昨日は2週間ぶりの夫の休日。バイクで市内で一番大きなローカルマーケットへ。
夫の冬服を買う予定が、コロナ前の年末の様に投げ売り露店もポリスも路駐も大盛況で、品定めなんて無理〜!
このマーケットが好きなのは、このなり振り構わぬ活気。
皆が物を売り買いする事以外眼中にない。ものすごく俗世的な光景に、何だか安心するのだ。
目に見えない不安やいつ帰れるのか分からない未来なんて、どうだって言うんだろうと。笑
街外れの下町暮らしでは私はいつまでも言葉の話せない東アジア人でも、街1番のマーケットでは関係ない。
東北インドの学生もチベット難民もロシア人妻も人混みに見え隠れ。
最新のファッションとメイクで着飾れば、誰にどう見られようと無敵とでも言うような表情の女性たち。
ファッションは国も文化も人種も超える。
女性たちは美しくありたいというシンパシーで繋がることができる。
ここ数年私は「人に見られること」の不安から抜け出せていない。
動物園に行けば家族連れにチンパンジーよりも多くの注目を集め、子供たちに指さしで「チンク!」と言われ、マナーを知らぬ路上労働者には凝視され、観光地では好奇心から盗撮される。
私の容姿が問題なのではなくて、
彼らにとって珍しいというだけ。
なのに、すっかり見られることの不安に取り憑かれてしまった。社会不安も相まって自意識の暴走を止めることが出来ず、
一人外出すると緊張で後でグッタリ、ヨガクラスの後で親切に車で送ってくれると言った人も信用できずお断り、日本に行ってみたいと教えてくれた店員さんとも再び話すことはなかった。
孤独道まっしぐら?
知らない人から見られる恐怖症への対策は、まず「無視」することだった。
これは、インド女子も完全無視してる様に見えたから。でも家族も友人もいない私が真似っ子してみても更に寂しくなるだけ。
昨日マーケットの人混みで、寒いのにお洒落してショッピングに夢中な女性たちを見て思った。
どうやっても見られるのだったら、
見られる前提で歩いてみればいいのかな?と。
まだ考えたこともなかった覚悟。
30過ぎて教員になり、初めて教壇に立った時を思い出した。
人前で人様に何かを教られる人間になんてなれない気がして、ずっと避けてきた仕事。長年の恐怖と向き合った日。
ところが20人もいない高校生を前に、分かる様に説明するのに必死で、緊張なんてどこへやら。笑
向き合ってなかったから怖かっただけ、という笑い話。
人にどう見られるかなんてどうでも良くなるほど夢中になれるものを探しながら、インドでも孤独な日々を乗り越えて来た。
見つけたのは、ファッション。
女性がその内面の美しさと同等の美しさを、この世界に堂々と放つ手段でもある。
どうぞ、どこからでもご覧なさい。
そんな態度で何にも惑わされず、品定めに余念のない女性たち。
インドの若い女性たちは、見られる事に対して消極的に無視しているだけではない。
完璧なメイクとファッション、学歴とキャリアで着飾って、びくともしないプライドを纏って歩いているのが、私の好きな彼女たち。
前は私、同僚たちに対しても「どうしてそんなにビ○チなの?」と思ってた。
どうしてそんなに着飾って、自分の話ばかりして、仕事中にボーイフレンドをもてあそんで、セルフィーばっかり撮ってるの?と。笑
自由意志や尊厳という美酒をたしなみ、無力感から抜け出す時代が彼女たちに訪れていることなど知りもしなかったから。
私も、無欲で無気力で逃げ隠れしてばかりじゃ、インドローカルでは生き残れないのにね。
この今のインドのエネルギーを、どう表現しよう。
13億人の期待感。
周りと上手くやれる大人にはどうにも成り切れなかった日本から、誰も知らないインドに来て、
結婚したけど子供を産んで育てることも、
ヨガと瞑想三昧で静かに暮らすことも、
空想してた現実はことごとく来なかった私。笑
簡単に逃げ帰ることも出来ない今はただ、インド女性が美しく着飾ることで表現する「女性性」のエネルギーの熱量に魅せられている。
「そんなにアクセサリー要る?」って位の重ね付け。
柄オン柄、見た事もない極彩色同士の組み合わせ。真っ赤な口紅、高いハイヒール、フリルにレースに総刺繍にスパンコール、ありとあらゆる素材の共演、更にその上のゴールド。
何事もほどほどに、なんて感覚は蹴散らされてしまう。
女性はみんな女神なの。
彼女たちが真顔で言い放つ意味。
女性として生まれる事の意味。
インドが変わる事の意味。
本当に知りたい事は誰も教えてくれない。
簡単に答えは見つからなくても
ただ希求の火を燃やし続けたい。
この激動の時代で、こんな北インドの地方都市で一人途方に暮れるけど。
この騒々しく埃っぽい町に生きることを許して、
不躾で無愛想な人々を受け入れて、
無尽蔵で予測不能なこの土地のエネルギーから逃げるのはもうやめて、
なりふり構わず夢中になれるものを追いかけてみたい。
向き合った途端に恐怖なんて忘れる。
そしてどこかの歯車と私が調和出来たなら
止まっていた時間が再び動き出すだろうか。
その感覚を呼び覚ますことを心が望んでいるのを感じる。