北インド☆ゆるヨガライフ -3ページ目

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

「お前は、根無し草みたいなんだよな」と

 

昔言われた事があった。

 

20代の終わりに勤めたマクロビカフェのオーナーに。接客でクレームを受けた後の反省会の時。


そう言われるのも無理はなかった頃で。ウツでデザイン会社を辞め、たまたまアパートの前に開店したお店に何となく面接に行き、中途半端な気持ちで働き始めたら


みんなめっちゃハキハキした超体育会系でビビっていて。


 

そこまで言うか?という事も言われたし

そこまでする?ってくらいみんな働いてた。

 

悔しかったなー。


でも、言われた事のない様な事を言い合える初めての場所だったのね。お一人様好きな「根無し草」では生き残れない場所でもあった。


そこで初めて「仲間」という感覚を知り、

モノクロの毎日がカラー映像に変わり、ある日突然、ウツが治った。

 

「どうやったら皆みたいに、共感し合って笑い合える仲間が出来るんだろう?」

 

そんな変化が訪れたあの頃の悩みを、今インドで再び思い出す。

 

でもインドで私の唯一の仲間は、今は夫だけかもなぁ。笑



いつでもどこでも誰にでも話しかける夫君。笑

 


ウツが治ってからは出かける先々で出会い(良くも悪くもw)が増えて、気の合う人とは今だにずっと繋がってる。


一方で近ごろ職場の元同僚とはめっきり疎遠。そして家族とはどんどん価値観がズレていく感じ。

 

ま、職場では自分を見せられてなかったし。


家族は、インドから帰らない私を誤解してるかな。


2年帰らなくても繋がってくれる友だちは正直ありがたい。

(毎日顔を合わせなくて良い気楽な関係って必要)

 

 

私は家族や同僚によく誤解される人だった。周りと同じ行動をしないことを悪く取られるらしく。私はそんなに決まりを守れないし、怒られても意味が腑に落ちない。馬鹿正直なんだと思う。


実の父にさえ最期に「ごめん、誤解してたよ」と謝られたくらい笑。ちょっと遅かったけど。

 

 


そんなこんなで当然、家族や地域で一斉に同じ行動を取るこのインドで、仲間意識なんて芽生えるはずもないよねーー。

 

 

それで、たまに心がチクチクする。

時にズキズキする。

 

あれ?!

心に穴が空いてる??

 

。。て、最近気づいてしまったのかもしれない。



本当は分かってほしい。

本当は共感したい。

本当は友だちが欲しいんだよねー

 


根無し草に相応しく?鳥や蝶に憧れる。新しくチャンディガールにオープンしたバードパークへ🦜✨



(まだ私が日本に帰るタイミングではない)と自覚しながら、丸2年。


人さまには説明しがたい感覚だけど、強いて言うならば、

 

1. まだここでやるべき事がある。

2. 中途半端でやめるわけには行かない。

3. 今帰ったら多分インドに戻れ(ら)ない。笑

 

 

みたいな感じ。今、日本もインドもコロナが落ち着いてる間に帰国して、サラッと戻って来るのが合理的なんだろうけど、


ただでさえ日本は居心地が良すぎて、年々渡印がしんどくなって行くんだもん。



日本食を殆ど食べずにいたら、あら不思議!甘〜いインドスイーツさえ美味しく感じるこの頃。

 

ついこの前までは、

 

「インド人夫の日本ビザ申請の解禁が先か、


私がキレて国外逃亡するのが先か。。?」

 

と、無意識のドキドキ感の中で生きていた。

 

(落ち着かないワケだい笑)


 

流石に瞑想を始めてからはキレようにもキレられなくなったので、最悪のシナリオは実現しない筈なのに。


オール or ナッシング思考?無意識の思考癖って怖い。


 

今年はオンラインストアを始め、気持ちが充実するのと同時に、未だ将来の行く先が見えない事にモヤモヤも。


夫に話しても、何故かいつも現状に満足している稀有な人なのでただの聞き役。それも貴重なんだけど。

 

 

(インドが私を受け入れてくれたら、

ここに根付いてやっても良いや)って、)

 


どこか生半可な態度でずっと過ごして来てるんだよね、私。それにようやく気が付いてきた。


で当然、

 

インドはそんなに簡単に私を受け入れてはくれない。笑

 


と言うか、インドの政治にも社会システムにも同僚にも大家さんにも、親戚にでさえ私、共感出来ないんだもの。


私の小っさい脳ミソなんかで考えてたら絶対絶命、絶望的に無理なのだ。

 

だってね。。

 

 


ラジャスタンで食べた郷土料理は美味しかったけど、何故か頼んでない物まで来ちゃってた。まぁいっかって思えたら何倍も楽しめたのかな?


 

この前は大家さんのお嫁さんが立ち話に来た。半年に1回くらい来るの笑。

 

「あなたは偉いわ。Great Ladyよ。こんなに長く国に帰らずにいられるなんて」って。複雑〜笑。

 

でも私は知ってる。それだけで話は終わらない。

 

「私の実家もデリーでしょ。遠くて悲しくなるわ。でもヨガとプラナヤーマをしていたら平気よ。あなたもやりなさいね、気分が晴れるから」

 

と、必ず命令形で終わる。悪気はないけどこの辺のインド人は全員、姉御肌に兄貴肌(いらねー)

 

ちなみにデリーは車で4、5時間でーす。

 

共感出来なくても飲み込めば良いの??

 

 


 

最近のモヤモヤインド人その2は、


私のヨガのグルジ。


 

秋頃久しぶりに「元気?」ってメッセージが来たけど、最近またヨガをサボっていて後ろめたく、ようやくこの前返事をしてみた。「How is everything with you?」と聞いたのが間違いだったのか。

 


「コロナで外国人生徒が全く来なくなってもう20ヶ月も教えてないんだ。お金になる物は家族のために全て売ったよ。金もね」

 

。。。

 

何その悲しい話?

 

インド節で話されても本当に共感出来ないんだけど、実際どうなのと思って、



「大変ですねー。でも例のヨガリトリートセンター新築の話は進めていらっしゃるんですよね?」と聞くと、


そうなんだよ、と自慢のヒマラヤンビューの建設予定地の動画を送って来る。

 


「じゃあローンとか組まれてるんですよね?」と言うと「そうだ」と。それって私の同情を引いてもこっちは何も出ないレベルじゃん。

(私土地とか買ったことない)

 


お金は出ないけどアイデアなら出せるかな?という浅知恵で(と言うか探りを入れつつ)、


「ライブ配信をされてみてはいかがでしょう?支払いリンクがあれば投げ銭ベースでも、大勢の元生徒さんたちが見て下さるのでは?」と言ってみた。


そしてその流れで「一番使い勝手が良いのはPaypalですか?」と聞いてしまう。

 

するとグルジ、

 

「これが私のPaypalアカウントだよ。君に寄付をお願い出来ないだろうか?」ってさ。(一人一人に聞いて周ってるのー?)

 

この話しはまだ終わっていないのでこんな書き方だけど、今の私のメンタリティーだと、


「ヨガのグルジにお金を無心された話」


ってタイトルになっちゃってる。笑

 

 

でもそれは、ものすごく心の狭い物の見方に過ぎない。

 

 (のかも。全く分かんないんだけど。)



プシュカールにある立派なガネーシャ寺院。神頼みだって、頼んでみないと叶わないというダメ元精神の源?


 

私がインドの人たちと共感できない、インド人の友だちが出来ないと嘆く背景には、

私がインドの価値観や考え方の違いを受け入れられていないという高い高い壁がある。


 

インド人の間では「お金の貸し借りもコミュニケーションの一つ?」と思える日常がある。


夫の貸したお金は9割型返って来る(1割ーw)。誰が信頼に値するか一目瞭然でもある。

 

 


 

私、どうも

 

「外国人だから分かってもらえない」

 

と考えがちな思考癖があったみたいで。

 

リキシャや買い物の交渉で思い通りに行かない時、


義家族がインド料理を真剣に教えてくれようとしている時、


親戚の子が「お金貸して」と頼って来た時も、

 


(外国人だからって、特別扱いして!)

 

と勝手に頭に来て、自らシャッターを閉じて来た。

 

 

冷静に振り返ると、どんだけ小物なんだろうって思ったり。



「他人にお金を貸してはいけない、ギャンブルも絶対いけない、よく覚えておくんだよ」と、大昔の親の言いつけさえ抜け出せていない。父なんて「人を見たら泥棒と思え」って言った事もあったのに笑。

 

実家って、遠くなるべきものなんだよね。

 

当てはまらない家訓なんて捨てた方が

きっと毎日が怖くなくなるし、

もっと幸せになれるのかもしれないのに。




お金で解決出来る事なら話は早いのかも。


でもそれだけじゃない背景が入り混じっているし、


私にも関わりたい事とそうでない事がある。


私に彼らの何かを変える力なんて到底出ない気がしてもいる。


 

バードパークで何の警戒心もなく近づいて来た子🦜💞


 

今の私にはまだインドは受け入れ難い事ばかり。

 

でも、結果オーライなのは数年見てきて感じるところ。


 

先の心配をしない我が夫君は10年同じ職場にいても全く悩む素振りもなく、毎日能天気でいてくれる。


最近「この先ずっと変わらないつもり?」なんて私が聞いたもんだから、急に落ち込んじゃって、悪い事をした。

 


 

そう言えば3年前にスラム支援のNGOで同僚だったA女史は、結婚して最近ニュージーランドに移住したらしい。


3年前は田舎出身のWebデザイナーのイケメンとラブラブで、職場にも連れて来てイチャイチャ。なのに急にお金持ちと親の紹介で婚約、退職。

 

彼らのイチャイチャが気まずくて仕事にならなかった記憶が根強いけど、「コロナでタイヘンだったけどようやく夫に再会できました!」って投稿を見たら、何か良かったねって。(正直落ち着きのないビ○ッチだったけどさ、)



結果オーライなら(裏で)何があっても許される感じなのが、ザ・インド女子よ。

 

(でも職場でチュッチュは本当キモかった〜!w)

 

たまには大声で叫びたいわ私も。笑

 

 

、ということで(どう言うことじゃ)


 

インドを受け入れ

インドに受け入れられるためには

頭で考えているだけじゃダメっ

 

というお話でした。


 

結果オーライなら何でもあり。。って、


ハイリスクハイリターンて感じ?

 

 

ついでに私のここ最近の心境の変化は、

 

コロナ以降で初めて家具や家電に興味が出て来たこと、

メイクを変えてみたくなったこと、

インドの人やお店や場所の名前が覚えられるようになったこと。

 

家具や家電を買ってしまったら(もうここから逃げられない)って感じるんだよね、心の奥で。笑


さてどうするべきか。


 

基本インド人は全員、私と対立して来る存在だと決めつけていたので、名前も連絡先も覚える必要あるのかなって思ってたのかも。


対立して泣き寝入りするんじゃなく、本気で勝つためには名前覚えておく必要があるという。(騒々しい隣人とか)


 

多くのお店の店員さんは気が利かないしオーナーなんて横柄な場合もあるけど、


無愛想で時間がかかったとしても、結果を出してくれる店は限られてるから、覚えてないと生き残れないと気付いた。「日本で買えばいいや」とは言えなくなってしまったし。

 

 

こんなご時世のお陰とは言え、まだインドにいることが不思議。

 

根無し草だった私が、半ば強制で根付かされつつある場所がインドなのも。


 

何からも逃げずに向き合い、ありのままを受け入れるなんて、


何にも本気になれず誰とも本気では向き合えず逃げてばかりだった、わがまま放題の私には至難の技。

 

そのたった一度きりのチャンスを与えてくれたのが、この場所で良かったとも思うのだけど。



インドの摩訶不思議で美しい手仕事作品を販売中です。只今ブラックフライデーセール開催中✨29(月)深夜まで全品10%OFF🌜




 

前のブログからかなり時間が経ってしまった感。

 

これまで起承転結的な感覚を元に「落ち着いたら書こう」と書いていたのが、結末の来ない日々がずーっと続いていたような私の2021年。

 

もう2021年も残り1ヶ月半〜!💦



10月のカルバチョート祭の大家さん一家のお祈りの跡。北インド下町アパートの屋上にて。

 

今朝は北海道の姉の手術が無事終わったとの連絡が母から入った。

 

9月に母と姉の2人で事故に遭い1ヶ月入院、その後も姉は大きな仕事続きで多忙だった。全国ニュースでも話題になっている件の担当で、ニュースを追う度ハラハラ。手術ギリギリまでとにかく大変そうで、インドから帰れない私も正直心配で。

 

信じてるんだけどね、

良くなるためのターニングポイントだってこと。

 

 


何も出来ないと落ち込んだ後、ようやくインド綿のパジャマを送ろうと検索中😅届く前に退院しちゃうね。


インドでは11月4日にディワリ祭があり、販売職の夫も毎年恒例で1ヶ月休みナシのハードワーク。またもや夫婦で長引く咳風邪ももらって地味に疲れたー。

 


私にとっては今年のディワリは、 tinyuri.india のストアやインスタを通してインドの手仕事に注目して下さる日本女子の皆さまと一緒にお祝いをした初めてのディワリ。


(これまでは毎年人知れず飾り付けやお祈りをして夫と祝うのみだった🙏🏻チーン)


2週間のセール期間には有難いご縁を沢山いただいて、日本とインドで一緒にお祝いできた感覚がまず新鮮、初めての充実感に目覚めさせてもらいました。



可愛すぎるインドカラーの商品を日本にお届けできることが、今の私にとって最上の幸せ💕

 

夫はディワリ連勤が明けたら村の実家に帰りたいと弱音?を言うこともあり(この前2回も帰ってるのによ)、気持ちは分かり過ぎるくらい分かるけど(私ぁ2年以上実家に帰っとらんw)


そんな弱気も風邪も気合いと抗生物質(最終兵器。泣)で乗り切った。


 

日本から気に留めて下さる方々がいると思っただけで心は満たされるのに、


反比例する様に身体に出てしまうのは、大き過ぎる期待感?

 

それでも今の自分たちを越えないと、どんな未来にも踏み出せない気がしている。


 

長く停滞してしまったかの様な現実と

新たに描き始めた未来の間で

 

もがきたいだけもがけるのなら、

それは今の私たちには幸せなこと。



その他諸々の問題も、愛情込めたインド家庭料理で乗り切りました🍛✨(カシミール料理のダム・アルーを作ってみた)

 

 


そんな疲れ切ってる時にさらに夫の実家のワチャワチャに巻き込まれに行く気力は到底出なかったけど、

 

 

ー そうだ、ラジャスタンに行こう。

 

 

と、バブル期の電通のCMの様に唐突に閃いていた。


(牧瀬里穂とか懐かしい。あれはクリスマスエキスプレスか?)



ワクワク感✨ 画像はどこかからお借りしました🙏🏻


 

 

日本でイメージしていた様な「全てがカラフルで象がいてお城がある🏰🐘✨」みたいな、インド生活5年でもまだ見ぬインドらしい風景を見に行く時期がようやく来たようでワクワク。

 


私にとっては一生明けない夜のような、思い通りに行かないインド生活の序章がようやく明けそうな


「インド生活 第2章」の始まりのような。(←大げさか)

 

 



 

私とインドのご縁は、潜在意識に埋もれた様な、僅かで微かなつながりで

 

記憶にあるのは小学1年の時、インドの日常を描いた妹尾河童のイラスト本を父が買って来て、吸い込まれる様に牛の糞を乾燥させたもので作る家の様子なんかを夢中で見ていた。

 


当時、後進国(って今言わない)の日本人学校に派遣される同僚から両親はよくお土産をいただき、不思議なテイストの絵が描かれた本場のアッサムやセイロンティー、南インドコーヒーはいつも食器棚にあった。

 

80年代〜流行ったのか?なぜか母はありとあらゆるインド沙羅のカラムカリ、ろうけつ染め、ブロックプリント生地のマルチカバーを持っていた。色黒でハッキリした目鼻立ちの母は、休みの日はよくインドのワンピースを着ていたっけ。

(見た目インド人。笑)



また父は美術教師で絵画と彫塑のアーティストでもあったので、世界各国のアート作品から影響を受けていたよう。今振り返ればインドの古美術品と分かる(当時の私には謎の)オブジェや銅版画が居間にある。



そう言えば。。?って思い当たる程度に、ビミョーにインドに呼ばれ続けてた私?



高学年位にはお小遣いでラジャスタンの刺繍タペストリーを買って部屋に飾り、中3で妹とコタ織りのブラウスやワンピースにハマった。それがインドの物とか知らないまま。


その後ブームが来たエスニックショップにはくまなく通い、民族衣装や楽器、お祈りグッズが増えて行く。

 


まだ自分がいつかインドに行くとは全然思ってない頃。



5年間これと言う物に出会えなかったけど、今回のラジャスタン旅で買えたグラナイトのすり鉢。手仕事道具に愛を感じる💚


 


私とインドの回顧録って、書くの初めてで恥ずかしー。笑。まぁ一応、記録ということで。




大学では異文化学専攻、アメリカではアート専攻で、そう言えば入学後初めて話しかけてくれたのはめっっちゃ美人のインド人だったっけ。(腰までの長いウェーブの黒髪で、華奢で美しい人だったなぁ〜)



ホームステイ先のハウスメイトの一人も南インドの出身で、よくインド料理を教えてくれた。「国に帰ったら親の決めた人と結婚するの」と言う割には悲壮感のないおおらかさが不思議だったっけ。



ネイティブアメリカンの世界観に惹かれ、休みには友人と車で大自然の中、ラジオの電波も入らないインディアンレザベーションを訪れたのは衝撃の体験だった。


初めてヨガを習い、授業帰りはスリフトストア通いに余念がなかった若き頃。



50〜70年代アメリカ古着が好き過ぎて tinyuriの仕入れも自然とボヘミアン寄りに。ずっと脳内フラワーチャイルド笑🌼🌺🌻

 

帰国後は英文メディアの仕事をしたので欧米人と知り合う事が多く、インド人の知り合いは全くいなかったのですが。



それが変わり始めたのが、早いペースの仕事に疲れ果てた後、マクロビカフェに転職したり、地元北海道のアイヌ民族のアートや権利運動に関わったり、


世界各地からアイヌのお祭りに参加するために訪れる人たちと出会ってから。


 

世界の先住民族の人たちは

私たちと全く違う人生観と

異なる時間軸を受け継いでいる。

 


別次元への扉が開いて行く様な出会いが続いた。ニュージーランドのマオリ族、ハワイやポリネシアの民族、アボリジニー、北欧の民族、ネイティブアメリカン、イヌイット、アイヌ民族の人たちとの出会い。


ちょうどJICAで臨職をしたりで、技能研修で訪れる各国のグループの今を楽しむ姿勢も目の当たりにした。


 

自分の時間を果てしなく犠牲にしながら働いても、何だか孤独で将来の見えない独身OLだった当時、「第三世界」の人たちの楽しげな様子はひどく象徴的なコントラストとして目に映った。

(ケニア人の奥さん5人いるオジさんが嫁に来いと言ってた。自由か。)


私も、楽しそうな方がいいなーって。笑


(実際にインドでローカル暮らししてみた今は、絶対むやみにお勧めできないけど)

 

それからも30代の10年間は日本をじっくり味わうような会社員生活。学習塾、フリースクール、私立高校、インター幼稚園と教育分野に浸かった。


じっくりと日本の酸いも甘いも見て良かったなと思うのは、これからどこに暮らしても、日本の今と共感し続けられると思うから。



仕事を辞め一人インドにヨガ修行に来た5年前。この後インド下町に住む事になんて知らず、表情が優し気〜。笑

 

 


なんて、振り返ってみたくもなる2021年の終盤。



この2年半閉じられた世界の中で、SNS等を通してだけど各地の人の色々な想いに触れる事があり、


この隔たりで国際恋愛の試練を迎えている女性たちや、かつては度々インドを訪れていた人たちのこの地への強い想いに触れている。

 

「1日も早く自由に行き来ができるように」

 

切ないほどの共通の想い。


 

私自身も、身内の危機にどうしても立ち合えない場面にいくつも合い、外界に理由を求めてもどうしようもない所まで来て、そんな今、一層強く感じるのは、

 


「目には見えない本当の繋がりを信じて取り戻すこと」。

 

 

私たちが日々「あれがしたい、これが欲しい」とボロボロになるまで酷使して来た自分自身のことや、


限りある地球環境の恩恵さえも無意識に搾取してしまっている、求めて止まない意識のあり方。


病になる時もそうだし、こうやってハイパーに人物情報が行き交う無意識の欲望に対して、


広く繋がっている宇宙意識から、「それで大丈夫?」って問われていても仕方のない状態な気がするんだよね。



もっと自分の身体、心、魂との繋がりを取り戻して


自分の中の神聖と繋がり直して。


 

スピ系でも何でもないけど、ヨガや占星術をかじって瞑想をする者として、開けて来る次元というのは、

 

全てはつながっている

 

という概念が、厳然たる事実でしかないという感覚。


 

人類全体が追うべき責任を見逃しているから、こうやって地球全体に波及する問題として届けられているように見えるのです。



問題の大きさを前に恐れで心を閉じる前に、誰かや何かのせいにする前に、諦める前に、


小さな事ならできる事が沢山あると気付く仲間が増えているように感じるのも、これまでにはなかった希望。


 

会いたい人に会えなくなるような世界を創ってしまったのは、私たち。


 

そんな悲しい世界じゃなくて、もっと丁寧で優しい世界を創ることができるのも、私たちしかいないということだよね?



インドの人々を知る毎に、被害者意識や犠牲者精神が少なく、どんな境遇でも強く明るく生きる姿が希望のごとく眩しく目に映る。

そんな希望を探しに、人の生き方の真実を探しに、まだまだインドを旅してみたいのです。


 


今までも目に入らない世界の片隅で、私たちが発展するために犠牲になった心が沢山あって、その人たちの身になって共感出来るようになるために、この隔離も孤独も訪れたのかもしれない。



本当に1つの共同体としての地球をみんなで守ることが出来るのか、目覚めなさいと言われているんじゃないかな。


 

同時に、物理的に会う事が出来なくても、心で繋がり恊働できる人類の精神性の高さも日々実感できる時代。

 


インドにいても、日本にいても、世界のどこにいても


この最善の現実を学びに換える作業は

どの人にも等しく降り注ぐ恩恵に思える。

 

 

なので。

 

(インドにいてラッキーね、私も早く行きたいわ)


って言われる度に微妙ーな気持ちになっていた私ですが、笑

 

それはそれでその人の学びがあるんだな

私の学びだってここにあるしな、、、

 


と思って日常を何とか送っている感じでもあります。笑笑


 

残る2021年も大切に生きて


来たる2022年に備えて行きたいものです。

 

今回のラジャスタンの旅で「再会」したタペストリー。忘れていた子供心が蘇る旅でした✨


お店も覗いてみて下さい💕
ラジャスタンの刺繍バッグが入荷しています👝

 

 天然素材のインド服 tinyuri.india 


 

さ、刺さった(良い意味で)ので、

シェアさせていただきます😍



「仕事術」のような、小手先のことじゃなくて、

こういう事なのかもしれないと、薄々気がついていたけど、いつも反対に我を張って生きる癖が抜けない。。。

そんな人、他にもいるのかな?



いたら、見守っててほしい。😄

この頑固な我を生きながら

でも一歩ずつ、分かち合いと癒やしの道を進んで行けること。

何かもう、何かを傷つけたり傷つけられたりしながら得る物なんて

答えじゃないのが分かるから。


大きく懐の広い世界では

違う価値観や智慧があって、

そちらを学んで別の価値観を実現するためには、

コワイもキタナイもダサイもキライも、

我を張ったジャッジメントは不要なのに。

一番やりたい事が
一番怖くて難しいなんて、

本当にこの宇宙はうまくできているなっってね。

そうやって、一人ひとりが「人には分かってもらえなさそうな笑」魂の望みへと踏み出す度に、

このグローバルネット社会に相応しく同時多発的に

みんなが癒やされて行く気さえする。

ここ数年で本当に多様性と共生が加速しているし。

(個人的には私のコロナ前最後の日本研修の高校生たちの構成は、目くるめくレインボーチャイルド系だった。世代?

ビーガンやゲイ、ノンバイナリーと自覚して選択した彼らは、人種もバラバラ。でも本当にお互いの違いを超えて助け合って成長して行ったんだよね。

人類ってこうなれるんだって、いう実際の姿を彼らの世代に見せてもらいました。)


癒やしが必要だよね
今のチキュウには。

大丈夫、

私たちの次世代の子どもたちも

良い変化を抱いて生まれて来てくれています。笑



明るい方へ、日々いっ歩ずつ。



ちょくちょく、心の世界や目に見えない力のハナシを書いて来たこのブログ。

 

世界の変化に勝手に心身がついて行こうとするような、最近の宇宙波を浴び続ける中、私の周りの人たちの多くも脱皮の時期を迎えているようで。。


 

衝撃の現実に揺られ続けて、書き留めるタイミングが掴めずにいました。



人生色々あるよねー。



去る21日、アラフィフ圏突入を果たしました。デリバリーのカライチキンと冷えたスーラで甘やかされるの図。笑

 

 

秋分開け、水星逆行開始、木星せんせい達も逆行中?ヘヴィーや。笑

 

容易には表現出来ないほど、今まで抑圧されて(して)いたエネルギーが解放に向かっている流れなんじゃないかな?

 

 

私もちょっと前からオンラインストアを始めて、以前の意志とは真逆なことに気が付くと


「インドに根付く」という選択をする方向で、自分を表現し始めている。



びっくりだし、怖いっす。笑


 

かたや日本の家族を含め、日本や世界各地にいる友人たちも、病気や事故、ライフステージの変化、事業のオンライン化、ネットワーク作り(発信)などなど、それぞれが変化の渦の中にいるように見えて。


同じ流れにいるんだなって。



 

このブログは私が会社を辞めてヨガをしにインドに来た6年前、夫に出会い一緒になると無謀な決断をし、

 

案の定(笑) 違いすぎるお互いの生活習慣や価値観のカベに直面し、

さらに双方の親類縁者を混乱の渦に陥し入れて騒動を生みながら (爆)、ホフク前進(書けない)していた私を、

 

ずーっと支えてくれた場所。

 


私がもう2度と

自分自身を見捨てないようにと、


自分とした約束を鏡写しにしたように


気づくと誰かが読んでくれていて、誰かが応援してくれた場所。


 

訪れて下さる方の中には、私とリンクしている友人たちのように、私みたいにこの宇宙波をモロに受けて不安になる人もいるのかな?



そう思い、今日は気まぐれに書き留める事にします。



tinyuri.indiaをわざわざ見つけて下さり、ご注文いただいた方々に感謝を込めて、可愛いインドのお土産を添えさせて頂いてます🌼✨



 

何だか、不安で仕方ない。

 

 

「だって、新しい事をやっているから」

「慣れない事に挑戦しているから」

「自分を表現しようとしてるから」

「新しい道を行こうとしているから」

「知らなかった世界を見てしまったから」

 

不安なのも戸惑うのも、自然なことなんだよね。

 

 

でも不安を正面で受け止めてたら、心身によろしくない。私は今月また繊維筋痛症のような全身痛が出たり発熱したり。


真正面で受けすぎ。笑

 


足りない物に目を向けて解決しようとしても、

そっちの底なし沼は全然楽しくないなぁと。。


改めて節々で実感。笑


 

やっぱり相当マジメで堅気な環境に、ある意味浸かって守られて育ってしまったから。荒っぽいインドの下町にも無理して「順応しよう」としたりしてた。

 


騒音や騒動にいつも影響されるし。

(昨夜も外で酔っ払いの大喧嘩。やれやれっす)

 

 

「自分以外のものになろうとする」ということを

選ばさるを得ない瞬間の積み重ねもある。

 

海外移住や国際結婚、身体も痛くもなるわね。笑



画像越しのインドの風景は魅力的だけど、移住6年目でまだ全身痛。事件や騒動は日常茶飯事に降り注ぎます😱


 

まぁでも、中高生の伸び盛りの身体痛のように、たまにするヨガの次の日のびっくりする様な筋肉痛みたいに、恐れる必要のない痛み(症状)ってあると思う。


 

〜なったらどうしよう?


 

という予期不安は、実際には起きていない事。

 

どんなにネガティブな気持ちになって腐ってても、魂はやりたい事を放棄できる訳じゃないんだよね。

 

魂はけっこう頑固(と言うか、出生図に書かれちゃってる)

 

 

魂の望みを通すことが出来なかった傷というのは、深いよね。


以前からトラウマについて書いているけど、一筋縄では解けない、何生にも渡るカルマなのかもしれないと思う。だからこそ、その扉を開ける必要があって。

 


現代日本に育った私たちには、神さまもいてくれず、易学も一般的ではなく、目に見えない物を見る科学がないなんて、魂を生きる作業はとてもしんどい気がする。

 


目に見えない力は

幸いもうタブー感は薄れて来ていて


スピとか宇宙とか言われたりするけど


太古の昔から使われててきたもの。


ヨガもプラナヤーマも瞑想もレイキも

神道のご神託(これは知識ゼロ)も多分



無条件に

降り注ぐ宇宙エネルギーと

繋がる術が受け継がれて来た。



先回りして安全策を取る様な日本気質に疲れ果てた時、強烈にヨガに呼ばれたのは、


私がエネルギー不足の生き方だったからだと思う。




この溶け文字のパイナポーケーキの奥深い美味しさを理解した時、先入観やジャッジメントから解放された。笑
(嵐の中バイクで抱えて帰って来てくれたら何だって嬉しいのもある😆)



 

夫は、頭で理解している訳ではないけど

無条件で宇宙エネルギーの恩恵を受けている。


そんな人なのだ。

 

 

お金がなくても楽しんで良い、仕事がなくても笑っていて良い、好きな娘にフラレて自殺未遂をしても、退院した次の週は立ち直っても良い、etc。


(そう言えば最近村では義母が新しく水牛を飼い始めました。子ウシも生まれちゃったー。)



私の狭く苦しい常識をどこまでも軽々と

高飛びして行くインドの親戚ご一行さまのおかげか、

 

 

新しくお店を始めて不安が募る夜?とかを過ごしながらも私、


心の拠り所はやっぱりインドなのかもなって。笑

 

(コワイ・キタナイ言いながらも。笑)



前みたいにマジメ一辺倒に成果を追いかけて努力するのも素晴らしいけど、


無理して自虐をする必要はなくて。

(平日の公園でゴロ寝して仕事をサボるインド人の多さを見ていると、自分がサイコ野郎に思える時もあり)



あまり周りに合わせていても

自生する力は枯れてしまうのだけど。

 

成果ばかり求めても、二番煎じの幸せでしかないことに気付いたのかも。

 


好きにすればいいんだよね、恐れずに、ひるますに。

 

目の前のことに納得しつつ、私の魂の呼ぶ方へ。


何もなぁく見えて怖くても

目には見えない愛のある方へ。

 

 

いつも孤独だ帰国困難だとブツブツ言う割には私、会えなくても、はたまた会話さえしなくても、リモートでも下町でも強力なエネルギーで繋がってくれている沢山の人たちに支えられている。

 

(大家さん一家も最近一切来なくなったけど、会うとニコっと遠巻きに応援してくれてるのを感じる。ま、彼らも最近忙しそうだけど。)

 


もし、何の計画も保障も持てない時があっても

 

お互いを信じて支え合って成長出来る道筋を

手探りで辿って行けば

まだ見た事のない景色が見られる気がする。


インドでの年月を振り返ると、

何もないのに全てがあったことに改めて驚かされる。


どんな不安もその実感を覆い隠すことはできないんじゃないかな。


これからも

 

愛のある方へ、一歩ずつ。


ですね😊



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すごい熱量を受けて、シェアしてみます。


理屈で考えるのはもうかなり辛いので、


感覚的に解るようになるのはいつなんだろう?


と、


待ち遠しいような

待ちきれないような



でも、グッとそこを堪えて、笑


せめて、恐れや焦りに負けないくらいに、


そのままの自分を受け入れることが出来たら


毎日、ひとつずつ、どんな選択をして


どんな未来を自由に選んで


どんな世界を見ていたいだろう?






昔ながらのインドの手仕事で作られた
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色々な事があったこの半月。

 

その中でも私たちの小さなお店を見つけてくれて、ご縁をいただいたのは一番嬉しかったこと。

 

そしてようやく今インドは少し穏やかさが戻りそうな状況。町の夕暮れ時にも賑やかさが戻ってきていた。

 

 

子どもたちが路上や屋上で遊ぶ声が響く。待ち望んでいた夕暮れ時のこの感じ。
 
市民の憩いの公園スクナ・レイクにも活気が。マスクなしの人は罰金徴収されます。。😷💧
 

 

 

新たな挑戦は楽しさもドキドキも大きくて、たまに気持ちが追いつかなかったり😅

 

でもインド綿のワンピースがお気に入りになりました〜✨と言ってくださるお客さまの一声で、また勇気百倍になる。

 

自分のお仕事で一喜一憂出来るなんて、本当に夢にまで見た幸せ。笑

 

 

 

そんな中、このところ耳にする近況は、やはり大変そうだったり、更にはどう声をかけて良いのか分からない程の試練だったり。

 

色々な形で多くの人に変化が訪れているような気がしている。

 

日本に帰れない今、私には何もする事が出来ないのが辛くもあり。。

 

。。。。

 

なんて、いても大して役に立たない私。笑

 

 

一緒にいる夫にさえ小言しか出ないのに。占星術や心理学を混じえて、

 

(真剣に←ウザい)良かれと思って言う事は、きっと身内に言われたくない内容ばかりだろうしね。

 

 

一体、どこなんだろう

 

お節介と良心の境目は。笑

 

 

自分の利得が混じると、まぁマズイ。

 

誰にでもある他人さまの不完全さを捕まえて自分のストレス発散するのは、醜悪です。気を付けよっと。

 

 

ひっそりと咲く雨季の花々を見に行きたくなる。
 

 

 

でも。ブログには書けない内容の中間テストの結果?が出てるインドの親戚もいて、

 

あまりの事態に、(関係ないのに)インドに嫁いだ自分を思わず責めたくなった。あんまりなので。泣

(警察沙汰をもみ消した感じ?)

 

こんなの見るためにインドに来たのかな私?って。

 

(冷静さを欠くと思考も歪む)

 

 

そしてついこの前も、近しい人が入院すると聞いてザワザワ。

 

さらに手術する人のことも聞いて、息が苦しくなっていた。

 

 

何か、出来たんじゃないかとか。。。

 

 

でもそんなのは半分偽善、自己否定のカモフラージュで、ザワザワなんてせずにサラっと望まれる事を提供出来ればいいのになーと、心配と不安の中で思っていた。

 

 

インド占星術でも一人一人の星図がそれぞれ異なる色を放つように、

(同じ場所で生まれた双子でも異なる)

 

 

その人にはその人なりの歩むべき茨の道があって、

 

もしまた私がそんな荒野を行く順番が来た時にだって、

 

その道を諦めて楽な方へ「救い出して」もらう事は決して本望ではないのだから。

 

 

 

体調を崩してしまった事の経緯を想像すると、勝手な感情移入で涙が出て。

 

でもそんな涙は、見られたもんじゃないね。

 

本人は健康を取り戻す闘いに勇気を出して挑もうとしている。

 

 

この不自由なご時世で、会うことの叶わなくなった多くの人が、こんな思いをしてるんだろうか。

 

一つ一つの日常の出来事さえ、まるで近しかった人たちとの絆を試される試練のように感じたり。

 

 

お互い会えないからこそ、みんなが大変だからこそ

 

相手目線にチューニングして、思いやりを忘れたくなかったけど、

 

募る寂しさや心細さの中で、どうしても流れる涙の中で祈ることしか出来ない時もある。

 

会えなくなって試練を超えて、それぞれの体験の中で考えも変わったり、

 

すれ違う人も増えてしまったような、絆も切れてしまいそうで、寂しいけれど。

 

再び繋がれる日を思い描いてどうしようもない夜を越えて行く。もっと良い友人や家族になりたいだなんて、初めて反省したのかもしれない。

 

新たに出会う絆を心に温めながら。

 

 

曇りの空にも雨の空にも、健気に顔を上げている花々。

 

 

この中間テスト後の世界は、たくさんの真実が繋がって行くだろうと思うのと、

 

自分でも気がついていなかった見栄や欺瞞や不誠実、偽善も

 

一つ一つ

 

浮かび上がって昇華されるんだろうな

 

 

何だか内側からオロオロ揺さぶられる自分を感じている。

 

 

良かれと思って強く言って来たことが

愛じゃなくて押し付けだったり

 

助けてあげたいなんて上から見ていた相手が、

 

助けられる一線を超えた向こう側に行ってしまったり。

 

この人生をどう生きるのかは

本人が無意識でも決めて来ていること。

 

 

どう尊重してどう関わるのか。

私が決められるのはそれだけ。

 

 

どん底に見えたって、見学旅行に行ってるだけの事もある。気が済むまで行って、見て、体験して何か掴んで、

 

帰って来るんだよ、きっと。笑

 

 

さぁ、ショックを受けてとか年甲斐もなくグズグズするのはやめて、

 

明日は、何か元気になってくれそうな物を日本に送りに行こう。

 

 

押し付けにならない程度に。笑

 

 

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自分のために「思い通りにしたい」という心の働きは、

 

きっと不安や心配に駆られたエゴの動きなんだろうなぁと思うのが、このところの内観。

 

エゴも身を守る為には必要な時もある。

 

だから排除するわけではないけど、一方で、感情に流されず俯瞰する自分がいた方が楽になれる。

 

 

 

今年、北インドのモンスーン季は酷暑続き。ようやく昨日からチャンディガールはパラリと雨、最高も35℃程度に。息が出来るー!と、涙もちょちょ切れる。

 

気候が「思い通りにならない」のは、北インドの下町に住む上で覚悟してた。しかしインド6年目の夏でも克服出来ず、すっかり夏バテ。仕事を代わってもらう夫に申し訳ないわ。。。あれ?でも、

 

夫は「任せとけ!」と嬉々としてる。そもそも夏バテの原因の半分は彼だ(夜中にファンもエアコンも全開にする。泣)。

 

「人に迷惑をかけてはいけない」という概念が元からない人々から学ぶ便利なヒンディー語は、

 

キャーカルサクテ = しょーがないっしょ。

 

(北海道弁に意訳)。

 

そもそも「克服しよう」としてた自分が、能率重視の小っちゃい征服者。克服なんてせずに昼寝でもしてれば良いのに。

 

 

お昼寝したくなるKilolのハンドブロックプリントクッションカバー、tinyuri indiaに入荷中です☺😪☀ 

 

 

 

 

 

仕事も日本式が抜けない私は、インドに早速やられかけた。インド人の「直ちに送ります」は一週間後。そして自信たっぷりに「完璧な製品」と言い切る商品は縫い目が解けている。期待レベルが高すぎた私のエゴ君のお勉強タイム。

 

 

外出の度に熱中症っぽいのは次の日回復するけど、この夏バテは1、2週間は続いた。胃を中心に内臓が熱っぽくなり、身体の表面は冷房で冷える悪循環。気分も頭も冴えず、朝起きると全身痛。

 

デスクワークのピークと重なり運動は出来ず、アイスコーヒーで頭を動かしていたので冷えない筈はない。寝室以外は気温40℃越えで、冷房(29℃設定)をオフにするどころではなかった。

 

暑い季節はまだまだ続くので、出来る事から工夫して改善して行こう〜。

 

 

お世話になってるお茶たち🍵トゥルシー(ホーリーバジル)の温かいお茶は夏の冷えにも効く気がする。プラナヤーマも内蔵の熱を逃がすよね😗

 

 

 

涼しい今朝はようやく台所の掃除。砂嵐で入って来たホコリと格闘し、湿気る前にスパイス類を天日干し。

 

ふとお向かいを見ると、コロナ前に生まれた女の子がベランダのパパに向かってパタパタ走って来た。手にズボンを持って来て、パパにはかせてもらうところ。

 

微笑ましい。

 

 

お向かいのアパートの住人たちは、ザ・インド式の共同生活を楽しんでる感じ。主に若い夫婦が入居していて、ベランダ(各階の外側にぐるりと配置。「ギャラリー」と呼び、共有スペースの認識)では、

 

どこの家の子も一緒になって思い切り遊び、お母さんたちはお洗濯干しながら井戸端会議、お父さんたちは朝から情報交換(チャイを飲んだり、新聞読んだり、爪を切ったり、たまに飲み会?)、お父さんたちも皆で子どもたちとよく遊んでいる。

 

そんな光景が羨ましく見えるのは、私自身はそんな生活を諦めたからだったりもする。最初の頃は大家さんに悩みを聞いてもらったり、お隣からお裾分けをもらったり、ヒンディー語を教わろうとしたり。純粋に助け合って暮らしたかったけど。

 

価値観の違いから行き違いや衝突もあり、インド式の濃ゆい共同生活への憧れは遠いて今に至る。異国のど真ん中でゼロから生活を築くには軸が甘かった私。色々助けてもらえた学生の頃の留学生活と違って、もう自分の軸を据える時期。

 

 

この場所では、私が自分の「思い通りに」しようとすればする程、全く違うやり方の周囲とは衝突が増える気がして憂鬱でもある。彼らのやり方も心から美しいと思う自分もいる。ただ、ウチではインド式は無理。理解されず寂しくても、曖昧にしてはいけない事がある。

 

これもエゴなのかな?

まるでまだ生存競争の真っ只中。笑

 

日本に居た頃の私はきっと「レベル低いな」って呟くね。今ここの私は悔し紛れに、何でもあって当たり前のあの頃よりは、感謝の心を知りましたって言い返す。過去の自分との変な妄想劇。

 

 

雨が降るか降らないかの境い目の時って、暑すぎるー💦

 

 

「思い通りに」ならないのは、私と結婚した夫もそうだろう。私たちは2人とも子供好きだけど、30にもならないのに自分の子を育てる未来を諦める夫の気持ちを想像するのは「罪悪感しかない。。」 ←と、思い込んでいた私。でも想像を越えて来るのがこの国の人々(言い方)。

 

「僕が「ウチの子」になるから大丈夫」

 

って言ったよね。斬新か。

 

それ私が大丈夫じゃないやつだから。笑

 

 

近所や親戚の子たちを見てるだけで心は満たされるので、まぁ仕方ないという結論。最近は住まいについても、新たに建てたり所有する必要なくない?という話になる。

 

夫のような村出身者がサービス業の月給でこの地方都市に新築する道は、はっきり言ってエグい。

 

それをした夫の義兄①や同僚たちも決して倫理的ではないし(経理から抜いてるって)。それにお義母さん、息子のために村に新築してくれたしね。

 

何もかも「思い通りに揃えたい」という気持ちは、私にはずっと分からないのかも。

 

でも義兄の子供たちがとーっても素直で賢く育ってるのは、彼がどんな手を使ってでも子供たちに十分与え続けてきた恩恵でもある。愛の力は、偉大。

 

 

そんな愛とエゴ溢れるインドの親戚を見て、ふと思うのは笑、


私たちだって(先進国)で何不自由なく暮らしていた陰で、他から奪っている事実もあるだろうと言うこと。

 

愛する人を守り幸せにする為に、「思い通りに」生きられるようにと、どんどん生活は便利に快適になって行ったけど。

 

 

「酷暑には冷製パスタよ🍅」とドヤ顔で作り始めたら、停電&断水した。ホカホカです😆
 
 

 

世界中の果物や魚や肉や食品が探せば1年中手に入り、最新のスィーツも受賞したワインも流行りの服も珍しい宝石も最先端の美容や医療も、「物質」なら望めば入手可能な世界。改めて振り返ると、ここインドとは別世界。。

 

 

でもこれからは「物」ばかりでなく心もグローバル化が進んで、きっとその「物」の旅して来た背景がもっと明らかになるだろう。そして、不当な略奪や搾取、犠牲が私たちの目に見えるようになれば放って置けないのが人情だと信じたい。

 

わがまま放題、感謝も知らずに半生が過ぎた私は、もう誰かを犠牲にするのはご免なのだ。


「いかに安く必需品を買うか」に余念がなく、いつもマーケットで必死で値切り続ける我が夫にも、試しに「安く買うことより大切なことってあるよね?」と言ってみるけど、最初は意味不明だったよう。自分の経験したことのない価値観って、誰しも腑に落ちにくいものだよね。

 

 

昨日見た Deepak Chopra氏のインタビューで「瞑想」や「本質的な現実の認識」について、彼はこう言っていた。

 

一旦体験してしまったら、

それはもう受胎した人間のように

生まれ出る以外の選択肢はないのです

 

と。

 

(ヒトは生まれない場合もあるけど、そのエネルギーは次に繋がって行く)

 

百聞は一見にしかず。

 

 

外部から眺めると日本や先進国は本当に別次元に見えてくるし、それで大丈夫なの?って危うくも感じる。インドも追従してるけど、消費して開発して汚染してもっと消費してたら、果てしないよなーって。

 

 

Deepak Chopra on How to be more present and not be overwhelmed with life 2021 

 昨日見たインタビュー(長いけど)。お硬い哲学者と思いきや、かなり先駆的で柔軟、自分を実験台に人生を楽しんでいるチョプラ氏に共感。

 

 

フェアトレード、サステナビリティーやヴィーガニズム等はただの流行りの横文字じゃなく、人類が共に愛に目覚めて行く過程だとも思う。

 

 

目の前の物の値段や、直接自分にもたらされる利得は、実は同じ地球上の多くの人たちの様々な人生の物語りを紡ぎながら私たちに届けられている。


それが幸せな物語りであってほしいと願うのは、おこがましいことだろうか。

 

 

時に「思い通りに」行かない。。と悩むことでも、今その主張を無理に通さなくてもその品を買い求めなくても、他にめぐりめぐって行く恩恵もあるのだと思うと、少し気が楽になる。

 

消費の仕方を少し変えるだけで、同じ地球の誰かが笑顔になるかもしれないと妄想したり。

 

 

悟りを開いた人は、今目の前のこの現実が常に最善であることに気が付いていると言う。

 

私はまだ自分の価値観や境界線を、感情的に必死に守って戦ってしまう。それが今の「最大の教え」であり、思い通りに行かないことこそ、実は最短最善のメッセージ。

 

 

そう言えば13日は金星と火星のコンジャンクションだった。インド占星術では蟹座での合。暑さもご近所トラブルも夏バテも台所の水漏れも、ま、そういう事!にしておきたくなる私。笑

 

エゴや欲望のままに我を張らなくても、この宇宙の風向きをゆるりと楽しめる人になりたいなと、最近は思うのです。

 

 

南インドから届いたばかりのハンドメイドワンピースがイチ押しです👗✨お店もぜひ見てみて下さいねー🙏💕
 

 

 

おまけ。SK Ⅱの映像作品を友人がシェアしてたのでペタ。桃井さんの「思い通りにならなくても…」ってナレーション、シンクロしたかも〜♪


 それぞれのスタジアム 


 

インド綿のオンラインストア tinyuri india をオープンさせて1週間が経ちました〜!

 

わざわざ日本から見つけていただいて、早速ご注文もいただき、それぞれ感想をいただく機会があったりと、ありがたい事ばかり。

 

ブログ読者さんにも温かいお言葉をいただいて、沢山の勇気をもらいました〜!あっと言う間の一週間。こんな幸せはいつぶりだろう?

 

まだ商品は到着していませんが(およそ12日間かかってます)、インドで孤独にロックダウンしてた私の小さな思いが、少しでも何かに繋がりつつあることの信じがたい奇跡。。

 

感謝を通り越して、感無量です。涙

 

ゆっくりではありますが、大好きなインドの身体に優しい素材、優しさ溢れる可愛らしい色や柄、尊敬する職人技の作品をご紹介して行きます。

 

どうぞよろしくお願いします♪

 

 

🌼天然素材のインド服🌼

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(前回の予告より日程が遅くなりごめんなさい!日曜日決定です🙏)

 

 

さて、私が最近インドで「幸せ」を感じたことのお話。

 

ようやくここ最近、シビアだったコロナ不安から解放されつつあるインド。私も、(も、もう、笑っても...大丈夫。。。?)←って心境になっていて。笑

 

この1年、外出はほぼ完全防備で止むを得ない時のみ。帰国はおろか、日本からの航空小包も停止、さらにインディアポストも国際送付停止、何の楽しみもなく淡々とするべき事をこなすなんて、

 

四面楚歌ってコレのこと?

 

と、まさにそんな顔😲して生き延びてた。(でも探しても自分の写真が殆どない。。)

 

 

でも先日、クスクス笑いが止まらない出来事が。それは猛暑の出先で休憩に入ったカフェでの事。

 

まず入り口で背後から「ディーディー(お姉さん)」の声がした。よくいる物乞いの子だなーと思いつつ、お店の警備員さんに促され、検温と手指の消毒をして入店。

 

いつもの席に落ち着いてメニューを見ていると、横で気配が。。チラリと見ると、さっき声をかけて来たと思われる10才くらいの2人組、大きな窓に張り付いてじーっとこっちを見つめてる。。。し、視線が痛っ!笑

 

さすがにそんな光景を見るのは初めてで、そもそも店員さんに怒られるのでは?と目を合わせると、2人でパントマイムショーのように、ダンスな動きを交えて大げさに手で口に食べ物を運ぶ動作。

 

必死のパフォーマンスが可愛すぎ、こんなに頑張ってるのなら何かあげなきゃと、ちょうど来る前に屋台で買った私の大好物、エッグロールがバッグにあるのを思い出し(ポッシュなカフェに持ち込んじゃダメな奴w)まだホカホカのそれを、入り口を開けてサっと手渡した。

 

受け取りながら、スラっとしたポニーテールのお姉ちゃん「ええ〜。20ルピーで良いからお金が欲しいのに〜」と甘え顔。

 

しかし私はむやみに現金をあげない人。「このロール美味しいよ〜」とスルー。すると更に「えぇ〜〜」という顔で、2人してもう3分くらいウインドーに顔を貼り付けて来た女の子たち。

 

何かもう、可愛いやら可笑しいやら。

 

その後案の定店員さんに見つかり、でも優し気な店員さんは怒らず「帰った方が良いよ〜」と諭したようで、2人は去って行った。

 

何だろうこの感覚。。?と心のウキウキを辿ると、まるで昔日本の小学生に英語を教えていた時の感覚とソックリ!年齢も表情も仕草も。怒らない店員さんも、まるでインドじゃないみたい。

 

最近のインドの物乞いの子も、急に洗練されて来た?(お洒落してたしね)

 

こういうカフェに来る客の心情も心得ているのかもねー。

 

これがスーパーの前にいる子たちだと「可哀想でとても見てられない」風貌で、ザワザワさせられる。数年前までは私も、不自然に眠らされグッタリな赤子を抱えた少女たちを見た。でもそれだと私は逃げ出したくなるだけ。

 

「ウチの子風」には、みんな弱いよのねー。笑

(アイドルとかもそう?)

 

 

北インドでも商業コンプレックスでは、パンデミック後の空き店舗が目立つ。。💧

 

 

 

でもね

 

インドに少し住むと見えるのは、親類縁者、宗教施設、国の政策、民間団体などなど、インド社会として多くのバックアップが機能している(すべき)という事で、私の乏しいお金をバラまく必要など微塵もないという事。

 

スラム支援のNGOに勤めていた頃は、一番の悲劇は慢性的な貧困による事件、事故、病気、自死だということが、日々データで上がって来る。

 

(毎朝朝礼で「作日◯月◯日は△△地区で殺人1件、緊急入院4件、自死2件、流産2件、、、」等と共有する。汗)

 

そんな情報や現場に接すると、一過性の施しという刺激は(うさ晴らし)的な効果しかない可能性も大きいと知る。

 

 

同じコミュニティーの人間が側について継続的に関わり続ける、保健・教育・技術指導・職業支援など広範囲のような人道支援が最も必要とされている。

 

もちろん一時の寄付や気まぐれなイベントも多く、その度に寄付者に感謝する大々的な式典に付き合うので、支援団体が介入するスラムの住民は結構忙しい。笑

 

支援団体は数値目標を掲げて達成し、広報活動によって信頼と寄付を得る。収益がないと何も始まらない。どんな支援もギブ・アンド・テイクなのだなぁと、無知な私も学んだのでした。

 

 

2019年スラム支援のNGOにて。貴重な学びが盛り沢山の場所でした🙏✨

 

 

 

で、さっきの話に戻すと。

 

あの窓に張り付いていた2人の女の子から、私は「エッグロール」という物質を介して、「幸せ」という収益を得ていたんだなぁって。

 

無邪気でお茶目な彼女たちにホッコリし、顔に張り付いてた?四面楚歌が緩んだわけで。お金や物には代えがたい体験。

 

私にとって「幸せ」って

色々あるけど究極には

 

誰かとの心の交流なんだねー。

 

 

お金や物や、場や体験を通して、目に見えない「エネルギー」同士で繋がって、

お互いが、より高く大きな励ましを得るような、

 

気持ち良い上昇気流にスイスイ乗る感覚!

 

 

さっき絞り出して書いてみた↑難しい社会の仕組みに沿う事は置いておいて。笑

 

一緒にいる人たちと共鳴して、思いがけず優しい笑顔がこぼれるような、心がフワリとほころぶ瞬間。

 

もっともっと、そんな幸せを感じても良いんじゃないかって。

 

そう思える分だけ、私の心もインド社会と一緒に少しだけ余裕を取り戻していると信じたい!笑

 

社会と関わり仕事をする喜びも、そんな幸せをもっと増やして循環させることにある。

 

 

先日、日本に嫁いで行った子。沢山の幸せを運んでくれそうな美しい作品でした✨

 

 

しかーし。

 

今、そんな素敵な幸せの発見とは相反する困り事がアパートのお隣りさんとの間で起きていて。(前のブログにも書いた件)

 

私の究極の「幸せ」が心の交流なら

どう頑張ってもそれが出来ない世界を

私は最も「不幸せ」と感じてしまう。

 

 

挨拶も、アイコンタクトも、名前も覚えてもらえないまま、こっちの敷地だけ利用されたくないと、心が猛烈に抵抗してしまう。

 

寂しいんだねー、私。笑

 

この前から止めてもらおうと何度か話しかけたけど、何度言っても分かってくれないものだから、

 

(どうやったら分かってくれる?)と頭をひねり続けた結果、出てきた言葉は

 

「あなた、私の友達になって!」

 

だった。笑笑笑

 

「私の友達になってくれたら、いつ来ても良いから」と。

 

 

でも「私も、あなたの部屋に招待してくれる?」と聞いたら、終始無言で動じない彼女、何も言わずに後ずさりしてお部屋に戻って行かれました。

 

ダメだったかー。笑

 

境界線の曖昧なインド下町のアパートに、プライバシーが基本の外国人が住むことの難しさ。。そして、お友達にはなれないらしい。笑

 

 

そんな摩擦?が毎日ありながらも、もう本音を隠すのだけはやめようと思っていて。言いたいことはすぐ言ってまう。汗

 

 

近しい人とは心で繋がりたい、そうでない人ともその一線や違いを尊重したい。文化が違っても心ある同じ人間だもんね。嫌な事や不当な事も、こちらが主張し続けることで、いつか何かは伝わるかもしれない。

 

 

アンガーマネジメントとしても、瞑想、ヨガ、呼吸法、やってて良かったなって思ったのです。

 

 

 

朝の公園にて撮影中。モンスーン季なのに雨が降らず蒸し暑い💦咲き誇る南国の花々に力をもらいます🌺✨
 
 
 
 

昨日はいつぶり?か定かではない、一人きりでのお出かけ。冬以来かな。。汗

 

恐怖のインド第二波が去ってからは初。この前まで閉まっていたお店に入る度、絵も言われぬ「あぁ〜〜。みんな元気そうで本当ーに良かった。。」とプチ感動の波が。涙もろい。笑

 

いつもはキレる「もうお皿下げて良い?」とインドなタイミングで聞いてくるボーイさんにも、笑顔で「まだ♡」って言えた。この感覚が続きます様に。。

 

 

数カ月ぶりのカプチーノ💕を、秒で下げようとしないで。笑

 

 

以前は無言?な店員さんも、お客さんが戻って来て嬉しいのか、何と初めて!話しかけてくれた(前は接客してもらえてなかった?w)。

 

店「あなたどこの方なの?」

 

私「。。日本です。」

 

店「ええーー!(ガーン顔)そ、そうなの?!」

 

私「はい。。(そんなに驚く!笑)」

 

店「日本の方だったんですね!じゃあこれ見て下さい、コレ!私のセンセイです!」

 

と、おもむろに自分のバッグから本を取り出して見せてくれる。

 

店「あなたこの池田センセイを知ってますか?私の先生なんです。」

 

私「??(いっぱいいるがな)あ、あのー、科学者の?※単にホンマでっか好き」

 

店「いいえ、この写真の方です(本のページを指さして)!有名な仏教の先生でしょう?」

 

ゴメーン、知りませんでした泣。でもこんな風に日本人が話題になる事なんて、こっちではめったにないので嬉しい!

 

 

私「インドにも日本の仏教を信仰してる人がいるの?」と聞くと、

 

店「いるわよ。チャンディガール近辺でも2〜3千人くらいは。」

 

そ、それはスゴい。何より私が日本人と知ってそんなに驚いてくれるほど、日本を尊敬してくれている人がいるなんて!泣泣

 

ほぼ2年帰国できずロックダウンで自粛続きだったけど、ふと何か大切なライフラインがつながったような安堵感。この街のインドの人の心に「日本」がいてくれた。。泣

 

 

普段は愛想なく見えても、話してみなければ分からないもの!北インドはまだまだ奥が深い、深すぎるー!

 

 

このモンスーンの時期の晴れ間は、最高に蒸し暑い。花々も野性味を増す🌺

 

 

 

ま、そんな美談ばかりではなく、先週日曜は公園のジューススタンドのお兄さんにジロ見されてね。。

 

「何を見てるんですかアナタ(キャーデクレへホ、アープ?)」って聞いたら、もっとジーーローー見て来たよ。3回言ったら3回ともジロ見で返して来たジロウ君、キモーーイ!

 

さすがに隣にいた夫が小声で「それ以上見たらビンタ張るけど良ーい?」って言ったら、一瞬で所在無さ気にうつむきよった、ジロウ。一生うつむいとけ!

 

ジュースは美味かったけどな。笑

 

 

まだまだ私のインド修行は続く模様。。ところでインド女性には、どんな理由で誰にどれだけ見られようが、絶対に反応しない心得があるのです。忍法「見られても常に平常心」の術。鍛錬が違うわ。必ず仲間と行動するしね。

 

 

と、家から一歩外に出れば必ず何らかの「嫌なこと①②③。。」が待ち受けているのがインドの地方都市。だからここにずっと住む気はサラサラなかった。

 

でも4年目にして立ちはだかった大きな壁は、もがいて逃れられる類いの物ではない気がしたよね。

 

苦手な事にも心をこじ開けて、正面から向き合うチャンスを与えてくれたんだと思う。

 

 

そう。久々の外出では小さな「良かったこと①②③。。」が身に沁みて無限大にありがたく感じたし、そっちにフォーカスしていればジロウ君は割とどうでも良い。これまで小さく諦めてばかりいた自分の中のポジティブが、少しだけ逆転を始めたような。笑

 

 

この前の月蝕、日蝕から夏至そして満月への流れは、

 

問題が浮上してはその問題意識を解除し続けて、心身共に身悶えながらほふく前進する様な歩み。

 

昨日の満月と同時にようやく現実が動きました。

 

 

それは今週、ずーっと以前から構想し続けて来た夢を一歩前進させ、「天然素材のインド雑貨のオンラインストア」をオープンすることが出来たこと!

 

あちらこちらに散らばっていた色々な思いのカケラが、自分の中で1つになった気がします。

 

 

tinyuri.india (tinyuri.thebase.in)では、手仕事で作られたインド綿のハンドブロックプリント・ワンピースを中心にご紹介中。

 

 

日本なのかインドなのか、心定まらずに暮らして来たこの数年。。

 

インドにいて日本を思わない日は1日もなく、インドでも「日本人」として私に何が出来るのか模索する日々。

 

カルチャーショックを乗り越えようやく見つけた大好きなインドは、手仕事伝統を現代に受け継いでいる貴重さと、にわかには理解し難かったインド式スロウライフの可能性でした。

 

インドに来た事が一度もなくても、インド雑貨が身近にある人は先進国では多くいる(私の友人に多し)。

 

それだけインドの物づくりは世界に浸透していて(植民地化以前から)、私たちの着物文化の源流でもある。

 

私も子供の頃は母が集めたインドの布がベッドカバー、居間の壁のサリーの女性の銅版画を見て育ったし。←変?

 

 

 

インドの人がチャーイを飲みながら、素朴な場所で人間らしく笑ったり怒ったり?、泥や草やお日さまの光を利用して超スロウに作る布に、温もりがない訳がない。

 

生きるエネルギーが満ちているモノは、側にいるだけで私たちの心を温めてくれると信じているのです。

 

(あるいは、目を覚ましてくれる。笑)

 

 

お洗濯の度に手洗いしなければ色移りしてしまう草木染めや、一着一着、木版プリントの濃さも違えば滲み擦れかすれがあり、同じ製品は1つもないという「面倒くささ」さえ笑、唯一無二のアート作品のようで無限の面白味を感じてしまう。

 

人間らしさ。自然の恵み。宇宙の采配。

 

面倒くささの宝石箱。笑


でも手間ひまかかって面倒なほど、そこには愛が込もっている。

 


作り手の多くは庶民であり、時に社会的に低い位置づけであることも。女性たちが性差を越えて自立するための手段としての手工芸をサポートする組織等も増えている。

 

少しずつ、日本などの先進国に輸出される製品も「安い布」→「伝統工芸作品」としての認識が高まっている。

 

オープンしたばかりの私のお店はまだ、お店やサポート団体から購入させてもらった物。でもいずれは産地に足を運んで、少しでも作り方や生き方を学んでみたいという思いがあります。

 

そして伝統や手工芸が風前の灯し火になっている私の夫の村や、今住むこのチャンディガールで出来る事が見つかれば最高。。

 

 

40過ぎて1人インドに来て、旅に出て恋をして、小さな村で結婚式をして笑。でも知らない世界に流されそうでいつも怖くて。。

 

そして大切な存在を失って、どうしてもどうしても立ち上がれなかった長かった年月。ようやく立ち上がる理由が出来ました。

 

 

来週は藍染めブロックプリントの新作、そしてAnokhiの新作も入荷します。

 

 

昔は2、3年で転職を繰り返して来た私。でもありがたい事に全てのスキルが役に立つ笑。そして生まれてからこれまで出会ってくれた全ての人たちが、バラバラだった私の欠片を1つに繋げてくれた感覚。

 

何気なくてもあの時一緒にいられたこと、それぞれの世界を私に開いて見せてくれたこと、それが奇跡のように繋がった場所が、今ここ私でもあるから。

 

だからこのお店も、いつも誰かのお役に立てる場所にして行きたいなー。超スロウな歩みでも。笑

 

 

と言うことで笑。天然素材のインド服 「tinyuri (てぃにゅり) india」オープンしました!

 

来週は新作も入れますので、良かったら遊びに来てください♡

 

tinyuri india 天然素材のインド服店へはこちらから↓

 

 

 

さらに来週7月4日(日)は、「1日かぎりの☆10%OFFセール!☆」も開催いたしまーす!

 

定価はすべて「国際送料&税金」込みとなっていますよ。その定価からの10%OFFとさせていただきます。蒸し暑い夏を快適に楽しむためのワンピースやストール、インテリア商品があります。

 

tinyuriのインスタも日々新作などアップしてます。ぜひチェッックしてみて下さい♡

 

インスタアカウント↓

@tinyuri.india

 

 

すっかり開店のお知らせ一色に笑。これから皆さまと緒に tinyuriを成長させて行けたらと思いますので、ご意見ご感想お待ちしています。(皆さん、インドから欲しいものってありますか?)

 

これからも、どうぞよろしくお願いします♫

 

 
日本への商品の第一便が昨日インドを旅立ちました。無事に届きますように〜🙏✨

 

 

そういえば満月前、夫の家族からも嬉しいお知らせがあった!

 

幸せって、必要な時必要な人たちにちゃーんと訪れるんだなーって、

 

世界はよく出来てるなって。

 

許して受け入れて

また信じられる気がしたのです。

 

 

昨日辺りからモンスーンに入ったチャンディガール。

 

日本の関東も梅雨入りとか。季節の節目で雰囲気が変わる時期って、不思議と地球上どこに居ても連動してる感覚がある。

 

下町もようやく活気が戻りつつあり、表の話し声が賑やか。皆コロナ規制で大人しくして頑張ってたからねー。笑

 

 

でも今、外流しのリヤカー野菜売りの声がウルさ過ぎてヘッドホンを付けた。野菜オジさん、張り切ってる。笑。規制をユルめた途端に第二波の感染大爆発したインド、今回は油断しないでっ。

 

 

 

いつもガササと混ざっているだけのスパイスを並べてみた。かわいーー♡

 

 

ちなみに、どれ位野菜売りの呼び声が騒音かと言うと、オンラインで英語や日本語を教える機会を頂いても、毎回お断りした程。

 

夫もリモートワークだったけどね。会議を横で聞いてると参加者のマイクからは犬の吠え声、赤子のギャン泣き、お母さん「ご飯食べなー!」の声と、もう色々。

 

そんなこと参加者は誰も気にせず負けじと大声でディスカッション!逆境に強くもなるワケだ。。

 

。。が、そんなレッスン嫌です私。笑。

 

常に障害続きに思えるインド生活、去年から更に上がったハードルで心がフルイにかけられて、したい事したくない事はより明確になったかも。

 

 

理論上は可能だけど、もう出来ない事の数々。大企業の下請け会社の担当者さんの煮詰まった気分に合わせて翻訳を納品するのも、

 

時間枠で試験勉強に受かるための言語を教えるのも、よく考えると賛同できかねる?目的のために注文を受けるのも。

 

「自由」になることには不安は付き物けど、1つ1つ乗り越える度に学ぶことも大きい。

 

 

「近所の店が(規制で)閉まってた」と夫君、隣の州に歩いて1時間かけて買ってきてくれた初物ライチ。

 

 

夫とも追い追い共有して行きたい価値かも。先々週会社の要請でワクチンを受けてからの夫の様子は、多分普段通り。でも未知の副反応の懸念は消えないので、見守って行くつもり。

 

通常業務に戻りつつある今、繰り返しの毎日に少し気が重そう。日曜はひたすら休んで、今朝も起きがけの電話に「イエス、サー、プリーズ、、」と律儀に答えてた。

 

(実は超寝起き良いのに最近グズグズして見せるのは、甘え?笑)

 

 

健康で、毎日楽しく、好きな事を追求できる。

 

なんて、そんな自由は格段に低い環境だけど、1つでも欠けると心の曇りがすぐに見えて、夫には快晴の青空のように幸せでいて欲しいと願ってしまう。夫にも私の心の曇りは見えるのかな?

 

 

いつも私の笑顔が見たいと、不思議なくらい頑張ってくれている。

 

好きにさせてもらって、感謝しかないのにね。笑

 

 

 

私は「インドでは大変な事ばかり」を言い訳にいつも、

 

臨戦態勢、疑心暗鬼、お先真っ暗、インド訳わからん!

 

という心境でいることを、自ら許して来てしまった。現状はどうあれ、どこにいたって未来を知る事が不可能なのに違いはない。不安でいることを無意識に選択していた。

 

それは精神トラウマのハンデがあったとしても、長年の反射癖をシフトする訓練はできると信じてる。

 

 

雨上がりのキレイな空と洗濯物のコラボ。
 

 

先日はまた紙に「自動書記」のように、言葉にならずに溜まっていた感覚をどんどん書いてみた。話し相手がいないとか、弱音は言わないとか、色々と制限もあり、最初は色々と我慢している感情が出てくる。この機会にいっぱい共感してあげる。笑

 

でも最後は

 

 

「ゆるす、ゆるす、ゆるす。。。」。

 

 

ぜんぶ許したいだけだし、許して行く以外何もないとでも言うように、何十回もの「ゆるす」の繰り返しが出てくるだけだった。

 

 

誰に許されなくても、自分で許す。

 

それで良いんだし、そこからしか始まらない。

 

 

多分、精神的な「自立」のプロセスなんだろうなと、お恥ずかしながら四十路半ばにして思ったところ。

 

 

正しいと言われている事を、常識的と思われる様に、上司に認められる様に、家族に許される範囲で、友だちに嫌われない様に、夫に理解される様に、

 

更にはインドのしきたりからはみ出さない様にとか、無理だわ死ぬ気かっ。笑

 

 

ちょっと前はモヤモヤすると「もう好きにする!」とキレて、

 

でも本当にやりたい事なんて迷子だから何をしても迷走、「スッキリしない」と不発に終わってた。訓練されたかの様な他人軸。

 

 

そしてもっとタチが悪いのは、習慣も文化も何もかも違う周りのインド人の振る舞いに一々腹を立てずにはいられなくなってしまった事。

 

この一年、チベット仏教の瞑想法とアンガーマネージメントを学ぶ程、悩んだ。

 

 

何事もない日は良いんだけど。。、

 

そんな日は長く続かない。(前はウチのベランダでいたずら放題だった大家さんの息子君は、最近ちょっぴり「礼儀」を学んだらしく、ドアを開けて道を譲ってくれてビックリしたけどね。)近頃は新しく越して来たインド女子が、ウチのドアの前で大声で電話する度に怒りスイッチが入るので。。。泣

 

 

「ゆるす、ゆるす」と、

 

呪文の様に心で唱えながら、この前クレーム対応のプロの姉に電話で教えてもらった「ゆっくり6つ数える」というのをやり、深呼吸をしながら生存のための「防衛本能」が正常に働く自分をひたすらに許す、許す、許す。笑

 

でも、人が許せないのはやっぱり「自分を許せていないから」と体感させられる試みだった。

 

答えは私の中にあるという希望。泣

 

 

 

誰かから許可されるの、待ちすぎたんだね。

 

本気で誰もいなくなったわ、自分以外。笑

 

 

夫の「嫌な面」が細々と気になってたのも、義弟の素行の悪さが絶対に許せないと思ってた鬼刑務官?みたいだった自分も、酷暑の外で懸命にリヤカーを引いて働く人の声がウザいとしか感じない日々も、すっかりアパートのお局に成り下がりかけてた事も、

 

本当にヤバかったなと思う。汗

 

 

こちらの人たちのそれぞれの大切な人生があること、私の知らなかった自由さ加減があることも、向こうからは誰も挨拶してくれなくても、笑

 

 

ゆるす、ゆるす、ゆるす!

 

 

(挨拶しなくても、無言でガン見して来ても、決してこちらを見下してる等の意味にはならないのが北インド文化です。アラ、日本のヤンキー文化と真逆。笑)

 

 

私も私をゆるして行くよー。

 

 

何があっても、どんな時も、どんな困難も失敗も越えて、

 

私を丸ごと許してあげられる存在は、私しかいない。

 

と言うか、自分から始めないと何事も始まらないのよね北インド(挨拶も笑顔も会話も。。すべて)。

 

 

用心深いんでしょーか?

 

 

ま、人に期待はしないこった。

 

全部ゆるーす。笑

 

 

もうすぐ夫君の誕生日。かわいいカップケーキも許す🎂