モンスーンとゆるしの到来 | 北インド☆ゆるヨガライフ

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

昨日辺りからモンスーンに入ったチャンディガール。

 

日本の関東も梅雨入りとか。季節の節目で雰囲気が変わる時期って、不思議と地球上どこに居ても連動してる感覚がある。

 

下町もようやく活気が戻りつつあり、表の話し声が賑やか。皆コロナ規制で大人しくして頑張ってたからねー。笑

 

 

でも今、外流しのリヤカー野菜売りの声がウルさ過ぎてヘッドホンを付けた。野菜オジさん、張り切ってる。笑。規制をユルめた途端に第二波の感染大爆発したインド、今回は油断しないでっ。

 

 

 

いつもガササと混ざっているだけのスパイスを並べてみた。かわいーー♡

 

 

ちなみに、どれ位野菜売りの呼び声が騒音かと言うと、オンラインで英語や日本語を教える機会を頂いても、毎回お断りした程。

 

夫もリモートワークだったけどね。会議を横で聞いてると参加者のマイクからは犬の吠え声、赤子のギャン泣き、お母さん「ご飯食べなー!」の声と、もう色々。

 

そんなこと参加者は誰も気にせず負けじと大声でディスカッション!逆境に強くもなるワケだ。。

 

。。が、そんなレッスン嫌です私。笑。

 

常に障害続きに思えるインド生活、去年から更に上がったハードルで心がフルイにかけられて、したい事したくない事はより明確になったかも。

 

 

理論上は可能だけど、もう出来ない事の数々。大企業の下請け会社の担当者さんの煮詰まった気分に合わせて翻訳を納品するのも、

 

時間枠で試験勉強に受かるための言語を教えるのも、よく考えると賛同できかねる?目的のために注文を受けるのも。

 

「自由」になることには不安は付き物けど、1つ1つ乗り越える度に学ぶことも大きい。

 

 

「近所の店が(規制で)閉まってた」と夫君、隣の州に歩いて1時間かけて買ってきてくれた初物ライチ。

 

 

夫とも追い追い共有して行きたい価値かも。先々週会社の要請でワクチンを受けてからの夫の様子は、多分普段通り。でも未知の副反応の懸念は消えないので、見守って行くつもり。

 

通常業務に戻りつつある今、繰り返しの毎日に少し気が重そう。日曜はひたすら休んで、今朝も起きがけの電話に「イエス、サー、プリーズ、、」と律儀に答えてた。

 

(実は超寝起き良いのに最近グズグズして見せるのは、甘え?笑)

 

 

健康で、毎日楽しく、好きな事を追求できる。

 

なんて、そんな自由は格段に低い環境だけど、1つでも欠けると心の曇りがすぐに見えて、夫には快晴の青空のように幸せでいて欲しいと願ってしまう。夫にも私の心の曇りは見えるのかな?

 

 

いつも私の笑顔が見たいと、不思議なくらい頑張ってくれている。

 

好きにさせてもらって、感謝しかないのにね。笑

 

 

 

私は「インドでは大変な事ばかり」を言い訳にいつも、

 

臨戦態勢、疑心暗鬼、お先真っ暗、インド訳わからん!

 

という心境でいることを、自ら許して来てしまった。現状はどうあれ、どこにいたって未来を知る事が不可能なのに違いはない。不安でいることを無意識に選択していた。

 

それは精神トラウマのハンデがあったとしても、長年の反射癖をシフトする訓練はできると信じてる。

 

 

雨上がりのキレイな空と洗濯物のコラボ。
 

 

先日はまた紙に「自動書記」のように、言葉にならずに溜まっていた感覚をどんどん書いてみた。話し相手がいないとか、弱音は言わないとか、色々と制限もあり、最初は色々と我慢している感情が出てくる。この機会にいっぱい共感してあげる。笑

 

でも最後は

 

 

「ゆるす、ゆるす、ゆるす。。。」。

 

 

ぜんぶ許したいだけだし、許して行く以外何もないとでも言うように、何十回もの「ゆるす」の繰り返しが出てくるだけだった。

 

 

誰に許されなくても、自分で許す。

 

それで良いんだし、そこからしか始まらない。

 

 

多分、精神的な「自立」のプロセスなんだろうなと、お恥ずかしながら四十路半ばにして思ったところ。

 

 

正しいと言われている事を、常識的と思われる様に、上司に認められる様に、家族に許される範囲で、友だちに嫌われない様に、夫に理解される様に、

 

更にはインドのしきたりからはみ出さない様にとか、無理だわ死ぬ気かっ。笑

 

 

ちょっと前はモヤモヤすると「もう好きにする!」とキレて、

 

でも本当にやりたい事なんて迷子だから何をしても迷走、「スッキリしない」と不発に終わってた。訓練されたかの様な他人軸。

 

 

そしてもっとタチが悪いのは、習慣も文化も何もかも違う周りのインド人の振る舞いに一々腹を立てずにはいられなくなってしまった事。

 

この一年、チベット仏教の瞑想法とアンガーマネージメントを学ぶ程、悩んだ。

 

 

何事もない日は良いんだけど。。、

 

そんな日は長く続かない。(前はウチのベランダでいたずら放題だった大家さんの息子君は、最近ちょっぴり「礼儀」を学んだらしく、ドアを開けて道を譲ってくれてビックリしたけどね。)近頃は新しく越して来たインド女子が、ウチのドアの前で大声で電話する度に怒りスイッチが入るので。。。泣

 

 

「ゆるす、ゆるす」と、

 

呪文の様に心で唱えながら、この前クレーム対応のプロの姉に電話で教えてもらった「ゆっくり6つ数える」というのをやり、深呼吸をしながら生存のための「防衛本能」が正常に働く自分をひたすらに許す、許す、許す。笑

 

でも、人が許せないのはやっぱり「自分を許せていないから」と体感させられる試みだった。

 

答えは私の中にあるという希望。泣

 

 

 

誰かから許可されるの、待ちすぎたんだね。

 

本気で誰もいなくなったわ、自分以外。笑

 

 

夫の「嫌な面」が細々と気になってたのも、義弟の素行の悪さが絶対に許せないと思ってた鬼刑務官?みたいだった自分も、酷暑の外で懸命にリヤカーを引いて働く人の声がウザいとしか感じない日々も、すっかりアパートのお局に成り下がりかけてた事も、

 

本当にヤバかったなと思う。汗

 

 

こちらの人たちのそれぞれの大切な人生があること、私の知らなかった自由さ加減があることも、向こうからは誰も挨拶してくれなくても、笑

 

 

ゆるす、ゆるす、ゆるす!

 

 

(挨拶しなくても、無言でガン見して来ても、決してこちらを見下してる等の意味にはならないのが北インド文化です。アラ、日本のヤンキー文化と真逆。笑)

 

 

私も私をゆるして行くよー。

 

 

何があっても、どんな時も、どんな困難も失敗も越えて、

 

私を丸ごと許してあげられる存在は、私しかいない。

 

と言うか、自分から始めないと何事も始まらないのよね北インド(挨拶も笑顔も会話も。。すべて)。

 

 

用心深いんでしょーか?

 

 

ま、人に期待はしないこった。

 

全部ゆるーす。笑

 

 

もうすぐ夫君の誕生日。かわいいカップケーキも許す🎂