「お前は、根無し草みたいなんだよな」と
昔言われた事があった。
20代の終わりに勤めたマクロビカフェのオーナーに。接客でクレームを受けた後の反省会の時。
そう言われるのも無理はなかった頃で。ウツでデザイン会社を辞め、たまたまアパートの前に開店したお店に何となく面接に行き、中途半端な気持ちで働き始めたら
みんなめっちゃハキハキした超体育会系でビビっていて。
そこまで言うか?という事も言われたし
そこまでする?ってくらいみんな働いてた。
悔しかったなー。
でも、言われた事のない様な事を言い合える初めての場所だったのね。お一人様好きな「根無し草」では生き残れない場所でもあった。
そこで初めて「仲間」という感覚を知り、
モノクロの毎日がカラー映像に変わり、ある日突然、ウツが治った。
「どうやったら皆みたいに、共感し合って笑い合える仲間が出来るんだろう?」
そんな変化が訪れたあの頃の悩みを、今インドで再び思い出す。
でもインドで私の唯一の仲間は、今は夫だけかもなぁ。笑
ウツが治ってからは出かける先々で出会い(良くも悪くもw)が増えて、気の合う人とは今だにずっと繋がってる。
一方で近ごろ職場の元同僚とはめっきり疎遠。そして家族とはどんどん価値観がズレていく感じ。
ま、職場では自分を見せられてなかったし。
家族は、インドから帰らない私を誤解してるかな。
2年帰らなくても繋がってくれる友だちは正直ありがたい。
(毎日顔を合わせなくて良い気楽な関係って必要)
私は家族や同僚によく誤解される人だった。周りと同じ行動をしないことを悪く取られるらしく。私はそんなに決まりを守れないし、怒られても意味が腑に落ちない。馬鹿正直なんだと思う。
実の父にさえ最期に「ごめん、誤解してたよ」と謝られたくらい笑。ちょっと遅かったけど。
そんなこんなで当然、家族や地域で一斉に同じ行動を取るこのインドで、仲間意識なんて芽生えるはずもないよねーー。
それで、たまに心がチクチクする。
時にズキズキする。
あれ?!
心に穴が空いてる??
。。て、最近気づいてしまったのかもしれない。
本当は分かってほしい。
本当は共感したい。
本当は友だちが欲しいんだよねー
(まだ私が日本に帰るタイミングではない)と自覚しながら、丸2年。
人さまには説明しがたい感覚だけど、強いて言うならば、
1. まだここでやるべき事がある。
2. 中途半端でやめるわけには行かない。
3. 今帰ったら多分インドに戻れ(ら)ない。笑
みたいな感じ。今、日本もインドもコロナが落ち着いてる間に帰国して、サラッと戻って来るのが合理的なんだろうけど、
ただでさえ日本は居心地が良すぎて、年々渡印がしんどくなって行くんだもん。
ついこの前までは、
「インド人夫の日本ビザ申請の解禁が先か、
私がキレて国外逃亡するのが先か。。?」
と、無意識のドキドキ感の中で生きていた。
(落ち着かないワケだい笑)
流石に瞑想を始めてからはキレようにもキレられなくなったので、最悪のシナリオは実現しない筈なのに。
オール or ナッシング思考?無意識の思考癖って怖い。
今年はオンラインストアを始め、気持ちが充実するのと同時に、未だ将来の行く先が見えない事にモヤモヤも。
夫に話しても、何故かいつも現状に満足している稀有な人なのでただの聞き役。それも貴重なんだけど。
(インドが私を受け入れてくれたら、
ここに根付いてやっても良いや)って、)
どこか生半可な態度でずっと過ごして来てるんだよね、私。それにようやく気が付いてきた。
で当然、
インドはそんなに簡単に私を受け入れてはくれない。笑
と言うか、インドの政治にも社会システムにも同僚にも大家さんにも、親戚にでさえ私、共感出来ないんだもの。
私の小っさい脳ミソなんかで考えてたら絶対絶命、絶望的に無理なのだ。
だってね。。
この前は大家さんのお嫁さんが立ち話に来た。半年に1回くらい来るの笑。
「あなたは偉いわ。Great Ladyよ。こんなに長く国に帰らずにいられるなんて」って。複雑〜笑。
でも私は知ってる。それだけで話は終わらない。
「私の実家もデリーでしょ。遠くて悲しくなるわ。でもヨガとプラナヤーマをしていたら平気よ。あなたもやりなさいね、気分が晴れるから」
と、必ず命令形で終わる。悪気はないけどこの辺のインド人は全員、姉御肌に兄貴肌(いらねー)
ちなみにデリーは車で4、5時間でーす。
共感出来なくても飲み込めば良いの??
最近のモヤモヤインド人その2は、
私のヨガのグルジ。
秋頃久しぶりに「元気?」ってメッセージが来たけど、最近またヨガをサボっていて後ろめたく、ようやくこの前返事をしてみた。「How is everything with you?」と聞いたのが間違いだったのか。
「コロナで外国人生徒が全く来なくなってもう20ヶ月も教えてないんだ。お金になる物は家族のために全て売ったよ。金もね」
。。。
何その悲しい話?
インド節で話されても本当に共感出来ないんだけど、実際どうなのと思って、
「大変ですねー。でも例のヨガリトリートセンター新築の話は進めていらっしゃるんですよね?」と聞くと、
そうなんだよ、と自慢のヒマラヤンビューの建設予定地の動画を送って来る。
「じゃあローンとか組まれてるんですよね?」と言うと「そうだ」と。それって私の同情を引いてもこっちは何も出ないレベルじゃん。
(私土地とか買ったことない)
お金は出ないけどアイデアなら出せるかな?という浅知恵で(と言うか探りを入れつつ)、
「ライブ配信をされてみてはいかがでしょう?支払いリンクがあれば投げ銭ベースでも、大勢の元生徒さんたちが見て下さるのでは?」と言ってみた。
そしてその流れで「一番使い勝手が良いのはPaypalですか?」と聞いてしまう。
するとグルジ、
「これが私のPaypalアカウントだよ。君に寄付をお願い出来ないだろうか?」ってさ。(一人一人に聞いて周ってるのー?)
この話しはまだ終わっていないのでこんな書き方だけど、今の私のメンタリティーだと、
「ヨガのグルジにお金を無心された話」
ってタイトルになっちゃってる。笑
でもそれは、ものすごく心の狭い物の見方に過ぎない。
(のかも。全く分かんないんだけど。)
私がインドの人たちと共感できない、インド人の友だちが出来ないと嘆く背景には、
私がインドの価値観や考え方の違いを受け入れられていないという高い高い壁がある。
インド人の間では「お金の貸し借りもコミュニケーションの一つ?」と思える日常がある。
夫の貸したお金は9割型返って来る(1割ーw)。誰が信頼に値するか一目瞭然でもある。
私、どうも
「外国人だから分かってもらえない」
と考えがちな思考癖があったみたいで。
リキシャや買い物の交渉で思い通りに行かない時、
義家族がインド料理を真剣に教えてくれようとしている時、
親戚の子が「お金貸して」と頼って来た時も、
(外国人だからって、特別扱いして!)
と勝手に頭に来て、自らシャッターを閉じて来た。
冷静に振り返ると、どんだけ小物なんだろうって思ったり。
「他人にお金を貸してはいけない、ギャンブルも絶対いけない、よく覚えておくんだよ」と、大昔の親の言いつけさえ抜け出せていない。父なんて「人を見たら泥棒と思え」って言った事もあったのに笑。
実家って、遠くなるべきものなんだよね。
当てはまらない家訓なんて捨てた方が
きっと毎日が怖くなくなるし、
もっと幸せになれるのかもしれないのに。
お金で解決出来る事なら話は早いのかも。
でもそれだけじゃない背景が入り混じっているし、
私にも関わりたい事とそうでない事がある。
私に彼らの何かを変える力なんて到底出ない気がしてもいる。

今の私にはまだインドは受け入れ難い事ばかり。
でも、結果オーライなのは数年見てきて感じるところ。
先の心配をしない我が夫君は10年同じ職場にいても全く悩む素振りもなく、毎日能天気でいてくれる。
最近「この先ずっと変わらないつもり?」なんて私が聞いたもんだから、急に落ち込んじゃって、悪い事をした。
そう言えば3年前にスラム支援のNGOで同僚だったA女史は、結婚して最近ニュージーランドに移住したらしい。
3年前は田舎出身のWebデザイナーのイケメンとラブラブで、職場にも連れて来てイチャイチャ。なのに急にお金持ちと親の紹介で婚約、退職。
彼らのイチャイチャが気まずくて仕事にならなかった記憶が根強いけど、「コロナでタイヘンだったけどようやく夫に再会できました!」って投稿を見たら、何か良かったねって。(正直落ち着きのないビ○ッチだったけどさ、)
結果オーライなら(裏で)何があっても許される感じなのが、ザ・インド女子よ。
(でも職場でチュッチュは本当キモかった〜!w)
たまには大声で叫びたいわ私も。笑
、ということで(どう言うことじゃ)
インドを受け入れ
インドに受け入れられるためには
頭で考えているだけじゃダメっ
というお話でした。
結果オーライなら何でもあり。。って、
ハイリスクハイリターンて感じ?
ついでに私のここ最近の心境の変化は、
コロナ以降で初めて家具や家電に興味が出て来たこと、
メイクを変えてみたくなったこと、
インドの人やお店や場所の名前が覚えられるようになったこと。
家具や家電を買ってしまったら(もうここから逃げられない)って感じるんだよね、心の奥で。笑
さてどうするべきか。
基本インド人は全員、私と対立して来る存在だと決めつけていたので、名前も連絡先も覚える必要あるのかなって思ってたのかも。
対立して泣き寝入りするんじゃなく、本気で勝つためには名前覚えておく必要があるという。(騒々しい隣人とか)
多くのお店の店員さんは気が利かないしオーナーなんて横柄な場合もあるけど、
無愛想で時間がかかったとしても、結果を出してくれる店は限られてるから、覚えてないと生き残れないと気付いた。「日本で買えばいいや」とは言えなくなってしまったし。
こんなご時世のお陰とは言え、まだインドにいることが不思議。
根無し草だった私が、半ば強制で根付かされつつある場所がインドなのも。
何からも逃げずに向き合い、ありのままを受け入れるなんて、
何にも本気になれず誰とも本気では向き合えず逃げてばかりだった、わがまま放題の私には至難の技。
そのたった一度きりのチャンスを与えてくれたのが、この場所で良かったとも思うのだけど。