今日は日蝕ですね〜。あと1時間くらいで。
チャンディガールは6月は耐え難い暑さで、昨晩はエアコンを切れなかった。最小限に使いたいけど、停電すると息をするのも大変なので潔くなれない。(って今また停電したわw)
でも考えてみれば去年までエアコン持ってなかったんだっけ。笑
最初の3年は冷蔵庫さえなかった(修業の為?)。
そして今も洗濯機はない(エコ&節約)。
一度便利を体験してしまうと慣れっこになって、もっと楽に便利にと追求しがちなのが人間。脳が慣れてしまうらしい。
何もない世界に来たかったのは、いくら先進国でエコやベジやオーガニックを取り入れて環境に配慮しても、
何だか遠回りで矛盾していて果てしなく思えたからかも。
社会システム自体が環境破壊的だったり。
インドだって、これから辿る未来は経済至上と環境破壊。着々と猛スピードで「変化」に向かってるのだから。
思えばエアコンがなくてもスレート岩盤の壁で造られた夫の村の家は夏でも涼しい。
でもチャンディガールの家はレンガ造り。夏は蒸されて熱く冬は底冷えが激しい。
レンガ製造は環境負荷が大きいはずだけど、都市部ではスレート岩盤の家など実現しない。熱せられたレンガをわざわざエアコンの電力で冷やす無駄よ。。。
インドの環境への憂いは深い。プラスチックのリサイクルがほぼ皆無なのに、すごいスピードでプラ包装の新商品が出回っている。
デリーの北部郊外の巨大ゴミ山は悪名高く、私も行く度に火災で黒煙が上がるのを目にする。夫の村もプラ回収はなく、山間の清流に捨てるしかない。ヒマラヤの自然を台無しにする光景ばかり。
日本で感じていた「行き過ぎたシステムやルールに絡め取られるような」不自由さとは別の、
「システムやルールに守られない弱者」としての不自由さが身に積まされるのがインド。全く異なる両者を体感して気づく感覚だ。
いい加減お互い、中間あたりを目指す感じで良くない?と思ったり。笑
それでもインドで暮らすとジワジワと胸に迫るのは、前のブログでも書いた
「変えないことの価値」かも。
開発したり、教育したり、発明したり、改革したり、何のため?
それを売りまくって利権を肥やす未来は誰のもの?
てね。
さて5月始めからのロックダウンと規制も昨日から大幅緩和され、夫も18時までの勤務になった。半日勤務が終わるのが悲しいってさ。笑。
でもインドで色々な時間の使い方があるのを見ると、時々思うんだよね。
夫くんが毎日頑張って売り上げに貢献して、毎月お給料をもらって使い切っている、彼の人生の時間と労力がどうか無駄になりませんようにって。笑
すべての事には意味がある、なんて言うけどさ。
それが「破壊的」な方向につながるのか
「持続可能で保全的」な方向に向かうのか
一生懸命やったから良しという単純な根性論では片付けられないなって、最近色々と繋がってきている。
物がなくても幸せになれるのは
物質や外界にそれを求めないからで
物がないから幸せになれないのは
それが幻想と気づいていないからで
インドの村で日がな1日好きな事を好きなだけ喋っては、たまぁに猛烈に働くお義母さんを見てるとね、笑
新商品が飽和状態でとにかく経済を回さなくちゃ生きられず補助金、助成金を待ち望む社会はやっぱり人間としての無力感満載でしんどいなーと思えてくるし、
同時に目新しいガジェットや娯楽に依存させられて行くインドの若者層を見てると、
物質以外の豊かさを知るためには物質漬けも必要悪なのかとも思えるし。結論も正論もないけど。笑
ま、確かに人間は食べていくだけじゃ満足しないというのは、
自分の人体実験で分かったことかも。笑
自分の信じる道を歩めれば良いかな。
それが「普通」や「正しい」と思われなくても、理解されなくても、協力がなくても。
たとえ外側が不自由でも、内側は自由でいたいものなのだろう。
どこの世界にいても、既に何重もの矛盾した不自由さの中で生きるのは変わらない。これも人体実験済。笑
だからこそそこから逃げずに、変な媒体で紛らわさずに、感じる不自由さの1つ1つの本質をよく観察して、それが何かを知ることで少なくとも「怖れ」からは自由になれるよね。
今回のお注射だってそう。
よく知って納得して覚悟して、その先の道へ歩む上で後悔のないように。
夫は会社で「必須」とかで先週打ってきた。
その晩は38℃の発熱と身体の痛みに一晩中うなされ、でも次の朝「来い」と言われて出勤して行った。私だったら暴れて辞めてるね。一日くらい休もうよ。泣
そう言えば先日、在外邦人向けに外務省から「新型コロナ・ワクチン接種のための一時帰国意向調査」というアンケートが来てた。帰国時に空港でワクチンを打てるようにしてくれるらしい。
インドでワクチン打って副反応で重体になったとしても何の保証もなさそうなのと、今後インドは「全員必須」となっておかしくないお国柄、
仮に「インドでは受けましぇん」と決めても、意志を通すためには説明が必要になるかもなーなんて。
さて「どうやったって外界の不自由さから逃れることはできない」というお話。
その不自由さの本質が何なのかを見極めるためには、情報を調べるのと同時に「内観」も必要になるかなと。
例えば
「お化粧しないと外に出られない」と思ってた私。不自由極まりない。マスカラがないと気合が入らないとは。笑
コロナで日本から消耗品はなくなり、インドのマスカラでパンダ目になり、インドの化粧品でお肌ガビガビになり、硬水と合成シャンプーで髪がチリチリになり「何じゃこりゃぁあいい加減にせぇえ!!」とキレ、
って、インド人はどうしてるの?
と思った時、コンディショナーなんて使わなくてもツヤツヤ黒髪、化粧水なんて売ってなくてもお肌ツルツルな(マスカラは必要ないし)彼女たちにメラメラとジェラシーを感じた(凶暴危険w)。
観察してみると、シャンプーと石鹸以外、化学物質は使ってない。何ならローズウォーターとマスタードオイルのみ!
それ知ってたけど、うまく使えないんだよね。。。
と言い訳している猶予はもうない。女を捨てるのはまだ早いのよっ。エコだサステナブルだオーガニックだ抜かす前に、
オイル1本でお前の世界を変えてみろ!
と心の声が叫ぶので、またちゃんと研究してみようかなぁと思ってみた昨今でした。
ちなみに今年始めにトライした「湯シャン」は3日で断念。有機物で出来ている人間がお湯だけでキレイになるなんて極端なお話で。ま、私の体質には合わなかった。
アーユルヴェーダの100%天然シャンプーはまだ使ってるけど、それだけだと難しいので薬用シャンプー併用中。少しはシリコンや化学物質をばら撒くことを減らせたかしら?髪の毛チリチリだけど何か?笑
それと最近始めてみたのは、生理用品の削減。
元々インドのナプキンが肌に合わないのに、子宮系の疾患で生理の量が多いため、毎月「恐怖週間」でしかなかった生理。
しかも流産した時の痛みと重なって精神的に地獄、効かない痛み止め飲んで黙々と耐えるしかない?という無力感に更に耐えていた。
でも、布ナプの手洗いしてたら、何か芽生えたよ!笑
何て言うんだろう。「愛おしさ」みたいなもの。
私の身体は、私が応援してあげられていない間も、こんなに頑張ってるんだなー、エラいなー、尊いなーって
実感するんだよね。
前はポイって捨ててただけなのに。まるで忌むべき汚物のように。でも実際は「汚物」なんかじゃない(経血言いますねん)すごく貴重で温かな生命の源なんだよなーって。
触れるとダイレクトに感じる。その日本語、間違ったな!て感じ。笑。
泣けてくるよね。ゴミとして捨ててただけなんて。ごめんなさいって。泣。
ただ常識、簡単、便利、清潔と思ってしていることの一方で、大切な慈しみを感じる機会を失っていた。
例えば赤ちゃんのお世話をする時、汚いとか煩わしいなんてすっ飛ばして「愛おしさ」で満たされたり。
なのに自分のお世話はロクに出来ずに「汚い、痛い、面倒、ポイ!」ってずーっとして来た。泣
お化粧だって常識で皆がしててと思うけど、私は好きでする以上にありのままの自分を見られる怖さが勝る時がある。
身体は精一杯頑張ってくれている。命の自然のあり様を認められず、
外側の理由で自分を縛って行って、どんどん自分を不自由にさせて行くために便利な物が作られて来た訳ではないのに。
私の感じる不自由さは、頭で作り上げてしまっているものが殆どだと思う。
これ以上この命を苦しめないように、色々と広く学んで、1つ1つ工夫して行ければ、もっと心は楽になれるんだろう。
どこにも売ってなくても、誰も教えてくれなくても、誰も賛成しなくても。笑
今ある不自由さに呑み込まれず、自分に合う方法を作って選んで行った先の世界が
命とエネルギーで輝いていると良いなと思う。
自由って生命そのもの。