笑

 

 

夫がよくフルーツを切ってくれるので、フルーツ嫌いはすっかり治ってしまった。
 

本当は、どんな世界で生きたいんだろう?

 

そんな問いも、インドの家族がいなければ浮かばなかったかもしれない。

 

見たい世界とは正反対の状況に愕然として、その状況をまとめて書いてしまった前回のブログ。

 

 

世界には光と影とその間があって

 

どこに目を向けるか選ぶ事が出来る。でも私の性格的に「闇の部分」を理解して初めて「光の部分」を理解できる気がするんだよね。だから書かずにはいられない。

 

ネガティブな出来事に反応して内側がザワザワするのに、ザワザワの正体を内面に見つけずに過ごしても、再び似たような出来事が起こる。

 

ザワザワは、お知らせだから。

 

私の古傷がどんな事に対してまだ反応するのかを知るために、やたらイベントフルな義実家での日々はこの上なく有益だったのかも。笑

 

 

レモンの花のつぼみが可憐だった。

 

 

「なんじゃこりゃー?」っていう騒動は、ドラマチックでネタになる。だから書きやすいだけで、現実には「良かった事、嬉しかった事」も同じ位起きている。

 

 

でも何でだろう。「良かった事」を書くのはちょっと恥ずかしい。出来れば秘密にしておきたい様な?敢えて書くこともないでしょって思ったり。何だろうこの心理?

 

 

でもそれではフェアじゃない。インドの家族は、奇跡的にご縁を頂いた私の魂の家族。摩訶不思議で極端で、私の知らない世界をこれでもか!とビシバシ見せ続けてくれる、欠け替えのないご縁。笑

 

 

お義母さんほど懐の深い人を私は今まで見たことがない。

 

外国人の嫁を受け入れるのはこの郡では初のこと(地元紙情報)。最初は皆が戸惑い色々あったけど、すぐに心を開いてくれたお義母さん。

 

突然アパートに現れては(笑)料理を教えてくれ、鍋類もプレゼントしてくれて。本来なら嫁側の実家で開くはずの婚約式も開いてくれたっけ。

 

言葉がほとんど話せない私の片言を理解してくれるのは、お義母さんだけ。(他の人と喋るとポカーンとされる。)たまに英語が出ちゃっても「うんうん」って通じてる時もあるし!笑

 

 

小麦刈り終えた根元を除去する作業を終え、牛糞肥料を入れるところ。
 

 

私は夫よりも一回り以上年上。3度流産して子供は諦めてた。でもお義母さんは結婚に反対もしなかったし、優しく子供はきっと出来るよと諭してくれただけ。今年は子供の事は言わなくなった。

 

農家の仕事も食事の支度も「やりたければどうぞ」という姿勢でいてくれた今回。お嫁さんが全部やってくれるお陰でもある。

 

 

たまに「民族衣装を着た方が良いよ」と言われても着慣れない私は「今日は着ません」と言い続けてるし、チャイを淹れてくれても白砂糖入りは絶対飲まない(身体に悪いからね)私に気を悪くしたり、私の愚痴を誰かに言ったりもしない。

 

村ではネガティブコミュニケーションが主流なのに。笑。私には寛容なお義母さん。

 

 

こんな私を「私の娘」と言って、たまにとび切りの笑顔を見せてくれる。「ミーナは口も利いてくれないのよ」ってね。何ぁんだ愚痴を言いたかっただけか。笑

 

愚痴も身内の間での悪口大会も、年を取ることの怖さや分かってもらえない寂しさを一時的でも忘れられるなら、必要なものなんだろう。本当は仲違いなんてしたくないんだよね。

 

 

サンニが腕をふるってくれたエッグカリー。ノンベジは台所で調理してはいけないので、納屋の前に火を起こす。

 

 

去年の一件からどうも顔を合わせるのが苦手になってしまった義弟のサンニも、素の時は兄(夫)よりもずっと謙虚でよく気が付くタイプ。必要な物をスッと差し出せる気づかいがある。

 

 

ただ少し飲むと急に態度が大きくなる。普段すごく内向的で繊細だからなんだろうけど、そのギャップが怖いと感じる私。「何なのあの態度は?」ってなる。ヤな義姉ー。

 

義弟を全面的に悪者にするのは間違っている。私のトラウマが過剰反応してるのだから。

 

長年脳に刻み込まれているせいか、少しでも嫌な気配を感じると、反射的に全身が臨戦態勢に入ってしまう。少し背後で気配がしただけで飛び上がったり。ストレスが多いと夫に対してもコントロール過多に。

 

サンニは、私が内面の課題に向き合うために神様が送り込んでくれた最終兵器だと思いたい。笑

 

 

あの人を変えたい、この社会を変えたいと、あの態度がゆるせないと、外界がやたらと気になる時、それは押し殺された心からの叫びかも。

 

 

サンニは私たちが村に到着する時は毎回、以前プレゼントしたシャツを着て迎えに来てくれたりする。今回持って行ったポロシャツもこの滞在中よく着てくれていた。本人は何も言わないけどそれが彼の感謝のジェスチャー。素直で良い子なんだよね。

 

 

こちらは従甥のラッキー君。いつも夫の家の事を手伝ってくれる大学生。

 

 

そして我が夫。私を直接知る人にはバレてるから普段あえて言葉にする事もない、もはや空気のような存在。いつも何かに夢中で、何にでも一生懸命で、ずっと一緒にいると若干疲れる(義母に似たか)笑。

 

 

この前は「嘘をつかれた」と書いたけど、それも誰かをかばうための嘘。人を喜ばせるのが好きで、どこにいても場の盛り上げ役。仲間意識が強いからか悪友や村の半端者からも好かれてしまう。差別をしない人。自分大好きだからね。

 

 

もはや理解不能の懐の深さも、お義母さん譲りなのだろうか。笑

 

 

夫は無条件で私を受け入れてくれる不思議な存在。私自身が受け入れられてないと言うのに。私が死にそうでも意地悪でも、ずっと味方でいてくれる。私は夫を批判してばかりなのに。

 

 

笑顔やジョークを絶やさないのは、殺伐としがちな厳しい暮らしの知恵かもしれない。私の話を聞いてない時は腹が立つけど、大体は私が要らんお説教してる時。笑

 

 

朝からラズベリー狩りに付き合ってくれる。いつも感謝!
 

 

そしてミーナ。自分のしたい事の前にするべき事をこなせる女性。若いのにあの義母に振り回されない術を既に身に付けているのは、インド女性らしい芯の強さ。

 

一緒にゲームをしてる時は、笑顔のかわいい素直な女の子に戻る。遊んでるのを義母に見つかりそうになると、「キャっ」と叫んでとっさに隣の部屋に陰に隠れたり。女子高生みたい。笑

 

(そして自分の態度のデカさと鈍い身のこなしに笑えた。)

 

 

頑張っている毎日、辛い事もすれ違いもあるだろう。私もそうだったっけ。今はそんな大切な時期なのに、私は彼女が生意気で頑固者の様に書いてしまった。何も出来ないのに何とかしようなんて思うから。笑

 

 義母の態度が理不尽な時は、家族だろうと受け入れる必要はないのだ。

 

 

「これが問題!ここが変!」と勝手にジャッジして、そこだけ拡大フォーカスして見てしまう時。本当に問題なのは相手ではなく、私自身の心の不安定さ。

 

 

義母もサンニもミーナも、この半年3人で精一杯頑張って来たこと、痛いほど分かるのに。

 

 

裏のハイビスカスを取って来て、髪につけてもらってパチリ。
 

 

 

インドの村は、変化に疎い。

 

でも伝統を変化させ過ぎて何が大切かもよく分からなくなった社会から来た私には、その価値が見えていないんだろう。

 

良かれと思って「白砂糖よりきび砂糖が健康的よ」とか「合成塩より岩塩が美味しいよ」と言っても、この地域全体で受け入れられられている習慣を変える理由にはならない。

 

来客の多い村の家では、きび砂糖のチャイなんて出せない。私の話を受け入れることなど、きっとどうでも良いこと。笑

 

 

意外とお義母さんだけは、ポカリスエットも飲んでくれるし、ハチミツ入り緑茶も飲む。作ればパスタも食べてくれ、梅干しも「今度は私が作るわ」って言ってたよ。気持ちを踏んでくれてる?

 

 

でも。変化に疎いことは、地域の伝統を守ることにも直結する。個人の嗜好よりも尊い価値。

 

 

例えばゴーヤを料理する時、この地域では必ず皮を削ぎ落とす。日本のゴーヤが恋しい私は「皮を残して調理して欲しい」と言ってみた。でも「ゴーヤはこうするものなのよ」と全く取り合ってくれない。「どういう理由があるの?」と聞いても「こうするものなの」の一点張り。

 

 

ここでは野菜は皮を剥いて調理する決まり。(せっかく無農薬なのに、皮の部分に栄養があるのに?)と思う私の思惑を優先する理由はない。キュウリのサラダもキレイに剥いて輪切りにする。何故?と問う前に、言われた事がこなせなければ生き残れない暮らしがあるのかもしれない。

 

未だインドの村では赤痢の可能性もあるだろう。

 

生命、慣習、生態系、文化を守るという意味で、「変化させない」という事は大事な聖域かもしれない。

 

 

皮がむかれたゴーヤ(カレイラ)たち。ちょっと待ったー!って、言いたくなりません?笑
 

 

「違いを尊重する」という気持ちを強く自覚しないまま「何言ってるか分からない。食べ物も全然違う。えーっ断られた。誰も分かってくれなーい」と、幼稚で利己的な私の出る幕ではない。

 

 

彼らを尊重するためには、とにかく黙って冷静によぉく観察する時間がもっと必要な気がする。インド5年目でも私なんてほぼ引きこもり。

 

インドの人たちの根底にある大切な価値観に触れたいと願う前に、ささいな事でパニックを起こすトラウマを静めないと、毎回不本意な結果にしてしまっている。

 

 

 

本当に見たい世界は、きっともう目の前にあるんだろう。今はまだ私の目が曇り過ぎていて、その影ばかりを恐れて逃げ回っている。

 

 

自分の闇を受け入れて癒して、光を受け取って楽しんで、何事にも動揺せずに対応出来るしなやかさを持ちたい。

静かにありのままを見れるようになりたい。

 

それがインドの魂の家族がくれた課題。

 

一生かかって実現出来るのか?笑

 

だから、本当はありがとうしかないのです。

 

 

笑いも驚きも騒動も、ネタの尽きることがないインドの家族。次回はドリフみたいなオチの一件を書こうか書くまいか。笑

 

 

刺激物、劇物。

 

これの何がいけないかと言うと、受け取り始めるとその依存性に絡め取られて行くこと。どんな外界のドラマも、触るなキケンのアドレナリン放出デバイス。

 

そこに気づかずに素直な気持ちで夫の実家に臨んだら、知らないうちに猛烈に消耗してクタクタ、こちらの身が持たない。

 

素直な気持ちは、相手を選ばないと無駄になる。笑

 

 

あくまで劇物同士のドラマを端から見ているだけ、という立ち位置にグイッと戻して臨む必要がある。それは読んで下さる方も同じかも。振り回されない練習。笑

 

※ただのドタバタ劇として感情に入れずにお読みください。

 

 

農作業がある日は、確かに大変。でもそのライフスタイルも、誰かが強固に選んだもの。尊重して巻き込まれず。
 
 

 

 

欠陥がないかどうか、ミスがないかどうか。

 

 

そんな風に常に悪いところを見張る習慣は、一つ間違えたら事故につながりかねない、そして何の保証もないサバイバル生活の持久農家では必要だったのかもしれない。

 

 

その点、現在のお義母さんは見ていてやり過ぎ。笑

 

 

敷地内に4棟ある建物内で、どの部屋で誰が何をしていて、誰が何を使って消費し移動したか、いつも五感を駆使して見張っていて、自分の思い通りに収めたいが為に大声で何度も叫ぶ癖。笑

 

 

危険いっぱいの大自然の中、8人の子を産み、5人を育てたんだものねー、無理もないのか。

 

 

でも67歳(推定)のお義母さん、時代の変化について行けてない。子供たちはとっくに成人し仕事を持ち、それぞれ伴侶が居て責任と自由を持つ立場。

 

ましてや嫁いで来てくれた義弟のお嫁さんは、他家のお嬢さんなのに、彼女なりのやり方を尊重して、時代と共に改善していくことを全く許していない。

 

 

見ていていたたまれなかったのは、何かの古傷が痛むからだろうけど。

 

 

 

私たち夫婦が到着したその日から、義母とお嫁さんの間には凍りつく様な冷たい空気(古傷の主観です)。

 

 

義母はすっかり被害者風に、夫に「嫁が体調が悪いって全然働かない、何でも買ってあげているのに、私は身体が痛くてたまらないのにと泣きつく。(良い年してって思っちゃった)

 

 
 

黙々と手間のかかる料理を3食作り、家事を全て担ってくれていた。その手は見違えて荒れ放題。泣
 

 

お嫁さんは風邪を拗らせていた。山の村の寒暖差にやられるのだろう。10日も治らないのは他の要因もあるのでは?などと勘繰る悪い癖。

 

 

義母の前では無言の能面の様な無表情になるミーナ。中庭を通って洗面所に行く時も、義母を完全無視しながらゆっくりとした足取りで通り過ぎる。裏番?笑笑

 

 

自己防衛のつもりなんだろうけど、見た目はすっかり態度のヤバい嫁。。

 

それに更に腹が立つ義母。「ねぇ!聞こえないの!?お昼はどうするのって聞いてるの!」と、また大声で反射的に用事を言いつける。嫌な奴グランプリ決定戦?

 

 

私と夫が親戚の家に挨拶に行くと、決まって最後の話題はミーナと義母の事になった。

 

親しくしている従姉妹のおばさんも「。。。ところで、あの子大丈夫?こないだ行ったら全然口をきかなくなっちゃってて。。おばさん(義母)、ミーナに色々言われて大変なんだって?言葉の暴力っていうの?Abuseだって言うじゃない!」と。笑

 

そういう見方もあるんだne!

 

 

裏の親戚の家を訪ねても同じ様な事を聞かれる。英語の話せる叔父さん、私に気を遣って「君はヒンディー語とバハリ語が分かる様になったんだっけ?あぁ、そうなの。」と一応確認してから夫に

 

「ところでどうなんだ、弟の様子は?今日も台所のガスシリンダーが空になったって(義母が)言うから、サンニに補充に行くぞと行ったけど来なかったよ。電話しても出ないよあいつ」と。

 

「ロックダウンでずっと家にいるのに」と。すると奥さんも来て、「そうよ、お嫁さんも何も喋らなくなっちゃって。何を考えているのか分からないわ。アンタ、お義母さんの面倒をちゃんと見てあげなさいね」と夫に言い聞かせる。

 

 

裏の叔父さんと叔母さん。穏やかな家庭にて平和な時間を味わうひと時。(叔母さん若干見張ってる?w)
 
 

 

それでも久々に親戚に会うのが嬉しくて、夫は叔父さんに誘われてカードゲームが始まった。

 

私は叔母さん自慢の花やフルーツが沢山の整理されたお庭のツアーへ。夫の家と違い(笑)全てが予め良くプランニングされている事につい感心し。が!そこへお昼寝していた筈の義母がツカツカと登場!

 

 

私たちが居ない事にすぐに勘づいたらしい。笑。座った目で近づいてくる様子は、私たちが何か義母に不利な言動をしないか見張っている感がアリアリ。毎回分かりやすいよねー。私も責任ある大人なので全然怖くはないけど、オモロイ。

 

 

その後、義母の監視下にあるカードゲームは盛り上がりを欠いたために終ー了ー。

 

どっちがAbuseだい。笑

 

 

 

ここで読者のみなさんにお知らせしたいのは(誰やねん)、義弟サンニと嫁のミーナも、負けずにエグい仕返しをし続けていると言うこと。

 

去年のブログでも書いたとおり、元々、サンニの素行はかなり悪い。亡くなった義父の面影を知らない末っ子で、思春期は義母にべったり。そして成人してからも自立出来ず大小の問題を繰り返す。

 

 

私の嫌悪センサーを見事にくすぐる子っ。笑

 

一方ミーナはちょっと見、完璧主義の優等女子。自分の仕事や立ち居振る舞いなど、目に見える部分を完璧にして武装している感じ。

 

と言っても教育不足の村の出なので論理的な思考に欠けていて、頑固で自信過剰。何を言ってもハイ。と聞く素振りで全くやり方を変えない。インド女子に多いよねー(そして表裏を完璧に使い分ける。泣)。意外とクセ者よ。

 

 

若い2人だから多少は仕方ないとしても、痛みに苦しむ最中の義母を無視する受動攻撃(パッシブアグレッシブ)の態度は、見逃せないと思ってしまった私。村に住んでるわけでもないのにね。

 

 

先日の義母の毒ヘビ事件の時も、サンニは助けに来なかったらしい。畑で1人ヘビを返り討ちにした義母、裏の親戚の家まで歩いて助けを呼ぶしかなかったとか(一部の証言ですが)。

 

 

近所の家の飼い犬、猟犬ルーシーは放し飼い。賢いから帰ってくるとタカをくくっているの?拉致したら安心して甘えてた。

 

 

 

長年の身体の無理がたたって色々な痛みのあるお義母さん。滞在した2習慣の間でも2、3回、「痛いー!痛いー!誰か助けて。痛いのよー!」と騒いでいらっしゃった。

 

夫がWeb会議中にも、サンニとミーナに完全無視された末、止む無く私たちの部屋に駆け込んで来た事もあった。虫歯が痛いと大騒ぎして泣きマネ。。。w

 

夫は会議が終わると直ぐにバイクで隣町の歯医者に連れて行った。誰も居ない時ならまだしも、2人も家人がいて助けてもらえないとなると、やはり心配になる。

 

 

早朝から大きな音を立てて、わざわざ私たち夫婦の部屋の隣の畑と格闘するお義母さん(もー。笑)、夕方には色々な痛みが出るらしく、ワガママ放題になる。ミーナに指示して料理を全てさせているのに、いざ出来上がると

 

(食べたくない。痛い。気分が悪い。部屋で1人で食べる。)など、ふて腐れた表情で不機嫌をぶつけてくる。

 

 

ありがとう、ごめんなさい、愛しています、許してね。

 

という、ホ・オポノポノの真逆を行く南国もあるんだze!笑

 

 

インドにいると、人間より遥かに素直な犬に相当癒やされる。でも、急な動作には大概の犬が怯える。人に叩かれながら、従うなんてね。泣
 
 

 

「ありがとうなんて無駄な事は言わなくて良い」というのが村の流儀。そんな1例を含め、何度も何度も、あらゆる角度からインドの村が私に教えてくれるのは、

 

 

これがアナタの大切な信条とは

 

真逆の現実。

 

で、どうする?

 

何か、やるのやらないの?

 

って事。笑。

 

 

刺激物満載の現実として目の前に展開し、私自身のの内面のくすぶりを見事に突き付ける。

 

 

でも結局誰しもが「見たい現実を選び取って都合の良い解釈をしている」だけだと、全ての登場人物から読み取れる。私自身もそう。

 

 

夫の嘘や義母のワガママ、義弟の無責任や義妹の良い子ぶりっ子が目に余るのは、それらの事柄について私が私自身を許せていないからに他ならない。(そりゃ普通に生きてた日本人ならビックリするよね)って理屈は、インドの村ではあまり役に立たなくて。

 

ある意味、人間はここまで自由になれるのだと、驚きと共に教えられる。

 

 

もっと良くしてあげたいとか、もっと楽な方法を教えてあげたいとか、それが万が一本物の善意だったとしても今の段階ではまだエゴの副産物。自分をこれでもかと「正しさ」でガチガチに縛って、何も許せていないのだから。

 

 

決められたルールに法って、与えられた仕事をこなし、それが他人の役に立ち認められるという、私が育って来た小さな幻想の中とは土俵が違う。

 

 

理解するのも溶け込むのも、諦めろ。

 

それよりも、自分のしたい事をしろ。

 

お前の偽善なんて、誰も欲しくない。と笑。

 

 

目の前の現状を、ただの刺激物としてありのまま受け流し、自分の本分に集中しないとホンマに時間切れですよーと、前にも増してキツく教えられている気がしたのです。笑

 

 

風呂上がり。自ら巻き込まれに行く前に、自分の事をしてセルフィーでも撮っといた方がマシ!と心底思った。

 (でもブログのネタをくれてありがとう🙏)

 

 

音楽はいいなぁ。日本語の音楽。和の音階。母国語に乗せられたメロディー。

 

と、ようやく夫から借りたヘッドホンをして、インドの田舎の現実をシャットアウト。spotifyの音楽に没頭する夕方。Yoasobiとか好きだなー。


 

遠い日本とはあまりにも違う景色に、グワッと疲れが襲って来る時がある。私の場合は怒り爆発、という形が多い。笑

 

 

昨日何が起きたんだっけ?(毎日書き切れない、書いちゃいけないレベルの事件が起きているw)


そうそう、誰かが嘘をついていた。私に隠れてコソコソしてたの。バレないって思ってたのか?それとも、バレてほしかった?

 

悲しい哉、私ウソはすぐに見抜けてしまう。

 

それなのにヤケに傷ついたりして。乙女かってね。その変の誰に嘘つかれたってそうは傷つかないけどね。

 


夫が私に誠意を尽くして「当然」だと、

一体どこで勘違いしたんだろう?

 

 

全てのすれ違いは、勘違いから。

 

現実の認識など、全員違って当たり前。

 

そんなことがまだ悲しいなんて。

 


まだチャンディガールに戻れない今年、村で梅仕事になるのかな?



「嘘をつかれた」

 

そう言って断罪してみたところで、誰も陳腐なドラマに乗って来てくれないのは知ってる。こっちの義家族のメンバーも、人のすったもんだに構っていられる程人生甘くないよね。

 

 

「帰ろうかな」

 

帰る目処など立たないくせに、実家の母にメールしてしまう。ほぼ八つ当たり。なのに母、

 

 

「帰っておいで。早く帰っておいでね!」

 

と、何かのドラマにハマっているかのような答え。悲しませるつもりはないのよゴメンナサイ。帰って手伝える事、やれる事は沢山あると思う。だから揺らいでしまうのだけど。

 

一瞬で心がワープして、あたかも今この瞬間、実家の居間でホケーっとしている感覚に浸った。レースのカーテン越しの優しい光、柔らかい空気、目に映るものが全て繊細な光を放つ日本。

 

 

堪能した後、深呼吸をして、えいっとインドに戻る。

 

(嘘をつくのが当たり前な人たち。)

(諦めた目をして俯く義弟。)

 


自力で立ち上がるしか術のないこの世界の中で、


真実を知らないまま

飢えた目をして、被害者の役を演じて

誰かを捉えようと空回りしている。

 

 

それが私が今、見る事を選んだ世界。

 

 

「私はここで何をしようとしているんだろう?」

 

その問いを

 

身体の芯から答えが絞り出せるまで、今が問わなくてはならない瞬間だった。

 


野生のゴールデンラズベリーを採らせてもらってジャムに。

 

「嘘つき、嘘つき。。。」


変なこだわりの強い子供のように頭の中で繰り返されるフレーズをBGMに、憤りの中で自動的に瞑想が始まった。

 


強い感情の化学反応で外界が完全にシャットアウトされている。でも痛いほどに全身を駆け巡るこの有毒な感情は、一時の幻にすぎない。

 


今、私はここで何がしたいの?

 

 

その答えがどうでも良いものである場合、即座に撤退すべき案件がいくつも重なっている。これまでは深く考えようとする前に、偽善の中でいい気になっている自分、という妄想が浮かんで嫌悪感が走るので、考える事をやめていた。

 

たとえ現実に周りが不協和音だらけだったとしても、

 

正義警察よろしく他人の罪をもっともらしく断罪して、自分の正義を証明するため?

周りの承認を得るため?

人とは違う特別な存在として注目されるため?

 

そんな風に茶々を入れる声が、整理されずに心の片隅で淀んでいた。

 


でも違うよね?そういうタイプじゃないし。笑


 

なるべくはみ出さないように、目立たないように、失礼な作法をしないように、この土地のやり方にお節介に介入しないように、場違いな意見を言わないように、多少の事を見逃すように努力して来た年月で、

 


今までの自分がどんどん死んで行く感覚は本物だった。

 


死んだ方が良い余計な部分が、これでもかと炙り出て来る日々だった。

 

それがエゴなのか、真心から来る行動なのか、

 

嫌でも向き合わされるのがインドでの日々。

 

 

トーストにラズベリージャム、目玉焼き。カレーじゃない朝食を作る許可が出た日。


 

「私はここで何をしようとしてるんだろう?」

 

 

ちょうど、ヨガの恩師がメールをくれていた。

 

「君が自分のやりたかった事を実現出来るよう祈っています」と。

 


私のやりたかった事って何だろう。。何でまだインドにいるんだろう?流されて来ただけの様で、それだけではないはずで。

 

だって


私が本当に見たかった世界は

今の現実とは正反対に近くて。。。

 


家族が口をきかない家。いつも小さな行き違いが絶えない。トラブルが巻き起こされている。いつも誰かが不機嫌を撒き散らしている感じ。気持ちのすれ違い。空気の重苦しさ。


それにちょっと触れただけなのに、私の心はパニックを起こし、

 

人を責めたり、悲しくなったり、悪いところを探して断罪し、正そう変えようとして、その場を振り切って逃げようとしてしまう。


一緒に感じて一緒に癒えることをしないまま。

 

 

逃げれば良いのに。日本に帰ればいいのに。関わらなければ平和だろうに、どうしてわざわざ問題のある方向に行くんだろう、私がバカだからだろうかって、とにかく未知の未来が怖くて仕方がなかったのだ。

 

 

こんなインドの村で、何してるんだろう?

 

でも、

 

前にも感じた事のある、家族がすれ違うことの恐ろしさ。

前にも感じたことがある、決定的な何かの前触れのような感覚。

 

前にも感じたことのある

 

バラバラになることへの強い抵抗と、断固とした拒否の思い。

 


お義母さんが家の入口に飾る花。不器用だけど、皆が幸せにという思いの溢れる女性。


 

空気を読んじゃう子だった子供の頃、仕事の忙しさに荒れる心や素直な気持ちを失い離れて行く心を全身で感じてしまい、不協和音に絶えられなくて、子供ながらに何とかしようと、


怖いのに、何の根拠もないのに、ただ気を振り絞って闇の空気を満たそうと声を発したこと、思い出した。

 

「パパ、行かないで」「ママ、聞いて」てね。笑


(ジョン・レノンの「Mother」みたい。笑)


子供ってすごいな。でもそんな事があったのも、ずっと忘れてた。

 

 

少し心が温まったところで、そのまま座っていると、何故か亡くなった祖父母や父、叔父や叔母、先代の人たちの人生の様々な場面がイメージで次々と展開されて行った。

 

生きることが精一杯だった時代、明日が見えなかった時代、生きるためにお互いのエゴをぶつけ合うしかなかった時代、そういう時代が私の系譜にもあって、力を尽くして乗り越えて今があること、皆が私の問いに答えて見せてくれているかのようだった。

 

 

父だったら、祖母だったら、どうするだろう?

 

 

今いる場所で出来ることを冷静に見極めることをしないまま、辛いから、周りが悪いから、何も良い事がないからと、全てを放り出して生優しい場所に戻れるだろうか?そもそも、そんな場所はなかったんじゃないかって。

 

 

私やっぱり、正義警察になりたい偽善野郎なんかじゃなくて、笑

 


調和を取り戻して、笑顔を取り戻して、自分らしく、その人たちらしく居られる世界を、どんな瞬間も、地球上のどこにいても見ていたい


それが私なんだろう。


 

キツく言い過ぎちゃう時もあるし、上から目線でヤな奴な時もあるけど、


それでもこのインドの山の村で一緒に座って、一緒に悩んで、一緒に悲しんでいる。もっともっと、一緒に笑いたい。



見たい世界を見ることが出来て

したい事が出来るようになるその日まで、


きっと諦めることは出来ないんだろう。笑



「嘘ついてゴメンね。でもいっぱい仕事したんだよ今日」って、問題を履き違えていないか?笑

夫の実家の村に帰るため、休業しているバスの代わりにタクシーを予約した。これまでチャンディガール市からヒマーチャル・プラデュ州の実家までの相場は一台4,000ルピー(約6,000円)。

 

でもここ最近、いくつか便利なカーシェアリングのアプリが登場した。ロックダウンおかげかも?そこでは片道料金が2人で1,500ルピー程に。

 

 

村は菜食オンリーなので、バターチキンマサラは食べ納め🖐🍛
 

 

さてタクシーの中。夫はここでも1時間半ほどWebミーティングだった。

 

後から判明したのは、もう1人のシェア相手も夫と同じバルサー村が目的地。でも何故かそれを1つ手前の村名と勘違いしていたドライバーさん。「△△村までしか行けない」と前日夫に伝えていたらしい。

 

 

ミーティング中の夫、途中で乗ってきたシェア相手と再度確認することもなく、(私もドライバーさんとシェア相手の会話はチンプンカンプン)、手前の△△村で降りるしかないと思い込んでいる。

 

 

だから夫は実家の村のタクシーを△△村に迎えに来るよう予約してしまっていた。ミーティングが終わった夫が会話に加わってはじめて、

 

「え?君もバルサー村に行くの?僕たちもだよ!。。てかドライバーさん!」

 

 

ということになる。でも△△村はもう目と鼻の先。笑

 

 

Slow Hornて、「遅いからクラクション鳴らして」なのか「スピード落としてクラクション鳴らせ」なのか?

 

 

△△村に来てくれたのは、いつものバルサー村のタクシーおじさん。トゥクトゥクと同等のエンジンと永遠に閉まらない窓がチャームポイントの、スッカスカの軽みたいな車でウィーーーンと田舎道を走る。

 

どんな早朝でも急な夜中でも必ず駆けつけてくれるおじさん。笑

 

 

 

実家に着くとお義母さんは庭の真ん中の椅子に座って、可燃ごみを燃やしているところ。マスク、外せずにご挨拶。

 

義弟とお嫁さんの姿は見当たらない。畑の方で農作業をしているらしかった。到着早々、お義母さんはヒソヒソ声で近況報告を始める。

 

 

夫は、母親の話にはよく付き合うタイプ。結構な威圧感とラスボス感を醸し出すお義母さんに、義弟などは反発ざかりで会話に加わるのを嫌がる。

 

夫は聞き流しながらあたかも興味深く聞いているかのように、アチャー、アチャーと律儀に合いの手を入れるのだ。ま、たまの親孝行だもんね。笑

 

 

 

総監督・総指揮のお義母ーさん♡

 

 

荷物を部屋に移動しながら夫が教えてくれたのは「お義母さん、お嫁さんがここ10日間全然家事をしてくれないって文句言ってた」と。「お嫁さんは体調を崩しているらしいよ」って。

 

 

なるほどー、と思うも、この時は「家事」がどの程度の内容なのか全然分かっていない。ヒソヒソ声の人の話は本能的に受け付けないので、言葉が分からなくてラッキーと思う。笑

 

 

 

夕暮れ時、あらゆる種類の鳥たちが美しいさえずりを始めていた。親指ほどの小鳥からクジャクまで、1日の終わりを呼び合うハーモニーに耳を澄ませる。

 

残雪のあるヒマラヤを望む高地なので、チャンディガールの街と比べると空気は冷涼。空には雲が美しい模様を広げていた。

 

 

5月と言うのに前日の雨のおかげで北海道の夏の様な爽やかさ。
 

 

中庭の簡易ベッドに腰掛けて再び雑談していると、お嫁さんのミーナが熊手を背負って畑から戻り、やけにゆっくりと歩いて来るのが見えた。

 

少し遠くから手を振ってみるも、反応ナシ。

 

ん?

 

ミーナの姿を目の端で捉えた瞬間お義母さん、「ミーナ!オー、ミーナ!晩御飯はまだなの?」と大声でで叫ぶ。

 

ミーナ、再び無言、それなのにゆっくりとした足取りでバスルームの方に歩いて行き、扉を閉じた。

 

ん?

 

何か怖っ?!

 

 

10分後、おそらく農作業の汚れを洗い流し終わった彼女がバスルームから出て来るとお義母さん、再び大声。

 

「ミーナ!晩御飯は何作るのって聞いてるの!」

 

「。。。。」

 

 

見かねて夫、「いいよ、そんなに急がなくて。お腹すいてないから」と義母をなだめる。無言のミーナはどうもお冠のよう?まぁ、義母との間で嫌な事があっただろう事は、私にも容易に想像できた。

 

 

蚊が増えたのでお義母さんの部屋へ移動。お義母さんはまたヒソヒソ声で何か夫に言たり、ミーナが夕飯の支度をするキッチンの方を見て眉をひそめたりしている。表情が分っかりやすいなー。ヒソヒソの意味。笑

 

私はひたすらテレビを見るフリね。(ターバンの人たちのロマンスドラマとか全く興味ないw)

 

 

ミーナが来てからすっかり整頓されるようになった台所✨
 

 

台所にいるミーナに顔を出しに行ってみると、ニコっと笑って挨拶してくれた。やっぱり義母だけに怒っているっぽい。後で夫がコッソリ「母さんと口を利いてないんだって」と教えてくれる。

 

 

夕食は義弟のサンニが部屋まで運んでくれた。ターリーと言うお皿に野菜カレーとチャパティ。お水のカップ。きゅうりのスライス。北インド定番の家庭メニュー。

 

サンニは義母、夫、私それぞれのタイミングを見計らい、ミーナが焼いている焼きたてのチャパティを運んで来てくれる。

 

冷たい食事は出さない、焼きたてをサーヴするのがこちらの家庭の礼儀でありルール、そしておもてなしの形でもある。

 

一家の主婦は台所で作業をして、皆が食べ終わってから食事する。私はそれを見ていて申し訳ない気持ちになる。でも決して男尊女卑ではなく、この土地の文化であり役割分担なのだと理解した。

 

 

そんなお・も・て・な・しの気持ちにも隙間風が吹くような、互いの心が別の方向を向いているのをヒシヒシと感じる第一日目の夜だった。

 
 

 

 

 

ナマステ!

 

村に移動したりして落ち着かずブログが書けませんでしたが、私も夫も元気です。笑

 

 

インド5年目にして初めて見つけたサバ缶をフライにして、塩レモンパスタに。
 

 

インドでは現在コロナ感染の第二波が拡大し、私たちの住むチャンディガール市でも5月4日から「Curfew」が始まった。措置の内容は、生活必需品以外の店は休業、不要不急の外出は禁止という、私が勝手に「半ロックダウン」と呼んでいるもの。

 

 

1週間の予定だったCurfewも、終了前日の夜にもう1週間の延長が発表されるお馴染みパターン。今後どの位再延長されるのか不確かながら、病院が満床になっているチャンディガールからの避難という選択が頭をかすめ始めていた。

 

 

今回の Curfew、去年の厳しいロックダウンよりはかなり緩和され、スーパーに買い物にも行ける条件と言うのに、何故か感覚的な閉塞感が半端なかった。

 

 

インド政府が政策としてのコロナ対策で大失敗した結果の第二波蔓延だけに、誰も守ってくれない、セーフティーネットは存在しないのだという恐ろしさが、大々的に報じられるニュース等の情報から忍び寄って来るようだった。

 

ついに情報断食を決め込むほどに、その精神的なダメージは大きく。

 

でもその結果、ニュースはローカル紙を1日1回、10分以内に制限。笑。ずいぶんと雑音と余計な心配をカットすることが出来た(70%減くらい?当社比)。

 

 

閑散としたマーケット。
 
マーケットの舌ぺろワンワンたちは健在。

 

 

夫のパソコン店は休業。それでも朝から晩まで携帯への問い合わせの電話対応ある。Web会議や研修、チームプレゼンにまで参加しなくてはならず、約1週間半、一日中狭い部屋に込もって2人きり生活だった。

 

息抜きに出かけられる公園も閉鎖され、マーケットに出かければ警察の無免許路上店のガサ入れに出くわしたり、あちこちに警官が配備されて物々しい雰囲気。

 

 

 

今思うと、相当ストレスフルな日々だったかも。

 

 

路上の無免許フルーツ売りへの取締りが何故か厳しくなり、ひっそりと布をかけて営業していた。
 

 

夫はリモートワークのおかげでいつもヘッドホンをしていて、休憩時間に話しかけてもスマホとゲーム漬けで会話にならない状態。毎回毎回、同じ質問を3回繰り返さないと返事もしてくれないことにイライラ。

 

 

そしてある晩私、返事をしてくれないと不便で仕方がないと夫に説明をしながら、さらに「怒ったフリの演技」も混じえてしまい、そばにあったお盆をベッドの上に放るオーバーアクションをした。

 

 

そのアクションを見て反射的に夫、お盆を拾って「そうだよ。僕がいけないんだよ、ホラ」と、自分の頭の上に振りかざした。

 

(話を聞かない癖は、悪気はないけどどうしてもそうなってしまうので、申し訳ないと思っていると後で言っていた。でも即座に英語で言えないので↑こうなる)

 

 

お盆が脆弱なメラミン製だったためか、夫の頭蓋骨が相当頑丈なためか、結果お盆は無残にも砕け散る。ただの大げさな「演技」が引き起こした思わぬ惨状に2人とも驚いて、自信を失いかけた夜。インドで初めて買ったお盆、好きだったのに。笑

 

 

 「ドーサ食べたい」と独り言を言ったら在宅の夫が何も言わずにデリバリーを頼んでいた。ジーニーかぃ。

 

 

その前日には、村のお義母さんから電話も来てた。電話口で息を切らしながら涙声で「毒ヘビにかまれたのよ〜。もう私死ぬのかもしれない」と。それなのにチクリと

 

「お前が帰ってこないから」

 

と毒を刺すのは忘れない。私はびっくりして、夫の携帯越しに「今すぐ救急車に電話して!すぐ病院に連れて行ってもらって!」と叫んでしまった。

 

でも後で夫に聞くと、すでに親戚の人たちに病院に連れて行ってもらって解毒済み、さらにはヘビに咬まれた時に村の人たちが行うプージャ(祈祷の儀式)も終わっていたとか。

 

「死ぬかもしれない」「お前のせいで」なんて、お義母さんには挨拶ぐらいなものなのか?

 

そんなこんなで、約半年ぶりに村に帰ることになったのが先週の水曜日のこと。

 

 
半ロックダウンで閑散としたマーケットに来ても、夫は甘い物が食べたいと言う。
 

夫のリクエスト、Dahin Bhallaという、ヨーグルトを使った冷たいデザート。チェリーの昭和感。笑
 
 

先の見えないご時世で、しかもここはインド。日本ではノリの良いお人好しキャラで来れた私も、インドで起こる日常にいちいち反応していたら、身が持たないと気づいてきた。

 

リアクション芸人はそろそろ卒業なのだろう。笑

 

自分と心中


ってタイトルにしようとしてやめた。笑

 

今、インドのニュースを見る度に感じるapocalypse感、黙示録感は、私の現実とは違った高揚感なのだと、


気持ちを落ち着かせて過ごすことが出来ている。

 

この退廃した高揚感、世界が終わってしまうみたいな新聞記事に、ドキドキした若き日々を思い出す。笑

 

分かるのは、こういう外界の第変化は「今まで以上に自分を大切にする時期が訪れていますよ」というお知らせなこと。

 

インドの悲しいニュースを優しく包み込む様な夕焼けでした。

 

追い詰められたと脳が勘違いして刹那的な行動をしかねないけど、それでは後悔する判断につながる。と、若い頃の失敗の数々が教えてくれる。笑。現在インドの大都市で起きている医療崩壊も、全土には当てはまるわけではない。

 


明日辺り、ここインドの地方都市チャンディガールでも長期のロックダウンが発表されるのか、されないのか、と言うところ。私としては、そんな中でも外的状況に翻弄されて動くのだけはご免だ。

 


インドの厳し目都市封鎖と言っても、出来なくなる事ばかりでもない。

 

ワクチンだって、打つ選択した人たちも打てない状況になってきていて、そうではない私は静観するのみ。

 

帰国勧告が出ても、帰ることが出来る条件の人がいて、そうでない人もいて、

 

一方で「帰らない」というプランBを既に進み続けて来た人もいる。

 

1つ1つ、悔いのない選択が誰もに突きつけられている感じ。

 


まるで「急かされているような」「焦らされているような」感じがする時ほど、それは幻である可能性を疑ってみている。


いつだって納得の行くまで迷う自由はあるし、自分を貫く選択をすることも可能なもの。時間は平等に与えられている。焦ってしまって自分の心に従えない可能性と同じ位に。


 

まだ少しだけ若い夫には、焦って揺れる言動が見え隠れするので、慌てる必要はないと言ってみるのだけど、パニック映画にハマって楽しんでる時に、電源抜かれたくはないだろうな、と。勝手にしろ。笑

 


夏はゴーヤのサブジが身体に沁みる。美味ーい!




ここチャンディガール市の大学病院PGIでも、昨日辺りからベッドに空きがないそうだ。酸素ボンベの供給不足がギリギリ回避された事例もあった。今のところは落ち着いて静観できている状況。

 

 

インド在住のSNS仲間さんたちの中には、同じアパートで感染者が出たり、知り合いが亡くなったり、ご自身も感染したり。そんな記述を目にする事がグッと増えたこの1週間。


私たちの知り合いで重症者はいないけど、異国の地で得た貴重な知人を突然失う悲しみは想像出来る。

 


私たちの結婚式で、私の身支度や段取りの一切を側で手伝ってくれた友人Nちゃんは、少し前にデリーで感染して回復したみたい。夫の友人知人はほぼ田舎にいるので今のところ難を逃れている。

 


そんな中、1月に何度か電話をくれて以来、消息不明になってしまった友人がいる。


ブログにも何度も登場している、隣町に住むドイツ人のおばあちゃんハイジ。毎年、新年に私たちから彼女にカレンダーを届けるのが恒例になっていたけど、今年はコロナの影響でいつものカレンダー

(夫の取引先のノベルティ)が配布されなかった。それで「ゲットしたら必ず届けるから」と約束していたのだけど。 。



先日はハイジの誕生日。Facebookがリマインドしてくれた。彼女のタイムラインを見ても、今年は何故か誕生祝いのメッセージを書き込む人がいない。1月末から既読にならないメッセンジャーにメッセージを送るのが精一杯。


そして、まさにその日の夕方、夫が「今年のカレンダーがやっと届いたよ!」と、立派なカレンダーを持って帰宅した。もう、4月末。一瞬、もっと早く着いてたらと頭を過ぎる。


彼女の誕生日に届いたカレンダーは、返事のこない彼女からのメッセージのようだった。まだ詳細を尋ねる勇気はないけど。


落ち着いたら必ず会いに行こう。



ロックダウンでも必需品を買いに通りに出れている。

 


今日は週末ロックダウンの2日目。去年と違って朝起きるのがちょっとダルい。身体を引きずって赴く屋上バドミントンも気合が入らない。出口が見えない事を、外界のせいにしてしまっているからか。

 


出口なんて自分で決めれば良い。

 

そう決めて動く人は沢山いると思う。

 

外の何かに頼っていても自分の道を進めない。

 


帰国した人、しない人、決して比べないようにと思いながら一応シミュレーションの妄想はしたりして。笑。


でも私は、やはり、何度魔がさそうが帰らない選択をし続けている。それは誰のせいでもなくて。

 

誰も見た事のない道を行きたい。


ただそれだけの本能のようなもの。



2週間前に実家に送った荷物がようやく着いたようで、母や姉から写真が送られてくる。送ったインド綿のワンピースを着る7才の姪っ子と、隣ではしゃぐ甥っ子の写真。


会いたくて泣きそうなるけど、お互い大丈夫なのも分かってる。

 



インドのニュースを見た友人たちからの温かいメッセージが本当に有難い。ウチはと言うと、夫は週末ロックダウンで休みになって相当嬉しいみたいで、つかの間の自由を楽しんでゲーム三昧。


毎朝コーヒーを淹れて起こしてくれて、ランチはカリー&ライスを作ってくれて、珍しく夜は晩酌したり。久々に2人でゲラゲラ笑って過ごしたり。

 

相変わらず、大丈夫。笑

 

「気を付けて!ワクチン打つの?」ってくれた友人はアメリカ在住。累計感染者数ではアメリカの方がずっと多いんだよね。すごく怖かったはず。最近知り合ったイタリアの子からも「去年は大変だった」と聞く。それぞれの場所や状況、個人の選択によってワクチン等の対応も一律ではない。答えは決して1つではなく、自分の道を行く以外の正解はないなと思う。

 

 

去年の様な長期ロックダウンが発表されたら、私たちは夫の実家の村に疎開する。畑や自然の山や森の中で、また人間や精霊や魔物や昆虫と向き合うと思う。そっちも相当しんどいけど。笑

 

明日の市のトップの協議で決まるかな?ロックダウンと聞いた途端に村に向かって走り出したくなる夫をなだめて、準備万端終えてからゆっくり行くとは思う。

 



本日外務省から出された注意喚起の一部です。


さて本日、インド在住の日本人に向けて外務省から帰国勧告に近い注意喚起が出ました。


日本は自国に帰ってくる人たちを万全な体制で受け入れる事が可能な先進国。これまで築き上げて来た民主主義のシステムがあり、命を優先する基本的人権が掲げられ、教育水準も高く、相手を思いやろうと決めたら出来ない事はない人たち。


インドから命からがら帰国する同胞は、見えないところで日本のために働いている。温かく迎え入れられますようにと願うけど、そうじゃない奴はどーでもいいわ。ウィルスいじめとかウケる。



色々逞しいインド(笑)と洗練された日本が協力出来たら、世界は前進する気がしてならないのですが。


ウチはまだまだだな。。笑


この前は「大阪天満宮」の夢を見た。

 

行った事ないのにねー。脳が勝手に色々つなぎ合わせて名前まで付けるのか、それとも今後の体験に繋がってるのか。気になってググったわ。関西も大好きな場所。東京も恋しい。嗚呼、日本よ。笑


御本殿✨大阪天満宮の公式ホームページより。



インドは昨日、Covidの新規感染が35万人越えたらしい。人類の未体験ゾーン、流石だわインド。ターメリック食べてるから大丈夫とか神がついてるから大丈夫とか、もういい加減にしろって事?笑。


近所でも今月半ばのナヴラトリのパレードは、全員がマスクせずにギュウギュウで踊ってるの見てゾッとしたわー。

 

 

モディ政権も、ようやく批判の的に。以前はSNSで批判的なコメントしたら削除されて罰せられると、夫からも「気をつけて」と言われてたんだけど、ひどい実態はもう隠しきれない。


科学や研究の第一人者のアドバイスを受け入れず、取り巻きに持ち上げられつつ持論だけ採用する独裁政治。

 

先日、22日?のモディ首相による生中継アピール。お髭伸ばしてイメチェン中?。


首都デリーではついに医療施設でCovid患者への酸素供給不足に陥り、他州や企業、他国からのバックアップも間に合わず沢山の人たちが亡くなる医療崩壊に。


こんなに色々な事態が起こり得る大国で、想定さえされていなかったことに国民も驚いている。



占星術ではモディさん、来年あたり辞職する予測が出ている。インドは民主主義国家になれるのか、この国のリーダーは、権力を我が物にしたがる自分のエゴに勝てるのか、人類の精神進化の過程を見るよう。(何目線?)

 


あまりの事態に、心が痛むどころか、いっそ目を覚ます人たちが増えるだろうと感じる。マインドコントロールして騙すことが出来るのは、自分の力に気づいていない無力な人たちだけ。神もモディも救ってはくれないと、本当の意味で自らの神性とつながって力を発揮する人たちが増えるのだろう。

 

。。って、希望的観測。

Flipkartと言うネットスーパーに救われる自粛生活。買いに行くより割安だし感謝しかない。


このところどうしてもニュースを追ってしまい、気付いたら意味もなくプチパニックになった昨日。アレもコレも大丈夫?と一瞬、不安と焦りにやられた。結局全部大丈夫だと分かった途端、夫に

 

「僕が大丈夫って言ったでしょ。君は自分で勝手に焦ってるだけだよ。僕に任せとけば大丈夫!」

 

と言われて笑ろたわ。

 

流石インド人、何でも自分の手柄にするなぁ。笑

 

 

一番の懸案事項は、今月15日に実家に送った荷物の行方だった。インディアポストのEMS(スピードポスト)で送って、結局今日もまだ東京止まり。(インドの二重変異株くっ付いてないか調べてる?←笑。)インドがこんな状況の中、東京まで運べた事さえすごい事なのかもしれない。

 

帰国出来ないからせめて荷物を送らせて、と言うのはこちらの勝手な理屈に過ぎない。

 


丸2年帰らないと、根っこが引き抜かれた様な「寂しい、恋しい」という感情よりも、今いるこの場に根を張る事が生きる急務になる。それなのに今の私はインドの全てに批判的。見るもの聞く事いちいち嫌悪してしまう。


ここ半年?特に受け入れられない物事との摩擦がひどく、こんな風に自らストレスをかけていたら身体がもたないと自覚し始めている。

 

呼吸が浅すぎるのか、毎朝フラフラ、身体バキバキで起きる。

 

 

朝か夕方の屋上バドミントンでストレス解消したいけどイマイチ。ヨガと瞑想の出番です。

 

それなのに昨日の夢では私、不思議とこの町の平和な風景を微笑ましく眺めていた。

 

いつも大声でウルサイ大家さん一家、こちらの気持ちなど一切分からないお隣りさんたち、穴ボコだらけの通りを地面を揺らしながらスレスレ通る迷惑トラック、変な音楽や売り文句の騒音をかき鳴らして居座る物売りのリヤカーたち。

 

毎日毎日、それらに一々反応せずにはいられない私。控えてもらおう、止めてもらおう、私の気持ちも分かってもらおう!って。笑。


「誰も分かってくれないから」という前提の元に、無駄な悪あがきな戦いに破れる毎日だった。私と私の世界との隔たりが、限界まで来てしまってた。

 


でも夢の中の私は、怒りの感情など微塵もなかった。外の人や状況を思い通りにしてやれという意志は全くなかった。


ただただ、そこで日常を過ごす人たちと肩を並べて、相変わらず平和でウルサイ日常の風景を眺めていた。何なら少し微笑みながら。いつも大家族一緒にいて、やたら元気があって、生き生きしているこの町に、ただただ温かい眼差しを向けているだけだった。

 

どちらが現実で、どちらが夢なんだろう?笑

 

私がコントロールしようとしているこの世界は、とても現実離れしてしまっていると思う。苦しみに満ちている。恐れや怒りをぶつけてしまっている。


私が採用してしまった恐れや怒りは、この世界のせいではないし、誰のせいでもなくて、ただの私の勘違い。それがこんなにこじれてしまった。

 


ロックダウン日の夕方も、子供たちに外で遊ぶなとは言えないのがインドの下町。

 

インドのニュースが日本でも大きく取り上げられた様で、家族や友人がメッセージをくれて、心配をかけてるんだなーと(とても有り難く)。


どんな状況にも、天国を見ることも地獄を見ることも出来る。人災で命が失われる悲しすぎる状況の中でも、出来る事をしようと自分たちで州外から酸素ボンベ輸送し病院外で無償配布する人がいるインド。

 

必要な人たちに必要なものを施す奉仕の行いが根付いている人々という一面もある。

 

そろそろ諸外国からの救援物資も到着し始める頃。ここ数日の地獄絵図は、私たちの目を覚ます警鐘だったと自覚する日が来るのかもしれない。隣近所と揉めてる場合じゃないよ私も。笑

 

ありのままを、温かく目覚めた視点で俯瞰して、最善の景色を選び取って行動出来るように、今はこの世界に鍛えてもらっているのだと思う。

 

しかし夢と現実のギャップがすごいな私。

 

本来はもっと優しい癒し系なのにね。笑

 


そろそろ満月。心に平和が訪れますように。