音楽はいいなぁ。日本語の音楽。和の音階。母国語に乗せられたメロディー。
と、ようやく夫から借りたヘッドホンをして、インドの田舎の現実をシャットアウト。spotifyの音楽に没頭する夕方。Yoasobiとか好きだなー。
遠い日本とはあまりにも違う景色に、グワッと疲れが襲って来る時がある。私の場合は怒り爆発、という形が多い。笑
昨日何が起きたんだっけ?(毎日書き切れない、書いちゃいけないレベルの事件が起きているw)
そうそう、誰かが嘘をついていた。私に隠れてコソコソしてたの。バレないって思ってたのか?それとも、バレてほしかった?
悲しい哉、私ウソはすぐに見抜けてしまう。
それなのにヤケに傷ついたりして。乙女かってね。その変の誰に嘘つかれたってそうは傷つかないけどね。
夫が私に誠意を尽くして「当然」だと、
一体どこで勘違いしたんだろう?
全てのすれ違いは、勘違いから。
現実の認識など、全員違って当たり前。
そんなことがまだ悲しいなんて。
「嘘をつかれた」
そう言って断罪してみたところで、誰も陳腐なドラマに乗って来てくれないのは知ってる。こっちの義家族のメンバーも、人のすったもんだに構っていられる程人生甘くないよね。
「帰ろうかな」
帰る目処など立たないくせに、実家の母にメールしてしまう。ほぼ八つ当たり。なのに母、
「帰っておいで。早く帰っておいでね!」
と、何かのドラマにハマっているかのような答え。悲しませるつもりはないのよゴメンナサイ。帰って手伝える事、やれる事は沢山あると思う。だから揺らいでしまうのだけど。
一瞬で心がワープして、あたかも今この瞬間、実家の居間でホケーっとしている感覚に浸った。レースのカーテン越しの優しい光、柔らかい空気、目に映るものが全て繊細な光を放つ日本。
堪能した後、深呼吸をして、えいっとインドに戻る。
(嘘をつくのが当たり前な人たち。)
(諦めた目をして俯く義弟。)
自力で立ち上がるしか術のないこの世界の中で、
真実を知らないまま
飢えた目をして、被害者の役を演じて
誰かを捉えようと空回りしている。
それが私が今、見る事を選んだ世界。
「私はここで何をしようとしているんだろう?」
その問いを
身体の芯から答えが絞り出せるまで、今が問わなくてはならない瞬間だった。
「嘘つき、嘘つき。。。」
変なこだわりの強い子供のように頭の中で繰り返されるフレーズをBGMに、憤りの中で自動的に瞑想が始まった。
強い感情の化学反応で外界が完全にシャットアウトされている。でも痛いほどに全身を駆け巡るこの有毒な感情は、一時の幻にすぎない。
今、私はここで何がしたいの?
その答えがどうでも良いものである場合、即座に撤退すべき案件がいくつも重なっている。これまでは深く考えようとする前に、偽善の中でいい気になっている自分、という妄想が浮かんで嫌悪感が走るので、考える事をやめていた。
たとえ現実に周りが不協和音だらけだったとしても、
正義警察よろしく他人の罪をもっともらしく断罪して、自分の正義を証明するため?
周りの承認を得るため?
人とは違う特別な存在として注目されるため?
そんな風に茶々を入れる声が、整理されずに心の片隅で淀んでいた。
でも違うよね?そういうタイプじゃないし。笑
なるべくはみ出さないように、目立たないように、失礼な作法をしないように、この土地のやり方にお節介に介入しないように、場違いな意見を言わないように、多少の事を見逃すように努力して来た年月で、
今までの自分がどんどん死んで行く感覚は本物だった。
死んだ方が良い余計な部分が、これでもかと炙り出て来る日々だった。
それがエゴなのか、真心から来る行動なのか、
嫌でも向き合わされるのがインドでの日々。
「私はここで何をしようとしてるんだろう?」
ちょうど、ヨガの恩師がメールをくれていた。
「君が自分のやりたかった事を実現出来るよう祈っています」と。
私のやりたかった事って何だろう。。何でまだインドにいるんだろう?流されて来ただけの様で、それだけではないはずで。
だって
私が本当に見たかった世界は
今の現実とは正反対に近くて。。。
家族が口をきかない家。いつも小さな行き違いが絶えない。トラブルが巻き起こされている。いつも誰かが不機嫌を撒き散らしている感じ。気持ちのすれ違い。空気の重苦しさ。
それにちょっと触れただけなのに、私の心はパニックを起こし、
人を責めたり、悲しくなったり、悪いところを探して断罪し、正そう変えようとして、その場を振り切って逃げようとしてしまう。
一緒に感じて一緒に癒えることをしないまま。
逃げれば良いのに。日本に帰ればいいのに。関わらなければ平和だろうに、どうしてわざわざ問題のある方向に行くんだろう、私がバカだからだろうかって、とにかく未知の未来が怖くて仕方がなかったのだ。
こんなインドの村で、何してるんだろう?
でも、
前にも感じた事のある、家族がすれ違うことの恐ろしさ。
前にも感じたことがある、決定的な何かの前触れのような感覚。
前にも感じたことのある
バラバラになることへの強い抵抗と、断固とした拒否の思い。
空気を読んじゃう子だった子供の頃、仕事の忙しさに荒れる心や素直な気持ちを失い離れて行く心を全身で感じてしまい、不協和音に絶えられなくて、子供ながらに何とかしようと、
怖いのに、何の根拠もないのに、ただ気を振り絞って闇の空気を満たそうと声を発したこと、思い出した。
「パパ、行かないで」「ママ、聞いて」てね。笑
(ジョン・レノンの「Mother」みたい。笑)
子供ってすごいな。でもそんな事があったのも、ずっと忘れてた。
少し心が温まったところで、そのまま座っていると、何故か亡くなった祖父母や父、叔父や叔母、先代の人たちの人生の様々な場面がイメージで次々と展開されて行った。
生きることが精一杯だった時代、明日が見えなかった時代、生きるためにお互いのエゴをぶつけ合うしかなかった時代、そういう時代が私の系譜にもあって、力を尽くして乗り越えて今があること、皆が私の問いに答えて見せてくれているかのようだった。
父だったら、祖母だったら、どうするだろう?
今いる場所で出来ることを冷静に見極めることをしないまま、辛いから、周りが悪いから、何も良い事がないからと、全てを放り出して生優しい場所に戻れるだろうか?そもそも、そんな場所はなかったんじゃないかって。
私やっぱり、正義警察になりたい偽善野郎なんかじゃなくて、笑
調和を取り戻して、笑顔を取り戻して、自分らしく、その人たちらしく居られる世界を、どんな瞬間も、地球上のどこにいても見ていたい
それが私なんだろう。
キツく言い過ぎちゃう時もあるし、上から目線でヤな奴な時もあるけど、
それでもこのインドの山の村で一緒に座って、一緒に悩んで、一緒に悲しんでいる。もっともっと、一緒に笑いたい。
見たい世界を見ることが出来て
したい事が出来るようになるその日まで、
きっと諦めることは出来ないんだろう。笑