夫の実家から帰って来た後、26日の月食からかな?
インスタも更新する気が起きず、何度も下書きしながらやっとこブログを更新。
チャンディガールはまだ夜間外出禁止と週末ロックダウン。平日夫は4時半帰宅なのでお弁当作りも続く。そんな中、ひどい暴風雨で停電続き。40℃越えで家事も一苦労だった。
数日前から水星逆行らしく、夢見が悪いどころか、今まで自覚していなかったトラウマ記憶が次々とフラッシュバックするあり様。
フラッシュバック自体も、12、3年ぶり?
自覚のあるトラウマも頭で理解した時点で「解決した!」と放置してた。でも嫌だった事は事実であり、永遠に変わらない、変わらなくてもいい!とでも言うように、記憶と嫌悪感が「感覚として」生々しく蘇った。
もしかしたらこれも進歩なのかなと思うけど。
実は昨日たまたま「愛着障害」の解説を見て、初めて聞くアプローチ方に衝撃を受けたところだった。言わずもがな愛着障害の疑いのある私。常に内側の葛藤でバッテリー消費が激しい。
解説では、心の中の矛盾する思いに「人格」を与えて、それぞれが喧嘩したり傷ついたりしている様子を、「第三者として俯瞰する人」の位置から眺める、と言うもの。
いくつかの瞑想法でも感情から離れて俯瞰することの大切さは教わったけど、
「矛盾する思いそれぞれに人格を与える」「その人たちが勝手に喧嘩をする様子を眺める」のは、私にとっては斬新すぎ!
解説を聞く間ドキっとしたのは、私の心の中の喧嘩の様子が、そのままそっくり先日の義実家での人間模様と重なったこと。。。
私が現実に見ていた世界は、私の心の中の現れなんじゃないか。。?と。
村では私、わざわざ喧嘩している場面に自分からフォーカスして介入しようとしていた。今思うと、心の中で喧嘩を外界に投影してるよね?笑
脳内に「俯瞰する第三の人格」が現れたのか?
その晩、寝ている間に心の中の葛藤を眺め始めていたのかもしれない。「俯瞰する」ことで、ありのままを見て受け入れる準備をしていたのかも。
私の中の批判屋もイジメられっ子も弁護人も、それぞれが皆「良かれ」と思ってやっていただけ、という愛のある全体像が目覚めてからも胸に残っていた。
同時に生々しいフラッシュバックも残っていた。
幼な過ぎて覚えてないはずの記憶が、寝ている間に感覚として蘇ったよう。
窮屈さ。
孤独感。
絶望感。
居場所を得るために、
いつも誰かと闘っている。
泣き叫んで訴えても
抑えられて止められて、
去っていってしまう
忘れられてしまう
消えない怒り。
生きる全てをかけた怒り。
誰も分かってくれない、
分かろうとしない。
私が命だってこと
全力で生きているってこと
受け止めてほしいこと
言葉も話さないうちから
とにかく分かってほしかった。。
。。。て感じの感覚が、1、2、3歳の頃の感覚ぽい。
「分かってくれなきゃ死んじゃう!」みたいな思いが、インドでよくある騒動を目にする度に発動して困っているんだけど、この怒り発作の原体験なのかな。
その後のイジメや挫折や事件やDVや事故やウツや未遂や、書ききれない傷だらけ半生の原体験かも。
そんなに
受け止めてほしいものなのか?
命って。
元々1、2歳の記憶はあるけど、いつも窓や天井を見上げて寝転んでて、誰が隣にいたかよく分からない。母は仕事に行ってたから、きっと祖母だろうか。
エネルギーのぃっぱいのハイパー幼児だったらしい私。主張しては周りの手を焼かせ、叱られてもイタズラは止まらず、お仕置きをしなくてはと考えるのは当然だったかもしれない時代。
夜、表に閉め出されたり、物置きに入れられたり。一瞬だったかもしれないけど、死ぬかもと思っちゃうんだね幼児って。
死ぬもんかー!うぎゃーって泣き叫んでたわ、そう言えば。笑。生きたくて生きたくて生まれて来たのにね。厄介な性分と共に。
ハイパーでしかも双子なんて
親にとったら悪夢だったろう。
そして何となく、胎内記憶まで遡れるかなって気もしてる。
パーソナルスペース言うより、テリトリーの侵害にやたら敏感でイライラしちゃうのも、胎内で押し合いへし合いしてたから?
色々と、新疑惑浮上中。
幼ない頃の不快感や狂おしさが蘇るのは正直日中もクラクラする程気分が悪い。唯一の話し相手の夫も、こんな凶暴な案件には巻き込んじゃイケないと思ったり。
道理の分からない幼児が力いっぱい暴れてる=私のインナーチャイルドって。泣
ヨガ、瞑想、レイキをやれるだけやってみよう。半ロックダウンもあと1週間ある。
アセンダント付近で月蝕の後、水星逆行という流れに相応しい展開になってません?笑